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復興ジュニアテニス教室開催!(気仙沼市)

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kaiiです。

小学生を対象としたテニス教室が、気仙沼テニス協会の主催で開催されます。
講師は大阪在住の元プロテニスプレーヤー、吉田賢志さんです。

気仙沼テニス協会の小山克夫会長は、「できるだけ多くの小学生にテニス教室に参加してもらい、テニスの楽しさを知ってほしい」と話します。

平成26年2月23日気仙沼で開かれたテニス教室の様子
最終列右から3番目:講師吉田賢志さん
(写真提供:小山克夫さん)

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復興ジュニアテニス教室

開催日時:平成26年6月15日(日) 13時〜16時
開催場所:気仙沼市総合体育館 (Kウェーブ)サブアリーナ
     〒988-0171 宮城県気仙沼市赤岩牧沢44-180
     
募集人数:40人

登録料:無料
参加費:300円

*動きやすい服装・運動靴・タオル・水分補給用の飲み物は各自ご準備ください

参加申し込み・お問い合わせ先:気仙沼テニス協会 小山克夫さん 080-6002-0257
主催:気仙沼テニス協会

気仙沼テニス協会では、テニス教室を毎月一回開催する予定です。


講師を務める吉田賢志さんは仕事の合間をぬって、ボランティアで大阪から定期的に被災した沿岸地域を訪れテニスの指導をしています。

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小山会長は子どもたちに「テニス教室」へ参加を呼び掛けています。

震災後、体を思い切り動かすことが難しい環境が続いています。動きやすい格好で思い切りボールを追いかけてみませんか?

(取材日 平成26年5月28日)

さらに前へ!漁船係留スペースの不足解消!(気仙沼市)

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kaiiです。
気仙沼が一番輝く季節を迎えました。
新緑が美しいこの時期から初霜の降りるまでの間、気仙沼魚市場に水揚げされるおいしい魚介類を堪能できる季節です。今年は待望の「ホヤ」が水揚げされています。



今年から養殖の「ホヤ」が水揚げされています
5月下旬ごろから気仙沼港にはカツオ漁船が入港し6月上旬には水揚げが本格化します。
東日本大震災の津波で、気仙沼魚市場から気仙沼市魚浜町のコの字岸壁に至る漁船の係留岸壁は甚大な被害を受けました。

気仙沼魚市場周辺の復旧工事風景
(平成25年5月14日撮影)
係留岸壁付近の地盤が1mほど沈下しました。
漁船がロープをつなぐ係留柱も津波で破損し漁船の係留に支障をきたしていました。

漁船がロープをつなぐ係留柱
(平成26年5月25日撮影)


宮城県は平成24年6月から、港町桟橋(延長約500m)とコの字岸壁(延長約670m)の復旧工事に着手しました。
復旧工事が進んだ港町桟橋(約500m)
(平成26年5月25日撮影)

2年をかけて工事が進められる間、係留スペースの不足に悩まされてきましたが、震災から4年目のカツオシーズンを前に「係留スペースの不足」が解消されました。

係留スペースが不足している間、船のとなりに船を係留する「横付け」で心配されていた「安全面の不安」が解消されます。
水揚げ後の休憩場所や船に漁船員の食糧などの積み込み(仕込み)の場所の確保にも四苦八苦していましたがこの問題も緩和されます。
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今年のカツオ漁は、昨年の気仙沼港へ小型のカツオの水揚げが少なかったことや日本近海の海水温が全体的に低く推移していることなどからカツオの来遊水準は低く厳しいシーズンになるのではないかとの見通しが示されています。
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修繕された気仙沼魚市場で翌日の水揚げを待つ漁船
(平成26年5月25日撮影)
地元で50年以上漁を続けている漁師に漁の様子を聞くと、「今年は水が冷たいし魚の動きがおかしい。こんな年は余り経験がない」と話します。

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 3月からカツオ漁が始まっている高知県でも、今年4月に水揚げされたカツオが26トンあまりと著しいカツオの不漁が伝えられています。
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カツオの初水揚げは6月に入ってからと気仙沼では予想されています。
18年連続「生鮮カツオ水揚げ日本一」を目指す気仙沼港のカツオ漁シーズンは目前です。
気仙沼湾を多くのカツオ漁船が行き交う風景と大漁を祈っています。


(取材日 平成26年5月25日)

「地元企業として、常に前を向いてゆく」(仙台市)

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こんにちは、ザーリャです。
先日、直木賞作家である熊谷達也氏の講演会の模様を、2回に分けてお伝えいたしました。

「震災後の文学」~仙河海市の物語を通して~熊谷達也氏講演会

前編
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_8702.html

後編
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_22.html

この講演会を主催したのは、一民間企業である、株式会社日専連ライフサービス。
株式会社日専連ライフサービス 社会貢献活動・復興支援活動への取り組み
http://www.nissenren-sendai.or.jp/company/social.html

震災から3年が過ぎ、企業の被災地支援の取り組みも、徐々に目立たなくなってきています。
そのような流れの中で、どのような思いを込めて今回の企画を立てたのでしょうか。

インタビューにお答えしていただいたのは、この企画を担当されたマーケティングマネージャーの 太田人志也(おおた としや)さん
たいへんお忙しいにもかかわらず、「ココロプレスの取材」をお願いすると、
びっしりと書き込まれたスケジュール帳に、快くインタビューの時間を書き込んでくださいました。

後日、仙台駅前のAER(アエル)にある日専連ライフサービスのオフィスで、お話をお伺いしました。
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                       マーケティングマネージャー 太田 人志也(おおた としや)さん
株式会社日専連ライフサービスは、仙台を拠点としてクレジットカードのサービスを提供している会社です。
東北6県にまたがるカード会員と加盟店へ、さまざまなサービスの提供や情報の発信を行っています。
現在は42万人の会員がいるそうです。

◆地域とともに
今回の講演会のような、一見すると利益とは直結しないとも思える企画を、なぜ開催するのでしょうか。
私は率直な質問を太田さんにぶつけてみました。

「私どもの会社はカードを発行する会社ですから、カードを発行してしまうと、お客さまと直接お会いするという機会があまりありません。そのために年に一度、会員の皆さまとの触れ合いの場をつくるという意義が一つにあります。同時に地元の企業として、ご愛顧いただいている地域社会やお客さまへ、感謝の気持ちをお返ししたいという思いが開催の主旨になっています」

「地元企業ですので、地域貢献という部分で、『地域の皆さまとどのように成長し、生活してゆくのか』ということが一番重要だと考えています。」

◆地元企業として、常に前を向いてゆく
実は、日専連ライフサービスの羽生正弘社長と作家の熊谷達也さんは、宮城県北の同じ高校がご出身とのこと。熊谷達也さんが講師の一人だった東北学院大学での講座に、たまたま羽生社長自らが興味をもって参加していたという経緯がありました。

「震災に対してまだ前向きになれない方がいる中で、熊谷さんがどのように気持ちを変化させていったかというお話に、羽生社長は非常に感銘を受けたそうです。それで、ぜひ日専連の会員の皆さまに対しても、お話していただきたいと思ったと、そう聞いています。これが今回の企画の直接のきっかけです」

震災から今年で3年。
会社としていま一度、震災を振り返る機会を設けたいというのが今回の一番の目的だったそうです。

「熊谷先生も講座で話されていましたが、『震災の記憶を風化させてはいけない』ということを、あらためてお伝えしたかったのです。『地元企業として、常に前を向いてゆく姿勢を見せなくてはならない』。羽生社長にもそのような強い思いがありました」

◆被災地の企業として、原点に立ち返る
太田さんに、当日の来場者の方の感想をお伺いしました。アンケートの感想には、「私も震災当日の記憶をあらためて思い出しました。」という方や、「東京の報道と被災地が欲しい情報のズレに、当時の自分も憤りを覚えていました」という方、「熊谷先生には今後もこのように、被災地の立場のお話を続けていただきたい」、「震災を風化させてはいけない」、そういったご感想がたいへん多かったそうです。

「講演会の終了後に熊谷さんのサイン会も行いましたが、そこで直接の講演依頼が5、6件もあったと聞いています。皆さんが熊谷さんのお話に強く共感されたことを、私も肌身で感じることができました」

「熊谷さんのように中央発信のメディアとは違う形で、『被災地に寄り添った』情報の発信ができるということは、非常に大切で、重要な事なのだとあらためて感じています。地元企業が今後震災と向きあってゆくために、原点に立ち返って、もう一度『どうしてゆくのか』を考える。私たちにとっても、そのような貴重な機会になったと思っています」



◆手足を使って、何ができるのか
日専連ライフサービスの復興支援活動として、岩手・宮城・福島への義援金の募集活動に加え、現在は福島県と協力して福島県産品の振興・風評被害払拭に役立てられる「社会貢献カード」の発行を行っています。これらの活動をさらに幅広く、宮城や他の被災地にも向けられるように検討を進めているそうです。震災以外でも、スポーツ振興として「ベガルタ仙台」の支援を、地域の振興として「仙台 光のページェント」の支援や「仙台青葉祭り」への参加を積極的に行っています。

「一民間企業が、なぜこれほどまでに?」という私の問いに、太田さんは答えてくださいました。

「地元の企業である私たちにとって、地元を盛り上げてゆくということが、何よりも一番重要なことなのです。地元の方々とともに生きているからです。これは、中央の大企業とは大きく異なる点なのかもしれません」

震災の記憶の風化が進むことで、さまざまな被災地支援のキャンペーンを打ち出しても、反応が思うように広がらずに名前倒れで終わってしまう。そんな可能性が高くなっていると、太田さんは考えています。

「だから今後大切になるのは、私たち自身が私たちの手足を使って、『何ができるか』を考えることだと思います。今回のような講演会であったり、社員が被災地でボランティア活動を行ったり、私たちのネットワークを使って広報物をお客さまに配布したり、直接動いて働きかけるということです」

「幸いなことに、私は物事を発信することができる立場にあります。被災地の方々が前を向けるような取り組みができればと考えています」

太田さんは、最後にそう締めくくりました。


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今回の取材で、太田さんがふと洩らした言葉がありました。

「震災の時に、大企業の仙台支店にはたくさんの支援物資が届き、多くの支援職員がやって来ました。しかし、私たちの会社は地元の企業です。『僕らを助けてくれるところは、どこにもないのだろうな・・・』と思ったことを、今でも覚えています。お客さまも被災者であり、取引先も被災者、そして私たちも、会社を一歩出れば被災者でした」

自らが被災し、被災地の苦しみを知る企業だからこそ、地元の人たちと生きる道を真剣に考えられるのだろう。そんな企業の皆さんがいるのだから、東北の復興は、きっと大丈夫だ。
インタビューを終えて、私はそんなことを考えていました。

(取材日 平成26年4月18日)

ラーメンで気仙沼を盛り上げたい!(気仙沼市)

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こんにちは。Kaiiです。

港町気仙沼にある「中華そば まるき」。
この店の前身は震災前、気仙沼魚市場から400mほど西側にある気仙沼市幸町で営業していた「まるき食堂」です。


気仙沼市田中前「中華そば まるき」 店舗
(平成26年5月21日)

店主の熊谷一政さん(42)は、気仙沼市内の高校を卒業後、栃木県で3年間、和食の修行をしました。
家族が体調を崩したため帰郷し、家族で経営していた「まるき食堂」を手伝いはじめました。
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東日本大震災の津波で、自宅と店舗が入っていた「まるきビル」は全壊しました。熊谷さんは震災後2週間ほどは何も考えられなかったそうです。

その頃、両親が避難していた避難所に、気仙沼出身のラーメン界の重鎮であり東京を中心にラーメン店を展開する「ちばき屋」の千葉憲二さんたちがラーメンの炊き出しにやってきました。

「ありがとうございます」と避難所の人たちに声を掛けながら温かいラーメンを配る姿に「お客さまをもてなす心」と「人の幸せを願って仕事をする人たち」の心意気を感じ、熊谷さんは感動しました。
そうしたラーメン屋さんたちの姿に感動した熊谷さんは、平成23年8月気仙沼市の中心部の田中前に「中華そば まるき」として開業しました。
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「中華そば まるき」の厨房


店の中はとても明るく清潔感が漂います。座席数は16席です。


昼食時はいつも満席です


メニューはラーメンとつけ麺が主体ですがギョウザなどのメニューもあります。


特にお薦めなのが、今月の限定ラーメン。


4月は「トマト麺」でした。ラーメンとトマト?と興味本位で頼んだトマト麺はミートソースを思わせる盛り付けでした。

4月限定「トマト麺」

トマトの酸味とチーズが麺に絡み合いとてもおいしくいただきました。




5月限定「潮見そば」
気仙沼市岩井崎産の天然塩を使っています

5月は、「天然潮見そば」が1日10食の限定メニューです。このメニューは糖尿病を患っていた友人が「ラーメンが食べたい」と言っていたことがきっかけで完成しました。
「潮見そば」は、血圧、血糖値を気にする方でも美味しく食べられるライトなラーメンがコンセプトのおいしいラーメンです。
味の決め手の「塩」は気仙沼市岩井崎産の天然塩です。
地産地消に取り組む熊谷さんは、トッピングのワカメも気仙沼市唐桑町産を使用しています。
スープには煮干しを使い、麺は中太で黄色みが強く、喉越しがしっかりしています。


人気メニュー 「辛シビラーメン」


定番の「辛シビみそラーメン」を以前ココロプレスの記事の中でも紹介しました。
ココロデスクから「辛シビみそラーメン」とは「マグロにまつわるラーメンですか?」と問い合わせてきました。
このネーミングについて、熊谷さんにあらためてうかがうと、「辛シビ」とは「しびれる辛さ」を表すそうです。
熊谷さんは、四川の「花椒」と「朝鮮唐辛子」を使っています。

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「気仙沼をラーメンで元気に」をモットーにがんばる熊谷さんの夢は、「気仙沼のラーメン文化がもっと盛んになって、ラーメンを目的にも気仙沼に多くの人が来てくれることです」と話します。

熊谷さんが限定メニューを考案し続けるのも、新しいモノへの挑戦です。
他の地域へ行くのに時間のかかる気仙沼で「おいしいものを市民のみなさんを共有したいです」ですと話します。

「気仙沼をラーメンで元気にしたい」という熊谷さん(中央)
笑顔の素敵なお父さんとシャイなお母さん
家族一丸となっておもてなしの心で商売を続けています
(平成26年5月21日撮影)


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熊谷さんは「定休日以外にもお休みをいただくことがあるので、遠方からおいでのお客さまには特に残念な思いをしていただかないようあらかじめ問い合わせておいでいただきたいです」とお客さんへの思いやりも忘れません。

震災から3年2カ月が過ぎました。たくさんのご支援をいただき歩み始めてもう3年。
町は少しずつ復旧に向かって歩みを進めていますが、被災地を訪れる人の数は目に見えて減少しています。「被災地気仙沼」の現状を知りたい応援したいという人は多いと思います。

地元気仙沼を「元気にしたい」とがんばる商店主さんたちと商品のファンが増えていくことを、「気仙沼を元気にしたい」という思いが込められたラーメンをいただきながら願いました。

中華そば まるき 
定休日 毎週月曜日

http://ameblo.jp/maruki-kesennuma/


(取材日 平成26年5月21日)

初夏のイベント情報~7月31日

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こんにちは、にゃんこです。

先週末は2日連続の30度超え…私は早くもバテてしまいました。
みなさんはいかがでしたか?

ちなみに、夏に生まれ、山形のあの灼熱の盆地で育だった私ですが夏の暑さが苦手です。
さらに、多少の雪では驚かないあの山形で育ったのに、冬の寒さも苦手です。
でも、すきっとした真っ青な空の下でのイベントは大好きです♪
いつもテンションが上がりすぎて、気が付けばお財布の中身が…。
みなさんもお気を付けください。

そして、夏といえば花火!
本格的なシーズンは8月ですが、7月から各地で徐々にスタートします。
元気と笑顔が咲く花火大会情報もお見逃しなく。

愛宕橋(仙台市若林区)から見た景色。私の大好きな場所です


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■イベント情報  ~2014年7月31日
※日程などは変更・中止になる場合があります。詳細は各施設にお問い合わせください
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☆現在開催中

ポピーまつり2014
6月22日(日)まで
会/国営みちのく杜の湖畔公園
問/国営みちのく杜の湖畔公園
http://www.michinoku-park.info/index.html

東日本大震災文庫展Ⅳ
「小松左京が遺したもの‐震災の記憶・未来へのことば‐」
6月27日(金)まで
会/宮城県図書館
問/宮城県図書館企画協力班
http://www.library.pref.miyagi.jp/

第8回まるごとうーめんまつり
6月30日(月)まで
会/白石市市内参加店舗
問/仙台・宮城観光キャンペーン白石市推進協議会(白石市商工観光課内)
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/(白石市)

テーマ展示「復興と創造のために-宮城の復興発掘調査-」
7月13日(日)まで
会/東北歴史博物館
問/東北歴史博物館情報サービス班
http://www.thm.pref.miyagi.jp/

まるもりグリーン・ツーリズムおすそわけ博・春夏2014
7月31日(木)まで
会/丸森町内
問/丸森町観光案内所
http://www.marumori.jp/(丸森町観光物産振興公社)


☆随時開催

芭蕉の跡をたどる 風流旅
6月6日(金)
会/松島町内
問/松島観光協会
http://www.matsushima-kanko.com/

「PARK ROCK ISHINOMAKI 2014」 Get Ahead~音楽と共に次のステージへ~
6月7日(土)
会/石巻 BLUE RESISTANCE / Soul to Soul / IRORI 石巻 ※他数
問/PARK ROCK ISHINOMAKI実行員会
http://parkrock2014.net/kyosan.html

雄勝花物語ふれあいコンサート
6月7日(土)
会/雄勝ローズファクトリーガーデン
問/雄勝ローズファクトリーガーデン
http://ogatsu-flowerstory.com/

第8回「浜へ行こう」
6月7日(土)、8日(日)
会/石巻市牡鹿半島谷川浜、佐須浜
問/特定非営利活動法人ジェン東北事業部 復興支援グループ
http://www.jen-npo.org/jp/n/news/8226/

第21回川崎町支倉常長まつり
6月7日(土)、8日(日)
会/7日 川崎町役場
   8日 国営みちのく杜の湖畔公園南地区
問/川崎町地域振興課
http://kawasaki-asobi.jp/

ドレミファそら豆まつり
6月13日(金)~15日(日)
会/道の駅「村田」
問/道の駅「村田」
http://muratamachi.info/

マリンパル女川おさかな市場 銀鮭・かつお祭り
6月14日(土)、15日(日)
会/マリンパル女川おさかな市場
問/マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

塩竈市東日本大震災記録誌作成事業 関連ワークショップ 第1回
6月15日(日)
会/ふれあいエスプ塩竈 学習室1
問/塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

第32回一迫山王史跡公園あやめ祭り
6月20日(金)~7月9日(水)
会/一迫山王史跡公園あやめ園(栗原市)
問/一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,462,77,html(栗原市)

東日本大震災文庫展Ⅳ関連企画
「小松左京が遺したもの‐震災の記憶・未来へのことば‐」トークイベント
6月21日(土)
会/宮城県図書館
問/宮城県図書館企画協力班
http://www.library.pref.miyagi.jp/

南くりこま高原一迫ゆり園
6月20日(金)~7月31日(木)
会/南くりこま高原一迫ゆり園(栗原市)
問/一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,466,77,html(栗原市)

石巻市民交響楽団 第9回ファミリー・コンサート
6月22日(日)
会/女川町立奈川小学校体育館
問/女川町観光協会
http://www.onagawa.org/

第29回みちのく鹿踊大会
6月22日(日)
会/一迫山王史跡公園あやめ園(栗原市)
問/一迫観光協会(一迫総合支所市民サービス課)
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,462,77,html(栗原市)

第16回うめ~梅まつりinかくだ
6月22日(日)
会/角田市中央広場
問/角田市観光物産協会
http://www.kakuda-kankoubussan.jp/

石巻市きたかみ交流うまいもの市
6月24日(火)、25日(水)
会/勾当台公園市民広場
問/石巻市北上地域物産振興協会事務局
0225-66-2122

第26回多賀城跡あやめまつり
6月24日(火)~7月7日(月)
会/多賀城跡あやめ園
問/同実行委員会(多賀城市商工観光課内)
022-368-1141(多賀城市役所)

第5回高蔵寺ホタルまつり
6月28日(土)
会/高蔵寺とその周辺(角田市)
問/高蔵寺ホタルまつり実行委員会
http://kozohotaru.exblog.jp/

牧山あやめ祭り(夏越しの大祓い)
6月25日(水)~7月6日(日)
会/牧山零羊崎神社(石巻市)
問/牧山零羊崎神社社務所
0225-23-2815

塩竈市東日本大震災記録誌作成事業 関連ワークショップ 第2回
6月29日(日)
会/ふれあいエスプ塩竈 学習室1
問/塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

第36回志津川湾銀鮭まつり復興市
6月29日(日)
会/南三陸さんさん商店街特設会場
問/南三陸町復興市実行委員会
http://fukkouichi-minamisanriku.jp/

松島のマルシェ「まつの市」
6月29日(木)
会/松島町文化観光交流館駐車場
問/松島町産業観光課
http://www.town.matsushima.miyagi.jp/(松島町)

バラフェスティバル
6月29日(日)
会/ハニーローズなんごう(美里町)
問/ハニーローズなんごう
http://www.honeyrose.jp/

東日本大震災復興祈念特別展 奈良・国宝室生寺の仏たち
7月4日(金)~8月24日(日)
会/仙台市博物館
問/仙台市博物館
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/

第20回みやぎ国際トライアスロン 仙台ベイ七ヶ浜大会
7月6日(日)
会/七ヶ浜町スリーエム湊浜海浜緑地周辺
問/みやぎ国際トライアスロン七ヶ浜大会事務局
http://triathlon-7.main.jp/(宮城県トライアスロン協会)

鹽竈神社例祭
710日(木)
会/志波彦神社・鹽竈神社
問/志波彦神社・鹽竈神社

塩竈市東日本大震災記録誌作成事業 関連ワークショップ 第3回
7月12日(土)
会/壱番館 5階和室1
問/塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

マリンパル女川おさかな市場 うに祭り
7月12日(土)、13日(日)
会/マリンパル女川
問/マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

東日本大震災復興応援 特別公開 ゴッホの《ひまわり》展
7月15日(火)~8月31日(日)
会/宮城県美術館
問/宮城県美術館
http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/

石巻市きたかみ交流うまいもの市
7月16日(水)、17日(木)
会/勾当台公園市民広場
問/石巻市北上地域物産振興協会事務局
0225-66-2122

一番町三社祭り
7月19日(土)、20日(日)※毎年7月第3土曜、日曜
会/仙台市中心部
問/一番町一番街商店街振興組合
http://www.vlandome.com/index.html

SUPER GTシリーズ第4戦 SUGO GT300kmRACE
7月19日(土)、20日(日)
会/スポーツランドSUGO(村田町)
問/スポーツランドSUGO
http://www.sportsland-sugo.jp/

雄勝ローズガーデン ラベンダー祭
7月20日(日)
雄勝ローズファクトリーガーデン
問/雄勝ローズファクトリーガーデン
http://ogatsu-flowerstory.com/

金華山黄金山神社龍神まつり・龍(蛇)踊り奉納
7月26日(土)、27日(日)
会/金華山黄金山神社(石巻市)
問/金華山黄金山神社
http://kinkasan.jp/

第37回志津川湾夏まつり復興市
7月26日(土)
会/南三陸町内
問/南三陸町復興市実行委員会
http://fukkouichi-minamisanriku.jp/

2014みちのく川崎手筒花火フェスタ
7月26日(土)
会/ボートピア川崎
問/みやぎ川崎花火フェスタ実行委員会(川崎町観光協会内)
http://www.wakuwaku-kawasaki.com

空中さんぽde星空さんぽ
7月26日(土)~10月13日(日曜、祝日)
会/みやぎ蔵王えぼしリゾート
http://www.eboshi.co.jp/

佐沼夏まつり
7月26日(土)、27日(日)
会/登米市迫町佐沼地区、迫川河川敷
問/佐沼夏祭り奉賛会
http://www.tome.or.jp/(登米中央商工会)

2014くりこま山車まつり
7月下旬
会/栗原市栗駒岩ケ崎地区馬場通り、六日町通り
問/栗原市栗駒総合支所市民サービス課
0228-45-2114

石巻川開き祭り
7月31日(木)、8月1日(金)
会/石巻市中瀬
問/石巻川開祭実行委員会(石巻市商工会議所内)
http://www.ishinomakikawabiraki.jp/

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宮城県内のイベント情報&感想も随時お待ちしています!

(にゃんこ)

100万都市の「新しい田舎」を創る ~みんなの居久根プロジェクト~ 前編(仙台市)

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震災前の居久根のある風景 (高橋親夫氏撮影)
ザーリャです。
津波で甚大な被害を受けた、仙台市宮城野区の南蒲生(みなみがもう)地区。
そこで津波で失われた居久根(いぐね【屋敷林のこと】)を「みんなの居久根」として再生させ、次世代に継承しようという活動があるといいます。
そう聞いて、私は仙台市内のあるオフィスを訪ねました。

「特定非営利活動法人 都市デザインワークス」
都市デザインワークスは、2002年に法人設立され、地域の活性化や市民主体のまちづくりに取り組んでいます。
都市デザインワークス(UDW)
http://www.udworks.net/

南蒲生の皆さんと、都市デザインワークスが取り組むのが
「仙台平野 みんなの居久根プロジェクト」です。
プロジェクトFacebook
https://www.facebook.com/minnanoigune

今回の取材では代表理事の 榊原進 さんと、同じく「みんなの居久根のプロジェクト」に取り組む 岡井健 さんにお話を伺いました。
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「200件を超える現地再建は、仙台平野ではここだけです」
そう話す代表 榊原進さん
先人の知恵である居久根
文献によれば、「そもそも『居久根(いぐね)』とは、宮城県を中心にした地域で屋敷林をさす呼称です。『居』とは家のことを、『久根』は地境という言葉で、『屋敷境』という意味になるんです」

榊原さんが、その言葉の意味を教えてくださいました。
居久根にはもともとさまざまな役割があります。防風や、防潮、防火、夏には木陰が涼しい風を生み、冬は吹き付ける冷たい季節風を防ぎました。払った枝や落ち葉は燃料に使用され、家の建て替えには建材に使われたそうです。

「居久根は家の一部だったのです。自然の豊かさを暮らしに取り入れた先人の知恵、それが居久根なのです」 榊原さんはそう語りました。

震災前の街並み (高橋親夫氏撮影)
変わらなかった南蒲生集落
「私たちがいま取り組んでいる南蒲生地域は、鎌倉時代から集落があったと記録にあります。1865年の幕末の絵図には、『南蒲生』の名前があり、街道が通っていることがわかります。戦後からの変遷を航空写真で見てみても、周りが都市化や開発によってどんどん変わってゆく中で、南蒲生地区だけは、古くからの集落の形がそのままに、ほとんど変わらないことがわかります。居久根も時代とともにだいぶ減少していますが、それでもしっかり残っていす。」

航空写真では、居久根によって黒く縁取られた集落が写っています。

南蒲生地区を襲った津波
海に接する南蒲生地区は、津波の直撃を受けた(足利克寛氏撮影)
しかしその昔ながらの集落にも、東日本大震災の津波が襲いました。もともと南蒲生地区は海岸線の防潮林と貞山掘を挟んで仙台湾に面しています。その被害は、甚大でした。
南蒲生地区を襲った津波の高さは、海に近い東側では5メートルを超えました。海からの津波に加え、集落の北を流れる七北田川も決壊しました。2つの巨大な波が勢いを失わぬままに、田園の浮島であった南蒲生集落に到達しました。南蒲生地区の人々は多くの人命と財産を失いました。

南蒲生町内会の会長、二瓶誠治さんは「南蒲生復興まちづくり基本計画」の冒頭で書いています。
『南蒲生町内会は、東日本大震災の津波により甚大な被害を受け、多くの尊い命が奪われ、住まいや暮らしの営み、ふるさとの風景をも失いました』

失われた「ふるさとの風景」。全てを流された南蒲生の人々にとって、その風景は記憶のなかだけのものになってしまいました。
復興への町内会の歩み
話し合いは、60回を越えていった
(写真提供:都市デザインワークス)
やがて南蒲生の復興への歩みが始まります。仙台市から派遣された都市デザインワークスも、南蒲生の復興まちづくりに携わることになります。その中で、「みんなの居久根プロジェクト」はどのように生まれたのでしょうか。当時の町内会の取り組みを榊原さんが振り返りました。

「震災の年の12月から町内会で話し合いを行い、復興部がつくられました。当初は毎週が会議で、その回数は1年間で60回を越えました。その中でアンケートを行い、現地再建や移転再建のワークショップも行いました。今後の議論をどう進めるかを話し合っていったのです。

南蒲生町内会は、町内の中に『災害危険区域』が設定されました。その区域内では、家を建てて住むことはできません。そのために、参加する皆さんが置かれた状況も異なりました。移転を余儀なくされる方、区域外だけれど移転再建を希望する方、そして、危険区域外で現地再建を希望する方。南蒲生地区には“三者三様”の再建がありました。

しかし個々の再建とは別に、南蒲生という町そのものを、どう復興してゆくのか、立場を越えて話し合いました」


3つの重点プロジェクトで「新しい田舎」へ
南蒲生はどう復興するのか
度重なる住民の話し合いから基本計画が生まれた

そうして出来上がったのが、次の3つの重点プロジェクトでした。

・『安全安心な生活ができる環境づくり』、
・『次代につなぐ居久根のある景観づくり』、
・『南蒲生らしさを活かした産業・交流づくり』

「これらの計画を実行して、南蒲生は“新しい田舎”を目指しましょうということになったのです」

新しい田舎。魅力的な響きを持つ言葉ですが、それはどんな田舎なのでしょうか。

「“新しい田舎”というのがどういうものなのか、実はまだ私たちにも分からないのです。でも、それを探求すること自体が復興なのだと思っています。議論を重ねる中で、若い世代の方々から、子どもに『こんな環境を継承したい』という声が上がりました。次世代に継承する『新しい田舎』を、彼らを交えて、いま作り上げているところなのです。

もともと、南蒲生地域というのは、本当のいわゆる『田舎』です。仙台市という100万都市でありながら、こんなにも都心に程近いところで水田が広って、昔そのままの集落がある。こういう例は日本にもあまりありません。

そして、仙台平野で200世帯を超えるような現地再建の場所は、ここ南蒲生地区しかありません。その文化や景色を残していきたい。居久根というのはそもそも仙台平野の文化であり、杜の都と言われてきた仙台の原風景です。その再生は南蒲生の人たちだけの課題ではありません」
榊原さんはそう話します。

◆失われてきた居久根
ワークショップで居久根の必要性と問題を考える
(写真提供:都市デザインワークス)

では、震災前の居久根のおかれた状況はどうだったのでしょうか。航空写真で見る限り、震災前でも居久根が失われる傾向にあったことがわかります。

「津波で多くの居久根が失われてしまいましたが、震災以前にも居久根を切ってしまうところが多かったのです。最初のワークショップで、なぜ居久根を切ってしまったかということを問いかけてみたんです。そもそも居久根が不必要な生活に変化しているんですね。住宅の気密性が上がり、居久根がなくても暑さや寒さの問題はありません。燃料として使ったり、建て替えに使うこともなくなりました。

それにもかかわらず、居久根があれば落ち葉の処理、下草刈や枝の剪定…という管理作業が必要になります。これが大変なのです。

昭和初頭、南蒲生の一世帯当たりの人口は平均7.3人でした。それが今では3.1人です。つまり、おじいちゃんとおばあちゃんが、居久根の管理をしなくてはならない。手入れをしないと、ご近所に迷惑をかける。だからどんどん切られてゆくのは当たり前だったのです。それを『元の居久根に戻しましょう』と言われても、できないわけですよ。仮にそうしたとしても、やはり続いてはいかないでしょう。

だから、“新しい田舎”の中での『新しい居久根のかたち』というものを、みんなでしっかりと考えて共有することが、とても大切なことなのです。わたしたちが今取り組んでいるのは、まさにその段階なのです」

◆追い打ちをかけた津波被害

震災以前の南蒲生町内の風景(高橋親夫氏撮影 2001年4月)

それぞれの個人の所有者によって維持管理されてきた居久根の文化。文化が生活に密着したものでなければ、廃れてゆくという現実があります。時代の流れで失われてきた居久根でしたが、それに追い打ちをかけたのが津波でした。津波によって居久根を失った方々は、それをどう感じているのでしょうか。岡井さんは、津波の後に撮影された写真を見せてくださいました。




震災後の同じ地点(都市デザインワークス撮影 2013年7月)
「居久根がなくなって、『隣近所がすっかり見通せてしまう』とか、強い浜風が直接家に吹きつけるようになって、『居久根があるとないとでは全然違うね』という方もいます。今回の津波でも、居久根のおかげで家が守られたという方もいます。居久根の役割というものに、なくなってあらためて気が付いたのですね。

『では居久根は必要なのか?』というと、昔のような居久根はいらないという方の方が多いです。また一方で、必要だという人もいます。昔ほどの高木が生い茂る居久根はいらない、でも緑がある風景は取り戻したい。そういう方々です。

では、どのような居久根がいいのか。まずはそのイメージをつくり、みんなでそれを確認することと、『無理せずにできることからやっていきましょう』というのが、今の『みんなの居久根プロジェクト』活動です。

いますぐ木を植えても10年、20年、30年と時間がかかってゆくプロジェクトです。次の世代にどういう居久根を残すのか。しっかり議論して、問いかけてゆく。それが今必要なことですね」

榊原さんはそう話しました。

(後編に続く)
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約200世帯が現地再建をする、南蒲生の新たな試み。出来上がったまちづくりの「計画」だけでなく、それを生み出すための話し合いは現在も続いています。

話し合いから生まれた“新しい田舎”と「みんなの居久根」。それはいま、どんなかたちになりつつあるのでしょうか。

後編では、そのキーポイントとなる「居久根ひろば」や「みんなの居久根」のプロジェクトの概要について、引き続き都市デザインワークスの 岡井健 さんにお話を伺います。

※本文中の写真は都市デザインワークスと、高橋親夫氏、足利克寛氏よりご提供いただきました。

(取材日 平成26年5月12日)

ビール通によるビール好きのためのバー「ガル屋」(女川町)

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こんにちは、Chocoです。
暖かい季節から暑い暑い季節に移るのは、まだまだ先のような気がしますが、夏はあっという間にやってきます。

そんなとき、大人がグビッといきたいのは、これではないでしょうか。



今回は、そんな大人のためにビール話です。

「ビールで地元を盛り上げたい」
というのは、ビールバー「ガル屋」の店長 木村優祐さんです。
5月5日、女川町のきぼうの鐘商店街に多種類のビールが並ぶバーが開店しました。


女川町出身の木村さんは、昨年の10月に女川町へ戻ってきました。
以前は、関東で飲食店勤務、ビール会社でのビールの仕込み等、ビールに関わる仕事をしていました。

そして震災後は、
「女川のために何ができるか・・・」
日々の生活の中で、考えていたそうです。

そんなときに出会ったのが、小さなビール工房でした。
工房内でビールが造られているのを目にした木村さんは、
「女川でもできるのでは・・・」
と考えました。

木村さんが考えた女川のためにできることは、
美味しいビールを提供して、今がんばっている人たちが楽しく、くつろげる場をつくることでした。

それからというもの、ビール工房やビールバーを何十軒も巡り、女川に合ったビール、皆に飲ませたいビールを追求してきました。

それから約3年後、その想いは、形となりました。


店内も木村さんのこだわりがありました。
それは、10個のビールサーバーのレバーが並ぶ壁です。
実はこれは壁ではなく大型冷蔵庫なのです。

大型冷蔵庫設置の様子
そのレバーは冷蔵庫と一体化していて、樽が大型冷蔵庫の中にあり、管を通してレバーからビールが出てくるという何とも面白い仕組みなんです。
担当した業者の人曰く、「こんなタイプは、東北では初めて」だそうです。
実際、私も初めて見るビールサーバーでした。

もちろん、ビールも吟味して選ばれています。
皆さんが普段飲み慣れている大手ビール会社のビールだけでなく、日本中の地ビールも取り扱っています。
例えば、ドイツ製法で造られている「ベアレン(岩手県盛岡市)」。
そして、地ビール界では老舗である「サンクトガーレン(神奈川県厚木市)」などのビールです。

オープン日のビールの種類は、
KIRIN 一番搾り、ブラウマイスター、一番搾りスタウト
ベアレン クラシック
サンクトガーレン 湘南ゴールド、パイナップルエール

「ほとんどのビールがゲストビールです」
というのも、樽が終われば別の種類に変わったり、季節によっても異なるビールがお店に並びます。

普段飲んでいるビールよりも個性があるものが並んでいるので、何から飲んだらいいのか迷いそうですよね。
そういうときは、木村さんが皆さんに合ったものや、飲む順番等をアドバイスしてくれます。
「個性的なビールだからこそ、そのビールの味を存分楽しんでもらいたい」

「楽しくビールを!!」木村優祐さん
「まず最初の一杯はビールにしようか」という声を飲み会の場でよく聞きますが、
「ビールで始まり、ビールで終わる」
これがビールバー「ガル屋」の飲み方です。

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女川にあるビール好きが集る小さなビールバー
「ガル屋」
滅多に飲むことができないビールを女川で飲めます。

大人気のおつまみ「はちみつチーズ(大)」
カマンベールチーズとハチミツ。
チーズ好きな私にとってはたまらない一品!
今、木村さんは女川町の復興とともに、女川で地ビールを造ろうと考えています。
自然豊かな女川の地でビール通が造るビール・・・
どんなビールができるでしょうか。
それも追っ掛け取材をしていきたいと思います。

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場所 女川町きぼうの鐘商店街
電話 090-9534-9979
※10名以上から予約可能
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営業時間 17:00〜23:00(ラストオーダー22:00)
定休日 水曜日
席数 18席

web https://twitter.com/garuya_beer

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(取材日 平成26年5月5日)

100年後の豊かな大地のために[前編](名取市、東京都)

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こんにちはエムです。

かつて仙台湾沿岸には、北は七ヶ浜から南は山元町にかけて総面積1,400ha(ヘクタール)を超える海岸林がありました。
その海岸林は人の手で植えられ、長い年月の間、地元の人々により守られてきたものでした。

始まりは今からさかのぼること約410年前の西暦1600年頃。
仙台藩初代藩主伊達政宗公の命により、仙台湾沿岸に防潮のためのクロマツからなる海岸林の植林が始まりました。
政宗公は海岸林、すなわち防潮林を整備することで、当時海岸線に広がる広大な湿地を農地にすることが可能になると考えたのです。
以来、海からの砂や潮の混じった強風から守られた内陸側には、仙台藩の時代から田園を中心とした豊かな農地が広がっていました。

東日本大震災の津波はその海岸林や農地を容赦なく一気に飲み込み、流失させてしまいました。

防潮堤から植栽地方向。遠くにかろうじて残った屋敷林がまばらに見えます。
かつては海岸林が黒々と里山を作り、その先に豊かな農地があった場所です

特に被害が大きかった仙台湾南部に位置する名取市下増田周辺は、震災前まではチンゲンサイやコマツナ、メロンなどの栽培が盛んでした。実に75haの農地で300人が農業をしていました。
特にチンゲンサイは宮城県一の出荷があり、市場の8割を生産するほどの規模を誇っていた地域です。

ほんの少しの高低差のおかげで、海岸林がかろうじて残っている場所もあります

いっぺんに何もかも無くし、回復のきざしも見えない状況下の平成24年2月末のことでした。
「名取市海岸林再生の会」(以下:再生の会)が立ち上がりました。
それは、これからもこの地で農業を続けていく将来の子孫のために、あの「海岸林」を再生させなければならないと、地元農家の方々が100年後を見据え立ち上げた会です。

植えられるのを待つばかりの樹齢2年のマツ苗

「再生の会」の立ち上げには、海岸林再生のための協力に名乗りを上げ、前年(平成23年)から深く関わってきた支援団体の力もありました。

公益財団法人 オイスカ(以下:オイスカ)です。
オイスカは1961年からアジア・太平洋地域を中心に農地開発や農業技術指導などを行っている民間の団体ですが、中でもマングローブの植林などを行ってきた実績や技術を持っていました。さらに「主役は地元」という考え方にこだわりを持って活動しています。

オイスカは震災直後の平成23年3月から林野庁、宮城県、地元名取市民との協議を開始し、航空調査・陸上調査などを重ねていたそうです。

そのような経過を経た平成23年9月、名取市での海岸林再生プロジェクト10カ年計画を発表するに至りました。
それは「国や宮城県、名取市の復興計画の実現のために協力したい」という考えを持ったオイスカの、10年にわたる植林事業、総額10億円に及ぶ大プロジェクトです。その財源は募金や寄付、民間助成金で賄われます。

植樹された松苗。
遥か彼方まで盛り土された植栽地と防風柵が見えます

地元農家の方々が、オイスカの協力の申し出をすぐに受け入れたのには、もともと名取市増田・北釜周辺の地域では、植林をしながら代々防潮林を守ってきた歴史があったからではと思われます。
度重なる戦争や、松の木の盗難などにより海岸林が被害を受けるたびに植林し、400年あまりにわたって守り、維持してきたのです。
現在60代の方が小さな子どもだった昭和20年代~30年代にかけても、10年を費やす大規模な植林が林野庁とともに行われたことがあったそうです。
その記録は “愛林碑” と呼ばれる石碑に刻まれており、石碑は津波に負けずに今も残っています。

ところで、実際海岸林があると無いとではどのくらい違うのかと質問してみました。

「例えば250m幅の防潮林があると、海からの強風に乗って運ばれる砂と空中塩分の97%がそこで落とされるという報告もあるようです。しかし今は市役所のある7km先まで潮の香りがするんです」
オイスカ啓発普及部副部長 吉田俊通さんが教えてくれました。吉田さんは海岸林再生プロジェクト担当として地元で暮らし、名取市の皆さんの大きな力になっている方です。

オイスカの吉田俊通さん

「現在は少しづつチンゲンサイなどの栽培も始まっていますが、苗を植えた時に強風などが吹くと、砂で埋まってダメになってしまったりします。
この辺りには『いぐね』と呼ばれる屋敷林もあったのですがそれも津波で無くなり、地元の人でも防潮林(海岸林)や屋敷林がいかに大事かを再認識しているんです」

そう説明をしてくださったのは、オイスカ広報室室長の林久美子さんです。
林さんは事あるごとに、オイスカ本部のある東京都から名取市に足を運んでいます。吉田さんとともにすっかり地元に溶け込み、信頼されているようでした。

オイスカの林久美子さん

ところで、マツを植えると言っても、種子を手に入れ・蒔き・育て・植える。これにも資格がいると知ってますか?……恥ずかしながら私エムは知りませんでした。
種子は全て県が管理し「宮城県農林種苗農業協同組合」に加盟した組合員でないと買うことはできませんし、このような公共事業においては育てることもできないのだそうです。

地元の方を中心にその資格を取り、各種の手続きを終えた平成24年3月、種子の払い下げを受けることができました。
こうして初めての種子を蒔いた同年3月30日。それは地元では “お祝い” を意味する大事な出来事でした。

「初めての種を蒔いた時みんなでお祝いをしたんですが、震災後はとても歌えなかった、歌う気持ちにもなれなかったという地元に伝わる『祝い歌』を歌ってくださったんです」
オイスカの林さんは当時を振り返りうれしそうに話しました。


抵抗性とは:松枯れを引き起こす天敵、マツノザイセンチュウに対して
抵抗性があるように品種改良された、強いマツの苗です

こうして地元農家の皆さんの立ち上げた「名取海岸林再生の会」と、それを応援するオイスカの「海岸林再生プロジェクト10カ年計画」が動き出しました。

そして、活動4年目を迎えた今年までの内容は後編に続きます。どうぞお楽しみに!

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海岸林再生プロジェクト10カ年計画」は、ご理解とご賛同いただいた皆さまのご支援によって成り立ちます。


続く7年間の活動のため、ご支援・ご協力をお願い致します。

〈ご寄附の振込先〉
【郵便振替】
00100-6-482316
海岸林再生募金

【銀行振込】
三菱東京UFJ銀行 永福町支店(支店番号:347)
普通 0054080
公益財団法人オイスカ


詳しくは下記のホームページをご覧ください。

東日本大震災復興 海岸林再生プロジェクトーークロマツお助け隊ーー」
http://www.oisca.org/kaiganrin/

※ ブログは毎日更新中!日々の活動はこちらをご覧ください
  http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/


〈ボランティアのお願い〉
ボランティアしてくださる方を随時募集しています。
◆ ボランティアの日:毎月第3土曜日
  定員・40名
  ※ 8月は30日(第5土曜日)の予定です。

◆各種お申し込み・お問い合わせ
公益財団法人 オイスカ 海岸林再生プロジェクト担当
住所:〒168-0063 東京都杉並区和泉2-17-5
電話:03-3322-5161 FAX:03-3324-7111
E-mail:kaiganrin@oisca.org

オイスカ
http://www.oisca.org/

(取材日 平成26年5月16日)

塩竈市東日本大震災記録誌ワークショップ開催!(塩竈市)

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こんにちは、にゃんこです。

今日は塩竈市で開催されるワークショップのお知らせです。



現在、塩竈市では東日本大震災の教訓や復興に向かう姿を未来へ伝えるため、「塩竈市東日本大震災記録誌」の制作を進めています。

千年に一度と言われる「東日本大震災」が起きたこと。
それからどのようにして塩竈は復旧、復興を目指してきたのか。
未来のために、みんなの言葉や想いが詰まった記録誌を残したい。

「塩竈市東日本大震災記録誌」は市民参加型の記録誌です。
そのため、皆さんの声を聴く場としてワークショップが開催されることになりました。

今回はその企画運営を行っている「NPO法人20世紀アーカイブ仙台」の佐藤正実副理事長にお話を伺いました。

「行政や企業主導ではなく、震災の体験や想いをみんなの言葉として未来へ残す。
受け身ではなく市民参加型の記録誌です。つまり参加された皆さんがこの記録誌の編集者になるんです。今までこういった記録誌はなかったのではないでしょうか。また将来へと語り継ぐ、これからも塩竈を見続けていただける方が一人でも多く増えてほしい。そういう想いを込めました」

ワークショップは全3回開催されます。
6月15日(日)の第1回目は、塩竈市出身の歴史研究者・木村浩二さんを講師に招き、塩竈という町の成り立ちや位置づけ、役割など塩竃についてあらためて学び、その上での復興を考えるディスカッションを行います。

「まずは塩竈の歴史を知ってもらうこと。港町という立地のため実は仙台藩では重要な役割を担っていたといったことから、これまで地震と津波の災害に何度も遭ってきた土地としてどう復興してきたのかなど、地名や地質、古地図、和歌などさまざまな角度から塩竈の歴史と震災について読み解いていきます。
地元の方でも初めて聞く内容もあるかもしれないので、そういう意味でもとても興味深いと思いますよ。塩竈の地元の方はもちろん、市外の方、そしていろんな年代の方に参加していただき、未来へ残す言葉として、一人ひとりが震災から何を考えどう生きてきたかを教えていただきたいです。みなさんの参加をぜひお待ちしています」


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■塩竈市東日本大震災記録誌作成事業関連ワークショップ
・参加無料
・要予約
・各回定員30名(先着順)
・希望の回のみの参加もOK
・eメール、はがき、FAXのいずれかでお申込みください。
※お申込みなどの詳細は下記HPを参照ください
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第1回 2014年6月15日(日) 14:30~17:00
テーマ1「塩竈の歴史を聞いてみよう、考えてみよう。」(14:30~15:20)
テーマ2「東日本大震災と塩竈~震災と復興の歴史~」(15:30~16:20)
開催場所/ふれあいエスプ塩竈(学習室1)

■第2回 2014年6月29日(日)13:30~15:30
公開サロン「アナタの撮った3.11を見せてください。」
開催場所/ふれあいエスプ塩竈(学習室1)

■第3回 2014年7月12日(土) 13:30~16:00
まち歩き「3.11のイマを訪ね歩きましょう。」
開催場所/壱番館5階和室1

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◆お申込みお問い合わせ
塩竈市東日本大震災記録誌作成事務局
〒984-8545 仙台市若林区土樋103 (株)ユーメディア内
TEL.022-714-8320 FAX.022-714-8314
eメールkiroku.shiogama@gmail.com
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/bosai/event/daishinsaikirokushi.html

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(にゃんこ)

5.24 あの日から54年目(南三陸町)

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石野葉穂香です。

5月24日、気仙沼市と南三陸町の境界にある田束山(たつがねさん)へ行ってきました。


山頂駐車場から南の方、志津川湾方面を見晴らしてみました


標高512mは南三陸町の最高峰。志津川湾や伊里前湾、泊崎を眼下に、そして金華山や気仙沼大島まで、南リアスの海岸を見晴らすことができます。

また、ここは、気仙沼市の徳千丈山と並ぶツツジの名所。
例年、5月中旬から6月上旬にかけての時期には、約5万本ものヤマツツジが満開となって、緋色の花塊が薫風に揺れながら、明るい海空の光の世界にあでやかな花色をほとばしらせます。


奥州藤原氏も信仰を寄せたという霊山でもあります。
山頂付近には11基の経塚など、800年前の遺構も残されています


実は、ツツジの見頃はもう終盤・・・。もっと早くお知らせできればよかったのですが、でも、田束山はご覧のような佳景の地。
歌津伊里前や本吉小泉から車で上っていくこともできますので、南三陸や気仙沼方面へお出かけの祭には、ぜひ一度、お立ち寄りください。


歌津・田浦方面の見晴らし。
湾に浮かんだ小さな島は「松島」です


さて、5月24日は、あの「チリ地震津波」が三陸海岸を襲った日でもあります。

今から54年前の1960(昭和35)年5月22日午後3時11分(日本時間23日午前4時11分)、南米のチリ共和国の沖合でモーメントマグニチュード(Mw)9.5という信じがたい大地震が発生しました。有史以来、地球上で起きた最大の地震だったとも言われています。

本震発生から15分後、波高約18mの津波がチリ沿岸を襲い、さらに約15時間後にはハワイ諸島に及び、そして24日午前4時37分、志津川(現・南三陸町)に到達しました。

日本とチリは、約1万7500㎞離れています。津波はこの距離を平均時速約700㎞を超える猛スピードで、約22時間かけて渡ってきました。
早朝4時10分過ぎ、志津川の住民から「津波が来るかも知れない」との第一報が警察に入りました。
さらに4時17分、漁業組合長から「海の水がほとんどなくなった」と報され、署長は4時18分、サイレンを鳴らして津波警報を発しました。
津波が堤防を乗り越えたのは4時37分で、4時42分には最高潮位5.5mに達しました。
住民の多くは高台へ避難していたましたが、41名の方が亡くなっています。


小泉海岸方面を望んで立つ灑水(しゃすい)観音様


地震は、天候や季節の影響を受けるものではありませんが、過去、5月から7月にかけての時期には、なぜか大きな地震が発生しています。

36年前の1978(昭和53)年6月12日には、25~40年周期で発生するとされる「宮城県沖地震(M7.4)」がありました。

1983(昭和58)年5月26日には、秋田県で遠足中の小学生13人のほか、北海道や青森県などで100名の方が建物倒壊や津波で亡くなった「日本海中部地震(M7.7)」が発生。

2003年(平成15)年7月26日には、震度5弱以上最大6強の地震が1日に4回も発生した「宮城北部地震(M5.1~6.4)」がありました。

そして、記憶も新しい「岩手宮城内陸地震」は、6年前の2008(平成20)年の6月15日の出来事でした。

これらの地震をすべて体験され、記憶されている方も多いはず。

田束山の山頂にいるとき、南三陸町の防災無線から、
「チリ地震津波から54年です/正午のサイレンに合わせて黙祷をお願いいたします」という旨の放送が流れてきました。


午後0時。志津川「さんさん商店街」


「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」による津波は、波高も被害の規模もチリ地震津波を大きく上回り、その記憶を少し遠いものにしてしまいました。

しかし、チリ地震津波をはじめ、これらの地震被害の教訓もまた風化させてはいけません。

旧志津川町が、町の防災計画を練り上げる契機となったのも、海岸線に築いた防潮堤の高さを5.5mと定めたゆえんも、ハザードマップ作成の基礎的なデータになったのも、5月24日を「町の防災の日」と定めたのも、このチリ地震津波以降なのです。

町の人たちは“自分の命は自分で守る”――という意識を高めてきていました。
でも「やっぱりどこかで風化というか、忘れていた」とも言います。

いつかまた、宮城県は再び、強震や津波に襲われることがあるかもしれません。




津波があったこと。津波が引き起こした出来事が教訓だというのなら、
それを忘れてしまったこと、風化させてしまったことも「教訓」です。

もう一度、振り返る。検証する。

家族や近しい人をなくしてしまうような、悲しい出来事に、もう誰も遭わないために。

(取材日 平成26年5月24日)

鮎川と女川を結ぶコバルトライン(石巻市鮎川浜・女川町)

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こんにちは、Chocoです。
今月のココロプレスのホームの写真いかがですか。

あの絶景は、ぜひ肉眼で見てほしい!!
ということで、今回はホームの写真を撮った場所を紹介します。


 宮城県道220号牡鹿半島公園線(通称:コバルトライン)は、女川町と石巻市鮎川浜を結ぶ約34キロメートルの県道です。

東日本大震災の影響で、路面の亀裂やのり面の崩落などが起こり、段階的に復旧工事は行われていたものの、同年9月に台風15号、昨年夏の豪雨により更なる被災を受け、工事は延長を余儀なくされてきました。

しかし、多くの災害にも負けじと進められた復旧工事のおかげで、今年の4月30日にコバルトラインが全面開通しました。
それに伴い震災の影響で通行止めとなった周囲の137カ所の県道も,
全て通行可能となったのです。
「待ってました!!」
と伝わるくらい気持ちよく走る、バイカーの皆さん。

海も山も見ることができるコバルトラインは、絶景ポイントがたくさんあります。
皆さんもぜひ自分の絶景を探してみてください。
左から見える山、海。
右からも見える山、海。
私も走っていて気持ちがよかったです。



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【コバルトライン走行する際のお願い】
全面通行可能になりましたが、皆さんの安全のために復旧工事が続いています(工事完了は今年12月の予定)。
大原IC-山鳥ゲート間では、数カ所の区間で片側交互通行や簡易ガードレールがあります。
また、復旧工事の車両も多く利用します。
走行する際は、ご注意ください。

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今年の夏、ツーリングをしに、デートコースに、友達や家族とドライブに・・・
自然の心地よさを体感しにコバルトラインを走ってみてはいかがでしょう。

(取材日 平成26年6月5日)

漁業の復興へ!「地上いけす」を整備~カタールフレンド基金~(気仙沼市)

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kaiiです

漁業の再生へ向けた取り組みが進む気仙沼市に、小魚類の販路開拓につながる地上いけす施設が完成し、平成26年5月25日にオープニングセレモニーが行われました。
中東・カタール国の助成で整備された地上いけすは、気仙沼市の北東部、岩手県との県境に近い小田地域内にあります。

カタールフレンド基金で整備された「アル フルザ」概観
(平成26年5月25日撮影)

「アル フルザ」と名づけられたこの施設を活用して、これまで流通させるのが難しいとされてきた小魚類を活魚として流通させ、漁師の収入の向上と漁業文化の維持と地域の活性化を目指すプロジェクトがスタートしています。

「アルフルザ」オープニングセレモニー会場風景
(平成26年5月25日撮影)

「アル フルザ」のオープニングセレモニーは、カタール国のユセフ・モハメド・ビラール駐日特命大使も出席して盛大に行われました。

セレモニーであいさつする公益財団法人日本国際民間協力会(NICCO)の小野了代理事長
(平成26年5月25日撮影)

セレモニーには、設備の整備に携わってきた公益財団法人日本国際民間協力会(NICCO)の小野了代理事長が出席し、
「東北被災地の復興を助けるためのカタールフレンド基金の一部を活用して地上いけす施設をこの地(小田地区)に設置しました。いけすは、誰のものでもありません。地域の人たちが活用してこの事業を成功させてください。このいけすを、復興の起爆剤にしてください」
とあいさつしました。

「漁業再生の一翼をカタールが担えたことがうれしい」と式辞を述べる
カタール国のユセフ・モハメド・ビラール駐日特命大使
(平成26年5月25日撮影)

カタール国のユセフ・モハメド・ビラール駐日特命大使は、式辞の中で「漁業の再生が東北の復興のかぎになると思います。カタールがその一翼を担うことができてうれしいです」と話しました。


ユセフ・モハメド・ビラール駐日特命大使からレプリカキーが吉田勝利組合長に手渡されました
(写真提供:カタールフレンド基金PR事務局)

運営主体となる有限責任事業組合「FM(フィッシュ・マーケット)38」の吉田勝利組合長にユセフ・モハメド・ビラール駐日特命大使からレプリカキーが渡されました。

吉田組合長は、
「これまで売れなかった小魚が流通できるのは大きな強みになります。震災後、海を離れた仲間(漁師)がもう一度漁業に戻ってくるきっかけになればいいです」
と施設に期待を寄せました。

テープカットをして「アルフルザ」のオープンを祝いました
(平成26年5月25日撮影)
ユセフ・モハメド・ビラール駐日特命大使、菅原茂気仙沼市長、吉田勝利組合長などがテープカットして開所を祝いました。

唐桑町に伝わる祝いの舞「神止り(かどまり)七福神舞」
(平成26年5月25日撮影)
気仙沼市唐桑町に伝わる祝いの舞、「神止り(かどまり)七福神舞」(気仙沼市指定無形民俗文化財)も披露されました。

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NICCOの小野了代理事長は、「いけすの存在が地域の活性と女性の雇用拡大につながるよう活用してほしい」と話します。

「もっともっと元気になりましょう」と話す
公益財団法人日本国際民間協力会(NICCO)の小野了代理事長
(平成26年5月25日撮影)
小田地区で刺し網やカゴを使って漁業をする小松栄さん(57)は、
「生産者にとってアル フルザの完成は生産者にとっては増収が見込める心強い存在になると思います。生産者の中には、高齢や車がないなどの理由で気仙沼魚市場まで魚を運ぶことができない人がいます。そのような生産者にもこの施設の存在は大変ありがたいと思います」
と話しました。

「地元漁業の活発」を願う小松栄さん
(平成26年5月25日撮影)
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完成した施設は、木造平屋建て約270㎡で、建物内には容量4トンの大型水槽1台と1トンの小型タンク6台が設置され、先月中旬からカレイやヒラメなどが試験飼育されています。


「アル フルザ」外観
(平成26年5月25日撮影)

基金で整備された小型タンク
(平成26年5月25日撮影)

いけすで試験飼育されている「ヒラメ」
(平成26年5月25日撮影)
水槽には、高低差40m・距離200m離れた海岸から海水をホンプで汲み上げて送水しています。
いけすは、震災被災地の漁業の再生を応援するため、カタールフレンド基金が建設費や設備費、当面の運営費など約1億6千万円を助成して整備されました。
施設の名称「アル フルザ」はアラビア語で「桟橋」を意味します。カタールでは首都ドーハにある古い港を指します。それにちなんで「通商の窓口となるように」という思いが込められているそうです。

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セレモニー終了後、会場では、いけすの見学やFM38が開発した、「さんま味噌」や焼きホタテなどの試食も行われました。

施設の完成を祝って乾杯する出席者のみなさん
(平成26年5月25日撮影)

試食会会場ではホタテの炭火焼も振舞われました
(平成26年5月25日撮影)
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唐桑町は海の恵みと共に生きてきた町です。過去にも幾度も大きな津波被害を乗り越えてきました。その度に人々は努力し生業である漁業を守ってきました。
今、日本は高齢化と働き手の不足、後継者不足がさまざまな場所で語られています。
地域を支えてきた漁業も高齢化と後継者不足が深刻です。
魚食文化の継承と漁業の再生のために「地上いけす」が活用されることを期待しています。

(取材日 平成26年5月25日)

解体の危機から、歴史的建造物を守る~前編~(塩竈市) 

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御釜神社門前に立つ、明治初頭建築の旧えびや旅館(松亀園)
震災前の「松亀園」営業中の写真。木造3階建てであることがわかります
(写真提供:NPOみなとしほがま)
ザーリャです。
東日本大震災とその津波によって、大きな被害を受けた宮城県塩竈市。
取り壊しの危機にある歴史的建造物を、みずからの手で買い取り、保存活用しようとする取り組みが注目を集めています。

その中心となるのが 「特定非営利活動法人NPOみなとしほがま」
平成15年の発足から、塩竈の歴史・文化の調査研究や歴史的建造物の保存活用を行い、それらを活かしたまちづくりで大きな成果を上げています。その取り組みは2012年のココロプレスでも紹介しています。

(特非)NPOみなとしほがまHP http://blog.canpan.info/minatoshiogama/

ココロプレス 記憶と記録を残す~「写真集 塩竈 東日本大震災の記録」(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2012/10/blog-post_2194.html

昨年17,400人が観光に訪れた「亀井邸」の保存活動や、酒造店株式会社 佐浦との協働による「鹽竈旧法連寺向拝(玄関)」の移築保存など、その取り組みによって解体を免れた建造物は、今やガイドブックにも紹介される屈指の観光名所となっています。
「海商の館」・亀井邸 http://kameitei.da-te.jp/
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旧えびや旅館(松亀園)とは
そのNPOみなとしほがま(以下、みなとしほがま)が、現在全力で保存・再生に取り組んでいる歴史的建造物があります。それが 旧えびや旅館(松亀園(しょうきえん):以下、旧えびや旅館)です。

みなとしほがま による「旧えびや旅館」(松亀園)基金のお願い http://blog.canpan.info/minatoshiogama/img/E69DBEE4BA80E59C92E59FBAE98791E38381E383A9E382B7.pdf

旧えびや旅館は、塩竈市の地名の発祥となった御釜神社門前にある木造3階建の建物です。近年のみなとしおがまの調査によって、その建造年代が明治初頭であること、塩竈大火(1867年)からの復興を象徴する唯一の建造物であることや、明治9年(1876年)の明治天皇の東北巡幸の際、大隈重信や土方久光といった政府要人の宿舎であったことも明らかになりました。東日本大震災では津波により一階部分が浸水被害を受けましたが、その後の耐震診断では「補強すれば活用可能」との結果が出ました。

今回は、その歴史的建造物保全の取り組みについてご紹介します。
「見えないところで、さまざまな人が支えてくれています」
そう語る 髙橋幸三郎 副理事長
塩竈の歴史的建造物の被災状況
「今回の震災で被災した塩竈市内の歴史的建造物は、私たちが把握するだけで30棟弱ありました。港町周辺の建造物などは、ほぼすべてが解体され、失われました」

副理事長の髙橋幸三郎さんは塩竈市の歴史的建造物の被災状況について話してくださいました。

「持ち主の多くは、愛着がある古い建物を残したいと思っていました。しかし、老朽化した建物の震災による被害は大きい。公費での解体の期限が迫ってくると、悩んだ末に泣く泣く取り壊すケースが続きました。古い建造物を守るには、所有者がたったひとりで頑張るしかないのが現状です」
国指定有形登録文化財の「高橋家住宅」(宮城県登録第1号)も、震災により解体されました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
国指定の有形登録文化財の「高橋家住宅主屋(旧煙草専売局) 大正11年)」(宮城県登録第1号)を始めとして、塩竈の歴史を物語っていた文化財指定のない歴史的建造物が次々と解体されてしまいました」
解体される文化六年(1809年)建造の「仲忠 鈴木家」。江戸から昭和まで魚問屋として塩竈の発展を見守ってきました。
みなとしほがまによって建築部材が保存されています(写真提供:NPOみなとしほがま)
そのような中でも、みなとしほがまでは、解体を阻止できなかった建造物のひとつ、文化六年(1809年)建築の宮城県の伝統的町屋建築である「仲忠 鈴木家」の建物調査と部材の保存、また塩竈の歴史に関する歴史資料や古民具などの緊急的な保存活動を行っていました。
取り壊し以前の「仲忠 鈴木家」の室内。
仙台藩領の伝統的な町屋建築を伝える建造物でした
(写真提供:NPOみなとしほがま)
旧えびや旅館の緊急調査
平成24年、震災翌年の11月。旧えびや旅館 の取り壊しの事実を把握したみなとしほがまは、斎藤善之・東北学院大学教授、高橋恒夫・東北工業大学教授の両氏の協力を得て緊急調査を行いました。その結果、旧えびや旅館 が建造物として重要な価値を持つことが分かりました。
「取り壊し予定」の報を受け、
みなとしほがまと有識者によって緊急調査が行われました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
明治時代初頭の希少な木造3階建ての建造物で、随所に江戸時代の工法が見られること、二階には船底をかたどった「船底天井」の部屋があり、長押(なげし)には塩竈(松島)の海をモチーフにした象嵌細工、3階の桜の間には天井一面に桜が描かれるなど、意匠を凝らした建造物であり、幾度にもおよぶ津波にも耐えた港町の旅籠建築として保存が望ましいという調査結果が出たのでした。
船底を模した「船底天井」。板材は屋久杉ではないかと見られています
長押には塩竈(松島)の風景が象嵌細工で散りばめられています。
「フナクイムシ」によって穴の開いた材を海に見立てています
水玉で波を表現した小壁。
部屋全体が海原に浮かぶ船をイメージしています
欄間(らんま)にはめ込まれた「フナクイムシ」の材
三階の「桜の間」の天井。一面に満開の桜が描かれています
(写真提供:NPOみなとしほがま)
建物取得のための募金活動と借入金
みなとしほがまの動きは素早いものでした。「建物を買い取るしか保存の道がない」と判断したみなとしほがまは、用地取得に向けた募金活動を決定します。取り壊しの最終申請まで、猶予は2カ月。その間に費用の1000万円を準備しなくてはなりません。会費以外に事業収入がほとんどないみなとしほがまにとって、その費用は高額でした。

「たった2カ月で、私たちになにができるだろうか?」
保存活動を決めたものの、髙橋さんたちは残された時間の短さに悩んだと言います。

「ともかく、市民の皆さんに知ってもらうことが重要だ」と考えた髙橋さんたちは、年が明けた1月に2回の見学会と緊急の講演会を開催しました。その様子が複数のメディアでも取り上げられ、延べ300人が見学会に来訪し、200万円もの寄付が寄せられました。しかし、目標額にはまだ遠く及びません。
見学会には市内外から述べ300人の方々が訪れました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
みなとしほがまは最終的に、旧えびや旅館 を買い取るために銀行から資金を借り入れる決断を行いました。
しかし、巨額の資金を借用するということに、ためらいはなかったのでしょうか。

「口は出すけど、お金という現実の問題を解決できないのなら、きちんとしたものは残せません。保存活動を表明して市民の皆さんに呼び掛けた以上は、最終的な責任もあります」

期限が迫る2月下旬、なんとか銀行からの融資が決まり、みなとしほがま は 旧えびや旅館 の取得契約を結ぶことができました。

「今回ここまで決断できたのは、以前に 『鹽竈神社別当旧法蓮寺向拝(玄関)』 や 『亀井邸』 の保存活動の経験があったからです。
現在は一般公開されている旧亀井邸
(写真提供:NPOみなとしほがま)
『仲忠 鈴木家』は、部材の保存しかできませんでしたが、本来建造物は現存地にそのままの形で残すことが、「まち」にとって一番良いことと考えました。以前に取り組んだ『亀井邸』の場合は、何とか残すことができました。だから、今回も何とかなるだろうと思いました。たった2カ月の猶予でしたので、迷っている時間もなかったですね」
最後に髙橋さんは、みなとしほがま の保存活動が成果を上げている理由について、こう語りました。

「保存活動ができているのは、名前が出ない志(こころざし)のある市民の皆さんと、多くの協力者が支えてくださっているからです。その方々の有形無形の協力は、とてもお金に換算できません。私たちはその方々の思いの受け皿になっているだけなのです」

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みなとしほがま の決断によって保存されることになった旧えびや旅館。建物の取り壊しは回避されましたが、本格的な保存活用へ向けての準備は始まったばかりです。次回の「中編」では、保存から活用へ、試行的に行われている「旧えびや旅館」を使ったまちづくりへの試みをご紹介いたします。

(取材日 平成26年5月17日)

【ボランティア募集&イベント情報】埼玉県川口発・石巻へ

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こんにちは、にゃんこです。

今回は埼玉県川口市にあるボランティア団体「復興支援プロジェクト 笑顔届け隊」をご紹介したいと思います。
この名前を聞くだけでも、なんだか心が温かくなり元気が出ますよね。




「笑顔届け隊」は震災直後の4月に石巻でボランティア活動を開始してから約3年。
今でも月2回継続して石巻を訪れ復興支援活動を行っています。
今月の6月27日に出発するボランティアバスは第77陣にもなります。


活動の特徴は、家屋の片づけや海岸清掃などのほかにもさまざまなイベントサポートを行っていることです。
バスの中でのカラオケ大会に始まり、バーベキューや運動会、クリスマス会にもちつき大会など季節に合わせて、地元の方と一体になってみんなが楽しめるイベントを企画し実施してきました。

こういったイベントが笑顔届け隊と地元の方々、さらに地元の方々同志の新たな“輪”、そして“たくさんの笑顔”を生み出すのです。
被災地の孤独や孤立が問題視される中で、こういった交流場があるというのは地元の方にとってとても大きな存在になっているのではないでしょうか。


今月の6月14日(土)にも石巻市湊地区にある松巌寺で、「お寺deライブ」が開催されます。 
結婚式場のCMで話題の幹mikiさんのミニライブも行われますので、ぜひ足を運んでみてください。
※詳細はHPを参照ください。





また6月27日(金)に出発する第77陣のボランティアも募集しています。
形だけではなく心の復興も後押ししてくれる「笑顔届け隊」。
石巻に「私も笑顔を届けたい!」という方はぜひ参加してください。

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ボランティア募集情報  
※活動内容の詳細や参加費用、お申込みなどの詳細はHPよりご確認ください。
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■ボランティアバス第77陣
出発地:埼玉県川口市
活動場所:石巻市

◆活動日時/6月28日(土)、29日(日)※出発は6月27日(金)夜
◆募集定員/20名 ※ボランティア保険に加入されている方
◆参加費/10,000円 ※現地集合の方は参加費無料
◆募集締切日/6月20日(金)※過ぎた場合は問い合わせを
◆活動内容
・28日は渡波地区の海岸清掃
・29日は大川小学校視察と北上町十三浜にある「誓いの丘」で活動予定
◆主催者の方よりメッセージ
「千年に一度と言われる大震災はたった3年で復興などできません。
あなたの力を必要としている方々はたくさんいます。石巻の市民の方々と一体型
ボランティアの笑顔届け隊で被災地の今の声を感じてみませんか」
(代表 ヨシアキさん)























◆お問い合わせ
復興支援プロジェクト 笑顔届け隊
http://egaomiraiproject.web.fc2.com/


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「笑顔届け隊」は月2回、第2週末と、第4週末と定期的に活動を行っています。
ボランティアに興味のある方はぜひ随時チェックしてみてください!

(にゃんこ)

〝31世紀の子どもたち〟に届け! 千年希望の丘植樹祭(岩沼市)

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石野葉穂香です。

5月31日。
世界中の青空を全部、宮城に持ってきてしまったような、素晴らしい五月晴れとなったこの日、岩沼市の相野釜地区で、昨年に引き続き2回目の開催となる「千年希望の丘 植樹祭2014」が開催されました。

場所は仙台空港の南東側付近。
空気が澄んだ日には蔵王連峰まで見晴らせます


こちらの記事(予告編)と合わせてお読みください。

2014年5月16日 金曜日
「千年希望の丘 植樹祭 2014」のお知らせ(岩沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/2014.html


この丘は、もとは集落があった場所。また、黒松を中心とした防潮林がありました。
岩沼市は、何もかもが波に洗い流されてしまったこの場所に震災ガレキを集め、丘を築造しました。そして、「いのちを守る森」として、10万本の木々を植えています。

植樹祭は「千年先の未来を生きる子どもたちへ森を届けよう」という歴史的なビックイベント。































植樹を指導したのは、横浜国立大学の宮脇昭名誉教授です。

宮脇教授は、黒松を中心とした従来型の防潮堤に代わって、津波や台風や火災にも強いタブ、シイ、カシといった多様な常緑広葉樹の林を育て、根を張らせることで津波の力を減水できると提唱してきました。

宮脇昭教授(中央)と女優の鈴木京香さん(仙台市出身)。
今はまだ、こんなに小さな苗木ですが、15~20年後には
丘は漫々の緑に埋もれてしまっているでしょう


岩沼市は教授の考えを取り入れて、市域に「千年希望の丘」そして「震災メモリアルパーク」への植樹を、市民参加型で進めてきたのでした。


常緑広葉樹の森には、7つの利点があるのだとか。

ひとつめは、多層構造の森の緑が津波のエネルギーを低減してくれます。
ふたつめは、引き波でさらわれていく家や車を、網のように食い止めてくれます。
みっつめは、根がガレキを抱くように張り、木々はいっそう安定します。
よっつめは、木々が自然の力で循環するため、メンテナンスがいりません。
いつつめは、森から生まれるミネラルが海や川を豊かに育ててくれます。
むっつめは、森の呼吸が、地球の温暖化防止にも一役買います。
ななつめは、しっかりと根を張る水分の多い木々が火災や風雨から暮らしを守ってくれます。

--それは〝緑の長城〟なのです。


会場の「一部」です。
今はまだ、枯れ地も広がっているけれど、
やがて、海の光に森の風がきらめくステキな場所へと変わっていきます


海と、内陸に暮らす私たちを、冷たく、硬く隔ててしまうのではなく、夏風も北風も通り抜け、若葉や落葉の匂いも届けてくれながら、「森においでよ」「海まで歩こうよ」と誘ってくれる、やすらぎの場所にもなっていくはずです。


地元・岩沼市立玉浦小学校の子どもたち約80人も参加。
彼らが作った森は、彼らの子どもたち、さらにその子どもたち・・・が、
きっときっと、ずっと先の未来にまで残していってくれるはず


当日は、約7000人もの人たちが、全国からやってきました。
もちろん地元である宮城からも、大人や子どもたち、多くの人が参加しました。
そして、植えられた苗木の数は、約7万本!

このイベントは来年もまた、続けられる予定です。

岩手県大槌町から参加された「大槌町連合婦人会」の皆さん。
「暑いかなと思ってましたが海風がきもちよかった。
大槌町でも植樹活動をしているんですよ。
未来の子どもたちに繋がって、私たちも頑張らないと!」
(代表の古舘和子さん/前列左)

南三陸町から参加していた「一般社団法人 震災復興支援協会 つながり」の皆さん。
「南三陸町も、緑の防潮堤で守られる町になってほしいな」
(三浦宮倫子さん/前列左)
東日本大震災の記憶を伝え残す。
今を生きている私たちの思いと祈りを、未来の子どもたちへ繋げたい――。

〝31世紀の子どもたち〟へ、美しい森を届ける〝千年に一度〟の歴史的イベントなのです。


(取材日 平成26年5月31日)

気仙沼の台所!気仙沼さかなの駅イベント情報!(気仙沼市)

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kaiiです。

気仙沼市を流れる神山川沿いにある「気仙沼さかなの駅」は、国道45号線気仙沼バイパスから車で5分ほどのところにあります。
店内には、新鮮な魚介類だけでなく、精肉、野菜などの生鮮食料品と、地酒を中心とした酒類が並べられています。

気仙沼バイパスから車で5分の場所にある「気仙沼さかなの駅」


「気仙沼さかなの駅」のマネージャー・尾形誠さんは、「さかなの駅は気仙沼の元気と市民の台所です。多くの皆さんに利用していただき気仙沼のおいしいものを体感してほしいです」と話します。

そんな「気仙沼さかなの駅」で6月~9月の夏季限定で行われるイベントをご紹介します。
その名も「夜市(よいち)」。
毎月第4土曜日の午後4時から午後8時まで開かれます。
さかなの駅の構内の店舗は開催当日は、通常の午後6時で閉店し、店外でのイベントを盛り上げます。

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気仙沼さかなの駅「夜市」


さまざまな企画が準備されています。多くの皆さんのご参加をお待ちしています


開催日時:平成26年6月28日(土)午後4時~午後8時
開催場所:「気仙沼さかなの駅」駐車場
       宮城県気仙沼市田中前2-12-3
       電話: 0226-21-1231


イベント内容:九条打ちばやし 午後5時から
        よさこい踊り共演 午後6時から

         (参加チーム)気仙沼市唐桑町 祭や
                  一関市室根町  桜室連
                  一関市      夢限大
出店の他、
午後5時30分から、子どもたちが参加できる「紙飛行機飛ばし大会」も企画されています。

*出店では気仙沼魚市場に水揚げされた季節の魚介類の海鮮焼きなどが楽しめます。

*駐車場は「気仙沼さかなの駅」周辺に数カ所準備されます。

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次回以降の「夜市」の開催予定日

7月26日(土)・8月23日(土)・9月27日(土)

内容は各回ごとに変わりますので、事前に「気仙沼さかなの駅」フェイスブックでご確認ください。

フェイスブックリンク先https://www.facebook.com/sakananoeki

ホームページリンクhttp://sakananoeki.com/ (現在工事中です)


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「夜市」は気仙沼の元気を「さかなの駅」から発信したいと企画されたイベントです。
楽しく参加できる構成になっています。


「気仙沼さかなの駅」は市民の台所として成長したいと話す
気仙沼さかなの駅のマネージャー尾形誠さん
(平成26年5月30日撮影)


「震災後少なくなった、『おまつり』の雰囲気を多くの方に参加して楽しんでほしいです。市民の皆さんにさかなの駅に足を運んでいただくことで、今以上に皆さんにかわいがられ、気仙沼市民の台所として、さかなの駅も地域といっしょに成長していきたいです」と尾形さんは話します。


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「気仙沼さかなの駅」の構内には新鮮な魚はもちろんですが、たくさんの食材が並んでいます。
さかなの駅はお店の人と話せる対面販売が商売の強みです。魚のさばき方やおいしい食べ方、季節の食材やおいしい地酒についてなど、お店の方から直接聞いてください。

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さかなの駅では「夜市」の他に、毎週木曜日には「もくもくタイムセール」を開催しています。
午前11時と午後3時から、各店舗の販売者さんたちがMCを務めています。


毎週末行われている「金土日生鮮旨市」の広告
新鮮な食品が格安で販売されています
(平成26年5月30日撮影)

週末の金曜日・土曜日・日曜日にも「金土日生鮮旨いもの市」を開店から閉店まで開催し、旬の生鮮食品を格安で販売しています。
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初カツオが入荷したら「初がつお大市」なども企画されています。大市ではカツオが格安で販売されます。毎年、大人気の企画になっています。

今年はカツオの水揚げが例年より遅れています。
「初がつお大市」についてはフェイスブックをこまめにチェックして下さい。

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尾形さんと話しながら、多くの方に気仙沼の新鮮でおいしい季節の食材と地酒のうまさを楽しんでほしいとがんばる多くの人の思いを感じることができました。

「ガンバロー気仙沼!ガンバロー宮城!」


(取材日 平成26年5月30日)

100年後の豊かな大地のために[後編](名取市、東京都)

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こんにちはエムです。

東日本大震災の津波で喪失した海岸林を再生しようと、地元農家25名が中心になって立ち上げた
名取市海岸林再生の会(以下:再生の会・現在は32名)

2014年6月5日 木曜日
100年後の豊かな大地のために[前編](名取市、東京都)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/100_5.html


「再生の会」を支援、協力する公益財団法人 オイスカ(以下:オイスカ)。
そしてオイスカによる海岸林再生プロジェクト10カ年計画」。

この未来を見据えた活動は[前編]でご紹介した流れの中、平成23年から動き出しました。(このプロジェクトは宮城県農林水産部森林整備課が窓口になっています)

私自身、震災前の海辺の記憶をたどると、うっそうとした松林が仙台湾沿岸のいたる所で当たり前のように見られたのを覚えています。
時々海に遊びに行くと、海の手前には幾重にも重なった松の木々がまるで生け垣のように黒々とそびえ立ち、松林の中は夏でもひんやり冷たく、たくさんの植物が生え育っていました。

「海岸林再生の会」の皆さん。この日は4人の方にお会いしました。
3人の大友さんと森さん(右端)。紅一点が大友淑子さん

「子どもの頃は、ストーブの焚き付けにする松ぼっくりを拾ったりしてたんだよ」
そう話してくださるのは「再生の会」の大友淑子さん。

また、海岸林のクロマツの根元にはたくさんの食べられるキノコが生えていたそうです。
海沿いに松林が何キロも続いていたこの地域では、海岸林は防潮の役目を果たしていた他に、さまざまな恩恵ももたらしてくれたのです。
海岸林は生活に密着した大事な里山だったのだと知ることができました。

植林する苗を出荷するには、50本づつ束ねた束を
8束(400本)まとめてコモでしばります
その里山をいっぺんに無くし、自らも被災する体験をした地元の皆さんですが、現在こうした活動をすることをどう感じているのでしょう。

淑子さんは言います。
「もし震災が無かったら、マツに携わることも無かった。
そういう意味では複雑だけど、起こってしまったからには、こうしてマツの育成という今までやったことの無い事をやってる楽しさ、喜びはありますよ」

「種から植えて、2年たってやっと植えられる。それはとってもうれしいし、なるべく枯れないで育ってほしいのね~」
淑子さんは自分の子どものように行く末を案じていました。

「今は仮設住宅に入っているけど、育苗場に来ると同じ地域の人が集まるし、こういう場所があって話しながらやれるので、仕事は苦にならないし楽しいですね」

たくさんあったはずの辛い体験も、日々の労働にいそしみながらいつの間にか笑っている。楽しみを見い出している。明日への活力に変わっている。そんな姿が深く印象に残りました。

途中でバラバラになってしまわないようにワラで
しっかり縛ります。簡単そうですが難しいんです
「ここまで育つのは大変だけど、ある程度伸びるとその後の成長は早いね。
でもあまり成長しないうちに植えないと時期が遅くなる。その加減が難しいんだね」

慣れた手つきで作業の手順を説明してくださる「再生の会」の皆さん。

「再生の会」の皆さんは、現在では元の農業を始めた方もおられ、今が最盛期。
ですが海岸林の作業も同じく忙しい時期を迎え、今年は農業と海岸林の方を交代で行っているということでした。

ところで、2つの育苗場で今まで行ってきた植林の作業には、簡単に分けると3つの工程がありました。
「種蒔き」「床替え(移植)」「植栽」です。

平成24年・・・種蒔き[7万粒]
平成25年・・・種蒔き[9万粒]、[広葉樹(コナラ・クリ)1,700粒]
        床替え(移植)[24年に蒔き育った苗(樹齢1年)]
平成26年・・・種蒔き[10万粒]、[広葉樹(ヤマザクラ・(皇居で拾われた)エノキ・スダジイ・タグノキ 400粒]
        床替え(移植)[25年に蒔き育った苗(樹齢1年)]
        植 栽[24年に蒔き育った苗(樹齢2年)75,000本]
           [広葉樹(クリ・コナラ・ヤマザクラ)440本]

根っこの上から25〜40cmに育った苗が理想的
(樹齢2年、いわば2歳になったクロマツの苗)

とだんだん作業も増え、そして今年は待望の……そうです! 初めての植栽が今年から開始されたのです!
平成26年の今年は、総面積100haのうちの15haに75,000本を植えるのだそうです。
苗の植え付けは「再生の会」の方の説明の通り、最適な時期を逃してなりません。そのため4月28日から始まり、5月24日までに終わらせる。と、期間は限定されています。

宮城県・名取市・再生の会・オイスカが協力体制で目指しているのは、地元の里山が再びよみがえり「名取市民の森」となること。
そのために、宮城県が制定した「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」協定第1号として、平成26年2月13日に協定を締結しました。その後2月28日には国との協定も締結し、準備は着々と整えられました。

そして、去る5月24日には大々的にボランティアを募り、総勢350人による「植樹祭」が行われました。
「植樹祭」では1haの面積に5,000本の苗が植えられたのです。

「2歳のクロマツですが、植えるにはまだ小さい苗です。
枯れたマツがあった時の予備軍です」オイスカ 林久美子さん

ところで植栽が行われる海岸の現場では、皆さんが2年間苗を育てている間に防潮堤の建設が終わっていました。
その100m内側に林野庁による植栽のための盛り土工事が成され、さらに防風柵が設置されいつでも植栽ができるよう準備が整えられていました。

建設が終わった防潮堤(海側から望む)

本来根が深いクロマツがしっかりと根を張るためには、3mの盛り土が必要です。しかし、震災後の復興工事で、あちこちで盛り土用の土が必要なこの時期、手に入れられたのは山を削った栄養分の乏しい荒れた土でした。

鍬を入れる度に大きな石がゴロゴロ出てくるし、粘土質で掘り進めなかったりと不安要素はありますが、そこは森林のプロも農業のプロもいる現場だけあり、植栽後のケアも準備されているようでした。

林野庁により整備された植栽地。土地の所有者は海側から
「宮城県」「名取市」「国」と分かれています。
プロジェクトチームが植えるのは宮城県と名取市が所有する土地です

ただ、私が取材した日も風が強く、約1.5km内陸にある第1育苗場でも、海から飛んでくる砂が肌に当たって痛いほどでした。
そんな過酷な環境の中、2歳になったクロマツの苗たちは紙ヤスリにかけられるごとく砂の風に当たり(植えた後の天候次第ですが)最悪の場合、半数は枯れる可能性すらある……とオイスカ 海岸林再生プロジェクト担当 吉田俊通さんは言います。


広葉樹の移植のための畑を耕す「化学総連」の皆さん
クリ・コナラなど塩に強い品種の広葉樹も
実験的に植えるのだそうです
私が取材させていただいた日は、ボランティアの方々総勢55名が入られ、同行させていただきました。

ボランティアは「全国化学労働組合総連合」(以下:化学総連)の皆さん。
「化学総連」とは、住友化学や昭和電工など、いろいろな企業の労働組合の連合体で、このプロジェクトを立ち上げる前からオイスカが支援してもらっている団体だと、オイスカの林久美子さんが教えてくれました。

また、この「海岸林再生プロジェクト」にも早い段階から支援をしてくださっているそうです。それは資金だけではなく、苗に必要な肥料などの提供やこうしたボランティアまでと、幅広い支援なのです。そうした方々がいるのは本当に心強いですね。

「笑顔を忘れず、みんなでがんばってゆきましょう!」
化学総連 事務局長・山本幸平さん

「この現場では年間2千人のボランティアを受け入れて協力してもらっています。ですが、主体はあくまでも地元の皆さん。ボランティアは地元の皆さんの仕事を “補完” するという役割だと認識してほしいと思っています」
オイスカの吉田さんは繰り返し、ボランティアの皆さんに説明しています。

小さな苗が負けないように「草むしり」はこれから増える作業です

「海岸林の再生をしながら、コミュニティの再生もお手伝いできたら……と思ってやっています」
同じくオイスカの林さんは、地元の方々がこの仕事場に集まっては作業している様子を見て、そんな胸の内を語ってくれました。

「みんなの力を寄せ集め大きな活動に」
化学総連 会長・岡嶋謙さん

この、海岸林再生プロジェクトは最終的に名取市内の100haに50万本の植栽を目指しています。
続く7年、林野庁と民間との連携で継続して行う、他では例を見ないほどの大プロジェクトです。
オイスカでは今までの3年のように、地元の雇用を生みながら農業者の自立をはかる支援を続けてゆく考えだそうです。

きっとまた、こうしたたくさんの人の手や心が加わって、必ずや大きな成果につながってゆくことでしょう。
関わっている方々の熱意や決心が伝わる、素晴らしい取材体験でした。

名取市海岸林再生の会」「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」の様子は、この先も取材させていただこうと思います。
クロマツの成長とともに、どうぞお楽しみに。

必ず成功させる!

カードを持つオイスカの吉田さんと、関西や関東から参加してくださった
総数55名の「化学総連」の皆さん。慣れない作業、お疲れさまでした。
(植栽地で植樹のための “穴掘り” をしている「化学総連」のメンバーは写っていません)

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海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」は、ご理解とご賛同いただいた皆さまのご支援によって成り立ちます。
続く7年間の活動のため、ご支援・ご協力をお願い致します。

植樹された樹齢2年のクロマツ。
5年後、10年後が楽しみです
〈ご寄附の振込先〉
【郵便振替】
00100-6-482316
海岸林再生募金

【銀行振込】
三菱東京UFJ銀行 永福町支店(支店番号:347)
普通 0054080
公益財団法人オイスカ


詳しくは下記のホームページをご覧ください。

東日本大震災復興 海岸林再生プロジェクトーークロマツお助け隊ーー」
http://www.oisca.org/kaiganrin/

※ ブログは毎日更新中!日々の活動はこちらをご覧ください
  http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/

〈ボランティアのお願い〉
ボランティアしてくださる方を随時募集しています。
◆ ボランティアの日:毎月第3土曜日
  定員・40名
  ※ 8月は30日(第5土曜日)の予定です。

◆各種お申し込み・お問い合わせ
公益財団法人 オイスカ 海岸林再生プロジェクト担当
住所:〒168-0063 東京都杉並区和泉2-17-5
電話:03-3322-5161 FAX:03-3324-7111
E-mail:kaiganrin@oisca.org
http://www.oisca.org/

(取材日 平成26年5月16日)

【写真洗浄ボランティア募集】仙台または愛知~思い出の品を持ち主の手に~

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こんにちは、にゃんこです。

以前ココロプレスでも何度か活動内容を紹介した特定非営利活動法人「おもいでかえる」さん。
2011年12月より、震災の津波で流失したがれきの中から見つけた写真や思い出の品々を洗浄して、
持ち主の元へ返却する活動を続けています。


今回は写真洗浄をお手伝いいただけるボランティアを募集されていることを聞き、
現状の活動状況も含め理事長の野瀬香織さんにお話を伺いました。


「おもいでかえる」の活動場所は仙台ですが、昨年から生活の拠点を愛知県に移している野瀬さんは、
現地のボランティアスタッフとともに愛知県内でも活動しています。


愛知では地元のママサークルの方々がお手伝い


「この活動を通して多くの人々とのつながりができました。同じく写真の洗浄を行う全国の団体の皆さんとはもう2年のお付き合いになり、一番つらい時間を共有してきました。他にもさまざまな支援団体の方といろいろな想いを分かち合うことで、震災後の自分自身の精神状態を保ってこられたと思います」


それでも活動を始めてから約3年。
野瀬さんはこのまま活動を続けて行くべきかどうかずいぶん悩んだといいます。

「長期的に活動する必要があるかどうかというところから、ずいぶん悩みました。そもそも現在残っている写真は必要とされているのか? というニーズの把握がうまくできていないのが現状です。まだ引き取られていない写真の持ち主が、今どんなお気持ちなのかは想像するしかありません。写真の価値というのは一人ひとり違いますから。
ただ、もしまだ気持ちの整理ができていなかったり、生活再建の途中だったりするために探しに来られる気持ちが湧かない方が一人でもいらっしゃるのなら、返すことができる可能性を奪ってはいけないと思い、もう少し続けようという結論に至りました」


ただ、継続するためには、場所や人、資金とさまざまな問題をクリアしなければなりません。
まず必要なことは、活動の進行にも影響してくるという基盤作りです。

「その第一歩として今年3月、市民団体から特定非営利活動法人にしました。法人化したからといってもちろんすぐに問題が解決するわけではありませんが、皆さんからの信頼をより多く得ることができるのではないかと思います。また法人化したことにより活動範囲を全国に広げ、今後起こりうる災害において当団体の経験を生かしていければと考えています」




津波でひどい損傷を受けてしまった写真の洗浄はとても繊細で、そしてとても根気のいる作業です。
それでも“世界に1枚しかない思い出の写真を持ち主の元へ返したい”という強い信念を持って、一枚一枚丁寧に、丁寧に作業を続けてきました。
ここ2年間の活動では、約28万枚もの写真を修復し、11万枚もの写真を返却したそうです。
それでもまだまだ膨大な数の量が残っています。

展示会も開催。「今後の展示会の予定はまだ未定なので、
決まったらHPや仙台市政だよりなどでお知らせします」


持ち主が不明の写真のほかにも、自分で拾ったものや自宅が浸水して被害にあったものなど
をきれいにしてほしいという依頼もあるそうです。

“一日でも早く、一枚でも多く持ち主の手に返したい”

作業はまだまだ続きます。
この野瀬さんたちの想いを繋いでいただけるボランティアをお待ちしています。

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ボランティア募集情報  
※活動内容の詳細や参加費用、お申込みなどの詳細は各HPよりご確認ください。
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■【大切な思い出がよみがえりますように】写真洗浄のボランティア

活動場所/仙台または愛知
活動日時/基本は木~土曜の10:00~16:00
募集人数/新規の方は各5名程度。継続の方は特に制限なし
応募締切日/各活動日の3日前まで
参加費/なし
活動内容/写真洗浄
主催者の方よりメッセージ
 「これまでボランティアをしたことがない方も、ご興味があればぜひ一度お越しください。
 特に宮城県内、仙台市内の方に細く長く関わっていただくことが、これからの復興に
 向けて必要なことと考えています。また、県外の皆さんにはこの活動を全国に広げてもらい、
 今後起こりうる災害時に役立てていただければうれしいです」
 (理事長 野瀬香織さん)


◆問い合わせ先
特定非営利活動法人おもいでかえる
http://www.omoide-kaeru.com/

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これまでの記事はこちら
・思い出を持ち主の手に~おもいでかえる~(仙台市荒浜)
2012年12月23日
http://kokoropress.blogspot.jp/2012/12/blog-post_23.html

・「ふるさと」の今、届けます(仙台市)
2013年2月24日
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/02/blog-post_9652.html

・継続する力~思い出がよみがえる 津波流失写真展示会(仙台市宮城野区)
2012年10月9日
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/blog-post_9.html


(にゃんこ)

解体の危機から、歴史的建造物を守る[中編] (塩竈市)

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前編では、特定非営利活動法人NPOみなとしほがま(以下、みなおしほがま)の
旧えびや旅館(松亀園)の保存活動をご紹介しました。


2014年6月9日 月曜日
解体の危機から、歴史的建造物を守る[前編](塩竈市) 
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_6388.html

みなとしほがまが「買い取る」ことで、旧えびや旅館(松亀園(しょうきえん):以下、旧えびや旅館)は保存活用の道が開かれました。
中編では、その活用の取り組みをご紹介します。
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建物をよみがえらせる「お掃除会」
保存活用が決まった 旧えびや旅館 でしたが、震災以降は修繕や清掃が行われていなかったために、まずは大掛かりな修繕と清掃が必要でした。そこで始まったのが、市民の有志による「お掃除会」と「車座会議」の開催でした。
毎月行われている「お掃除会」
自由に参加し、建物を間近に見ることができます
(写真提供:NPOみなとしほがま)
「いや、もう初めのころは本当に大変だったのですよ。取り壊しが決まってから、家の中は人の手が入っていませんでした。
特に三階は長い間放置されていたために、部屋に入るのも大変なほどでした」

みなとしほがまの歴史的建造物保存活用部会で活動する大和田庄治さんは、当時をそう振り返りました。

「それで始まったのが、月に一度の『お掃除会』です。特に予約なども必要なく、気軽にどなたでも参加できます。次の開催で14回目。多くの皆さんのご協力で、少しずつですが建物本来の姿がよみがえってきています」

実際に歴史的建造物に入り、間近で観察する機会はなかなかありません。歴史や建築を学ぶ学生さんなど、参加を検討してみてはいかがでしょうか?(今後の予定については後編でご案内します。)
多くの地元業者の協力で、少しずつ復元修理が進む旧えびや旅館(松亀園)
(写真提供:NPOみなとしほがま)

アイデアを拾う「車座会議」
そして、その「お掃除会」の後に始まるのが「車座会議」です。
実は旧えびや旅館の活用を探る上で、重要な場になっていると大和田さんは話します。
さまざまな活用のアイデアも出る「車座会議」
(写真提供:NPOみなとしほがま)
「『車座会議』は、参加者がお茶を飲みながら意見交換をする場です。お掃除をしていて気が付いたことや、活用のアイデアなど、ざっくばらんにさまざまな話をしています」

実はこの車座会議、亀井邸の保存活用を進める際に、斎藤善之・東北学院大学教授からのアドバイスで始まったものだといいます。
亀井邸での第3回車座会議の様子
(写真提供:NPOみなとしほがま)
「『車座会議』という場は、実は女性市民の意見を取り入れるために始まった方法です。亀井邸の保存活用では、婦人会の
皆さんの参加など、女性の力がとても大きかったのです。女性の視点やアイデアには、新鮮で共感できるものがたくさんあります。それに、地元に精通していて、『横のつながり』もありますから、女性はとても実行力があるのですね」

保存活用の秘訣、それが「車座会議」のようです。

「車座会議の参加者から、『こんなことができたらいいね』という具合に、さまざまな企画も自然と出てきます。それをみんなで応援して形にしてゆく。『車座会議』は まちづくり の人材発掘の場にもなっているのです」

市民活動への入り口に
まちづくりを担う人材の不足は、塩竈市だけにとどまらない問題です。大和田さんは若い世代が市民活動に興味を持つきっかけとしても、旧えびや旅館が活用できると考えています。
塩竈を拠点とする「NPOHighーfive」の皆さん
(写真提供:NPOみなとしほがま)
「4月には『NPOHighーfive 』の畑中みゆきさんにお声掛けして、子どもたちに来てもらいました。そうすると、一緒に来た若いお母さんたちも興味を持ってくださるんですよね」
2階の広間を清掃する子どもたち。「米ぬか」を使って部材を磨きました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
「30~40代の人たちが市民活動に参加できないのは、実は子育てに追われているからです。子どもたちが 旧えびや旅館 に来てくれることで、お母さん方にも私たちの活動を知ってもらえます。それが市民活動への入り口にもなればと思っています」
お掃除会の後の親子見学会の様子
(写真提供:NPOみなとしほがま)
旧えびや旅館 を「まちづくり」 の拠点に
「旧えびや旅館 が、少しずつきれいになることで、イベントも開けるようになりました。今年はほぼ毎月、旧えびや旅館 を会場にしたイベントが開かれました」と大和田さんはうれしそうに話しました。

お正月には、まちかど博物館として斎藤善之・東北学院大学教授の講演会に合わせてパネル展示、ミニカフェを開催しました。
斉藤善之教授によるお正月講演会
(写真提供:NPOみなとしほがま)
みなとしほがまが収蔵する絵図や古写真のパネル展示
(写真提供:NPOみなとしほがま)
鹽竈神社や御釜神社の参詣者の来場もあって、2日間で500人の入場者がありました。
ミニカフェには初詣客など多くの人が訪れました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
イベントに並行して、お正月の旧えびや旅館周辺の人の流れや交通量の調査、活用保存に対する意識調査のアンケートなども行いました。これらは今後の活用計画案の作成に活かされます。
亀井邸と連携した「ひなめぐり」の会場にもなりました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
また3月には亀井邸と連携した「塩竈deひなめぐり」の会場として、また4月には鹽竈神社の花祭りに合わせて、ミニカフェとフリーマーケットを開催しました。車座会議に参加していた女性の企画で、ゴールデンウィークにも開催し、多くの人が訪れました。
地元のお菓子でのおもてなしも好評でした
(写真提供:NPOみなとしほがま)
これらのカフェでは、新しい試みも始まりました。

「地元の10軒のお菓子屋さんにご協力いただいて、お客様に地元のお菓子をお出ししました。カフェで地元の商品を味わった方が、実際に商品を買いに店舗を訪れています」

地元の商品によるおもてなし。
このスウィーツカフェ、次回は7月6日(日)にオープン予定。その日は旧えびや旅館前の御釜神社で、宮城県の無形民俗文化財である「藻塩焼神事」が執り行われます。お祭りの見学がてら、訪れてみてはいかがでしょう。

町の記憶を次世代へ
少しずつ、でも確実に塩竈の人々の集いの場所になっている旧えびや旅館。みなとしほがまでは今、最終的な旧えびや旅館の活用保存計画案を作っています。今までの活動の一区切りとして、7月に講演会を行い、NPOとして寄付をしていただいた方々や市民に対して、報告会をする予定です。(詳細は後編でご紹介します)
「旧えびや旅館が塩竈の新しい名所になるとうれしいですね」と語る大和田庄治さん
「亀井邸が現在の形になるまで、5年以上の時間がかかりました。そういう意味では、旧えびや旅館の活用の仕方も、まだまだ過渡期のものです。これからも少しずつ活用の実績を積み重ねて、塩竈の新しい名所として定着する方法をみんなで考えていきます。お金はありませんから、その分だけ知恵を出していきますよ」と大和田さんは微笑みました。

「この活動の目的は、まちの記憶を残すことです。このような建物があることで、市民にも観光客にも『語る』ことができると思うのです。いつの日か、旧えびや旅館 がその語らいの場になることを、わたしたちは願っています」

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最終回となる後編では、みなとしほがまの保存活動に関わった歴史的建造物と、募集している基金、また今後のイベント情報などをご紹介いたします。

(取材日 平成26年5月17日)

6/21(土)開催!わくわくひろがる!多賀城駅前「みんなのマルシェ2014」(多賀城市)

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ザーリャです。
多賀城市の初夏の風物詩、『みんなのマルシェ2014』の開催が迫りました!
震災の年から多賀城を応援するために始まり、今回で5回目の開催となります。今年も多くの出店やワークショップがあり、お年寄りからお子さんまで楽しめるイベントです!

『みんなのマルシェ2014』
日時 : 2014年6月21日(土) 10:00~16:00 ※荒天時は6月22日(日)に順延
会場 : JR仙石線 多賀城駅前 半円公園
内容 : 手作りの食・雑貨販売、家族で楽しめるワークショップ

「みんなのマルシェ2014」公式ブログ : http://ameblo.jp/minnano-marche/
「みんなのマルシェ2014」公式twitter  : https://twitter.com/minnano_marche

昨年の「みんなのマルシェ」。多くの市民が訪れました

みんなのマルシェの第1回からの実行委員で、現在代表を務めるのが丑田明希(うしだ あき)さん

2013年のココロプレスでその取り組みが紹介されています。

「みんなのマルシェでまちとヒトをつなぐ」(2013/5/28)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/05/blog-post_5342.html

「お金とか利益だけじゃない、豊かさがのこるイベントにしたいですね」
そう語る、代表の丑田明希さん
丑田さんに今年のマルシェの見どころをお聞きしました!

「今年もさまざまなお店が出店します。手作りの食、雑貨、小さなお子さまでも楽しめるワークショップなど、お子さまから年配の方まで、幅広い年代の方に楽しんでいただけるイベントだと思います。


今年も遊びに来てくれたお子さまが参加できる『マルシェちゃんをさがせ!』(詳細は、会場で!)など、例年好評のゲームやイベントもたくさん準備しています。

マルシェに来てくれたことによって、新しいわくわくを見つけてくれたらうれしいですね!

初めて会う人や新しいお店との出会いを通して、普段の日常がちょっと楽しくなったり、豊かな気持ちで、わくわくする。マルシェに遊びに来てくれる皆さまにとって、そんな場であったらいいなと思っています。

ご家族やお友達と、ぜひぜひ遊びにいらしてくださいね!!!!」


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わたしザーリャも、第1回目から参加させていただき、毎年楽しい思い出になっている「みんなのマルシェ」。
今年もお邪魔して、楽しい1日を過ごそうと思っています。当日の様子は、またあらためてお伝えいたします。

(取材日 平成26年6月11日)

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