kaiiです。
3月になると始まるイサダ漁は、三陸地方の春の風物詩です。
宮城県沿岸のイサダ漁は、例年3月1日解禁ですが、今年は宮城沿岸にイサダの群れがなかなか現れなかったことと天候不順の影響で、例年より11日遅く3月12日に漁が解禁され、引き網船が漁を始めました。
イサダ(ツノナシオキアミ)とはオキアミの一種で、養殖魚のエサや釣りの撒きエサなどになる小さなエビの一種です。
気仙沼市大浦の小野寺俊光さん(55)も親族など5人で「第8辨天丸」(9.7トン)でイサダ漁をしています。
気仙沼港を早朝に出港し、その日の天候や長年の勘、さまざまな情報を頼りに漁場を決めます。
辨天丸は、北は唐桑沖から南は南三陸町志津川沖までの間で、イサダの群れが濃い場所を魚群探知機などを使って探して漁をします。
イサダ漁は日の出から始まります。
漁獲量に関わらず、気仙沼魚市場のイサダの最終水揚げ時間は午後3時と決められています。それまでに気仙沼港に戻らなければなりません。
イサダ漁は小型船で30kg入りの籠で190籠(5.7t)が上限です。
午前11時頃から、気仙沼魚市場には続々とイサダ漁を終えた船が入港してきます。
イサダの入った籠が岸壁に水揚げされると岸壁はピンク色のイサダでいっぱいになります。
イサダはすぐに入札され加工場に運ばれ冷凍されます。
今年の漁模様を小野寺さんに伺うと、「イサダの群れは例年よりやや薄く、漁獲量も少ない」といいます。
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気仙沼だけでなく、南三陸町などでもなかなか冷凍加工場の復旧が進まないため、水揚げできる量も限られているといいます。
養殖魚のエサとしてイサダは使われます。そのため、福島第1原子力発電所の事故の影響を懸念する風評被害も受け続けてもいます。
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今年の宮城県の県全体のイサダの水揚げ量は1万6000トンまでと設定されています。県全体でこの設定数量に達すると漁期は終了になります。
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小野寺さんの第8辨天丸は東日本大震災の時、係留していた漁港から津波で陸上に打ち上げられ横倒しになりました。
平成23年5月には海に戻され、その後3カ月をかけて修理されました。
平成23年7月には震災前と変わらず、北海道・ロシア沖へサンマ漁に出掛け、同年11月に気仙沼港に無事に帰港しました。
小野寺さんたちは年間を通じて、春はイサダ漁、夏から秋はサンマ漁、冬はタラ漁など魚を追い続けます。
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震災後、今年で3回目のイサダ漁も中盤戦になりました。
漁獲枠いっぱいになるまで安全な漁をしてほしいと思います。
(取材日 平成26年4月9日)
3月になると始まるイサダ漁は、三陸地方の春の風物詩です。
気仙沼魚市場へ向かうイサダ船 |
宮城県沿岸のイサダ漁は、例年3月1日解禁ですが、今年は宮城沿岸にイサダの群れがなかなか現れなかったことと天候不順の影響で、例年より11日遅く3月12日に漁が解禁され、引き網船が漁を始めました。
イサダ(ツノナシオキアミ)とはオキアミの一種で、養殖魚のエサや釣りの撒きエサなどになる小さなエビの一種です。
イサダ(ツノナシオキアミ) 日光に当たると魚体が鮮明な桜色になります |
気仙沼市大浦の小野寺俊光さん(55)も親族など5人で「第8辨天丸」(9.7トン)でイサダ漁をしています。
気仙沼港を早朝に出港し、その日の天候や長年の勘、さまざまな情報を頼りに漁場を決めます。
辨天丸は、北は唐桑沖から南は南三陸町志津川沖までの間で、イサダの群れが濃い場所を魚群探知機などを使って探して漁をします。
イサダ漁は日の出から始まります。
漁獲量に関わらず、気仙沼魚市場のイサダの最終水揚げ時間は午後3時と決められています。それまでに気仙沼港に戻らなければなりません。
イサダを入れる籠 |
イサダ漁は小型船で30kg入りの籠で190籠(5.7t)が上限です。
午前11時頃から、気仙沼魚市場には続々とイサダ漁を終えた船が入港してきます。
イサダの入った籠が岸壁に水揚げされると岸壁はピンク色のイサダでいっぱいになります。
イサダはすぐに入札され加工場に運ばれ冷凍されます。
今年の漁模様を小野寺さんに伺うと、「イサダの群れは例年よりやや薄く、漁獲量も少ない」といいます。
第8辨天丸(べんてんまる)で漁をする 小野寺俊光さん(左)と小野寺俊成さん(右) |
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気仙沼だけでなく、南三陸町などでもなかなか冷凍加工場の復旧が進まないため、水揚げできる量も限られているといいます。
養殖魚のエサとしてイサダは使われます。そのため、福島第1原子力発電所の事故の影響を懸念する風評被害も受け続けてもいます。
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今年の宮城県の県全体のイサダの水揚げ量は1万6000トンまでと設定されています。県全体でこの設定数量に達すると漁期は終了になります。
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小野寺さんの第8辨天丸は東日本大震災の時、係留していた漁港から津波で陸上に打ち上げられ横倒しになりました。
被災を乗り越えた第8辨天丸 |
平成23年5月には海に戻され、その後3カ月をかけて修理されました。
平成23年7月には震災前と変わらず、北海道・ロシア沖へサンマ漁に出掛け、同年11月に気仙沼港に無事に帰港しました。
小野寺さんたちは年間を通じて、春はイサダ漁、夏から秋はサンマ漁、冬はタラ漁など魚を追い続けます。
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震災後、今年で3回目のイサダ漁も中盤戦になりました。
漁獲枠いっぱいになるまで安全な漁をしてほしいと思います。
(取材日 平成26年4月9日)