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国内過去最大規模となる「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」開催中[前編](多賀城市)

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茨城県泉坂下遺跡 人面付壺
ザーリャです。
現在、多賀城市にある東北歴史博物館で「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」が開催されています。

「発掘された日本列島」展とは、文化庁が全国の発掘成果を集めて毎年国内数館の博物館で開催している展覧会です。
平成7年に始まって以来、今回で20周年になることを記念して、展示面積・展示遺跡・展示点数ともに過去最大規模となる「発掘された日本列島展2014」が企画されたのです。


「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」
文化庁「開催のお知らせ」 http://www.bunka.go.jp/oshirase_event/2014/hakkutsu_2014.html
東北歴史博物館HP http://www.thm.pref.miyagi.jp/


過去20年間に列島展に出品され、その後、重要文化財などに指定された遺物を文化庁が選りすぐって展示する、いわば、『特別展の特別展』。新聞やテレビで「大発見」として報道された実物資料が全国から集められ、多賀城市の東北歴史博物館会場に展示されます。

関係者の間では、「これだけの重要な発掘資料が一堂に会するのは、おそらく最初で最後の機会」と言われるほどの展示内容です。

第一部「日本発掘」
これまでの列島展の資料の中で、重要文化財に指定された資料や日本を代表する遺跡の出土資料など重要な発掘成果を展示。

第二部「新発見考古速報」
近年の発掘調査を紹介。

第三部「復興のための文化力~東日本大震災の復興と埋蔵文化財の保護~」
震災復興に伴う発掘調査を紹介。

第四部「復興と創造のために~宮城の復興 発掘調査~」
県内の復興調査を紹介する地域展。
三内丸山遺跡出土 板状土偶


昨年の展示に引き続き、第三部では「復興のための文化力」と題して、東日本大震災の復興事業に伴う発掘調査成果を特集し、明らかになった岩手・宮城・福島の豊かな歴史を紹介しています。

また、「復興と創造のために~宮城の復興 発掘調査」と題した地域展や、東日本大震災における東北歴史博物館の活動を紹介した「被災文化財 復興への足音Ⅱ」、宮城県教育庁文化財保護課による「宮城の発掘調査展」などのパネル展示も同時開催されています。


全国の貴重な文化財だけではなく、迅速な復興と埋蔵文化財の保護の両立を図りながら進められる調査の紹介も行われ、被災地の調査の現状についても知ることができる特別展になっています。


会場は被災地・多賀城市にある東北歴史博物館を皮切りに、東京都江戸東京博物館、堺市博物館、長野市立博物館、九州国立博物館をほぼ一年かけて巡回します。

「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」(東北歴史博物館)
開催期間:2014年5月31日(土)~7月9日(水)
開館時間:9:30~17:00(発券は16:30まで)
休館日:毎週月曜日
観覧料金:一般800円(700円)/シルバー700円(600円)/高校生300円(240円)/中学生・小学生100円(80円)
※カッコ内は団体料金
お問い合わせ先:022-368-0106(東北歴史博物館)
会場の東北歴史博物館

引き続き、後編では展示内容を詳しくお伝えする予定です。

(取材日 平成26年6月10日)

イシノマキコレクション、7月27日(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。

皆さんにとっての「かわいい」や「かっこいい」とは、何でしょうか。
10人いれば、10通りの答えがあります。
人それぞれ視点が違えば、写るものも異なります。
ただ流行を追うのではなく、
自分を大切にして、自分の意志に従っている姿にはとても魅力を感じるものです。

「自分らしくあることの美しさ」にもう一度気づいてほしい
流行の「かわいい」だけではなく、
自分らしくある女の子の「かわいい」
みんなとはちょっと違う「かわいい」
をもった石巻の女の子たちに注目してほしい

山田はるひ さん

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この夏は、「パリコレではなく、マキコレ!」
1人の高校生が想いを行動に移して現実したイベントが727日に開催されます。

「石巻で見たことがないファッションショーにしたい」
と、意気込みを話してくれたのは、山田はるひさんです。

山田さんは昨年の夏、「TOMODACHIサマー2013ソフトバンクリーダーシッププログラムでアメリカのカリフォルニア州にて1カ月間の短期留学をしました。
「TOMODACHIサマー2013ソフトバンクリーダーシッププログラム」とは、東日本大震災後の日本の復興支援から生まれ、教育、文化交流、リーダーシップといったプログラムを通して、日米の次世代のリーダーを育成を目指す官民パートナーシップです。

生まれ育った故郷 石巻を離れ、新たな土地で出会った人々と交流して、
「周りの人は目標意識が高かった。とても良い刺激をもらった」
と、当時を振り返りました。
帰国後、「自分は何がやることとは」と自身に問いかけたそうです。
そして、ファッションが好きだった山田さんは、大好きな石巻とファッションを繋げることを考えました。
それが、ISHINOMAKIGIRL'sです。
石巻の女の子の「かわいい」をウェブ上で発信するために立ち上げました。


毎日、誰かに合わせて「自分」を隠して生きてきている人たちに
「自分らしくあることの美しさ」にもう一度気づいてほしい。
好きな服を着て、素肌の自分を愛してほしい。


そんな想いが詰まったISHINOMAKI GIRL'sには、現在、13名のファッション大好きな石巻の女子高校生が集っています。
PARK ROCK ISHINOMAKI 2014のウェブ上カウントダウンを担当

「石巻の人は、就職や進学で街を出てしまう。
そして、ほとんどどの人が帰って来ない。

石巻に帰ってきてみたくなるような思い出を作りたい」

30年前、石巻には「石巻カジュアル」というファッション文化があったそうです。
ショッピングモールもあり、女の子たちはそこで働くが憧れだったといいます。

「原宿、渋谷、横浜、鎌倉・・・
というファッションがあったように、石巻も同じようにできるということを伝えたい」
と、山田さんは言います。


そして、ISHINOMAKI GIRL'sに続き、ファションショーという形で石巻を表現しようと考えました。
「復興まではいかないけど、街が楽しくなると思う。
そして、石巻の女の子がオシャレができる街になって、石巻カジュアルが復活するきっかけになったらいい」
女子高校生の若い力溢れる町おこしです。

更に、「KIBOW三陸@石巻」が今年の春に石巻で開催され、山田さんはマキコレの企画を発表し、見事支援金を獲得しました。
「KIBOW三陸」は、一般社団法人KIBOWが主催しており、東日本大震災からの復興に向けて踏み出そうと企画した事業プランをプレゼンテーションする大会で、上位入賞者には支援金が贈呈されます。

現在、ISHINOMAKI GIRL'sの皆さんは、マキコレに向けて定期的に会議やワークショップを開き、準備の真っ最中です。






衣装のデザイン等をSNSでやりとりを行っています。
毎日、アイディアやデザインの写真がメールで届くそうです。





イシノマキ コレクションで石巻をファッションの街に!」
山田はるひ さん

30年前、石巻は、若者がオシャレをしてにぎわう街でした。
そして現在、再びその時代が訪れつつあります。
それは、1人の女子高校生の想いから始まりました。

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マキコレ当日まで、残り1カ月半。
もちろん、彼女たちは期末試験等も控えています。
それでも時間を作っては、皆で集り準備を進めています。
初めて行なわれる、石巻大好きな女子高生が生み出すファッションショーです。

どんなファッションが生まれるか・・・
続きはまた今度です。


727日は、マキコレです。
皆さん、お楽しみに!!

※詳しい時間や会場は調整中です。続編でお知らせします。
 また、公式フェイスブックはこちらです。
https://www.facebook.com/ishikazi?ref=ts&fref=ts


(取材日 平成26513日)

古文書は残された。伊達政宗と仙台藩の復興~慶長奥州地震津波[後編](仙台市)

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ザーリャです。

前回の前編・中編では、 東北大学災害科学国際研究所の蝦名裕一助教に、資料保全と解釈の問題についてお話を伺いました。

「古文書は残された。大震災からの歴史資料の救出~慶長奥州地震津波[前編](仙台市)」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_28.html


「古文書は残された。ゆがめられた解釈~慶長奥州地震津波 [中編](仙台市、岩沼市)」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_30.html

最終回の今回は、明らかになった伊達政宗の復興への取り組みについて、蝦名さんに最新の研究成果をお話しいただきます。
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仙台藩の復興事業

伊達政宗の施策
資料の再検証から、東日本大震災と同規模と推察される慶長奥州地震津波。この甚大な被害から、江戸時代の人々はどのように復興を進めたのでしょうか。
蝦名さんはその取り組みを、古文書や絵図、伝承などから多角的に検証しています。

「例えば、お隣の盛岡藩では1615年に藩主の南部利直が沿岸部を巡回しています。その際に宮古や大槌などでは『ここには市を立てなさい』とか、『ここは交通の要衝だから、伝馬のために町をもう一つ立てなさい』というように町づくりの具体的な指示を出しています。それらが後に藩の外港や要衝として発展してゆくことになります。
復興では政宗の政治手腕が発揮された


伊達政宗の場合は、当時の政策を紐解くことで、彼の復興に取り組む姿が浮かび上がってきます。

たとえば、元和年間(1615年~1624年:津波から5~10年後)には被災地への移住者をどんどんと募集していますし、元和7年(1621年)には村を捨てた人を赦免する法令を出している。つまり政宗は『土地を捨てた罪は問わないから、逃げた人も戻って来なさいよ』という政策を出して、開発を促しているのです。」




塩田を導入した川村孫兵衛
被災地に塩田を導入した 川村孫兵衛の像
仙台藩の復興事例の一端として、蝦名さんが着目している人物に仙台藩士の川村孫兵衛重吉がいます。もともとは長州出身ですが、政宗がその土木技術の才を見込んで召抱えた人物です。北上川の土木改修を行った人物として有名ですが、実は慶長奥州地震津波の復興事業にも深く関わっていたことを蝦名さんは指摘します。

「石巻に普誓寺(ふせいじ)というお寺があり、寛文七年(1667年)の縁起(「普誓寺開基略記」)の中に、孫兵衛の伝記が記されていています。その彼の業績に『海岸部に堤を作って、入浜式塩田を作った』という話が残っています。
孫兵衛が塩田をつくった地には、「釜」の地名が残る
資料提供 : 災害科学国際研究所 蝦名裕一助教


宮城県沿岸部の『釜』が付く地名は、孫兵衛が塩田の『塩煮釜』を設置したという伝承の残る場所なのです。つまり、孫兵衛は慶長奥州津波の被災地に、塩田を次々と導入していった。孫兵衛の知行地であった岩沼の早股村周辺を絵図で見てみると、沿岸部に新しい集落がいくつもつくられているのがわかります。それぞれ「早釜」、「相野釜」、「北釜」という地名で、今も残っています。」

逆転の発想の復興事業
それまで塩の生産がなかった仙台藩は、孫兵衛の事業の成功に後押しされ、さらに各地の塩田の開発に取り掛かります。復旧から復興のプロセスです。

「仙台藩の資料を見ると、慶長・元和の段階では塩の大量生産はしていません。それで孫兵衛は、同じく長州出身の伊藤三郎左衛門という人物に塩場の建設を命じます。その結果、豊かな塩田ができて仙台藩の塩の生産量が増えるのです。それにともなって、水をくみ上げたり、製塩道具を作る産業が住民の生業になっていきます。新たな産業の移植によって雇用が生まれ、地域の繁栄につながったのですね。

津波から20年30年たったあと、仙台藩は塩の専売制を導入します。それだけ製塩業が藩の主力産業に成長したのです。今でも沿岸地域は塩害で苦しんでいますが、『塩害で苦しむなら、そこに別の産業を持ってきて地域を振興させよう』という逆転の発想による復興事業といえます」

地の利を生かした、逆転の発想。津波によって一時は人がいなくなった被災地にも、今度は復興事業によって人や産業が集まり、繁栄を取り戻していったのです。これは盛岡藩も仙台藩も同じでした。

受け継がれる孫兵衛の復興事業
復興事業が非常に長期にわたって行われたことや、それが世代を超え未来を見据えたものであったことに、蝦名さんは注目しています。

「塩田を開発した孫兵衛には息子がいなかったため、孫兵衛の娘婿が二代目の孫兵衛を名乗ります。彼は初代孫兵衛の事業を受け継いで、仙台藩内の土木事業に携わります。その中で注目されるのが、浜辺に数千株の松を植えて、海からの塩害を除いたことが上げられます。

仙台藩の国絵図を見ると、津波から90年後の二代目孫兵衛の時代に、クロマツの林が防潮林として形成されているのがわかります。クロマツというのは極端に塩に強いうえに、水源を探して根を深く伸ばします。そのため、遠州灘などでも防潮林として植えられています。実際に孫兵衛がこのあたりから苗木を持ってきたという伝承も残っています。」

二代目孫兵衛が膨大な数のクロマツを砂浜に植えた理由は、防潮林としてだけではなかったと、蝦名さんは言います。

「クロマツは間伐材や落ち葉が製塩の燃料になるわけですね。製塩業にとって、燃料の確保は非常に重要な問題です。クロマツを植えることは、初代孫兵衛が導入した製塩の助力にもなります。間伐材や落ち葉を取ることによって、日光がクロマツの下まで通りますから、樹木として健康な状態で育ってゆく。人間側にするとクロマツが防潮林となり、その間伐材を使って、より事業を推進させることができる。いわば『一石三鳥』です。人間と自然とが適合した事業であると言えるでしょう。」

東日本大震災の津波被災地でも、内陸部の樹木が枯死しているのに、海岸部のクロマツが生き残っている光景をよく目にします。不思議な光景に見えますが、先人はこのクロマツの特性をよく理解していたのです。

現代は、古文書が必要な時代…記録から防災が始まる
400年前の慶長奥州地震津波について、古文書はさまざまな事実を私たちに伝えるだけではなく、復興や防災のヒントを示しています。津波の話を終えて、蝦名さんは現代において古文書が持つ意味をこう語りました。

「東日本大震災が発生したことで、古文書に基づいた災害研究が必要な時代になったと考えています。今回取り上げた古文書は、以前からその存在が知られていたものもあります。それらの文献を資料に基づいてあらためて読み直すことで、さまざまなことがわかります。資料保全から災害研究をして、それが防災につながります。

だから、先人たちが残してくれた記録を大事にするところから、実はすでに将来の防災が始まっているのです」

政宗の言葉 「子や孫の代には必ず重宝になるべし」
「伊達政宗は震災の復興だけではなくて、仙台藩内に杉の植林を推奨しています。その時に、『今は杉の苗木というのは役に立たないが、子や孫の代には必ず重宝になるべし』という言い方をしているのですね。今やっている事業は、子どもや孫の代には、きっと宝になる、そう言い残しています。

私たちがこの言葉から学ばなければいけないのは、、『子や孫のため』、つまり、『数十年、数百年単位での生き方』というものを考えていくべきだということです。復興や生き方の指標というものをもっと長期でとらえて、今を生きる自分の道しるべにしてゆくことが大事なのだと思います。
政宗をはじめとした先人たちも、同じようにして、400年前に震災を経験しました。そして、そこから復興して、私たちの先人は東日本大震災以前の世界を作り上げてきたのです」

蝦名さんはそう言葉を結びました。

「古文書は 先人からのメッセージ」 研究室では、今日も応急処置が続きます
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5/8に、蝦名さんの慶長奥州地震津波の研究成果をまとめた書籍が出版されました。
最新の調査結果がまとめられています。

『慶長奥州地震津波と復興  四〇〇年前にも大地震と大津波があった』 : 蝦名 裕一

蕃山房 HP :   http://banzanbou.com/sinkan01/
(インターネットから注文することができます)
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(取材を終えて)
「言葉の持つ重み」。
蝦名さんの言葉です。今回の取材で、その意味をあらためて考えました。私たちは意思の伝達手段として「言葉」を使うよりほかありません。命に限りがある以上は、「読む」、または「書き残す」という行為でしか、わたしたちは過去と未来へ関わる方法はありません。受け取った「言葉」に命を与えるかどうかは、私たちの問題なのです。

先人の言葉の持つ意味、言葉を受け取り方について、あらためて考えた取材でした。

ココロプレスではこれからも、「宮城歴史資料保全保全ネットワーク」と「東北大学災害科学国際研究所」の取り組みをご紹介していきます。

※本文中の写真は蝦名さんよりご提供いただきました。

(取材日 平成26年4月30日)

【滞在型ボランティア募集】一週間の漁村留学でもっと石巻が好きになる!(石巻市)

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にゃんこです。


震災発生直後からスタッフを被災地へと派遣し、東北の被災者支援と復興に取り組んでいる、一般社団法人「ピースボート災害ボランティアセンター」。
この「ピースボート災害ボランティアセンター」が運営する東北での災害支援拠点が、石巻市にある「ピースボートセンターいしのまき」です。


今回はこの「ピースボートセンターいしのまき」の活動の一つである
「イマ、ココ プロジェクト。」について紹介したいと思います。


「イマ、ココ プロジェクト。」は、石巻に点在する漁村地域に一週間以上滞在して漁師さんのお仕事のお手伝いをするという、漁村滞在型のボランティア活動です。


「参加する方にとってはもちろん数日間のお手伝いという方が参加しやすいと思いますが、その反面“浜”と呼ばれる漁村での生活に慣れた頃に帰ってくることになってしまうのです。一定期間以上受け入れ先の漁師の方々と生活を共にすることでより見えてくることや、そこで生まれる深いつながりを大切にしたいと思ったんです」
こう話すのは、プロジェクトリーダーとして立ち上げから関わってきた山元崇央さん。





つまり、「漁村でお手伝いをしてみたい」という参加者と「もっと人手が欲しい」という漁師さんをつなぐ役目をはたしているのがこの「イマ、ココ プロジェクト。」です。


2013年2月からスタートしたこのプロジェクトは、石巻市において、11の地域・約35名の漁師を受け入れ先とし、これまで全国から延べ約4000名ものボランティアが参加しているそうです。

単に作業をして終わりではない。浜と、そして漁師さんとじっくり向き合うことで絆はより深く結ばれます。そして、再び石巻に訪れるキッカケにもつながります。
これまでにない新しいカタチのボランティア「イマ、ココ プロジェクト」は、「もっと地域の人と交流したい」、「被災地の現状を知ってほしい」という双方のさまざまな想いもつなげてくれるのです。


滞在中の食事や食材、宿泊場所は
漁師さんが提供してくれます!

「イマ、ココ プロジェクト。」では、現在も今年の12月26日までの期間で参加者を募集しています。
このかけがえのない貴重な時間を、ぜひたくさんの人に体験してほしいです。


“一週間の漁村留学でもっと石巻が好きになる”



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イマ、ココ プロジェクト。ボランティア募集情報  

※活動内容の詳細や参加費用、お申込みなどの詳細はHPよりご確認ください。
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◆活動場場所
 石巻市に点在する漁村地域
◆参加期間
 2014年12月26日までの期間中、開始日を土曜日とする7日間(作業日6日間)以上
 ※応募期間の延長はHPにてご確認ください
◆活動内容
 各種養殖(カキやノリ、ホタテ、ホヤ、ワカメなど)の準備、収穫、加工、出荷作業
 ※作業は1日7~8時間程度。状況により前後することがあります。
◆宿泊場
 各受け入れ先の自宅や地域会館などの公共施設
◆集合場所
 石巻市「ピースボートセンターいしのまき」
◆参加事務手数料
 3,000円
 ※参加期間中の宿泊場所、および食事や食材は受け入れ先より提供されます
◆参加対象
 趣旨をご理解いただき1週間以上の滞在が可能な18~45歳までの元気な男女
 ※長期間お一人での参加も大歓迎です
◆募集人数
 各週15~20名

◆主催者の方よりメッセージ
「『イマ、ココ プロジェクト。』を通じて生まれるつながりは、深刻な人手不足に悩みながらも自身の生業を取り戻そうとしている漁師、そして地域の一助となってきました。
参加者にとっても、自然と向き合いながら生きる人々との出会い、漁村での生活体験というどこかゆったりとした時間の流れの中での活動は、『被災者⇔支援者』という壁を越えてお互いにメリットを生むかけがえのない経験をもたらします。
せわしない日常から少しだけ離れて、漁村ならではの魅力に出会いに来てみませんか?
皆さんからのご応募お待ちしています!」
(イマ、ココ プロジェクト。山元さん)


◆お問い合わせ
イマ、ココ プロジェクト。事務局
担当:山元、林
http://pbv.or.jp/ishinomaki-psen/imacoco/














「ピースボートセンターいしのまき」では、「イマ、ココ プロジェクト。」のほかにも、仮設住宅での暮らしに役立つ情報を発信する「仮設きずな新聞」も発行しています。
こちらでも記者ボランティアや配達ボランティアの方を募集しているので、ぜひHPをチェックしてみてください!


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最近参加するボランティアの数が減りつつあるということを耳にしました。
各メディアからは復興という明るいニュースが流れていますが、被災地はそれで終わりではありません。
月日が経つと共に被災地の中だけでは解決できない新たな問題も次々と生まれています。
目に見える傷、目には見えない傷…支援を求めている人はまだまだいます。
復旧作業だけではなく、復興に向けた活動にもたくさんの方が携わってくれることで、その土地に笑顔や元気、勇気が生まれます。

そして、そこの声に応えて今でも継続して支援活動を行ってくださる多くの心強い存在がいることを、決して忘れてはいけません。
ココロプレスでは今後もボランティア情報をお届けしていきます。
皆さんからの情報もお待ちしています!
(にゃんこ)

「やっぱり海はおもしろい!」 若き漁師シリーズPart2 (南三陸町歌津)

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石野葉穂香です。

水産業が元気を取り戻しつつある宮城県の海辺で、今、街と地域の未来を見据え、新しい浜の暮らしを創り出そうと頑張っている若き漁師たちを紹介するシリーズ。

今回は第2回目。南三陸町歌津泊浜の漁家・高橋直哉さんを紹介します。

なおPart1はこちらです。

豊かな森と海を守る、浜の日本男児(南三陸町伊里前)
2014年5月19日 月曜日
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_5197.html

高橋直哉さん。背後の砂浜は長須賀海岸です

直哉さんのご自宅と作業場は、歌津の長須賀海岸のすぐそばにあります。
「歌津」という地名の発祥由来は、アイヌ語で〝白い砂浜がある場所〟という「オタエツ」が語源という説と、そして霊峰・田束山から見て東南(卯辰=うたつ)の方角に開けた集落だから、という二説が有力です。

〝白い砂浜がある場所〟とは、まさに全町約2㎞にわたって砂浜が続く長須賀海岸のことです。でも、東日本大震災では護岸などが傷つけられ、さらに地盤沈下もあって、砂浜の相当部分が失われてしまいました。
でも、昨夏、地元の子どもたちや大人たち、そして世界中から訪れてくださったボランティアの皆さんが「長須賀海水浴場復活大作戦!」という清掃と復旧活動を展開。長さ約150mほどの砂浜が海水浴場として復活したのでした。

「子ども海広場OPEN! そしてさらなる〝つながり〟の予感」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/07/blog-post_23.html


直哉さんは、泊浜漁港をホームとして、ホタテとカキとワカメを養殖、販売しています。
「ワカメは8割ぐらい復活しました。カキは5割、ホタテは2~3割ぐらいかな。ホタテは垂下式といって、長いロープに吊して海に沈めます。深さが必要。それに水温が低くないとダメ。20度以下の水で育つんです」

直哉さんは、まだ仮設だという作業場で、家業について話してくださいました。
その頭上を、作業場内の蛍光灯の笠に営巣したツバメが飛び交います。
ツバメが巣を作る家は繁栄する、とも言われています。

直哉さんのところでは、通年でホタテを、2月~5月はワカメを、12月~1月はカキを育て、出荷していました。
カキは今、歌津である程度大きく育てたあと、北海道へ送り、北海道産として出荷されているのだとか。
「でも、ホタテについては、今年から直販で出せるようになりました。殻付きです。鮮度を活かして出荷してます」


ワカメの品質等級は地区に対して与えられます。
歌津地区は震災前からずーっと「第一等」。
つまり、収穫された時点で、歌津産ワカメは第一等として扱われ、
市場で取引されるのです

ホタテは出荷の前に、ホタテカッターという機械で磨いたあと、もう一度、海に戻します。そうして元気を回復させたホタテを、朝、鮮度バツグンの状態で出荷させるのです。

「昔は午前1時に海に出て水揚げしてから磨いていたけれど、今は出荷10分の水揚げでOK。時間が短縮できる上に、思い切り鮮度のいいものが出せるんです」


3.11のあの日、直哉さんは、午前中は浜で仕事をして、午後は息子さんの3カ月検診のため登米市の病院へ出掛けました。その帰路、志津川のコンビニで地震に遭遇。直哉さんは歌津の自宅へ。奥さんと息子さんは志津川中学校の下のあたりにあったご実家へ帰ります。

渋滞の国道45号を駆け抜けて長須賀に着くと、もう、すぐに津波が襲ってきました。
「消防団の服に着替えていたら波が来て・・・。すぐ高台へ駆け上がったけれど車は流されてしまいました」
また、奥さんのご実家のご家族も車で避難したのですが、2台後ろの車は波にのまれてしまったのだそうです。
「ほんとうにギリギリでした」

一時、流されてしまった愛船の『金比羅丸』は何とか無事でした。でも、すぐに海の仕事を再開することはできませんでした。


愛船「第十八金比羅丸」。
津波に流されはしたけれど損傷はわずか。
今も直哉さんの大切な〝相棒〟です

直哉さんはガレキ撤去や警備員、ダンプカーの運転手などのアルバイトへ。
2011年11月、まずご両親が養殖業を再開し、直哉さんも2012年3月になって、ワカメの収穫作業から海の仕事に復帰しました。

「そのとき、多くのボランティアさんが来てくれたんですが、皆さんが歌津のワカメやホタテを食べたとき、『何これ!』『おいしいっ!』って喜んでくれて(笑)。ほんとうに歓声が上がったんです」



多くのボランティアさんを驚かせたおいしいワカメ!

直哉さんにとっては〝あたりまえ〟で、珍しいものでもなんでもなかった歌津の海産物の味でしたが、
「その〝あたりまえ〟が新鮮な感動なんだって、ボランティアさんたちに教えてもらった。ふるさとのよさに気づかされたんですよね。『そうか、この海って最高なんだ』と」

海の恵みの味に自信を持った直哉さん。今では海産物をネット販売するかたわら、「手ぶらでフィッシング」「漁業体験」という観光協会とタイアップした企画もスタートしています。


「手ぶらでフィッシング」
釣りももちろん楽しいけれど、
海に浮かんで風に吹かれる心地よさも楽しみ


「『手ぶらでフィッシング』は〝本格的初心者向け〟のメニュー(笑)。子どもでも女性でも気軽に海釣り体験ができます。乗っていただく船はもちろん『金比羅丸』です」


獲物はアナゴ?
「金比羅丸」のブル-ツーリズム体験は、道具なしで誰でも気軽に申し込める気軽さが人気です

直哉さんは、これからは、南三陸の良さを発信していきたい、と言います。
「バイト中は海にはもう戻れないのかな・・・なんて考えて寂しかった。でも、再開後は、多くの人たちやボランティアさんたちの応援や支援をもらって、楽しんでやってこられたと思ってます」

「やっぱり海で生きていくんだと決めた。歌津の海の豊かさ。そのあたりまえを、町の友だちと一緒になって、楽しみながら発信していけたらいいなって」


海の怖さも、楽しさも、おいしさも知っている仲間たちと一緒に、歌津の海のよさを伝えていきたい、と直哉さん。

「いろんな人たちと連携し〝繋がっている感〟が楽しいです。ボランティアさんも、『楽しいから来るんだ』と言ってくれます。自分ひとりじゃない。皆で創っていく浜の未来。それが自分の仕事の楽しさにもなっている。だから〝やっぱり海はいい! おもしろい!(笑)〟」


「海の怖さも知った。でも海の楽しさやおもしろさも、
またたくさんの人たちに知ってほしいです」

その楽しさに、私たちもつながりたいです。
おいしくて楽しい海を、また教えてくださいね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

南三陸ブルーツーリズム 金比羅丸

電話/080-8210-6262
URL/http://konpiramaru.main.jp


「手ぶらでフィッシング」
所要時間/2時間30分
料金/1人~3人は6000円、4人~7人は4500円、8人以上は4000円(各威1名あたりの料金)
※エサ、竿、長靴、防寒具付き

「漁業体験」
ワカメ収穫、ホタテ収穫、養殖イカダ見学など(時期と料金は要確認)

「南三陸 活ホタテ(大)」販売
12枚入り3500円(送料、税込み)
※むきヘラ、むき方解説、レシピ付き

「三陸最高級わかめ」販売
200g×2袋 1000円(送料別、税込み)

(取材日 平成26年5月24日)

解体の危機から、歴史的建造物を守る[後編](塩竈市)

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ザーリャです。

前編と中編では、特定非営利活動法人NPOみなとしほがま(以下、みなとしほがま)の
旧えびや旅館(松亀園(しょうきえん)以下、旧えびや旅館)の保存活動をご紹介しました。

2014年6月9日 月曜日
解体の危機から、歴史的建造物を守る[前編](塩竈市) 
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_6388.html

2014年6月16日 月曜日
解体の危機から、歴史的建造物を守る[中編] (塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_6384.html

最終回では、みなとしほがま が保存活用に関わった歴史的建造物と、講演会、旧えびや旅館を会場に行われるイベントをご紹介いたします。
7月21日(月・祝日)の海の日には塩竈でみなと祭りも開かれます。
観光の際に塩竈の歴史を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

「海商の館」旧亀井邸
鹽竈神社東参道(裏坂)から高台に見える旧亀井邸
(写真提供:NPOみなとしほがま)
洋館の室内(写真提供:NPOみなとしほがま)      
鹽竈神社の東参道(裏坂)を少し上ると、参道に面した左手に、こじんまりとした品の良い入り口があります。
亀井商店(現在の「総合商社カメイ(株)」)の初代社長である亀井文平氏が大正13年(1924年)に建てた塩竈の繁栄を象徴する建物です。
伝統的な和館(日本建築)に洋館(西洋建築)を取り入れた「和洋併置式住宅」の建築様式で、室内にはアール・ヌーボーやアール・デコ様式といった当時の最新のデザインをふんだんに取り入れているのも見どころです。

(住所)宮城県塩竈市宮町5-5
(開館時間)10:00~16:00(閉館時間は時期により異なります)
(入場料)無料
(休館日)通年水・木曜
(アクセス)JR仙石線本塩釜駅から徒歩7分
(問い合わせ先)022-364-0686
2階からの眺め(写真提供:NPOみなとしほがま)

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鹽竈神社別当旧法蓮寺の向拝(玄関)
浦霞醸造元(株)佐浦に移築されてよみがえった鹽竈神社別当旧法蓮寺の向拝(玄関)。
江戸時代以前の建造とされています
130余年ぶりに塩竈の地に戻った鹽竈神社別当・旧法蓮寺(ほうれんじ) の向拝(玄関)です。
元鹽竈神社の別当寺であった法蓮寺は明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となりました。
その際に多賀城市南宮の慈雲寺(じうんじ)が法蓮寺の向拝を譲り受け、同寺の玄関として長年使用されてきましたが、平成18年にその慈雲寺の建て替えにともない、向拝も解体処分されることになりました。
みなとしほがまが慈雲寺の協力を得て解体された向拝の部材を塩竈へ運搬保存し、活用を検討していたところ、事務所新築を計画していた「浦霞醸造元(株)佐浦」が協力の手を差し伸べ、事務所玄関として移築活用されることになりました。

「浦霞醸造元(株)佐浦」の事務所玄関として使用されているため、通りから自由に見学するとことができます。
(住所)塩竈市本町2-19
(アクセス)JR仙石線本塩釜駅から徒歩5分

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『旧えびや旅館(松亀園)』に関連するイベント

ブログ内でご紹介した「旧えびや旅館」に関するイベントをご紹介します。
※旧えびや旅館(松亀園)については、現在のところイベントの開催日以外に定期公開はしていません。見学の機会については、 みなとしほがま が運営する「海商の館」亀井邸のHPを参照してください。
「海商の館」亀井邸HP : http://kameitei.da-te.jp/
お問い合わせ:022-364-0686(亀井邸内・NPO事務局)


旧えびや旅館(松亀園)お掃除会』&『車座会議』
 
旧えびや旅館に入り、間近で見学するチャンスです。建築や歴史を学ぶ学生さんも大歓迎です。もちろん、どなたでも参加できます。中途参加もOK。お掃除終了後、参加者が意見交換を行う「車座会議」が開催されます。

(日時)平成26年6月22日(日)
(集合場所)直接「旧えびや旅館」にお集まりください。 
(時間)13:30〜 (掃除終了後、車座会議があります。16:30ぐらいまで)

 *汚れてもいい服装でおいでください。お掃除用具は会場に準備してあります。
  なお、エプロンマスクなど必要な方はご持参ください。 
お掃除会の様子(写真提供:NPOみなとしほがま)
車座会議の様子。参加者の意見は保存活用に活かされています
(写真提供:NPOみなとしほがま)
  
「旧えびや旅館(元松亀園)」についての『報告会』等
保存活動にご協力いただいた皆さまへ、現在までの活動を総括する報告会とともに、旧えびや旅館や東北地方でも特徴のある塩竈(旧仙台藩領)の町屋建築に関する講演会を開催します。
なお、一般の方の参加も大歓迎だそうです。
現在の旧えびや旅館全景:(写真提供:NPOみなとしほがま)
講演1 (仮)旧えびや旅館の歴史と塩竈について
      東北学院大学経営学部経営学科教授 斉藤善之氏
   2 (仮)塩竈(旧仙台藩領)の町屋建築について 
      東北工業大学工学部建築学科教授  高橋 恒夫氏

報告1 旧えびや旅館の復元
           風土建築文化研究室代表(宮城県景観アドバイザー) 伊藤 則子氏
   2 (仮)旧えびや旅館のこれまでの活動と今後の動きについて
       NPOみなとしほがま副理事長    髙橋 幸三郎氏

(日時)平成26年7月5日(土)13:30〜16:30終了予定
(参加費用)無料 ※但し資料代500円がかかります
(会場)旧えびや旅館(元松亀園)2階 塩竈市本町3番9号(御釜神社前)
(申し込み方法)報告会の前日までに、事前に下記まで電話又はメールにて参加のご連絡を
          お願いします。
(お問い合わせ)TEL022-364-0686(亀井邸内・NPO事務局)
        Eメール minato-s@castle.ocn.ne.jp

2013年に開かれた緊急報告会の様子
(写真提供:NPOみなとしほがま)

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旧えびや旅館を会場に、7月と9月の塩竈神社の祭礼に合わせてミニカフェ「はれま」がオープンします。観光で塩竈にお越しの際には、立ち寄ってみてはいかがでしょう。地元のスウィーツのおもてなしも好評です。

『まちかどミニカフェ「はれま」』

オープン当日は旧えびや旅館前の御釜神社で宮城県の無形民俗文化財「藻塩焼神事」が執り行われています。

(日時)7月6日(日) 11:00〜16:00ごろまで
(会場)旧えびや旅館(松亀園)
旧えびや旅館の2階からの眺め。
えびや旅館は御釜神社の門前にあります

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『まちかどミニカフェ「はれま」&フリーマーケット』
前回開催で好評だったフリーマーケットも開催されます
(写真提供:NPOみなとしほがま)
第67回塩竈みなと祭(平成26年7月20・21日)に合わせてオープンします。

(日時)7月19日(土)・20日(日)・21日(月/祝)・22日(火)
     9月20日(土)・21日(日)・22日(月)・23日(火/祝)
      各 11:00〜16:00ごろまで
(会場)旧えびや旅館(松亀園)



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みなとしおがまでは、引き続き、旧えびや旅館(松亀園)の保存活用のための募金を募集しています。詳細については、以下の みなとしほがま のホームページをご覧ください。

(特非)NPOみなとしほがま HP : http://blog.canpan.info/minatoshiogama/daily/201212/30

しほがま松亀園(旧えびや旅館)保存活用支援基金PDF  :
http://blog.canpan.info/minatoshiogama/img/E69DBEE4BA80E59C92E59FBAE98791E38381E383A9E382B7.pdf
「多くの方に興味をもっていただければ」と語る、副理事長の髙橋 幸三郎さん
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(取材を終えて)

旧えびや旅館 保存の呼び掛けに、「まちの歴史遺産消滅後に待つ記憶喪失」という一文があります。震災によって故郷の風景が失われた地域では、故郷の記憶を取り戻そうとする取り組みが、今も模索されています。
震災を経た今、東北では多くのものが新しく生まれ変わろうとしています。
震災で生き残った私たちは次世代に何を残すべきなのか、「復興」とはどんな未来を目指すことなのか、あらためて考える機会となりました。このような取り組みを今後も継続してお伝えしていきたいと思います。

(取材日 平成26年5月17日)

気仙沼のイベントあれこれ! 6/22から7/6(気仙沼市)

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kaiiです。

梅雨に入り雨の日が続いています。感染性胃腸炎の流行もみられています。
手洗いとうがいをしっかりとして、感染防止に努めたいものです。
気仙沼で6月最終週から7月初旬までに気仙沼で開かれるイベントをご紹介します

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初夏のからくわ歩き+海のバーベキュー

日時:平成26年6月22日(日)午前10時から
会場:唐桑半島ビジターセンター
参加費:無料
主催:唐桑町観光協会
電話:0226-32-3029

午前10時30分と午後1時30分の2回、御崎の岬をめぐるガイドツアーを実施。
2億5千万年前に形成されたとされる独特の岩と遊歩道沿いに咲き誇る「ニッコウキスゲ」 などの植物を観察します。
ビジターセンター前では「海のバーベキュー」が開かれ、唐桑地区内の定置網で漁獲された新鮮な魚介類を炭火焼きで来場者に振舞います。

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気仙沼さかなの駅「夜市場」




日時:平成26年6月28日(土)午後4時~午後8時
会場:「気仙沼さかなの駅」駐車場
       気仙沼市田中前2-12-3
       電話: 0226-21-1231


イベント内容:九条打ちばやし 午後5時から
        よさこい踊り共演 午後6時から

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第1回「女性の復興カフェin気仙沼」

日時:平成26年6月28日(土)正午から午後3時30分
会場:ホテル望洋
        気仙沼市魚町3丁目1−25
         電話:0226-22-4500

問い合わせ・申し込み先:090-9039-2831(吉田)


主催:多文化と共生社会を育むワークショップ(兵庫県神戸市)
協働:気仙沼おとひめ会(チームマリャガガァ)・バヤニハン気仙沼フィリピーのコミュニティー

20年前に、阪神淡路大震災を経験した兵庫県の女性たち5人と、東日本大震災から3年「復興の道」を歩みはじめた気仙沼の女性と気仙沼に住む外国人女性たちが、これから「復興していく気仙沼のまちと女性に何が必要か?」をいっしょに考えるワークショップです。

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LIVE&ミニビアガーデン
日時:平成26年7月5日(土)
会場:気仙沼復興商店街 南町紫市場
       
気仙沼市南町2丁目2-28
電話:0226-29-6283(気仙沼復興商店街 南町紫市場)

気仙沼復興商店街 南町紫市場の中でミニビアガーデンを開催します。
ライブで音楽を楽しみながらのビールは格別です。

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こども七夕まつり




日時:平成26年7月6日(日)午後1時~午後4時
会場:復興屋台村気仙沼横丁きずな広場
    気仙沼市南町4-2
主催:神奈川県ユニセフ協会
申し込み&問い合せ先:神奈川県ユニセフ協会 
    電話:045-334-8950 (月~土 午前10時~午後5時)

    FAX:045-334-8951
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楽しく参加できるイベントがたくさんあります。

気仙沼の夏の元気「カツオ」の水揚げも始まりました。
水揚げされたばかりのカツオの刺身や「たたき」は絶品です。
カツオを楽しみに気仙沼へ出掛けませんか?

(取材日 平成26年6月20日)

宮城県内の海開き情報 Part.1

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こんにちは、にゃんこです。

いよいよ今年もやってきました!
子どもから大人までみんなが心待ちにしていたあのシーズンの到来です。

そう、夏と言えば海! 夏レジャーの定番、海水浴です!
水着、浮き輪、ゴーグル、パラソル、スイカ…皆さん準備はOKですか?

私はまずはダイエット…。もう遅いか。
内陸育ちの私にとって、海は遠い憧れの存在でした。
石巻に移り住んだ時、こんなにも海が身近にあるのかととても感動したことを覚えています。
そして、待ちに待った海!
初めて地元の友達が連れて行ってくれた場所は、遊泳禁止でした…。
皆さんはちゃんと海開きをしている海岸で泳いでくださいね。

ということで、宮城県内の海開き情報をお届けしたいと思います。
今年は県内7つ(予定)の海水浴場が海開きを行います。
今回は、塩竈市にある2つの海水浴場をご紹介します!


ぜひ家族と友達と、宮城ならではの美しい海を満喫してくださいね!


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■宮城県海開き情報  
  詳細は各施設にお問い合わせください。
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☆桂島海水浴場(塩竈市浦戸桂島)今年初オープン!
◆海開き/7月2日(水)
◆遊泳期間・時間/7月19日(土)~8月17日(日) 9:00~16:00
◆施設設備
 シャワー室/○(有料)
 更衣室/○(男女)
 トイレ/○
 海の家/○

「震災後4年ぶりの再会となりました。ゆったりとした時間の流れる離島での海水浴をぜひお楽しみください!」
(塩竈市観光交流課・伊藤さん)


◆お問い合わせ
塩竈観光物産案内所
022-362-2525
http://kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/

震災後初となる今年は約100mの砂浜を解放。泳いだ後は
ぜひ浦戸諸島観光を!ここならではの“島じかん”を満喫しよう



☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒

☆マイビーチ鬼ヶ浜(塩竈市浦戸桂島)
◆海開き/7月20日(日)10:00~
◆遊園期間・時間/7月20日(日)~8月31日(日)10:00~16:00
◆施設設備
 シャワー室/○(無料)
 更衣室/○
 トイレ/○
 海の家/○(軽食、おつまみ、飲み物、カキ氷など)

「周りが岩礁に覆われた風光明媚な場所で、波も穏やかできれいな砂浜です。『マイビーチ鬼ヶ浜』は、(社)浦戸夢の愛ランドが中心になり、全国のボランティアの協力によって整備した手作りの海水浴場です。そこで『マイビーチ鬼ヶ浜』と命名しました。『私のマイビーチ』、『あなたのマイビーチ』としてご利用いただければうれしいです」
(海水浴場「マイビーチ鬼ヶ浜」海開き実行委員会・三浦さん)


◆お問い合わせ
(社)浦戸夢の愛ランド
090-4880-6896
http://xn--u9j3jldsby687a68j60bf43b.com/

地元、全国のボランティアの方々の協力により昨年オープン。
自慢のマイビーチで素敵な夏のひとときを♪

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毎年海水浴場のオープンを知らせるニュースも増え、海は徐々に戻りつつあります。

今年、震災後初のオープンとなる「桂島海水浴場」をはじめ、海開きに至るまでには、それぞれに長い長い道のりがありました。
砂浜や海底のガレキの撤去、砂浜の清掃、安全面の確保など…言葉で言うのは簡単ですが、何年もの時間と人を費やし、やっとここまでたどり着いたのです。

これは「地元の海で泳ぎたい」、「地元の海を取り戻したい」という地元の方々、そして、全国、世界各地から支援に来てくださったボランティアの方々の強い想いがあったからこそです。

みんなの願いがかなってやっとオープンできた大切な大切な場所です。

その笑顔を絶やさぬように、「無理な遊泳はしない」「ゴミは指定の場所へ、または持ち帰る」などルールを守り、みんなが安全で快適に過ごせるようご協力をお願いします。
震災前より規模を縮小した海水浴場もありますので、一人ひとりの思いやりが楽しい海水浴場を作ります。


この夏は、ぜひ宮城の海に遊びにきてください!

(にゃんこ)

限界集落の未来をつくる! 波板地域交流センターOPEN(石巻市雄勝町)

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石野葉穂香です。

東日本大震災による大津波が壊してしまったものは、家や施設や建物ばかりではありません。
昔から、そこにあったコミュニティ―――人々の繋がりをも破壊してしまいました

震災以前から、海辺の多くの町では、若年人口の流出、地域人口の減少、住民の高齢化といった問題にぶつかっていましたが、そこに、津波が追い打ちをかけました。

過疎化、少子高齢化・・・。集落を構成している人口の半数以上が65歳以上で、農作業や冠婚葬祭など、共同体の維持が困難となった「限界集落」も発生しています。


波板地区の前浜は「波板海水浴場」です。
今はまだ復活できていませんが、
いつかきっと、子どもたちの声が戻ってくるはず

石巻市雄勝町波板地区は、住民の方々も認める「限界集落」です。
震災前は21世帯が暮らしていた地区は、津波で17世帯が被災。難を逃れた方も河北町飯野川の仮設住宅に入居して、現在は4世帯しか残っていません。

近くに造成中の集団移転地には6世帯が入居の見込みですが、多くの方は60~70代とのことです。

「波板という地区を再生するためには、多くの人に来てもらうことが大事」
「交流人口を増やそう。いつも誰かが来てくれる、魅力ある地域を再生しよう」
地区の人たちは、そう考えました。


国の伝統工芸品指定・雄勝硯(波板地域交流センターの売店にて撮影)。
玄昌石(雄勝石)は硯のほか、
東京駅を屋根材に使われたことでも有名です

波板地区の皆さんが愛着を持っているものに、雄勝の特産である「雄勝硯」の原材料となる玄昌石という石があります。
その玄昌石と、波板の豊かな自然に魅せられた東北大学の学生や東京の有志たちは、昨夏、地区の長老たちとともに「ナミイタ・ラボ」という組織を立ち上げました。

そこは小さな限界集落。
でも山と海との豊かな自然に包まれた〝ふるさと〟。
そんな浦浜に、また新たな未来をつくって行く「ラボ=研究所」です。


波板地域交流センターの玄関に飾られた銘板

活動は、玄昌石を加工したり絵を描いたりする「波板アート」、山と海の自然を生かした子どもたちの体験学習など、新しい試みが次々に展開されています。
高齢者の孤立を防ぎ、高齢者と若者がふれあい、一緒になって、互いの知恵や力を出し合い、刺激し合う。それは、復興と創生への挑戦です。

そして、5月30日、波板地区の集落の入り口近く、緑陰に囲まれた高台に、会員制交流施設「波板地域交流センター」が完成。落成式が行われました。


波板地域交流センターの外観。
各種集会、研修などのほか、
工房、宿泊、休憩、冠婚葬祭などに利用できます

センターは、交流人口を増やしながらコミュニティーの維持と地域活性化を図ろうという地区の長老たちの願いを、具体的な形に変えていくための活動拠点施設。
「港の整備もあります。海水浴場も復活させたい。でも、それよりもなによりも、まず先に、交流の拠点となる施設が欲しかった」と話すのは、波板地区会の鈴木紀雄会長。
「積極的な体験学習を通じ、波板の魅力が広まっていき、交流人口が増えることを期待しています」


挨拶する鈴木紀雄地区会長。
背後の壁に掛けられた時計はあの地震が発生した
2時46分を指しています。
あの日、あのときを忘れないために・・・

施設は木造平屋建て。大広間やロフト、浴室、そして特産の波板石や木材で加工体験ができる工房、物販スペースなどを備えています。また、体験学習でやってきた人たちや、地区へ帰ってきた住民や家族たちの休憩や宿泊施設としても利用できます。

建設費は約5000万円。宮城県が兵庫県民からの義援金を活用して交付する「被災地域交流拠点施設整備事業」で賄われました。

施設を運営していくのは鈴木さんら「ナミイタ・ラボ」の皆さん。
また、施設の利用は会員制となっていて、住民などの「正会員」、センター開設に協力した「サポート会員」のほか、〝波板や雄勝を支援したい!〟という方々が入会できる「準サポート会員」を6月から募集しています。

波板地区の住民、伊藤武一さん(左)と波板地区会の会長・鈴木紀雄さん。
「もう一度来たい! という魅力をつくっていきたい。ここに来てくれる皆さんと一緒に」

「地域を維持していくためには外からの皆さんのお力添えが必要です。たくさんの方に楽しく集っていただいて、波板の魅力を感じてもらえたら」(鈴木さん)。

落成式には約70人の方々が集まり、式典後には「雄勝法印神楽」も披露され、新たな拠点の誕生を祝いました。

天井に採光窓がある、センターのメインホール・大広間。
地区の未来を明るい光が包みます

雄勝地区伝統の法印神楽。
演目は「荒神舞」です

波板は、人と人とのつながりを大切にしてきた地域です。
一度は壊されてしまった〝限界集落〟のコミュニティ。
でも、地区の人々は、地区を捨てず、あきらめず、また新しい未来を創りあげていこうと張り切っています。

牡鹿半島から雄勝へ、そして南三陸方面へと、ドライブなどでお出掛けの際には、波板地区の美しい森と海と、ステキな皆さんに会いに、ぜひ一度、訪ねてみてください。

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波板地域交流センター:
電話:090-5848-7090(鈴木紀雄さん)
e-mail:namiitalab@yahoo.com

※準サポート会員を募集中です。年会費は個人1000円、団体15000円。
※なお、ご利用内容によっては、別途費用がかかりますので、ご相談くださいとのことです。


(取材日 平成26年5月30日)

「いいっちゃ」販売中~!(気仙沼市)

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kaiiです。
梅雨ですね。気温が高く湿気が多いこの時期は食欲が減退します。
食欲が落ちると喉ごしのいい麺類を食べたくなります。
気仙沼においしい「つゆ」があることを、皆さんご存じですか?

その「つゆ」の名は「いいっちゃ」。

万能つゆ「いいっちゃ」は2種類のサイズがあります
販売しているのは、濱田屋の16代目、濱田美穂さんです。
濱田屋は、1823年(文政6年)創業。気仙沼では老舗の、みそ・しょう油・酒の製造販売元でした。

濱田屋のオリジナル商品「いいっちゃ」は先代(15代目)が販売を始め、口コミで人気になった濱田屋の人気商品です。

かつおぶし、むろあじぶしなどの魚のだしがベースの「いいっちゃ」には、適度な甘さとコクがあります。希釈して使えてとても経済的です。

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濱田さんは、5年ほど前に先代から「濱田屋」の経営を引き継ぎました。
気仙沼湾の北側にある鹿折地区で酒屋「酒大将」を営んでいました。
その「酒大将」は、東日本大震災の津波火災で焼失しました。当時店長をしていた男性が、津波に巻き込まれて亡くなりました。
ショックを受けた濱田さんは、店舗を持つことにも従業員を雇用することにも怖さを感じ、一度は店を再開することを断念しました。

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しかし、発売から25年が経ち濱田屋の人気商品だった「いいっちゃ」の人気は、地元のファンの中で震災に負けずに生き続けていました。

平成25年5月に販売が再開された「いいっちゃ」への思いがかかれたパンフレット

震災から半年が過ぎた頃、濱田さんに地元の「いいっちゃ」のファンから、「『いいっちゃ』はもう販売はしないのか?」という問い合わせが来るようになりました。
ファンの声に後押しされた濱田さんは、「16代目の自分で濱田屋の屋号を失くしてしまってはいけない」と一念発起し、平成25年5月から「いいっちゃ」の販売を再開しました。

濱田屋の人気商品「いいっちゃ」と濱田屋16代目濱田美穂さん
「いいっちゃ」のおいしさが自慢です


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「いいっちゃ」は店舗では販売していませんが、1本から電話注文することができます。
2本入り、3本入りの化粧箱もあり、引き出物やお土産としても人気があります。
気仙沼市内の商店や土産品販売所3店舗でも購入できます。

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「いいっちゃ」を使って、「竹の子ご飯」を炊きました。少量の「いいっちゃ」だけで他の調味料を使わずに炊きましたが、とてもおいしく炊くことができました。

「いいっちゃ」で炊いた今年最後のタケノコご飯はダシの旨さを感じる出来上がりになりました

気仙沼の新鮮な魚介類との麺とも煮物にも合う、万能つゆ「いいっちゃ」。

万能つゆ「いいっちゃ」で炊いた「お煮しめ」
つゆの色が濃く出ないので、お料理の仕上がりがとてもきれいです


「いいっちゃ」とは気仙沼の方言で「良い(おいしいもの)でしょう」の意味です。

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名の通り、おいしい「いいっちゃ」には、販売を再開した16代目濱田美穂さんの「屋号を自分の代で終わらせたくない」という、「家」と「先祖」を思う心も込められています。
震災後、「家族」のあり方を考えた人も多くいると思います。
濱田さんのお話を伺いながら、「家族」が育ててくれた自分の命に感謝する心の大切さを思いました。

濱田屋
電話:090-4314-8787
フェイスブック
https://www.facebook.com/pages/E5%B1%8B/492013910868679

(取材日 平成26年6月5日)

3年間、待っていました! 「金華ほや・帆立 復興感謝祭」(石巻市寄磯浜)

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ココロデスクです。
生まれる前から、「ホヤ」が大好物でした。
(本当です。そのわけは最後に説明します)


ホヤ(海鞘、老海鼠)は脊索動物門 尾索動物亜門 ホヤ綱 に属する海産動物の総称。
(Wikipediaより)

こんな姿ですが、生物学的には貝類やイカ・タコたちよりも魚類や哺乳類など脊椎動物に近いのだそうです。

日本で食用にされるのはマボヤで、宮城県、とりわけ牡鹿半島の特産です。

6月1日、その牡鹿半島東岸の鮫浦湾に面した石巻市寄磯浜で、「金華ほや・帆立復興感謝祭」が開かれました。
主催したのは、宮城県漁協寄磯前網支所寄磯ほや養殖部会(部会員数20人)です。


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部会長の遠藤正さんにお聞きしました。

「ホヤの養殖には3年かかります。
その間、ボランティア団体や企業の皆さんからたくさんのご支援をいただきました」

震災後はじめての出荷がかなった今、「支援してくださった方々への感謝をこめて試食会を開こう」というのが、話の発端だったそうです。
どうせなら、せっかくの機会なので寄磯のホヤを大々的にPRしようと、今日の「金華ほや・帆立復興感謝祭」の開催に至ったそうです。

「宮城県のホヤの養殖は日本一、いや世界一と言ってもいい。
県内でもこの鮫浦湾での生産量がダントツで、そのうち半分が寄磯でした」

それが、津波で漁船や養殖施設は壊滅。
1年で水揚げができるカキやホタテと違って、ホヤの養殖には種付けから水揚げまで3年もかかってしまうそうです。

沖合の養殖棚から採ってきたホヤを水揚げします。
この日は合計7トンでした。

水揚げしたホヤは、いけすに

「その間、ある人は他人の船に雇われ、ある人は陸に上がって別の仕事に就き、生活を繋いできました。そもそも、ホヤの『種』を買うにも100万円単位の資金が必要なんです。今残っている部会員は、それぞれが語りつくせないほどの苦労を忍んできたはずです」

震災前は500人ほどいた浜の住民も、今では300人弱に減ってしまったそうです。

「それでも、今日はこんなに多くの人たちに来場していただいて、びっくりです。
建設中の漁港施設は、平成28年度には完工する予定。震災前にはなかったこのようなイベントも実現しました。これを弾みに、養殖を軌道に乗せていきたいですね」


試食会場ご担当のお母さんたち。
左から渡辺誠子さん、遠藤香苗さん、遠藤みゆきさん、渡辺洋美さん。
「寄磯には、渡辺と遠藤しかいないのよ(笑)」

「刺身の最初の一口は、醤油をつけずにぜひそのままでどうぞ」と遠藤香苗さん。
海の滋味をそのままいただいたような味わいです。
ほのかな甘さもありました。
車の運転さえなければなぁ・・・(ゴクリ)

蒸しホヤも味わい深かったです。
作り方も教わったので、いつかチャレンジします


9時半に販売開始の午前の部では、8時には行列ができたそうです。
石巻中心部の立町会場でも直売しましたが、そちらもたちまち完売だったそうです。
私は午後の部に並んで、なんとか購入できました。

10個500円というあまりの安さに目がくらみ、30個と大人買い(笑)
帰りに念のため石巻市内のスーパーを覗いてみたら、なんと1個158円もしました!
この柔らかい殻の中に、みずみずしいオレンジ色の身があります。
ホタテも13枚1000円(箱代込)と、格安で新鮮でした。

ホタテ焼きは1枚50円!
大粒なので、2枚でも大満足。

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会場を歩いていると、ひときわ目立つ女性が。


恐る恐る尋ねてみると、やはりホヤをイメージした帽子。手作りだそうです。
なんで、また?

女性は、東京在住のイラストレーター、浜村ゆうさん。
知人の紹介で出会った「一般社団法人海友支援隊」からの依頼で、寄磯復興のためにホタテ一家とホヤ一家のキャラクターロゴを制作してくれました。
以来、寄磯とホヤの熱烈なファンです。



一般社団法人海友支援隊は震災から3カ月後の2011年6月に結成されました(7月に法人化)。
以来、「三陸石巻金華ほや・帆立復興支援プロジェクト」に取り組んでいます。

代表理事の稲井龍弥さんは、
「寄磯のホヤやホタテの養殖を見守ってきました。これまでは支援でしたが、ホヤの水揚げが再開した今、生産者の皆さんの自立を応援することに活動を切り替えていきます」
と語ります。
そのために近々、通販サイトを立ち上げる計画だそうです。

浜村ゆうさんと、一般社団法人海友支援隊の代表理事・稲井龍弥さん

一般社団法人 海友支援隊
http://www.kinka-hoya.com/


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会場ではステージイベントも行われました。

仙台市秋保の「民族歌舞団ほうねん座」。
活動初期の50年ほど前に、民謡を採収するためにこの寄磯にも通ったそうです

石巻焼きそばの歌を歌う、ご当地アイドル「巻っこ」

浜に伝わる獅子舞も、特別に披露

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復興感謝祭の会場の隣にある水産加工会社、マルキ遠藤商店。
店先にはパステルカラーが基調の販売ブースが出ていて、女子学生風の人たちが懸命に何かをPRしていました。
なにやら、漁港らしからぬ雰囲気です。

「どうぞ、召し上がってください」

試食をすすめられたのは、ワカメ。
ん? 感じたことのない歯ごたえ。香りも鮮烈。
そうか、採れたてだからか。さすが、産地は違うなぁ。
・・・・・・、いやいや待てよ、今年のワカメの水揚げはとっくに終わっていて、これは加工品のはず。


不思議そうにしていると、真っ黒に日焼けしたお父さんが説明してくれました。マルキ遠藤商店の代表、遠藤仁志さんです。

「ウチでは、寄磯伝統のしぼり製法で、ワカメ本来のシャキシャキした食感と、ふわりと漂う磯の香りを守っています。
市販されている塩蔵ワカメの大半は加工の際に塩分や水分を加えすぎるため、ワカメ本来の食感や風味が損なわれてしまいます。
ウチの場合は水増ししないので、その分、出来上がりの量が少なくなってしまいます。
手間も掛かって割には合わないけれど、寄磯のワカメの本当の味を知ってもらいたくて、こだわり続けてきました」


「寄磯のこだわりのワカメを、もっと知ってもらいたい」
震災でボロボロになったふるさとのために立ち上がったのは、お嬢さんの遠藤裕子さんです。

東京で大学生活を送っていた時に震災が発生。
「ふるさとで何か役に立ちたい」と一念発起して、デザインを学ぶために武蔵野美術大学に再入学しました。
「せっかく品質が良いのだから、多くの人の目に留まれば、きっと売れるはず。そのためには、デザインをはじめ”売り方”を変えなければ」。

基礎デザイン学科の宮島慎吾教授の門を叩いたところ、「ビジネスの実践の中でデザインを試すことができる、絶好の機会」と賛同してもらえました。
そして、宮島先生の指導のもと、学生有志のデザインチームと共同で水産食品の商品開発に着手。
この復興感謝祭の日が、新商品のお披露目だったのです。

新しく立ち上げたブランドは、「よりいっそうおいしく YORIISO」

地名の寄磯(よりいそ)と「よりいっそう」をかけたネーミングです。


「よりいっそうおいしく YORIISO」。
わかめ、こんぶ、まつも、ふのり、ひじきの5種類です

商品は、わかめ、こんぶ、まつも、ふのり、ひじきの5種類。
パッケージは、海産物には見えない、おしゃれなパステルカラーです。
まるで、ダイエットや美容関連商品のようで、女性にウケそうですね。

YORIISOプロジェクトの皆さん。
中央のお父さんがマルキ遠藤商店代表の遠藤仁志さん。その向かって左が裕子さん。
右端はお母さんで、左端が武蔵野美術大学基礎デザイン学科の宮島慎吾教授です。

6月末にはオンラインショップも開設して、インターネット通販にも取り組むそうです。

YORIISO ブランドサイト
http://yoriiso.com/


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帰宅するなり、ホヤ30個とホタテ13枚をせっせと殻むき。
不器用な私ですが、途中からだんだんと手際が良くなったような気がします。

ホヤは刺身と酢のものでいただきました。
刺身と言っても、そのままの味がすばらしく、醤油をつけるのがもったいないくらいでした。

ホタテは、貝柱はもちろん「貝ひも」も刺身に。
それと、殻ごと電子レンジでバター焼き。

その貝柱の甘いこと甘いこと。

ホタテのバター焼き、貝柱の刺身(左奥)、ホヤ。
せっかくなので、盛り付けも豪快に

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さて、冒頭でお話した、「私は、生まれる前からホヤが大好物だった理由」とは。

私は隣の山形県の生まれですが、母は宮城県出身。
私がお腹にいた頃、つわりがひどかったそうです。
その時「ホヤの酢の物が食べたい!」と駄々をこねたものの、当時の山形ではホヤなんてどこにも売っていませんでした。
それどころか、魚屋さんでさえも「何それ?」。

父はやむなく、仙山線、仙石線と汽車を乗り継いで、塩竈の市場まで行って買って来たのだそうです。

母がそのホヤを酢の物にして食べたところ、つわりはたちどころに治まったそうです。
きっと、おなかの中で私がリクエストしたのでしょう。
ずいぶん昔のことなので、もう覚えていませんが(笑)


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最後に、実験してみたら予想以上においしかった、おすすめレシピをご紹介しましょう。
冷凍しておいたホヤを取り出して手早くつくった、休日の一品。
ホヤのパスタです。


ホヤを凍ったまま細切りにして、熱々でアルデンテのパスタにキュウリと一緒に載せただけ。
塩もコショーも一切使っていません。
解凍していくにつれて、ホヤが遠い海の滋味をゆっくりとパスタに染み込ませていきました。

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通販は下記でも取り扱っています。

株式会社マルワ興産
〒986-2404 石巻市寄磯浜清水1-2
TEL 0225-48-2409
FAX 0225-98-7613
maruwsakousan@hotmail.co.jp


(取材日 平成26年6月1日)

たくさんの笑顔を咲かせよう!岩沼「みんなの家」で夏祭りを開催!(岩沼市)

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こんにちは、にゃんこです。


夏の風物詩と言えば、みんな大好き夏祭り!
今年も県内各地でたくさんの夏祭りが開催されます。

今日は、岩沼市玉浦地区にある岩沼「みんなの家」で行われる夏祭り情報をお知らせしたいと思います。



岩沼「みんなの家」は震災後、地域の人々のために建てられたコミュニティ施設です。
毎週土・日曜の9時~15時には、地場の新鮮野菜などを販売する直売所、さらに季節に合わせて餅つき大会やバーベキューなどのさまざまなイベントも行うなど、地域の方々の交流の場として日々親しまれています。

今年2月に行われた餅つき大会の様子もココロプレスでご紹介しています。

2014年3月20日 木曜日
地域の笑顔が集う「みんなの家」(岩沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/03/blog-post_802.html


この岩沼「みんなの家」が、今年7月で竣工一周年を迎えます。
これを記念して、7月12日(土)に「みんなの夏祭り」を開催することになりました!


「みんなの夏祭り」の開催にあたり、岩沼「みんなの家」の運営、管理をする「インフォコム株式会社」の大内隆司さんにお話をお伺いしました。

「竣工してから1年、これまでお世話になった方々への感謝の気持ちを込めて開催する夏祭りです。当日は駄菓子の販売や射的、露店など、子どもから大人まで楽しめるイベントも盛りだくさんです。16時からは福引抽選会も行います!浴衣での来場も大歓迎です。地元の方はもちろん、そのほかの地域の方もぜひ遊びにいらしてください!フェイスブックでも告知しておりますのでこちらもチェックしてくださいね。」

夏祭りの気分をぐっと持ち上げてくれるアイテムといえば、提灯♪
当日会場に飾る提灯の絵描きも、お祭りの2~3週間前から行われるそうなので、夏の思い出にぜひ自分だけの提灯を作ってみてはいかがですか。

☆岩沼みんなの家「祝!竣工1周年記念 みんなの夏祭り」
日時 : 7月12日(土)16:00~20:00 ※少雨決行(大雨の場合は、状況を見て判断) 
会場 : 岩沼「みんなの家」(岩沼市押分字南谷地24-1)
駐車場 : あり ※但し当日は関係者のみの利用
みんなの家 岩沼市byインフォコム
https://www.facebook.com/minnanoie.iwanuma.infocom

☆当日は通常通り朝9:00~15:00まで産直市場も開催します!


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福引抽選券は直売所で200円お買い物をするごとにもらえるそうなので、夏祭り前にぜひ一度岩沼「みんなの家」にお出掛けしてみてください。もちろん、当日でも間に合いますよ!

たくさんの人が集まることで夏祭りはより盛り上がります。
家族やお友達を誘ってぜひ遊びに行ってみてください!

(にゃんこ)

100万都市の「新しい田舎」を創る ~南蒲生の現地再建 みんなの居久根プロジェクト~[後編](仙台市)

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ザーリャです。
前編では、住民の皆さんと一緒につくった復興計画について、都市デザインワークス代表の榊原進代表にお話しいただきました。

2014年6月4日 水曜日
100万都市の「新しい田舎」を創る ~みんなの居久根プロジェクト~ [前編](仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/100_4.html

7月11日(金)にワークショップを開催します!(記事の最後で、くわしくご紹介しています)
「私が考える‘これからの’居久根〜そもそも居久根って何?!〜」
http://www.udworks.net/archives/news/minnanoigune0711

古くからの集落の形を伝えていた南蒲生地区。水田の浮島のようなその集落を、高さ5mの津波が襲いました。失われた多くの尊い人命、そしてふるさとの姿。南蒲生の人々は、後の新しい世代に引き継ぐための、まちの姿を考えます。立場を越え行われた度重なる話し合い。そして生まれた、“新しい田舎”というコンセプト。それはいったい、どんなものなのか。「それを探求すること自体が復興である」。榊原さんはそう話しました。

後編は、都市デザインワークスで榊原さんとともに「仙台平野 みんなの居久根プロジェクト」に取り組んでいる岡井健さんに、お話を伺います。
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これからは実践の機会を増やしたいと語る 岡井さん
継承される仕組みづくりを
「新しい田舎」のシンボルとして、復興の重点プロジェクトに挙げられた「次代につなぐ居久根のある景観づくり」。しかし、居久根をどうしても必要とする生活ではなくなり、昔のような居久根を再生させることは現実的ではない、そう考える人たちが多い中で、どんな居久根を再生させるのでしょうか。

「実は新しい居久根のイメージというものが、当初はなかったのです。“新しい田舎”の定義と同じように、それは探求しなければならないものでした」

生活に馴染む居久根の形態と、所有者の負担を減らす仕組みがなければ、居久根はまた失われる。岡井さんはそう言います。

「居久根再生の取り組みは、少なくとも数十年に及ぶものです。活動を継続させるためには『継続可能な仕組み』が必要です。そのうえで、行政や市民、企業やNPOなど多様な人々が参加して、一緒に作り上げてゆくのが理想です。そのプラットフォームとして考えられたのが『居久根ひろば』です」

プロジェクトをけん引する「居久根ひろば」
さまざまな人たちが参加して作られる『居久根ひろば』。岡井さんは、この『居久根ひろば』が入り口となって、参加者はさらに深い活動にも踏み込める、いわばプロジェクトの『けん引役』になるのではと言います。
新しい居久根の形を模索するワークショップ

「『みんなの居久根プロジェクト』に賛同する方から土地の提供を受け、そこにそれこそ『みんな』で木を植え、育てていきます。居久根に囲まれた広場は、小径(こみち)やビオトープのある子どもの遊び場、市民農園、町内のお祭り、居久根マルシェなど、だれもが集える開かれたエリアになる可能性をもっています。

『居久根ひろば』を作り、維持してゆくのは、活動に賛同する人、行政や企業、NPOも含めた『みんな』なのです。ともに支え合う信頼関係も生まれるでしょう。そこから個人宅の居久根の保全活動や、田舎体験などの交流にも広がってゆく。『コミュニティの拠り所』になると良いと思います。
ワークショップでは「なにができるのか」を考えてゆきます

これまで、居久根は個人のものであり、個人が管理してきました。しかし、これからは居久根の所有者だけに『頑張ってください』という状態では続きません。協力したいと思う人たちが、居久根の所有者の皆さんと一緒に木を植え管理する。『実際にみんなでできることは、どこまでなのか』、それを探りながら進めるのが『みんなの居久根プロジェクト』全体の仕組みなのです」




実生(みしょう)の植え替え実践
岡井さんたちは、その実践の場として、実生(【みしょう】:発芽したばかりの苗)の植え替えも行っています。
残った居久根が、種を落とし、実生が育っていました

芽吹いた実生を丁寧に掘り起こしていきます
「 津波で多くの居久根が失われました。ところが、残った居久根の根元から、小さな新芽が出ていたんです。生き残った居久根の木々が種子を落とし、育っていたのです」
「ランドスケイプの先生の発案で、それらの苗を地区の皆さんとともに掘り起こして、約50株を隣の土地に植え替えました。現場にランドスケイプや建築の先生方もお招きして、地域の生態を学びながら作業に当たりました。居久根を形成していた樹種や特性を理解することは、先人の知恵を知ることでもあり、新しい居久根を作り育てるためには欠かせない知識になります。今年は、実践を促す学びの機会として、さらに発展させたワークショップを考えています」
移植された実生苗

交流人口を増やすために
南蒲生が進める“新しい田舎”。それには、さまざまな人に町を訪れてほしいという願いも込められています。平成27年には、仙台市営地下鉄東西線が開業し、集落から西へ4kmの場所に始発駅となる「荒井駅」が開業します。また昨年には株式会社「みちさき」によって南蒲生町内に大規模溶液栽培施設が完成し、生産を始めています。

「みちさきマルシェ」の様子。土曜日の朝7時に開催されています
「東西線荒井駅から車で5分程度の場所にありながら、“田舎”が体験できる。そんな大きな魅力を持つのが南蒲生です。

『マルシェ』を開催したり、地元の食材を使った『農家レストラン』や『田舎ぐらし体験』・・・、そういったものを将来できた『居久根ひろば』で開催できれば良いですね。将来的に交流人口を増やす事につながればと思っています。

わたしたちは『南蒲生スタイル』と言っているのですが、“南蒲生ではないとできない暮らし方”を見つけ、発信していきたいと思います。

大規模溶液栽培の『みちさき』さんは毎週土曜日に『みちさきマルシェ』を開催されていますが、トマトやイチゴ、葉物の販売で、大変な人気です。そういった地元企業の取り組みとも連携して、産業交流につながればと思っています」

一年後に迫った東西線の開業。南蒲生でのさまざまなイベントの開催も楽しみです。

地域の魅力を後世に
議論を重ね、少しずつ見えてきた新しい南蒲生の姿。若い世代がまちづくりに積極的にかかわり、ゆっくりとですが、着実に進んでいます。最後に、プロジェクトのこれからについてお伺いしました。
打ち合わせを行う 都市デザインワークスと建築・ランドスケイプなどの専門家のみなさん
「昨年度は『みんなの居久根』のイメージの叩き台をつくりました。また、一部実生の植え替えという実践活動もできました。しかし、まださまざまな議論が必要だと感じています。居久根のある集落は、仙台平野の原風景です。その再生には南蒲生地区だけではなく、ほかの地区の方も交えて議論を深めなければいけません。

もちろん、実践を進めたいと思っています。『木を植えたいな』と思っていても一歩足が踏み出せない方もいます。『こういうものだったらすぐできるよ』ということを、専門家のアドバイスを交えて紹介できればいいですね」

震災後、多くの被災地でまちづくりが進んでいます。『みんなの居久根プロジェクト』とは、都市デザインワークスにとってどんなものなのでしょう。

「私たちは震災があったから、このような取り組みをしているわけではありません。平時においてのまちづくりと、何も変わりはないのです。地域の重要な魅力を何とかして次の世代につなげたいと思っています。南蒲生の魅力に、たまたま私たちが気き、賛同してくれる住民の方々がいる。だから一緒にできるのです。それが今回の『みんなの居久根プロジェクト』だと思っています」
都市デザインワークスのお二人はそう語りました。

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ワークショップの開催が決定しました!

取材の終了後に、「みんなの居久根プロジェクト」でワークショップを開催することが決まりましたので、ご紹介します。どなたでも参加できます。

◆◆◆みんなの居久根ワークショップ◆◆◆

第1回:私が考える‘これからの’居久根
    〜そもそも居久根って何?!〜

「杜の都」仙台は、広瀬川の河岸段丘上に置かれた城下町と、
奥羽山脈からのびて街を包む山手・丘陵の「森」、海手・平野に広がる「田園」、
それらをつなぐ「河川」でつくられています。水田に浮かぶ「居久根」
(古くから防風や屋敷境などの為に植えられてきた家屋の屋敷林)は街からほど近くにあって、
豊かな自然を感じる、仙台平野の原風景です。
 これまで受け継がれてきた居久根は、暮らしや住まいの変化によって徐々に減少し、
東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。これからの暮らしに沿った新しい居久根をみんなの手でつくり、
次の世代へとつなぐ取り組みを「仙台平野みんなの居久根プロジェクト」として進めています。

 今年は、居久根の魅力や、これからつくり、育んでいくための手だてをみんなで考えながら、
実際に植樹も行ってみます。第一回ワークショップでは、次の世代につなぐ“これからの居久根”について、
あなたのアイディアを聞かせてください。
「そもそも居久根って何?!」という方の参加も大歓迎です。

日時 : 2014年7月11日(金)18:30〜20:30(受付18:00〜)
場所 : 仙台市市民活動サポートセンター6階セミナーホール
定員 : 30名(要申込・無料)
       ※下記記入の上、7月3日までにお申し込みください。
       ※申込多数の場合は抽選となります。

申込・問合せ先:mail  info@udworks.net  / fax  022-796-0080

申し込み・詳細等についてはコチラごご覧ください
http://www.udworks.net/archives/news/minnanoigune0711

主催 : 特定非営利活動法人都市デザインワークス http://www.udworks.net/
後援 : 仙台市
助成 : 宮城県「みやぎ地域復興支援助成金」


「仙台平野 みんなの居久根プロジェクト」
プロジェクトFacebook  : https://www.facebook.com/minnanoigune

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(取材を終えて)
震災によって気づかされたものの中に、自分たちの“故郷のかけがえのなさ”がある気がしています。今回の震災では、津波や原発事故によって故郷を失った方々がいます。そのために、ことさらそれを強く感じるのかもしれません。ふるさととは、ただ住所を示す地番がそこにあるというだけではないのです。
南蒲生の方々は、小さなブロックを一つ一つ、時間をかけて積み上げ、故郷を取り戻そうとしています。時間がかかる作業です。
しかし、数十年後にはまた居久根に囲まれた緑の集落がよみがえるのだろう。
お話を聞いてそう思いました。

(取材日 平成26年5月12日)

雄勝花物語Part3 ハーブガーデンができました!(石巻市雄勝町)

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石野葉穂香です。

まずは写真をご覧ください。

このお花畑は、以前にも「ココロプレス」で紹介させていただいた、石巻市雄勝町味噌作地区にある「雄勝花物語―雄勝ローズファクトリーガーデン」です。

「雄勝花物語 ローズファクトリーガーデン」です。
正面の建物は雄勝石のスレートで葺かれた「マヨイガハウス」

ガーデンを主宰する徳水利枝さんが、津波で犠牲になったお母さんと叔母さん、そして従兄弟のためにと、2011年の初夏、ホオズキを植えて花畑づくりを開始した場所。
でも、それからは、多くの方々の参画、支援、応援、力添え・・・があって、花畑は少しずつ大きくなっていきました。

詳しくは、こちらの過去記事を、ぜひお読みください。

2014年4月7日 月曜日
雄勝花物語  Part1(石巻市雄勝町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/04/part1.html


2014年5月17日 土曜日
雄勝花物語  Part2(石巻市雄勝町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/part.html

5月末、ガーデンにおじゃましました。
春色から夏色に、花畑も少しずつ装いを変え始めているようです。


































ガーデンに建つ赤煉瓦にスレート葺きの「マヨイガハウス」の前で、徳水さんが出迎えてくださいました。

徳水利枝さん。
「親子連れでぜひおいでください」

――今年もきれいに咲きましたね。
「ちょうど夏バージョンへ植え替えしていたところです。チューリップの球根を掘ったりしながら」

――新しくなったところとかありますか?
「今年はハーブ園ができあがりました。といってもまだまだ整備中ですけれど」


ハウスの北西側に整備されたハーブ園。
可憐な花が咲き並ぶのも、もうすぐ

徳水さんに案内していただき、ガーデンの奥へ。
すると、まだ背は低かったけれど、青々とした草たちが、土色の上に可愛らしく並んでいました。
ローズマリー、ミント、チャービル、ルッコラ、イタリアンパセリ・・・。






















また、国道に近い側の一角には、ラベンダーの畑もつくられていました。
「国道398号を峠(釜屋トンネル側)」から下ってくると、ちょうど目に飛び込むところです。夏になったら、薄紫色の花が咲いて、目立つと思いますよ」

春から秋まで、ガーデンには200種を超えるたくさんの花々がどんどん咲き変わっていきます。
津波に襲われて、建物も畑も公園も、何もかもがかき消されてしまった雄勝でしたが、今、復興の槌音を運ぶ海の風、山の風の中で、その大地は明るい花色に満ち始めているのです。









6月が過ぎたなら、ガーデンはすっかり夏色に衣替え。
7月20日には、花のワークショップも開催予定だとか。


雄勝産のスレートに描かれたウェルカムボード。
全国から訪ねてきた方々がメッセージを残した
たくさんのスレートも飾られています

梅雨の晴れ間には、ぜひ雄勝の海辺へお出掛けください。
おすすめは雨上がりの直後! です。
ふわりと匂い立つ土と花。きらきら光る花葉・・・。
夏陽を浴びて、元気いっぱい咲き誇る花たちに会いに行きましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

所在地/石巻市雄勝町味噌作24-3
URL/http://ogatsu-flowerstory.com/
   (「雄勝花物語ローズファクトリーガーデン」で検索できます)

(取材日 平成26年5月30日)

『ともに助け合う風土』をつくればいい~宮城県社会福祉協議会~(仙台市、気仙沼市、亘理町)

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仙台市郊外に建設が進む災害公営住宅(仙台市 田子西地区)
ザーリャです。
私の住む宮城野区の集合住宅には、震災によって家を失った方々が避難先として住んでいます。また、歩いて5分ほどの公園には震災から3年を過ぎた今も応急仮設住宅が立ち並び、避難者の方々が不自由な生活をされています。
一方で部屋のベランダから見える七北田川の対岸には、真新しい災害公営住宅の建物群が見えるようになりました。
仙台市の広報によれば、4月から入居が始まったといいます。
公園内に建てられた応急仮設住宅(高砂一丁目公園応急仮設住宅)
報道では、被災3県の災害公営住宅の高齢化率は35パーセントを超えると予想されています。
新しい災害公営住宅の現場では、報じられるさまざまな問題に対して、どのような取り組みが行われているのでしょうか。

新聞報道でも取り上げられた、宮城県社会福祉協議会の震災復興支援局を訪ねました。

被災地でともに動く
「宮城県内には35の市町村ありますが、それぞれの市町村に社会福祉協議会があります。地元の関係者と一緒に、だれもが安心して生き生きと生活できる、福祉のまちづくりを応援しています」

そう話すのは、宮城県社会福祉協議会震災復興支援局長の田村武暢(たむら たけのぶ)さんです。
不在の目立つオフィス。職員の皆さんは連日被災地へ向かっています
「私たちも仙台から『頑張って』というだけではなくて、みずからもできるだけ現場に入って、地元の関係者と力を合わせて、その大きな目的に向かいたいと考えています」

社会福祉協議会(以下、社協)は、地域の人びとが住み慣れたまちで安心して生活することのできる「福祉のまちづくり」の実現のために、さまざまな活動をおこなう非営利の民間組織です。全国、都道府県、特別区、政令指定都市、市町村単位で組織されています。その前身は明治41年(1908年)の設立と、長い歴史を持っています。

東日本大震災では災害ボランティアセンターの設置、運営支援など、被災地の市区町村社協の支援を行いました。

宮城県社協では震災のあった平成23年の後半から、津波被害のあった11市町村に県社協職員を派遣し、今年の3月まで8市町村に継続して職員を派遣してきました。当初は災害ボランティアセンターの運営の支援を、派遣の後半には地元社協のスタッフとともに、人づくりやまちづくりに関わる活動全般の支援を行いました。
震災発生後、沿岸部11市町に応援のために職員が派遣されました
「沿岸8市町村への職員の常駐派遣は今年の3月で終了しましたが、復興はまだ始まったばかりです。今までの派遣で築かれた『顔が見える信頼関係』を大切にするために、それまで派遣されていた職員が、そのまま近隣を含む地域の担当になって、今も週に2、3日は現地に向かいます。これから本格化するまちづくりのために、地元の皆さんと一緒に動いています」

◆移転で生じるさまざまな問題

新しい駐車場には、すでに多くの車が駐車しています
15,608戸
現在宮城県内で整備が進められている災害公営住宅の戸数です。県内の民間賃貸借上住宅分も含めた応急仮設住宅の入居戸数は34,358戸。
災害公営住宅が完成すれば、多くの避難者の皆さんが新しい生活の場へ移ることになります。

もともと避難者の皆さんは、震災によって慣れ親しんだコミュニティから否応なく切り離された経験をしています。そして、仮設住宅でできたコミュニティも、災害公営住宅への移転で再び失われようとしています。
応急仮設住宅では今も多くの被災者の皆さんが生活しています
また、新しい自治会の設立や、移転先地域との関係づくり、高齢化率の上昇と孤立化の問題など、予想される問題は少なくありません。
すべてが、ゼロからのスタートです。

「災害公営住宅に住む方も、その地域に住む人も、初めに共有しているものはなにもありません。なにもないのであれば、将来のことも考えて、初めから『ともに助け合う風土』を目指して歩めばいいのです」

社会福祉協議会は民間団体です。行政とは異なる立場でどのような支援ができるのでしょうか。

「災害公営住宅の自治会の設立は、行政が支援をすることです。災害公営住宅を取り巻く地域の方々が、新しく地域に入る方々をどう迎えるか、お互いの接点をどう築くかといったことを、皆さんと一緒に考えるとが、私たち社会福祉協議会の役割だと考えています」

北と南でコミュニティ構築のモデルを
宮城県の沿岸被災市町村は15市町村。それぞれの自治体で、避難者の災害公営住宅への入居が始まりつつあります。これらの問題は各地の被災地が直面する問題です。

「それで、この問題を考えるきっかけづくりとして、宮城県の北部と南部の津波被害地域に、地域性や歴史文化が異なる2つのモデル地域を設定し、地域特有の問題を検証しながらコミュニティ支援を行うことにしました」

県社協がモデル地区として選定したのが 気仙沼市 と 亘理町 でした。田村さんは、その理由をこう話します。

「気仙沼も亘理町も津波被害が甚大だった点は同じですが、経済、産業、観光、歴史など、地域を構成する要素はだいぶ異なります。長い歴史を持つ地域もあれば、新興住宅地が集まる地域もある。復興の進捗状況を見ても、歩んでいる歩数やスピードも違います。このように、要件が異なる地域をモデルに選ぶことで、同じく災害公営住宅への移行期を迎える他の被災地でも、今後に活かせる事例が作れればと考えています」

見守り、支え合うコミュニティ
入居が始まる一方で、外構工事は現在も続いています
県社協では現在、このモデル地域となる気仙沼市と亘理町で、関係機関との事前準備を進めています。災害公営住宅の場合は、立地する地域性の違いだけではなく、入居戸数の規模や入居の仕方にも違いもあり、支援策も慎重に考える必要があると田村さんは言います。

「現在は、市町の関係各課や地元社協など、協働するさまざまな関係機関との話し合いを重ねて、支援対象地域の方々が何を必要としているかを調べています。実際の話し合いやワークショップを開催するまでには、もう少し時間が必要です」

県社協では、モデル地域以外の自治体や地元社協にも、取り組みが可能な部分については、ともに取り組むことを呼び掛けています。
敷地内には集会所も完成しました
移転開始にともない、各地で新しい自治会が作らています
「災害公営住宅の自治会は行政指導で作られますが、最終的には地域の自治会・町内会と、新しい災害公営住宅の自治会とが一体となった自治会運営が実現するよう支援できればと考えています」

災害公営住宅では、時間の経過とともにさまざまな問題の発生が予想されています。災害公営住宅への移行期が過ぎても、その時期に応じた段階的な支援を続ける必要があります。

「多くの問題を乗り越えるために、地域でお互いに見守りながら、支え合うまちづくりを支援する。それが私たち社会福祉協議会の仕事です。今回のモデル地区での取り組みが、今後の復興きっかけになれればと願っています」
「共に生きる福祉のまちづくり」 田村武暢さんと職員の皆さん

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宮城県社会福祉協議会の新たな取り組みは、さまざまな関係機関との調整を経て、間もなく始まります。
大切なのは、被災地に住むわたしたちが、被災地の現状を「知り続けようと努力すること」のように感じます。
わたしたちが、この問題を自らの問題として捉えることで、解決に近づく問題も実は多いのではないでしょうか。

宮城県社協の皆さんの取り組みは、今後も継続してご紹介する予定です。

(取材日 平成26年6月3日)

「第1回 女性の復興カフェin気仙沼」開催のお知らせ(気仙沼市、兵庫県)

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kaiiです。
東日本大震災からの復興の「まち」はどんな町が住みやすい「まち」なのでしょうか?
「復興のまち」にはどんな施設や機能があればいいのでしょうか。
阪神淡路大震災を経験し「産業復興」「地域づくりの経験」のある兵庫・神戸の女性たちと、気仙沼の女性たちがワークショップを行って「復興」と「女性」について考えます。

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第1回「女性の復興カフェin 気仙沼」(全3回予定)

開催日時:平成26年6月28日(土)12:00~15:30

開催場所:ホテル望洋 (〒988-0013 宮城県気仙沼市魚町3丁目1−25)

内容:「女性の目線で考える東日本大震災からの復興への取り組み」
     ・東日本大震災からの復興への取り組み
~多文化共生の視点で20年後の「復興のまちづくり」を考える。「仕事づくり」~
     ・阪神・淡路大震災からの復興と20年




主催:多文化と共生社会を育むワークショップ
協働:バヤニハン気仙沼フィリピーノコミュニティー・気仙沼おとひめ会
連絡先:多文化と共生社会を育むワークショップ(山地久美子)
   
   080-1483-6641
   tabunkaws@gmail.com


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3回のシリーズで考える「ワークショップ」にはどなたでも参加できます。
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震災からの復興の中で、「地域の中に何が必要なのか?」について、阪神・淡路大震災を経験した兵庫・神戸の女性たちから学び、「気仙沼の女性たちが生きやすいまち」「住み続けたいまち」はどんなまちなのかを、気仙沼の女性と神戸の女性がいっしょに考えます。
主催する「多文化と共生社会を育むワークショップ」の山地久美子さんは、多くの方の参加を呼び掛けています。


(取材日 平成26年6月18日)

青葉城跡・石垣の現状探索(仙台市)

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こんにちはエムです。

ここは東北大学川内南キャンパス、「東北大学植物園」入り口付近です。
この遺跡のような石群は何でしょう。

整然と並ぶたくさんの石には番号が付けられています

東日本大震災では「青葉城跡」の石垣が崩れ、修復には4、5年かかると言われていたのは知っていましたが、どうやらこれは崩れた石垣の石のようです。

これらの石はどこに使われるのか。なぜずっとこのまま放置(?)されているのか。前から気になっていたので、梅雨の晴れ間を見計らって現状を探索してきました。

 
青葉城を通り八木山へ抜ける「大手門跡」からの入り口。
車両の通行止めは続いていますが、歩いて入るのは大丈夫です


今回私が歩いたのは「仙台市博物館」の庭から本丸方向に続くコースです。
細い散策道を上ると早速、石垣の修復工事箇所が見えてきました。
ここは「清水門跡」です。伊達政宗公の時代には、門を守る警備の侍が待機していたのでしょうか。

「清水門跡」の石垣は自然石を積んだ「野面積」(のづらづみ)
と呼ばれる技法で積まれています

散策道のあちこちに古い石垣が見られます

本丸までは、雨で洗われた鮮やかで美しい緑の散歩道。鳥の声を楽しみながら約1kmの行程を歩くと、あっという間に本丸北側に到着しました。

「切石積」(きりいしづみ)された本丸の美しい石垣。
平成9年〜16年にかけて石垣解体修復工事が成されていたため、今度の震災に持ちこたえました
「切石積」

本丸入り口。右手はまだ修復工事中

「詰門跡」のある本丸入り口。入り口右手の本丸北西石垣ではまだまだ終わりそうにない修復工事が続いていました。

関係者の方にお聞きしたところ、東北大学南キャンパス付近に並んでいる石垣はここのものだと分かりました。石垣に番号が付けられているのは、工事の進み具合により順番に少しづつ運ばれるようにしたものだそうです。
工事は来年(平成27年)2月末の完成予定だと教えていただきました。

聞くところによると仙台城の石垣は西暦1600年頃の伊達政宗公による築城の後、2度にわたって修復工事が成されました。
1度目は1616年に起きた地震による石垣崩壊の時。その後1646年、1668年の2度の地震を経て、より強固な「切石積」の石垣に築き直されたのです。
地震による被害は昔から繰り返され、その度に私たちの祖先は1つ1つ積み上げる石垣のように、生活を立て直してきたことが想像できる史実です。

本丸北西石垣。見えるのは2度目に築き直された「切石積」の石垣。
その背面の盛り土内には2期にわたる「野面積」の石垣が埋もれているそうです。
今回の修復工事はその全ての石垣を直しています

こうして、ようやくあの石の謎が解け、梅雨空とは裏腹に気分はスッキリ!
せっかくなので、本丸の伊達政宗騎馬像に会ってまいりました。

眼帯にコンプレックスを持っていた政宗公は、
自分の死後は眼帯をしてない姿を残すようにとの遺言を残しました。
騎馬像の政宗公が眼帯をしてないのは深い訳があったのです。

仙台城下を見つめる政宗公。この日はあいにく霧で見えませんでしたが、
梅雨の時期でも観光客が絶えません。

 
政宗像近くにあるこの塔の上には羽を広げた鳶(トビ)の像がありましたが、
東日本大震災により像が落ち、現在も修復されていませんでした

仙台駅から仙台城跡までは、バスを使っても25分ほど。大手門入り口までは車で約10分で到着していまうほど近い距離にあります。
しかし仙台城跡のある青葉山は、仙台市内からそんな近いとは思えない、豊かな自然が満喫できる場所です。
大手門跡の入り口が車両通行止めになっている今こそ、自然の音を味わいながらゆっくり散策してみてはいかがでしょうか。

青葉城跡の詳しい情報、復旧工事の進行状況については仙台市のホームページ
「仙台城跡」をご覧ください。
http://www.sendaijyo.com/

 
少し減ったかな?
       (平成25年4月20日撮影)                 (平成25年6月18日撮影)

(取材日 平成25年6月18日)

復興に文化力を!「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」[後編](多賀城市)

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キトラ古墳(奈良県明日香村)壁画 「白虎」の陶板
ザーリャです
現在、多賀城市にある宮城県の施設、東北歴史博物館で「発掘された日本列島展」の20周年を記念し、展示面積・展示遺跡・展示点数ともに過去最大規模となる「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」が開催されています。

「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」
東北歴史博物館HP  :  http://www.thm.pref.miyagi.jp/


前編では、開催の概要をご紹介しました。

国内過去最大規模となる「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」開催中[前編](多賀城市)
2014年6月17日火曜日
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/2014.html

「今回の『日本発掘』展は過去20年間に開かれた『発掘された日本列島』展のダイジェストです。その中でも、特に重要な発掘品を集めた、いわば『グランプリ大会』のような展示会です。博物館で仕事をしている私たちも、なかなか見ることができないものばかりなんですよ」
 「文化財の持つ魅力を、ぜひ肌で感じてください」
そう語る菊地逸夫さん
特別展の会場を案内してくださったのが、東北歴史博物館の上席主任研究員、菊地逸夫(きくち いつお)さんです。
菊地さんは、今回の「日本発掘」展の東北歴史博物館での展示企画を担当され、長い時間をかけて文化庁との準備を進めてきました。

一歩特別展の会場に入って、息をのみました。
15,000年を経て今も輝く黒曜石の石器や、祭祀の場さながらに祈りを捧げる埴輪の数々、縄文の炎そのものの火焔型土器・・・。
新潟県野首遺跡から出土した火焔型土器

今城塚古墳出土の埴輪。祭祀を行った区画から、たくさんの埴輪が発見されました

貴重な歴史資料であるという以前に、それが「もの」として放つ造形の美しさや迫力は、見る者の心を捉えて離しません。

今城塚古墳(いましろづかこふん:大阪府高槻市)の埴輪群は、ケースに入れない露出状態で展示されています。手が届きそうな距離にある埴輪と見学者を隔てるものは、何もありません。耳を澄ますと、祭祀を執り行う埴輪の息遣いまでが感じられそうです。
今城塚古墳 巫女形埴輪
巫女の隊列の先頭に立つ女性で、後には捧げ物を持つ巫女達が続きます
「今城塚古墳は継体天皇(けいたいてんのう)の陵墓だと言われる古墳です。これらの埴輪は、将来的には重要文化財などの指定を受けることが確実な、きわめて貴重な出土資料です」

その迫力に圧倒されている私に、菊地さんは言いました。

「被災地の皆さんに優れた文化財を間近に感じていただくために、見学する方に『近い』展示になっています。陵墓と言われる古墳からの出土品を、これだけ近くで見ることができるのも、今回が最後でしょう」

特別展に向けて、展示資料が次々と東北歴史博物館に搬入されました

厳重に梱包された文化財の数々。展示総数は950点に及びます
毎年、文化庁が主催し、全国の貴重な発掘成果を選んで紹介する「発掘された日本列島展」。
第1回開催以来20年間、東京で開催した後に全国を巡回するのが通例でした。今回の東北歴史博物館での開会は、東京以外の土地での開会という、「列島展」史上初の試みとなりました。ここ宮城県を皮切りに、一年をかけて東京、大阪、長野、福岡の順で全国を巡回する形となります。

「今回の20周年記念の特別展を復興の途上である東北から始めることには、実は大きな願いが込められています。『文化力』を復興の原動力にしていただきたいという、文化庁や私たちの願いです。」
開会式には青柳正規文化庁長官も出席し、復興への願いを語りました
5月31日に行われた東北歴史博物館での特別展の開会式には、青柳正規(あおやぎ まさのり)文化庁長官もみずから出席し、20周年記念の特別展を被災地からスタートさせる意義をお話されました。

それらの思いを象徴する展示があります。

第三部「復興のための文化力-東日本大震災の復興と埋蔵文化財保護-」
被災地では今、迅速な復興を実現するために、復興事業と埋蔵文化財保護の両立が慎重に検討されながら発掘調査が行われています。その結果、被災地の豊かな歴史を示すさまざまな成果も見つかっています。
岩手・宮城・福島の7遺跡の調査成果を展示される特別展の「第3部」
「忘れてはならないのは、これらの成果の陰に、派遣職員の皆さんの力があるということです。全国から派遣された埋蔵文化財の専門職員のみなさんが、被災地の現場で、地元の方々とともに寝起きしながら復興調査に取り組んでいます。そういった皆さんの熱意が、このような成果に結びついているのです」
震災後、延べ80人の発掘担当者が全国から宮城県へ派遣されました
菊地さんも、1995年の阪神淡路大震災の翌年から半年間、宮城県の埋蔵文化財専門職員として兵庫県に派遣されていた経験があります。

「その時は、災害公営住宅を一刻も早く完成させるというのが大命題でした。当時の私も迅速な調査を一番に心がけていたのを憶えています」

当時を思い出しながら、菊地さんはそう語りました。
時間ができると、菊地さんは今でも関西に向かいます。派遣先の皆さんとは今でも親交があり、兵庫県を第二の故郷のように感じているそうです。
宮城県の発掘調査を紹介する「地域展」も開催されています
「今回の復興にともなう発掘調査で興味深いのは、『震災による発掘調査』で『過去の震災の痕跡』が次々と見つかっていることです」

菊地さんはそう語ります。

「地域展 復興と創造のために―宮城の復興 発掘調査―」

宮城県での調査成果が展示されている会場です。
会場の正面ですぐ目に飛び込んできたのが、地層の展示でした。
特殊な樹脂を塗ってはぎ取った地層の標本。
巨大津波によって運ばれた砂が堆積しています
「岩沼市の海岸線から1.2キロの距離にある高大瀬遺跡(たかおおせいせき)では貞観地震(西暦869)と慶長奥州地震津波(西暦1611)の津波の痕跡が見つかり、仙台市の海岸線から4キロの荒井南遺跡(あらいみなみいせき)・沓形遺跡(くつかたいせき)では弥生時代の大津波の痕跡が発見されています」

これらの痕跡を見る限り、今回の東日本大震災による津波も、決して「未曾有」(みぞう)の災害ではなかったことがわかります。

弥生時代や平安時代、そして江戸時代の先人たちも、それを乗り越えて現代につながる復興を遂げているのです。

多くの子どもたちが見学に訪れていました

今回の展示会では、『文化財は国民の共有財産である』という考えのもとで、写真撮影も自由に行えます(ストロボ撮影は禁止)。また、チケットがあれば、その日は何度でも再入場が可能。カメラを片手に、休日の一日をゆっくりと東北歴史博物館で過ごせるのも大きな魅力です。

「歴史や文化財に宿る力は、復興のための心の糧にもなるものです。ぜひ会場へ来ていただいて、『文化力』を肌で感じてください。私も特別展の会場でお待ちしています。『ココロプレスで見た』とお声掛けいただければ、見どころのご案内もしますよ!

案内の最後に、菊地さんはそう言って微笑みました。

特別展の会場にて、解説員さんも一緒に

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(取材を終えて)
私も博物館を訪れるのが好きですが、今回の特別展は、「とにかくすごい!」というのが感想です。その魅力のすべてをブログでお伝えするのは不可能です。みなさんもぜひ、博物館を訪れ、実物資料の前に立って、「五感で感じる」ことを強くお勧めします。
今は博物館の周辺の緑も美しく、間もなく多賀城では「多賀城跡 あやめ祭り」(6月24日~7月6日)も始まります。次の休日には、東北歴史博物館を訪れてはいかがでしょうか。
菊地逸夫さんにも、ひょっとしたら会えるかもしれません。
緑が美しい東北歴史博物館

(取材日 平成26年6月10日)

息子の遺志「被災地への思い」を届ける~「チーム気仙沼」~(気仙沼市)

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kaiiです。
東日本大震災から3年3カ月が過ぎようとしています。私たちはこの間多くの人に支えられながらここまできました。

その一つ、「チーム気仙沼」は、岡山から気仙沼市の子どもたちに野球用具などを贈る活動に取り組む支援団体です。メンバーは岡山県や広島県が中心です。
活動を始めて3年になり、これまでに「気仙沼リトルシニア絆プロジェクト」の名前で硬式野球ボール約3,000個や練習着などの野球道具届けてきました。

また、仮設住宅への訪問やチャリティーライブの開催など市民ベースの活動も展開しています。


野球用品贈呈式の様子
(平成25年8月16日 写真提供:瀬尾法行さん)


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「チーム気仙沼」のキャプテンだった瀬尾康平さんは、東日本大震災が発生した時、オーストラリアでホームステイ中でした。
日本で起きた東日本大震災の様子を現地メディアを通じて知った康平さんは、帰国後、被災地の人たちのためにできることをしたいと、友人たちとともに「東北震災ボランティア募金」を始めました。

被災地に思いを寄せ、精力的に活動を続けていた瀬尾さんでしたが、惜しくも平成23年7月、突然死でこの世を去りました。

瀬尾康平さんの父、法行さんは、岡山県岡山市でシステム開発の会社を経営しています。突然、大切な息子を亡くした法行さんは何をするのも気力もなく、悲しさを仕事でごまかす毎日を過ごしました。

法行さんは、康平さんのことを思い浮かべた時、康平さんが「東北震災のボランティア募金」を友人と取り組んでいたことを思い出しました。高校では野球部の活動に積極的に取り組んでいた康平さん。法行さんは康平さんの遺志を継いで何かできることはないかと探し始めました。


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(「チーム気仙沼」への思い。瀬尾法行さんの手記)

平成23年の10月だったか11月にフェイスブック(以下FB)を眺めていたところ、「気仙沼リトルシニア」の子どもたちの写真が目に飛び込んできました。広島の山田さんのFBページでした。

タイムラインを過去にさかのぼって読んでみると、東日本大震災で被災しながらも野球を続けたいと頑張っている子どもたちに中古の硬式野球ボールや練習着などを集めて贈っていると書いてありました。

とっさに、彼に連絡し、何か手伝えることはないだろうかと相談したところ快く受け入れてくれていただきました。

その後、息子康平も中学時代、玉野リトルシニアで野球をがんばり、高校でも硬式野球部に入部しがんばっていたことなどを話しました。
息子のためにも、野球でなんらかの支援が私自身にもできるならと胸の内を一気に語ったところ同苦してくれました。
「それなら、なおのこと一緒にやろう!」ということで、山田さんに監督に就任してもらい「チーム気仙沼」が結成され活動がスタートしました。

平成24年3月に山口県の商店街に、気仙沼リトルシニアの事務局をしている中川さんらが目黒サンマの焼き手として来るということで、山田さんと私は、山口へ1泊2日で応援に参加させてもらいました。
被災を受けた方々から被災地の現状を聞き、何かしなければと強く思いました。
その後、私の友人である大阪のシンガーソングライターの加治木孝子さん、東京の土井くんもチームに加わってくれ、「チーム気仙沼」として活動を開始しました
加治木さんは、「流星」というチャリティーCDも制作してくれました。
3月の音楽による復興支援、8月の広島風お好み焼きによる支援を核にし、通常は、中古の硬式野球ボールの収集、チャリティーCDの販売、チャリティー義援金の呼びかけを活動のベースにしています。
平成25年8月気仙沼リトルシニアグラウンドで開かれた交流イベントの様子
たくさんの野球用品が岡山県から届けられました
(写真提供:瀬尾法行さん)

中古の硬式野球ボールを寄付してくれた岡山の子供たちの寄せ書きに、「甲子園で会おう!」とメッセージが書かれていたことが胸に残っています。

東日本大震災以降、被災地では子ども達が「野球」をする姿が被災された方々の元気の源になっていると思います。定期的な気仙沼を中心に東北の被災地を訪問する中で、少しでも地域の方々や子たち達が笑顔になってくれる活動を続けていければと思っております。


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平成26年8月9日には、気仙沼市階上地区にある「気仙沼リトルシニアグラウンド」で、瀬尾さんたちは、広島県の大手調味料メーカー「オタフクソース株式会社」の協力を得て研修を受けた「広島風お好み焼き」を今年も200枚焼いて振舞う予定で準備を進めています。

暑さの中お好み焼きを焼く「チーム気仙沼」のみなさんと
焼き上がりを待つ選手たち
(平成25年8月16日撮影 瀬尾法行さん写真提供)


広島風お好み焼きは、戦後の広島の復興食材としての意義もあり、気仙沼の復興の祈りも込められています。

「気仙沼リトルシニア絆プロジェクト」交流イベント

開催日時:平成26年8月9日(土)午前10時ごろから
開催場所:気仙沼市リトルシニアグラウンド
内容:野球少年たちへボールなどの野球道具の贈呈式
    「本格広島風お好み焼き」の提供(200枚予定)

*多くの人たちの参加を呼び掛けています。

「チーム気仙沼」リンク先:https://www.facebook.com/pages/5881?hc_location=timeline

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気仙沼リトルシニア野球チームには、平成26年3月の春のセンバツ高校野球大会で宮城県代表に選ばれた東陵高校の選手たちも中学時代に参加していました。
甲子園には瀬尾さんも息子康平さんの遺影とともに駆けつけ、気仙沼から来た保護者に合流して一緒に東陵高校の選手たちを応援しました。

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東日本大震災の後、東北の被災地を応援しようという多くの方々が世界中から被災地を訪れ、東北に住む私たちをさまざまな形で支えてくださいました。
私たちが今日まで歩みを進めて来られたのは支えていただいた多くの人の「おかげさま」であることに、心から感謝しています。

「チーム気仙沼」のキャプテン瀬尾康平さんが被災地に寄せてくださった思いに感謝し、康平さんのご冥福をお祈りしたいと思います。


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被災した子どもたちが「震災」を理由に「夢」をあきらめなければならないことがないように、祈っています。

(取材日:平成26年6月7日)

2周年にも駆けつけた救世軍(女川町)

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こんにちは、Chocoです。
被災地には、今年で2周年を迎える仮設商店街が多くあります。
5月5日、女川町のきぼうのかね商店街も2周年を迎え、感謝祭が開催されました。
きぼうのかね商店街は、被災地の中でも最大規模の仮設商店街で、約50軒の事業所や店舗が並んでいます。
「きぼうのかね」とは、震災前に女川駅前にあった4個のカリヨンベルのうち、被災したものの、原型のまま発見された1個の鐘のことを示し、それを復興のシンボルにしようとこの名称がつきました。

感謝祭では、多くのお客さんでにぎわい、いつも以上に活気にあふれていました。


2周年とともに新たに商店街の仲間入りをしたビールバー「ガル屋」




海の幸の特売は、開店前から長蛇の列でした

カキやホタテの無料提供

ピアノの生演奏





子どもたちが主役の旭ヶ丘子ども獅子も商店街を練り歩きました


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たくさんの催し物がある中で、綿菓子を無料提供している人たちがいました。
限定200食用意して、あっという間になくなったのがこれです。
私も試食。斬新なアイディアが詰まった美味しい綿菓子でした
一見普通の綿菓子に見えますが、実は、トッピングに注目です。
女川と言えば、海の幸。
海産物をふりかけ上にしたものをトッピングしてあるんです。
その名も「海鮮綿菓子」

トラックには、たくさんのステッカーが貼ってありました。

気になったので、お話を聞いてみることにしました。

救世軍」とは、イギリスに本部がある国際的なキリスト教(プロテスタント)の団体です。
その歴史は、古く1865年にイギリスのメソジストの牧師、ウイリアム・ブースによって活動が始まりました。
現在、世界126の国と地域でキリスト教の伝道と社会福祉活動をしています。
そして、きぼうのかね商店街を作るための資金をアメリカの救世軍が提供してくれました。
その後、1周年、2周年と節目ごとに、女川の復興を応援するために東京から駆けつけてくれています。
「しんどいところで皆さんやっていると思うけど、何か私たちができることがあればと、今回も応援の気持ちで来ました」
と語ってくれたのは、救世軍本部社会福祉部長の西村保さんです。

震災翌日、救世軍の人々はトラックに食糧や物資を積んで被災地に向けて東京を出発しました。
武器を持たない軍隊と言うように、自分たちは迅速に動ける組織だからこそすぐ行くことができたんです。」
東京から仙台市までは、約350キロメートル、時間は9時間位かかります。
しかし、震災当時はその倍の時間がかかりました。
それ以来、被災地へ何度も来ては、地元の人たちのお手伝いや応援をしています。
その支援も3年になります。

「3年を過ぎましたが、これからも共に歩んでまいりましょう。
神様の祝福をお祈りしています」
救世軍
月日が経って、
「何度も来ているけれど、女川の空気を吸えるだけで元気が出るんです。ある意味第二のふるさとなんです」
そんな感覚になっている救世軍の皆さん。

被災地の中心にある仮設商店街は、津波で店舗を失くした人たちが再開するために作られた仮のお店です。
新しい街で再び再開するのを目標に現在は仮設店舗で営業しています。

いちど店を失っても踏ん張って頑張っている人たちを、多くの人たちが応援しています。
何度も被災地へ通う人たちにとって、ここは心のどこかでいつも気にかけているふるさとのような存在なのかもしれません。

救世軍の皆さんの優しく熱い想いは、きっと地元の人に届いているんだと思います。


救世軍


(取材日 平成26年5月5日)
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