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震災前の居久根のある風景 (高橋親夫氏撮影) |
ザーリャです。
津波で甚大な被害を受けた、仙台市宮城野区の南蒲生(みなみがもう)地区。
そこで津波で失われた居久根(いぐね【屋敷林のこと】)を「みんなの居久根」として再生させ、次世代に継承しようという活動があるといいます。
そう聞いて、私は仙台市内のあるオフィスを訪ねました。
「特定非営利活動法人 都市デザインワークス」都市デザインワークスは、2002年に法人設立され、地域の活性化や市民主体のまちづくりに取り組んでいます。
都市デザインワークス(UDW)
http://www.udworks.net/南蒲生の皆さんと、都市デザインワークスが取り組むのが
「仙台平野 みんなの居久根プロジェクト」です。
プロジェクトFacebook
https://www.facebook.com/minnanoigune今回の取材では代表理事の 榊原進 さんと、同じく「みんなの居久根のプロジェクト」に取り組む 岡井健 さんにお話を伺いました。
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「200件を超える現地再建は、仙台平野ではここだけです」 そう話す代表 榊原進さん |
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先人の知恵である居久根文献によれば、「そもそも『居久根(いぐね)』とは、宮城県を中心にした地域で屋敷林をさす呼称です。『居』とは家のことを、『久根』は地境という言葉で、『屋敷境』という意味になるんです」
榊原さんが、その言葉の意味を教えてくださいました。
居久根にはもともとさまざまな役割があります。防風や、防潮、防火、夏には木陰が涼しい風を生み、冬は吹き付ける冷たい季節風を防ぎました。払った枝や落ち葉は燃料に使用され、家の建て替えには建材に使われたそうです。
「居久根は家の一部だったのです。自然の豊かさを暮らしに取り入れた先人の知恵、それが居久根なのです」 榊原さんはそう語りました。
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震災前の街並み (高橋親夫氏撮影) |
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変わらなかった南蒲生集落「私たちがいま取り組んでいる南蒲生地域は、鎌倉時代から集落があったと記録にあります。1865年の幕末の絵図には、『南蒲生』の名前があり、街道が通っていることがわかります。戦後からの変遷を航空写真で見てみても、周りが都市化や開発によってどんどん変わってゆく中で、南蒲生地区だけは、古くからの集落の形がそのままに、ほとんど変わらないことがわかります。居久根も時代とともにだいぶ減少していますが、それでもしっかり残っていす。」
航空写真では、居久根によって黒く縁取られた集落が写っています。
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南蒲生地区を襲った津波![]() |
海に接する南蒲生地区は、津波の直撃を受けた(足利克寛氏撮影) |
しかしその昔ながらの集落にも、東日本大震災の津波が襲いました。もともと南蒲生地区は海岸線の防潮林と貞山掘を挟んで仙台湾に面しています。その被害は、甚大でした。
南蒲生地区を襲った津波の高さは、海に近い東側では5メートルを超えました。海からの津波に加え、集落の北を流れる七北田川も決壊しました。2つの巨大な波が勢いを失わぬままに、田園の浮島であった南蒲生集落に到達しました。南蒲生地区の人々は多くの人命と財産を失いました。
南蒲生町内会の会長、二瓶誠治さんは「南蒲生復興まちづくり基本計画」の冒頭で書いています。
『南蒲生町内会は、東日本大震災の津波により甚大な被害を受け、多くの尊い命が奪われ、住まいや暮らしの営み、ふるさとの風景をも失いました』
失われた「ふるさとの風景」。全てを流された南蒲生の人々にとって、その風景は記憶のなかだけのものになってしまいました。
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復興への町内会の歩み![]() |
話し合いは、60回を越えていった (写真提供:都市デザインワークス) |
やがて南蒲生の復興への歩みが始まります。仙台市から派遣された都市デザインワークスも、南蒲生の復興まちづくりに携わることになります。その中で、「みんなの居久根プロジェクト」はどのように生まれたのでしょうか。当時の町内会の取り組みを榊原さんが振り返りました。
「震災の年の12月から町内会で話し合いを行い、復興部がつくられました。当初は毎週が会議で、その回数は1年間で60回を越えました。その中でアンケートを行い、現地再建や移転再建のワークショップも行いました。今後の議論をどう進めるかを話し合っていったのです。
南蒲生町内会は、町内の中に『災害危険区域』が設定されました。その区域内では、家を建てて住むことはできません。そのために、参加する皆さんが置かれた状況も異なりました。移転を余儀なくされる方、区域外だけれど移転再建を希望する方、そして、危険区域外で現地再建を希望する方。南蒲生地区には“三者三様”の再建がありました。
しかし個々の再建とは別に、南蒲生という町そのものを、どう復興してゆくのか、立場を越えて話し合いました」
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3つの重点プロジェクトで「新しい田舎」へ![]() |
南蒲生はどう復興するのか 度重なる住民の話し合いから基本計画が生まれた |
そうして出来上がったのが、次の3つの重点プロジェクトでした。
・『安全安心な生活ができる環境づくり』、
・『次代につなぐ居久根のある景観づくり』、
・『南蒲生らしさを活かした産業・交流づくり』
「これらの計画を実行して、南蒲生は“新しい田舎”を目指しましょうということになったのです」
新しい田舎。魅力的な響きを持つ言葉ですが、それはどんな田舎なのでしょうか。
「“新しい田舎”というのがどういうものなのか、実はまだ私たちにも分からないのです。でも、それを探求すること自体が復興なのだと思っています。議論を重ねる中で、若い世代の方々から、子どもに『こんな環境を継承したい』という声が上がりました。次世代に継承する『新しい田舎』を、彼らを交えて、いま作り上げているところなのです。
もともと、南蒲生地域というのは、本当のいわゆる『田舎』です。仙台市という100万都市でありながら、こんなにも都心に程近いところで水田が広って、昔そのままの集落がある。こういう例は日本にもあまりありません。
そして、仙台平野で200世帯を超えるような現地再建の場所は、ここ南蒲生地区しかありません。その文化や景色を残していきたい。居久根というのはそもそも仙台平野の文化であり、杜の都と言われてきた仙台の原風景です。その再生は南蒲生の人たちだけの課題ではありません」
榊原さんはそう話します。
◆失われてきた居久根
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ワークショップで居久根の必要性と問題を考える (写真提供:都市デザインワークス) |
では、震災前の居久根のおかれた状況はどうだったのでしょうか。航空写真で見る限り、震災前でも居久根が失われる傾向にあったことがわかります。
「津波で多くの居久根が失われてしまいましたが、震災以前にも居久根を切ってしまうところが多かったのです。最初のワークショップで、なぜ居久根を切ってしまったかということを問いかけてみたんです。そもそも居久根が不必要な生活に変化しているんですね。住宅の気密性が上がり、居久根がなくても暑さや寒さの問題はありません。燃料として使ったり、建て替えに使うこともなくなりました。
それにもかかわらず、居久根があれば落ち葉の処理、下草刈や枝の剪定…という管理作業が必要になります。これが大変なのです。
昭和初頭、南蒲生の一世帯当たりの人口は平均7.3人でした。それが今では3.1人です。つまり、おじいちゃんとおばあちゃんが、居久根の管理をしなくてはならない。手入れをしないと、ご近所に迷惑をかける。だからどんどん切られてゆくのは当たり前だったのです。それを『元の居久根に戻しましょう』と言われても、できないわけですよ。仮にそうしたとしても、やはり続いてはいかないでしょう。
だから、“新しい田舎”の中での『新しい居久根のかたち』というものを、みんなでしっかりと考えて共有することが、とても大切なことなのです。わたしたちが今取り組んでいるのは、まさにその段階なのです」
◆追い打ちをかけた津波被害
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震災以前の南蒲生町内の風景(高橋親夫氏撮影 2001年4月) |
それぞれの個人の所有者によって維持管理されてきた居久根の文化。文化が生活に密着したものでなければ、廃れてゆくという現実があります。時代の流れで失われてきた居久根でしたが、それに追い打ちをかけたのが津波でした。津波によって居久根を失った方々は、それをどう感じているのでしょうか。岡井さんは、津波の後に撮影された写真を見せてくださいました。
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震災後の同じ地点(都市デザインワークス撮影 2013年7月) |
「居久根がなくなって、『隣近所がすっかり見通せてしまう』とか、強い浜風が直接家に吹きつけるようになって、『居久根があるとないとでは全然違うね』という方もいます。今回の津波でも、居久根のおかげで家が守られたという方もいます。居久根の役割というものに、なくなってあらためて気が付いたのですね。
『では居久根は必要なのか?』というと、昔のような居久根はいらないという方の方が多いです。また一方で、必要だという人もいます。昔ほどの高木が生い茂る居久根はいらない、でも緑がある風景は取り戻したい。そういう方々です。
では、どのような居久根がいいのか。まずはそのイメージをつくり、みんなでそれを確認することと、『無理せずにできることからやっていきましょう』というのが、今の『みんなの居久根プロジェクト』活動です。
いますぐ木を植えても10年、20年、30年と時間がかかってゆくプロジェクトです。次の世代にどういう居久根を残すのか。しっかり議論して、問いかけてゆく。それが今必要なことですね」
榊原さんはそう話しました。
(後編に続く)
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約200世帯が現地再建をする、南蒲生の新たな試み。出来上がったまちづくりの「計画」だけでなく、それを生み出すための話し合いは現在も続いています。
話し合いから生まれた“新しい田舎”と「みんなの居久根」。それはいま、どんなかたちになりつつあるのでしょうか。
後編では、そのキーポイントとなる「居久根ひろば」や「みんなの居久根」のプロジェクトの概要について、引き続き都市デザインワークスの 岡井健 さんにお話を伺います。
※本文中の写真は都市デザインワークスと、高橋親夫氏、足利克寛氏よりご提供いただきました。
(取材日 平成26年5月12日)