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求ム!「津波伝承 女川復幸男」(女川町)

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こんにちは、Chocoです。
私が今回、追っかけ取材をしているイベントは、「女川復幸祭2014」です。
週に1回、定期的に会議が行われ、当日に向けての準備が丁寧に進められています。

夜遅くまで続く会議

「女川復幸祭」の元となったのは、2011年5月4日に「おながわ復幸市」です。


それから、バージョンアップしたイベントは翌年から「女川復幸祭」に名前を変更しました。
今年で3度目の「女川復幸祭」が、来月3月16日に行われます。
「復幸祭」については、日を改めて詳しく紹介します。

今日は、「復幸祭」の前日(3月15日)に開催される「津波伝承 女川復幸男」の募集についてお知らせします。


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「津波伝承 女川復幸男」は、「”津波が来たら高台へ逃げる"という津波避難の基本を、何かの形で後世へ伝え続けたい」という想いから始まりました。

女川に津波が到達した午後3時32分をスタート時刻とし、
旧鹿又や旅館付近から女川中学校内にある「いのちの石碑」を目指して、坂を一斉に駆け上がります。


今回で2回目となる「津波伝承 女川復幸男」では、
参加者(「津波が来たら高台へ逃げろ」と伝え続けられる人)を募集しています。

今回、「本家福男の西宮神社」公認されました!!

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日時 2014年3月15日(土)午後3時32分
会場 スタート:旧鹿又や旅館付近 / ゴール:女川中学校 いのちの石碑前(距離約350m)
参加料 無料
参加資格
・中学生以上の健康な男女
・「津波が来たら高台へ逃げろ」と伝え続けられる方
・3月16日の復幸祭にも参加できる方

賞品 
・1・2・3番手まで復幸男認定証贈呈
・1番の復幸男は翌日の復幸祭において「きぼうのかね」を鳴らすことができます。
副賞
・1・2・3番手まで女川水産加工品セット贈呈
・全員に参加賞を贈呈(復幸男の木札)

詳しくは、「女川町復幸祭2014」のホームページの「津波伝承 女川復幸男募集」をご覧ください。

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「一過性のイベントではなく、年中行事として続けていき、100年続けて、貞観、慶長の大津波伝承と同じく、女川町の民族伝承となるように育てていきたい」
貞観慶長・・・貞観(平安時代前期)、慶長(江戸時代初期)共に三陸沖地震が発生し、沿岸部は津波により、多大な被害を受けました
後世へとつながることを願い、今年も「津波伝承 女川復幸男」が開催されます。
走る事に意義があります。

より多くの方々が、参加して、女川町民だけでなく、全国各地で「津波伝承」を盛り上げていきましょう。
教訓を継承するために、ぜひ皆さんも参加してみてください。


(取材日 平成26年2月11日)

復興へ向かって。女性の力で地元を元気に(登米市)

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こんにちは。kaiiです。

登米市迫町佐沼を拠点に、震災後、宮城県北部沿岸地域の女性を中心とした支援活動を続けているWomen's Eye(ウィメンズ アイ 愛称【WE】)(以下WE)の活動を紹介します

WEの前身は、RQW(被災地女性支援センター)という任意団体です。
被災地での緊急支援に携わったRQ市民災害救援センターの災害ボランティア有志によって平成23年6月1日、宮城県登米市に設立されました。

RQW(被災地女性支援センター)は避難所支援期から仮設住宅入居期、生活再建期にわたって女性や社会的弱者支援の活動を続けてきました。
平成25年5月、NPO法人「Women's Eye(ウィメンズ アイ【愛称 WE】)」と名称を変えて、宮城北部沿岸地域17カ所で支援活動を続けています。


宮城県が公募した平成25年度第1回「みやぎ地域復興支援助成金 特定タイプ」の助成を受け、介護や子育てなどで外出のままならない女性や社会との接点を失った状態の高齢者や障がい者など孤立しがちな人たちを対象に、テーマごとのグループ活動やワークショップなどを通じて「横のつながり」づくりをしています。



平成25年7月南三陸町と登米市のシングルマザー女子会の様子
南三陸町神割崎で開催したバーベキュー
(写真提供:Women's Eye)


WEの開催する「シングルマザーの集い」では、「シングルマザーでいることの暮らしづらさという」問題を、同じ境遇をもつ人同士が「言葉」にして共有できる仲間づくりを目的にしています。「楽しみ」を共有する環境をつくることからゆっくりていねいに始めています。
自分から問題を言葉にすることで明確にし、問題を解決できる力を養っていけるように支援しています。
宮城県の助成事業が終了する平成26年3月を目標に、このような自助グループの運営を徐々に参加者に委ねています。
1カ月に一度程度、福祉仮設住宅で生活する方や障がい児施設の利用者のために開いている「ダンス体操の会」も、インストラクターや施設スタッフと協力して運営をしています。


震災後2年目を迎える頃から、「支援の偏り」やこれからの生活への不安などのストレスから心ない言葉がもとで地域の中に「こころのギャップ」が顕著化しました。同じ地域の中に「つき合いづらい」という空気がうまれたのもこの頃です。
このため仮設住宅やみなし仮設にこだわらず活動を地域に広げ、楽しさのあるオープンな集まりを開いています。「お楽しみ講座や「ニットカフェ」など、参加費を低価格に押さえて開催し、多くの人が趣味や興味を通じて自然に交流できる環境をつくり続けています。
Women's Eyeが続けている
女性の手仕事の販売用 商品紹介パンフレット


WEでは、震災を機に何かを「はじめた」女性たちの試みの支援も続けています。
震災後、被災地では、仕事を失った女性たちが手仕事品を作る試みが多く行われました。お土産や支援として購入することで、「被災地を応援しよう」という動きが世の中にもありました。
しかし、震災から時間が経つにつれ、手仕事品の販路は縮小し、売れるものにも、クオリティーが求められるようになりました。
そこで、クオリティーを高めるためのスキルアップ講座を随時開催したり、販路の糸口を得たいグループの商品販売やマーケットリサーチなどの活動も続けています。


         商品販売交流会の様子
          (写真提供:Women's Eye)


Women's Eye【WE】の栗林美知子さんは、
「宮城での活動を通して、私は世間でささやかれている『首都直下地震』が起こった時の対応を真剣に考えるようになりました。女性たち、とりわけお母さんと赤ちゃん、子どもたちの安全や避難生活などについて何ができるか日々学んでいます」
と話しました。東北で震災を経験した女性たちからのヒアリングなどを通じて、災害への警告を伝える活動を今年は拡大していきたいそうです。

Women's Eye【WE】代表の石本めぐみさん(中央)と栗林美知子さん(左)
フォーチュン宮城編集部の河﨑清美さん(右)

「女性の力で地元を元気に」

Women's Eye【WE】の石本めぐみさんと栗林美知子さんは、女性が力を発揮して地元が元気になっていく活動の継続をしていきたいと今後の目標を話しました。


震災からもうすぐ3年。
マンパワーの不足が懸念されている今、ますます女性たちの「スキルアップ」と「活動の拡大」、「支援してもらうこと」から脱却して、少しずつ「自立」していくための力を養っていくことの重要性を考えました。


(取材日 平成26年1月29日)

「語り続けます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 前編(仙台市)

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YUUです。

1日だけの4月上旬の陽気を体験したと思ったのもつかの間、翌日からはこの冬1番の厳寒期が到来。2月上旬の宮城県は、県内ほぼ全域で最低気温氷点下の日々が続いていました。

日中、晴れ渡る空にそぐわない寒風吹きすさぶ1日、仙台市若林区の荒浜地区から、名取市閖上(ゆりあげ)地区まで、震災時の津波被害が甚大だった仙台市周辺の沿岸地域を車で巡ってきました。

「語り部タクシー」を2012年10月より開始した仙台中央タクシー
現在、仙台市内で最も多い38名の「語り部」ドライバーが在籍しています

案内してくれたのは、仙台市宮城野区扇町に本社のある仙台中央タクシー株式会社(以下・仙台中央タクシー)のドライバー、石濱信次(いしはましんじ)さん。

石濱さんは、NPO法人宮城復興支援センターの語り部養成講座を受講し、筆記テストに合格した「語り部タクシー」のドライバーです。

語り部タクシーとは、「語り部」となるドライバーたちが、震災直後の様子や復興の進捗状況、防災面などの震災の教訓を東日本大震災の被害の大きかった被災地域を回り、伝えていくという取り組みです。

仙台中央タクシーの神田稔専務取締役が「被災地の会社だからこそ、実際に働くドライバーたちが見聞き、経験したことを含め、震災の経験を伝えていくことに意味がある」と、2012年10月より「語り部タクシー」を始めました。

現在では、仙台中央タクシーの取り組みに賛同して、「語り部タクシー」を実施している他の会社のドライバーを含め、語り部養成講座を受講した約200名の「語り部」ドライバーが仙台市内にいるそうです。


震災遺構としての保存が検討されている「荒浜小学校」
遠目から見ると、ほぼ完全な形で残っているように見えますが、
震災時、津波は校舎2階まで達し、1階部分は壊滅
大破した体育館やプールはすでに取り壊されました

石濱さんに案内され、まず向かったのは、仙台市若林区の荒浜地区。震災より約3年が経過しましたが、仙台市の災害危険区にほぼ全域が指定されている荒浜地区一帯は、全壊、半壊した家屋のがれき撤去はすでに終了し、現存する建物はほとんどありません。

仙台市が震災遺構として保存する方針を示している荒浜小校舎は、現在、その周囲が立ち入り禁止となっていて、校舎周囲に近づくことはできませんでした。



深沼海岸近くの震災慰霊碑の前で「説明する
仙台中央タクシーの「語り部」ドライバー、石濱信次さん

荒浜小学校を通過し、震災以前は海水浴場として親しまれていた深沼海岸までやってきました。その後背地には、黒御影石の「慰霊碑」、高さ9mの観音立像「荒浜慈聖観音」があります。

「慰霊碑には、震災でお亡くなりになった荒浜を含む七郷地区の犠牲者189人の名前が刻まれています。荒浜地区は800世帯約2700人の住民が住んでいました」

語り部タクシーの基本コースでは必ず立ち寄るという慰霊碑の前で、石濱さんは、こう説明してくれました。

語り部タクシーの利用者の大半は、県外から仙台市に訪れた人たちだそうです。
仙台市の復興計画の中で、かつての荒浜地区800世帯が、すっぽりと災害危険区域に指定されています。
現在では居住禁止となっていることすらもご存じない住民の方がほとんどだといいます。

「私の方から、震災直後の様子、被害状況などを説明することはもちろんですが、やはり、実際に被災地を目の当たりにして、色々と尋ねられるお客様が非常に多いんです。可能な限り、問いかけにお答えできるように、ドライバーが集まって研修会を行ったり、色々と資料に目を通すように心掛けています」

震災後、がれきの撤去が終わり、建物の基礎部分だけが一面に残る
仙台市若林区荒浜地区のかつての住宅街


荒浜地区のかつての住宅地を横断します。

仙台市市街地より深沼海岸に向かう県道は土地勘のないドライバーでも比較的分かりやすいですが、交差する道路を縫って地区一帯を巡回したりできるのは、プロのドライバーならでは。

全くの更地ではなく、がれきが撤去され、建物の基礎部分だけが辺り一面に残る風景を見渡すと、震災後の凄惨な被害風景を見るのとは違ったかたちで、あらためて震災の爪痕の大きさを考えさせられます。


少し離れた車中から見るコンビニエンスストアの仮設店舗
遠目からでもプレハブ造らしいことがうかがえます


以前は住宅地を結んでいた幹線道路の裏道を進んでいくと、建造物の新築が禁止されているはずの地区なのに、プレハブ造らしい建物の背後が見えました。

昨年2月にオープンした仮設のコンビニエンスストアだそうです。

「災害危険区域では新しい建物の建設は禁止されていますが、仮設店舗の出店は可能で、災害復旧工事に従事していた作業員などは、この仮設店舗ができて大助かりだったようです」

石濱さんは、営業は24時間ではなことなどを含め、速やかに説明してくれました。


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震災の被害、教訓とともに、復興の道筋を語り継いでいく「語り部」たちが被災地を案内する語り部タクシー。

石濱さんは、今年も1月2日より、利用者を被災地域に案内したといいます。

荒浜小校舎、期日がくればいずれ撤去されるコンビニエンスストアの仮設店舗、その他は、さまざまな事情から建物の解体、撤去が済んでいない数軒の家屋だけが残る仙台市・荒浜地区の風景。

「語り部タクシー」を体験し、その風景をこの目に焼き付けただけでも、あとひと月ほどで3年が経過する震災の記憶やその後の歩みは、伝えていかなければならないことがいまだ数多くある、と強く感じました。

後編では、基本コースの後半ルート、名取市閖上地区の現在の様子と、仙台中央タクシー株式会社、清川晋取締役に「語り部タクシー」についての取り組みについて伺ったお話を紹介します。


仙台中央タクシー株式会社
http://www.sendaichuotaxi.co.jp/


(取材日 平成26年2月5日)

週刊ココロプレス 第71号

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ココロデスクです。

2週続いて、週末は全国各地で大雪となりました。

先週の雪がまだ残っているなど地表の温度が下がっていたところに新たな雪が降ったためか、甲府市など先週を上回る積雪量のところもありました。
ニュースを見ても、今回の方が死傷者の数や交通機関へのダメージは大きいように感じます。

そんな中、明るいニュースも。
ソチオリンピックでの日本選手の活躍です。
とりわけ、男子フィギュアスケートで金メダルに輝いた羽生結弦選手は仙台市の出身。
拠点としていた「アイスリンク仙台」で練習中に被災した羽生選手は、自宅が全壊したため、震災の直後は家族とともに避難所生活を送ったそうです。

練習拠点も使用できなくなり、一時は「スケートを続けるべきか?」と悩んだと伝えられる羽生選手。優勝翌日の記者会見では、「僕の金メダルで被災地に活気が出てくれればうれしいです」と、思いを語りました。

もちろん、その思いは、しっかりと届いていますよ。

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宮城県が全国からいただいているご支援に対して感謝を発信するために、宮城県では「宮城から感謝をこめて」というホームページを設置しています。
現在、次の8本の記事が掲載されており、これからも順次増やしていきます。

石巻市 石巻魚市場
山元町 新山下駅周辺地区
石巻市 雄勝町
南三陸町 長須賀海水浴場
南三陸町 郷土芸能発表会
亘理町 いちご団地
気仙沼市 復興屋台村気仙沼横丁
名取市 ゆりあげ港朝市

宮城から感謝をこめて
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/

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  ■最近のダイジェスト (2月10日~2月14日)
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2014年2月10日月曜日
91年ぶりの大雪(石巻市・女川町)
記録的な大雪。91年ぶりの積雪だった石巻からのレポートです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/91.html

2014年2月11日火曜日
東北への架け橋~!「第3回 LOVEフェス3.11開催」(宮城県・岩手県・兵庫県神戸市)
3月8日・9日の二日間、兵庫県神戸市長田区若松公園・新長田駅前鉄人広場と周辺商店街一帯で「第3回 東北復興イベント LOVEフェス3.11」が開催されます。「毎月被災地へ通い続けて私たちが見ている東北の姿を、イベントを通じて多くの人に感じてほしい。私たちは震災から東北が立ち直るまで通い続け、多くの人に震災のこと、復興の現状を伝え続けていきたいです」と実行委員長の釜谷直人さんは話します。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/3love311.html

2014年2月12日水曜日
求ム!「津波伝承 女川復幸男」(女川町)
ミッションは2つ。
1.女川に津波が到達した午後3時32分にスタートし、女川中学校内にある「いのちの石碑」を目指して坂を一斉に駆け上がること。
2.走りながら「津波が来たら高台へ逃げろ」と叫び続けること。
女川復幸祭前日(3月15日)にこのミッションにチャレンジできる中学生以上の男女を募集中です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_8294.html

2014年2月13日木曜日
復興へ向かって。女性の力で地元を元気に(登米市)
登米市が拠点のNPO法人Women's Eye(ウィメンズ アイ 愛称【WE】)。介護や子育てなどに追われる女性、高齢者、障がい者など孤立しがちな人たちを対象に、グループ活動やワークショップなどを通じた「横のつながり」づくりに取り組んでいます。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_1950.html

2014年2月14日金曜日
「語り続けます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 前編(仙台市)
語り部タクシーとは、「語り部ドライバー」たちが被災地域を回り、乗客に震災の被害や復興の進捗状況、防災など震災の教訓を伝えていく取り組みです。仙台中央タクシーの語り部タクシーに乗車して被災地を回りました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_14.html

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■編集後記

週刊ココロプレス 第66号(2013年12月17日)で、雪をかぶった庭先のソーラーランタンの写真を載せました。
そのランタン、今回の大雪ではこんな感じでした。



淡く光りながら、やがて雪に埋もれていきました。


(ココロデスク)

「第32回志津川湾春つげ牡蠣まつり福興市」開催!!(南三陸町)

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kaiiです。こんにちは。
2週続けての大雪が各方面に大きな被害を出しています。
孤立している地域の皆さんの生活が一刻も早く元に戻ることを心からお祈りしています。


第32回志津川湾春つげ牡蠣まつり福興市開催!!

南三陸町志津川湾の春を楽しめるイベントが開かれます。
毎月南三陸町志津川で開催される「福興市」。
今回のテーマは「カキ」です。
志津川湾で育まれた美味しいカキ」が食べられます。

開催日時:平成26年2月23日(日)  
午前9:30~午後2:30【雨天決行】
開催場所:さんさん商店街隣接特設会場
http://www.m-kankou.jp/archives/9622/




*牡蠣汁、蒸し牡蠣、焼き牡蠣の他、カキを使った料理のブースがたくさん並びます。

*福興市特設ステージでは「大森創作太鼓」の演奏や「振舞い餅」などのたくさんのイベントが繰り 広げられます!


2014年1月24日金曜日
ふるさとに響け! 僕らの鼓動と躍動(南三陸町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/01/blog-post_24.html

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福興市会場に隣接する「南三陸さんさん商店街」は、平成26年2月25日で2周年を迎えます。

2周年を記念して平成26年2月21日から23日まで。「オープン2周年記念セール」を開催します。




さんさん商店街オープン2周年記念セール

セール期間:平成26年2月21日(金)~23日(日)

23日の「第32回志津川湾春つげ牡蠣まつり」にはさんさん商店街の飲食店からも「お楽しみカキメニュー」が提供されるほか「南三陸さんさん商店街」フードコート特設ステージでも「もちまき」などのイベントが開催されます。


*お楽しみカキメニューの提供と各ステージイベントは23日のみです。

仙台市から車で約2時間の南三陸町に春を感じに出掛けませんか。

(取材日 平成26年2月17日)

念願の切株(石巻市雄勝町船越)

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こんにちは、Chocoです。
最近は、しばれる寒さが続きます。
石巻市内も珍しく大雪が積もったり、水道が凍結してしまう所もあり、
まさに真冬です。

大雪の石巻ですが、今回の舞台は、雄勝町船越です。

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これは、切株です。



ごく普通の森の杉の木の切株です。

「木を伐採する」
普通の光景に見えるけれど、この切株は、当たり前のモノではありません。

「高台移転先用地の造成工事が来月の頭に着工するんだ」
その話を聞いて、2年の月日がたちました。
工事が延期されていた雄勝町船越で、ようやく2月5日に造成のための伐採が開始されました。

この切株は、その最初の1本なのです。


「良かった」
ずっと待ち続けていた地元の人は、そう言います。

約250世帯350人程が住んでいた小さな集落にも、約17mもの津波が押し寄せてきました。
浸水高20mと観測された所もあります。
船越の避難所とされていたお寺は流され、3階建ての船越小学校も3階の床まで水に浸かりました。


想像よりはるかに大きかった津波により、9人の方が亡くなりました。
住宅は、ほとんどが流され、漁具や船も流されました。

昨年の夏には、船越小学校や海辺にあった漁業組合の建物等も解体作業が行われ、現在は更地となっています。
昨年の4月半ばから約2カ月かけて、解体作業が行われました

2014年1月

そして、高台造成が今月初めから開始されました。


平成27年度には、公営住宅の受け入れが始まる予定です。


木の伐採を見ていたのは、私が以前紹介した船越の漁師中里孝一さんです。

震災後は、船越の漁師が集まり共同漁業(船越オドゴスターズ)として活動を開始しました。
その活動は2012年末まで続き、その後はそれぞれが 自立の道を歩みました。
現在では、震災前のように独立して漁をしています。
昨年の春の「孝丸」進水式の様子

ここにいる漁師さんは、漁がある度に現在住んでいる場所から車で来ます。
遠い所だと、登米から来る人もいます。

時がたつにつれて、地元に戻るのを断念する人、いま住んでいる場所も不自由なく生活できるからという理由で永住する人も増えます。
着工が先延ばしにされることで、故郷へ戻るという「希望」が薄れてしまうのが現実です。

高台移転の土地が決まったかと思うと、問題が生じて白紙に戻ったり、
着工日程が決まっても、何らかの事情で延期になってしまったり、
何度も何度も「これで帰ることができる」という想いが出てきては消え、出てきてはまた消え・・・その繰り返しでした。
石巻の街中を離れれば離れる程、このような現実が、地元の人たちに降り掛かります。

「伐採が始まった」
写真に収めた切株は、新たな第一歩の証なのです。



今日も船越から船が出ます。
今日も頬に当たる風はピリピリと痛む冷たさです。
「休むかぁー」
と思う事があっても、なにこれと寒さに負けずに自分に喝を入れます。

中里さんの今年の目標は・・・
「怪我・事故のない1年にしたい
大漁は後からついてくる」
孝一
2014年、震災から3回目の年越しを終えて、中里さんは毎日海を見つめます。
今年からは、船越での高台造成の進行様子も見ることができます。

現在は、約27世帯の方々が戻ることが確定しています。
伐採、造成が予定通りに行われるよう、私も今後の様子を一緒に見守っていこうと思います。


(取材日 平成26年2月5日)

変化する車窓の風景~気仙沼市から南三陸町へ~(南三陸町)

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こんにちは。kaiiです。

東日本大震災からまもなく3年。
震災の風化が加速しているというニュースが伝えられています。
平成26年度から宮城県の震災からの復興は、「復旧期」から「再生期」に移行します。
産業と生活の復旧を進めるための道路や土地の嵩上げなど、町の復旧は少しずつ前に進んでいます。

===============
津波で壊滅したJR気仙沼線の代替手段として気仙沼から柳津までJR東日本が運行しているBRT(バス高速輸送システム)。平成24年8月に陸前階上から最知間の2.1kmで暫定運行を開始してから、1年6カ月がたちました。
気仙沼駅から柳津駅までの総延長55.3kmのうち、専用道区間の総延長が21.7kmとなり、全体の約40%に延びました。

南三陸町の歌津駅はホーム片側だけから両側になりました
(平成26年1月24日撮影)

気仙沼から柳津までの所要時間も、南三陸町のベイサイドアリーナを経由しない場合で約7分短縮され、少しずつ便利になっています。



南三陸町にある志津川駅。通学時間帯は高校生でにぎわいます。

気仙沼市から南三陸町へ移動する風景も少しずつ変化しています。
気仙沼市小泉地区の瓦礫処理施設は平成25年8月31日に業務が終了しました。施設は解体され、土地を農地などに戻すための工事が行われています。

気仙沼市小泉地区の瓦礫処理施設。
この時は煙が立っていました。
(平成25年3月30日撮影)


瓦礫処理が終了したプラントから煙が消えました
(平成25年9月17日撮影)

瓦礫処理が終了したプラント
(平成25年9月17日撮影)

建物が無くなり、農地などに転用するための工事が進められています
(平成26年1月24日撮影)


早春の小泉海岸
(平成25年3月30日撮影)

小泉海岸の風景
(平成26年1月24日撮影)

津波で壊れたままのJRの架橋
(平成25年9月17日撮影)

陸前小泉駅近くのJRの架橋も壊れたままです
(平成26年1月24日撮影)
南三陸町志津川沼田地区のベイサイドアリーナ周辺の小高い場所には、町役場、警察署、消防署、診療所などの仮庁舎とボランティアセンターなどが集約されています。

南三陸町志津川のベイサイドアリーナ駅の近くには
公立南三陸診療所や消防署などがあります

南三陸消防署の仮庁舎

南三陸町ベイサイドアリーナの駐車場に建てられた
公立南三陸診療所
東浜街道の近くには、銀行や工場などの他、新しい大きな構造物も建設されています。

東浜街道沿いに作られている大型の構造物
(平成26年1月24日撮影)
南三陸町志津川の市街地にも嵩上げ用の土砂が積み上げられています。

南三陸町志津川の様子
(平成24年10月撮影)
南三陸町志津川の様子
(平成25年9月撮影)

工事車両が行き交う南三陸町の旧市街地
(平成26年1月24日撮影)

作業用ネットの内側には嵩上げ用の土砂が高く積まれています
(平成26年1月26日撮影)

南三陸町の町職員など43人が犠牲となった防災対策庁舎には、この日も津波犠牲者の冥福を祈り手を合わせる人たちが訪れていました。

南三陸町志津川の防災対策庁舎
(平成26年1月24日撮影)


南三陸町志津川の防災対策庁舎
(平成24年12月6日撮影)

震災の後、志津川には、再開したお店や新たに立ち上げられたお店も少しずつ増えています。
平成23年12月に、震災後初めて南三陸町に入った時に困った「食事とトイレ」の問題も、今はすっかりなくなりました。



(取材日 平成26年1月24日)

神社は地域の「絆」~被災神社復旧復興支援活動~(仙台市)

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こんにちはエムです。

みなさんは「絆」とは何だと思いますか?
「家族の絆」「友人との絆」「職場の絆」「地域の絆」など、形も「絆」に対する考え方もさまざまあると思いますが、1つ挙げるとすると
〈年間を通して日常を共有していること〉だと思います。
言い換えると〈一緒に生活している〉ですが、日々共に生きることは「絆」を深める重要な要素だと言えるのではないでしょうか。

中でも「地域の絆」を深めてきたものは、日本で古来より行われてきた「お祭り」「初詣」「節分」など、季節毎に催される年間の行事でした。行事を通して人と人はより深い結びつきを感じてきたはずです。

初詣でにぎわう大崎八幡宮(撮影:平成26年1月1日)

そしてその中心となってきたのが「神社」です。
「神社」は神のお社であり地域を守ってくださる存在ですが、そこに住む地域の人々によって大事にされ、行事を引き継ぐ人がいることで、神社はまた、人によって守られてもきました。
また年間を通した「行事」や、祭事の「神楽」など、何世代にもわたり文化を継承する役割も担ってきたのです。

東日本大震災により、宮城県では沿岸部を中心に680以上の神社が被災しました。そのうち倒壊、または津波で流出した神社は52社にも上ります。そして未だ復興、復旧の兆しも見えない神社がたくさんあるのです。
なかなか神社の復興が進まないのには、大きく2つの理由が挙げられます。

1つは、今まで住んでいた地域の人が転居し、人々が少なくなってしまったこと。
もう1つは、神社仏閣など宗教に対する行政の援助が見込めないことです。

「神社の復興無くして地域の復興はなされない。地域の復興がなされなければ文化も神社も消えてしまう」

そんな危機感を抱いた大崎八幡宮では、震災直後の平成23年3月に宮司 小野目博昭氏を中心として立ち上げた「被災神社への支援活動」を発展させる形で、震災から3年目に当たる平成25年から「沿岸部神社 復旧復興支援活動」を展開しています。

その支援活動について小野目宮司にお話をお聞きしました。
ところが大崎八幡宮の支援活動は、被災神社に対する支援だけではなかったのです。

(「ココロプレス」では昨年(平成25年)12月29日、大崎八幡宮による「沿岸部神社 復旧復興支援活動」を紹介させていただき、支援金のご協力をお願いしていました)

2013年12月29日日曜日
沿岸部神社 復旧復興支援金のお願いー大崎八幡宮ー(仙台市青葉区)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_29.html



国宝の御社殿。現存する最古の安土桃山時代の遺構

仙台市青葉区八幡に鎮座する仙台の総鎮守、国宝「大崎八幡宮」

御神殿は、仙台藩祖・伊達政宗公の命により慶長9年(1604年)から12年(1607年)にかけ、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招集され建立されました。
外観や内部に至るまで意匠が凝らされた御社殿は全体的に美しい調和をなし、安土桃山時代の文化を今に伝える遺構として、現存する日本最古の権現造りの建物です。
明治36年に特別保護建造物に指定され、その後昭和27年には国宝に指定されました。

東日本大震災では大崎八幡宮でも、社務所の壁が崩れたり、灯籠が倒壊するなどの被害がありましたが、平成12年~16年にかけて社殿解体修理が行われていた本殿の被害は最小限にとどまりました。

被災した社務所
社務所は国の登録文化財に
指定されています
(画像提供/大崎八幡宮)
二之鳥居前の灯籠(画像提供/大崎八幡宮)

八幡宮内では水が出ていたことから、近隣の避難所に届けたりしていた中、被災地支援のきっかけになる出来事がありました。
震災の翌日、福島県の会津から大工さんが駆けつけ、倒壊した潔斎所(宮司宿舎のお風呂)を仮修復してくれたのです。
「八幡宮は皆さんに守っていただいている。自分にも何かできることがあるのでは」
小野目宮司はその時に思ったそうです。

そして震災後3日目からバイクで沿岸部の被災地を見て回り、5日後には知人の安否確認のため、県北沿岸部へ向かいました。その時、被災地の被害の大きさ・惨状を目の当たりにし、「何かしなければ。やれる事は何でもしよう」と強く思ったそうです。

そして大崎八幡宮の被災地支援活動は始まりました。
「義損金募金活動」を早急にご社頭で立ち上げ、広く協力を仰ぐと同時に「被災神社への支援活動」を計画しました。

そして小野目宮司をはじめとする八幡宮職員は、宮城県と岩手県の被災神社の安否を確認し、支援物資を運ぶために現地におもむきました。
その傍ら被災地での情報収集に努め、「神社本庁」のホームページに開設された、神道青年全国協議会の「災害掲示板」に必要な物資を書き込むことにしたのだそうです。

すると全国各地の神社関係者から八幡宮にたくさんの物資が届くようになりました。支援物資はその後、神社関係者にとどまらず全国各地の企業や個人の方からも続々と届けられたのです。

境内に設置された支援物資保管用のテント
(画像提供/大崎八幡宮)
物資は職員総出で仕分け作業を行いました(画像提供/大崎八幡宮)

八幡宮では職員総出で物資を管理し、被災地域へ届ける作業を行いました。
「書き込むと物資が届く。それを届けると必要な物が分かる。また書き込む。そして届ける。そんな活動でした」

また、世界各国へ義援金を募りその資金で海外からコンテナハウスを輸入し被災地へ送ろうという趣旨で、東京のNPO法人「難民を助ける会」が主体となって立ち上げた「被災地にコンテナハウスを送るプロジェクト」の支援も行ってきました。

石巻市渡浜にて行われたイタリア製コンテナハウスの搬入、設置(画像提供/大崎八幡宮)

コンテナハウスは平成23年~24年にかけて、各地の避難所、個人住宅、商店街、消防署など、合計60数棟を設置してきました。設置に当たっては小野目宮司や八幡宮職員が常に立ち会い、八幡宮出入業者の協力のもと行われてきたのです。

この他、被災地の要望を受けて行ってきた支援活動は数えきれません。

被災神社の瓦礫や木材などの撤去。(八幡宮所有の重機を現地に持って行きました)
被災した漁船の運搬・修理。漁船支援の要望があった漁業関係者への搬入。
使わなくなった原付バイクを修理し、被災地に届けたこともありました。
また、奥松島月浜の海苔生産グループ「月光」への支援では、八幡宮職員によるボランティア参加も行われました。

被災神社への支援ではコンテナハウス設置の他、流出した鳥居や扁額(鳥居に取り付けてある神社の名前の入った額)の設置や傾いた建物の応急修復や仮社殿の設置などの作業の他、震災後再開された「お祭り」や「奉納神楽」の応援にも駆けつけました。

雄勝町桑野浜「白銀神社」春の例祭(画像提供/大崎八幡宮)

このように大崎八幡宮が展開した支援活動は多岐にわたります。
驚いたのは、この支援活動は大崎八幡宮単独で行ってきたという事実です。
今まで大崎八幡宮の修理などで関係を培ってきた業者の協力も大きく、その時々で助けてもらっていたそうですが、小野目宮司をはじめ八幡宮の職員は作業着に身を包み、自ら現地におもむき、土木関係者に間違われながらも現場には必ず立ち会っていたそうです。

そうした支援活動を行ってきたからこそ被災地の現状が手に取るように分かり、なかなか進まない被災神社の復旧・復興の必要性を感じた小野目宮司は、「沿岸部神社 復旧復興支援活動」を立ち上げるに至りました。

五十鈴神社の鳥居設置(画像提供/大崎八幡宮)

「震災で地元を離れる人がいるのは仕方がないことですが、神社があれば、例えばお祭りの時だけでも手伝いに参加してもらうことで、ふるさとへの気持ちは離れないはず。ところがこのまま神社の復興が進まず、5年10年と経ってしまうと、もう人は戻って来ないでしょう。
地域の人がいなくなるということは、代々引き継がれてきた文化も消えてしまいます。地域は死んでしまうのです」

「神社の復興は文化の復興につながり、ひいては地域の復興に結びつく大事なことです。そしてまた神社は地域によって守られるのです」
「『民俗芸能』『伝統芸能』というものはそもそも神社の神様の前で行ってきたものです。神様の前だからこそ意味があるのであって、そこには魂が込められます。大きなホールや舞台などで行うのは単なる演劇でしかなく、このままでは本来の意味を失ってしまうのです」

平成25年に始まった大崎八幡宮による「沿岸部神社 復旧復興支援活動」は、現在3つの神社の再建へと向けられており、現在も進行中です。
〈石巻市雄勝町「葉山神社」拝殿・本殿・社務所等、境内建物の新築移転〉
〈亘理郡山元町「八重垣神社」の拝殿・本殿等、境内の建物の新築〉
〈女川町「熊野神社」都市計画に伴う解体・移転〉

被災神社新築のための青森ヒバの原木
小野目宮司が直接出向き、買い付け、この木を製材して使います
(画像提供/大崎八幡宮)

この他にも多くの相談が小野目宮司の元に寄せられており、お忙しい毎日を送られています。

「人のために何かやるのは楽しいね」
小野目宮司の広いお心を感じる一言でした

(画像提供/大崎八幡宮)



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大崎八幡宮で行っている「沿岸部神社 復旧復興支援活動」では引き続き「被災神社再建支援金」を募集しています。

沿岸部被災神社の再建のため、皆様の暖かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

「被災神社再建支援金」は郵便振込または直接「大崎八幡宮」までお願いいたします。

〈郵便振込〉
加入者名 大崎八幡宮(震災支援金)
口座記号 02250-0
口座番号 49188


大崎八幡宮
〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1
電話 022-234-3606
FAX 022-273-1788
Email oosaki@okos.co.jp
http://www.oosaki-hachiman.or.jp

☆ 支援の詳細はホームページ内「美咲の部屋」
 「バックナンバー〈平成23年・24年・25年〉」を参照ください。

(取材日 平成26年1月23日)

復興支援の専門家が一堂に~復興支援員研修報告会(富谷町)

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ココロデスクです。


2月5日。富谷町にある東北自治研修センターで、「熱い」報告会が開かれました。

参加したのは宮城、岩手、福島の被災3県で活動している「復興支援員」やNPOなどの皆さん150人余り。
震災から3年を迎えようとする今、それぞれの課題を発表し、共有し合い、解決への道を模索しました。

東北自治研修センター(富谷町)。
自治体職員の研修施設として、1997年に宮城県をはじめとした東北各県と
宮城県市町村自治振興センターが共同で設置しました。

復興支援員とは、被災地で被災者の見守りやケア、地域おこし活動の支援等の「復興に伴う地域協力活動」に取り組む人たちです。
震災の後、被災した自治体が復興計画を進めていくために、被災した地域の内外から委嘱した人たちで、財源は総務省の「震災復興特別交付税による財政措置」です。
現在では、被災3県で計153名の復興支援員が活躍中です。

今日はその活動の1年間を振り返る、「平成25年度復興支援員研修報告会」なのです。

基調講演の講師は、公益社団法人中越防災安全推進機構復興デザインセンター長で、総務省地域力創造アドバイザーの稲垣文彦さん。

稲垣文彦さん

「復興支援員の可能性と課題」と題した講演では、

「人の力を信じ、人と人とが向き合い、被災者(人)本来の顔を見出し、人と地域の中に夢と希望を作る活動。それが復興支援員の役割」
「住民の力を引き出し(エンパワーメント)、住民の今の課題や不安に寄り添い、最後の一人まで支えるセーフティーネットであれ」
「行政は、“コミュニティづくりは支援員にお任せ”とい発想は禁物。市町村、県、国それぞれのレベルで復興支援員をバックアップしてほしい」

中越地震からの復興の経験を踏まえた、こうした実践的な提言に、会場は大きくうなずいていました。


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続いて、各県の代表から事例報告です。

それぞれの県から、復興の現場で活動している支援員と、彼らをサポートする県の担当者が登壇しました。
岩手県では平成24年10月に「いわて復興応援隊」が活動を開始し、現在では30名がさまざまな形で活動中であることが紹介されました。

岩手県地域振興室 齊藤千花子さん
「一般社団法人SAVE TAKATA」所属の齊藤健祐さんは、群馬県出身。岩手県で学生時代を送り、卒業後は神奈川県内のIT企業に就職しました。
震災後、ボランティアに関わるうちに「また岩手に戻って被災した現地で働きたい」と会社を辞めて「いわて復興応援隊」に。前職の経験を生かし、陸前高田市でパソコン講習、地元事業者のウェブサイト開設・運用支援、高校生へのキャリア教育などIT関連のプロジェクトを担当しています。
「被災地の問題を狭く考えてはいけない。根本には過疎と高齢化の問題がある。これは全国に普遍的なテーマ」と、いわて復興応援隊の今後の課題を述べました。

「高校生のキャリアサポートは長くかかる。8年先まで見届けたい」
いわて復興応援隊 齊藤健祐さん
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宮城県からは、宮城県地域復興支援課の荒井遥さんと、復幸まちづくり女川合同会社の青木久幸さんが登壇しました。

県内では、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、仙台市が県と連携して復興応援隊を設置しているほか、気仙沼市、多賀城市、丸森町でも独自事業として設置していることが報告されました。そして、支援員をサポートするために、研修の実施やアドバイザーの派遣、専用ウェブサイトやパンフレットによる情報発信などの施策を実施していることが紹介されました。

県内の取組みを紹介する、宮城県地域復興支援課 荒井 遥さん
青木久幸さんの所属する「復幸まちづくり女川合同会社」は、地元企業や商工会、観光協会、漁協や水産関係の組合などが共同で設立した会社です。女川ブランドの構築を進めて販路拡大を図り、地元経済活性化による早期の「復幸」を目指しています。
行政からは自立しつつもガッチリと連携して、「女川ブランドの復幸による観光まちづくり」に取り組んでいます。
その最前線で活動しているのが復興支援員(「復興応援隊」)です。隊員は、女川町出身者が2名、インターンが1名の計3名です。

「住み残る、住み戻る、住み来る町、女川町を目指す」
復幸まちづくり女川合同会社 青木久幸さん
青木さん自身、本業は水産品を扱う家業の「廻船問屋 青木や」の経営です。
しかし、「女川町の基幹産業である水産業から、女川町全体を活性化させる」という志のもと、地元事業者はもちろん、応援隊員やNPOとも連携して、まちづくりに懸命に取り組んでいます。

「復興事業が終了した後から、本当の復興は始まる」
「制度の期間のみで復興事業を終わらせるのではなく、収益を確保して、今働いている復興応援隊員を継続雇用もしくは、独立起業させることが目標」

青木さんは、そう熱く語りました。


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原発事故による深刻な影響に苦しむ福島県からは、田村市復興応援隊の渡邊奈保子さんが発表しました。

「私自身が等身大で見て感じた”都路の今”を発信したい」
田村市復興応援隊 渡邊奈保子さん

田村市は2005年に旧田村郡の5町村が合併して誕生した、人口約3万8千人のまち。阿武隈山地の中央に位置し、東部にある都路地区の一部は福島第一原発から20km圏内にかかっています。
渡邊さんは、復興応援隊の「住民力向上チーム」のメンバーとして、この都路地区でヒアリング活動を行いながら、イベントやさまざまな企画の運営支援などに取り組んでいます。

「除染」と「帰還」は大きな課題ですが、それだけではなく、人口が流出した結果、産業や雇用がしぼみ、日常生活にも不便が増しているといいます。
それでも、応援隊がサロンやイベントに参加したり、ここのお宅で作業をお手伝いすることによって、住民の方々の孤独感を和らげることができているそうです。
また、情報不足を嘆く声に応えて、かわら版「いいね! みやこじ」を発行したところ、「こういうものが欲しかった」と好評を得たそうです。

福島県地域振興課 伊藤裕幸さん

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各県からの発表に続いて、パネルディスカッションが持たれました。

泊りがけの参加者も多く、この後も遅くまで熱い議論が続いたようです。

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被災地の現場では、復興や支援の担い手の絶対数が先細りになっているのが現実です。

そんな中、人生に大きく舵を切って現場に飛び込み、根を下ろしてじっくりと復興に取り組んでくださる人たちの力は、何よりありがたく思います。

口には出せないような大変な苦労を背負っているはずなのに、3年後、5年後、10年後と未来だけを向いて目の前の課題を解決している復興支援員の皆さん。

ココロプレスも、及ばずながら皆さんに声援を送りたいと思います。


(取材日 平成26年2月5日)

地元に勇気!がんばれ東陵高校野球部!(気仙沼市)

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kaiiです。

春の選抜高校野球の出場を決めた東陵高校の建つ気仙沼市鹿折地域は、津波火災で大きな被害を受けた地域です。高台にある東陵高校にも地域住民が避難していました。

東陵高校校舎
(平成26年2月20日撮影)
東陵高校に避難していた一人、鹿折地区振興協議会の鈴木博会長は、
「東陵高校の生徒たちは礼儀正しく、自分たちも被災して大変な時だというに、避難した人たちの世話をよくみてくれました」
「避難者には高齢者も多く、震災に遭ったことで生きる力を失いかけている人もいましたが、生徒たちの若さと元気に励まされ避難生活を乗り切ることができました。いまも、生徒たちに感謝しています」
と、避難生活を振り返ります。

東陵高校で避難生活をした鈴木博鹿折地区新興協議会会長。
東陵高校避難所の卒業証書を観ながら避難生活を振り返りました。
(平成26年2月20日撮影)
そして鈴木会長は、
「春の選抜高校野球大会に東陵高校が出場することは、仮設住宅での生活など、まだまだ震災の苦労から脱せない私たちにとっては大きな朗報。復旧、復興に向かうこれからの『勇気』と『励み』になります。選手の皆さんには気負うことなく自分の力を出し切ってきてほしいです」
と選手たちにエールを送ります。

「勝負は時の運」のびのびと力を出し切ってほしいとエールをおくる
鈴木博会長

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また、東陵高校の近所で毎日生徒たちを見守っている小山輪業商会の小山富男さん・久美子さん夫妻は、
「甲子園出場は選手たちが日ごろの努力で勝ち取ったもの。選手たちの姿を力に、私たちも復興に向かって進んでいきたいです。甲子園では選手たちに『ひと暴れ』してほしいです。甲子園出場を思いっきり楽しんできてください」
と優しい声援を送ります。

東陵高校の学校下で自転車などの販売をする小山輪業商会の小山さんご夫妻
大いに暴れて甲子園を沸かせてほしいと声援を送ります。
(平成26年2月20日撮影)

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気仙沼市役所の近くで「たこ焼き」の店を営む松下裕子さんは、
「震災被害の大きかった気仙沼から出場するだけでもすごいこと。プレッシャーに負けずノビノビと自分たちのプレーをしてほしいです。がんばれ!」
と応援します。

気仙沼市八日町のたこ焼き屋「たこよし」

東陵高校の選手を応援する松下裕子さん
(平成26年2月19日撮影)

気仙沼市内の店舗にも、「東陵高校応援のポスター」が貼られ、地元高校の甲子園出場を喜んでいます。

商店街に貼られている
東陵高校応援ポスター
(平成26年2月19日撮影)
東陵高校の地元である気仙沼市では、甲子園出場を盛り上げようと、経済団体などが中心となって「激励する会」を発足、遠征費や滞在費などを募っています。

選手の活躍を祈る多くの方のご支援をお願いします。

東稜高校公式サイト (甲子園出場を激励する会からのお知らせ)

http://toryo.h-gakuen.ed.jp/jouf6js3w-15/#_15


(取材日 平成26年2月20日)

週刊ココロプレス 第72号

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ココロデスクです。

久しぶりに、穏やかな週末です。

しかし、20名以上の犠牲者を出し、今なお交通が万全ではない地域が残っているなど、今回の大雪の被害は甚大で影響も続いています。

インフラが思ったよりも脆弱であったこと、それと非常時の体制に緩みがあったのでは?という指摘も聞こえてきます。

宮城県内でも、養殖ワカメに大きな被害がありました。
また、主要道である国道48号が、山形県境で起こった雪崩のため1週間以上も通行止めで、復旧のめどが立っていません。

春はもうそこまで来ていますが、まだ警戒が必要なようです。


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宮城県が全国からいただいているご支援に対して感謝を発信するために、宮城県では「宮城から感謝をこめて」というホームページを設置しています。
現在、次の8本の記事が掲載されており、これからも順次増やしていきます。

石巻市 石巻魚市場
山元町 新山下駅周辺地区
石巻市 雄勝町
南三陸町 長須賀海水浴場
南三陸町 郷土芸能発表会
亘理町 いちご団地
気仙沼市 復興屋台村気仙沼横丁
名取市 ゆりあげ港朝市

宮城から感謝をこめて
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/

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  ■最近のダイジェスト (2月17日~2月22日)
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2014年2月17日月曜日
「第32回志津川湾春つげ牡蠣まつり福興市」開催!!(南三陸町)
毎月南三陸町志津川で開催される「福興市」。2月23日の開催テーマは「カキ」で、志津川湾で育まれた美味しいカキ」が提供されました。また、隣接する南三陸さんさん商店街のオープン2周年記念セールも、同時開催されました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/32.html

2014年2月18日火曜日
念願の切株(石巻市雄勝町船越)
一見、ごく普通の森の杉の木の切株に物語があります。「高台移転先用地の造成工事が始まる!」その話を聞いて2年。工事が延期されていた雄勝町船越で、ようやく2月5日に造成のための伐採が開始されました。この切株は、その最初の1本なのです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_1919.html

2014年2月19日水曜日
変化する車窓の風景~気仙沼市から南三陸町へ~(南三陸町)
津波で壊滅したJR気仙沼線の代替手段として、気仙沼から柳津までJR東日本が運行しているBRT(バス高速輸送システム)。運行開始から1年半がたちました。少しずつ復旧していく沿線の産業と生活の姿を、車窓から記録しました。写真は、瓦礫処理が終了したプラントです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_4031.html

2014年2月20日木曜日
神社は地域の「絆」~被災神社復旧復興支援活動~(仙台市)
「神社の復興なくして地域の復興なし。地域の復興がなければ文化も神社も消えてしまう」。そんな危機感から、大崎八幡宮は「沿岸部神社 復旧復興支援活動」を展開してきました。しかしその支援の対象は、被災神社だけではなかったのです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2348.html

2014年2月21日金曜日
復興支援の専門家が一堂に~復興支援員研修報告会(富谷町)
「復興支援員」とは、自治体から委嘱されて被災者の見守りやケア、地域おこし活動の支援等の地域協力活動に取り組む人たちです。2月5日、宮城、岩手、福島の被災3県で活動している「復興支援員」が一堂に会して、課題を語り合いました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_6901.html

2014年2月22日土曜日
地元に勇気!がんばれ東陵高校野球部!(気仙沼市)
センバツ出場を決めた東陵高校。震災の直後は多くの気仙沼市民が校舎に避難しました。鹿折地区振興協議会の鈴木博会長は「生徒たちの若さと元気に励まされ、避難生活を乗り切れた。センバツ出場は朗報。勇気と励みを与えてくれる。力を出し切ってきてほしい」とエールを送ります。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_9869.html

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■編集後記

カキ、ワカメ、タラ・・・冬ならではの味覚はたくさんありますが、忘れてはいけないのが新酒。

昨日今日と、仙台市の繁華街で宮城県酒造協同組合が主催する「宮城の純米酒初蔵出し」が開かれました。

ココロプレスでもたびたびお伝えしてきましたが、米どころ宮城県は酒どころでもあります。
25の酒蔵が互いに競いながらも、純米酒にこだわって宮城の日本酒のレベルを高めてきました。

今回は39銘柄が試飲できると聞いて駆け付けてみると、大盛況。
端から順に味比べさせてもらい、明るいうちから幸せな気分にひたりました(笑)

会場の一角にあったのがこれ。
あしなが育英会が津波遺児のために建設する「レインボーハウス」の資金にと、宮城県酒造協同組合が販売している「チャリティー猪口」です。



今夜は、このお猪口で飲み直します。


あしなが育英会
http://www.ashinaga.org/news/entry-659.html

宮城県酒造協同組合
http://www.miyagisake.jp/

(ココロデスク)

「語り継ぎます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 後編(仙台市)

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YUUです。


先日紹介した語り部タクシー「語り継ぎます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 前編の続きです。


2014年2月14日金曜日
「語り継ぎます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 前編(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_14.html

私は、仙台中央タクシー株式会社(以下・仙台中央タクシー)の語り部ドライバー、石濱信次(いしはま しんじ)さんの案内で、仙台市若林区荒浜地区、名取市閖上(ゆりあげ)地区一帯を巡りました。

災害危険区域に指定され、震災後に新しく建造された建物が全くない荒浜地区は、がれきの山こそきれいに撤去されていたものの、一面何もない平野が広がる風景を見ると、流れた歳月の分だけあらためて、大震災と津波の凄まじさを思い起こされました。

荒浜地区を巡回したあとに向かった先は名取市閖上地区。語り部タクシーの基本コースに含まれるこの地域も、津波被害が甚大だった場所です。

名取市閖上字五十刈(ごじゅうがり)1番地にある閖上中学校
現在は名取市手倉田字山216-1の地に仮校舎を建て、移転しています

最初に立ち寄ったのは閖上中学校。

震災時には指定避難場所になっていました。

不幸なことに、この中学校にたどり着き校舎屋上に避難する直前に津波に飲み込まれた犠牲者が、多数いました。閖上中学校の14名の生徒も亡くなられたそうです。3月11日は、中学校の卒業式当日でした。

生徒の遺族の方々が用意した献花台
震災から約3年が経過した取材当日も複数の人々が訪れ、
合掌する様子を目にしました


幾度となくこの場所に訪れている石濱さんによると、学校の前に設けられた慰霊碑、献花台の前には、訪れる人が途絶えることはないといいます。


閖上中学校にある慰霊碑の前で説明する震災の「語り部」
仙台中央タクシーの石濱信次さん

「震災当日、閖上中学校の14名の生徒さんがお亡くなりになりました。3月11日の一周忌にあたる2012年3月11日に慰霊碑の除幕式が行われたそうです。慰霊碑には、亡くなられた生徒14名の名前が刻まれています」

石濱さんが説明してくれました。

名取市のサイトで確認すると、閖上地区の人口は震災前の2月末の時点で5612人でした。大震災の市民の人的被害は、平成26年1月31日現在で死者884名(名取市調べ)。この数字には、行方不明者や避難生活での体調悪化や過労などの間接的な原因でお亡くなりになられた方は含まれません。

3.11の震災で名取市で亡くなられた方の多くは、閖上地区の住民の方です。地域住民の人口と震災による死傷者、行方不明者の数を見比べるだけでも、大津波がこの地に残した爪痕の大きさを考えずにはいられません。

「指定避難場所の閖上中学校を目指す途中で大津波に飲み込まれた方々のことを思うと、運命の残酷さと、犠牲になられた方や遺族の方の無念さを思わずにはいられません。当時は多くの人々が想像しなかった津波の恐ろしさ、大津波の悲劇について、防災の観点からも、より多くの人々に伝えていく必要があると考えています」

語り部タクシーの利用者は、全国の学校関係者や消防団員の方が非常に多いそうです。多くの利用者は、石濱さんをはじめとする「語り部」から震災についての話を聞き、実際に被災地を見聞することで、少しでも今後の教訓として生かしたい、と感想を述べるそうです。

閖上日和山の慰霊塔
現在も花を手向(たむ)ける方が後を絶たないそうです

次に向かったのは、日和山(ひよりやま)です。

標高6.3mの日和山は、津波の襲来した太平洋が一望できる場所ということもあり、閖上に残されたシンボルのひとつとして、数多くの人が訪れ、震災で犠牲になられた人々の冥福を祈り、手を合わせている場所です。

この地は閖上地区のほぼ真ん中にあるので、高台に登れば、閖上の全域が見渡せます。

閖上日和山の高台から見る閖上地区の現在の風景
左手に見えるのが「閖上仮設魚市場」です


仙台市荒浜と同じく、建物の基礎部分だけ残し、一面に更地となったままの平野が広がる名取市閖上一帯。

海沿いに見える建物は、2012年5月29日に完成した「閖上仮設魚市場」です。

閖上は漁業の町として栄えてきた歴史を持ち、藩政時代には、城下町に海の幸を届ける台所の役割を果たしていました。仮設魚市場は、津波で全てが流されてしまった魚市場再建のために、国の被災地域産業地区再整備事業の交付金を利用して中小企業基盤整備機構(東京)が建設したものです。

この施設ができたことで、漁師さんたちがせりや漁具の整備などを冬場の吹きさらしの中で行わなくても済むようになりました。しかし、震災以前は数多くの住宅が建ち並んでいた周囲には、現在、一切の建物はありません。

県外から語り部タクシーによってこの地を訪れた人々は一様に、日和山から眺める閖上一帯の風景に大地震、大津波をイメージし、息をのむといいます。

語り部タクシーの「語り部」として石濱さんが常時携帯しているという震災資料


閖上から仙台市内への帰り道、石濱さんは、「語り部」としての心得について話してくれました。

「災害危険区域に指定され、新しい建物が建てられない地域にしても、がれきが撤去され、道路が整備されるなど、周囲の様相は時間とともに変化しています。そうした状況、復興への歩みをできるだけ正確に伝えられるようにモバイル端末、震災資料や交通事情の変化を書き込んだ道路地図などを常時携帯してしています」

石濱さんによると、語り部タクシーの利用者は、こうした震災関連資料を眺めながらドライバーに質問をしたり、訪れる被災地域の確認をすることも可能なのだそうです。



語り継ぎますと、「語り部タクシー」についての思い、今後の抱負を話してくれた
仙台中央タクシー取締役の清川晋さん(右)と語り部タクシーの基本コースを案内してくれた石濱信次さん(左)

石濱さんとともに仙台中央タクシー本社に戻り、清川晋取締役に「語り部タクシー」について話を聞きました。

「歳月の経過とともに震災と被災地に対する人々の関心が薄れ、『風化』しつつあるというような話も伝え聞くようになりました。しかし、震災に対する防災の必要性などを語り継ぎ、実際に1人でも多くの方を被災地にお連れすれば復興のスピードを速める一助にもなると始めた『語り部タクシー』は、利用者の感想や、ドライバーからの報告を聞くと、まだまだ役目が終わっていないと率直に思います」

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未曾有の大震災より約3年、語り部タクシーを開始した2012年10月より1年以上が経過して、当時より道路などのインフラ整備やがれき撤去は格段に進みました。
それでも、仙台市荒浜地区、名取市閖上地区など大きな津波被害のあった被災地域は、いまだ、その原風景に震災の爪痕を大きく残しています。

震災より時が流れた現在(いま)こそ、「語り部」たちが語り継ぎ、被災地の変化、現状を案内する語り部タクシーの意義は非常に大きいと感じました。

仙台中央タクシーでは、今回の記事で紹介した仙台市沿岸部、名取市閖上地区を巡る基本コース(2時間30分)のほか、石巻・東松島コース(6時間)、気仙沼。南三陸コース(7時間)など複数のコースをあらかじめ用意。利用者の時間や予算、要望に合わせたオリジナルコースの利用にも対応しているといいます。


語り部タクシーに対する問い合わせは下記ホームページで。

仙台中央タクシー
http://www.sendaichuotaxi.co.jp/

(取材日 平成26年2月5日)

「月刊杜の伝言板ゆるる」200号突破(仙台市宮城野区)

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こんにちはエムです。

宮城県で活動するボランティアやNPO(民間非営利組織)の情報を提供してきたフリーペーパー、月刊杜の伝言板ゆるる」が、今年(平成26年)1月で創刊200号を迎え、2月1日(土)仙台市宮城野区の「みやぎNPOプラザ」で記念イベントが催されました。

「みやぎNPOプラザ」交流サロンで行われた記念イベント
たくさんの参加者で満員でした

「月刊杜の伝言板ゆるる」の前身は平成9年1月に発刊された月刊情報誌「みやぎ/市民・ボランティア活動情報」です。

NPO活動などに感心がある方や、全く無い方にも読んでもらえる、楽しくて役に立つ情報誌が必要と考えた代表の大久保朝江さんを中心に、仙台市で市民活動をしていたリーダーが集結し編集部を立ち上げました。
それは阪神・淡路大震災などの大きな災害や日本海重油流出事故などで、ボランティア活動や市民活動を行っている団体などが注目され始めた時期でした。

200号となった平成26年1月号(手前)オールカラー印刷です
200号の後ろに創刊号(黄色の号)

その後、この情報誌をもっと広く親しんでもらえるようにと名前を募集したところ、全国から予想を遥かに超える3000通のはがきが届いたのです。
その中から「杜の伝言板」と「ゆるる」が最終選考に残り、どちらも捨てがたい名前だったことからスタッフの提案で、2つを一緒にした「杜の伝言板ゆるる」に決定しました。

「月刊杜の伝言板ゆるる」は平成9年6月に第1号が創刊され、以後17年間休むことなく発刊され続けています。
A4判16ページの中に、県内に拠点を置く市民活動団体の紹介や、イベント案内、各種助成金の情報などがギュッと盛り込まれた読み応えのあるものです。編集スタッフによる取材・執筆された記事の他、各団体からの寄稿なども積極的に取り入れた内容になっています。
しかも100%会員などによる民間の資金でまかなわれているこのような情報誌は、全国的に見てもあまり例のない珍しいものだそうです。
7名だった編集スタッフは創刊号の時点で13名に増え、現在は18名が編集に携わっています。

団体名も平成11年4月より「杜の伝言板ゆるる」に改称し、その後平成15年3月に特定非営利活動法人(NPO)の認証をうけました。
平成17年4月からは宮城県のNPO支援拠点である「みやぎNPOプラザ」の管理・運営を受託しています。

「みやぎNPOプラザ」では過去2年分(位)のバックナンバーが手に入ります
この日は特別に全てのバックナンバーが揃っていました

創刊当時はなじみの薄かったNPOなどの活動でしたが、「月刊杜の伝言板ゆるる」の果たしてきた役割は大きく、NPOへの関心は徐々に高まり、NPOに必要な人材や資金が集まるなどの貢献を果たしてきました。
特に東日本大震災では、被災地のNPOの活動紹介やボランティアを希望する全国各地からの応援の方たちへの情報提供のツールとしても、貴重な役割を担ってきました。

創刊当初の発行部数は1000部でしたが、情報をもっと多くの人に届ける必要があると、平成14年には6000部に、翌年には8000部にと部数を増やしました。
さらに東日本大震災後は仮設住宅で暮らす被災地の方にも読んでもらえるようにと、発行部数は1万部に増刷されています。

「月刊杜の伝言板ゆるる」は市民センターなどの公共施設で手に入ります
また、会員には毎月送られています

これまで紙媒体という形態にこだわってきた「月刊杜の伝言板ゆるる」でしたが、現在は団体のホームページ上でPDFでも見られるようになりました。

「震災後、全国各地から被災地に来てくれた多くの個人のボランティアや団体の方がありました。そしてこれからも復興のためにたくさんの人に来てもらえるように、全国どこででも読むことができるようにしました」
イベント冒頭の挨拶の中で大久保さんは言いました。

平成9年6月の創刊以来、1度も休まずに毎月発行し続けてきた「月刊杜の伝言板ゆるる」。
掲載した団体からの感謝の報告や、インフォメーションのコーナーに掲載しているボランティア情報などで「参加者が増えた」などの声が寄せられることもあるようです。

「杜の伝言板ゆるる」代表理事 大久保朝江さん
現在は「みやぎNPOプラザ」館長も務めています

現在は復興に力を注いでいる地元の団体を応援することに重点を置いた内容にはなっていますが、大久保さんは被災地だけには限定したくはないと考えています。

「震災以前から活動をし続けている団体はたくさんあります。問題は被災地以外にもあり、解決しなければならない課題は “課題” として今も残っています。
そういった活動をしているたくさんのNPOの活動や情報を入れながら、これからも発刊していきたいと思っています」
地元の復興は地元の力でという理念の元、『月刊杜の伝言板ゆるる』はこれからも貴重な情報を発信し続けていきます」

市民活動やボランティアに興味があるけれどどうして良いか分からない方や、新たにNPOを立ち上げたいと考えている方は、「みやぎNPOプラザ」「月刊杜の伝言板ゆるる」を手に取ってみてはいかがでしょうか。


大久保さん(中央)と、編集・「みやぎNPOプラザ」スタッフのみなさん
(後方左より)久保美紀子さん、庄子真希さん、清野利之さん、村上千恵さん

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◆ゆるる会員募集◆
「月刊杜の伝言板ゆるる」は会員の皆さんに支えられて発行しています。
詳しくはホームページをご覧のうえ、ご協力、ご支援をよろしくお願いいたします。

特定非営利活動法人 杜の伝言板ゆるる
宮城県仙台市宮城野区榴岡3-11-6  コープラス島田B6
TEL 022-791-9323 FAX 022-791-9327
E-mail  npo@yururu.com
ホームページ http://www.yururu.com/
フェイスブック http://www.facebook.com/npomorinodengonbanyururu

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「月刊杜の伝言板ゆるる」創刊200号記念イベントでは市民メディアの在り方を探る企画として
◆井上きみどりさんによる基調講演「わたしが震災まんがを描いたわけ」
◆メディア関係者を招いたパネルトーク「市民メディアとしてのこだわり」が行われました。
「ココロプレス」では順次ご紹介してゆく予定です。お楽しみに!

(取材日 平成26年2月1日)

350回目を迎えた復興コンサート 音楽の力による復興センター・東北 (仙台市)

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YUUです。

2月7日、仙台市泉区のイズミティ21展示室で、「復興コンサートいずみ2014」が開催されました。
被災した方々の心に音楽で寄り添い、地域再生のための希望の灯をともすことを願って行われる無料演奏会です。

主催は泉区保健福祉センターで、泉区内の民間借り上げ住宅(みなし住宅)に暮らす方々や、地区の民生委員さん、他に実際にコンサートの合唱に参加した保育園の子どもたち、仙台白百合女子大学聖歌隊の学生さんたちなど、160名を超える多くの人々が会場に集まりました。

イズミティ21展示室。今回で2回目となる「復興コンサートいずみ」が開催されました
当日のコンサートに出演したのは、仙台フィルハーモニー管弦楽団のメンバー。ヴァイオリン・
小川有紀子さん、岡村映武(てるたけ)さん、ヴィオラ・御供和江さん、チェロ・山本純さん。

弦楽四重奏を奏でた仙台フィルハーモニー管弦楽団の4人のメンバー
写真左から、ヴァイオリン・小川有紀子さん、岡村映武さん、
ヴィオラ・御供和江さん、チェロ・山本純さん
こうしたプロの演奏家を招いて、公共施設や仮設住宅などでコンサートを開催するコーディネート、裏方として広報活動、会場設営を数多く行ってきた団体が、一般財団法人「音楽の力による復興センター・東北」です。

同団体は、これまでに避難所、学校、仮設住宅、福祉施設、病院などさまざまな場所での復興コンサート開催に携わってきました。

仙台市青葉区錦町のセンター事務所の壁には、被災3県(岩手・宮城・福島)の地図が貼られていて、コンサートを開いた市町村にピンが刺してあります。今回のイズミティ21展示室でのコンサートは、区切りの350回目となるものでした。

地域の仮設住宅に暮らす方など、160人を超える人が集まった「復興コンサート」
当日のコンサートは、合唱曲として親しまれているメンデルスゾーンの「緑の森よ」の弦楽四重奏より始まりました。非常に美しい曲で、重なり合う弦楽器のやさしい音色に会場が包まれます。

続いて、泉第2チェリー保育園児たちが、弦楽四重奏の演奏をバックに「にじ」、「いきてこそ」を歌いました。曲目は、園児たちの希望に応じたものだそうです。

演目は、シュンターミンツ「2つのヴァイオリンのための組曲」、モーツァルト「グラスハーモニカのためのアダージョ」と続きました。
この2曲の演奏にはちょっとした趣向があって、コンサートの進行を務めた小川有紀子さんの解説を交えながら、ヴァイオリンのデュオ、弦楽三重奏、四重奏と演奏の編成が曲ごとに変化して、弦楽のアンサンブルの魅力を初心者でも体感できるという、とても楽しめるものでした。

仙台白百合女子大学聖歌隊有志10名によって、
弦楽だけではなく、合唱のアンサンブルも楽しめました
コンサートの進行は、仙台白百合女子大学聖歌隊の有志10名の合唱へと続きました。
曲目は讃美歌「みははマリア」、アンジェラ・アキ「手紙」。

締めくくりは、ドヴォルザーク弦楽四重奏ヘ長調「アメリカ」第4楽章。ノスタルジックで心を和ませてくれる曲想で、バラエティに富んだコンサートの最後を飾るに相応しい演奏でした。

アンコール曲の「花は咲く」は会場の皆が歌いました

さまざまな趣向、演奏を楽しむことのできる「復興コンサート」。

アンコール演奏も当然あります。

最後は、ゲスト参加の保育園児や大学生有志だけではなく、会場に足を運んだ皆が参加して、東日本大震災の被災地・被災者の復興を応援するために制作されたチャリティーソング「花は咲く」を合唱しました。同曲は「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマ曲として使用されているほか、NHKの国内向け放送、国際放送とも編成の空いた時間など、随時、この曲を流しているので、聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。

会場は、来場者たちの合唱参加により、一体感に包まれたまま、フィナーレを迎えました。

震災以前の住居を失った方が多数来場したこの日のコンサート。プロの演奏家の美しい調べに聞き入る様子や、園児たちの歌う姿に目を向ける、自らが歌う時などにふと見せる、会場に集まった人々の明るい表情がとても印象的でした。

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主催した一般財団法人「音楽の力による復興センター・東北」は、2012年9月に設立されました。

東日本大震災から2週間後、仙台フィルハーモニー管弦楽団(以下・仙台フィル)と市民有志が共同で立ち上げた「音楽の力による復興センター東北」がその母体になっています。

「震災後、取るものもとりあえず設立した組織でした。音楽を通して、震災の犠牲になられた方々を鎮魂し、ご家族や生活を失われた人々に寄りそい、地域再生の希望の灯をともすことを目標に、被災地域に直接出向いたり、被災者の方々が暮らす仮設住宅などで、音楽を届けてまいりました」

復興コンサートの趣旨、団体の活動について、こう説明してくれたのは、一般財団法人「音楽の力による復興センター・東北」の代表理事・大澤隆夫さんです。

コンサートに招く演奏者は、仙台フィルや東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のメンバーら、プロばかり。

「仙台フィルのメンバーが我々団体の母体になっていることもありますが、本格的な演奏会を被災地と被災された方に届けたいという思いがあります」

同団体は、公益社団法人「日本オーケストラ連盟」の協力を得て、仙台フィル以外のプロの演奏家が宮城県に訪れて演奏活動をするためのコーディネーターの役割も果たしています。

「県外から日本各地の演奏家に来てもらう場合は、復興コンサートを継続して行っていくためにも、全くの無償ではなく、かなりの薄謝ですが、団体の方から一定の活動費をお支払いしています」

多くの関係者の思いで実現した「心のランドマーク」のCD
今後、児童・生徒等の歌声を収録したCDの制作も検討しています
震災直後から回数を重ねてきた300回を優に超える復興コンサート。復興関連のさまざまな催しのなかでも、継続することによる復興への強い思いが、被災地、被災者の方々にも確実に伝わっている試みのひとつではないでしょうか。

団体としての活動は、復興コンサートを続けていくことだけではありません。

昨年、11月22日に石巻市役所で贈呈式が行われた「心のランドマーク」のCD化にも同団体は全面協力しました。

このCDは、東日本大震災の影響などで閉校した石巻市、周辺地域の20小中学校(存続校を含む)の校歌を日本各地の著名なオーケストラが演奏し、収録したものです。

石巻市民生児童委員を務める蟻坂隆さんが、知人のオーケストラ関係者に話を持ち掛けたのがCD制作のきっかけだと言います。趣旨に賛同した日本オーケストラ連盟、日本作曲家協議会、そして、音楽の力による復興センター・東北などが全面協力することで、実現にこぎ着けました。

「母校を失った子どもたち、地域の人々の校歌をオーケストラ風に編曲し、日本各地のオーケストラがそれぞれの校歌を収録しました。この試みは息の長い事業として、復興の一助になればというのがそれぞれの関係者の願いです」

音楽の力で寄り添い続けます。いつまでも
と、メッセージを残してくれた「音楽の力による復興センター・東北」の大澤隆夫さん
大澤さんは、「今後も音楽の力で復興の一助となる活動を継続していきたい」と、話します。

多くの被災地、仮設住宅などに赴いた復興コンサートについても、まだまだ各地域からの要望には対応しきれていないし、開催していない地域も残っているといいます。

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音楽で心を癒す。再生の力を与える。

こうした復興支援活動は、形に表わしにくい部分もあるだけに、見方によっては復興に対する思いが伝わりにくい側面もあるかもしれません。

しかし、良質な「音楽」を届けることは、被災者、傷ついた人々の心に訴える力が確実にあるようです。「復興コンサートいずみ2014」に訪れてみて、会場の一体感や集まった人々の表情や反応を実際に見ることで、「音楽の力」がもたらす具体的な働きの1つを体感することができました。


なお、同団体の関わる事業、復興コンサートをはじめとしたこれまでの活動内容の歩みは下記HPで閲覧できます。

一般財団法人 音楽の力による復興センター・東北
http://ongaku-fukko-tohoku.jp


(取材日 平成26年2月3日、7日)

絵本が語る優しいメッセージ 前編(名取市閖上、兵庫県神戸市)

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エムです。

1月5日付でご紹介した絵本「優しいあかりにつつまれて」。平成26年1月13日に発行されてから、もうすぐ2カ月がたちます。


2014年1月5日日曜日
絵本で残す生きた軌跡「優しいあかりにつつまれて」(名取市閖上)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/01/blog-post_5.html

出版された絵本「優しいあかりにつつまれて」(画像提供:竹澤さん)

「優しいあかりにつつまれて」の作者は竹澤さおりさんと、たかいちづさん。
東日本大震災の津波で母親、父親、祖母と当時8カ月だった長男の雅人ちゃんをいっぺんに失くしたさおりさん(母親と雅人ちゃんはいまだに行方が分かっていません)と、19年前の阪神・淡路大震災で双子のお子さんの1人、1歳半だった長男しょうくんを亡くした たかいちづさんが共同で出版した絵本です。

東日本大震災後に生まれた長女に、自分たち家族に起きた事をいつか知ってもらうためには絵本が良いと考えていたさおりさん。
成人式を迎えた双子の兄妹だった長女のゆうさんに振り袖を準備するように、亡くなったしょうくんへの思いを綴った絵本を準備したかった たかいさん。
「優しいあかりにつつまれて」はこの2人が奇跡的に出会い、できた絵本です。


お二人の気持ちをもう少し深く知りたくて、再びお話をお伺いしました。


2人が出会ったのは、さおりさんの夫、竹澤守雅さんが東日本大震災後に立ち上げたブログがきっかけでした。

さおりさんの母親と、最愛の長男雅人ちゃんが見つかっていない中、守雅さんは震災後3カ月が経過した時、これから先どうして生きていったら良いのか分からないその気持ちを忘れないために、日記を綴るような気持ちでブログを立ち上げました。
しかしそれは、忘れてはいけないという気持ちと、思い出すのが怖いという気持ちの両方から揺さぶられるような辛い作業だったと言います。当時はその辛い内容の詰まったブログは、書き上げたら蓋をしてしまおうと考えていました。

一方、この真っ暗闇にいるような毎日の中、自分と同じように子どもを震災などで失くした人がどのようにして生きていったのか知りたくて(ネットなどで)調べましたが見つけられませんでした。

震災から1年近く経った頃、守雅さんのブログに、あるボランティアの人からリンクの申し込みがありました。
塩竈でボランティアを続けていたその人のブログには、阪神・淡路大震災を体験した人のリンクがあったのです。それが たかいさんでした。


震災で小さな長男を失った心境を綴ったそのブログは、まさに守雅さんが探していた、同じような体験をした人が書いたもの。(当時)震災から17年が経過てもなお癒されない たかいさんの気持ちを知って守雅さんはショックをうけましたが、意を決してコメントを書きました。

その後、守雅さんと たかいさんのメールでのやり取りが始まりました。
最初は守雅さんから「こんな人がいるよ」と話を聞いているだけの さおりさんでしたが、少しづつ たかいさんのブログを見るうちに、さおりさんもまた たかいさんとのメールのやり取りを始めるようになったのでした。

「たかいさんと出会っていなければ、自分はこうして取材を受けたり、話ができるようになるまでにはなれなかったと思います」
と語る竹澤さん夫婦にとって たかいさんは、初めて本当の気持ちを共有できる貴重な存在になったのです。

震災前にさおりさんが整理した家族の写真     

たかいさんは阪神・淡路大震災で長男を亡くした辛い気持ちを、自身のホームページに綴ってきました。しかし、たかいさんは書きながら迷い続けていたそうです。

「自分は誰に何を伝えたくて、何のために息子への思いを公開するんだろう?
公開することに対して、何の意味があるのだろう?
記録するためなら公開する必要はないのではないか……などと考え、その意味が分からなくなったりして閉鎖と再開を繰り返していました」
そして何年かが過ぎ、ようやく普通の日常を送れるようになっていた時でした。

東日本大震災が起こったのです。

その悲しみや苦しみと再び向き合う作業をすることになってしまった たかいさん。
「再び16年前の時間の中に引き戻され、ぐちゃぐちゃになった心をどうにかしたくて、以前通っていたカウンセリングを再開しました。
そしてそのカウンセリングの中で、しょうくんへの思いを形にしたいという気持ちが芽生え、しょうくんの成人式のお祝いに、家族みんなが19年経ってもしょうくんのことを思い続けていることを伝える絵本を作ってプレゼントしたいと思うようになったのです。
平成24年1月には自分の思いをあらためて整理ししていこうと再びブログを始めました」


そのブログを通じて さおりさんと たかいさんは出会いました。

「さおりさんを見ていると当時の自分を見ているようでした」
さおりさんの姿やブログに綴られた思いに当時の自分を重ねるようになったたかいさん。

その後、竹澤さんは神戸へ、たかいさんは仙台へと、それぞれの地を訪れました。
何度か会っているうちに、絵本を出したいという共通の思いがあることを知った2人は、それぞれの思いを形にする決心を固めました。

そして「優しいあかりにつつまれて」は出版されることとなりました。



(後編に続きます)


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「優しいあかりにつつまれて」は一部書店(紀伊国屋、ジュンク堂、大垣書店など)で取り扱っている他、インターネットで注文することができます。

インターネット
「優しいあかりにつつまれて」 http://yasashiiakarinitutumarete.web.fc2.com/

アマゾンのマーケットプレイス(4月末まで)

1冊¥1,680(¥1600+税)
※平成26年4月1日より消費税8%のため¥1,728になります。
(売り上げの一部を東日本大震災の行方不明者捜索活動などに寄付させていただきます)

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竹澤守雅さん ブログ「雅人のとうちゃん」 http://takesaotakeyan.blog51.fc2.com/
     ツイッター「雅人のとうちゃん」 http://twitter.com/takesaotakeyan

将君のホームページ http://www.ne.jp/asahi/sho/yu/

《ふたごのイラストレーター「ラクガキ屋 ユウとヒサ」》
ひらたゆうこHP http://rakugakiya-yh.com/
ひらたひさこHP http://rakugakiya-hisa.com/


(取材日 平成25年12月21日・平成26年2月10日)

被災地の空にエールの連凧(気仙沼市、石巻市、七ヶ浜町、仙台市、亘理町)

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こんにちはエムです。

東日本大震災からもうすぐ3年。
しかしまだ3年しかたってないというのに、早くも “震災の風化” があちこちで懸念されています。

「震災を風化させない、忘れないためにはどうすればいいのか?」
この現状を憂い、そんな思いを持って活動を続けている、ある団体のイベントをご紹介します。
「笑み舞う」スマイルプロジェクト
「うんと泣いたらうんと笑おうよ、凧の数だけ笑顔がふえる」


これは「あの日を忘れない」「震災復興への思い」そんな気持ちを書いた書や画を「連凧」に託し、被災地の海岸5カ所の空に一斉に揚げようという、壮大なプロジェクトです!

このイベントを企画したのは「NPO法人 みんな一書」(以下:「みんな一書」)。
震災後、(自分たちのやっている)書を通して被災地を支援することはできないかと、書の仲間7人で立ち上げた団体です。

「連凧」は大凧(100cm×80cm)と小凧(A5サイズの紙)2つのサイズの凧で制作されています。
大凧は「みんな一書」の会員の他、全国各地の書家やアーティストから寄せられた56点の書・画の作品で作られ、小凧は全国の子どもたちから寄せられた、3000点のメッセージ作品です。

全国から寄せられたメッセージが書かれた大凧と小凧

凧揚げは古くから日本人に親しまれてきた娯楽ですが、「さまざまな災難や被害を免れる」という言い伝えもあります。
また、このプロジェクトを通してメッセージを発信することで、被災地には希望を、被災地以外の地域には、被災地への関心を向けてもらえるように、という願いが込められています。
温かな多くの人の心が集まり、たくさんのメッセージを乗せた「連凧」は、見る人にきっと笑顔をくれることでしょう。

当日は各会場で凧作りや書のパフォーマンスなど、各種イベントも開催されます。
(仙台、七ヶ浜では「連凧」を揚げるのみ)
参加を希望、または「連凧」を見たい方は直接会場まで足をお運びください。

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プログラム
【開催日時】平成26年3月9日(日)
      凧揚げ時間/12:00〜13:30
     (天候状況により時間が変更になる可能性があります。お早めにお集りください)

【凧揚げ会場】気仙沼(本吉モーランド)、石巻(中瀬:石ノ森漫画館となり)、
       七ヶ浜(表浜)、仙台(井土浦:名取川河口左岸藤塚地区)、
       亘理(わたり温泉鳥の海敷地内)
※ 気仙沼、石巻、亘理の会場では各種催事が開催されます。
  詳細は「笑み舞う」ホームページをご覧ください
 http://smile.dot.jp/ 

 (天候その他の事情によりプログラム変更、延期、中止になる場合があります)

【中継会場】地下鉄「泉中央駅」駅ビル SWING 2F 特設会場(地下鉄改札口の上階)
 11:00〜14:00 凧作りワークショップ
 14:00〜15:00 第1部 「校外授業」
         「人間とのかかわりを考える 〜海岸線のこれから〜」
          パネルトーク、詩の朗読等
 15:00〜16:00 第2部 「動画上映・パフォーマンス」
          凧揚げ動画上映、書のパフォーマンス、ミニコンサート等
 16:00〜16:10 フィナーレ

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子どもたちから寄せられた たくさんのメッセージ
「笑み舞う」smile project
ホームページ http://smile.dot.jp/

「笑み舞う」フェイスブック
https://www.facebook.com/smile.dot.jp

NPO法人「みんな一書」
http://minna-issho.shojin.net/

書ギャラリー 親かめ子かめ
http://www.oyakamekokame.com/


☆「笑み舞う」smile project では凧の制作費、イベント会場の設営費等にかかる経費が
 不足しています。皆さまからの暖かいご協力を随時募集しております。
 寄付金は1000円からでも構いません。
 企業・団体・個人のご支援、どうぞよろしくお願いいたします。

中継会場となる
「泉中央駅」駅ビル SWING 2F

〈寄付金の振込先〉
郵便振替口座
02240−1−136391

他行からの振込の場合
店名:二二九店
預金種目:当座口座
口座番号:0136391





☆ NPO法人「みんな一書」・「書ギャラリー 親かめ子かめ」の活動については回を改めてご紹介します。
また、「連凧」の凧揚げの様子も取材する予定です。どうぞお楽しみに!

(取材日 平成26年2月22日)

被災地の勇気と希望!東陵高校甲子園出場決定!(気仙沼市)

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平成26年3月21日から阪神甲子園球場で開かれる第86回選抜高校野球大会に、気仙沼市から学校法人畠山学園東陵高等学校の出場が決まりました。
東陵高校の甲子園出場は昭和63年以来、26年ぶり2回目です。



平成26年1月24日に毎日新聞社大阪本社で開かれた選考委員会では、選抜大会の2つの東北出場枠に、昨秋の東北大会で優勝した八戸学院光星と準優勝の東陵高校が選ばれました。
東陵高校は決勝戦で大敗をしたことから、選考委員会からの電話が入るまで出場できるかどうかわかりませんでした。
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東陵高校の校舎のある鹿折(ししおり)地区は津波と津波火災で大きな被害を受け、今も沿岸地域に住んでいた住民の多くが仮設住宅などでの生活を続けています。




高台にある東陵高校の校舎は
一時被災者の避難所になりました。

高台にあり校舎に大きな被害のなかった東陵高校は、震災当時、被災した人や地域の住民などが避難し、一時避難所として使われました。




地元に勇気を与えたいと話す伊藤匠哉選手

鹿折中学校出身の伊藤匠哉選手(2年)は鹿折の海岸近くにあった自宅が津波で全壊し、家族6人でみなし仮設住宅で暮らしています。
伊藤選手は、被災した「故郷・気仙沼」の人たちへの思いを
「生まれ育った場所の高校で甲子園に出場できることになりました。地元出身の自分が頑張って甲子園も地元も盛り上げたいです」
と話します。




選手たちを送迎するスクールバス


選手たちが練習をする「東陵高校野球場」は校舎がある鹿折地区から約10km離れた松岩地区の中山間地域にあります。


気仙沼市西部の中山間地域にある東陵高校野球場は
積雪が20cmほど残っていました
(平成26年2月20日撮影)

取材に訪れた日も、2週続けて降った大雪の残雪がグラウンドを覆っていました。


グラウンドは一面雪に覆われていました。
(平成26年2月19日撮影)

選手たちは5班に分かれ、交代でスコップを使いグラウンドの除雪作業、ランニング、室内練習場でバッティング練習をしていました。



マウンド付近の除雪作業
グラウンドからベンチそばまでは一輪車で雪運びをします
雪上でランニングする山﨑誠悟主将
除雪作業をしていた伊藤匠哉選手(気仙沼市出身)にバットを振ってもらいました。



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グラウンドで除雪作業をしていた登米市出身の伊藤拓人選手(2年)は、除雪作業について、「今しかできないことなので楽しんでいます」と作業に汗を流していました。
伊藤選手は甲子園出場について、「甲子園に出場できるのは嬉しいです。自分たちががんばることで被災地の皆さんに勇気を与えたいです」と力強く話します。

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千葉亮輔監督は気仙沼出身。東陵高校卒業後、仙台の大学に進学し、現在東陵高校で保健体育の教諭をしています。


昭和63年の70回大会に初出場した時の記念プレート


平成23年4月から母校、東陵高校で野球部の監督を務めています。千葉監督は、昭和63年に東陵高校が甲子園に初出場した時の選手です。
監督就任後、野球がしたくて入部してきた生徒全員に同じ練習と経験をさせるようにしています。
夏季は選手中心になりますが、冬季には全員に同じ練習と経験をさせるようにするため、マネージャーは置いていません。
千葉監督は入部して退部するまでの2年半、挫折して辞める生徒がいないよう指導をしています。


東陵高校野球部屋内練習場

「高校で野球を『辞める』という挫折を経験すると、その人の人生に挫折は一生つきまといます。辛くてもわずか2年半。」


東陵高校野球場のバックネット裏には
歴代の野球部員の名札がかけられています
「辛いと嘆いても仕方ありません。なんとか自力でがんばることで野球だけではなく勉強にもいい影響があります」と千葉監督は話します。

東陵高校野球部の千葉亮輔監督は甲子園出場について、「高校3年間で甲子園に出場できるチャンスは生涯に最大で5回しかありません。震災前から生徒たちは甲子園に出場するために練習に励んでいます。選抜大会に出場できることはとてもうれしいです。選んでいただいたことに感謝しています」


東陵高校野球部を率いて全国制覇を目指す
千葉亮輔監督


「私たちは復興に直接関わることはなかなかできませんが、甲子園で活躍することで気仙沼の人たちだけでなく被災地の人たちに喜んでいただきたいです」
と甲子園での活躍を誓っています。




野球ができる環境に感謝していると話す主将の山﨑誠悟選手。
チーム一番の努力家です

仙台市出身で主将を務める山﨑誠悟選手(2年)は甲子園出場を支えてくれた家族や応援してくれる人たちに
「甲子園出場はうれしいです。地元仙台を離れて学生寮での生活をしている自分を、家族や友たちが電話やメールで励ましてくれます。家族には金銭面でも支えてもらい野球ができる環境を与えてもらっていることに感謝しています」
と周りの多くの人に感謝の言葉と甲子園での活躍を話します。



地元期待の5割バッター
梅木雅也選手

気仙沼市松岩中学校出身の梅木雅也選手(1年)は、打率5割を誇る地元期待の強打者です。
梅木選手は中学1年の時に震災に遭いました。大きな被害を受けた気仙沼の状況に
「一度は野球を辞めようと思いました。多くの人の支えで今も好きな野球ができることに感謝しています。甲子園では活躍できるようにします。多くの皆さんに応援してほしいです」
と話します。

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東陵高校野球部の部員65人のうちベンチに入れるのは18人。
ベンチに入れない部員たちも、選手たちと一緒に戦いを進めます。


東陵高校野球場には全国制覇という大きな目標が掲げられています
(平成26年2月20日撮影)
選抜大会の組み合わせ抽選会は平成26年3月14日に行われます。

甲子園のベンチに入れるのは選手18人、記録係1人の19人
しかし東陵高校野球部員65人は一丸となって戦いに挑みます

東陵高校の地元、気仙沼でも東陵高校の甲子園出場を盛り上げようと地元の経済団体などが中心となり、遠征費や滞在費などを応援しようと「激励する会」を発足させています。


東日本大震災の苦しみを乗り越えてきた選手たちの甲子園出場は、復興に向かう被災地の「勇気」と「希望」になっています。
気仙沼市では東陵高校の甲子園での活躍を後押しする「激励する会」も立ち上がり、地元一丸で東陵高校の甲子園出場を盛り上げようという動きが拡大しています。

滞在や遠征など選手たちの活躍のための支援も呼びかけられています。選手たちのためのご支援をお願いします。

(東陵高校甲子園出場を「激励する会」からのお知らせリンク先)
http://toryo.h-gakuen.ed.jp/jouf6js3w-15/#_15


(取材日 平成26年2月19日)

週刊ココロプレス 第73号

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ココロデスクです。

気になる調査結果が発表されました。
「東日本大震災後の被災地の心臓病患者において、精神的ストレスが今なお増加している」
のだそうです。

発表したのは東北大学大学院医学系研究科循環器内科学分野の下川宏明教授らの研究グループです。
研究グループは東日本大震災の発災直後から長期にわたって、震災が心臓病患者に与えた精神面での影響を研究してきました。

それによれば、2011年に有効回答を得た1180人の患者さんのうち14.1%が「PTSRまたはPTSD(心的外傷後ストレス障害)」(※注)と判定されました。
この値は、おおむね過去の大災害と比べても同等かやや高い程度のものだそうです。

ところが、翌2012年の調査結果ではこの値が18.9%と増加していました。


「心の傷は、いつか時が癒してくれるもの」
私自身、こんなふうに思い込んでいましたが、どうやらそれは楽観的過ぎる誤解だったようです。

調査は、PTSDが収まるどころかこのように増加している理由として、2012年になると失業・転職、経済的困窮などの社会的要因が新たに関与し始めたことを指摘しています。

 「震災後の精神的ストレスは長期にわたり持続してきた」
 「その精神的ストレスの頻度は時がたつにつれてむしろ増加してきた」
 「時がたつにつれて、精神的ストレスの要因が、病気そのものの要因から社会的要因へと変化してきた」

これらの事実は、長期にわたる研究によって初めて明らかになりました。

震災復興のためには、どんな分野でも地道で息の長い取り組みが大切であることを、あらためて痛感しました。

(※注)
PTSD:心的外傷後ストレス障害
PTSR:心的外傷後ストレス反応

詳しくはこちらの報道発表をご覧ください。

東日本大震災後の被災地の心臓病患者における精神的ストレスの増加
http://www.hosp.tohoku.ac.jp/wp-content/uploads/2014/02/20140224.pdf


また、同じく東北大学の別の研究は、東日本大震災で被災した宮城県の住民の27%、およそ4人に1人に、うつの傾向があると報告しています。

地域住民コホート調査初年度の第一次集計状況【プレスリリース】
http://www.megabank.tohoku.ac.jp/news/detail.php?id=767&c1=2


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宮城県が全国からいただいているご支援に対して感謝を発信するために、宮城県では「宮城から感謝をこめて」というホームページを設置しています。
現在、次の8本の記事が掲載されており、これからも順次増やしていきます。


石巻市 石巻魚市場

山元町 新山下駅周辺地区
石巻市 雄勝町
南三陸町 長須賀海水浴場
南三陸町 郷土芸能発表会
亘理町 いちご団地
気仙沼市 復興屋台村気仙沼横丁
名取市 ゆりあげ港朝市

宮城から感謝をこめて
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/

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  ■最近のダイジェスト (2月24日~3月1日)
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2014年2月24日月曜日
「語り続けます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 後編(仙台市)
「利用者の感想や、ドライバーからの報告を聞くと、まだまだ役目が終わっていないと率直に思います」と仙台中央タクシーの清川晋取締役。語り部タクシーの後編では、今なお津波の爪あとを大きく残す名取市閖上地区を回りました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_1556.html

2014年2月25日火曜日
「月刊杜の伝言板ゆるる」200号突破(仙台市宮城野区)
宮城県内のボランティアやNPOの情報を提供してきたフリーペーパー「月刊杜の伝言板ゆるる」が創刊200号を迎え、記念イベントが催されました。「復興は地域力。それをいかに支えるかがカギ」。発行を続けてきた代表の大久保朝江さんの言葉です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/200.html

2014年2月26日水曜日
350回目を迎えた復興コンサート 音楽の力による復興センター・東北 (仙台市)
2月7日、被災者の心に寄り添い地域再生の希望の灯をともす無料演奏会「復興コンサートいずみ2014」が開催されました。演奏は仙台フィル、仙台白百合女子大学聖歌隊、そして保育園児たち。最後は来場者も合唱に参加して、一体感に包まれながらフィナーレを迎えました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/350.html

2014年2月27日木曜日
絵本が語る優しいメッセージ 前編(名取市閖上、兵庫県神戸市)
1月5日付でご紹介した絵本「優しいあかりにつつまれて」。発行からもうすぐ2カ月がたちます。作者は竹澤さおりさんとたかいちづさん。お二人の気持ちをもう少し深く知りたくて、再びお話をお伺いしました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_1205.html

2014年2月28日金曜日
被災地の空にエールの連凧(気仙沼市、石巻市、七ヶ浜町、仙台市、亘理町)
「笑み舞う」スマイルプロジェクト。
「あの日を忘れない」「震災復興への思い」そんな気持ちを書いた書や画を「連凧」に託し、被災地の海岸5カ所の空に一斉に揚げようという、壮大なプロジェクトです! ~うんと泣いたらうんと笑おうよ、凧の数だけ笑顔がふえる~主催者は呼び掛けています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_28.html

2014年3月1日土曜日
被災地の勇気と希望!東陵高校甲子園出場決定!(気仙沼市)
センバツに出場が決まった気仙沼市の東陵高等学校。「甲子園で活躍することで被災地の人たちに喜んでいただきたいです」と活躍を誓います。地元でも「激励する会」が発足、一丸となって盛り上がっています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/03/blog-post_3048.html

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■編集後記

2週連続の大雪の後は暖かい日が続き、風は春の湿った土の匂いを運んできます。
2月1日にお見せした水仙も雪を融かして出てきましたが、せっかく伸びた葉はこの通り。


立ち直ってくれるでしょうか?

(ココロデスク)

仮設団地に焼きそばのマイスター誕生(石巻市万石浦)

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こんにちは、Chocoです。

地域には色んな食文化があります。
和食の定番料理でも北と南、東と西では、使う具材、調味料、分量も異なります。
東日本、特に東北は、濃い味を好み、西日本では、薄味が好まれます。
岩手が故郷の私ですが、同じ東北でも地域によってさまざまな料理があります。
ここ、石巻にも私の知らない郷土料理がありました。
その中の1つが、石巻のB級グルメでおなじみの「石巻焼きそば」
右が通常の焼きそばの麺
左が石巻焼きそばの麺
石巻焼きそばの大きな特徴は、二度蒸しして茶色くなった生麺を使っているということと、焼き上げ時に、ソースではなくだし汁を加えて蒸し焼きにすることです。

石巻のローカルアイドル「巻きっ娘V」も「YA・KI・SO・BA」を歌って、石巻焼きそばをPRしています。
昨年開催された「いしのまき大漁まつり」
にて、パフォーマンスする巻きっ娘
茶色の麺の製法は、今から60年以上前から石巻市内に定着したと言われています。
2007年には、有志により石巻焼きそばを名物化するための活動が行われました。
その翌年には、「石巻茶色い焼きそばアカデミー」が設立されました。

石巻に来たら、誰もが目にする「石巻焼きそば」。
今回は、昨年から石巻市内の仮設住宅にある集会場で開催されている「焼きそば教室」についてお話したいと思います。

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昨年の夏に垂水町町内会で2度開催された「焼きそばマイスター養成講座」と「焼きそば教室」が場所を移動して、再び行われました。

新たに開催された場所は万石浦ささえあい拠点センターです。
今回は、石巻市芸術文化振興財団の呼び掛けにより、仮設渡波第二団地自治会、万石浦団地自治会が合同で行った企画です。
当日は、近隣町内会長なども参加して、総勢70名という規模になりました。







石巻焼きそばの歴史等を学んだ後、受講生は、独自のだし汁の香りと、ジュージューという食欲を誘う音と匂いとともに、家庭における美味しい焼き方を学びました。

そこに、私も参加したんですが、
実は、焼きそばの焼き方を教えてくださったのは、昨年の夏に垂水町町内会が開催した講座で焼きそばのマイスターになった方なんです。



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・美味しい焼き方を日々研鑽(けんさん)すること

・美味しい焼き方を広めること

焼きそばマイスターの心得です。

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私も昨年、石巻マイスターとして認定されました!!
普段、適当に作っている焼きそばも、焼きそばマイスターの人たちから教わって作るので、今までよりも丁寧に調理が進められます。そのちょっとした緊張感がとても面白かったです。
他の人が作っているのを見守っていると、
「これひっくり返していんだべが?」
「なんだー、難しいな・・・。やっぱり俺は食べる方がいいな(笑)」
「そんなー、自分が作れば、いつものより美味しく感じるんじゃない?」

と、あちらこちらで笑いが飛び交いました。

完成した焼きそばは、集った人たちと会話を楽しみながら食べました。
「いや〜おいしいね」
「これ、紅ショウガも食べて」
「お茶飲む?」
座ると、お母さんたちが気を配る姿、
お父さんたちがお茶をくむ姿、

笑い声、会話が絶えず、
いつの間にか「焼きそば教室」から「団らん」に変っていました。
皆さんがゆっくりとした時間を過ごしていました。

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地元の人が地元の人たちのために開く「焼きそば教室」
昨年の12月にも第4回目が開催され、総勢で200人が参加したそうです。

来月30日に第5回目が万石浦ささえあい拠点センターで行なわれます。
開催するごとに石巻焼きそばのマイスターが増え、そして最初は教えられる立場だった人たちも次回からは教える立場になり、新しく参加した人たちに石巻焼きそばの作り方を披露します。


この「焼きそば教室」は、垂水町町内会長の斎藤征雄さんたちの「仮設住宅入居者らの孤立を防ぐ」という想いで始まりました。

仮設住宅の自治会長とこのイベントを共催している公益財団法人 石巻芸術文化振興財団の勝又正司事務局長は、
「住民同士の交流が深まるとともに、マイスターとなった仮設入居者の方々が次回は教える立場として外部に出ることによって自立促進が図られ、同時に地域の誇る食文化の継承やまちおこしにも貢献するという一石四鳥の事業となっています。
財団としても、復興促進のためこのような事業が広がることを期待しています」
という想いで「焼きそば教室」を盛り上げています。

受講生も地元の人だけではなく、私のように他県からボランティアで来ている人たちも参加していました。
これがきっかけで、石巻焼きそばのファンが全国に広がるきっかけにもなりそうです。

地元の人が地元の人を想う温かな気持ちを感じる企画でした。
食文化でどんどん広がる人と人の輪。

3月30日、万石浦ささえあい拠点センターで行われます。
「焼きそば教室」まだまだ続きます!!

(取材日 平成26年2月21日)

世の中は「おたがいさま」~派遣職員大活躍その2 (石巻市)

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石野葉穂香です。

昨年末の記事で、南三陸町に応援職員として派遣されてきた、愛知県の篠原英明さんの、被災地でのボランティア活動など、業務以外でご活躍されている様子を紹介させていただきました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_331.html

休日になると、町内外のさまざまなボランティア活動に参加されて、汗を流して仲間を増やし、多くの方々と交流されて、地元の方からも「こっちに永住して!」とまで言われている方です。

その篠原さんが「僕よりもすごい人がいますよ」とご紹介くださったのが、今回、紹介させていただく小野亮(あきら)さんです。

小野さんもまた、やはり休日にはじっとしていられない方です。

派遣先である石巻市とその周辺地域をはじめ、南三陸、気仙沼大島、福島県の南相馬市、富岡町など、遠くまで何度も足を運び、ガレキを運んだり、被災地の方々のお仕事を手伝ったりしながら、多くの方々と「縁」を結ばれました。
そして、つながりの輪を、大きく大きく広げていったのでした。


牡鹿半島「荻浜秋祭り」。14世帯(30人)の方が仮設住宅で暮らしている地区です。
お祭りでは、若い担ぎ手がいない、ということで参加(右から3人目が小野さん)。
「御輿を舟に乗せ、お祓いし、豊漁と海の安全を祈願します。とても新鮮な体験でした」(小野さん)

小野さんは、岡山県倉敷市のご出身。岡山県庁の耕地課に勤務されていました。
農業土木を本職とされる方で、例えば田んぼの形状を整える、農道を通す、ため池を作る、用排水路やパイプラインや暗渠(あんきょ:地中に埋めた水路)を整備・・・。
「いわば農地に関する土木全般にわたる業務ですね」(小野さん)

宮城県では、石巻市にある東部振興事務所の農業農地整備部にお勤め中。市域北東部の長面や針岡、大川地区の農地復旧事業に携わっています。

「派遣職員は、皆、復旧のために来ています。同じフロアに14人の派遣職員がいます」
いわば、日本各地から農地復旧のためのプロフェッショナルたちが来てくださっているのです。


石巻市網地島での側溝の泥だし作業。
側溝の泥の中に根を張ってしまった草を引っ張っているところ。奥が小野さんです

震災の翌年(2012年)、小野さんは、ネットを通じて大阪のボランティアグループ「Bit helps」のメンバーと知り合います。
ボランティアをしたい。そう考えて、ネットで情報を探していたそうです。
そして「いちばん大変なところに行くのがボランティア」という理念に共感し、まずは福島県南相馬市の小高区へ何度か通うことになりました。

さらには
「自分にできることがあるなら、もっとやりたい、役に立ちたいって考えて、2012年の12月、岡山県庁の耕地課で宮城県への派遣職員募集があったとき、応募しました。動機を書く欄には『自分にできることを、もっとしたい』と書きました」

そうして2013年4月、前任の方と交代する形で石巻へやって来られたのです。
高校生のお嬢さんと、ちょうど受験年になる息子さんがいましたが、小野さんは単身赴任。

「受験を控えた中三の息子は妻に任せてしまいました。でも妻は『現地の人たちはずーっとたいへんだけど、うちらは1年間だけのガマンなんだから行きゃあええがー』って言ってくれました」

奥様、すてきな方を宮城に送り出してくださり、ありがとうございました。


女川町の夏浜。砂浜清掃作業です。ここは〝鳴き砂の浜〟としても有名。
「歩くとほんとうに〝きゅっ、きゅっ〟って鳴くんですね。音を楽しみながら作業しました」(小野さん)
でも、南相馬のボランティアをのぞいて、東北地方に来ることは、実はほとんど初めてだったそうです。
「石巻の第一印象ですか? 海風が強い土地だなぁって。それに寒かった」

まずは三陸海岸沿岸部をぐるっとひと巡り。宮城や岩手の傷跡を見て、元の暮らしの風景に思いをはせたそうです。
「ほんとうに大きく変わってしまったんだなって・・・。でも、来た以上は、派遣の希望がかなった以上は、もう自分にできることに力を尽くそう、そう思いました」

着任早々、小野さんは早速、南相馬へボランティアに出掛けたそうです。そしてネットでボランティア情報を探し出し、毎週土日はほとんどどこかでボランティア活動という日々が始まりました。
「いろんなところへ行きたいと思ってました。被災地の状況もいろいろです。助けてほしいと言われたなら、もうどこへでも行こうと」

動き始めることで、人は人と出会い、ぶつかり合って熱を帯び、その熱がまた次の行動の力になります。

南三陸町では篠原さんと出会い、多くのNPO団体やボランティア団体のメンバーと知り合い、友達が増え、自身のフェイスブックなどで情報を発信するなどしながら、繋がりの輪はさらにさらに広がっていき・・・。


金華山の境内での修復作業。宗教法人は行政が立ち入り難いため、
多くのボランティアの方が手伝ってくださいました

「いろいろな人たちと知り合い、考えをぶつけ合うのはすごく勉強にもなります。机上で仕事をするだけじゃなく、仕事以外の部分でも、被災地の人たちと話したりする中から、〝土地が傷ついただけじゃない震災の実態〟を知ることもできます。相手の事情や気持ちを知ることは、自分の仕事にとっても、そして自分の世界観にとっても、それは大きなプラスなんです」

南三陸町の長須賀海水浴場復活大作戦にも参加。牡鹿半島では追悼イベントの準備のお手伝い、名取市の農家ではほうれん草の収穫、東松島では復興マラソンのランナーとして走ったり、浜の清掃活動、七ヶ宿町での除雪、仮設住宅の雪かき・・・。
「手を貸してほしい」という人のそばに、小野さんがいます・・・という感じ。

昨秋からは気仙沼大島へ通うことが多くなったそうです。



昨夏行われて「未来(あした)への道 1000㎞縦断リレー」。
復興に向けたメッセージを発信しながら青森から東京まで海沿いの町々を結びました。
小野さん(左端)は石巻からの5㎞の区間と、この日最後の区間(松島)に二度参加しました

「島の人情っていうか・・・。いいんですよねー。ほっこりしてしまいます(笑)」
 漁網の補修、養殖設備や道具類にくっついた付着物の除去などを手伝い、夜はお酒を酌み交わしながら、たくさん語り合う。
 きっと、人が大好きな人なんだなぁって、小野さんのお話を伺っていて感じました。

「おもしろい、っていうと語弊があるかもしれません。でも、農業でも漁業でも、いろいろな仕事、いろいろな作業と出会える。いわばいろんな職業体験ですよね。
 普段なら、きっとすることなんてないだろうな、ということができて、それが誰かの役にも立っている。やりがいもあるし、やっぱり〝おもしろいこと〟なんです」



荻浜の「竹灯籠祭り」の準備作業。
ドリルで竹に穴を開け、中に点した灯火がぽっとこぼれでるように工夫します。
「5、6本は穴を開けたのですが厚みもあり、開けるのに力が必要で、腕がぱんぱん」

ところで、東北の冬の海辺での作業、瀬戸内の方にはだいぶ寒いんじゃ?
「いやぁ気仙沼大島は暖かいですね。それに、もう寒さに驚くことはなくなりました(笑)」

ボランティアを通じて、世界を広げることができた、と小野さん。
「岡山で平凡に生活していたときと違って、考え方やものの見方が変わりましたね。得るものが増えたというか。自分の中にもそういう感謝があります。だから、世の中はやっぱり『おたがいさま』なんですよね」


小野さんが派遣されている「宮城県東部地方振興事務所 農業農村整備部 農地整備第一班」の皆さん。
多くの派遣職員の方がいらっしゃいます。
後列左から大国義幸さん(技術主査/島根県)、桑木巧さん(技師/島根県)、
ボードを持つ小野さん(技術主幹)、真鍋健治郎さん(技師/岡山県)、
前列左は鈴木正見班長(技術次長)、そして難波敏雄さん(技術主幹/岡山県)。
ボードには、小野さんが担当されている「大川地区」の復興への願いを書いてくださいました

今春3月いっぱいで、小野さんも、篠原さんも、それぞれ「地元」へ帰ってしまいます。
「そろそろ県内各地に〝お礼参り〟に行かないと・・・って思ってます(笑)。でも、岡山へ帰っても、宮城のことはやっぱり気になるでしょうね。
 連休などにはまた来たいです。そして、何か、お手伝いしたい」

石巻での小野さんの上司である鈴木正見班長(技術次長)は
「仕事も積極的だし、土日はボランティアで大活躍。選ばれて来てくれているだけあって、さすがスゴイ人だなって思います。来年もいてほしいかって? もちろん(笑)」

東北の海辺・山辺を駆け回った小野さん。ほんとうに大活躍。大きな力をいただきました。
でも、小野さんは「〝おたがいさま〟です」と、あっさり。

そんな「そばにいてくれた」っていう感じが、とてもさわやかな方です。

(取材日 平成24年2月18日)
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