Quantcast
Channel: 宮城県復興応援ブログ ココロプレス
Viewing all 1285 articles
Browse latest View live

豊かな森と海を守る、浜の日本男児(南三陸町伊里前)

$
0
0
石野葉穂香です。

震災から〝4度目の夏〟を迎え、沿岸の農水産業もだいぶ元気を取り戻しつつあります。
今夏は、水産県・宮城の復活を目指す、若き漁師の方々を、何人か紹介させていただこうと思っています。

今回はその第1回目。

今年の春、震災後初めて牡蠣の出荷を行った、南三陸町伊里前の「マルタ拓洋水産」さんの千葉拓さんです。


伊里前は旧歌津町の中心街区でしたが、高さ約23mという巨大な津波に襲われ、街はほとんどの建物が流失してしまいました。
街の北、漁港を見下ろす高台に、地区の鎮守様である三嶋神社があります。
鳥居は流されてしまいましたが、本殿はどっしりと昔のまま。
森厳な空気を湛えて、今、街の復興を静かに見守っています。

大きな大きな三嶋神社のご神木。
神社は、延元2年(1337)、葛西氏の家臣・千葉刑部が勧請したと伝えられています

「マルタ拓洋水産」さんは、その三嶋神社の石段のたもとにあります。
以前は伊里前川の右岸に自宅や加工場がありましたが、被災したため、現在地を借りて営業中です。
そして、震災の翌年である2012年春に養殖を再開した牡蠣が、ぷっくりと大きく育ち、今年3月から出荷を始めたのでした。

出荷前、牡蠣殻についた付着物を取り除く「かき磨き」の作業。
この日は、「広島自治体学会」の皆さんが見学に来られて、
かき磨き作業をお手伝いされていました

「正面が唐島。その右側が洞の浜というところで、この付近の海底からは、キレイな〝海水〟が湧き出している。海の生物が喜ぶ〝甘い水〟です」
と、若き専務取締役である千葉拓さんが、眩しい初夏の海を指さしながら、伊里前の海の不思議を教えてくださいました。

「歌津の奥にある田束山や岸辺の森に降った雨が、大地のミネラルを吸収した地下海水を押し出して、おいしい水となって伊里前湾に湧き出す。牡蠣もアワビも味がよく、成長も早い。三陸有数の豊かな湾なんです」

湾の真ん中に浮かぶのが唐島。
右手の森が洞の浜

2011年3月11日、拓さんは体験したことのない「キーン」という耳鳴りに襲われました。「何だかイヤな予感がして――。2日前にも地震があった。午前中、牡蠣をむきながら、家族と〝今度、地震が来たらどうしよう〟なんていう話をしていたら、午後、ホントに地震が来た」

お父さんは船を沖に出し、拓さんと家族は伊里前小学校の校庭へ。でも、小学校の校庭にも2mほどの波が上がったため、さらに後背の歌津中学校へ。
家族は全員、無事でしたが、自宅と作業場は流失してしまいました。

6月、仮設住宅へ。そして半年後の10月、家業だったカキ漁家を、現在の株式会社にして、一口1万円の「結っこ基金」を募り、カキ養殖再開に向けてスタートしました。

「自分たちがつくった牡蠣を直接販売したい。顔が見えるっていうか、おいしいと言ってもらえるのはやりがいがあります」

休憩時間には、牡蠣鍋のほか、歌津の春の味覚であるシロウオなどを皆でいただきました。
養殖の再開は2012年4月から。そして2013年春には、たった一年で、「震災前よりもおいしい、大粒の牡蠣」に育ちました。
「でも、加工場がなくて・・・その年の出荷はできなかったんです。だけど、味はすごくよかった。これまで食べたどんな牡蠣よりもおいしかったです。出荷できないのは残念でした」

そうして迎えた3年目の〝3.11〟。
この日、「マルタ拓洋水産」の牡蠣が、いよいよ全国に向かって出荷されることとなったのです。

その名は「南三陸歌津伊里前 復興 結っこ牡蠣」。

温水による海藻除去をせず、また、カゴやネットも使わないでのびのび育った無成形の牡蠣。もちろん薬品洗浄も消毒もしない。美しい伊里前湾の自然の力を信じて育てた牡蠣です。
森と海の栄養をたっぷりと身に蓄えて、食べた誰もをおいしい笑顔にしてしまいます。

写真が下手ですみません(ちょっと乾いてしまいました)。
でも、大きさも味わいも、第一等の「復興 結っこ牡蠣」です

「震災があっても伊里前の海は変わっていなかった。逆に、湾の水のよさ、ふるさとの海の底力に気づかされました。津波はやってきた。でも海は、それでも俺たちを生かそうとしてくれているんだなって思ったんです」

津波は、三陸地方の暮らしの風景を大きく傷つけ、漁家の家や漁具なども流失させてしまいました。さらに、復興がなかなか進まない中で、地区は高齢化、後継者不足という問題にも直面しています。
「だけど、〝復興 結っこ牡蠣〟は、おいしくできあがりました。伊里前の水産業の復活をアピールしていきたい」と拓さん。

拓さんは、シンガーソングライターでもあります。
ふるさとへの思いを綴ったオリジナルは約20曲。
地区の集まりなどでもリクエストされることが多いそうです

「ふるさと」という曲です。
拓さんにしか書けない、歌えない、
強烈な思いと個性がほとばしる歌声でした

大震災はあったけれど、豊かな海は昔のまま。その海の恵みをいただくこの場所を、未来の子どもたちに伝え残していきたい、と。

「日本の土地らしさ。自然と文化が調和した暮らしって、この国の〝あたりまえ〟の風景ですよね。あたりまえのことが感じられる町をまたつくっていきたいです。豊かな海と、その海を育む湧き水を生み出す森を守っていきたい。〝浜の生き様〟っていうか、ここで生きて行くんだということを、子どもたちにも伝えていけたらって思っています。」

前列左から、お父さんの正海さん、拓さん、長女の彩音ちゃん、
拓さんが師匠とあがめる「NPO法人未来守り(さきもり)ネットワーク」の新井章吾さん、
「広島自治体学会」の茂田幸嗣さん、
後列左から奥さんの良子さん、次女の遙音ちゃん、お母さんの和恵さん
「広島自治体学会」の佐藤孝志さん、同じく北本拓也さん。
ちょっと見づらいですが、拓さんの持つホワイトボードの文字は「感謝」です


自然災害からは、きっと逃れることのできない「宿命」を背負わされた日本。
それでも、日本人は、自然に逆らわず、そのご機嫌にくるまれて生きてきました。

立ち上がる。何度でも――。
家族を守るために。ふるさとの海と森を守るために。自然と関わって生きていく自分たちの未来を、また、ここでつくっていくために。

これが「日本男児」ってヤツかな。

そう思わされた、拓さんとの出会いでした。

========================================
なお、「南三陸歌津伊里前 復興 結っこ牡蠣」は、6月中旬ごろまでネットで販売されています(在庫がなくなり次第終了)。

2㎏(11個以上)3750円
4㎏(22個以上)5160円
6㎏(33個以上)6570円
などです(中150g~大180gの混合/梱包資材・消費税・送料込)。



「株式会社マルタ拓洋水産卸事業部」

電話&FAX/0226-36-3167
HP/http://www.maruta-takuyo.co.jp/
E-Mail/info@maruta-takuyo.co.jp

営業時間/9:00~18:00
定休日/日曜日

おいしさこの上ない牡蠣です。
南三陸の海の恵みを、ぜひ、味わってみてください。

(取材日 平成26年5月11日)

初夏のイベント情報 ~6月29日まで

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

17日、18日に開催された仙台・青葉まつり、皆さん行かれましたか?
両日とも天候に恵まれ、街中はとてもにぎやかでした。

すずめ踊りを初めて見たとき、その華やかさ、躍動感に魅了され、「私も踊り手になりたい!次は踊る側になる!」と決意。
あれから3年…今年も見る側でした。
でも何度見ても感動は変わりません。
たくさんの元気をもらって帰ってきました。来年こそは!?

みなさんも体と心のパワーをチャージしに
ぜひお出掛けしてみてください♪



==================================
■イベント情報  ~2014年6月29日
※日程などは変更になる場合があります。詳細は各施設にお問い合わせください
==================================


東日本大震災文庫展Ⅳ
「小松左京が遺したもの‐震災の記憶・未来へのことば‐」
6月27日まで
宮城県図書館
宮城県図書館企画協力班
http://www.library.pref.miyagi.jp/


まるもりグリーン・ツーリズムおすそわけ博・春夏2014
7月31日まで
丸森町内
丸森町観光案内所
http://www.marumori.jp/

田束山つつじシャトルバス運行
5月17日~6月1日の毎週土・日曜のみ運行
伊里前福幸商店街⇔田束山山頂
南三陸町観光協会
http://www.m-kankou.jp/

テーマ展示「復興と創造のために-宮城の復興発掘調査-」
5月20日~7月13日
東北歴史博物館
東北歴史博物館情報サービス班
http://www.thm.pref.miyagi.jp/

写真展KOBE*HEART2014~つたえる~
5月23日~28日
せんだいメディアテーク
http://www.smt.jp/

第21回サン・ファン祭り
5月24日、25日
石巻サン・ファン・バウティスタパーク
サン・ファン祭り実行員会事務局
http://www.santjuan.or.jp/

考えるテーブル てつがくカフェ
〈3.11以降〉読書会「震災を読み解くために」第13回
5月24日
仙台メディアテーク 
せんだいメディアテーク企画・活動支援室
せんだいメディアテーク
http://www.smt.jp/
てつがくカフェ@せんだい
http://tetsugaku.masa-mune.jp/

東日本大震災復興支援「さとう宗幸 ふれあいコンサート」
5月24日
塩竈市遊ホール
022-365-5000

第4回南三陸HOPE FESTIVAL2014with烏合の衆
~Support by シミズオクト~
5月24日、25日
南三陸町/伊里前福幸商店街
南三陸HOPE FESTIVAL実行委員会
伊里前福幸商店街事務所
http://isatomae.jimdo.com/

第27回気仙沼天旗まつり「鎮魂、復興祈願、交流促進」
5月25日
気仙沼市波路上瀬向 旧気仙沼向洋高校校庭跡地
第27回気仙沼天旗まつり実行委員会
気仙沼観光コンベンション協会
http://www.kesennuma-kanko.jp/

おがつクラフトフェア2014
5月25日
石巻市雄勝/おがつ店こ屋街
石巻かほく商工会
http://www.kahosyo.com/

縄文・宮戸まつり
5月25日
東松島市/奥松島縄文村歴史資料館
http://www.satohama-jomon.jp/

石巻市きたかみ交流うまいもの市
5月26日、27日
勾当台公園市民広場
石巻市北上地域物産振興協会
0225-67-2114

第17回縄文いけばな展
5月30日~6月1日
七ヶ浜町歴史資料館
http://shichigahama.com/edu/info/g01-070.html#kind2

第14回とっておきの音楽祭
6月1日
仙台市市民広場、定禅寺通り、勾当台公園、錦町公園、元鍛冶丁公園、一番町四丁目商店街、ぶらんど~む一番町商店街、サンモール一番町商店街、クリスロード商店街、せんだいメディアテーク、仙台駅前など
とっておきの音楽祭実行委員会SENDAI
http://totteokino-ongakusai.jp/

我歴Stock in女川
6月1日
女川町立女川小学校校庭
女川福幸丸(我歴Stock in女川実行員会)
http://www.onagawa-fkm.com/

金華ホヤ復興・感謝祭
6月1日
石巻市寄磯浜漁港
三陸石巻金華ほや・帆立復興支援プロジェクト
http://www.kinka-hoya.com/

第8回まるごとうーめんまつり
6月1日~30日
白石市市内参加店舗
仙台・宮城観光キャンペーン白石市推進協議会(白石市商工観光課内)
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/

夢いちごの郷ふれあい市
6月1日
山元町農産物直売所「夢いちごの郷」
0223-37-1115

芭蕉の跡をたどる 風流旅
6月6日
松島町内
http://www.matsushima-kanko.com/event/detail.php?id=42

第8回「浜へ行こう」
6月7日、8日
石巻市牡鹿半島谷川浜、佐須浜
特定非営利活動法人ジェン東北事業部 復興支援グループ
http://www.jen-npo.org/jp/n/news/8226/

第21回みやぎ川崎町支倉常長まつり
6月7日、8日
7日 川崎町役場
8日 国営みちのく杜の湖畔公園南地区
川崎町地域振興課
http://www.town.kawasaki.miyagi.jp/

マリンパル女川おさかな市場 銀鮭・かつお祭り
6月14日、15日
女川町/マリンパル女川おさかな市場
マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

第32回一迫山王史跡公園あやめ祭り
6月20日~7月9日
一迫山王史跡公園あやめ園(栗原市)
一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,462,77,html(栗原市)

南くりこま高原一迫ゆり園
6月20日~7月31日
栗原市/南くりこま高原一迫ゆり園
一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,466,77,html(栗原市)


石巻市民交響楽団 第9回ファミリー・コンサート
6月22日
女川町立奈川小学校体育館
女川町観光協会
http://www.onagawa.org/

第29回みちのく鹿踊大会
6月22日
一迫山王史跡公園あやめ園(栗原市)
一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,462,77,html(栗原市)

第16回うめ~梅まつりinかくだ
6月22日
角田市中央広場
角田市観光物産協会
http://www.kakuda-kankoubussan.jp/

第26回多賀城跡あやめまつり
6月24日~7月7日
多賀城跡あやめ園
http://www.city.tagajo.miyagi.jp/

第5回高蔵寺ホタルまつり
6月28日
角田市/高蔵寺とその周辺
高蔵寺ホタルまつり実行委員会
http://kozohotaru.exblog.jp/

牧山あやめ祭り(夏越しの大祓い)
6月25日~7月6日(日)
石巻市/牧山零羊崎神社
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/

松島のマルシェ「まつの市」
6月29日
松島町文化観光交流館駐車場
http://www.town.matsushima.miyagi.jp/


==================

皆さんの感想もお待ちしております!

(にゃんこ)

傷ついた動物たちに幸せな家庭を(仙台市)

$
0
0
こんにちはエムです。
動物と一緒に暮らす魅力は何でしょう。


「癒してくれる」「慰めてくれる」「かわいい」
などが挙げられますが、他にも人それぞれに違う魅力を感じている方、あるいは魅力とかではなく「家族の一員だから当然」と考えている方もいることでしょう。

動物たちは飼い主の性格や年齢、国籍や容姿などに関係なく接してくれます。
口答えもしないですし、懐いてくれた時にはとってもかわいく思えますよね。
特に子猫や子犬はかわいいですよね~。

代表の菅原さん宅にいるのは、ほとんど保健所から助けだされた犬たち。
みんな寂しがりやみたいです。しきりに撫でてもらいたがっていました

しかし、飼っている犬や猫が大きくなって、言う事をきかなくなったり、病気になって手がかかるようになったらどうしますか?
毎日の散歩や食事の世話が面倒くさいと感じたら、あなたはどうしますか?
災害が起き、人が生きるだけでも大変な時、今まで飼っていた動物をあなたならどうしますか?

宮城県では平成23年の震災後、保健所に持ち込まれる犬や猫の頭数が激増しました。
保健所では基本的に持ち込まれた犬や猫は「殺処分」になります。
それは飼い主からの「放棄する」という意思表示があったと見なされるからだそうです。

少し頭を振る障害を持っていますが、とっても元気な猫

また保護される犬や猫もいますが、そちらは飼い主が探しているケースもあるので1週間の保護期間があるようです。

保健所では譲渡会などを開いて、引き取り手を探すなどもしていますが、成犬や成猫、まして年老いていたり病気を持っていたりすると、引き取り手は(ほぼ)ありません。

そんな、人の都合や環境の変化で殺処分にされる犬や猫を、少しでも減らそうと取り組んでいる動物愛護団体の1つ、アニマルピースを取材しました。

1度捨てられた経験があるためか、
撫でようとするとビクッとする子がいました。
カメラを向けても怖がる様子をみせました

「震災後に持ち込みが増えている理由の1つには、地震や津波に驚いて逃げ出した猫が野良化し、繁殖するケース。
また、かわいそうに思った人が餌をあげることにより、その近所でやはり野良化した猫が増えるというケースもあります。
自らも被災し仮設住宅では飼えないとか、飼い主が年をとってペットの面倒を見られなくなった。など、震災などに関わらず環境の変化で手放さざるをえない人も中にはいますね」

「いろんな理由はありますが、震災の前から動物の保健所への持ち込み、殺処分が宮城県は多いのです」
と、「アニマルピース」代表の菅原とみえさんは言います。

代表の菅原とみえさん
「2度も悲しい思いをしないように、飼い主選びは慎重です」

「アニマルピース」は平成18年12月に、菅原さんが立ち上げた民間の動物愛護団体です。
菅原さん自身は、やはり菅原さんが立ち上げた動物愛護団体「150匹犬猫ボランティア
(150匹犬猫ボランティアURL:http://150dcv.yu-yake.com/frame.html)
で平成13年から活動をしていたそうですが、菅原さんが目指すのは、猫も犬も殺処分ゼロ
その実現のために、菅原さんは昨年度(平成25年)から動物愛護推進委員を務め、宮城県が管轄する保健所で対策を改善をするよう要望を出しています。

要望の1つは「持ち込まれた野良猫の安易な受け入れをしないでほしい」というもの。
目的は、避妊手術をしてもらい、その1代で命を終わらせることによって殺処分の頭数を減らすことだそうです。
そのためにも「野良猫助成金」の成立は欠かせません。

実は仙台市では「野良猫助成金」の仕組みが確立されています。
持ち込んだ人が仙台市内の獣医師の病院に連れて行き、手続き後、避妊手術を受けさせます。持ち込んだ人が一旦手術費用を立て替えますが、その後、6千円が戻ってきます。

犬と猫は別々のスペースで暮らしています。

そういった仕組みを整えることで、「餌を与えるだけではなく避妊手術を行ってください」との呼び掛けも効力を発揮するでしょう。

アニマルピースでは、震災後は一般からの引き取りはやめ、保健所からの引き取りのみを行っています。
現在犬15頭、猫12匹と暮らしていますが、他に「一時預かり」としてボランティアをしてくれる約10人のメンバーの所にも、犬や猫を預かってもらっています。

「昨年は捨て猫が多かったので、5月〜12月まで毎週日曜日、家族募集会を開いてきましたが、なかなかもらい手は見つかりません。
成犬、成猫のもらい手は本当に少ないんです。
欧米のように大きくなっても良いという人が増えるように、少しづつでも意識が変わってほしいですね」

私が取材に行ったために、ゲージに入れられたりリードで繋がれたりしてますが、
いつもは室内、外をフリーで過ごしています

「このアニマルピースは、あと4年で終わりにしようと考えています。
私自身の体力や体調の限界もありますし、何かあった時、この子たちへの責任も考えなくてはなりません」

アニマルピースでは募金も募集していますが、病院代や餌代など多額の費用がかかります。募金だけでは足りず、菅原さんの自己負担も多いと言います。

「それでも何とかやってきたのは、捨てられる犬や猫がいなくなる日がくるだろうな〜と思っていたからかな。そんなに遠い話じゃないかもしれない。あと4年でそれが実現できれば良いなと思います」

震災で住んでた家が津波で流され、他の家で
面倒をみてもらっていましたが、そこでも飼育が難しくなり、
保健所に持ち込まれた経験を持っています

多頭飼育され飼育放棄された中の1匹。
温かい家族が見つかりますように

「飼い主が最後まで一緒に暮らす。そうすれば実現します」

「動物と暮らすことは私の生きがい……かな。
これから飼おうと思う人は、かわいそうとか、かわいいからなど理由は何でも良いのですが、望まないで飼うのだけは止めてほしいです」

動物と生活する魅力は?との質問に、今は無我夢中でよく分からないとおっしゃる菅原さん。
とても自然体の姿は「人も動物も幸せな暮らし」を体現しているように見えました。

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

【アニマルピースの家族募集会】
※次の家族募集会:5月25日(日)・6月1日(日)
 時間:11:00〜16:00
 場所:ダイシン泉店(松森)
  http://diy-daishin.co.jp/shop/data_izumi.html

(その他の家族募集会は不定期ですが、ほぼ毎週日曜日に開催予定〜〜詳しくはアニマルピースホームページをご覧ください)
★ 尚、飼い主になるためには一定の条件があります。 詳しくは直接家族募集会へおいでください。

アニマルピースでは ボランティア・物資のご支援 に協力してくださる方を随時募集しています。
【ボランティア内容】
★ 犬猫搬送
★ 一時預かり

【物資の募集】
◆ 仔猫・成猫・老猫用缶詰、ドライフード、粉ミルク(幼猫用)、トイレ砂
◆ 成犬・老犬用ドライフード、缶詰、栄養ドリンク・・・その他

詳しくはアニマルピースホームページ内「ご支援・ご協力」ページを参照ください。
http://www.anip.biz/

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

【ご寄付のお願い】
餌代・物品などの他、ワクチン接種・不妊手術・病気治療の医療費に高額な出費となっています。
この活動へご理解、賛同していただける皆さまのご支援、ご協力をお願いいたします。

〈振込先〉
郵便局 郵便振替口座 02230-1-47659
    名義 アニマルピース

銀 行 七十七銀行 八幡町支店 普通 5467861
    名義 アニマルピース


アニマルピースホームページ
http://www.anip.biz/

(取材日 平成26年5月13日)

いらっしゃいませ!「自慢のさんまやき」いかがですか?(気仙沼市)

$
0
0
kaiiです。

「気仙沼といえば?」と質問されたら皆さんは何を思い浮かべますか?
良港として有名な気仙沼港を連想し、「サンマ」「ふかひれ」「カツオ」「マグロ」などの新鮮な魚介類を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

平成25年4月から移動販売車で「さんまやき」を販売する菊地隆太郎さん
「多くの人に気仙沼に遊びに来てほしい」と話します
(平成26年5月9日 気仙沼鹿折復幸マルシェにて撮影)
菊地隆太郎さんは、震災の後ふるさと気仙沼で商売を始めることに決めました。
そして、「気仙沼といえばサンマだ」と考え、「さんまやき」を思いつきました。
平成26年4月で、気仙沼市内を移動販売車で回る「さんまやき」の販売を始めてから一年になりました。

「さんまやき」とは…サンマの形をした「たいやき」です。「たいやき」がサンマの形をした、菊地さんオリジナルのお菓子です。

商売を始めたばかりで「さんまやき」が知られていなかった頃は、看板を見て生のサンマを焼いているものと勘違いしたお客さんが「これにサンマ乗せてください」と皿を持って来ることがあり、驚いたと話します。

さんまやきには「気仙沼」の文字が刻印されています
味は定番の「あんこ」「カスタード」の他に、日替わりで「レアチーズ」「チョコ」「リンゴ」「バナナ」など季節の果物のクリームを入れたものなどがあります。

女性に人気のパイ生地の「さんまやき」
あんこがたっぷり入っています。
(写真提供:気仙沼・さんまやき)

週5日、市内の各所を回って販売している「さんまやき」は、子どもからお年寄まで幅広い年齢層に愛されています。
3月からはパイ生地を使った「さんまやき」を毎日数量限定で売り始めたところ、これが女性に大人気です。

気仙沼市内を巡回して販売しています
商売を始めた1年前と比べてボランティアに来る人の数も観光客の数も減っていると、菊地さんは感じています。

「さんまやきが話題になり、気仙沼を訪ねてくれる人が増えことを願っています」
菊地さんはふるさと気仙沼への思いを話します。

=====================
菊地さんは気仙沼市の高校を卒業後、仙台に出て声優になるための勉強をしました。
その後東京の劇団に入団し、アルバイトをしながら俳優を目指しました。
やがて俳優の道を諦めると、一時はふるさと気仙沼へ帰ることも考えました。
しかし、気仙沼に帰っても仕事がないため、東京で高齢者の介護の仕事をしていました。

そこに東日本大震災が発生。
直後からツイッターなどで気仙沼の様子や、多くのボランティアが気仙沼をはじめ被災地へ出掛け支援に取り組んでいる様子を知ります。

「自分はふるさと気仙沼のために何ができるのだろう」

と強く思うようになった菊地さん。
震災後の1年間は働いてお金を貯めながら情報も集めて、平成24年12月に気仙沼へ帰ってきました。

マグロ船をイメージして自分で塗装した移動販売車で
「さんまやき」を販売しています
インターネットで情報を集め、試行錯誤の末にようやく「さんまやき」を完成させると、自分で塗装をした移動販売車で平成25年4月から商売を始めました。
夢は移動販売から店舗での販売に商売の形態を替え、もっと多くの人に「さんまやき」を食べていただくこと。そして、気仙沼で家族を持ち、「家族とふるさと気仙沼で生きていきたい」と菊地さんは話します。

「ご希望があれば日程などを調整して出張販売もしています。声を掛けてください」
と菊地さんは話します。

====================
震災後さまざまなジャンルの新しい店が気仙沼にも開店しています。
気仙沼の魅力とおいしいものをたくさん発信して多くの人に気仙沼に遊びに来てほしいと思います。

夏は気仙沼が一番輝く季節です。
気仙沼にしかないおいしいものを探しに出掛けてみませんか。


フェイスブック https://t.co/EievujPspo
     ツイッター  @sanmayaki

(取材日 平成26年5月9日)

【ボランティア募集情報】5/31・6/28藤岡発気仙沼、6/6名古屋発七ヶ浜

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

今回は、ボランティアツアーの募集情報です。

あの日から被災地にはたくさんのボランティアの方々が訪れ
救援物資や炊き出し、泥のかき出しや瓦礫の撤去作業、さらに被災者の心に
寄り添ったケアとさまざまな形で復旧や復興を後押ししてくれました。

小さな一歩ながらも日常の生活を取り戻しつつあるのは
たくさんのボランティアの方々の継続した支援があるからこそ。

今、被災地では新たな問題を抱えています。
人口の大幅な減少、仮設住宅などで暮らす方々の孤立、そして震災の風化…。
緊急性のある活動は少なくなってきましたが、復旧、復興に向けて
被災地ではまだまだお手伝いいただける方を必要としています。

そうした被災地支援のためにボランティアツアーを主催している団体が、全国各地にはたくさんあります。
今日はその中から、群馬県藤岡市と名古屋市からのツアー情報をお知らせします。


==============================
■ボランティアツアー情報  

※活動内容の詳細や参加費用、お申込みなどの詳細は各HPより
ご確認ください。
==============================

■群馬発日帰りボランティアバス【上州からっGO】
出発地:群馬県藤岡市
活動場所:宮城県気仙沼市

◆ツアー日時/5月31日(土)、6月28日(土) ※各日とも日帰り
◆募集人数・締切日/25名。定員になり次第
◆活動内容
詳細については当日のお知らせ。
午後は作業を早めに切り上げ、「リアス・アーク美術館」の見学、
「気仙沼さかなの駅」で買い物を予定。

過去4回の活動では、2回が海岸清掃、線路近辺の清掃と分別。
2回は一関にある仮設住宅敷地内の除雪作業。

◆主催者の方より一言!
「震災を過去のことにしないためにもボランティアをする、現地の今を知る、
地元に戻り伝える。その活動の継続が大事だと思っています。初めての方も
ぜひ一緒に活動しましょう」

◆お問い合わせ
群馬藤岡災害ボランティアサークル
http://fujiokavolunteer.web.fc2.com/


気仙沼市での活動の様子


------------------------------------------------------------------


■「七ヶ浜町の田んぼアートを応援しよう!」ボランティアバス第66陣
出発地:愛知県名古屋市
活動場所:宮城県七ヶ浜町

◆ツアー日時/6月6日(金)~6月9日(月)
※6日の夜名古屋発、9日の朝名古屋着
◆募集人数・締切日/40名程度・6月5日(水)18時まで
◆活動内容
・6月7日(土) 
七ヶ浜町でのボランティア活動
・6月8日(日)
七ヶ浜町の農業者が主催する「七ヶ浜田んぼアート2014」の企画運営サポート。
企画に携わった農業者の方や町民のみなさんとの交流会。

◆主催者の方より一言!
「RSYボランティアバスは今回で65陣となりました。今回は“瓦礫の田んぼをアートの田んぼにしたい!”という農業者の想いから生まれた「田んぼアート」の企画運営サポートがメインになります。“田植えができるようになったのもボランティアさんのおかげだ、感謝したい”という声もたくさん届いておりますので、ぜひ参加して住民の皆さんと交流し、今の七ヶ浜町を知ってください!」

◆お問い合わせ
特定非営利活動法人 レスキューストックヤード
http://rsy-nagoya.com/rsy/blog/2014/04/borabas66.html

2013年11月のボッケ祭り。地元漁師主催のイベント交流会にて


------------------------------------------------------------------

ココロプレスでは、これからもボランティアツアー募集の情報を
随時お知らせしていきます。

情報がありましたら、ぜひお寄せください。
(画面右上の「ご感想など」から入ってください)



(にゃんこ)

震災後の文学~仙河海市の物語を通じて~熊谷達也氏講演会 後編 (仙台市)

$
0
0
こんにちは、ザーリャです。
今回は前回に引き続いて、熊谷達也さんの講演会でのお話をお伝えします。

震災後の文学~仙河海市の物語を通して~熊谷達也氏講演会 前編(仙台市)

前編
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_8702.html

前編では、熊谷さんの震災時のお話を中心にご紹介しました。そして訪れた作家としての精神的な危機。
熊谷さんはどのようにして震災で喪失した、「小説を読むという喜び」と、「小説を書く」という日常を取り戻したのでしょうか。
熊谷さんは当時の日記から、そのきっかけとなった出来事を振り返ります。
そのいくつかのお話をご紹介します。
==================================
2011年4月1日 気仙沼にて 写真提供:荒蝦夷(あらえみし)
被災地に寄り添う立場で
震災後、2、3日後、東京発のニュースは津波から原発の報道にシフトしていきました。遠くから撮影している原発の映像が続きましたが、事故の重大性を考えると、仕方のないことだと思っていました。しかし、東京で起こった「水の買いだめ騒ぎ」のニュースには悲しい怒りを感じました。

どうして、「東京の水騒ぎ」という報道が、全国のトップニュースなのだろう?
被災地では今、せっかく助かった方々が寒さに震えながら亡くなっている。私達には、もっと届けてほしい情報があるのに。
中央メディアへの怒りと不信がつのりました。

それまで、すさまじい沿岸部の被害に比べれば、「自分は被災していない」と思っていました。だから、何も言えませんでした。
しかし、これらの報道を目にしたとき、「被災した側の立場に立つべきなのだ、その立場で書くことが、ものを書くことでお金を得て暮らしている私の役目なのではないか」と思いました。被災した側に立ち、寄り添うということが納得できたのです。ひとつ前に進むことができました。

「調律師」(2013年 文藝春秋)
被災地の小説家として
震災後、さまざまな新聞や雑誌のインタビューを受けましたが、仙台の出版社のインタビューを受けたとき編集長からこう言われました。
「テレビでは沿岸部が壊滅したといって、瓦礫の映像を垂れ流しにしている。おそらく、中央から来たメディアは、そこがどんな町だったのか知らないで、ただ映しているのでしょう。どんな肌ざわりの地域だったのか、人々はどんな暮らしをしていたのか、それを肌で知っている小説家は、熊谷さん、あなただけです。これは運命です。めぐり合わせですね」

震災直後、小説「調律師」の3話目では、主人公が震災の当事者でなくてはならないと考え、後に被災するという伏線をはって書きました。しかし、東日本大震災を真正面から描いた小説は、まだ書けません。でも、いつかは書かなくてはいけないと思っています。

 ◆震災後、初めて読めた小説
震災後しばらくたって訪れた函館で、佐藤泰志さんの「海炭市叙景(かいたんしじょけい)」という短編小説が、函館を舞台に撮影されて映画化されていたことにあらためて気づきました。それで小説を読んでみたのです。震災後初めて、非常に感動した小説になりました。そして、「こんな物語を書きたいな」と思いました。これが「仙河海市」の出発点となります。この小説のように気仙沼をモデルに伝えたい、そうすれば書き続けられそうだなと思いました。

「リアスの子」(2013年 光文社)
リアスの子
震災の年の秋になって、かつて中学の教師をしていたころの教え子たちに約20年ぶりに会い、再びつながることができました。仮設住宅で一緒に飲んだり、震災後の暮らしについて聞いたり、若い彼らに会うことで、力やヒントをもらいました。「リアスの子」は気仙沼での教員時代の経験が元になっています。自分の分身である主人公が、舞台となる「仙河海市(せんがうみし)」の学校で、いろいろな子どもたちに出会います。ちょっとしか登場しない人物が、次の物語では主人公として登場する。震災前を丹念に、重層的に描くことで、「なぜそうなったのか」ということが伝えられるのではないかと考えています。

自分の小説でできること
震災の日、日本に住む人たちの時計は止まりました。日本が一度、一つになりました。しかし当然いつまでも一つでいられることはありません。人それぞれ違う「自分の時計」は、再び異なる速さで動き出すからです。そのことに気が付き、「一つになったことをそのままにしておきたい」、そう感じて多くの人、団体、あるいはメディアが「絆」という言葉にすがったのだと思います。ばらばらになってゆくことを、みんな何となく分かっていました。それが辛くて、あるいは忘れないでという思いで、「絆」という言葉でつなぎとめておきたかったのでしょう。
復興とは被災した方々の時計の格差が拡大するということです。
もう時計が動き出した人と、未だに遺体を探す人。自分の時計は自分で動かしてゆくしかないのです。

だから、小説家としての自分にできる事は、「忘れていませんよ」というメッセージを発し続けることなのです。
それは、私が仙河海市の物語を書き続けるということであり、自分の書く小説で、唯一できることなのです。

この私の思いが本当に届いているのか、疑心暗鬼になることもあります。そんな時、気仙沼の当時の教え子や応援してくれる人たちの事、そして、このように雨の中集まってくださった皆さんの事を思い出せば、まだしばらくはこの仕事を続けられると思っています。

いつ完成するか分からない仙河海市の物語のパズルができ上がるまで、皆さんに見守っていただけるとうれしいです。

==================================
(講演を聞いて)
一時間半という講演時間が、私には本当に短い時間に感じました。できるならば、もっといろいろなお話も聞きたいと思いながら、後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしました。

震災の日から、私の心の中には、正体のわからないぼんやりした思いがありました。それが熊谷さんによって言葉を与えられて、何によるものだったのかはっきりした気がしています。タイトルは「震災後の文学」というものでしたが、内容は文学だけにとどまるものではありませんでした。同じ被災地に住む私たちが、熊谷さん同様に「私たちにできること」を考える機会になったのではないかと思います。

次回は、講演会を企画した株式会社日専連ライフサービスのプロジェクトマネージャーに、講演会に込めた思いをインタビューする予定です。
==================================

今回の記事の作成では、仙台の出版社 荒蝦夷(あらえみし)の皆さまにご協力をいただきました。
ありがとうございました。

(取材日 平成26年4月3日)

桜の舞台で舞を奉納(石巻市雄勝町)

$
0
0
こんにちはエムです。


去る418日。石巻市雄勝町桑浜に鎮座する「白銀神社」(しろがねじんじゃ)の春季例祭が開かれました。
例祭では国指定重要無形文化財「雄勝法印神楽」の奉納も行われ、会場となった桑浜と羽板両地区は1日華やぎました。


わたくしエムはこの日、仙台市青葉区八幡に鎮座する「国宝 大崎八幡宮」が企画した東日本大震災復興支援 沿岸部神社再建事業視察研修旅行 に同行し、雄勝町の伝統的な例祭と法印神楽の様子を初めて拝見することができました。

この視察研修旅行については2回に分けてご紹介しております。

5月7日付「大崎八幡宮〜復興支援・視察旅行[行程編]」
5月11日付「大崎八幡宮〜復興支援・視察旅行[出会い編]」

ーーーー「白銀神社 春季例祭」ーーーー

東日本大震災では雄勝町全体で、建物の約80%が壊滅的な被害を受けました。
ワカメやホタテ貝などの養殖業が盛んな桑浜・羽板両地区は、震災前には約70軒ありましたが、現在は約50軒に減っています。

「神社の再建が地域の復興につながる」と大崎八幡宮の小野目博昭宮司が信念を持って行っている「被災神社復興支援活動」。その言葉通りのことがこの日の例祭で起きていました。
震災の影響でこの地区を離れていた住民も集まり、お祭りに参加しているという情報が届いたのです。

迫力満点の神輿渡御

雄勝町の祭りには昔から雄勝町の住民が協力して神輿を担ぎ、神楽を伝承してきた歴史があります。
この日神輿を担ぐのは地元住民と応援に駆けつけたボランティアの方々です。
神社があり、祭りを行うことによって人が集まり、地元や他の地域に関係なく人と人をつなぐ “絆” が生まれていました。
地域の復興はこうしてつながってゆくのだと、目に見える形で教えられた出来事でした。


神輿は町内の家々を巡り港で海上安全祈願の御祈祷を終えた後、私たちの待つ広場に入って来ました。
震災前は港のそばの宮守(みやもり)と呼ばれる旧家で神事が行われていたとのことですが、そこは被災してしまい、現在は少し高台にある、この「老人憩いの家」の広場で行われているのです。

ところで初めて目の当たりにした雄勝町の例祭ですが、神輿渡御の迫力に圧倒され言葉を失いました。

「ヨーサイド! チョーサイド!」という掛け声とともに内側、外側、内側と3回傾かせ
ワーッ!! っと右回りで走る。それを数回繰り返す

 
「ワーーッ!! 」と走る神輿。疲れた担ぎ手は交代するが、まさに体力勝負です。
目指すは神輿を納める台
台の前では、そろそろ台に乗せたい担ぎ手と、もう少しやれという男衆の力のせめぎ合いが何度か繰り返されました。
もう限界なのでは……と見えてからさらに繰り返すこと数回。
しかし、もっと長くやる年もあるそうです。

やっと台に納まるようです。
しかし、このタイミングを外すとまたやり直しらしい

神輿が台に納まり一同ホッとした瞬間
この御神輿は、海面から約25m高い白銀岬に鎮座する「白銀神社」に収蔵されていたため津波の被害はなく、少しの破損で済んだのだそうです。
修復を終えた後、震災の翌年には例祭を再開しました。

祭りにかける思いと情熱が伝わり、見ている私たちも元気になる神輿渡御でした。


ーーーー国指定重要無形民族文化財ーーーー
「雄勝法印神楽」

600年以上も昔から舞われてきたという歴史がある「雄勝法印神楽」は、羽黒派の山伏・修験者たちが一子相伝で舞い伝えてきたことから名前に「法印」と言葉が残っており、もともとの内容は祈祷色の強いものだったということです。
しかし明治に入って施行された神仏分離令により、往古のままでは舞うことができなくなったため、演目を日本書紀や古事記を題材とした内容に改め、仏教用語などを除いて作り直されたました。
かつては33番あった演目ですが、雄勝法印神楽保存会により現在は28番が継承されています。

台に納まった神輿の前に神楽の舞台がありました。
それは神様の御前で行う「神事」を意味します

さて舞台では神楽に先立ち「湯立ての神事」が始まりました。
加持祈祷を行い「ニエ湯」を湯笹で払って舞台や広場に集まった氏子、私たち衆人が祓い清められます。

昼神楽で最初の演目「初矢」

その後いよいよ神楽が始まるのですが、行われるのが昼か夜かで、最初に舞われる演目が違うようです。
昼神楽では「初矢」(しょや)が舞われました。
これは天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)による、天地創造の舞。

続いて「四天」。東西南北、または春夏秋冬を意味する
日本の自然界を司る4人の神様の舞

「岩戸開」。最も重要で必ず舞うことになっている演目。
天照大神が天の岩屋に身を隠す、ご存じ「天の岩戸」の物語

「五矢」。天照大神に反抗して
高天原を追い出されたスサノオノミコトの物語
時間の都合で、私たちはこの4つの演目を鑑賞しましたが、神楽はまだまだ続いていました。

このように震災から3年が過ぎた今でこそ、華やかで幽玄な神楽の舞台が伸びやかに行われていますが、東日本大震災では神楽面や装束などの全てが流され、失われてしまったのです。

そんな失意の中、音響を担う2つの太鼓の1つが、海を隔てた金華山で見つかりました。
流れ着いた先は「金華山黄金山神社」が鎮座する浜でした。
「白銀神社」と「金華山黄金山神社」は祀っている御祭神は同じ。「神縁」と言うべき不思議な巡り合わせであったそうです。

神楽面、衣装、小道具、舞台など全ての物が震災後復元されました

他の地域から寄せられた写真を資料に、保存会の会員の立ち会いの元、
何回かの削り直しを経て全ての神楽面がよみがえりました

当時、住民のほとんどが数カ所の仮設住宅に離れて住み、町の復興のめども立たない平成23年の6月、地元の方々の思いや願いを受け、日本ユネスコ協会連盟文化復興支援を中心とした法印神楽を復活させる活動が始まりました。

まず関係者総出で物品の調達に奔走したそうです。
そして数々の試練や試行錯誤の末に1つ1つ道具をそろえてゆき、何と同年10月、神奈川県鎌倉市の鎌倉宮で、震災後初となる法印神楽の奉納を果たしたのです。

衣装の生地を扱っていた呉服店も流されたため
衣装作りにも苦労がありました

祭りと神楽の復活が心のよりどころであり、いかに雄勝町の地元にとって大事なものなのかを証明するような出来事だったと想像します。

〈法印神楽の音調〉
宮太鼓2基と六穴の横笛1本で構成され、強弱の変化がある調子でしっとりと優雅に舞う場面と、荒々しく豪壮に舞う場面があります。

左右の太鼓の真ん中に横笛。音色は美しく日本神話の幽玄な世界に誘います。
2人で打つ太鼓は乱れることなく同じ調子を刻みます。古来のまま正確に受け継がれてきました

他の地域の神楽に見られない特徴の1つ「石の帯」
腰にある板が「石の帯」
神楽の舞い手は女神の役も男性のみ。また、「采(ザイ)を切る」という、歌舞伎の「見得を切る」動作にも通じるような独特の動きがあります。
(采=馬の尾っぽの毛で作ったカツラのようなもの)
そういった形態や動作、伝統的な衣装などを見ても、能や歌舞伎の元となったのは神楽ではないかと、保存会副会長の伊藤博夫さんは言います。

日本の宝と言えるこのような伝統ある文化を考える時、大崎八幡宮の小野目宮司が言った言葉を思わずにおられません。

「『民俗芸能』『伝統芸能』というものはそもそも神社の前で行ってきたものです。
神様の前だからこそ意味があるのであって、そこには魂が込められます。
大きなホールや舞台などで行うのは単なる演劇でしかなく、このままでは本来の意味を失ってしまうのです」

震災などで、大事なものが阻まれることのないよう、私たち全体の問題として考え、守っていかねばならないと強く感じました。

復興にはまだ幾多の問題を抱えている雄勝町ですが、こうしていつも通りの祭りが行われることがどれだけ地域の活力につながるのか、人の心の大きな支えになるのかを、身を持って体験させていただきました。

雄勝町の皆さんが納得できる復興が1日も早く成されることを願って止みません。

雄勝法印神楽の詳しい内容は
「法印神楽な奴」で知ることができます。
http://www.geocities.jp/hoinkagura/

また、震災からの復興の様子は「法印神楽な奴」の中の「復興の軌跡」に記されています。





(取材日 平成26年4月18日)

【ボランティア募集情報】7/19・8/10東京発南三陸町

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

主に南三陸町で漁業や農業の補助作業などの支援活動を行っている「NPO法人フェローズ・ウィル」さんより、7月に実施されるボランティアツアー募集のお知らせが届きました。

また同時に、8月10日(日)・11日(月)に南三陸町伊里前復幸商店街で開催される「南三陸町歌津復興夏まつり」の運営スタッフの募集も行っています!

「一緒にお祭りを盛り上げたい!」というお祭り男やお祭り女の皆さん。
ぜひ参加してください!



==============================
■ボランティアツアー情報  

※活動内容やお申込みなどの詳細はHPよりご確認ください。
==============================

■南三陸復興応援ボランティアツアー
出発地:東京
活動場所:南三陸町

◆ツアー日時/7月19日(土)~21日(月)
◆募集定員・締切日/20名・催行予定日の1週間前まで
◆参加費/29,800円
◆活動内容
再開した民宿に泊まりながら、漁師さんや農家の方の指導の下、ワカメ、ホタテなど養殖業の補助作業や農作業の支援活動。
また震災当時のDVD鑑賞、被災地見学、復幸商店街などへの訪問も実施予定。

◆主催者の方より一言!
「当団体は南三陸町ボランティアセンターの協働団体として任命され、南三陸町の歌津地区、
入谷地区、馬場中山地区で、漁業、養殖業や農業の補助作業などを行っています。
特に町の主要産業である漁業、農業は1年を通して多くの作業があり、早期復興のために
たくさんの人手を必要としています。今回のツアーは参加リピーターが多いアットホームな
ツアーで、年配の方でも1名から参加できます。皆さまのご参加をお待ちしております!」

メカブ収穫のお手伝い。
「まずは被災者自らが元の生活、そして元気を取り戻すことが大事なんです」
と代表の我妻さんは語ります

------------------------------------------------------------------


■「南三陸町歌津復興夏まつり」支援ボランティアツアー
出発地:東京
活動場所:南三陸町歌津伊里前復幸商店街

◆ツアー日時/8月9日(土)~12日(火)
◆募集定員・締切日/100名・8月2日
◆参加費/37,000円(現地集合解散の方は22,000円)
◆活動内容
伊里前復幸商店街で開催されるお祭りの運営支援。
テント、施設の運営、撤去、イベント運営補助(出店応援、会場整理、交通誘導ほか)
・8月9日(土) 準備
・8月10日(日)、11日(月) 本番
・8月12日(火) 撤収

◆主催者の方より一言!
「南三陸町歌津地区伊里前に再開した伊里前復幸商店街で開催される、
南三陸町歌津復興夏まつりの運営支援のボランティアスタッフを募集しています。
今年も会場設営、運営、撤収までのメイン業務の依頼を受け、南三陸町町民の“笑顔”の
ため支援を行うことになりました。昨年の第一回目には沖縄出身の「BEGIN」さんが出演
してくださり、震災後初めて2,000人もの現地の方々が集まったお祭りとなりました。
今年も「BEGIN」さんの出演が決定しています。
また地元の和太鼓の音色に合わせた打ち上げ花火なども行われ、たくさんの方々の
明るい笑顔を垣間見ることができました。今年はその笑顔の輪をさらに大きくするため
規模を拡大し開催します。日頃ご支援させていただいていている多くの漁師さんや
仮設住宅にお住いの方々が集います。その方々に寄り添い同じ時間を共有することも
大切な支援だと考えています」


◆お問い合わせ
NPO法人フェローズ・ウィル
http://fellows-will.jp/

昨年のお祭りの様子。
和太鼓の音色がお祭りを一層盛り上げてくれます


------------------------------------------------------------------

ココロプレスではボランティアツアー募集の情報を随時お知らせしていきます。

情報がありましたら、ぜひお寄せください。


(にゃんこ)

日本最大級のつつじの名所「徳仙丈山」へ(気仙沼市)

$
0
0
kaiiです。
気仙沼のビューポイント「日本最大級のつつじの名所徳仙丈山」へようこそ。


登山道の入り口付近から山頂付近までヤマツツジが見ごろを迎えています
(平成26年5月24日撮影)
見ごろのヤマツツジの花
レンゲツツジはこれからが見ごろです
(平成26年5月24日)
例年より咲き出しが幾分早い徳仙丈のツツジを散策気分でご覧ください。




登山道を10分程登ると「ヤマツツジの女王 エリザベス」がピンク色の花で出迎えてくれます。


天候にも恵まれたこの日。たくさんの観光客が訪れていました。

つつじが原から望む気仙沼湾
気仙沼湾に浮かぶ「緑の真珠」大島「亀山」(画面左上の山)も新緑がとてもきれいです
(平成26年5月24日撮影)

ビューポイントその1。
第一展望台からは全国屈指のツツジの名所といわれる「つつじが原」の向こう側に、気仙沼湾を望むことができます。


第二展望台から望む気仙沼湾
(平成26年5月24日撮影)

第二展望台付近のレンゲツツジ
(平成26年5月24日撮影)

ビューポイントその3。
「つつじ街道」のツツジは人の背の高さより大きいものがたくさんあり。ツツジの花のトンネルがとてもきれいです。


つつじ街道の「ツツジトンネル」を通って山頂へ。山頂まではもう少し。
(平成26年5月24日撮影)

ビューポイントその4。古木の群生地。ツツジがとてもきれいです。この辺で一息。ナシの花も咲いていました。







山頂を望む「お祭り広場」に到着。徳仙丈山からの360度の眺望を楽しめます。

お祭り広場から山頂への山道にもきれいな花が咲いています。
(平成26年5月24日撮影)


ツツジの季節の週末限定「おむすびや焼き餅」なども販売されていました。



そろそろ下山です。

少し霞がかかっていますが唐桑町の早馬山(はやまさん)画面左上
大島亀山(かめやま)画面右上も新緑がとてもきれいです
(平成26年5月24日撮影)
咲く準備中のツツジもありました


登山口まで残り15分。ツツジ散策もそろそろ終わりです。
ヤマツツジの女王「エリザベス」付近まで戻ってきました





「いこいの広場」まで帰ってきました
広場にもツツジを楽しむたくさんの観光客の姿がありました
(平成26年5月24日撮影)

登山口までゆっくり歩いて2時間のツツジ散策をしました。復興の進む気仙沼市の様子を感じながら進む山道では「こんにちは」とたくさんの観光客の方に声を掛けていただきました。
今日は、目線の高さにカメラを構えて撮影してきました。
遠くて来られない方や登山に自信のない方にも、画面から気仙沼市の美しい花の季節の一端を感じていただけるとうれしいです。
徳仙丈山においでになった折には、市内にも足を運んで気仙沼の「おいしいもの」を堪能してください。

*徳仙丈山のツツジは来週末頃までが見ごろです。履き慣れた運動靴などで登ることをお薦めします。気温も上昇してきました。水分補給用の水分もお忘れなく!


(取材日 平成26年5月24日)

【ボランティア募集情報】6月 関東発南三陸町・牡鹿半島

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

東北各地で復興活動支援を行っている
「一般社団法人 東日本大震災生活支援協会」さんと「JILCA ~日本いきいきライフ協力機構~」さんより、6月のボランティア募集情のお知らせが届きました。

募集定員が残りわずかの日程もありますので、
早めにチェックしてみてください!

============================
ボランティアツアー情報  
※活動内容の詳細や参加費用、お申込みなどの詳細は各HPより
ご確認ください。
============================
■LSAボランティアバス
出発地:横浜駅または品川駅
活動場所:宮城県南三陸町近隣

◆ツアー日時
6月2日(月)~6月4日(水)
6月6日(金)~6月8日(日)
6月13日(金)~6月15日(日)
6月20日(金)~6月22日(日)
6月27日(金)~6月29日(日)
6月30日(月)~7月2日(水)
※各日とも出発は夜。また12名以上の募集で実施

◆募集人数/20名
◆締切日/各日とも催行日の一週間前まで。※定員に達していなければ当日の参加も可。
◆参加費用/一般9,000円、会員7,000円
◆活動内容
・漁業支援などをメインに被災地に必要な地域密着型の活動
・瓦礫撤去や整備などの基本的な支援活動
・ボランティアセンター経由での支援活動
・田植えなどの農作業や収穫養殖のお手伝いなど

◆主催者の方より一言!
「被災者のこれからは地元産業の活性化にあります。
人口流失で立ち行かなくなった漁業・農業を支えて、復興への光を当てるお手伝いを今後も続けてまいります」

◆問い合わせ先
東日本大震災生活支援協会
http://lsajpn.org/



------------------------------------------------------------------

■宮城県・牡鹿半島 ボランティアツアー
出発地:元町・中華街駅、横浜駅、東京駅
活動場所:宮城県牡鹿半島

◆ツアー日時/6月20日(金)~6月22日(日)
◆募集人数/20名程度
◆参加費用/7,500円
◆活動内容
マッサージ部隊とカフェ部隊に分かれての作業。
・マッサージ部隊
仮設住宅での全身のもみほぐし。
・カフェ部隊
仮設住宅の談話室における住民の方へのお茶出し、マッサージの受付、子どもの遊び相手、大人の話し相手など

◆問い合わせ先
JILCA ~日本いきいきライフ協力機構~ 東日本大震災被災地ボランティア
http://www.jilca.org/

------------------------------------------------------------------

ボランティア募集情報がありましたら、
ぜひご連絡ください!

(にゃんこ)

ガボッシュ・夢と希望を運ぶ犬(仙台市)

$
0
0
こんにちはエムです。

 今日は石巻出身の彫刻家がイタリアから連れてきた犬(作品)をご紹介しようと思います。
彼女の名前はガボッシュ。

伸びやかな手足、長く垂れた耳、鼻の先から細いシッポの先まで、あらゆる方向に向いていながら均整の取れた肢体は、どうやら日本犬ではなさそうです。


それもそのはず。ガボッシュはフランス生まれのイタリア育ち。暮らしていたのはイタリアのトスカーナ州、ピエトラサンタという街なのです。
その街で出会い、無機質な素材にガボッシュの新たな命を吹き込んだ人がいました。
それが彫刻家の星眞子(ほし しんこ)さんです。

星眞子さんは石巻出身の芸術家。
石巻女子高等学校を卒業後、三島学園女子大生活美術科に進学。昭和50年に卒業後、宮城教育大美術研究生を経て、以来さまざまな作品を発表してきました。
河北美術展で河北賞を4度受賞した経歴も持っています。

しかし星さんはより深く彫刻を学ぶために、また自らの彫刻家としての可能性を追求するために、平成3年イタリアに渡り、イタリア国立カッラーラ美術学校で学びました。

イタリアは、ルネッサンスに代表される昔から現代まで、数々の名のある芸術家を育んだ芸術の地。
特に星さんが移り住んだピエトラサンタという街は、大理石やブロンズの職人の街なのだそうです。

星さんは美術学校卒業後もイタリアの地にとどまり、平成25年末に帰国するまでの22年間、芸術家として活動してきました。

1F 正面入り口近くの大きなガボッシュ像

ガボッシュは星さんのアトリエに毎日のように遊びに来ていた近所の飼い犬だそうです。
面白いのは、星さんの飼い犬ではないという点です。
ガボッシュと星さんは一緒にピエトラサンタの野山を駆け巡り、長い時間を共有していたそうですが、ガボシュのこだわらない陽気な性格や、その肢体の美しさ、生命の不思議さや力強さ……など、作品からはイタリアの街で生きるガボッシュの生命力が伝わってきました。(ガボシュがこだわらない陽気な性格であったのかは私の勝手な想像ですが……)

そんなガボッシュが星さんの心を捉えたのも納得です。

宮城県立こども病院1F 待合室「まほうの広場」

星さんは、自分が作品を創ることで、東日本大震災後の子どもたちに大きな夢や希望を与えたいという思いを持って帰国しました。

「一般の方々だけではなく、病気と闘っている子どもたち、そして被災した宮城・福島・岩手の方々の生きる力にしていただきたい」

そんな強い思いを込めて、各地で展覧会を予定しています。他にも被災地でのワークショップを行うなどの活動も展開しています。

デッサン作品

現在は仙台市青葉区落合にある「宮城県立こども病院」で、帰国を記念した作品展を開催中です。
10年前の宮城県立こども病院オープンにあたり、作品を寄贈したのが縁でこの作品展につながりました。

また、期間中は入院中の子どもたちや、その家族、病院で働く人や関係者を対象にしたワークショップを毎週土曜日に開催しています。

少しでも希望や夢を持ってもらえるようにとの思いを込めた、特別な作品展です。

正面入り口に横たわるガボッシュ像。見る人によって受ける印象はさまざま。
こども病院に来る人の心にはどんなメッセージが届いているのでしょう

食堂から見えるテラスに置かれている大理石作品も星眞子さんの彫刻です


HOSHI SHINKO 大理石・ブロンズ・デッサン展
恋する犬 ガボッシュ

平成26年4月21(月)〜6月13日(金)まで宮城県立こども病院の1階にて開催中です。
(※ご覧いただくにあたっては、病院の諸注意に沿った対応をお願いしています。ご理解とご協力、よろしくお願いいたします)

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

【ご協賛のお願い】
大理石やブロンズ彫刻の運搬・設置費用、保険料・通信・広報・事務費用などが必要です。
展覧会を応援する皆さまのご支援を1口2,000円で募っております。ご協力をお願いいたします。

〈振込先〉
口座名義:HOSHI SHINKO 彫刻展実行委員会
郵便局から]ゆうちょ銀行 
       記号:18170 番号:39296451
他金融機関から]ゆうちょ銀行 
         八一八(ハチイチハチ)店
        (普)3929645



〈作品展に関するお問い合わせ先〉
HOSHI SHINKO 彫刻展実行委員会
ハート&アート空間ビーアイ内
TEL:022-262-2969  FAX:022-262-2975
メール:zoukabako@gold.ocn.ne.jp

(取材日 平成26年5月21日)

初夏のイベント情報 ~7月20日

$
0
0
にゃんこです。

本格的な夏に向けて、いよいよ県内のイベントも盛り上がってきました。
その土地の魅力をたっぷり感じられるお祭り、歴史資料に触れられる展示会
そして、ホヤやウニ、銀鮭など待ちに待った宮城の旬の味覚も登場です!

気になるイベントがあったら、早速お出掛けしてみてください♪

==================================
■イベント情報  ~2014年7月20日
※日程などは変更になる場合があります。詳細は各施設にお問い合わせください
==================================

写真展KOBE*HEART2014~つたえる~
5月28日(水)まで
会/せんだいメディアテーク
問/せんだいメディアテーク
http://www.smt.jp/

東日本大震災復興支援特別展
サントリー美術館 おもしろびじゅつワンダーランドin東北
6月1日(日)まで
会/仙台市博物館
問/仙台市博物館
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/

田束山つつじシャトルバス運行
6月1日(日)までの毎週土・日曜のみ運行
会/伊里前福幸商店街⇔田束山山頂
問/南三陸町観光協会
http://www.m-kankou.jp/

東日本大震災文庫展Ⅳ
「小松左京が遺したもの‐震災の記憶・未来へのことば‐」
6月27日(金)まで
会/宮城県図書館
問/宮城県図書館企画協力班
http://www.library.pref.miyagi.jp/

テーマ展示「復興と創造のために-宮城の復興発掘調査-」
7月13日(日)まで
会/東北歴史博物館
問/東北歴史博物館情報サービス班
http://www.thm.pref.miyagi.jp/

まるもりグリーン・ツーリズムおすそわけ博・春夏2014
7月31日(木)まで
会/丸森町内
問/丸森町観光案内所
http://www.marumori.jp/(丸森町観光物産振興公社)

第17回縄文いけばな展
5月30日(金)~6月1日(日)
会/七ヶ浜町歴史資料館
問/七ヶ浜町歴史資料館
http://shichigahama.com/edu/info/g01-070.html#kind2(七ヶ浜町)

第14回 とっておきの音楽祭
6月1日(日)
会/仙台市市民広場、定禅寺通り、勾当台公園、錦町公園、元鍛冶丁公園、一番町四丁目商店街、ぶらんど~む一番町商店街、サンモール一番町商店街、クリスロード商店街、せんだいメディアテーク、仙台駅前など
問/とっておきの音楽祭実行委員会SENDAI
http://totteokino-ongakusai.jp/

我歴Stock in女川
6月1日(日)
会/女川町立女川小学校校庭
問/女川福幸丸(我歴Stock in女川実行員会)
http://www.onagawa-fkm.com/


※ココロプレスでもご紹介しました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/stock61.html



金華ほや・帆立復興・感謝祭
6月1日(日)
石巻市寄磯浜漁港
三陸石巻金華ほや・帆立復興支援プロジェクト
http://www.kinka-hoya.com/

第8回まるごとうーめんまつり
6月1日(日)~30日(月)
会/白石市市内参加店舗
問/仙台・宮城観光キャンペーン白石市推進協議会(白石市商工観光課内)
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/(白石市)

夢いちごの郷ふれあい市
6月1日(日)
会/山元町農産物直売所「夢いちごの郷」
問/山元町農産物直売所「夢いちごの郷」
0223-37-1115

芭蕉の跡をたどる 風流旅
6月6日(金)
会/松島町内
問/松島観光協会
http://www.matsushima-kanko.com/event/detail.php?id=42

第8回「浜へ行こう!」
6月7日(土)、8日(日)
会/石巻市牡鹿半島谷川浜、佐須浜
問/特定非営利活動法人ジェン東北事業部 復興支援グループ
http://www.jen-npo.org/jp/n/news/8226/

第21回みやぎ川崎町支倉常長まつり
6月7日(土)、8日(日)
会/7日 川崎町役場
   8日 国営みちのく杜の湖畔公園南地区
問/川崎町地域振興課
http://kawasaki-asobi.jp/

お寺マルシェ
6月8日(土) 毎月第2日曜日 10:00〜15:00
会/柳津虚空蔵尊 (登米市津山町柳津字大柳津63)
※雨天時は会館内で決行
柳津虚空蔵尊
http://www.kokuzouson.or.jp/index.htm
お寺マルシェ
https://www.facebook.com/otera.marchais

マリンパル女川おさかな市場 銀鮭・かつお祭り
6月14日(土)、15日(日)
会/マリンパル女川おさかな市場
問/マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

塩竈市東日本大震災記録誌作成事業 関連ワークショップ 第1回
6月15日(日)
会/ふれあいエスプ塩竈 学習室1
問/塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

第32回一迫山王史跡公園あやめ祭り
6月20日(金)~7月9日(水)
会/一迫山王史跡公園あやめ園(栗原市)
問/一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,462,77,html(栗原市)

南くりこま高原一迫ゆり園
6月20日(金)~7月31日(木)
会/南くりこま高原一迫ゆり園(栗原市)
問/一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,466,77,html(栗原市)

石巻市民交響楽団 第9回ファミリー・コンサート
6月22日(日)
会/女川町立女川小学校体育館
問/女川町観光協会
http://www.onagawa.org/

第29回みちのく鹿踊大会
6月22日(日)
会/一迫山王史跡公園あやめ園(栗原市)
問/一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,462,77,html(栗原市)

第16回うめ~梅まつりinかくだ
6月22日(日)
会/角田市中央広場
問/角田市観光物産協会
http://www.kakuda-kankoubussan.jp/

第26回多賀城跡あやめまつり
6月24日(火)~7月6日(日)
会/多賀城跡あやめ園
問/同実行委員会(多賀城市商工観光課内)
022-368-1141(多賀城市役所)

第5回高蔵寺ホタルまつり
6月28日(土)
会/高蔵寺とその周辺(角田市)
問/高蔵寺ホタルまつり実行委員会
http://kozohotaru.exblog.jp/

牧山あやめ祭り(夏越しの大祓い)
6月25日(水)~7月6日(日)
会/牧山零羊崎神社(石巻市)
問/牧山零羊崎神社社務所
0225-23-2815

塩竈市東日本大震災記録誌作成事業 関連ワークショップ 第2回
6月29日(日)
会/ふれあいエスプ塩竈 学習室1
問/塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

松島のマルシェ「まつの市」
6月29日(木)
会/松島町文化観光交流館駐車場
問/松島町産業観光課
http://www.town.matsushima.miyagi.jp/(松島町)

東日本大震災復興祈念特別展 奈良・国宝室生寺の仏たち
7月4日(金)~8月24日(日)
会/仙台市博物館
問/仙台市博物館
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/

第20回みやぎ国際トライアスロン 仙台ベイ七ヶ浜大会
7月6日(日)
会/七ヶ浜町スリーエム湊浜海浜緑地周辺
問/みやぎ国際トライアスロン七ヶ浜大会事務局
http://triathlon-7.main.jp/(宮城県トライアスロン協会)

おがつウニまつり
7月上旬
会/おがつ店こ屋街(石巻市雄勝町)
問/おがつ復興市実行委員会(石巻市かほく商工会)
0225-62-3161

鹽竈神社例祭
710日(木)
会/志波彦神社・鹽竈神社
問/志波彦神社・鹽竈神社

マリンパル女川おさかな市場 うに祭り
7月12日(土)、13日(日)
会/マリンパル女川
問/マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

塩竈市東日本大震災記録誌作成事業 関連ワークショップ 第3回
7月12日(土)
会/ふれあいエスプ塩竈 学習室1
問/塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

東日本大震災復興支援 特別公開 ゴッホの《ひまわり》展
7月15日(火)~8月31日(日)
会/宮城県美術館
問/宮城県美術館
http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/

SUPER GTシリーズ第4戦 SUGO GT300kmRACE
7月19日(土)、20日(日)
会/スポーツランドSUGO(村田町)
問/スポーツランドSUGO
http://www.sportsland-sugo.jp/

雄勝ローズガーデン ラベンダー祭
7月20日(日)
雄勝ローズファクトリーガーデン
問/雄勝ローズファクトリーガーデン
http://ogatsu-flowerstory.com/

=====================

宮城県内のイベント情報も随時お待ちしています!

(にゃんこ)

お寺マルシェは毎月第2日曜日!(登米市柳津)

$
0
0
こんにちは、Chocoです。
今月の第2日曜日の5月11日、
登米市の柳津虚空蔵尊(やないづ こくぞうそん)でお寺マルシェが開催されました。



準備期間は2週間、
「先延ばしにしてしまうのは良くない。
準備万端ってどこまでいってもない。
だったら、見切り発車で良いから、走りながら皆で考えれば良い」
お寺マルシェを運営している杉田 史さんはそう言います。

今回は、新緑に包まれたお寺の中で開かれたこの小さなマルシェを紹介します。

=============
国道45号を石巻から登米市に向かって車を走らせ約40分。
右側に見えたお寺の表札の下に「お寺マルシェ」と書かれた看板がありました。そこを曲がると・・・

大きな鳥居がありました。

鳥居をくぐって、車を少し走らせると、「柳津虚空蔵尊」が見えてきました。
1200年以上の歴史をもつお寺の入口では樹齢400年の大樹が、来る人を迎えてくれます。

そして今日、敷地内で第1回目のお寺マルシェが開催されました。


「ここが喜びを提供できる場所になれたらうれしい」
と当日を迎えての想いを話してくれたのは、柳津虚空蔵尊の奥さんでもあり、お寺マルシェの運営者でもある杉田史さんです。

震災後、多くの人たちが、さまざまな支援を得て商売を始めました。
中には、手作りのものを細々と作り販売している人たちや、自分で何か始めてみようと思っている人たちもいます。
そんな人たちの「自己実現、表現ができる場所を提供したい」という想いからお寺マルシェが企画されました。



そして当日、手作りの雑貨やアクセサリーがたくさん並びました。
コーヒーやマッサージ屋さんも出店し、合計8店舗が集りました。









もう1人の人にお話を聞きました。
企画リーダーの阿部友美さんです。
阿部さんは、石巻市中央で南国リゾートの商品を取り扱うセレクトショップ「アトリエ阿友美」を経営しており、以前、お寺で春祭りが開催された時に出店しました。

その時、たくさんのお客さんが店頭に並んでいる雑貨をみて喜んでいたのを目にして、とてもうれしかったそうです。
そして、手作りの物を販売しようとしている人や団体はたくさんいるけど、販売する場所がないことを杉田さんに相談したそうです。

杉田さんの返事は、「ぜひ、やりましょう!」でした。
2人は共通して「1人で幸せになるのではなく、皆で共有して幸せになりたい」という想いがありました。
その想いが、形となりました。
たった2週間、されど2週間。
参加者みんなで案を出して、盛り上げていこうという想いで準備をしました。


そして、5月11日。
ついに第1回お寺マルシェの開催です。

「第2日曜日になったら、お寺マルシェへ来ようと思ってもらえるように。
そして、ここに来れば何かあるし、楽しいと思ってくれればうれしい」
と阿部 友美さんは言います。
「明るく!楽しく!お寺マルシェ」
阿友美さん
せっかくやるなら、
宮城一のマルシェにしよう!一番にぎわうマルシェにしよう!」
そんな想いでお寺マルシェが始まりました。


何事もやればできる。
思っているだけでは、何も事が進まない。
そんなことを今回も気付かされました。
当たり前のことだけれど、大切なことですよね。


木々に囲まれ、別世界のような心地よい空間の中で開催されたお第1回お寺マルシェ。

毎月第2日曜日に開かれます。
来月のお寺マルシェは、6月8日(日)です。
ぜひ、ご家族やお友達といらしてみてはいかがでしょうか。

===========
お寺マルシェ
日時 毎月第2日曜日 10:00〜15:00
場所 柳津虚空蔵尊 (登米市津山町柳津字大柳津63)
※雨天時は会館内で決行

柳津虚空蔵尊
http://www.kokuzouson.or.jp/index.htm

お寺マルシェ
https://www.facebook.com/otera.marchais

===========

(取材日 平成26年5月10日)

育児世代の雇用モデルを目指して!「ピースジャム工房」完成間近!(気仙沼市)

$
0
0
kaiiです。
東日本大震災以来、母子支援を続けているNPO団体ピースジャム(現在はNPO法人)が民間企業の支援を受けて、 岩手県との県境に近い気仙沼市西部の山間地域、廿一(にじゅういち)地区に建築を進めていた「ピースジャム工房(仮)」が完成間近です。

工房は気仙沼の市街地から車で15分ほどの、自然豊かな場所にあります。

工房の敷地の周りにはたくさんの緑の木々ときれいなせせらぎがあります

工房の敷地面積は950㎡。建物の床面積は132㎡です。
子どもを持つ母親たちが、子どもと同じ場所で安心して働くことができます。
震災後、子どもたちの遊び場と育児中のお母さんたちのくつろぎの場所が少なくなったことに配慮して、カフェ機能も備え、多世代が交流できるようになっています。

平成26年5月29日に竣工式を行う「ピースジャム工房(仮)」外観
(平成26年5月20日撮影)



NPO法人ピースジャムは、東日本大震災直後から乳幼児の救済と母子支援に取り組んできました。
震災直後はミルクやオムツを提供し、平成23年9月からは「ジャム」などの製造と販売を行って、子育てのためになかなか外に働きに出ることができないお母さんたちに、仕事の機会を提供してきました。
==========================

完成した工房では、「ジャムつくり」「縫製作業」「カフェの営業」などが行われます。



工房は、建築費を抑えるために、ハーフセルフビルドで建設されました。
工房の建設を担当した副代表の斎藤研吾さんは、人件費を抑えるためにできる限り自分たちで工房を建設しましたが、資材の値上がりや消費税増税などの影響を受け、当初見込んでいた金額を20%ほど超過しているといいます。

工房はできる限り死角がないように工夫され、作業する母親が子どもたちの様子をみることができるようになっています。
=====
工房の完成によって販路の拡大と生産力の向上、育児女性の雇用の拡大へ期待も高まります。

NPO法人「ピースジャム」の屋台骨
代表の佐藤賢さん(中央) 斎藤さん(左) 高橋さん(右)
(平成26年5月20日撮影)


代表の佐藤賢さんは
「総売り上げを現在の3倍まで持ち上げ、育児中のお母さんたちの雇用環境の拡充も図っていきたい。私たちの工房には託児機能もあります。仕事をしながら、子どもの様子を見ることができます。この環境は親子にとって安心できる環境です。日本の育児中の女性たちの働く環境のモデルになっていくように事業をすすめていきたいです」
と話します。

現在、ピースジャムで仕事をする育児中の女性は10人です。
カフェの展開などで雇用の拡大が期待されます。
=====
工房の竣工式は、平成26年5月29日午前11時から関係者50人ほどを招いて開かれます。
本格稼動は6月下旬頃を予定しています。
佐藤代表は、外溝整備のための資金が不足していることから、団体の行っている「女性の雇用支援事業」、「子育て支援事業」の趣旨にご賛同いただける多くの方に寄付を呼び掛けていま
す。

ピースジャムリンク先:http://peace-jam.jimdo.com/

======

工房の完成が団体の更なる飛躍と、佐藤代表の目指す育児中の女性たちの雇用モデルとなるよう願っています。


ココロプレスは以前も「ピースジャム」の活動を紹介しています。

なんで?ジャムなんですか? (気仙沼市+岩手県一関市千厩)
2011年12月26日月曜日
http://kokoropress.blogspot.jp/2011/12/blog-post_4795.html




(取材日 平成26年5月20日)

古文書は残された。大震災からの歴史資料の救出 ~慶長奥州地震津波 前編~(仙台市)

$
0
0
こんにちは、ザーリャです。

皆さんは、400年前の「奥州」(現在の東北地方)で、今回の東日本大震災に匹敵する大地震と津波があったことをご存じでしょうか。
先人は、その経験を後世の私たちに伝えるために、実は多くの記録を残しています。

なぜ、その記録が私たちに届くことがなかったのでしょうか。
なぜ、私たちは記録に手を伸ばさなかったのでしょうか。
その理由を考える必要があります。

震災後、「正常化の偏見」という言葉をよく耳にするようになりました。危険が迫ることを認識しても、人間には危険を無視する心理が働くというものです。私たちは無意識のうちに、知るべき情報を「正常化の偏見」という“ふるい”にかけて、都合の良いものだけを取捨選択していたのかもしれません。

「嘘や誇張があるのではないか?」。そんな偏見や先入観に惑わされず、あるがままに古文書の記録を受けとめたときに、私たちには何が見えてくるのでしょう。先人たちは、私たちに何を伝えようとして記録を残したのでしょうか。
伊達政宗や川村孫兵衛は、破壊された被災地に立ったとき、何を思ったのでしょうか。

それを知るために、私は仙台市の青葉山にある東北大学の川内キャンパスを訪れました。

-------------------------------------------------------------------------------

お話をお伺いしたのは、東北大学災害科学研究所で歴史資料保存研究分野の研究を行っている
蝦名裕一助教です。

蝦名さんは東日本大震災の発生以前より、現在はNPO法人である「宮城歴史資料保全ネットワーク」(理事長:平川新 宮城学院女子大学学長)を通じて、歴史資料の保全活動の最前線に立ってきました。現在は400年前に起こった慶長奥州地震津波の姿を、歴史学の視点から検証されています。

「震災によって、一般的だった多くの認識が変わりました」
そう語る 蝦名 裕一 助教
「ちょうど良い時にいらっしゃいましたね。パソコンで作った新しい資料もあるんです」
私がお伺いした2日前に、千葉県にある国立歴史民俗博物館で慶長奥州地震津波の講演をされてきたとのこと。
その時の最新の成果がまとめられた資料を拝見しながら、お話を伺いました。

なぜ歴史資料が重要なのか
東日本大震災が起こったことで、歴史資料に対する注目が高まっています。古文書などの歴史資料を分析することが、防災や減災にどうして役立つのでしょうか?


「私は今回の東日本大震災と同規模の大地震と津波が、400年前にもあったと考えています。つまり、低い頻度で発生する低頻度巨大災害を考えるためには、数百年、数千年といった長い歴史の中で、災害を調べなければなりません。日本で最古の紙は約1000年前のものです。したがって、歴史学、古文書からの研究は1000年ぐらいの災害の歴史がカバーできる有力な素材として、東日本大震災の発生以降注目を集めているのです。」

類いまれな日本の文書文化
そもそも、古文書には何が書かれているのでしょうか。なぜ普通のお宅の土蔵に保管されているのでしょうか。古文書に馴染みのない私たちにとっては、その内容の想像がなかなかつきません。記録ということは、日記のようなものを思い浮かべますが・・・?
蔵の中の様子。古文書は村の記録である(写真提供:宮城資料ネット)


蝦名さんは、地震で被害を受けた土蔵の写真を見せてくだいました。散乱する土蔵の中の長持(ながもち)には大量の古文書が縛られて入っています。「安政三年」と年号が確認できるものも見えます。

「東北の場合は、庄屋や名主である『肝入(きもいり)』や村役人が中心になって、それぞれの村々で民政が行われていました。そのさまざまな記録が古文書として残っているのです。江戸時代以降、爆発的に識字率が上がってきますから、日本における識字率や行政能力の高さを示す資料であるとも言えます」


「歴史資料の現状ですが、文化財指定になっているものはごくごく一部で、多くの書類はたいていは旧家の土蔵に眠っている状態がほとんどです。実際に蔵の中に入ってみると、長持に入った大量の古文書が、無造作に埃をかぶって置かれているようなことが多くあります。また、襖(ふすま)の下張に使わなくなった文書が貼られて残されていることもあります。一般の家に多くの古文書が残されている、これは世界にも類を見ない日本の文書文化(もんじょぶんか)であると言っていいと思います」
襖の下から現れた古文書 (写真提供:宮城資料ネット)
蝦名さんは、それを示す興味深い話をしてくださいました。

「アメリカの研究者が、1700年に北米西海岸で発生したカスケード地震の記録を探して、わざわざ日本に来た時のことです。アメリカには一切記録がなかったんですね。そうすると日本の岩手県や静岡県に残されていた古文書に、地震も無いのに押し寄せた異常な津波(『みなしご元禄津波』)として、記録されていたのです。

それによって地震発生の正確な日時まで特定できたのです。実はアメリカ西海岸で起きた遠地津波だったのですね。そのアメリカの研究者は、『日本にはこんなに記録があるのか』と言って驚いている。日本にはそのように、類いまれな文書文化があるのです」

日本に残された記録は、質・量ともに、世界でも抜きんでている。この意外なお話には、私も驚きました。

日本の古文書はもはや日本だけの記録ではなく、人類にとっても貴重な記録だと言えそうです。






◆NPO宮城歴史資料保全ネットワークの設立と保全活動
ただ、こうして残ってきた歴史史料も個人の所有物であるため、世代交代や改築に伴って処分されるという現実があります。また今回の東日本大震災のように、天災によって一瞬にして失われることもあります。資料の保全活動は、実際にどのように行われているのでしょうか?


「わたしたちがそのことを強く認識することになったのが、2003年の宮城県北部連続地震でした。地震の発生後、歴史研究者と学生で歴史資料のレスキューのために現地に入ったのです。ところが、作業に時間がかかったこともあって、現場に到着する前に『もう捨ててしまったよ』というケースが多かったのです」

これではいけないということで設立されたのが、「NPO宮城歴史資料保全ネットワーク」(以下、「宮城資料ネット」)でした。近い将来に高い確率で起こる宮城県沖地震への備えという意味もありました。蝦名さんは当時まだ学生でしたが、その活動に深くかかわるようになったといいます。

古文書を一枚一枚撮影する (写真提供:宮城資料ネット)
「宮城資料ネットとしては災害発生の前から歴史資料の保全活動を行うという形で始めていきました。最初は沿岸地域の資料調査を行いましたが、2008年に宮城岩手内陸地震が発生します。

宮城資料ネットは地震発生当日には対処リストを作成し、それを元に現地での資料調査を行いました。資料の存在を確認すると、現場でデジタルカメラを使って写真撮影を行います。こうしてデジタルで記録することで歴史情報を残すのです。

撮影を終えた原本は中性紙封筒(中性なので酸化、劣化しにくい)に入れて、所蔵者の方にお返しします。いわゆる、「宮城方式」と言われる資料保全のモデルです。所蔵者との信頼関係を損なわないこの方式が、全国にも広がりつつあります」

資料を持ち帰らず、その場で写真を撮って所蔵者へ返却する「宮城方式」。蝦名さんはその理由をこう話します。

「資料の分析をするときには、写真を見ればいいのです。写真だから、原本を痛めることもありません。なによりも、これらの古文書は個人の歴史でもありますが、同時に地域の歴史でもあります。できるだけ地域に残るような形が、より好ましいと考えています」

東日本大震災の発生
そして、2011年に東日本大震災が発生しました。
組織を構成している大学の事務局そのものも被災し、大きな被害が出ました。震災前には数多くの古文書の存在も確認されていた沿岸部も、集落は津波にのまれ、瓦礫しか残っていない状態になっていました。

「資料が残っていても、津波をかぶってしまったものはカビが生えてしまったり、泥や汚水で傷んでいました。文化財として、たいへん危機的な状況です。また、建造物への被害も甚大だったために、解体される家屋も多かったのです。資料の保管場所がなくなると、古文書も廃棄してしまう。歴史資料にとって多くの危機的な状況が一度に現れたのが、東日本大震災の特徴でした」
津波により被害を受けた古文書(写真提供:宮城資料ネット)
被災資料の保全活動
東日本大震災以降、宮城資料ネットでは、危機に瀕した歴史資料のレスキューに当たりました。HPでは、現在の取り組みと合わせて、当時の緊迫した被災地の文化財の報告を見ることができます。

宮城歴史資料保全ネットワーク
http://www.miyagi-shiryounet.org/

「東日本大震災では宮城資料ネットの保全活動だけではなくて、文化庁が全国的な組織として被災文化財等救援委員会を作りました。全国から文化財にかかわる専門職の方や博物館関係者が被災地へ入り、こうしたレスキュー事業を手伝ってくださりました。もちろん全国各地から個人の支援やボランティアもありました。日本において、官と民が一緒になって歴史資料を救出した先例になったと言えるでしょう。そういった協力関係が、今回の歴史資料のレスキューにかなり役立ったと言えます」

歴史資料の保全は「心のレスキュー」
東日本大震災以前に、宮城資料ネットでは沿岸部の古文書の写真撮影も実施していました。沿岸部では、実物資料は津波によって亡失してしまったケースもありました。その結果、宮城資料ネットで撮影していたデータだけが、唯一の資料になってしまったと蝦名さんは言います。
レスキューを行った石巻門脇の本間邸の蔵
市民の寄付によって修復保全されることになった(写真提供:斎藤秀一写真事務所)
「こういった保全活動を続けることで歴史情報を後世に残すことができます。『自衛隊は体のレスキューをするけれども、古文書を残すことは心のレスキューである』と言われたこともあります。実際に被災された方の家に行きましても、『全てが無くなりましたが、家の歴史だけは、おかげさまで残すことができました。』といっていただくこともありました。古文書を残す事、地域の歴史を守るということは、『心のレスキュー』であると考えています」

保全資料の活用
こうして守った貴重な歴史資料を、これからどのように活用してゆくのでしょうか?

「今年3月ぐらいから宮城資料ネットでは、『歴史叙述再生事業』というかたちで、地域の本を作るようにしています。今、被災地が大きく変わろうとしています。その地域の歴史を残してゆこうという取り組みです」


よみがえるふるさとの歴史 1
『荒浜湊のにぎわい 東回り海運と阿武隈川舟運の結節点』 : 井上 拓巳

よみがえるふるさとの歴史 2
『慶長奥州地震津波と復興 400年前にも大地震と大津波があった』 : 蝦名 裕一


資料の応急処置
震災が発生した2011年、蝦名さんたちは週に23度の頻度で被災地に入り作業を行っていました。現在はだいぶ状況が落ち着き、応急処置のために大学へ搬入した資料の保全作業に力を入れているそうです。
宮城資料ネットでの資料の応急措置の様子は、2012年のココロプレスでもご紹介しています。

「和紙と墨」
http://kokoropress.blogspot.jp/2011/12/blog-post_844.html

「今はレスキューしたさまざまな文書を同時並行で保全処理しています。資料が『これ以上状態が悪くならない』という状態にするのが応急措置です。今のところ、約5万点にはなると思います。作業はこれからもずっと続いていきますし、今後も建造物が解体されるようなことろが出てくれば、資料の保全をしてゆきます」

震災で傷んだ建造物の取り壊しは、現在も行われています。蝦名さんは、震災から3年を経た今でもレスキューの要請が止まることはないと言います。


「資料を解読して、歴史学研究をしたり、こうした本にすることで活用してゆく。もう少し進んでいくと、地元の資料を使って古文書教室をやったり、今度は古文書を知的財産として地域に還元してゆくことができます。古文書が地域の共有財産として活用できるようになってゆくはずです」

保全した資料の今後の活用について、蝦名さんはそう話しました。


(つづく)




続編はこちら・・・
2014年5月30日 金曜日
古文書は残された。ゆがめられた解釈 ~慶長奥州地震津波 中編~(仙台市、岩沼市)

http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_169.html

-----------------------------------------------------------------------------

次回は、最新のデータを交えて見えてきた「慶長奥州地震津波」について、引き続き東北大学の蝦名裕一助教にお話をお伺いします。

※本文中の写真は宮城歴史資料保全ネットワークよりご提供いただきました。




宮城歴史資料保全ネットワーク
http://www.miyagi-shiryounet.org/



(取材日 平成26年4月30日)

笑顔と笑顔をマッチング!(南三陸町歌津)

$
0
0
石野葉穂香です。

今回は、南三陸町へボランティアに来られる方々と、地元の皆さんのマッチングにご活躍されている方を紹介します。

昨秋、愛知県から南三陸町に応援職員として派遣されていた篠原英明さんという方を紹介させていただきました。
「出会いこそ支援。派遣職員大活躍!」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_331.html

篠原さんが「僕よりもっとスゴイ人がいます」とご紹介くださったのが、岡山県から石巻市の県事務所へ派遣されていた小野亮さん。
「世の中は「おたがいさま」 ~派遣職員大活躍!その2」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html

そして、その小野さんが「僕よりもっとスゴイ方」とおっしゃるのが、今回、取材させていただいた及川学さんです。

被災地では、誰かのお手伝いが欲しいという方が、今もたくさんいらっしゃいます。
ボランティアさんと、現地の方々を繋いでいるのは、町のボランティアセンター(=ボラセン)や、NPO団体などですが、中にはどこにも所属せず、個人的な人脈を使って「ボランティアを繋ぐボランティア・コーディネーターさん」もいます。

ボランティアの現地コーディネーターさんを通じると、ボラセンなどの団体を経由するよりも、直接、地元の方と触れ合える機会が多く、「地元の方と交流したい、お話がしたい」と考えるボランティアさんに好評なのだとか。
「地元の方と交流したい、お話がしたい」。そう考えるボランティアさんは多く、そして実際、ボランティア活動をキッカケに、今では家族ぐるみで行き来している・・・なんていう方々もたくさんいらっしゃいます。

5月4日。南三陸町歌津の馬場中山地区で
関東・関西から来られたボランティア「チームミタ」の皆さんが
田んぼの横に芝桜を植えてくださいました。

でも、震災から3年が過ぎて、仕事や家業や家事が忙しくなり、ボランティアさんの〝取り次ぎ〟が難しくなってしまったという方も少なくありません。
だけど、これまでの経緯から、お断りはしたくない・・・。
そんなとき、とても頼りになる方が、及川学さんなのです。
多くの方を結びつけるバイタリティー。だけど力の入りすぎていない自然体。飄々としているけれど胸は熱い――。

歌手・河島英五さんの『時代おくれ』の歌詞を思い出させるような方です
(歌詞は検索してみてください)

真ん中の赤い服の方が及川学さん。目が光に弱いとのことでサングラスをかけていますが、
これが及川さんのトレードマークにもなっています。
「たばごどき(休憩時間)」のおやつは、ボランティアさんのおみやげの笹団子

及川さんは、南三陸町・歌津の馬場中山地区でワカメ漁家を営む方です。
馬場中山地区は、被災直後、道が崩落して孤立したため、地区の方々が自ら重機やスコップをふるって「未来道」という避難道路を開削したことでも知られています。

「未来道」については・・・
2013年11月22日 金曜日
ひとつになったふたりの「未来道」(南三陸町歌津)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_7723.html


震災から数週間後、及川さんは、営業を休止していた国道沿いのコンビニで車を停めていたグループに声を掛けました。「この町に炊き出しに来た」という北海道のボランティアの方々でした。
「じゃあ、その炊き出しを、ぜひ、ここでやってください」

及川さんはコンビニの店主さん、地主さんと相談し、駐車所を片付け、水を集め、仮設トイレも持ってきて炊き出しをサポート。
北海道のボランティアの方の炊き出しはそれから約半年間続き、さらにはラーメン協会の方がこれを引き継いでくださって、実に2年間も続けられたのでした。

及川さんがコーディネートされた多くの方が、
帰宅後、こんなフォトアルバムを作って送ってくださるそうです


その活動がテレビで紹介され、番組を見た人たちが「南三陸でボランティアをしたい」と、及川さんに連絡する人たちが増えたのだそうです。
及川さんは、基本的にお断りすることがありませんでした。

そうしているうちに、及川さんは、ちょっとした有名人になってしまい、「ヒーロー」的に報道されたこともあったそうです。でも、及川さんはそうした周りの評価に違和感があったとか。

九州の大学生チーム。彼らと及川さんのステキなエピソードもあるのですが
それはまたの機会に紹介させていただけたらと思います


「自分はヒーローなんかじゃないです。見返りを求めてやってたワケでもない。ボランティアの方に、南三陸に来てよかったって喜んでもらえたら・・・そう思って続けてきたんです」

また、ある時には「ボランティアをたくさん受け入れて、地元の人間を甘やかしている」なんて言われたこともあったそうです。

「震災直後には笑えなくなった自分がいました。でも、今は声を出して笑える。自分たちを笑顔にしてくれたのはボランティアの皆さんのおかげ。僕の思いは一つ。南三陸の人たちも、ここに来てくれたボランティアさんも笑顔になってほしい。ただ、それだけです」

地域に花を植えたい・・・。
生活に直結した切実な〝仕事〟ではないのかもしれないけれど、
そんな人々の願いをお手伝いするボランティアもあるのです。
地域のニーズはさまざま。お手伝いできることはまだまだいっぱいあります。

及川さんに連絡をくれる方は、ボラセンを通さない方がほとんど。大人数のちょっとした団体さんから数人のグループまでさまざまです。

でも、「パソコンも使ってないし、フェイスブックとかもやってない。連絡は携帯一本です。そして、誰と誰を結びつければいいか、全部、頭の中に入ってます」

パソコンは便利だけど、ほんとうの結びつきじゃない感じがする、と及川さん。

「ボランティアの皆さんには、出会った地元のじいちゃん、ばあちゃんに、あとで手紙かハガキを出してくださいねって言います。お年寄りたちは、SNSもメールも使わない。孫ほど歳の離れた若い人たちからもらう手紙やハガキは、みんなの宝物になります」


及川さんに届けられた手紙の一部。
もう段ボール数箱分になっているそうです

手書きの文字で綴られた思いや感謝は、電子画面のフォントでは伝わらないぬくもりも伝えてくれます。
「〝思い〟や〝心〟は目に見えません。でも、〝思いやり〟や〝心遣い〟は形になって見えるし、残る。『来てくれたあの子たちに、また会いたい』って思えることは、お年寄りの生き甲斐になるんです」

南三陸に来てくれる人のために、南三陸の人間ががんばらないといけない、と及川さんは言います。
「目の前は『太平洋銀行』。そこにある貯蓄は誰でも引き出せる。多くの人が自立に向けてがんばっていますが、できていない人は誰かの力を借りればいい。手を借りながらの復興は、まだまだ続きます」

5月4日、馬場中山で芝桜を植えてくださった「チームミタ」の皆さんと及川さん。
前列左から、ゆりっぺ、及川さん、エビちゃん、後列左からナカタッチ、ミタさん、ゆっきーです。

ボランティア活動も、出会いとふれあいの場です。
心と心を結びつけ、ひとりでも多くの人が笑顔になってくれたらいい。

でも、できないことはできないと言うし、ムリはしない。目立ったりもしたくない。
みんなの心を見つめ続けて、出会いへの感謝は忘れない――。

『時代おくれ』の男に会いました。

(取材日 平成26年5月4日)

PARK ROCK2014は、6月7日(石巻市)

$
0
0
こんにちは、Chocoです。
6月、私のまわりでは2週連続で音楽イベントが開催されます。

女川で開催される我歴stockの翌週、6月7日(土)に開催される音楽イベント
「PARK ROCK ISHINOMAKI2014 Get Ahead〜音楽と共に次のステージへ〜」

「震災の風化抑制、石巻の活性化、石巻の新たな音楽文化の創出」をテーマに昨年からスタートした音楽イベントです。

PARK ROCK ISHINOMAKI 2013の様子はこちら
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/05/one-park.html(当日の様子)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/07/park-rock.html(実行委員長の想い)

「石巻に音楽の根強い文化がいずれでき上がり、いずれ音楽を通して震災を語って行けたらいいな」と語るのは、実行委員長の岡泰史さんです。

昨年は、魚町にあるONE PARKが会場となりましたが、今回は、石巻の街を体感してもらいたいという想いから、石巻の街中にあるライブハウス・イベントスペース(石巻BLUE RESISTANCE・Soul to Soul・IRORI石巻 等)でイベントが開催されます。

さらに、被災の歴史を風化させないための語り部バスツアーも、昨年に引き続き仙台発と東京発の2つの便で企画されています。
東京発・仙台発バスツアーの詳細はこちら→http://parkrock2014.net/bustour.html


「アーティストさんとの繋がりを保ち続け、いずれになったその時が新たな文化ができ上がる時かもしれません。音楽の側面からも震災を伝えていけると思っています」

昨年、実行委員長に書いてもらったメッセージ
「音楽を通して人々と石巻を繋げたい」という想いから始まったのがPARK ROCK ISHINOMAKIです。

2回目の今回、その想いは、より強くそして広く人々に伝わっているような気がします。
昨年に引き続き、参加するアーティストもたくさんいます。
想いに賛同して新たに加わったアーティストもたくさんいます。
そして、今回も石巻の街中で熱い音楽を鳴らしてくれます。


そして今回は、石巻の女子高生のグループIshinomaki GIRL'sの皆さんが、イベント当日までの間、カウントダウンをインターネット上で行なっています。



Ishinomaki GIRL'sは、この夏ISHINOMAKI COLLECTION「マキコレ」というファッションショーを開催します。それに向けて、現在準備が進められています。
詳しくは後日の紹介します。

ぜひ6月7日は、石巻へお越しください。
==============
「PARK ROCK ISHINOMAKI 2014」Get Ahead ~音楽と共に次のステージへ~

開催日:2014年6月7日(土)11:00 OPEN / 21:00 CLOSE
会場:石巻 BLUE RESISTANCE / Soul to Soul / IRORI 石巻 ※他数カ所予定
チケット:前売:¥4,500、当日:¥5,000
※チケット購入詳細はこちら→http://parkrock2014.net/ticket.html

===============
協賛のお願い
PARK ROCK ISHINOMAKI 2014は、皆さまの協賛を募集しています。
個人協賛 一口 1,000円〜
企業・団体協賛 一口 10,000円〜
また物品協賛等も随時受け付けておりますのでお気軽にご相談ください。
協賛の詳細・申込は、公式ウェブサイトで掲載されていますのでご覧ください。→http://parkrock2014.net/kyosan.html




(取材日 平成26年5月27日)

BRTで被災地の今を訪ねる!その3(登米市)

$
0
0
kaiiです。
気仙沼からBRT(バス高速輸送システム)に乗って始めた旅も、そろそろ終わり。
終着駅のある登米市津山町横山を目指して、南三陸町を出発です。

2014年5月6日 火曜日
BRTで被災地の今を訪ねる!その1(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/brt1.html

2014年5月10日 土曜日
BRTで被災地の今を訪ねる!その2(南三陸町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/brt2.html

津波被害を受けた南三陸町志津川の海岸線
志津川湾にはたくさんの養殖施設が設置されています

陸前戸倉駅に着きました。
線路が流され痛々しかった場所に、駅舎が建設されていました。

復旧工事も進められています。

志津川町戸倉地区に来ると、「こんなところまで津波が・・・」と思う場所が多くあります。
「自分の命は自分で守る」。そのことを考えずにはいられません。



本日の旅の目的地「陸前横山駅 」に到着しました。


陸前横山駅から徒歩10分のところにある「横山不動尊」(大徳寺)へ。



大徳寺は、東北三十六不動尊霊場第二十六番札所です。


東日本大震災で被災し、京都で大修復された横山不動明王像(横山お不動さん)が、約2年ぶりに横山不動尊へ帰ってきました。


3月6日には「還座(げんざ)開眼法要」が執り行われました。
4月25から29日までの5日間にわたり、修復を祝う春季大祭典が行われました。


日本三不動の一つと称される横山不動尊の例祭では、五穀豊穣や家内安全などを祈念して大祈祷が行われます。


今年は12年に1度の御開帳にあわせ、東北三十六不動尊霊場特別出開帳も開催されていました。



横山不動さんへ行く道筋にはきれいな花がたくさん咲いていました。




横山のお不動さんに被災地の復興と人々の健康をお願いし、気仙沼から始めたBRTでの旅は終了です。

被災した場所を感じる旅の中で「命を守ること」を深く考えました。

「つなみてんでんこ」~自分の命は自分で守る。
そうは言われるものの、高齢化が進む地域を見回すと、「てんでんこ」では生かすことができない命が多くなっていることにも気がつきます。

被災地は復興途中。まだまだ災害に対しての抵抗力がありません。
この状況の中でたくさんの命が守られ、生きられる環境や手段を考えることが急務だと感じる旅でした。

(取材日 平成26年4月29日)

【ボランティア募集】7~11月関西発・石巻へ

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

今回は、兵庫県神戸市でボランティア支援を行っているNPO法人「しゃらく」さんをご紹介したいと思います。

NPO法人「しゃらく」さんは、北上川河口に位置する石巻市尾ノ崎地区で津波の被害を受けた築100年の古民家を修復し、民宿や休憩所、防災教育の拠点所として再生する「古民家再生プロジェクト」を運営しています。

「最終的に目指すのは、家一軒を直すことではありません。修復成った古民家を拠点として、再び人が集い、暮らしの息づく元気な地区を取り戻し、小さいながらも着実な“復興”のモデルを作り上げることが本当の目的です」
と話すスタッフの国本豊泰さん。

2012年の夏にスタートした「古民家再生バスツアー」はこれまで計16回を数え、のべ342人のボランティアが参加しました。
今後さらにプロジェクトを進めていくためには、手を動かし汗を流すだけでなく、これから先の長い道のり、尾ノ崎に寄り添い続けてくれる方々の応援が必要です。
そこで現在7月~11月の各日程で参加できるボランティアの方を募集しています。



女性の参加者もたくさんいます!
==============================
■ボランティアツアー情報 
※活動内容やお申込みなどの詳細はHPよりご確認ください。
==============================
■古民家再生バスツアー
出発地:神戸三宮、JR新大阪駅
活動場所:石巻市尾ノ崎地区
◆ツアー日時
・7月4日(金)~7月7日(月)
・7月18日(金)~7月21日(月・祝)
・8月1日(金)~8月4日(月)
・8月15日(金)~8月18日(月)
・8月29日(金)~9月1日(月)
・9月12日(金)~9月15日(月・祝)
・9月26日(金)~9月29日(月)
・10月10日(金)~10月13日(月・祝)
・10月31日(金)~11月3日(月・祝)
・11月21日(金)~11月24日(月・祝)
金曜日に神戸三宮(21:00)/JR新大阪駅(22:00)を出発。
月曜日にJR新大阪駅(7:00)/神戸三宮(8:00)に帰着。
◆募集定員/各回24名
◆募集締切日/原則として各出発日の4日前
◆参加費/29,800円(税別)
活動内容
・古民家裏山で簡易避難所を設営する作業
・家屋内の片付け、敷地内の清掃
・家屋の土壁塗り、風呂小屋の設置
・その他、漁業作業や行事の準備など、地域で必要の出た作業のお手伝い
・仮設住宅団地の清掃、整備作業
※活動内容は現地からの要望を受けて回ごとに決定しますので、各回に上記のすべてが含まれるわけではありません。ご了承ください。


夜は古民家に併設する農業用ビニルハウスに宿泊します




主催者の方よりメッセージ
 「被災地の復旧作業は日を追うごとに進み、シャベルや手押し車を手にして汗水流す“ボランティア作業”の必要はますます減ってきていますが、当ツアーは一昨年のスタート時から、既存の枠組みにとらわれない、柔軟な形でのボランティアコーディネイトを実施してきました。一風変わったツアーの内容に、わずかながらも参加者から戸惑いの声が出たこともありました。
 しかし私たちは、“被災地が本当に求めているものは何か”というボランティアの基本を何より大切にしたい。例え決まり切った形をはみ出したとしても、その時々に必要とされる活動を、長く続けていきたいと考えています。
 これまでの参加者の間では、ツアーが終わってからも活発な交流があります。たくさんの方々がこのツアーをきっかけに新しい仲間となり、みんなで被災地を想い続けてくださっていることに励まされ、今シーズンも実施を決定しました。この息の長い活動の輪に加わりたいという方々、ご参加を心からお待ちしています!」
(NPO法人しゃらく 国本豊泰さん)

◆問い合わせ先
NPO法人しゃらく
http://www.123kobe.com/for311/kominka2014.html



ツアーに参加された方の中には
「また参加したい!」
「また必ず会いに行きます!」
と話される方が多いそうです。

「ボランティアツアーをぜひ楽しんでください!」
国本さんたちの復興に懸ける想いがこの一言に集約されているのではないでしょうか。
“人と人との繋がり”の大切さを感じられるこのプロジェクトを一緒に盛り上げていきたいという方、ぜひ参加してみてください!

------------------------------------------------------------------
“被災地を忘れないでほしい”そういった願いに全力で答えてくれる方々がいる。
ココロプレスでは今後もこういった活動をご紹介していきたいと思います。

(取材日 平成26年5月28日)

古文書は残された。ゆがめられた解釈 ~慶長奥州地震津波 中編~(仙台市、岩沼市)

$
0
0
こんにちは、ザーリャです。

前回は 東北大学災害科学国際研究所の蝦名裕一助教に、資料保全の取り組みについてお話をお伺いしました。

「古文書は残された。大津波からの歴史資料の救出 ~慶長奥州地震津波 前編~」

http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_28.html


今回は全3回の中編として、慶長奥州地震・津波についての最新の研究成果のお話です。
蝦名さんの文献の再検討によって、さまざまな新しい事実が浮かび上がってきました。
-----------------------------------------------------------------------

津波の記録の検証

「慶長三陸津波」という表記は、おかしい
蝦名さんは慶長16年(西暦1611)に発生した地震を、「慶長奥州地震津波」と呼んでいます。
慶長の地震津波の名称として長い間、「慶長三陸地震津波」と呼ばれてきました。しかし、蝦名さんはこの名称の使用に疑問を持っていたといいます。

「まず、『三陸』という言葉が、明治以降に成立した新しい言葉です。これを江戸時代初期の出来事に用いるということは、例えるなら、水戸黄門が『助さん、格さん、今がチャンスです!』というのと同じぐらいおかしいことです。それに加え、相馬藩まで被害がありましたから、被災した地域を示す名称としても適切ではありません。

また、最近相馬市で調査した文書には「奥州筋生波(ツナミ)」と記されています。つまり、当時の人たちも「奥州で津波が起こった」と把握している。これらのことを考えても、「慶長奥州地震津波」というのがもっとも適切だと考えています。」

誤った名称の普及が、人々に誤ったイメージを定着させます。そのことが、災害発生時に被害を拡大する可能性があると、蝦名さんは防災の観点からも警鐘を鳴らします。

「震災前に『仙台平野に三陸津波が来るよ!』、といっても、ピンとこないわけですよね。『三陸って、岩手県の方の事だよね(わたしたちの地域は大丈夫だろう)。』と、人はそう思ってしまうわけです。

一般の人々に訴えかける言葉として考えたときに、言葉の持つ重みというものを考えなくてはなりません。そこから変えていって、さらに津波像というものも再検討しようというのが、今回の私の研究のスタートになりました。」

津波の記録を読み直す
実は、慶長奥州地震津波に関する歴史記録は、もともと把握されていたものだけでも、かなりの数が確認されていたそうです。

「北海道から福島県まで太平洋沿岸地域には多くの記録が残っています。仙台藩領ではスペイン人探検家のビスカイノの記録、政宗の家臣である真山家の記録、千貫山に津波が到達した記録などがあります。江戸に滞在していた公家の日記にも、「この日、江戸で大地震があった、翌日まで余震が続いた。」と記されています。歴史資料から見れば東日本大震災と同じぐらい、江戸まで大きく揺れる地震があったことは確かなのです。」

これだけあった先人の記録が、なぜあまり知られてこなかったのでしょうか。

「従来の研究では「ビスカイノや政宗の記録は怪しい」、「仙台以南の被害は疑わしい」という評価があったのです。このような慶長奥州地震津波の記録に対する、懐疑的な見方が広がっていました。そのことが、東日本大震災までの地震津波研究に影響を及ぼしています。」
「震災前は明治時代以降の津波研究が中心でした」 と語る蝦名さん
矛盾のない『ビスカイノ報告』
蝦名さんは、信憑性が低いとされてきた慶長奥州地震津波の記述について、ひとつひとつ再検証を試みていきます。その中のひとつに、地震の発生当時、仙台藩領で測量を行っていたスペイン人探検家セバスティアン・ビスカイノの記録があります。しかしこれまでは、この資料にはかなりの誇張が含まれるという研究者もいました。

「ビスカイノが津波に遭遇した場所というのは、今の大船渡市内から越喜来(おきらい)にいくあたりでした。ビスカイノは越喜来に到着する前に、人々が山の方に逃げてゆく姿を目にします。記録によれば『その後に、海水が三度にわたって満ち引きをし、村の人々は人命や財産を失った。津波の後、越喜来の村落に到着したが、被害を逃れた家で我々は歓迎を受けた』、そんな内容を述べています。

従来の見方では、津波で混乱している集落の中で、『歓迎される』というのは全く不自然である、だからビスカイノの話は嘘だ、と言うわけですね。しかし、検証を進めてゆくと、越喜来で慶長のころから代々肝入(きもいり)を務めた家は高台に家があって、今回の津波でも被害が及んでないことがわかりました。

ビスカイノの一行を接待したのは、当時の政宗の命によるものです。おそらく肝入の家ではすでに準備をしていた訳ですね。高台で津波の被害もなかったので、ここでビスカイノ達がご飯を食べさせてもらったり、補給を受けることは全く不自然ではありません。

政宗が家康に話した「千貫松」の検証
徳川家康の周辺情報を記したものに、『駿府記』または『駿府政治録』というものがあります。その中の記述に、政宗が家康に報告した慶長奥州地震津波の様相が記されています。しかし、その内容はビスカイノ報告と同様に、政宗の創作と言われてきました。政宗は、家康に作り話をしたというのでしょうか?蝦名さんは資料からその事実を読み解きます。
 かつて松林が広がっていた 千貫山
「政宗が家臣に魚捕りを命じたら、彼らは津波に遭遇してしてしまい、流されてある山の上に打ち上げられた。そこの松の木に船をつないだら、これが『千貫松』と言われる場所であった、そういう内容の資料です。千貫山というのは標高190mぐらいですから、この山頂まで津波が来たかというと、そんなことは普通に考えておかしい。だから信用できない、政宗の創作であろうと言われています。
これについて、千貫山を記した絵図を検証すると、松林が山頂からふもとまで続いているのがわかります。つまり千貫山の『千貫松』というのは『千貫山の山頂』ではなくて、『千貫山の松林』を指していると考えるべきです。

現在の千貫山は海から7~8キロ内陸ですから、普通に津波が押し寄せたとは考えにくいのですが、実は昔の地形は今とだいぶ違います。今は無くなってしまった阿武隈川の河道が、千貫山の近くまで延びていたのです。つまり、慶長の津波が河川遡上して、千貫松付近まで到達したということが考えられます。」

東日本大震災では、河川遡上した津波が内陸で甚大な被害をもたらしています。北上川では津波が50㎞も遡上した例が報告されています。

確認された津波の痕跡
また、千貫山がある岩沼市の内陸まで津波が来たことを示す痕跡が、昨年の発掘調査で見つかりました。なぜこれらの津波の痕跡が、いままで見つからなかったのか。蝦名さんは仙台藩の新田開発と無関係ではないと言います。

「去年、岩沼市高大瀬(たかおおせ)遺跡で慶長奥州地震津波によって運ばれたと思われる砂の層が確認されました。この物証が出たことによって、貞観(じょうがん)、慶長それから平成と、三度の巨大津波が岩沼市付近に到達していたことがわかりました。

この津波が残した大量の砂は、本来は地表一面に覆っていたはずです。しかし、その後の仙台藩の開墾や耕作によって、その津波層のほとんどが無くなってしまっているのです。それだけ、仙台藩が津波被災地域で盛んに新田開発を行っていたと言えます。幸いなことに高大瀬遺跡では痕跡がしっかり残っていました。間もなく、化学分析の成果も出ると聞いています。そうなれば、さらにいろいろなことが分かるでしょう。」
津波による堆積が見つかった、新菱沼の津波堆積物地層
---------------------------------------------------------------------------

震災が発生してから、学会でも学際的な取り組みが進み、文理連携の調査が新しい成果を上げています。お互いの調査結果を補完しあうことによって、高大瀬遺跡の例のように、それまで文献だけでは確認できなかったことが、科学的な調査からも判断できるようになってきました。
東北大学災害科学研究所の取り組みはその代表的なものです。
蝦名さんも歴史資料に基づいたGPS測量と数値計算から、慶長奥州地震津波のシミュレーションを行っています。
津波の真の姿はこれからさらに正確に判明してゆくでしょう。

最終回となる後編では、文献の再検討によって浮かび上がる、政宗と仙台藩の復興への取り組みについてご紹介します。

※本文中の写真は蝦名さんよりご提供いただきました。


(取材日 平成24年4月30日)
Viewing all 1285 articles
Browse latest View live