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Channel: 宮城県復興応援ブログ ココロプレス

想いが詰まった作品展&復興鍋でみんな笑顔に!@燕沢復興公営住宅(仙台市)

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こんにちは、にゃんこです。

震災から丸5年。
この間、たくさんの方々の力強い支援や想いがつながり、復興は確実に歩みを進めてきました。

しかし、5年たつ今もなお、宮城県内のプレハブ仮設住宅の入居率は全体で5割を超えているという状況。
5年という一つの区切りを迎えた今、被災地ではさまざまな想いが交錯」しているように感じます。
5年、10年、15年、20年…この先も“忘れない”のメッセージを発信し続けられるのか。
これからが本当の正念場なのかもしれません。

▼〈プレハブ仮設〉宮城の入居率 依然5割超(河北新報社)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160225_11017.html

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仙台市宮城野区にある「燕沢復興公営住宅(燕沢市営住宅)」も、ようやく昨年7月から入居が始まりました。

2月26、27日の2日間、ここの集会所を会場に住民と地域の皆さんによる交流会「みんなの作品展」が開催されると聞き、私もお邪魔してきました。


燕沢市営住宅は、JR東仙台駅から徒歩10分程の住宅街に位置しています。
2、3階建ての建物が全部で5棟。
全55世帯のうち、現在は約50世帯が入居しています。

県営燕沢住宅の北側、奥に見えるのは仙台市立西山中学校


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「みんなの作品展」では、住民の方をはじめ地域の方々、さらに、隣接する西山中学校と小学校の生徒の皆さんによる作品も展示されていました。

上に飾られている写真は男性入居者の作品。額も手づくりなんだそうです!

西山小学校の児童の皆さんの作品

会を主催したのは、「燕沢市営住宅自治組織準備会」の方々。
入居を開始してから約7カ月、今月末にようやく自治会が設立することが決まりました。

現在のコミュニティの状況について準備会の渡辺由美さんにお話を伺いました。
「入居してから何度も交流会を重ね、2月には福岡や長野からも支援に来てくださりイベントを開催していただきました。入居者の方も皆さんいい方たちばかりで、少しずつ交流が広まっています」

しかし一方で課題も。
「この5年の間に何度も引っ越しを余儀なくされた方々が多いんです。私も3回目。引っ越した先々でコミュニティづくりに追われ、ようやく終の棲家にと思ったらまた新たなコミュニティ。その疲れもあるのか、『私はもういいから』という方もいらっしゃいます。一人一人さまざまな想いがありますからなかなか難しいですよね。
参加してくださる方も女性が多く、男性が少ないんです。参加してくれるともっと活気がでると思うのですが、なかなか腰が重いようで。麻雀とか囲碁とか男性が参加しやすいサロンもあるといいのかな。いろんなことをやりながら前に進んでいきたい」
と、渡辺さん。

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そして、今回の交流会を力強く支えてくれたのは、西山中学校の生徒の皆さんと地域の皆さんで構成する「燕沢復興住宅サポート委員会」!


27日には住民の方々のために「復興鍋」を作り、振る舞ってくださいました!

この日は250食もの復興鍋を用意。
中学生の皆さんもお手伝いに駆け付けてくれました!

復興鍋に入っているのは、女川産サンマのつみれ。
なぜ女川…?

その答えは、震災直後から西山中学校の三浦亮校長が中心となって行っている復興支援活動「女川を元気にする会」にありました。三浦校長はこの会の会長を務めていらっしゃいます。

以前、女川にある中学校に、教頭として2年間赴任していた三浦校長。
「その間、地域の方にすごくお世話になって。震災直後はまったく連絡が取れず気掛かりだったんです。ようやく連絡がついたのは約1週間後。食べ物がない、温かいものが食べたいと聞いて。仙台市内はある程度食料が確保できるようになっていたので、それならとカレーライスや豚汁を作って女川に炊き出しに行ったんです」

これがきっかけとなり始まった女川町との交流。
2012年に教員やPTAのOBの有志とともに「女川を元気にする会」を立ち上げてからは、ミニコンサートや交流会を度々開催してきました。



「女川に行くときは小学生から大学生まで150人くらいで行くんです。養殖体験をさせてもらったり、焼きそばやかき氷を食べながら子どもたち同士交流したり。前回はせっかく来てくれるんだから女川のキレイな海を見せてあげたいって、船を2隻も用意して子どもたちを乗せてくれたんです。元気を与えに行っているはずなのに逆に元気をもらって帰ってくる。こっちに住んでいる人よりも元気なんですよ!」

「今日はここで交流会があると聞いて、生徒と一緒に復興鍋を作って持ってきました。女川産の新鮮なサンマを使ったつみれは絶品です!」
と、笑顔の三浦校長。

住民の方への声掛け、外に出られない住民の方への配達など、生徒の皆さんの頑張りも輝いていました。

「こうやって来てくれることがほんとうにありがたい」
と、うれしそうに話す渡辺さん。

復興鍋に込められた温かい想いに、たくさんの笑顔があふれていました。

(取材日 平成28年2月27日)

あの日から5年~胸を張れるまちへ復興する誓い新たに~(気仙沼市)

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kaiiです。東日本大震災発生から5年がたちました。
ご支援をいただいている国内、世界中の皆さんに感謝申し上げます。

平成28年3月11日午後2時30分から、気仙沼市総合体育館「ケー・ウェーブ」で気仙沼市主催の東日本大震災追悼式が行われました。

平成28年気仙沼市東日本大震災追悼式会場の様子
市民など1000人ほどが犠牲になられた方々の冥福を祈りました
(撮影 平成28年3月11日)
追悼式には、遺族など1000人ほどが参列し、東日本大震災で亡くなられた方々の御霊の安らかなることを祈りました。

気仙沼市立新月中学校全校生徒が「あすという日が」「ふるさと」の献唱を行いました
気仙沼市立新月中学校全校生徒が、「あすという日が」「ふるさと」の献唱を行いました。

黙祷
政府主催追悼式と中継を結び、震災発生の時刻、午後2時46分に黙祷を行いました。

犠牲になられた方々の冥福が祈られました
追悼式の会場だけでなく、防災無線のサイレンを合図に市内でも市民が黙祷し犠牲になった方々に祈りを捧げました。

菅原茂気仙沼市長は式辞で
犠牲になられた方々に胸を張って気仙沼の様子を伝えられるよう、
復興事業の継続、地方らしい豊かな生活を目指すことを誓いました

追悼式の式辞で菅原茂気仙沼市長は、
「市において、追悼式を挙行し、犠牲になられた方々に全ての市民が哀悼の意を捧げる日でありたい」
と述べ、犠牲者への哀悼の意を表しました。

仮設住宅などで避難生活をする市民には、
「5年もの長期にわたり不自由な生活に耐えていただいておりますことに敬意を表し、感謝申し上げます。住まいの再建につきましては、これまで以上に力を注ぎ、遅れることなく進めて参ります」

「復興事業の継続、地方らしい豊かな暮らしを目指し、日々精進し、犠牲になられた方々に胸を張って気仙沼の様子を伝えられるようにしたい」
と述べました。

遺族を代表して言葉を述べた齋藤良子さんは
「命のリレーをしていくことが私たちの使命
できることに精一杯取り組めば気仙沼は元気になると信じています」と
津波の犠牲になった母たか子さんに家業の再開などを報告しました

遺族を代表し、気仙沼市唐桑町鮪立地区で母たか子さんを亡くした斎藤良子さんが、言葉を述べました。

齋藤さんは、高台にある自宅の庭の木に倒れていた母たか子さんが拳を握ったままだった様子を見て、流されまいとがんばったのだと感じたこと、母が守ってきたこの地でがんばっていこうと決め、家業の水産加工場を再開させたことなどを報告しました。

齋藤さんは、「できることに精いっぱい取り組めば気仙沼は元気になると信じて、命のリレーをしていくことが残された私たちの使命だ」と結びました。

参列者が献花し犠牲者の冥福を祈りました
東日本大震災から5年。まだ悲しみの中にいる人たちがいます。心寄せ合いながら前へ。
震災から6年目の歩みが確実なものになるように願いました。


(取材日 平成28年3月11日)

カワイイおひなさまを作ろう!復興公営住宅で交流会(仙台市)

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こんにちは、YMです。
なんともカワイイこちらのおひなさま!
この「赤ちゃんうさぎのおひなさま」を作るワークショップが、梅田町復興公営住宅で開かれました。

復興公営住宅に住む人たちに町を知ってもらうため、そして周辺住民との交流を目的に、福沢市民センターが主催しました。
イベントには入居者4名、周辺住民6名の計10名が集まりました。

ご指導してくださったのは、同じ梅田町に住む佐藤由紀子さん。
元々手芸がお好きだと言う佐藤さんは、手芸教室に通い始めてからすっかりのめり込んでしまい、作品製作を続けてもう7年になるそうです。
中央の女性が佐藤さん
昨年12月に今回と同じ目的で行われた「みんなの作品展」では、つるし雛など華やかな作品を出展し、入居者の目を楽しませてくれました。
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2016年1月5日
■どれも完成度が高い!梅田町復興公営住宅でミニ作品展(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/01/blog-post_9.html
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「みんなの作品展」での佐藤さんの作品

参加した皆さんは
「すごく楽しかった!」
「かわいいおひなさまができてうれしい」
「また企画してほしい」
と、大変喜んでいました。
顔を作るのが難しかったようですが、それぞれ愛嬌のあるうさぎちゃんができました。
参加者の作品

入居者の女性は「入居して約10カ月がたちますが、この地域は静かで、散歩コースもたくさんあり、部屋は日当りも良くて、とても気に入っています」と、この地域に馴染んできた様子でした。

* * * * *

ちょうど1年前に完成した梅田町復興公営住宅。YMは第1回目の交流会から取材してきました。最初はお互い知らない人同士、知らない土地で、入居者も不安そうに見えました。「早くここに慣れてもらいたいな」とYMもこの近くに住んでいることもあり、切に願っていました。
それからも度々交流会が行われたおかげで「住民同士が仲良くなった」「住宅も地域も気に入っている」という声が聞けて、安心しました。このような交流会を続けていくことは大事だな、とあらためて感じました。

(取材日 平成28年2月25日)

「TRE-ストレス・トラウマ解放エクササイズin気仙沼 」開催のお知らせ(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。

東日本大震災の被災体験の後、不調に苦しんだ女性が、被災地で自身と同じようにトラウマに苦しむ人の気持ちに寄り添いたいと県内各地で開催している「ストレス・トラウマ解放エクササイズ」が3月29日、気仙沼市で開催されます。なんとなく調子が悪いなどの不調を抱えている皆さん、参加しませんか。

TRE®-ストレス・トラウマ解放エクササイズの様子
写真提供:宍戸和子さん
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「TRE-ストレス・トラウマ解放エクササイズin気仙沼 」
                            開催のお知らせ!

日 時:3月29日(火) ①10:00~12:00(9:30開場)
              ②18:30~20:30(18:00開場)

   場 所:気仙沼市役所ワン・テン庁舎  
        ①交流室B/②交流室A    
        気仙沼市八日町一丁目1-10    
    
   参加費: 無 料    定 員:各回5名       
    
    
   講 師:宍戸和子  TREjapan認定指導士    
 
   申込方法:ホームページ→ www.kodama-zao.jimdo.com
                  メール→ kodama.zao@gmail.com  
            TEL/FAX→  0224-26-9866  
 
持ち物:横になって運動するのに楽な服装でお越しください。タオル、水などの飲み物、  
      体温調節の膝掛けなど、ヨガマット(お持ちでない場合は500円で貸出いたします。)  

注意事項:  
●治療中の方は、担当医の指示に従って下さい。お薬は通常通り服用してご参加ください。
●大きなけがや手術から3カ月以内の方、妊娠中の方は、お申込みをご遠慮ください。
●安全確認と技術向上のため、セッションの様子をビデオ撮影させていただいています。
  抵抗のある方は事前にご相談ください。

主催: TREjapan認定指導士  宍戸和子 

ストレス・トラウマ解放エクササイズは7つのストレッチのような運動で、緊張やストレスで固くなっている筋肉をゆるめ、同時に日常で我慢している怒り、悲しみなどの感情、震災、事故、病気等で傷ついた心、トラウマを解放する心と身体のセルフケアです。    
体の硬い人や体力のない人でも、自分のペースででき、世界46カ国250万人以上の人々に愛され、使い続けている安全で効果の高い方法です。心と身体の両面からストレスを手放し、覚えてしまえば一生使えるスキルとなります。

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(講師宍戸和子さんからのメッセージ)

震災でトラウマという重い荷物を背負われたあなたへ

TREはトラウマの内容を話す必要はありません。
私も3年前に仙台で無料ワークショップに参加し、仮設住宅に住みながら
TREのプロセスを進めてきました。同じ被災者だから寄り添うことができる。
少しでも気持ちが軽くなるお手伝いができると思います。
人生を変えるための一歩を踏み出してください。

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東日本大震災から5年。日常会話に中に、震災の記憶や体験がを感じます。
辛い記憶を言葉にして解放している反面、思い出すということで追体験しているのではないかと心配になる人もいます。

話さないくていい。体を動かすことでトラウマを解放するエクササイズに参加してみませんか。


(取材日 平成28年3月16日)

キャンドルナイト2016~未来を照らす光輝の輪を拡げよう!~(仙台市)

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こんにちは、にゃんこです。

2016年3月11日。
震災から5年目のこの日も、仙台市内はあの日と同じように肌寒い一日でした。
そして夜には雪。

あの日の記憶、そして想いが重なります。

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中心部の商店街に設置された献花台ではたくさんの方が花を手向け、手を合わせていました。


勾当台公園市民広場では、政府主催東日本大震災五周年追悼式、仙台市追悼式の中継が行われました。


午後2時46分、黙祷。


仙台市追悼式では、奥山恵美子市長が、
「被災された皆さまの生活の拠り所となる新たなお住まいの再建は、復興公営住宅の入居や防災集団移転先での住宅建築の本格化など、その完了が見通せる段階となりました。
今後お住まいを移された先でのコミュニティ作りなど被災された方々が新しい故郷で地域の皆さまと手を取り合って未来に向かって進むことができるよう、さらにしっかりと支えて参りますとともに、引き続き嵩上げ道路や避難タワーの整備など津波からの被害を少しでも減らしていけるよう取り組んで参ります。

 一方時間の経過とともに震災の風化が憂慮されております。私たちにとって東日本大震災は決して忘れてはならないものであり、この記憶と経験を広く世界に、そして次なる世代に伝え、防災、減災社会を実現していくことが私たちの大きな責務であります。今後も『せんだい3.11メモリアル交流館』を一つの拠点としつつ震災の教訓を発信し、防災文化の向上につなげて参ります。

 本市が復興に力を注いできた間も全国的な少子高齢化は確実に進行しており、本市もさまざまな課題に直面しております。しかしながら、震災を経て幾多の苦難から立ち上がった108万市民の力がある限り、乗り越えれらない困難はないと信じております。犠牲となられた方々の想いを刻みながら復興を成し遂げるとともに、人口減少社会に立ち向かい新しい仙台、笑顔あふれる未来を必ずや作り上げて行くことをここに固くお誓い申し上げます」
と、述べました。

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夜には、「公益社団法人 仙台青年会議所」主催の「キャンドルナイト2016」が行われました。

今年のテーマは「未来を照らす光輝の輪を拡げよう!」

そして18時、浮かび上がった文字は…


(写真提供:仙台青年会議所)

「震災の記憶を忘れずに未来に残したい、未来の若い世代人たちにもずっと語り継いでいきたい」という想いが込められているそうです。

仙台青年会議所の吉田勝利理事長は、
「我々はこの街の未来を変えていかなければなりません。街の未来が変わればそこに住む大人たちの未来が変わるはずです。大人たちが変われば、そこに住む子どもたちの未来が変わるはずです。そして、子どもたちが変われば、この街の未来が必ず変わるはずです。我々は今日の事業を通して、復興が進む街の姿をご支援をいただいた皆さまに対して発信していきたい」
と、あいさつ。

キャンドルとなったのは、みんなのメッセージやイラストが描かれた3,000個のメッセージコップ。





当日設置されたブースでもたくさんの方がメッセージを書いていました

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追悼式に向かう途中、3歳くらいの女の子を連れたお母さんが私の前を歩いていました。

「仙台市とか閖上とかに大きな津波が来てね…」
「つなみ??」

理解できるようになるまではきっとまだまだ時間はかかるけど、こうやって伝え続けていくことがどんなに大切なことなのか、親子のやり取りを聞きながら考えていました。

3.11は追悼の祈りを捧げる日である一方、さらに防災意識を高める日でもありたいと思っています。
3月15日のkaiiさんの記事でもあった通り、“自分ごととして災害を考え備えているか”はすごく重要なことなんです。日頃からの備えが自分の命を守り、災害を乗り切る糧となります。

特に震災以降はさまざまな防災グッズが開発、販売されています。
家族構成などによっても変わりますので、自分には何が必要なのか、足りないものはないかをこの機会にぜひチェックしてみてください。

▼~災害時のトイレ対策を考える~
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/09/blog-post_39.html

仙台市のHPでは、一週間分の備蓄の量や循環備蓄の方法、100円ショップで購入できる防災グッズなどを紹介していますのでぜひ参考にしてください。
▼地域防災アドバイザー室(仙台市)
小さいお子さまがいらっしゃる方はこちらもぜひご参照ください。
▼ママの立場で伝える防災・減災


(取材日 平成28年3月11日)

海外でも活用してほしい!日本の防災ゲームを体験(仙台市)

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こんにちは、YMです。
2月21日から3月5日まで、アジア7カ国(インドネシア・スリランカ・タイ・ネパール・バングラデシュ・フィリピン・ベトナム)から、行政官やNGOの代表ら21名が集まり、東日本大震災の被災地を視察して回りました。
一行はジェンダー・多様性と災害リスク削減について学ぶために東北の復興の現場を訪問する、国際協力機構(JICA)の事業で来日していました。


2月27日は宮城野区中央市民センターで、防災・減災の知識を楽しみながら学ぶ活動を普及している市民団体「わしん倶楽部」の活動を視察しました。
子どもたちが自分で身を守る行動を遊びながら学べる「ぼうさいダック」や、童話「うさぎとかめ」の替え歌で防災と健康体操を組み合わせた「歩一歩たいそう」など、わしん倶楽部が使っている防災教材やグッズを紹介しました。

地震の時は同じポーズをして「頭を守ろう」と教えてくれる「ぼうさいダック」
非常持ち出し袋の中身を公開。「これは何?」と海外では馴染みないものもあったようです

* * * * *

一行は、災害時に決断を迫られる場面を疑似体験できる防災教材「クロスロード」を体験しました。

Q「あなたは乳児を持つ母親です。家が大規模半壊のため、集会所に避難しました。しかし子どもがなかなか泣き止まず、迷惑をかけるので気が気ではありません。寒いけど子どもと共に外に出ますか?」
YES=外に出る NO=外に出ない

あなたならどちらを選びますか?

「中にいたほうが安全だと思うから」「寒くて子どもが風邪をひくかもしれないから」など「NO」の意見が多い中、「YES」と答えたインドネシアのトリ・ウタミ・ハンダヤニンシさんは、
「子どもがここにいたくないから泣いていると思うので外に出ます。自国で実際に震災を体験しており、その時は建物が潰れる可能性もあったので、外に出た方が安全だという経験からもこの判断をしました」と答えました。
インドネシアでは「子どもが泣く」ことは「悪いことが起きる」と言われているため、泣かせ続けるのは良くないという国柄もあるそうです。
日本で同じ質問をすると、答えは半々になります。実際のところ東日本大震災の時には、雪が降る中でも泣く子どもを抱いて避難所を出る女性たちがいたと言います。
「YES」を選んだ理由を述べるウタミさん(写真右)
参加者の女性は「このゲームは市民だけでなく、”避難所をどこにするか”など災害時に判断を下す人たちにもさまざまなことが学べると思います。判断を下す人たちが「(先ほどの質問のような)母親がどう思うか」などを知り、解決策を見つけるためにも使われるべきだと思いました」と話しました。

わしん倶楽部の代表・田中勢子さんは、
「地域によって災害時の問題はさまざまなので、皆さんも各地域でクロスロードの設問を作ってみてください。このゲームを通じて、生き抜く力を身に付けていただきたいです」
と、呼び掛けていました。

(取材日 平成28年2月27日)

気仙沼国際オープンセミナー 2016 - 海と生きる未来を創る@GENBA(現場)が開催されました(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。

平成28年1月29日から31日までの3日間、気仙沼市の復興の状況などを学び、世界の防災とまちづくりに役立てようという、気仙沼国際オープンセミナー 2016 - 海と生きる未来を創る@GENBA(現場)が、気仙沼市港町の商業観光施設「海の市」を会場に開催されました。



このセミナーは、オーストラリア王立メルボルン工科大学のマリールイズ・ヨナス教授らが主催しました。

ヨナス教授は、オーストラリア王立メルボルン工科大学の学生たちと気仙沼市を訪問し、復興の取り組みなどを学んでいます。



29日のセミナーでは、東京大学の研究員廣瀬俊介さんが、自然を資本とした持続可能な地域経営について講演しました。
廣瀬さんは、自然という最大の地域資本をもっとよく知って自然を活かした地域づくりに取り組むことの重要性について市民に分かりやすく説明しました。

タスマニア大学研究員の中村明寛さんは、レジリエンス(復元力、回復力)と環境政策などについて講演し、市民に「レジリエンス」とは何かと話題を提供し、参加者と意見を交換しました。



午後からは、気仙沼市本吉町出身(オーストラリア在住)の大塚博子さんが、震災から5年を経て、女性の立場から、地域の復元力、回復力について話しました。



30日は階上地区のまちづくりの現場についての講演と現場の視察が行われました。



主催したヨナス教授は、「東日本大震災から5年になります。復興に向かう『現場』にいる皆さんの経験を聞き学ぶことは、災害からの復興、まちづくり、防災などに役立ちます。市民の皆さんの経験を私たちに教えてほしいです」と話していました。

震災から5年。私たちの復興へのプロセスが世界の人たちの防災につながり、災害で命をなくす方が少しでも減ることを祈ります。


(取材日 平成28年1月29日)

もう1つの慰霊祭(山元町)

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こんにちはエムです。

東日本大震災発生から5年を迎えた2016年3月11日。この日は東北各地で追悼式や慰霊祭が行われました。
山元町でも町体育文化センターで追悼式が行われましたが、町の中心部から北に位置する牛橋区でも民間の団体の協力の元、慰霊祭と鎮魂のコンサートが行われました。
2012年から毎年開催されていましたが、今回初めてその様子を取材しました。


朝から晴天に恵まれましたが、風が強く体感温度は真冬並みの寒さの中、会場となっている「牛橋区民会館」には地元の方やボランティアなど、約150名が集まっていました。

食べ物のブースも出され、地元の皆さんが作った豚汁や玉コンニャクの他、ボランティアの方々による焼きそばや唐揚げ、奈良県から取り寄せた厚揚げなどが格安料金で振る舞われました。

地元の皆さんによるとん汁と玉コンニャクのブース
前日から煮込んで味を染み込ませた玉コンニャク!

会館の外に設置された椅子では、地元の方とボランティアの方が思い思いに座り食事をしている中、牛橋区の区長さんを発見。お話を伺いました。

石橋区長の斎藤智博さん(右から2人目)と、幼なじみだという地元の皆さん
「『未来に向かって助け合い』のような牛橋区を応援してくれる方がいるのは、ありがたいことです。我々はお互いに話し合いながら、いろいろ助けてもらっています。
今までもボランティアの人たちを呼んでいただいて、側溝の掃除、泥さらいなどさまざまな事をやってもらっているんですが、昨年は拠点となる『山元夢ファーム』を作ってくれました。そして桑の木を植えて桑茶を作ったりもしてくれています。
あの人たちがいないと、この地区の人たちは我々もみんな年寄りばかりですから。

山元町は新しい町造りに力点を置いて今工事をやっていますが、同時に常磐線も内陸移転ということで工事を進めているところです。
この牛橋区では新しい線路を通すために19世帯が立ち退き、内15世帯が苦渋の選択をして町外へ移転しました。でも山元町全体を考えて我々は協力しているのです。
この牛橋区にはそういった問題点がいっぱいありますが、今は中心部の工事を早く進めてもらい、完成したらこの牛橋区の道路やいろんな環境整備を早く整えてほしい。それが我々の願いです」

◇関連記事
2016年年2月10日 順調に工事中!JR常磐線【2015.12〜2016.2版】(山元町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/02/zyobanline201602.html

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[鎮魂のふれあいコンサート]

午後1時からは、髙橋房代さんと福井福治さんによる「鎮魂のふれあいコンサート」が開催されました。
会場となった会館の大広間は、町民の方やボランティアの方でほぼ満席となり、髙橋さんの美空ひばりに似た張りのある元気な歌声と、福井さんの温かで遥か彼方まで心を連れて行ってくれるようなオカリナの音色が流れる、心温まるコンサートとなりました。

「花は咲く」「涙そうそう」などのオカリナと歌のコラボ曲
「いい日旅立ち」「愛燦々」などの髙橋さんの歌が披露されました
髙橋さんと福井さんの詳しいプロフィールは、前回の記事を参照ください。

◇ 前回の記事===============
2016年3月4日(金) 鎮魂のふれあいコンサート〜in 山元町牛箸区民会館(山元町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/in.html
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「NPO法人 未来に向かって助け合い」理事長の福井さんは、オカリナを独学で演奏・作曲までこなしています。このコンサートでは「天空のオリオン」、福井さん作曲の「流るる」2曲が演奏され、その哀愁のある調べに聞き入りました。


また、会場の皆さんと一緒に歌うコーナーもあり、日頃からカラオケ大好きという町民の皆さんの素晴らしい歌声を聞くこともできました。

「赤とんぼ」「見上げてごらん夜の星を」などを一緒に歌いました

ストレッチダンスを披露する皆さん。衣装は手作りです
コンサートの最後に、震災後に生まれた山元町の歌「この町で」に合わせて、ストレッチダンスが披露されました。http://yamamotoasobitai.web.fc2.com/yamauta_tukuritai.html

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[慰霊と鎮魂の風船を空へ]

慰霊祭の最後には「風船飛ばし」が行われました。風船には、それぞれの思いを込めたメッセージを書いた紙を付けました。

奥さまは先ほどのコンサートで、最後にストレッチダンスを踊った1人です
このご夫婦は当時、家にいたチワワ犬を連れに家に戻った時に3メートル以上の津波に襲われ、家ごと流されたと語ってくれました。
「イヌをポケットに入れて2人で2階に上がり、そのまま流されてしまいました。そして坂元駅と国道6号の角でちょうど止まって助かりましたが、10メートル先に時速約100キロメートルで流れている引き潮が見えました。あれに乗ってしまっていたら助かりませんでした」

風船に付けたメッセージには、
「あっという間の5年でした。これからも元気でがんばっていきたいと思います」
「被災地で生活する人々がさらに幸せになりますように」
「もっと早く復興がされますように祈ってます」
などと書かれていました。

久しぶりで会う人、きちんと正装した町民の皆さんの姿が印象的でした
そして迎えた午後2時46分。町全体に鳴り響くサイレンと共に1分間の黙祷をした後、走り広敏さん(アミイファクト株式会社 代表取締役)の「やまもとちょう!」という大きな声と同時に、風船を空に飛ばしました!




山元町からの帰り道、細かな雪が降り始めました。雪は夜になっても暗い空からはらはらと踊るように降り続いていました。
まるで震災当日と同じような天候の、5年目を迎えた3月11日でした。

次回は、このイベントを成功させるために全国各地から駆け付けてくれたボランティアの皆さんをご紹介します。

(取材日 平成28年3月11日)

春のイベント情報(県内各地)

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こんにちは、にゃんこです。

寒さもようやく落ち着き、季節はもう春ですね。
お出掛けが楽しい季節になりました。

今月の14日、JR仙台駅に石巻市雄勝地区の特産「雄勝石」を使った壁画が登場しました!

作品名「漂白の旅人 芭蕉」。松島の情景が描かれています

東京駅の屋根瓦の一部にも使われていることでも有名な雄勝石。
今回の壁画には、震災後がれきの下から見つかった石を使用しているんだそうです。
こちらの壁画は、JR仙台駅3階、新幹線中央改札付近に設置されています。


そして、JR仙石線多賀城駅前には、菊地健次郎市長が「東日本大震災復興のシンボル」と話す「多賀城市立図書館」が3月21日オープン!

オープン前日の市民内覧会にはたくさんの人が訪れていました

蔦谷書店やスターバックスのほか、ファミマ!!、レストランなども入店する

ぜひ宮城を訪れた際には足を運んでみてください!


さらに、春と言えば桜!
全国各地から開花の知らせが届いていますが、仙台市内は4月5日頃の予定だそうです。
昨年撮影した榴岡公園の桜
県内各地でもサクラやスイセン、菜の花など花まつりも満載です♪
宮城の春を満喫しにいらしてください!

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■イベント情報  2016年4月1日~30日
※イベントの開催は桜の開花状況や天候などにより変更・中止になる場合があります。
詳細は各施設にお問い合わせください
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白石城桜まつり
4月2日(土)~24日(日)
会/白石城・益岡公園
問/白石城管理事務所 0224-24-3030
http://www.shiro-f.jp/shiroishijo/info/access/
※沢端川ライトアップ、桜フェスタしろいしは商工観光課
0224-22-1321
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/

みやぎ川崎寒ざらしそばまつり
4月3日(日)
会/みやぎ蔵王セントメリースキー場
問/川崎町観光協会
http://www.wakuwaku-kawasaki.com/

平成28年おおがわら桜まつり
4月7日(木)~21日(木)
会/白石川右岸河川敷公園
問/大河原町商工観光課
http://www.town.ogawara.miyagi.jp/team/syoukoukankou/g_event/sakura.html

しばた桜まつり
4月7日(木)~24日(日)
会/船岡城址公園、白石川堤ほか
問/しばた桜まつり実行委員会事務局(柴田町商工観光課)
http://www.town.shibata.miyagi.jp/

加護坊桜まつり
4月8日(金)~5月5日(木・祝)
会/加護坊山自然公園
問/大崎市産業経済部観光交流課
0229-23-7097
http://www.city.osaki.miyagi.jp/

玉の木原水芭蕉群生地オープン式
4月8日(金)10:00~
会/玉の木原水芭蕉群生地(刈田郡七ヶ宿町字蟹川)
問/七ヶ宿観光協会
0224-37-2177

なとり春まつり
4月9日(土)※雨天時は10日に順延
会/名取市役所周辺広場
問/なとり春まつり実行委員会(名取市商工会)
http://natori.in-shoko.com/index.html

マリンパル女川おさかな市場 しらす祭り
4月9日(土)、10日(日)
会/マリンパル女川おさかな市場(牡鹿郡女川町浦宿浜字篠浜山2)
問/マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

花のフェスティバル2016
4月9日(土)~5月8日(日)
会/国営みちのく杜の湖畔公園
問/国営みちのく杜の湖畔公園
http://www.michinoku-park.info/wp/

鹿島台互市
4月10日(日)~12日(火)
会/JR東北本線鹿島台駅より大崎市鹿島台総合支所の間
問/鹿島台総合支所地域振興課
http://www.city.osaki.miyagi.jp/index.cfm/24,1175,108,236,html
(大崎市)

わくや桜まつり
4月11日(月)~29(金・祝)
会/城山公園
問/涌谷町まちづくり推進課
http://www.town.wakuya.miyagi.jp/sangyo/kanko/event/sakuramatsuri.html

若柳桜まつり
4月11日(月)~22日(金)
会/ドリーム・パル(栗原市若柳総合文化センター)など
問/若柳金成商工会
http://www.wakayanagi-kannari.biz/midokoro/index.html

齋理屋敷企画展「端午の節句」
4月12日(火)~5月22日(日)
会/蔵の郷土館 齋理屋敷
問/蔵の郷土館 齋理屋敷
0224-72-6636

柳津虚空蔵尊 御開帳
4月13日(水)~5月15日(日)
会/柳津虚空蔵尊
問/柳津虚空蔵尊
http://www.kokuzouson.or.jp/

毎月第2日曜日は「お寺マルシェ」も開催!
▼お寺マルシェは毎月第2日曜日!
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/2.html


しおがまさま 神々の花灯り
4月15日(金)、16日(土)
会/志波彦神社・鹽竈神社境内、表参道
問/志波彦神社・鹽竈神社
http://www.shiogamajinja.jp/

こけしと木地玩具展
4月15日(金)~17日(日)
会/道の駅村田
問/村田町ふるさとリフレッシュセンター
http://muratamachi.info/

佐沼さくら祭り
4月16日(土)~17日(日)
会/鹿ヶ城公園
問/登米中央商工会
http://www.tome.or.jp/

東照宮春まつり
4月16日(土)、17日(日)
会/東照宮(仙台市青葉区東照宮1-6-1)
問/東照宮
http://sendai-toshogu.or.jp/

平筒沼ふれあい公園桜まつり
4月16日(土)~17日(日)
会/平筒沼ふれあい公園
問/平筒沼桜まつり実行委員会事務局(登米市米山総合支所市民課)
0220-55-2111

第66回東北輓馬競技大会
4月17日(日)
会/城山公園江合川左岸河川敷特設会場
問/涌谷町まちづくり推進課
http://www.town.wakuya.miyagi.jp/

石巻きたかみ交流うまいもの市
4月19日(火)、20日(水)
会/勾当台公園市民広場
問/石巻市北上地域物産振興協会

ココロプレスでもご紹介しています!
▼各地のうまいもんが集結!石巻きたかみ交流うまいもの市
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html

▼十三浜の恵みを堪能!「石巻きたかみ交流うまいもの市」に行こう!
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/11/blog-post_2.html

第27回みやぎ蔵王えぼしすいせん祭り
4月22日(金)~5月15日(日)
会/みやぎ蔵王えぼしリゾート
問/みやぎ蔵王えぼしリゾート
http://www.eboshi.co.jp/

蔵王エコーライン開通
4月22日(金)11:00~
会/蔵王エコーライン
問/蔵王町観光案内所
http://www.zao-machi.com/
(蔵王町観光物産協会)

東北風土マラソン&フェスティバル
4月23日(土)、24日(日)
会/登米市長沼フートピア公園
問/東北風土マラソン&フェスティバル実行委員会
http://tohokumarathon.com/

マラソン大会の前日には、「南三陸復興ツアー」「東北酒蔵ツアー」「登米風土ウォーキング」と3つのツアーが行われます。申込受付は4月8日(金)まで。
各ツアーとも先着順、定員に達し次第受付終了となりますのでお早めにお申し込みください!
【関連記事】
▼被災地ツアーで見えてくるもの:南三陸町編
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/blog-post_27.html

▼笑顔とグルメがいっぱい!~東北風土マラソンが開催されました
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/05/blog-post_7.html

志津川湾ホタテまつり福興市
4月24日(日)
会/南三陸町役場前特設会場(予定)
問/南三陸福興市実行委員会事務局
http://www.m-kankou.jp/
(南三陸町)

第17回七ツ森湖畔公園「花まつり」
4月24日(日)
会/七ツ森湖畔公園
問/花まつり実行委員会
022-345-4855(大和町地域振興公社)

米山チューリップまつり
4月24日(日)~5月8日(日)
会/道の駅米山
問/道の駅米山「ふる里センターY・Y」
http://www.city.tome.miyagi.jp/chisan/shop_129.html
(登米市)

初午まつり火伏せの虎舞
4月29日(金・祝)
会/加美郡加美町中新田花楽小路(加美郡加美町字西町地内)
問/加美町商工観光課
http://www.town.kami.miyagi.jp/

第19回かくだ菜の花まつり
4月29日(金・祝)~5月5日(木・祝)
会/阿武隈川角田橋下流右岸河川敷
問/角田市観光物産協会
http://www.kakuda-kankoubussan.jp/

GW企画縄文体験・体感WEEK
4月29日(金・祝)~5月8日(日)
会/奥松島縄文村歴史資料館
問/奥松島縄文村歴史資料館
http://www.satohama-jomon.jp/

樹々のアート展「Re-Born XIV」
4月30日(土)~5月8日(日)
会/国営みちのく杜の湖畔公園 南地区ふるさと村
問/みちのく公園管理センター
http://www.michinoku-park.info/wp/


(取材日 平成28年3月24日)

天皇皇后両陛下が女川町にいらっしゃいました(女川町)

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こんにちは、Chocoです。
昨日、天皇皇后両陛下が女川町の 街中を行幸されました。


両陛下は、16日から18日まで東日本大震災の被災地を視察されており、17日は石巻市と女川町をご訪問されました。


「春風も 沿ひて走らむこの朝(あした)女川(をながは)駅を始発車いでぬ」
JR石巻線全線開通した昨年の3月に、喜びの想いを込めて 皇后さまがお詠みになったものです。
昨年3月のJR女川駅開通記念式典の様子
最近肌寒い日が続いていましたが、17日の天候は晴天。
皇后さまの短歌のように温かな春風が吹き、両陛下のご訪問を待ちわびていたかのような青空でした。

女川町では、水産加工会社や昨年末にオープンしたばかりのテナント型商店街シーパルピア女川を中心にご視察されました。
ご訪問予定2時間前の様子
両陛下をお出迎えするために町内外から多くの人々がそうそうに駅前に集まっていました。
ご訪問予定1時間前の様子
 両陛下が乗車されている車が到着すると人々は旗を振り、笑顔で歓声を上げてそれぞれに喜びを表現していました。
両陛下は、その声に笑顔で手を振り応えられました。

そして、シーパルピア女川では、ダイビングショップや花屋、工房などが建ち並ぶエリア(アクティブゾーン)を視察し、店主一人一人へ励ましの声を掛けられました。
女川町長は、1軒1軒をご案内していました。
さらに、来場していた人々のそばに歩み寄り話しかける場面も見られました。
そして「がんばってくださいね」と優しく声を掛けられていました。
予定の時間よりも長くご滞在された両陛下は、最後の最後まで旗を振る大勢の人々に笑顔で手を振り続けられました。

女川から石巻へ続く国道にも人々が待機していました。
今回のご訪問で、町内に設置された歓送迎場所は10カ所です。
どの場所に行ってもたくさんの人が旗を持ち集まっていました。
両陛下が歓送迎場所を通り過ぎるのは数秒。
それでも地元の人々は長い時間待っていました。

そして両陛下をお見送りした後、人々の顔は晴れやかでした。
「お会いできて本当に光栄でした。これからもがんばろう」
そう話していた人がいました。
被災地の人々にとって両陛下の温かな想いは、活力となりました。

震災から5年。
まだまだ復興は続きます。

(取材日 平成28年3月17日)

人と動物の共存を目指して[前編]~大震災からの教訓を伝えたい(利府町、富谷町)

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こんにちはエムです。

東日本大震災のような大きな災害が発生したとき、私たちが飼っているイヌやネコ、ウサギやハムスター、その他の生き物はどのように避難させ、避難生活はどのようにしたらいいのでしょうか。

「公益社団法人 宮城県獣医師会」によると、東日本大震災で犠牲になった動物は、宮城県内で飼育されていた乳牛212頭、肉用牛364頭、豚2,887頭、馬88頭、ブロイラー707,297羽、採卵鶏785,230羽、ミツバチ405群、イヌ約10,000頭、ネコも同じく約10,000匹に上ります。
その中には、動物たちと一緒の避難の方法を事前に知っていれば、もしかしたら犠牲にならずに済んだ命もあったのかもしれません。


「災害時の救護活動に必要なことは、『スピード感行動することよく考える事決断することこれがすごく大事です」

今回お話をお聞きしたのは利府町で開業している獣医師、花園動物病院の中川正裕先生です。
宮城県獣医師会に所属し、東日本大震災発災当時は会の理事を務めていた中川先生は、保護され飼い主の分からない、あるいは飼い主が事情で飼えなくなったイヌ・ネコの保護センターを開設しました。宮城県職員と有志の獣医師会のメンバー、動物病院スタッフや一般のボランティアの連携した管理で運営。1年後に閉所するまでに、ほぼ全員に新しい里親を見つけることに成功したのです。

中川先生はその後も現在に至るまでの5年間、緊急災害時の動物救護と避難、避難生活などについて、その対策を考える活動を継続して行っています。
それは「他で同じような失敗を繰り返してほしくない」
「この大災害を体験したのだから、今後の役に立たないなら意味がない」との思いからなのだと言います。
中川先生は、皆さんに知ってもらえるならと、ココロプレスの取材に応じてくださいました。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
(※ 以降、中川先生の話です)


【大震災が起こって分かったこと】
宮城県獣医師会では以前から、阪神淡路大震災や新潟中越沖地震を教訓として、宮城県沖地震が起こることを想定して学んできました。災害を体験した獣医師の先生を呼んで話を聞いたり、市町村の役場などで一般の方に向けた啓蒙活動もしていたのです。

そして実際に体験することになったのですが、危機管理を担当している総務委員会もあったし、いろいろ話し合って準備は一応していたのに実はあまり機能しなかったのです。
被災の大きさもあるけれど我々の出した結論は、「これまでの活動はあまり役に立たない」でした。災害は規模も、被災したメンバーも、状況も違ってくる。多少の教訓や勉強になっても、次来るものは全く違うものだと分かったんです。被災って全部違うのです。

2011年・避難所での様子

【発災当時の行動】
宮城県では災害が起こったとき、現地に動物救護センター(1次シェルター)が立ち上がる事になっていますが、実際に立ち上がったのは石巻救護センターと岩沼救護センターだけでした。
石巻救護センターは他県からのボランティアの獣医師が立ち上げたものだったので、県や石巻市との連携ができなかったのは、反省すべき教訓があるところですが……。

七ヶ浜と多賀城、塩竈が被害が大きく、僕はすぐに1,000人規模の避難所を回りました。
そこで動物の数と種類を全部調査して、多賀城と七ヶ浜には獣医師を1人づつ担当を当て指導をし、担当の獣医師とスタッフには2、3日ごとに必ず避難所巡回をさせました。自分は全体を見て、必要に応じて指示を出すだけにしていました。

発災した時にはやる気のある人を集め、資金は100~200万あれば多くの命を救えます。でも人材がいてこその話です。組織は迅速に機能しないのが分かりました。

避難所での無料健康相談会

【宮城県被災動物保護センター(2次シェルター)を立ち上げる】
4月に入ってある程度避難所も落ち着いてきた頃、個人的に石巻市救護センターを見に行きました。
すると1カ月たっているのに電気、ガス、水道などのインフラが無い状態の中、保護する動物が100頭、150頭、200頭とどんどん増えていて、さらにボランティアも集まっている。石巻市や宮城県との連携もせずに個人でやっているその状態を見て「本当にこれを長く維持できるのか」心配になりました。
最悪の状況を想定して、ここを引き受けられる規模のシェルターが必要だと考えて2次シェルターを立ち上げたのです。

被災動物保護センター全景

場所は黒川郡富谷町にある「宮城県動物愛護センター」の敷地内に作りました。
当時動物愛護センターは通常業務を停止して、県内の各保健所から動物を受け入れていましたが、職員だけでは手に負えなくなっていた状態でした。そこでその動物たちを、「宮城県獣医師会」として新たに設置した2次シェルターに移し、新たなスタッフによる運営と管理体制のもとにスタートしました。

平成23日から7月1日~24年3月11日まで開設しました。
イヌ64頭、ネコ15匹を保護し、イヌ44頭、ネコ7頭を譲渡、飼い主に返還したケースや、老衰で死んでしまった子もいましたが、最終的に残ったイヌ3頭は僕が引き取り、開設1年で閉所することができました。

夜間にイヌを収容する為のビニールハウス

[ビニールハウスの利点]
最初から期限付きで2次シェルターを設置しましたので、役目が終われば潰せるビニールハウスで作りました。普通の農業用のビニールハウスなのでどこでも手に入るし、建築確認もいらないので簡単です。
それにこの設備を、 “他で災害が起こった時にも使える” と言えるように試験的な意味もあって、夏・冬を経験しました。工夫すると夏でも扇風機を1日しか使わずに過ごせましたし、冬も小さなストーブ1台で暖かくできました。結構快適でしたよ。

ハウスは両サイド開きますので風通しは問題ありません。ただ屋根には、救援物資で送られてきたテントのサイドウォールをかけ、冬は毛布をそれぞれのゲージにかけたり、中にもバスタオルを入れました。
周りにある桜の木のおかげで、葉が茂ると直射日光が当たらない場所だったのも幸いしました。場所があれば、木があるところに建てる工夫をするのも大事な点です。

実は神戸では、救護センターの建物を多額の義援金で建てた経緯を僕らは学んで知っていましたが、今はそこで運営することもできないし、必要もないので重荷になっているんです。そのことは我々の教訓となっていました。

ハウスの中。棚は2段にしてゲージを設置。棚は基礎工事用のパネルを
使っています。写真は夏の時期なので扇風機が1台置いてあります

他には設備として「炊事場」「洗濯場」は必要ですし、「事務所用」にスーパーハウスを2棟建てました。
この他に隣接する約300坪の畑を持ち主に借り、他の1次シェルターがパンクした時のために土地を確保しました。そこはハウスは作らずにテントでやるつもりでしたが、来なければドッグランとして活用できます。パンクして受け入れ先が無いという状態は避けたかったので、全てに何か起こった時の保険のように考えて準備をしていました。

今回のケースのように、愛護センターなど既にある施設の敷地に作る利点は、発災直後からそこで収容している間にシェルターを作れることです。さらに同じ環境で継続飼養できることが最大のメリットです。

炊事場

バスタオルやゲージなどを洗う洗濯場

受け入れ対象は、県内全域の保健所経由で愛護センターに連れて来られるイヌ・ネコでした。大事なのは「飼い主がいる」「飼い主がいない」など、素性が分かってなきゃいけないこと。
飼い主がいない子は早めに里親を捜してあげる作業が必要です。

勘違いしてほしくないのは、動物たちはたまにしか顔を見せない飼い主よりも、毎日ご飯をくれて、毎日散歩してくれる人の方がうれしいに決まってるということ。たとえ毎日違う人が来ても、その人たちが来た方がうれしいみたいです。
飼い主が自立できずいつまでも引き取れないないなら、早めに、ちゃんと自立した飼い主に里親になってもらった方が、動物が幸せなんですよ。飼い主の権利と言うけれど、一緒に住めない人は権利主張できないはずです。

そう思っているので、6月の末には譲渡会を大きく開いて飼い主を捜しました。その時は27頭が里親を見つけることができたのです。その後は譲渡会は開かず、希望を受け付けてその都度個別に面談し、マッチングを行い譲渡しました。

昼間は外に設置したテントの下で過ごすイヌたち

寒い冬も経験しました

【スタッフに恵まれる】
2次シェルターの責任者を1人、正式に雇用する形で置こうと考え、面接してお願いして決めました。以前ペットライフアドバイザー的な仕事をしていて、動物看護学校の講師を8年ほど務めた経験を持つ人でしたが、彼女が優秀な逸材だったので、人間関係のトラブルなどの問題は起きませんでした。

彼女をサポートしてくれる存在も必要でしたので、愛護センターで登録されているボランティアの中から状況を見ながら2人を選び、パートとして働いてもらいました。この3人のスタッフの人材に恵まれたおかげでうまくいった部分は大きいと思います。

センター長は僕ですが、当獣医師会の会員に副センター長になってもらい、獣医療関係者も特にシフトなど決めずに入ってもらいました。ボランティアの登録数は88名。愛護センターの職員も積極的に手伝ってくれていましたので、お互いに助かりましたね。
僕自身はあまりボランティアスタッフと接点を持たず、3人のスタッフにほぼ任せていたのが、うまくいったようです。

散歩はボランティアの主な仕事です。ボランティアの少ない日は
愛護センター職員も積極的に手伝ってくれました

【保護期間の線引き】
閉所の日程が決まっていたので飼い主が見つかる期間を逆算して、個人の預かりは2011年12月までとしました

素性をきちっと調べて、飼い主がいる動物は動物病院の院長先生が保証人・後継人となり責任を持つというシステムにし、譲渡先を見つけるなり積極的に関わるというルールを決めていました。
なぜかというと、動物が将来幸せに暮らすにはどうしたら良いかを最優先に考えているからです。

動物って人が手助けしないと生きていけないですよね。だから助けなきゃって思いはありますし、しゃべれない事を理由にそれを都合良いように利用するのは嫌いなんですよ。

避難所で定期的に活動を続ける獣病院関係者

【1次シェルターで起きてしまった問題点を考える〜ボランティアハイ】
この震災で起こったことで教訓としなければならない1つに、ボランティアで入って活動していた人の中にたまに見られる、ある問題があります。

「ボランティアハイ」というものがあって、現在心理学者と研究中なんですが、ボランティアとしてその1つに対してやってることで、自分自身の高揚感が高まることです。
石巻のケースですと、飼い主からも「助かった」と言われて感謝されるし、マスコミなどにも取り上げられて舞い上がってしまい、「最後の1頭までがんばります」なんで言ってしまう。これは問題があって、自分の思い入れが強くなりすぎて間違った方向に走りやすくなってしまうのです。新潟中越沖地震・阪神淡路大震災でも聞いていたことです。

この教訓から、動物病院関係者や市町村職員そして一般の人に至るまで、動物と暮らすということに対して平時から意識を変える必要性があり、それが災害時にもとても役立つのではないかと考えました。

(※ 画像提供:宮城県獣医師会)
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次回では、中川先生を中心に現在取り組んでいる “意識を変える活動” についてお伝えしようと思います。


◆ 公益財団法人 宮城県獣医師会
http://miyaju.jp/

◇ 宮城県動物愛護センター
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/doubutuaigo/

◇ 花園動物病院
宮城郡利府町花園3丁目12-3
電話/022-356-7699

(取材日 平成28年3月3日)

宮城県地域コミュニティ再生支援事業「石巻地域リーダー研修会」(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
震災から5年がたちました。
「被災地は、どうなっているのだろうか」と、県外から多くの人々が訪れ、さまざまな視点から被災地の今を体感しています。
被災した人々は、避難所から仮設住宅、現在は復興公営住宅や自律再建した家に移り始まっています。
まだまだ新たな新居へ移ることができず、現在も仮設住宅に住んでいる方はたくさんいます。
しかし昨年は、5年目を前にして復興の形が見えてきた年でもありました。
3月には石巻線開通、JR女川駅の再開、5月末には仙台と石巻を結ぶ仙石線が全線開通しました。



石巻市でも大々的にまちびらきが新市街地の新蛇田地区を会場に開催されました。
12月には、女川町の商業エリアが完成し、2度目のまちびらきが開かれました。

更地だったところに建ち並ぶ新たな住宅地。
それぞれ新たな生活のスタートを切る中で「ようやく落ち着ける」と安心した人もいれば、「隣に誰が住んでいるかも分からないし、前みたいにお茶っこする相手もいなくなった」と、コミュニティ作りへの不安を感じている人も多くいました。

それを改善すべく、さまざまな団体が新たなコミュニティを円滑にするために活動しています。
その中の一つが、宮城県が取り組んでいる「宮城県地域コミュニティ再生支援事業」です。
宮城県から受託して事業を運営しているのが一般社団法人みやぎ連携復興センターです。
主な活動は、地域コミュニティ再生支援事業資金の補助、地域力再生活動アドバイザー派遣や被災地リーダーなどコミュニティ再生のための研修・交流会などです。
昨年ココロプレスでも紹介しましたが、昨年10月には女川町を会場に女川町大原地区自治会と山元町つばめの杜地区とのワークショップが行われました。

そして、先月2月20日(土)には石巻地域リーダー研修・交流会が開催されました。
会場には、仮設住宅地や各地区の自治会の役員や支援活動をしている法人関係者など50名ほどが集まりました。
今回は、地域力再生活動を率先して行っている2名の方が登壇し、それぞれの活動を紹介しました。
1人目は、「地域活動の立ち上げと運営のコツ」をテーマに「認定非営利活動法人コミュニティサポートセンター神戸」代表理事の中村順子さんです。
地域の人による地域のための市民活動や市民事業を支援している活動について紹介しました。

2 人目は、活動報告として、亘理町北城東区町内会会長の鈴木はやしさんが登壇して、自治会活動についてお話しました。
震災で移住してきた住民と地元住民との交流の場作りを成功させた事例を紹介しました。

「参考になりました。地域のためにと行動に移しているお2人は素晴らしいと思います。
私の地域は農村ですが、現在、さまざまな地域から人々が移住してきています。
やはり、生活環境が違うという点もあり、さまざまなトラブルがあります。
それを解決するためにはどうすれば良いものか、考えるきっかけになりました」
地元の自治会役員の方は言います。
今回は、地域全体で育てるコミュニティ作りについてヒントを得ることができた研修会でした。
今後も地域をより良くするために自治会同士の交流は続きます。

(取材日 平成28年2月20日)

人と動物の共存を目指して[後編]~宮城から発信!(利府町、仙台市)

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こんにちはエムです。

先日お伝えしました[前編]では、東日本大震災発生時に「公益社団法人 宮城県獣医師会」が行った動物たちの救護活動や、設置した「被災動物救護センター」での様子などをご紹介しました。
お話をお聞きしたのは中心となって活動していた獣医師、利府町に開業している「花園動物病院」の中川正裕先生です。中川先生は宮城県獣医師会に所属し、当時は県獣医師会の理事を務めていました。

=================
2016年3月26日 土曜日
人と動物の共存を目指して[前編]〜大災害からの教訓を伝えたい(利府町、富谷町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/blog-post_71.html
=================

この回では、現在中川先生を中心に取り組んでいる “意識を変える活動” についてお伝えしようと思います。平時から動物と暮らすということに対して意識が変わることで、それが防災につながり、災害時にもとても役立つと先生は考えています。

「5年前の大震災で悔しいのは、大きな揺れが収まってから家に残してきたイヌ・ネコを迎えに行って、津波の犠牲になった人がいることです」

それを防ぐのは「同行避難」が考えられますが、大震災当時はペット同行避難は単なる努力目標で正式に認定されていなかったため、ヘリコプターに一緒に乗ることもできませんでした。その後2013年8月にようやく環境省による災害マニュアルガイドラインに認定され「同行避難」が義務化されました。
「ペットのみならず飼い主の命を守ることにつながった」と中川先生は感じています

2011年・被災動物保護センター
※ 画像提供:宮城県獣医師会

しかし現実の避難所では、東日本大震災でも見られた状況が繰り返される心配があります。中川先生によると、当時避難所となったある公共施設では、ペットと一緒に避難した人が遠慮して舞台裏の狭い場所に追いやられ、臭いや騒音、衛生面が問題になり、人間関係がさらに悪化したケースがあったのだそうです。
私の友人はネコを飼っていますが、避難所でネコを断られ、仕方なく自分の家で暮らし続けた人もいます。そういった自宅で暮らしている人には支援物資はなかなか届きませんでした。

避難所などでペットが問題となる背景には、次のような理由が挙げられます。
・そもそも全てにおいて動物より人が最優先とする認識
・以前から動物が苦手な被災者の存在
・動物アレルギーを持つ方の存在
・臭い、鳴き声、被毛が舞い不衛生という意識
・避難所敷地内の糞尿処理マナー違反の飼い主

避難所でのシャンプー会
※ 画像提供:宮城県獣医師会

避難所が特別な社会なのではなく、通常の私たちの社会がそっくりそのまま反映されるのだそうです。
つまり動物を飼っている人などは、常日頃から形見の狭い遠慮した生き方をしている社会であるということです。そしてマナーを守る意識の低い飼い主は、そのままマナーを守らずトラブルの原因になってしまうのです。
中川先生はまずその意識を変える必要があると言います。

「変な言い方だけど、この大災害を逆手にとろうよと僕らは考えました。
この教訓から得たものは “イヌ・ネコを飼う人の意識が高まれば、好きな人も嫌いな人もその地域で共存できるだろう”ということです。 “社会全体の意識をそこまで持っていこうよ” という計画で、2つの事業を立ち上げ、2015年から実施しているのです」

避難所でのシャンプー会
※ 画像提供:宮城県獣医師会

それは「緊急災害時動物ボランティア認定事業」「緊急災害時動物救護コーディネーター育成事業」の2つ。中川先生はこの2つが両輪となって機能することが必要だと言います。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ーー ー ー ー ー ー ー ー
(※ 以降、中川先生の話)
緊急災害時動物ボランティア認定事業
災害時に獣医師会と連携ができるようなスタッフになってもらうのを目的とした事業で、一般の方が対象です。
3日間の講習会と2日にわたる宿泊体験の講座となっていて、動物(主にイヌ・ネコ)に対する正しい知識を習得します。履修すると「緊急災害動物ボランティア認定書」を受領することができます。全ての講座を履修してもらうために、3年間の猶予を設けていますので、忙しい方でも受講してもらえるシステムにしました。

昨年(2015年)から始まり、最初の講習会には46名が参加。最終的に11人の、第一期認定ボランティアが誕生しました。

保護センター
※ 画像提供:宮城県獣医師会

[ボランティア認定の目的]
防災には「自助」「共助」「公助」という段階がありますが、大事なのは「自助」「共助」の部分です。

「自助」とは、普段から意識を持って災害時に備え準備をしておくこと。自分の飼っているイヌ・ネコ用のゲージ、ペットフード、シーツなどの用意などです。
しかし一緒にいる時に発災するとは限らないですね。そこで「共助」が重要になります。

近所の人と普段からコミュニケーションすることが大事になります。顔見知りになっていれば動物たちも慣れるので「自分が仕事でいない時は一緒に連れて逃げていただけませんか」と頼める関係になります。
また、飼い主同士が顔見知りになることによって、糞の置きっぱなしとかが恥ずかしいと思えるレベルまで持っていくようにする。意識が高まれば普段からの飼い方を変える事ができるのです。そういうことを「ボランティア認定」を受けた方に地域で頑張って広めてもらうのが目的と言えます。

計5日間の講習会でしっかり学べるように、そういう認識は我々獣医師が構築しておく必要があるのです。ようするに、日本ほどペットに理解の無い国は無いからなんです。
僕らは必要と思ってボランティアを認定したのだから、その後それをどう広げるかがこれからの課題です。
意識が高くなっていれば発災した時も簡単ではないですか。

保護センターでのボランティア作業
※ 画像提供:宮城県獣医師会

【緊急災害時動物救護コーディネーター育成事業】
対象者は宮城県獣医師会会員の獣医師、宮城県職員、市町村職員(人の防災担当と動物の担当者)、保健所などの動物担当です。
これは避難所でいち早く運営する側を作りたいという計画で、いわゆる「公助」の部分をコーディネーターが中心となってやってもらいたいという考えです。

初となった2015年は2月と7月にワークショップ講習会を開催し、約50人が参加しましたがまだまだ足りませんので、今後も1年度に2回開きたいと計画中です。
これは意味が大きくて、どこの自治体でも防災計画はあるんだけど、具体的にどう動くかまでは無いんですね。

講習会ではゲームなどを通して、避難してきた人や動物たちをどのように「棲み分け」をするかを勉強する内容もありますが、それは発災時に地元のコーディネーターが中心となって、早い段階で受け入れ態勢を構築する必要があるからです。
避難所では受付がありますので、そこにコーディネーターも座って動物のリストも作り、トラブルが起こる前にどこに動物たちを収容するなど決めるのです。そこの本部長とやり取りすることになるので、コーディネーターは地元の人がなるべきですね。そしてよそから来たボランティアを排除するのではなく、うまく協力して働いてもらうためにも大事なことです。

意識してほしいのは、他で震災を経験した人が先生ではないということです。

動物関連専門学校生によるボランティア活動
※ 画像提供:宮城県獣医師会

その場合、学校が避難所として都合がいいのは教室を使えること。教室は風通しも良いですし、ネコの部屋、イヌの部屋が確保できます。
アレルギーのある人や嫌いな人との「棲み分け」をどうコーディネートするかが大事ですが、それがしやすい場所だと思います。

このような対応が実現すると、1次シェルターは必要なくなるかもしれません。
避難所ごとに同行避難してきた人たちが、ペットにご飯をあげたり散歩できたりするところに一緒に住めるスペースを作る方が、人も動物たちも安心ですよ。

動物だけを集める必要があれば、各自治体の作る2次シェルターで良いと思う。
放浪犬や飼い主のいない動物は愛護センターに集まってくることになってるので、そこに獣医師会とタイアップしてやっていけばいいのです。

保護センターでの治療と看護
※ 画像提供:宮城県獣医師会

【今後考えていること】
市町村それぞれの条例を作るまで持っていきたいですね。
現行では避難所までは一緒に逃げていいけれどその先、一緒の生活までは許可されていない状態です。「同居避難」を認める条例を、各自治体に任せて作ってもらえたらと思っています。
例えば「ウチの町は、ウサギでも小鳥でも一緒に連れて来てください」といったマニュアルができること。それは理想ですね。

でもそこまでいくには、人も動物も一緒に顔見知りになっていないとそれはなかなか無理なので、「緊急災害時動物ボランティア」などが地元で知識を広めてくれることが重要になってきます。

保護センターでの看護
※ 画像提供:宮城県獣医師会

この活動は、希薄になっているご近所関係が動物のおかげでつながりができて、防災にもつながっていく……という意味が大きいことなんです。
そしてそれをきっかけに、イヌやネコと共生できる社会を作りたいですね。壮大な夢ではなくて、こういうことをやっていれば実現できるかも。
この事業をしている獣医師会は日本では初めてなんですよ。

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こうして動物に対する正しい知識を深めることによっても、防災につながる事があることをこの取材を通して教えていただきました。
今後、国内で起こると言われている大災害を恐れているだけではなく、被害を拡大しないために日頃から私たちにもできることがあるのです。中川先生が言うように、“私たちは大地震を経験しました、大変でした” だけで終わってしまうのは、もったいないことです。

私たち “被災した宮城県民” から防災の意識を発信し、広めようではありませんか!

保護センターで動物たちは夜間、ケージで過ごしました
※ 画像提供:宮城県獣医師会

「緊急災害時動物ボランティア認定事業~災害時の正しい知識と心構え~」は平成28年度も開催が決まっています。

講習会:[第1回]6月12日(日)・[第2回]8月21日(日)・[第3回]:11月6日(日)
    各2講座(1講座90分) 受講料:1講座500円
同行避難訓練・宿泊体験:9月10(土)~11日(日)
場所:宮城県獣医師会館

受講ご希望の方は事前に申し込みが必要です。申し込み方法など詳細は、宮城県獣医師会事務局(電話:022-287-1737)にお問い合わせください。

宮城県獣医師会元理事・中川正裕先生

「僕らはこれをずっと続けてゆく覚悟です。とにかく人と動物が共生して住みやすい環境を作っていけば、防災のことだけやるよりもずっと防災につながっていくのではないかな……と思っています」


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関連記事===============
2014年10月17日(金)動物たちの大震災は終わらない~アニマルピース(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/10/blog-post_17.html
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◆ お問い合わせ先
公益財団法人 宮城県獣医師会事務局
仙台市宮城野区安養寺3丁目7-2
電話:022-287-1737
http://miyaju.jp/

◇ 花園動物病院
宮城県宮城郡利府町花園3丁目12-3
電話:022-356-7699

(取材日 平成28年3月3日)

災害から自分の命を守るために~東日本大震災の記憶~(後編)(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。
東日本大震災から5年がたちました。5年間、世界中からたくさんのご支援をいただきました。あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

私が震災後に、生活や取材活動などを通じて、自分の命を守るために大切だと感じてきたことを前編、中編に続いて話します。


2016年3月11日金曜日
東日本大震災から5年~自分の命を守るために(前編)(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/5_11.html

2016年3月15日火曜日
東日本大震災から5年~自分の命を守るために(中編)(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/5_15.html




災害が発生してすぐの混乱期をどう生き抜くか? どんな備えが必要かをあらためて考えてみようと思います。

震災発生から6日目。翌日の天気が崩れることを予想して、帰宅することを決めました。
早朝、勤務していた会社へ私物の長靴を取りに戻り、長靴に履き替えて3km先の我が家を目指しました。
この日の目標は、愛猫と家族、我が家に避難していた当時、93歳の伯母に無事会うこと。




自宅までの道のりは障害の連続でした。道路と呼べる道はなく、津波で打ち寄せられた重油と汚泥の混ざったものが深いところではくるぶしの高さまでありました。
る道、ガレキが打ち寄せられた道を歩いて約3時間かけて家に戻りました。

自宅までの道には、津波で打ち寄せられた魚、ネコやイヌの亡骸、遺体がありました。

無事に帰宅して、着替え、洗髪、洗顔、歯磨きをしました。震災発生から6日目。とても気持ちが良かったことを思い出します。

帰宅した翌日、山火事が拡大し避難勧告が出ていることを知りました。防災無線もダウンしているため情報が届きませんでした。

近くでも、強く風が吹くとくすぶっていた火が燃え上がりました。

愛猫をキャリーに入れ避難を始めましたが、ネコが嫌がることと風の方向が変わり延焼しないと判断できたため一度家に戻りました。

家に戻り数日が過ぎ、「自分は何をここでしているのだろう」という気持ちにさいなまれ始めました。
極度の緊張から解放され自由な時間ができたことで、かえって生きるための目標を見失いました。

生きる目標をもっていることで自分を維持していた私には、何もしない環境で生きることが苦痛でした。

避難所には困っている人がいる。
さまざまな感情に一喜一憂するより避難所で困っている人たちのためにできることをしよう。

翌日から避難所へボランティアに通いました。
食料の尽きかけていた地域に帰りには食料を分けてもらうこともできました。

地域に残った人たちが、生きるために荷物を運ぶなど協力し合い助け合い、急性期を生き抜くことができました。


私たちの地域の停電が解消したのは震災から2カ月が近づいた5月4日。断水が解消したのは5月23日でした。

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自分ごととして考えてください。

発災直後、混乱期、自分が生きるために何が必要なのか?

モノですか?
人ですか?
お金ですか?

私は、毎日を自分が生きるための目標が必要でした。目標があると行動を組み立てることができました。
他力本願になり、不満を抱えて生きることから遠ざかることができました。


命はみんなに平等に1つです。
その命をどう守り生きるのか?
これが私の目標です。今もその目標は変わりません。

自分ごととして考えれば、自分の命を守るために必要なことが見えます。誰かがしてくれることは全て自分に合いません。

避難所で、高齢の女性たちに言われたこと。
「尿取りパットがほしいけど男性職員だけで恥ずかしくてもらいに行けない。もらってきてほしい」

高齢の女性たちのこの言葉から・・・女性の皆さんは考えてください。
自身を守るために何が必要か。自分のストレスを減らすための手立てを、羞恥心を守るために必要なことを。

「生きる」
強い思いがないと、辛さを抱え「死」を見つめてしまいます。

南三陸ホテル観洋の女将阿部憲子さんが命を守るために必要なことについて語った記事(平成28年3月3日)
http://kokoropress.blogspot.com/2016/03/2.html


災害が起こった時、自分の命を守るために自分の命を生きるために何が本当に必要なのか・・・
自分ごととしてもう一度考えてみませんか。


(取材日 平成28年3月13日)

“忘れない”想いをこれからも。RE:プロジェクトの活動を振り返る「 5年目のおはなし会」(仙台市)

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こんにちは、にゃんこです。

仙台市若林区荒浜や三本塚、井土地区など、沿岸部で暮らしていた住民の方々を訪ね聞いた話をまとめたフリーペーパー
『RE:プロジェクト通信』
この『RE:プロジェクト通信』の軌跡をたどる記録展が、先月仙台市役所1階で開催されていました。

ココロプレスでもご紹介しておりました。
▼被災集落で語られた言葉を伝える。「RE:プロジェクト記録展」開催中
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/02/re.html

 『5年目のRE:プロジェクト通信』。“震災から5年目の今だからこそ語ることができることがある”
現在は第5号まで発行しています

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記録展の最終日となった2月26日、同会場にて「5年目のおはなし会」が開催されました。
『RE:プロジェクト通信』の取材に関わってきたフリーライターの西大立目祥子さん詩人の武田こうじさんに、これまでの活動を通して考えてきたことをお話いただくというもの。
聞き手は、せんだい演劇工房10-BOX・工房長の八巻寿文さんです。

(左から)武田こうじさん、西大立目祥子さん、八巻寿文さん、
仙台市市民文化事業団の田澤紘子さん

2011年6月に活動を開始してから約5年。
震災により大きな被害を受けた仙台市沿岸地域の集落を歩き、その土地の人々に出会いながら暮らしや文化を、そして感じ取った想いを綴ってきたライターの西大立目さんと詩人の武田さん。
お二人にとってこの5年は、どんな時間だったのでしょうか。

西大立目さんは、
「地域の方の想いを誰かがすくい取っていくことって必要なことだと思うんです。だからこそそれぞれの方のところにお邪魔して話を聞けたことが、私にとって大きな意味があったなと感じています。
 狭い仮設のお部屋に上がり込んでお茶を飲みながら聞くお話というのは、大勢の前で話す公の発言とは対極にあるような、その方の想いだったり、悲しい心持ちであったり、苦しい気持ちであったり。そういう人にはなかなか言えないような感情を織り交ぜてお話を聞けたことがよかったなと」

当初は葛藤もあったと話すのは武田こうじさん。
「やはりそういった状況で皆さんの話を聞いて詩を書いていいのかという葛藤がありました。でも書いてみたかったんですよね。そう思うこともいいのかなって。実際読んだ人からは批判的なことも随分言われました。でも続けるうちに見えてくるものがあるのかなって。
 この5年間、当事者って誰のことなんだろうってすごい考えていたんです。被害の大きかった沿岸部の方々はもちろん当事者で、取材している僕たちも当事者で、そして読者も当事者ですよね。そういういろんな当事者がいる、ということを意識して詩を作るというのはとても難しい作業でしたね」
と、振り返ります。

第1号 仙台市若林区荒浜より

「これって直接的な復興支援にはなっていないよね」
「戻れなくなった(住めなくなった)地域もあるのにそんな昔を振り返るようなことがよくできるね」
「そんなことより泥かきボランティアに行った方が役立つぞ」

取材中にはこういった言葉を投げかけられたり、聞こえてきたこともあったという田澤さん。

「これからのことを考えるために、かつてのことを知らなければいけないんじゃないか。仙台市沿岸部のことを知ってもらうことでこれからの復興を一緒に考えられるといいなという想いから始めましたが、決してそういう見方だけではないんだなと…1年目は葛藤の日々でした。
 でも2年目、3年目と続けていくうちに、応援していますというお手紙をいただいたり、沿岸部のことはまったく知らなかったけど『RE:プロジェクト通信』を通じて復興について具体的に考えられるようになったとお声をいただいたり、励まされてきた5年間だったなと感じています」
と、田澤さん。

第5号 仙台市若林区二木地区 「居久根が津波から守ってくれた」

以前取材をした縁で、地域の方々とのつながりも深いという西大立目さん。
「七郷や六郷の方々、そこでの暮らしぶりなど震災前の土地のイメージが残っているんです。荒浜や藤塚にはもう人が住めないって言われて、震災直後に残っていた家の土台も全部撤去されて、広大な農地ができたり、大きなマリンスポーツのエリアになったり…それは私には耐え難いなって。どんな形でもいいから、仙台市沿岸部の営まれてきた暮らしとか人といったことを伝えたい、ここをゼロにされては嫌だ、そういう想いでした」

また震災後に石巻市雄勝地区で支援を行ったという八巻さんは、
「雄勝を訪れたときにある方から『僕らは家も文化も流れた』と話をしていたことがずっと引っかかっているんです。でも私は、たとえそこに人が住んでいなくてもその土地に想いがあればそれが文化だし、流されないと思うんです。移動できないのが文化なんじゃないかな」
と、想いを語っていました。

皆さんのお話をお聞きしながら、私も思いを巡らせていました。
確かに直接の復興ということにはならないかもしれない。でも10年後、20年後、50年後…。
この震災を経験した人がいなくなっても、沿岸地域に暮らしていた人がいなくなっても、
貴重な資料となり、その先に伝え、つなげ続けていくことはできる。
その伝え続けていくために記憶や記録を残していくことこそが私たちの使命なのではないか、と。

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震災から5年。
『RE:プロジェクト』の活動は3月末で一区切りを迎えます。

参加していた男性は、
「『RE:プロジェクト通信』を読みながら、ここが故郷なんだな、ここで生活していた人がいたんだよなって思ってたんです。私も昔の生活を思い出しながら、自分がほっとするんです。きっと被災者もそうなんじゃないかって。きっとそれが大きな大きな復興支援につながっているんじゃないかって思うんです。これからも地域の皆さんを元気づけてほしい」
と、継続を望む声が。

同じように、今後も続けてほしいというたくさんの声が聞かれました。



西大立目さんも、
「RE:プロジェクトは終わってしまうけど、今後も通い続けたいですね。単に取材するためだけに会ったわけではないと思うんです。この5年で良くなった人もいれば、まだ戸惑っている人もいますし、個別バラバラの状況を伝えたい。人ってそんな簡単に、復興だ、前へということじゃない。そいうところを丁寧にしていかないと被災した人たちの孤立感は深まってしまうんじゃないかって。大したことはできないけど、私たちはあなたのことを忘れてはいないということを伝えていきたいと思っています」
と、力強く決意を語っていました。

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『RE:プロジェクト通信』は、荒井駅舎内にある「せんだい3.11メモリアル交流館」に設置しているほか、HPでも閲覧できます。

RE:プロジェクト
http://re-project.sblo.jp/



(取材日 平成28年2月26日)

3.11なとり・閖上追悼イベント2016(名取市)

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こんにちは、YMです。
3月11日、名取市役所前で「3.11なとり・閖上追悼イベント2016」が開催されました。
犠牲者の追悼と、復興への願いを込めて、会場には絵灯籠 1000個、電子絵灯籠 1100個、キャンドル 1000個が飾られました。
昨年までの会場であった旧閖上小・中学校は解体工事中のため、今年は市役所で開催することになりました。
今までより会場スペースが狭くなったため、置ききれなかった灯籠は東京のカナダ大使館にも飾られました。カナダの支援を受け「メイプル館」が建設されるなど、名取市とカナダは交流があります。


約180名のボランティアが集まり、会場のセッティングを進めていました。
地震が発生した14時46分と、閖上港に津波が到達した15時53分には、海岸方向を向いて、震災の犠牲者へ黙祷を捧げました。

海岸の方向へ黙祷するボランティアの皆さん

それぞれの思いを描いたイラストは、名取市内の小中学生や仮設住宅などに住む方々のほか、フランスやカナダの海外からもたくさん寄せられました。
今年で5回目の開催となります。
初めの頃は「会いたい」「絆」などの言葉が多かったそうですが、その言葉も少しずつ変化していると言います。私が見る限り、今年は「笑顔」がよく目に付きました。


点火時間が近くなってくると、いつの間にか周りには市民たちが集まってきていました。
17時過ぎ、集まった全員で灯籠に灯りを灯し始めました。すると同時に雨がポツポツと落ちてきました。「このまま降られてはイベントが…」と会場にいた人たちの胸には不安がよぎったことでしょう。
しかし全てに点火し終わると、すぐに雨は止みました。まるで犠牲者を思い、ほろほろと流れる涙のようで、少し不思議な感じがしました。(ちなみにこの日の降水確率は低い予報でした。)

みんなで一斉に灯りを点灯

暗くなるにつれて、より幻想的になり、訪れた人たちはなかなか会場から離れず、しばらく灯りを見つめていました。

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■名取市観光物産協会 復興部会(なとり復興プロジェクト)
http://www.yuriage.jp/
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(取材日 平成28年3月11日)

もう1つの慰霊祭~山元町を応援する人々(山元町)

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こんにちはエムです。

東日本大震災から5年を迎えた今年、山元町で行われたもう1つの慰霊祭の様子は先日お伝えしましたが、この回では慰霊祭を成功させる為に駆けつけてくれたボランティアの皆さんと、いつも山元町を応援している皆さんをご紹介しようと思います。

前回の記事===============
2016年3月24日 木曜日
もう1つの慰霊祭(山元町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/1_24.html
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慰霊祭の最後にメッセージを付けた風船を飛ばしました

この慰霊祭の企画・後援は、震災直後の2011年6月から山元町でボランティア活動を続けている「NPO法人 未来に向かって助け合い」と、「アミイファクト株式会社」です。

「アミイファクト」は2011年8月から、東北へのボランティアを乗せた夜行バス「東北復興応援バス・アミー号」を、関西と関東から出している大阪に本社があるバス会社で、現在は行き先を山元町に限定して「アミー号」を走らせ続けています。

◇ 前回の記事===============
2015年11月16日(月)走り続ける山元町行き夜行バス(山元町、大阪府、東京都)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/11/blog-post_98.html

2016年2月27日(土)特産品を山元町に〜未来に向かって助け合い[その3](山元町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/02/3_27.html
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前日の夜に関東を出発した「アミー号」に乗って、約50名のボランティアが手伝いに駆けつけてくれました。そのおかげで山元町の皆さんはゆっくりと過ごすことができたようです。

「震災後はバスツアーも無かったので有志と共にバス会社にお願いしてバスを出し
ボランティア活動をしていました」と語りホタテを焼く男性(右)

会場となった「牛橋区民会館」に設けられた食べ物のブースでホタテを提供してくれたのは、「アミー号」とは別の北海道の方。コンロも持参で駆けつけてくれました。
その方たちは「福興カラオケヤッテマレ隊」のメンバーでした。「ヤッテマレ隊」とは、山元町に何度も足を運び、カラオケで山元町を元気付けると同時に支援活動もする約10名ほどの皆さんです。
以前「夢ファーム」を取材した時にその存在を耳にしていたのですが、今回、本物にお会いできました。
北海道から来たお2人
シャボン玉を吹いているのは「ヤッテマレ隊」隊長の逢見典道さん

仙台からもボランティアに来ていた方もいました。(緑のエプロンの女性)
チケットを購入する受付には「桑茶」や「桑葉青汁」も置いてありました

煮卵と厚揚げのセットを担当している「アミー号」で参加の女性
厚揚げは奈良県から取り寄せたもの

1名以外は初参加という、鹿児島から来た女子大生に会いました。
新幹線で東京へ、その後「アミー号」に乗ってこの日の朝6時頃に山元町に到着し、語りべの話を聞きながら、中浜小学校や山元町内を見学したのだそうです。感想をお聞きしました。

鹿児島から参加の大学の同級生という6人は、果物と飲み物担当でした
「5年たってちょっとづつ復興が進んでいて、線路などもだんだん完成されていく話を聞きましたが、ここに戻りたくても戻れない人たちがいるという話を聞いて、言葉にできない思いを抱きました」

「テレビで見るのと違っていました。こちらに来てみると寒さも違うし、だからあんなことがあった後に外で避難生活されてたって聞くと、この寒さを耐えるのはきつかったのでは……と実感しました」

「震災はすごく大きなショックだったと思ので、覚えてる方が多いと思ってたんですけど、『震災に遭って1週間の記憶があまりない』『覚えていない』と言ってる人もいると知って、それだけ何も考えられない、精神的に苦しい状況だったんだなと感じました」

「アミー号友の会」代表の友光和茂さん(前列左)と
「アミー号」で参加のボランティアの皆さん
「アミー号」には埼玉・東京・神奈川・京都など、いろいろな場所から集まった方々が乗り合わせて来ていました。そして「アミー号友の会」という、参加者有志のグループがあることを今回初めて知ることもできました。
友の会代表の友光和茂さんにお話をお聞きしました。

「この会は勝手に作ったのですが、いつの間にかメンバーが増えて大きくなりました。
僕自身は震災の年の8月から月1~2回は来ています。アミー号に乗って来たり、自分の車で来たりその時々で違いますが、今も月1回くらいは来ています」

友光さんは山元町のお祭りや町の産業祭、「やまもと 子どもも大人もみんなで遊び隊」などにも参加し、以前ココロプレスでご紹介した、山元町で個人でボランティア活動を続ける岩佐孝子さんとも知り合いなのだそうです。

◇ 関連記事===============
2015年11月5日(木)できる人ができるところから〜その2〜みんなの家(山元町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/11/2_5.html
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「未来に向かって助け合い」が運営する「夢ファーム」をいつも手伝っているという、地元の方にもお会いしました。
「夢ファーム」をいつも手伝っている地元のお母さん

慰霊祭の最後の「風船飛ばし」で参加者全員が手にしていたのは、「アミイファクト」が用意した風船です。風船は水で溶ける特殊な素材でできている環境に配慮したものだそうですが、用意した120個では足りず追加されました。
左から:「アミイファクト株式会社」代表取締役 走り広敏さん
「NPO法人 未来に向かって助け合い」理事長 福井福治さん

こうしたたくさんの応援や協力があり、無事に5年目の慰霊祭が終了しました。

「復興は進んでいるのか」その問いの答えは、現地で活動し続けている人が知っています。
「また山元町に来ます」「これからもここで活動を続けます」そういうボランティアの皆さんの声が、その答えなのではないでしょうか。
皆さん、本当にありがとうございました!

午後4時に関東に向け出発した「アミー号」
◆ NPO法人未来に向かって助け合い

◆ アミイファクト株式会社



(取材日 平成28年3月11日)

夢へ歩むみちのくの子どもたち!「みちのく未来基金 第5期生の集い」

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こんにちは、YMです。
3月20日、東北工業大学八木山キャンパスで「みちのく未来基金 第5期生の集い」が開催されました。
東日本大震災で両親またはいずれかの親を亡くした子どもたちの進学資金をサポートする「みちのく未来基金」は、「これから復興の原動力になる子どもたちの夢を諦めさせてはならない」という思いで2011年からスタート。これまで1期生から4期生まで合計434名に奨学金を給付し、今年新たに進学する5期生を迎え入れました。

みちのく生とサポーターたち

会場にはサポーターや関係者、1~4期生など約370名が集まり、春からそれぞれの大学・専門学校などに進学する5期生と、今年社会に旅立つ卒業生の門出を祝いました。
進学する90名のうち68名の5期生が参加し、自分の夢を1人ずつ発表しました。


「震災で一度諦めかけたが、小さい頃からの夢だった教師になりたい」
「震災の時に助けてくれた看護師に憧れて、同じ職業に就きたい」
「大学で学んだことを活かし、地元の復興に貢献したい」

みんなさまざまな夢へ向かって、力強く歩む姿を見せてくれました。


* * * * *

さらに今年は大学へ進学した1期生たちがちょうど卒業を迎える年にもなりました。
3月に学校を卒業し、社会人になるみちのく生77名のうち21名が、これから進む道を報告しました。

「みちのく未来基金は、自分にとって大切な場所。基金という枠を超えて、たくさんの仲間と出会い、いろんな経験ができて、充実した大学生活を送ることができました。春からは地元に就職し、保育教諭として子どもたちと共に復興の力になっていきたいです」

「栄養士が夢でしたが、震災に遭い進学を諦めかけていました。その時この基金を知り、大学に進むことができました。その間にいろんな資格を取得し、4月から幼稚園の栄養士の職に就くことになりました。サポートしてくれた人たちのおかげで、抱いていた夢を実現することができ、うれしい気持ちでいっぱいです」

苦難を乗り越え、無事に夢を実現できたことや感謝の思いを伝え、見守ってきた周りのサポーターたちもその言葉に胸が熱くなっていたようでした。

「羽ばたく君へ」
卒業生へ卒業証書を渡すみちのく未来基金代表理事の長沼さん(右)

みちのく未来基金代表理事の長沼孝義さんは、
「最近はスタッフの努力でなく、みちのく生自らが支え、作り上げている基金になりつつあるとつくづく感じます。今回の会も全部みちのく生が運営してくれました。
この基金は震災時にお腹にいた子が大学を卒業するまで続けますので、あと20年続きます。20年後はここにいるみちのく生は40歳になっていますので、いずれはこの子たちが強力なサポーターとなり、支えてくれる基金になっていくでしょう。
皆さまどうか長いご支援をよろしくお願いします!」
と挨拶しました。

■公益財団法人みちのく未来基金
http://michinoku-mirai.org/

(取材日 平成28年3月20日)

4月のイベント情報(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。
今年は暖冬傾向だったため、スギ花粉の飛散量が多いとのこと、花粉症の皆さんは大変だと思います。お大事にされてください。




サクラの開花も例年より早いですね。楽しみです。
気仙沼市神山川沿いの桜並木は防潮堤の工事が始まるため伐採が決まっています。
神山川のサクラも今年が見納めになりそうです。

=気仙沼市で4月に開催される予定のイベントの情報です=


●気仙沼バル2016春  
 復興のまち・美味しいまち・気仙沼で食べ歩き!



  開催日 平成28年4月16日(土)
  時間   午前9時から *雨天決行
  場所   気仙沼復興商店街 南町紫市場 /復興屋台村 気仙沼横丁
        福幸小町 田谷通り /福幸小町 田中通り
        気仙沼鹿折復幸マート /商店街周辺店舗
  主催   気仙沼バル実行委員会
        http://kesennumabar.com/

気仙沼のおいしいものとお酒が楽しめるイベントです。ぜひお出掛けください。



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 ●気仙沼元気講演&ライブ
  
  開催日 平成28年4月16日(土)
  時間   17:30開場 18:00開演
  入場料 無料
  会場   気仙沼市民会館 中ホール
       (気仙沼市笹が陣4-2) 
  主催   気仙沼いきいきプロジェクト(03-5940--7151)

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 ●第33回河北新報気仙沼つばきマラソン大会

  開催日 平成28年4月17日(日)
  時間   午前9時から *雨天決行
  会場   宮城県気仙沼市立大島小学校・大島中学校
  主催   気仙沼つばきマラソン実行委員会
  問合せ ・大会に関すること
        気仙沼つばきマラソン実行委員会事務局(TEL:0226-21-3421)
        ・宿泊に関すること
        気仙沼大島観光協会(TEL:0226-28-3000)

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 ●八瀬・学校そば



気仙沼産のそば粉で打たれる二八そばが人気です


  開催日 平成28年4月24日(日)
  場所   八瀬森の学校(旧月立小学校)
       (宮城県気仙沼市塚沢65)
  時間  10:00~14:00
  問合  090-3981-5967(吉田さん)

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ゴールデンウィークにはたくさんのイベントが企画されています。
気仙沼のおいしいもの、海の美しさを感じにお出掛けください。


(取材日 平成28年3月25日)

家族の要は、ママの元気!!ママン・フルーリ

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こんにちは、Chocoです。
「主役はお母さんたち!!」
そんなイベント「ママたちのバザー&ワークショップ ママパラ(ママパラダイス)」の3回目が4月17日に女川町まちなか交流館で開催されます。
当日は、ワークショップやマッサージなど約20軒が出店します。
さらにステージでは、ピアノ演奏や癒しの音楽、ヨガレッスンなどが予定されています。
チラシを見るだけでも「行ってみたいなー」と思ってしまうほど、盛りだくさんな内容です。
このイベントを企画運営しているのは、「石巻圏内子育て応援サークル ママン・フルーリ」です。
団体代表の後藤和江さんは、仙台出身で女川町在住の2児のお母さんで、子育て真っ最中です。
そんな後藤さんはなぜ団体を立ち上げて活動しているか・・・
それは、自分も経験しているからこそ、より多くのお母さんたちが笑える場、くつろげる場、輝く場を提供して「応援し合いたい」という想いからでした。

後藤さんは震災前から町内の子育て支援サポーターとして活動していましたが、震災後さらに活動を活発にするために2014年7月には、自主的サークルのママン・フルーリを立ち上げました。
団体名をフランス語で直訳すると「花を飾ったママ」
「花の似合うママになりたい」という想いから名付けられました。
すてきな意味ですよね。
「団体の名前って、よく間違われるんですよ。フリールとか・・・」
笑いながら団体の活動を紹介してくれた後藤さんですが、団体への想いはとても熱いものでした。
「母親が元気にならないと、子どもがついてきません。
連れ出さなくなり、引きこもりになってしまうことを考えると、お母さんを元気にしなければならないと思いました」
だからこそ、親子一緒にやるイベントではなく、女性(母親)対象のイベントをやりたい・・・。
ママパラのベースはそこにありました。

「子育てに追われていると、自分のやりたいことも後回しにしたり、子どもがいるからと諦めている人も多い。
イベントをすることで、そこに来たママたちはその時間を満喫できて、自分の住む地域以外に友だちの輪が広がる・・・」
そう思った後藤さんは、今まで知り合った人たちに声を掛けて出展者を募ったそうです。


ママパラ第1回目がスタートしました。

実際に、今まで趣味でやっていたことが、イベントに参加したのがきっかけでインターネット上で販売を始めた人や出店したりする人、趣味を仕事にするために行動に移した人が増えたと言います。
その姿は、いきいきしていて、みなさんキラキラと輝いていました。
そう笑顔で話す後藤さん、
「お母さんが元気にする」
その想いが団体の活動の中でも響いています。

「ママの笑顔は家族の笑顔」
ママン・フルーリ 後藤和江さん

「ママン・フルーリ」
その名の通り、後藤さんはママたちが華になる場を作り続けています。
これからも後藤さんは、子育てをがんばる女性を応援し続けます。
女川町で初の開催となるママパラは、お母さんだけでなく、子どもからお年寄り間で楽しめる内容です。
ぜひ、ご家族一緒に遊びに行ってみてはいかがでしょうか。
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【ママパラ】
日時 4月17日(日)10:00〜14:00
場所 女川町まちなか交流館(女川町女川浜字大原1-36)
自分のオリジナルマスコットやジュエリー作りや手作り
そして、自分の身体をいたわってあげられるマッサージやセラピーなど。
ステージでは癒しの音楽演奏もされる、至れり尽くせりの1日になること間違いなし!!

(取材日 平成28年3月23日) 

車でつながる人と人~石巻で広がるカーシェアリング~(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
震災から5年がたちました。
3月26日には、JR仙石線の蛇田駅と陸前赤井駅の間に、新たに「石巻あゆみ野駅」が開業しました。
駅名には「復興・未来・新生活への歩み」を進めてほしいという想いが込められています。
私は、女川町で開催された女川町復幸祭に参加していたため式典には出られませんでしたが、
参加した方から話を聞くと、とてもにぎわっていたそうです。
駅の周りには広い公園があり、撮影した日も子どもたちが元気に遊んでいました。
駅前の新蛇田南地区は、将来的には約5500人が移住する集団移転団地です。
新たな市街地となる新蛇田地区。
次々と住居が建ち、そこで新たな生活のスタートを切った人々も増えています。
「誰が住んでいるのかわからないからね、お茶飲みする人もいないのよ」
昨年、石巻市蛇田地区で開催されたまちびらきの際、一人のおばあさんが言いました。
我が家から避難所、仮設住宅から復興住宅へ移住。
震災から5年、ようやく始まる生活と同時に、振り出しに戻るコミュニティ作りは、どこの地域にも共通してある現実です。

そんな中「カーシェアリング」が今、石巻地域の仮設住宅や新たにできた災害公営住宅でコミュニティ再生に活躍しています。
カーシェアリングとは、ヨーロッパで発祥したと言われるシステムで、
不特定で使えるレンタカーとは異なり、
会員制で自動車を共同使用することができます。

今回は、カーシェアリングシステムで復興支援活動をしている「一般社団法人 日本カーシェアリング協会」の代表 吉澤武彦にお話を聞いてきました。
HP参照
右:日本カーシェアリング協会代表 吉澤武彦さん

「カーシェアリングを始めたきっかけは」と聞いた時、吉澤さんは、1冊の本を持ってきて見せてくれました。
「山田バウさんっていう人がいて・・・」
と本の著者について説明してくれました。
山田バウ(本名・山田 明)さんは、日本のボランティア活動の基盤を作り上げた人です。
1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生した際、翌日には神戸に入り、民間ボランティアセンターの開設を始め、最大規模のボランティア団体「神戸元気村」を設立し、復興に必要なプロジェクトを次々と立ち上げ、震災直後から2002年までの7年半に渡り支援を続けました。
東日本大震災でもボランティア活動に山田さんが築き上げた土台があったのです。
吉澤さんは、2007年に山田さんと出会い、それ以降さまざまな活動を共にして、プロジェクトのノウハウを教えてもらいました。
それから4年後に東日本大震災が発生して、吉澤さんは、直後から福島県でボランティア活動を始めました。

1カ月が過ぎた頃、吉澤さんに一本の電話がありました。
「カーシェアリングを今のうちから仮設住宅の自治会長に提案する準備をしてみてはどうか」
避難所から仮設住宅に移り、そこで行政主導で自治会が作られることを見据えて、山田さんは提案しました。

「やります!」

ボランティア活動をしている中で大破している車を数え切れないほど目にしてきた吉澤さんは、山田さんの提案を引き受けることにしました。
そこからの吉澤さんの行動はとても早かったのです。
まずは車を提供してくれる人を探し、被災地では協力者や提供先を探し、カーシェアリングをする上での基盤を作るため、手続きを入念にしました。
HP参照

しかし「カーシェアリング」のシステムを理解してもらうのには時間がかかったと言います。
「初めての試みだったので、最初は手探り状態でした。
カーシェアリング自体も馴染みがないから抵抗を感じると言う意見や、複数の人で使ったら使いづらい、逆に揉め事になるんじゃないかという不安の声もありました」
導入する上での苦労はありつつも、始動して半年後の10月には、石巻市の万石浦団地で正式にカーシェアリングを始動させることができました。
さらに2012年2月には、石巻市の仮設住宅担当課が取り組みの必要性を理解し、サポート機関として「カーシェアリング・コミュニティ・サポートセンター」を設立しました。
吉澤さんの団体は、その運営を受託する形を取り、今まで利用者のみなさんはカーシェアリングのサポートスタッフとなり、地元の人と共に運営する基盤を作り上げました。
HP参照     
「石巻エコ EV(電気自動車) カーシェアリング検討委員会」会議の様子
さらに2014年11月には、石巻の行政・教育機関・住民団体・専門家らでカーシェアリングを継続的に推進できるモデル化に向けて検討を行う「石巻エコ EV(電気自動車) カーシェアリング検討委員会」を結成し、コミュニティサポートだけでなく、災害時にも役立つとして電気自動車を導入する取り組みが始まりました。

HP参照
現在は、電気自動車から電気を使う方法や電気自動車を使った防災訓練なども積極的に行われています。
HP参照

そこには、吉澤さんが考える「ひな形」という目的もありました。
「石巻はカーシェアリングシステムのひな形!
このシステムが定着すれば、同じような状況にある地域や今後の災害時にも対応することができます。
震災から5年、カーシェアリングのシステムもやっと一つの形ができてきました」
活動を始めて5年目、
吉澤さんは振り返ります。
「石巻が変える!!」
吉澤武彦さん
先日、利用者が集まり座談会が行われたので、私もお邪魔してきました。
復興公営住宅に入居した人たちは、カーシェアリングを通して親しくなりました。
会員同士で温泉に行ってきたと楽しそうに話してくれました。
車を共有するカーシェアリングが、新たなコミュニティ作りで石巻の住宅地で活躍しています。
カーシェアリングの利用者は、震災で車を失くし、経済的にも車の購入を断念した方だけでなく、外出支援活動としても活躍しています。
「◯◯号室のおばあさんが困っているみたい」
と聞きつけると、すぐに駆けつけて、要望を聞いてあげる・・・。
まるでスーパーマンのような人がカーシェアリングを通して現れました。
「人の役に立ちたい」
そう思う地元の人たちがここでは大活躍しています。
こうして住民同士が助け合うことで、強い信頼関係が生まれています。

現在は、石巻市内を中心に会員は200名以上、約86台の車が人々の生活の足として今日も活躍しています。
その背景には、たくさんの人々の思いやりの気持ちが込められていました。
HP参照
資金や車の提供だけでなく、車を定期的に点検する地元の大学生、メンテナンスの際に必要な部品やタイヤを提供する自動車業者や企業、データ整理や普及活動のために必要な商品を提供する企業など、カーシェアリングは「自分たちにできること」と率先して支援してくれた人や企業の想いが形となったものでもあります。

石巻から全国、全世界へ発信する新たなカーシェアリングのシステム。
それは、ただ単に便利、楽というものではなく、電気自動車は災害時での重要な役割を持ち、さらにコミュニティでは、常日頃から気遣う人付き合い、そして支え合える人と人を繋げる役割を果たしていました。
石巻に広がるカーシェアリング。
今後も人と人を繋いでいきます。

「一般社団法人 日本カーシェアリング協会」
http://www.japan-csa.org/index.html

(取材日 平成28年3月4日)

多賀城市の魅力を発信!実は知らないわたしのまち(多賀城市)

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こんにちは。kaiiです。

皆さんは、自分の町の魅力についてどれだけ紹介できますか?自分の町の魅力を知っていますか。
私は東日本大震災が発生する前は、自分の住む町の歴史や魅力について誰かに伝えられるほど理解していませんでした。

多賀城市にまちの魅力を発信している女性がいます。
松村正子さんです。

陸前山王駅から歩いて1分ほどの場所に
「コミュニティカフェ&ガイドツアー タガの柵(き)」はあります


松村さんは平成26年8月、JR陸前山王駅から歩いて1分ほどの場所に「コミュニティカフェ&ガイドツアー タガの柵(き)」を立ち上げました。

多賀城市の魅力を発信し続ける松村正子さん


タガの柵は地域の市民が主体となり、地域の資源を活かしながら、地域の課題をビジネス的な手法で解決し、その活動で得た利益を地域に還元すること。地域の活力や雇用を生み出す地域再生型のビジネスモデルを実践すること。多賀城の地域活性につながる事業に取り組むことを目的にしています。


松村さんは震災後、地元の人たちと関わる間に、地元で地道に仕事をしている人・地域活動している人たちが評価されていないと感じる機会が増えました。
もっと地元でプライドをもって働く人たち、地域のために活動している人たちの情報を発信していきたい、多様性をみせていかないといけないと考えるようになったと話します。

多賀城市には史跡などのたくさんの観光資源があり、魅力いっぱいの町です。その魅力を地域の内外に発信するため地域ガイドツアーをしています。


ココロプレスでも以前紹介しました

春爛漫!多賀城お花見ツアー開催のお知らせ(多賀城市)2015年4月3日http://kokoropress.blogspot.com/2015/04/blog-post_88.html

あやめを満喫!初夏の多賀城跡ツアー開催のお知らせ(多賀城市)2015年6月17日
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/blog-post_17.html



松村さんは「実は地元の人でも地元のことを知らない人が多いです。ツアーを始めて、多賀城に興味を持つ人が増えました。地域の魅力を発信し続けていくことはとても大切だと感じています」と話します。



また、タガの柵を始めて、地域の人たちの中にも地域を思う強い気持ちを感じるようになったといいます。
多世代が地域の中でつながる場作り、震災がきっかけであってもアクションを起こした人、起こそうと考えている人が一歩踏み出す手がかりになりたいと松村さんは考えています。

地域に思いをもっている人たちが、自分の考えや思いを表現できていければ、今以上にいい地域づくりができると松村さんは言います。


タガの柵の4つビジネス的視点

・継続していけるようにする
・積極的に動いている
・元気でスキルをもっている
・地域に貢献したい

地域を元気にできるのは「人」。
たくさんの人に多賀城を知ってほしい。たくさんの人が多賀城市を訪れてくれるよう地域の情報、魅力を発信していき、仙台と多賀城の間の人の往来を拡大したいと考えています。


店内には多賀城に関する書籍がたくさん並べられています



タガの柵の「売り」は、人と情報のマッチングができること。継続した事業展開の中で仙台だけでなく県内の地域とも連携し、交流を深めることで相互の向上を目指したいと松村さんは言います。


震災後、さまざまな地域支援が行われてきました。
震災から5年。
地域づくりも岐路に立っています。

私たちは大切なふるさとを生活する地域をどのように復興させていきたいのでしょうか。
松村さんと話して、「地域づくり」は自分たちが参加して行うものであり、与えられるものではないと感じました。

(取材日 平成28年2月18日)

全国被災地語り部シンポジウムin東北~教訓を未来へ語り継ぐ~が開催されました(南三陸町)

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こんにちは。kaiiです。
平成28年3月21日と22日の2日間、南三陸町の南三陸ホテル観洋を会場に「全国被災地語り部シンポジウムin東北」が開催されました。

南三陸ホテル観洋を会場に開催された
全国被災地語り部シンポジウムin東北の会場



このシンポジウムは、災害被災地の語り部を考え、全国的なゆるやかなネットワークを広げることが目的の一つです。


会場には300人を超える皆さんが集まりました

1日目は、東日本大震災や阪神大震災の語り部など300名を超える人が参加して開催されました。


プログラムは5部構成でした。
第1部は、「語りべバス」乗車体験。21日午前11時に、南三陸ホテル観洋が震災以来毎日運行している、「震災を風化させない語り部バス」に乗車し、南三陸町の復興の様子を視察しました。



震災を風化させない語り部バスで南三陸町内を視察しました
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん



午後1時からの第2部は、実行委員長の阿部隆二郎さん(南三陸町地域観光復興協議会会長)の開会挨拶から始まりました。


全国被災地語り部ジンポジウムin東北実行委員長 阿部隆二郎さん



その後、仙台市在住の民俗研究家・結城登美雄さんが「もう一度、ここで生きていく。」と題した基調講演を行いました。


基調講演をする
民俗研究家結城登美雄さん



その中で、結城さんは、東日本大震災被災地の人々は、自然と共に生き、謙虚に質素に暮らしてきたこと、季節を感じ、自然からの恵みを大切にして生きていること、沿岸被災地で暮らす人たちは、本当に「ここはいいところ」だと話し、地域の歴史、文化を大切にし、自分たちの生きる糧となる自然を大切にしていることなどを紹介しました。

日本の食糧自給率はカロリーベース39%で、北海道、東北地方の農業や漁業が日本の食を支えているという事実から、東日本大震災で被災した農漁業の復興は、今の私たちの生活だけでなく、日本の未来にも関わる重大な問題であるとも述べました。

さらに結城さんは、復興再生のための7つのテーマの言葉を示し、地域文化や暮らしをよく知ることも風化の防止と地域再生につながると述べました。

復興再生の7つテーマの言葉

1.よい自然風土があること
2.よい仕事の場があること
3.よい居住空間があること
4.よい文化があること
5.よい仲間がいること
6.よい学び場があること
7.よい行政があること


パネルディスカッションでは、南三陸町と全国各地から4名の語り部の皆さんが集まって行われました。


兵庫県人と防災未来センター上級研究員の小林郁雄さんは、1995年の阪神・淡路大震災の経験とそれを伝えていくための淡路、阪神地域各々の取り組みを紹介しました。

小林郁雄さん(兵庫県人と防災未来センター上級研究員)
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん

和歌山県の稲むらの火の館館長の崎山光一さんは、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波で村民の命を守った「稲村の火」とその後162年にわたる伝承について話しました。

崎山光一さん(和歌山県 稲むらの火の館館長)
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん

北淡震災記念公園副支配人の米山正幸さんは、1995年の阪神・淡路大震災の北淡町の経験と地域の結びつきについて紹介しました。


米山正幸さん(北淡震災記念公園副支配人)
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん




 一般社団法人復興みなさん会代表の後藤一磨さんは、1960年(昭和35年)のチリ地震津波の経験、東日本大震災の経験を語り継ぐことなどを話しました。

後藤一磨さん(一般社団法人復興みなさん会代表)
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん


今回のシンポジウムのテーマは「命を守ること」。
「防災・減災の重要性を伝えていく」語り部の大切を会場全体で確認しました。


コーディネーター:山地久美子さん(大阪府立大学客員研究員)
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん


大切なのは「命を守る」こと。それを伝え続けるのは私たち「人(ひと)」であることも確認されました。


その後、3つの分科会に分かれて、それぞれのテーマに沿って意見交換が行なわれました。

第1分科会(コーディネーター:気仙沼コンベンション協会の宝田和夫さん)では、南三陸町の2人の語り部の講話と東日本大震災、阪神・淡路大震災被災地から8つの団体からリレートークで取組み紹介がされました。


第1分科会の会場の様子
写真提供:南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん
それぞれの思い、課題、今後の活動へ期待が寄せられまそした。
皆が集い、つながる場の必要性も話し合われました。


第2分科会「南海トラフ等今後の大地震へ向けた語り部ワークショップ」(コーディネーター:小林郁雄さん)では、和歌山県稲むらの火の館館長の崎山光一さんと兵庫県の北淡震災記念公園副支配人の米山正幸さんから講話がありました。


第2分科会会場風景


崎山さんは、震災を知らない世代が語り継ぐことの難しさについて、米山さんは地域の連携の重要性を話しました。



会場からは熱い意見がのべられました

会場からは、将来の災害、その時に命を守るための語り継ぎの重要性について考えさせられたなどの発言がありました。



第3分科会では「次世代へ繋ぐ語り部ワークショップ」(コーディネーター:南三陸ホテル観洋の伊藤俊さん)が南三陸町と兵庫県淡路市からの高校生の講話で始まりました。震災後に生まれた淡路高校の高校生と東日本大震災を経験した南三陸町高校生の交流は、未来に「命を守る」ためにどのような活動が必要か、これからの交流の重要性が挙げられました。



語り部バスで町内を視察する参加者たち高野会館では震災当日の様子を熱心に聞いていました

2日目(22日)は南三陸ホテル観洋が毎朝運行している「語り部バス」と「物言わぬ語り部」である高野会館を巡る2コースに分かれ乗車し、町内の様子を語り部の方の説明を受けながら視察しました。


高野会館の3階のトイレは津波で壊れ便器だけが残りました
津波の力の強さを示していました




ホテル観洋の所有する「高野会館」では、329人(内2つはイヌ)の命が施設スタッフの機転で守られたことなどが説明されました。


震災翌日会場327人で分け合った飲料の空き瓶


当日施設に勤務していたスタッフの方に、当日の寒さ、津波が退いた後、会場に散乱した飲み物を集め一口ずつ327人で分け合って飲んだことなどを聞きました。



閉会式には100名を超える人が参加しました。

語り部宣言を読み上げる実行委員会副委員長宮本肇さん
2日間のまとめとして、地域の歴史を学び、地域の自然災害の経験を記憶、記録し「命を守る」ため次世代、社会へ広く伝える活動を実践し、支援することを目的とした「全国被災地語り部ネットワーク」が提案され、参加者がいっしょに取組んでいく事、誰もが語り部であるという「被災地語り部宣言」を採択し2日間のシンポジウムは終了しました。



2日間のシンポジウムに参加してみて、誰もが参加できる活動の継続が大切であると感じました。


(取材日 平成28年3月21日、22日)

ダンボールで考える災害時の「事後対策」(石巻市・女川町)

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こんにちは、Chocoです。
初夏真っ盛り、「暑いね」という言葉も街を歩くと聞こえてきます。

熊本大震災から1カ月、そしてネパール大震災からは1年が過ぎ、現地では倒壊した建物、亀裂の入った道路などの復旧作業が行われ、被災した方々は避難所での生活が続いています。
災害はいつ、どこで起こるか分かりません。
私の周囲にも災害時に起こりうる問題の対処法などの情報を発信や実際に被災地へ向かい復興支援を行うなど、「今の自分にできること」を実行する方が多くいます。

 「今の自分にできること」
梱包屋という枠から飛び出し、地域のため、人のため、会社のため、家族のため、「魅力」を追求しながら走り続けている今野梱包(株)今野英樹代表を紹介します。
今野さんもまた、災害対策を発信している方の1人でもあります。

今野梱包さんといえば、「ダンボルギーニ」。
トライウォール(強化ダンボール)で作られた高級車(ランボルギーニ)の模型は、昨年の末にオープンした女川駅前のテナント型商店街シーパルピア女川の店舗「Konpo’s Factory」 にて展示されています。



5カ月が過ぎた現在も、実物を見に県内外から多くの人々が立ち寄っています。
 
HP参照


トライウォールとは、3層ダンボールで、重量物梱包材として使われていた木材、鉄、プラスチックと同じくらいの強度、耐候性があり、どの梱包材よりも軽量で環境にも優しく、コスト面や作業の効率性にも優れた数値を示しています。1952年にアメリカのトライウォールコンテナーズ社によって開発され、日本では、1974年から製造販売されました。今野梱包株式会社は2005年にこの加工事業を立ち上げ、トライウォールジャパン株式会社東北で唯一の代理店です。

トライウォールを中心とした重量物梱包材を取り扱っている今野梱包さんの本社は、石巻市の中心部から車で30分の旧郡部にある桃生町にあります。

「石巻市は市外からいろいろな人を巻き込んで新しいことが生まれ、活気も見えてきている状態ですが、それは中心部だけで、旧郡部との温度差があります。
ここ(桃生町)も新しい産業が生まれた事例もなく、ただただ過疎化が進んでいく中で、一人の父親として、地元の事業者として、若い世代のためにも魅力ある仕事を作らなければならないと思いました」
今野さんは言います。
昨年、工場を訪れた際、携帯カバーを製作していると見せてくれました。 
誰かに狙われたかのような銃弾の跡がプリントされた携帯カバーは、
街中で電話をしている今野さんを見る通行人は驚くそうです。
「それがおもしろい」と笑いながら話していました。
アイディアを形にし続けている今野さんの製品はどれも面白いものばかりでした。
ダンボールで作られた昆虫キット




ダンボールで作られた恐竜の化石
1年前にお邪魔した時は、一回り小さいタイプのダンボルギーニが作られていました。
「想いをカタチにできる仕事をつくり
世代をこえたネットワークでおもしろい町
関わりたい町にしたい」
「アイディアは、何が良くて、何が悪いというのは基本的にない。
私たちは、誰かが何かやろうと思った時に形にしてあげられる場所でありたいです」


「トライウォールは梱包資材」という概念にとらわれず、スタッフの皆さんと共にチャレンジし続ける今野さんは、災害対策にも本気で取り組んでいます。

「防災減災だけではなく、私たちが困る状況、人が死んでしまう状況を想定した事後対策もしっかりやらなければ、同じことが繰り返される」

今野さんはそう思い、東日本大震災以前からトライウォールを使った災害対策用品の開発を進めていました。
「震災前から、宮城県沖地震が来ると言われている中で、『もし発生したら・・・』と考えました。幼少時に体験した震災の記憶を呼び起こして、私に今できることは何かを考え始めました」

「トライウォールを使って、できること・・・」
そう考えて出たのが「避難所生活の対策」でした。
避難所生活が長期間になる場合、ストレスを少しでも和らげるために必要になってくるのがプライバシーの確保です。
そして、トライウォールを使った間仕切りの製作が始まりました。
「間仕切り製作に関しては、さまざまな助言をいただきシンプルな作りにしました。
やはり、二次災害や余震が起きた時、外へ避難しなければならない場合、完全に固定する間仕切りでは、避難路が狭まりパニックを起こしかねません。
しかし、取り外しが簡単なものであれば、すぐに折りたためるのでストレスなく避難できます」
HP参照
完成したのは2つ折りタイプでヘアピンがあれば子どもでも簡単に組み立てられます。
さらに布団も干せるほどの強度でありながら軽量のため持ち運びも楽にできます。
さまざまな製作が進められる中、東日本大震災が発生しました。

それから数週間後に1本の電話がありました。
ダンボールで家具を作っている会社があると聞きつけた人からのロッカー製作の依頼でした。

製作中の品もあり、瞬時に対応することができました。
それを皮切りに今野さんの活動は本格的に始まります。
HP参照
避難所の間仕切りだけでなく、被災した小・中学校では、臨時教室用の間仕切りやロッカー、収納スペースボックスなどを提供し、さらにカウンセリングを受けるための隔離教室の空間作りもしました。
HP参照

震災後には、実際に使われてはいないものの「これがあったら・・・」

という声から棺桶が製品化されました。
トライウォールは、耐久性も優れている上、設置、解体や廃棄処理も簡単にできることやその空間の構造に合わせて木材などに比べて簡単に設置できることなど、速さを要する災害時にとても重宝されました。

現在は、今野梱包さんが製作し、災害時に活用された独自の商品がインターネットで公開されています。
「誰でも見て、活用できるように」と設計図(カットデータ)を掲載する会員情報サイト「事後対策を考える〜災害が起こったその後に〜」をトライウォールジャパン株式会社と共同で立ち上げました。

「このデータを公開したのは『常備品』として広めたいからです。
我々の持ち物にせず、この情報をより多くの人々が共有し、世界各地で起こる災害時に、その地域に根ざしている企業が自分たちの地域を助けることに役立ててほしいのです」

先月発生した熊本大震災後も事後対策の情報発信を行っています。
「『探さない物は見つからない。求めなければみつからない』という私の持論があります。
これは何事にもいえることで、行動に移さなければ何も始まらないと思い私は動いています」
と今野さんは言います。

魅力と可能性を広げる中でも災害時の対策をしっかりと考え、発信している今野さんはこれからもスタッフの皆さんと共に、地域のため、人のため、そして家族のために走り続けます。

今野梱包株式会社

「事後対策を考える〜災害が起こったその後に〜」

「みやぎ復興情報ポータルサイト」開設と「宮城県復興応援ブログココロプレス」終了のお知らせ

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いつも「宮城県復興応援ブログココロプレス」をご覧いただきありがとうございます。

平成28年7月11日(月)、宮城県内の復興の様子や復興に向けて取り組む方々の「いま」の姿を県内外の方々に知っていただくため、復興に関する情報を集約して、発信する「みやぎ復興情報ポータルサイト」を開設しました。

このポータルサイトでは、復興に関するお知らせや復興の進捗状況、被災地での取材記事を掲載したブログなどで、様々な情報を発信していきます。

今回開設したポータルサイト内で、新たにブログを開始することから、「宮城県復興応援ブログココロプレス」の更新は本日で最後となります。(ブログの記事は、今後も継続して公開します。)

長い間ご愛読いただいた皆さま、そして取材にご協力いただいた皆さまに感謝申し上げます。

今後は、ポータルサイトを通じて、被災地の「いま」の情報をより詳しくお伝えしていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。

「みやぎ復興情報ポータルサイト」はこちらから→http://www.fukkomiyagi.jp/