Quantcast
Channel: 宮城県復興応援ブログ ココロプレス
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1285

M7.3 避難勧告の夜(石巻市)

$
0
0
こんにちは、Chocoです。
昨晩の地震について、私の周囲の報告です。

昨日の午後5時18分ごろ、三陸沖で震度5弱の強い地震が起きました。
マグニチュードは7.3と推測されています。

石巻の家にいた私は、夕ご飯の支度をしていまいた。
いつものように、「5時の音楽」が外から聞こえてきました。
それから十数分後、強い揺れを感じました。
しばらくそのまま動かずにいましたが、揺れが続き、強さが増したので、家の中にいた人たちと外へ出ました。


「去年の揺れよりは強くはないけれど、強い・・・」と震災当時を思い出していた私を正気に戻したのが、「避難するよ!!」という仲間の声でした。

急いで車に乗り近くの山の方へ避難しました。
その時、隣に住んでいたおばあさんも一緒に連れて行きました。

住宅地を過ぎるとすぐ渋滞にはまり、1時間以上車は動くことができませんでした。

避難勧告のアナウンスが避難中に何度も流れました。
農免道路も渋滞に

私が一緒に避難したのは、私のボランティアの上司2人と隣に住んでいるおばあさん。
上司2人は、携帯やパソコンを使って、みんなの無事を確認、他県や国外にいる人々に報告をしていました。

おばあさんは、時々昨年の震災の話をしてくれました。
「震災直後は1個のおにぎりを3人で分けたんだ…」
「当時は、どんなものでも食べられることが何よりも幸せだった。どんなものでもおいしく感じられたんだ」
そう、話してくれました。
多くの地元の方々は、去年の震災が頭によみがえり、とても不安な時間を過ごしたことと思います。
私でさえも、「津波が再来したら・・・」と思い不安になりました。




地震から約2時間半が過ぎたころ、避難勧告が解除され、8時頃には帰宅することができました。

私にとって、初めて「津波」から逃げるという経験でした。
地震での被害以上に、津波の避難は困難だということをあらためて感じました。

いくら高さ10メートルの堤防を作っても、街は平たいまま、道路は細いままだったたら、逃げ場がありません。
実際、私たちが逃げた所は農道の片道1車線、一方通行です。
そして、渋滞にはまりました。

私の住んでいる渡波(わたのは)地区には高い場所と言えば、遠くにある山くらいです。昨年の東日本大震災では、この地区だけで、200人以上の方が津波の被害に遭い亡くなりました。

女川街道(国道398号)を挟んで海側にも、山側にも高い建物はあまりありません。
避難所の設置が何よりも大切なのかもしれません。

今回を振り返ると、避難勧告が鳴る前に、行動する人が多かったです。
渋滞にはなったものの、住民の皆さんの意識はとても高かったと思います。

そして、隣人との助け合い、声を掛け合うことも日頃から大切なのだと思いました。
誰が住んでいるか、どんな状況か(1人暮らし、足が悪い・・・など)日ごろから分かっていれば、いざというとき助け合えるのではないでしょうか。

沿岸だから、被災地だからではなく、皆さんにも言えることなのかな・・・と、避難した翌日の今日、ふと思いました。

「日頃から・・・」が大切です。


(取材日 平成24年12月8日)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1285

Trending Articles