皆さん、こんにちは。スーサンです。
多賀城市で、まちの景観形成への市民の関心を高めてもらおうと、多賀城市文化センターを会場に「みやぎ景観フォーラム~史都多賀城の復興に向けて~」が開かれました。宮城県と多賀城市の共催です。
史跡を数多く抱え、史都と呼ばれる多賀城市は平成23年12月、「歴史まちづくり法」に基づく「歴史的風致維持向上計画」の認定を受けました。これによって、建造物の修復や町並みの整備などに対し、国からの重点的な支援が期待されています。長年の懸案だった国の特別史跡、多賀城跡の南門の復元にも、大きな弾みがつきました。
「歴史的風致」とは、歴史的価値の高い建造物や周辺の町並みに、地域固有の歴史や伝統を反映した人々の活動を合わせた、「良好な市街地の環境」を意味します。
多賀城市では、歴史的風致として、▽神亀元年(724年)に創建された多賀城跡を含む「古代多賀城」▽祭りや信仰とともに木造の板倉など歴史的建造物が残る「農村集落」▽陸奥総社宮の信仰と祭礼が受け継がれている「塩竈街道」▽今日まで物資輸送に利用され船が往来する「貞山運河」――の4つを挙げています。
この計画は、市の震災復興計画(平成23年12月)と連動して策定されたといいます。
フォーラムではパネルディスカッションが行われ、熱心な議論が交わされました。テーマは「歴史・景観・文化を生かしたまちづくり」です。震災復興計画の柱の1つになっているもので、「多賀城らしさである歴史、景観、文化を生かすという意識を高めることを目指す」としています。
パネラーは、菊地健次郎・多賀城市長、高倉敏明・元多賀城市文化財課長、菅野俊之・菅野造園専務の3人が顔をそろえ、コーディネーターは石川幹子・東京大学大学院教授が務めました。
論点の1つは、多賀城らしい景観とは何か、ということでした。
菊地氏は「復興計画は生活再建と産業復活が優先される」とした上で、多賀城跡の整備に言及し、「市のシンボルになりえる南門の復元、政庁跡を生かすフラワーパーク構想の存在を知ってほしい」と述べました。
高倉氏は、市の歴史的風致について、あらためてその意義を説明しました。多賀城跡では地元住民による継承活動が行われてきたこと、農村集落に関しては、震災後の初の実態調査で189棟の板倉が見つかったことなどを報告。「4つの歴史的風致の整備、復元に向けて、しっかりと事業を展開していきたい」と話しました。
菅野氏は、震災後に樹木の伐採などが進み、古くからの景観が減少していることに懸念を表明。多賀城を「都市機能の利便性と歴史的ロマンがあり、緑と水が結び付けている」とし、復興で景観にこだわるためには、「自分たちのまちとして誇りを持ち、まちの価値を高める必要がある」と語りました。
次に、景観の形成でどのような取り組みができるのか、といった点で論議されました。
「まず市民1人1人が、住むまちはこうあってほしいという考え方を持ってもらうことも大切」とする菊地氏。ヨーロッパのまちづくりに触発された経緯を明かし、「100年、200年単位でまちづくりの骨組みを考えたい」と付け加えました。
高倉氏は、史跡の未整備地域で植栽、探訪のツアーなどを積極的に行う地元の市民団体を紹介し、「行政と市民の協働をさらに進めていくことが大事」と強調しました。
景観の一部となる林など緑について、「価値が増すと予想されるもの、よく管理されているものに関して、行政に支援を望みたい」と発言したのが菅野氏でした。「緑が凝縮される地域が出てくると、点在する史跡群をつなぐ接着剤として活用できるのでは」と結びました。
石川氏からは、「樹木の震災で果たした役割が認識されるべき」「古い建造物の保存の在り方が注目される」といった指摘のほかに、「行政の明確な目線があると、市民の活動にも力が入る」といった助言がありました。
フォーラムの冒頭、石川氏による「文化的景観の再生と震災復興まちづくり」と題した基調講演が行われました。
この中で、石川氏は、「歴史まちづくり計画と震災復興計画を一緒にして、景観計画を考えていく必要がある」と述べました。また、ワークショップ、協議会など協働のためのプラットホームが求められること、貞山運河などの景観復活では広域連携が必要であることを示しました。具体的な課題としては、市内全域で緑化が脆弱(ぜいじゃく)なことなどを挙げました。
景観は一朝一夕には形成されませんが、日常の1人1人の視点が大切だと感じました。
(取材日 平成24年11月22日)
多賀城市で、まちの景観形成への市民の関心を高めてもらおうと、多賀城市文化センターを会場に「みやぎ景観フォーラム~史都多賀城の復興に向けて~」が開かれました。宮城県と多賀城市の共催です。
多賀城市文化センターで開催のフォーラム |
史跡を数多く抱え、史都と呼ばれる多賀城市は平成23年12月、「歴史まちづくり法」に基づく「歴史的風致維持向上計画」の認定を受けました。これによって、建造物の修復や町並みの整備などに対し、国からの重点的な支援が期待されています。長年の懸案だった国の特別史跡、多賀城跡の南門の復元にも、大きな弾みがつきました。
「歴史的風致」とは、歴史的価値の高い建造物や周辺の町並みに、地域固有の歴史や伝統を反映した人々の活動を合わせた、「良好な市街地の環境」を意味します。
多賀城市では、歴史的風致として、▽神亀元年(724年)に創建された多賀城跡を含む「古代多賀城」▽祭りや信仰とともに木造の板倉など歴史的建造物が残る「農村集落」▽陸奥総社宮の信仰と祭礼が受け継がれている「塩竈街道」▽今日まで物資輸送に利用され船が往来する「貞山運河」――の4つを挙げています。
この計画は、市の震災復興計画(平成23年12月)と連動して策定されたといいます。
フォーラムではパネルディスカッションが行われ、熱心な議論が交わされました。テーマは「歴史・景観・文化を生かしたまちづくり」です。震災復興計画の柱の1つになっているもので、「多賀城らしさである歴史、景観、文化を生かすという意識を高めることを目指す」としています。
パネラーは左から、菊地市長、高倉元文化財課長、菅野専務 |
パネラーは、菊地健次郎・多賀城市長、高倉敏明・元多賀城市文化財課長、菅野俊之・菅野造園専務の3人が顔をそろえ、コーディネーターは石川幹子・東京大学大学院教授が務めました。
論点の1つは、多賀城らしい景観とは何か、ということでした。
菊地氏は「復興計画は生活再建と産業復活が優先される」とした上で、多賀城跡の整備に言及し、「市のシンボルになりえる南門の復元、政庁跡を生かすフラワーパーク構想の存在を知ってほしい」と述べました。
高倉氏は、市の歴史的風致について、あらためてその意義を説明しました。多賀城跡では地元住民による継承活動が行われてきたこと、農村集落に関しては、震災後の初の実態調査で189棟の板倉が見つかったことなどを報告。「4つの歴史的風致の整備、復元に向けて、しっかりと事業を展開していきたい」と話しました。
菅野氏は、震災後に樹木の伐採などが進み、古くからの景観が減少していることに懸念を表明。多賀城を「都市機能の利便性と歴史的ロマンがあり、緑と水が結び付けている」とし、復興で景観にこだわるためには、「自分たちのまちとして誇りを持ち、まちの価値を高める必要がある」と語りました。
次に、景観の形成でどのような取り組みができるのか、といった点で論議されました。
東大大学院教授の石川氏がコーディネーターとなりました |
「まず市民1人1人が、住むまちはこうあってほしいという考え方を持ってもらうことも大切」とする菊地氏。ヨーロッパのまちづくりに触発された経緯を明かし、「100年、200年単位でまちづくりの骨組みを考えたい」と付け加えました。
高倉氏は、史跡の未整備地域で植栽、探訪のツアーなどを積極的に行う地元の市民団体を紹介し、「行政と市民の協働をさらに進めていくことが大事」と強調しました。
景観の一部となる林など緑について、「価値が増すと予想されるもの、よく管理されているものに関して、行政に支援を望みたい」と発言したのが菅野氏でした。「緑が凝縮される地域が出てくると、点在する史跡群をつなぐ接着剤として活用できるのでは」と結びました。
石川氏からは、「樹木の震災で果たした役割が認識されるべき」「古い建造物の保存の在り方が注目される」といった指摘のほかに、「行政の明確な目線があると、市民の活動にも力が入る」といった助言がありました。
フォーラムの冒頭、石川氏による「文化的景観の再生と震災復興まちづくり」と題した基調講演が行われました。
この中で、石川氏は、「歴史まちづくり計画と震災復興計画を一緒にして、景観計画を考えていく必要がある」と述べました。また、ワークショップ、協議会など協働のためのプラットホームが求められること、貞山運河などの景観復活では広域連携が必要であることを示しました。具体的な課題としては、市内全域で緑化が脆弱(ぜいじゃく)なことなどを挙げました。
景観は一朝一夕には形成されませんが、日常の1人1人の視点が大切だと感じました。
(取材日 平成24年11月22日)