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荒浜に、もう一度、にぎわいとなりわいを(亘理町)

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石野葉穂香です。

昨秋、亘理町荒浜に、温泉と市場が戻ってきました。

「わたり温泉鳥の海」と「鳥の海ふれあい市場」です。

また、今春には、新しい「商店街」もオープンしました。
「にぎわい回廊商店街」です。

震災から4年が過ぎて・・・。
荒浜に、だんだんにぎわいが帰ってきています。

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阿武隈川の河口付近、汽水湖である「鳥の海」の北側に、小さな港町・荒浜地区があります。
鳥の海には「荒浜漁港」があり、そして町営の温泉宿泊施設である「鳥の海荘」もあります。
街には名物「ほっきめし」「しゃこめし」「はらこめし」などを食べさせる飲食店や、とれたてを販売する魚屋さん、お寿司屋さんなどがたくさん立ち並んでいました。
荒浜地区は亘理町の観光の中心的なゾーンでした。

鳥の海の面した荒浜漁港。
向こう側(写真奥)が太平洋になります
でも、2011年3月11日の大津波で、街はほぼ壊滅してしまいました。
「鳥の海荘」は倒壊こそ免れたものの、2階付近まで浸水したため営業は休止。
館内に入居していた産直市場「鳥の海ふれあい市場」も、そのまま閉鎖となりました。

市場は「鳥の海ふれあい市場協同組合」が運営していました。
震災前は110名ほどの組合員の皆さんがつくった自家製野菜やお総菜、とれたて鮮魚などが市場に並んでいました。

しかし、津波のあと、農地は海水に浸り、漁家は船を失いました。
さらに原発事故による風評被害も重なって、亘理町産の一次産品は、生産と販売の両方でダメージを受けてしまいました。

でも、組合員の皆さんは負けませんでした。
震災後に行われた会議では、集まった組合員の全員が『オレたちはまた畑をやりたい。漁もきっと再開させる。だから市場も必ず復活させよう!』と言ったそうです。


「鳥の海ふれあい市場協同組合」の
男性の取締役菊地一男さん
「よし、ならば、もう一度、頑張っぺ、と。組合は解散せず、早期の再開を目指して、皆が動き始めたのです」
と語るのは、協同組合の理事長・菊地一男さん。

亘理町には、全国から大勢のボランティアがやってきました。
そして農地復旧に力を振るい、また再開を目指す市場の仮設店舗には壁画を描いてくれたり、設備の搬入などを手伝ってくれました。

こちらは昨秋まで市場が営業していた仮設店舗。
今は資材置き場などとして使われています

そして市場は、震災から9カ月後の2011年12月、荒浜の仮設店舗で営業を再開しました。
お正月の準備に・・・と、多くの〝昔なじみ〟が駆けつけてくれたそうです。

しばらくは風評被害もなかなか収まらず、平日はお客さんが少ない状況が続きました。
でも、2012年の秋になると、亘理町に名物「はらこめし」が帰ってきました。
すると、遠くからの観光客も増え、市場にも、次第に客足が戻ってきました。

「お客さんは少なかったけれど、海には魚がいっぱいます(笑)」と菊地さん。
「荒浜といえば特にカレイ、ヒラメが有名です。他にもシラウオ、タコ、カワハギ、クサウオ。アカガイやホッキ(ウバガイ)も。冬はワタリガニもいっぱいとれたなあ」

鳥の海ふれあい市場協同組合の皆さん
そして震災から3年半。
2014年10月4日、港のそばに、「きずなぽーと わたり」という新しい施設が完成し、「鳥の海ふれあい市場」は、その1階に新装オープンしました。
また、同じ日には「わたり温泉鳥の海(旧鳥の海荘)」も営業を再開。
荒浜地区ににぎわいを呼び戻すための核となるふたつの施設が、本格的な復活を迎えたのです。


3階建ての「きずなぽーと わたり」
「ふれあい市場」は1階に入居しています

さらに、2015年3月14日には、「きずなぽーと わたり」と「わたり温泉鳥の海」とを結ぶ中間地点に「にぎわい回廊商店街」も完成しました。

敷地面積は8500㎡。施設全体にアルミ製の大きな屋根(アーケード)が掛けられていて、真ん中を貫くメーンストリートには、雑貨店、自転車店、カフェ、居酒屋、海鮮丼などを提供する食堂など8店舗があります。
また、アーケードの下ではイベントなども開催可能です。

大屋根の下にお店が連なる「にぎわい回廊商店街」。
この日は晴れていたので外でイベントが行われましたが、
急な雨のときには、ここを会場として使えそうな広さです。
菊地さんは、こちらでカフェも経営しています。
「市場と温泉、そしてこの商店街とで協力しながら人を呼び込んでいきたいですね。また荒浜地区には、将来的には運動公園やパークゴルフ場なども造られる予定です。なんだかんだいっても、鳥の海はやっぱり亘理の観光の中心になる場所です」と菊地さん。

今は内陸の仮設住宅にいる元荒浜地区の住民の皆さんも「またきっと荒浜へ戻りたい」とおっしゃる方が多いそうです。
「やはりここが〝ふるさと〟なんです。戻ってくる人が増えて、また街ができて、〝なりわいとにぎわい〟がここに帰ってきたら、それが何よりもうれしいです」(菊地さん)

鳥の海ふれあい市場の野菜販売コーナー
こちらは鮮魚コーナーです。
朝獲りの野菜とぴちぴちの鮮魚が、
産地ならではのお値段で買うことができます
間もなく風薫る5月。GWも目の前です。

亘理町、山元町の名物料理「ほっきめし」は5月中旬まで。
「いちご狩り」は6月上旬まで。
そして市場には、初夏の旬菜旬魚がどっさり。

戻りつつある街のにぎわいの中へ、ぜひ足をお運びください。

(取材日 平成27年3月1日)

完全復旧! 仙台城跡石垣(仙台市)

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こんにちはエムです。

東日本大震災の地震とその後の余震によって石垣の崩落や変形などがあった仙台城跡で、復旧工事のために通行止めになっていた「市道仙台城跡線」が、去る2月25日に全線開通しました。
実に4年の歳月がかかった石垣等の復旧工事は、どのように進められたのでしょうか。

その詳細を知るために、仙台市教育委員会文化財課・仙台城史跡調査室に伺い、室長の渡部紀(わたべおさむ)さんにお話をお聞きしました。

関連記事
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平成26年6月26日 木曜日
青葉城趾・石垣の現状探索(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_26.html
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仙台城跡の石垣に「るーぷる仙台」はよく似合います
「今回の災害復旧工事は、文字通り “旧に” “復する” という方針で工事を行いました。
つまり平成23年3月11日の東日本大震災で崩れる直前の段階に戻そうというものでした」

この震災で被災した石垣は本丸北西、酉門(とりのもん)、中門、清水門、他に大手門土塀とその石垣など、広範囲に及んでいます。

特に本丸北西の石垣は、全長200メートルのうち3カ所で合計60メートルが崩壊し、他に変形した箇所などがあったのだそうです。

 解体調査が始まった「本丸北西石垣」。地震で崩落した部分がそのまま残っています
撮影:平成24年(画像提供:仙台市教育委員会)

「石垣は崩れた部分だけを積み直せばよかったわけではありませんので、変形した範囲で解体し、石垣の背後の『裏込め』から直す必要がありました」

作業はまず石の正確な位置を測定、測量をし、石に番号を振る作業から始まりました。

「崩れた石、解体した石は土を落とし、石の形そのものが分かるようにしました。そして崩れる前の写真と見比べて、石がもともとあった場所を特定していきました。
石の形や生えている苔などから特徴のある石が見つかると、その石の周りの石も特定しやすくなります。
石は1つが500キロ〜1トン位はありますので、ほぼ真下に崩れます。問題なのは上なのかの下なのかといった見極めですね」

渡部さんは言いましたが、それは難解なパズルのような作業だったのではないでしょうか。想像しただけで気が遠くなります。

整然と並ぶ番号を振った石垣(撮影:平成26年4月20日)

その後いよいよ石垣を積んでゆく作業ですが、それは石をクレーンで吊り上げ、1つ1つ石工さんの手によって積んだのだそうです。

「クレーン1台に対して石工さんは2人。補助的にもう1人加わることもありますが、基本的に少ない人数で手作業で行っていました」

本丸北西石垣。平成26年6月18日
現在の様子。平成27年4月13日
平成23年12月に開始されたこの事業は、平成24年7月から石垣の解体に着手。24年度内には解体が完了しました。
その後2年をかけて積み直しが行われたのです。
一番被害が大きかった本丸北西石垣だけでも約5,000石の積み直しがあり、重機は使っていますが、その大部分が手作業というのは驚きでした。

本丸北西石垣、南部。平成23年3月(画像提供:仙台市教育委員会)
解体された状態。平成25年3月(画像提供:仙台市教育委員会)
石垣も道路も復旧された現在。平成27年4月13日

「土木関係者や石工さんには、大変な作業をやってもらい、本当に感謝しています」

株式会社大林組が工事を請け負い、石積みを担当したのは中村石材工業株式会社です。
中村石材工業は、大阪城や姫路城などの石垣の修理を行ったことのある大阪の石材会社。城郭の石垣を修理する専門の石工さんがいるのだそうです。

クレーンで吊り上げた石を手作業で積む石工さん
(画像提供:仙台市教育委員会)

最終的な工事面積は約1,200平方メートル、積み直した石の数は約6,600石に及びます。

すっかりきれいに復旧された現在、あらためて石垣を見てみると、四角く切られた人工的な石もあれば、自然のままのような丸みのある石もあります。
それはどうしてなのでしょうか。

本丸北西石垣、北部
本丸北西石垣、中央部
酉門

「博物館にある記録によると、江戸時代から何回も地震があり、仙台城の石垣にも被害があったようです。
そのたびに部分的にあちこち修理をしていたようですが、今回のように番号などを付けて修理をしていたわけではなさそうですね。
もともと丸い石を使っていたけれど、修理をする段階で今度はもっと角張った石を使ってみようとか、そんなふうに江戸時代から現代に至るまでに石垣の修理を何回も何回もやってきたらしいのです。
修理した時代の違いが、石の使い方に明確に現れています。

今回の復旧事業ではそういった、我々が手を掛ける以前のいろいろな世代の(江戸時代以来の)石工さんたちが何回か修理してきた、見た目が違う様相をそのまま復元しました。
もうちょっと石垣を観察すると、いつ頃の時代に直したものなのか、これから分かってくるかもしれません」

この解体工事では、部分的にコンクリートを使うなど、現代のやり方で直した形跡が見つかりました。昭和に入ってから修理をしたようだと渡部さんは言いました。

しかし今回は国の史跡に指定されている大事な文化財であるという観点から、原則として江戸時代の工法、やり方で修復を行ったのだそうです。
一部分では崩落防止のための現代工法を取り入れているそうですが、大部分は積み上げているだけなのです。

復旧工事中の「清水門」(撮影:平成26年6月18日)
現在の「清水門」。江戸時代の地面は
石垣の根元くらいの高さだったと推定されるそうです
(撮影:平成27年4月13日)

伊達政宗公が築城してから約270年にわたり、仙台藩の政庁として機能していた頃……。お城には常にたくさんの人がいて、その中には石垣の管理をする部署もあったはずだと渡部さんは言います。

「明治時代以降、お城に人がいなくなると、手入れが行き届かなくて木や草が生えたりして石垣が痛みやすくなってます。
特に今は石垣の根足を削って、低い位置に道路ができていますね。基礎の部分を削ったということはあまり良くないのです。
また、石垣のすぐ脇を車が通っているので、かなり大変な環境のところにお城の石垣があるということですね」

なるほど。ちょんまげに羽織袴の時代は徒歩や馬で移動していたのですから、石垣にはあまり影響はありません。現在市道となっている仙台城跡線はひっきりなしに自動車やバスが通っています。

仙台城跡片平入り口付近。画像左の白い土塀と石垣は
平成24年7月〜平成25年7月にかけて復旧されました

「我々としてはせっかく直したので、長い目で経過観察をしていくことを考えています。
特に今回はコンクリートで固めたわけではなく、積んでるだけなので長い年月の間にはどうしても変形や歪みが生じると思います。
復旧にあたっては石垣のそばにあった木も、かなり切りましたがこれからも自然と生えてきますから……」

今回は大きな被害は無かった「本丸北側」の石垣

復旧工事が終わり4年ぶりに見た石垣は美しく、新しく造ったのかと見違えるほどです。

仙台城跡を訪れる際は、仙台市博物館のある三の丸から、ゆっくり歩いて登るコースがお勧めです。季節ごとに変わる景色と、さまざまな時代の石垣が楽しめます。
遠い時代に思いを馳せながら、現代の石工さんの手で再現された石垣を見に、ぜひおいでください。

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

仙台市中心部の観光スポットを巡るには「るーぷる仙台」が便利です。
一日乗車券(大人620円 小人310円)で、どこからでも乗り降り自由で乗り放題。
15~20分間隔運行しており、短時間で仙台の魅力を味わえるレトロな市営バスです。

詳しくはホームページを参照ください。
https://www.kotsu.city.sendai.jp/bus/loople/

(取材日 平成27年4月13日)

エコタウン実現を目指して~ 「南三陸BIO」の建設が始まりました(南三陸町)

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石野葉穂香です

3月25日、南三陸町志津川保呂毛地区にある旧志津川浄化センターの敷地内で、アミタグループ(本社・京都)が構想を進める「南三陸BIO(ビオ)」の建設工事安全祈願祭が行われました。

「南三陸BIO」は、南三陸町が進める「南三陸町バイオマス産業都市構想」の基幹施設です。

祈願祭は午前10時から、アミタ南三陸オフィスの皆さんと工事関係者が参列して始まりました。

建設工事が安全に進められるよう、土地の神様に祈ります
ご神職が土地の神様をお呼びして(降神)、土地に建物を建てることを神様にお伝えして工事の安全を祈り(祝詞奏上)、土地の四隅をお祓いして清め(四方祓)、鍬入れなどを行って(地鎮)、玉串を捧げ、神様を天へお送りし(昇神)、最後は御神酒をいただきました(神酒拝戴)。

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南三陸町の復興計画には「自然と共生するまちづくり エコタウンへの挑戦」が盛り込まれています。
「南三陸BIO」は、その一翼を担う施設。
町内の住宅や店舗などからでる「生ごみ」や「し尿」「浄化槽汚泥」などの有機系廃棄物を加熱・発酵処理して、メタンガスと液肥に分離する施設です。

ガスは発電や熱供給に再利用。
液肥は町内の農家に販売。

2015年秋に施設が完成し、稼働が開始されたなら、電気約22万kwh(年間)、液肥4500トン(同)が生み出される予定とのこと。

1世帯あたりの年間消費電力は3600kwhといわれていますので、22万kwhは約60世帯の1年分の消費電力に相当します。

生ゴミから発生したメタンガスの燃焼試験
また、液肥は、米づくりの場合、代かき前の田んぼ10アールあたり4~6トンを散布するとして、4500トンなら75ヘクタール以上に使えます。
1ヘクタールのお米の収穫量は、だいたい70~80俵(1俵=60㎏ 4200~4800㎏)ですので、6000俵(360トン)相当のお米づくりに資することになります。

もちろん、家庭菜園や町内会の花壇づくりなどの場面でも、良質な肥料となり、そして、畑や田んぼの新しい作物は再び生ゴミやし尿になって、また液肥に生まれ変わって・・・と、資源とエネルギーと産物が地域をぐるぐると回ります。

左からスタッフの日比谷愛子さん、リーダーの櫛田豊久さん、
京都から出張中のリーダの角新さん、スタッフの高橋あつみさん。
アミタグループは、南三陸町公式ブログ「南三陸なう」の取材と執筆もご担当されています。
「南三陸なう」 → http://minamisanriku-now.blogspot.jp/
アミタグループが南三陸町にオフィスを構えたのは、東日本大震災から1年目となる2012年3月11日。

社員の皆さんは、その11カ月前の2011年4月から南三陸町でのボランティア活動などを続けていました。

「そのときは、何かできることがあれば、まちの復興に少しでも力になれたらと考えました。募金活動を行ったり、ボランティアに来たり。9月までに全社員の4分の1が現地で何らかの作業を行ってきました」
と話すのはアミタ株式会社南三陸プロジェクトのタスクリーダー櫛田豊久さんです。

その出会いやご縁を大切にして、もっと南三陸の役に立ちたい・・・。
そして、町の復興計画の大きな柱である「エコタウンへの挑戦」へアミタは共感します。


ボランティアの様子
この出会いが事業展開へと続いていきます
2012年には環境省の「復興資源循環プラン」の策定・実証が行われました。
ごみの分別、異物混入除去作業、バイオマスデモプラントの設置、メタンガスの燃焼試験液肥の還元・・・などが実証されて行きました。

そして、2014年3月、南三陸町が「バイオマス産業都市構想」に選定されたことで、事業は本格的に動き始めたのでした。

環境省復興資源循環プランの策定と実証。
バイオガスデモプラントの稼働の様子です


また、アミタは「FSC® (Forest Stewardship Council® /森林管理協議会)」の森林認証審査サービスを提供する会社でもあります。

「FSC」というのは、森林の適切な管理方法と、その森林で育てられた木材製品の加工や流通プロセスを認証する国際機関。

地域の環境や社会に配慮された森林の管理や伐採が行なわれているかどうかを審査する「森林認証」を行っています。

南三陸町内の林業者グループは、この「森林認証制度」の取得により、木工産業の創出、職人の育成と雇用、流通などの基盤をつくり、「南三陸杉」のブランド力の向上と、ものづくり文化の再生を林業から目指します。

さらに南三陸町は、水産物の養殖業における国際認証である「ASC」の取得も検討中。

「FSC」認証が得られれば宮城県で初めて。
そして1つの町で「FSC」と「ASC」の2つの認証取得が実現すれば、これは日本初、ひょっとすると世界でも初めてとなります。


液肥を使った田んぼで水稲の栽培実験
「南三陸町のバイオマス産業都市構想が目指すのは『森・里・海・街の豊かさが循環するまち』。
バイオガス施設とともに木質ペレット事業も5年以内の具体化を検討中です。
林地や製材工場の残材、廃棄される菌床などからペレットを作り、公共施設などのボイラーで使ったり、家庭用ペレットストーブの普及を図っていきたい」(櫛田さん)




木質バイオマスエネルギーの実証調査業務。ペレットストーブの普及に務めています。
一昨年末の時点で約65台のペレットストーブが、町内で温かな炎を上げています
電気やガスが止まり、灯油が不足した東日本大震災。その教訓もあり、南三陸町は、復興計画の中にエコタウンへの挑戦を加えたのでした。

そこには災害に強いまちをつくるという未来像もあります。

ゴミも減らせる、雇用も生まれる、そして森と里と海と街の資源ポテンシャルを活かした産業の振興による「町まるごとブランド化」――

「地域に暮らす人たちが『南三陸町ってすごいでしょう』と誇れるまちをつくっていきたいです。社会の課題を事業で解決したい。それが私たちの会社の、南三陸町での仕事であり、『使命』と考えます」(櫛田さん)

南三陸町バイオマス産業都市構想の概念図。
森と里と海と街の豊かな資源が地域を循環します


バイオガス施設の完成により、まずは里と街が繋がれることになります(上図ピンクのライン)。
「豊かさが循環するまち」づくりが、いよいよ本格スタートです。

(取材日 平成27年3月25日)

交通規制の情報(石巻市・女川町)

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こんにちは、Chocoです。
ゴールデンウィークに入り、石巻近隣を運転する車やバイクも県外のナンバーが多くなってきています。
街では、家族連れや友だち、リュックを背負って歩く人やカメラ片手に散策している人もみられます。

そんな街の中や、通る道路では、現在も復旧工事が進められています。
今回は、訪れる人が多い3カ所の交通規制についてお知らせします。
ーーーーーーーーーーー
【石巻市南浜町】
南浜町は、石巻の街並みを見下ろせる標高約54メートルの日和山や被災に遭った門脇小学校や亡くなられた方々の慰霊碑などがあり、多くの人々が震災のことを深く知ることができる場となっています。
門脇小学校は、校舎に覆い被されています。
石巻中心街から南浜町、日和大橋を経由して女川街道(国道398号)へ続く県道240号線の区間で造成工事のため、一部通行止めになっています。
左側には、日本製紙 石巻工場があります。
石巻駅から宮城県道240号を南浜町へと進むと通行止めの案内板が置かれています。

駅方面からの南浜町 の入り口から通行止め区間が始まっています。
日和大橋に続く沿岸沿いの道路に出る場合は、Y字路を右折
門脇小学校へ行きたい場合は、左折します。
迂回路の道路
現在、門脇小学校正面のT字路から「がんばろう!石巻」看板付近まで造成工事のため通行止めとなっています。
門脇小学校正面
県外からくる人々が多く訪れる「がんばろう!石巻」の看板前には
鯉のぼりが空をすいすいと泳いでいます。
迂回路で門脇小学校や「がんばろう石巻」へと行くことができます。
標識に従って走行してください。

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【女川町国道398号バイパス】
女川町でもきぼうのかね商店街と女川港につながる鷲神浜周辺では、バイパスのかさ上げ工事のため、一部通行止めとなっています。
通行止め区間
5月8日午前10:00からはさらに通行止めが拡大されますが、
国道398号線は走行することができます。
迂回路があるので、標識に従って進んでください。


【女川町清水地区】
以前、ココロプレスで紹介した、カラフルですてきな雰囲気のホテル女川町トレーラーハウス 宿泊村EL FAROがある清水町でも交通規制があります。
女川町トレーラーハウス宿泊村EL FARO
http://elfaro365.com/index_pc.php
国道398号から左へ曲がる道路(大原本通線)は以前、EL FAROがある清水町や町役場、運動公園などへとつながっていましたが、今年の3月23日からかさ上げ工事に伴い通行止めとなっています。
          

清水町への迂回路は、女川駅前の道路です。

また、国道398号と清水本通線の交差点信号付近にある復興まちづくり情報交流館は、通常通り営業をしています。
ここでは、女川町の歴史や現在の復興状況などを実際に写真などを見たり、聞いたりすることができます。
復興まちづくり情報交流館
http://www.onagawa-info.com/

他にも片側交互通行などの交通規制がところどころにあります。
また、道路状況もよくないところもありますので、運転手の皆さんは、安全運転を心掛けてください。

日和山からみた内海橋周辺

ゴールデンウィークも晴れの日が続きます。
各地でイベントも行われていますので、
ぜひ、石巻地域へもいらしてください。

(取材日 平成27年5月1日)

秘境が広がる奥松島を回る魅力的な遊覧船(東松島市)

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こんにちは、Chocoです。
東北にも春が訪れ、とても暖かい日が続いています。
山にも若葉が広がり、森の緑と海の青がより一層美しさを増しています。

以前、女川から石巻雄勝にかけての桜のドライブコースを紹介しましたが、
今回は、海上から見る島々を満喫できるおすすめの遊覧船を紹介します。
東松島の西側にある海岸一帯の野蒜(のびる)地区とその隣にある陸繋島の宮戸島一帯を奥松島と呼びます。
そこに、日本三大渓の嵯峨渓を巡る奥松島遊覧船があります。

今回は、遊覧船を運営している(株)奥松島公社の支配人 藤原光男さんからお話を伺いました。
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「船でめぐるあこがれの時 奥松島遊覧船」
奥松島遊覧船
「日本三景・松島から東に位置する奥松島は、景観や海産物の豊富さも松島に引けを取らない観光名所!」
奥松島遊覧船の最大の魅力、嵯峨渓(さがけい)は、岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬渓と並ぶ日本三大渓の1つが奥松島の嵯峨渓なのです。
太平洋の荒波によって岩肌が少しずつ削られてできた断崖絶壁は、まさに神秘的なものです。
 自然の力で 島の形が変化しており、あるところは、象の形をしていました。

 またあるところは、ライオンがリラックスして座っている姿にも見えます。(左が頭)

奥松島の遊覧船は小型船なので、島々をより間近で見られるのも魅力のひとつです。
そして、島や岩で羽を休めている海鳥も見ることができます。
海鵜(うみう)
海辺で細くて真っ黒な鳥が海中へ潜って行く姿を頻繁に見ました。
初めて見たときは、「えっ、何?!」と思いました。
そして今回、この鳥の名前を知りました。
日光浴している姿もとてもかわいかったです。

また、東日本大震災後、津波によって変形した島や断崖も多くありました。


また、震災で壊滅的被害を受けた野蒜地区の現状を実際に海の上から目の当たりすることとなりました。
野蒜地区と宮戸島を結ぶ橋も被災し、仮の橋が隣に作られています。
野蒜海岸にある防波堤
震災により決壊したままです。
約60分で回る景勝地、嵯峨渓をめぐる船旅へご案内する遊覧船は、新旧2種類あります。
私が乗ったのは、4月20日に 就航したばかりの新遊覧船「嵯峨みらい」です。
椅子式で、窓の枠が広くなり日差しも入り、見晴らしの良い船内です。
定員は20名と、 もう1種類の旧型船「第二嵯峨・第五嵯峨」よりもひと回り大きな作りになっています。

震災前から奥松島の魅力を利用者に案内し続けているベテラン旧型船が「第二嵯峨・第五嵯峨」です。
それぞれ定員17名で、船内はお座敷タイプです。
現在は、2隻ですが、震災前は、第一、第二、第三、第五の4 隻ありました。
津波の被害に遭い、陸に乗り上げていた「第二嵯峨」「第五嵯峨」2隻を修復して震災後、2013年10月に遊覧船が再開され、海上で再び活躍しています。
「嵯峨みらい」、「 第二嵯峨」「第五嵯峨」計3 隻の遊覧船で、同時に 約50名が利用できるようになり、団体客の対応もできるようになりました。

そして、船舵をとりながら、ツアーガイドをするのは、地元の元漁師の船長さんです。
魅力的な浜訛りで、海の謎、渓谷の謎など、わかりやすくひもときながら嵯峨渓を案内してくれます。
それだけでなく、元漁師ならではの漁業の話や今の時期に養殖しているものなど、その都度教えてくれます。

私も船長のおかげで、まだまだ知らない事だらけで、絶景を見ることができるだけでなく、海のしくみや奥松島の歴史などを勉強することができました。

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震災前、野蒜沿岸部の最寄りの駅である野蒜駅から海岸までのサイクリングロードが広がり、自転車のレンタルもされており、ツーリングを楽しめる環境も整っていました。
現在はかさ上げ工事、防波堤の建設が進められている奥松島も、以前は、最大時で年間3万人が訪れる人気の観光地でした。
海辺では野蒜海水浴場、潮干狩りが楽しめる、まさに行楽地でした。
また民宿も30軒以上もあり、観光客も多く奥松島を訪れたと言います。


海岸から1キロ離れた場所にあり被災した野蒜駅も現在は新たに約500メートル内陸に作られ、今年5月末には仙石線前線開通される予定です。
仙石線
海水浴場と松林が広がっていた野蒜地区も高さ7メートルほどの防波堤が作られ、野蒜の沿岸側全体でかさ上げ工事が進められています。
左側が旧来からの防波堤
海辺に並ぶ民宿も被害が大きく、再開の目処が立っていない、もしくはやむなく廃業してしまい、再開できているのはわずか9軒です。

2013年10月に再開した奥松島遊覧船の桟橋も震災前は野蒜海岸の近くにありましたが、震災で大きな被害を受け、宮戸島へと移設されています。
震災の影響もあり、奥松島の観光復興にはまだまだ時間がかかります。

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「ネットで検索していたら、奥松島のことがでてきて、
松島よりも秘境の奥松島にきました」
私と一緒に乗船した2人の若者は、千葉から休暇を利用して宮城県へ来ていました。
その最終日に仙台から奥松島を訪れたそうです。
「本当に来てよかったなと思いました」
下船した時にお2人は語ってくれました。
私も初めての乗船でしたが、充実した60分でした。

奥松島遊覧船、
浜の男気ある船長さんたちがみなさんを魅惑的な嵯峨渓へとご案内してくれます。
ぜひ、家族と、友だちと奥松島へ行ってみてはいかがでしょうか。
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奥松島遊覧船 ※3名以上の利用者があれば随時出航
【案内所営業時間】8:15〜17:00(年中無休)※定員 になり次第出航
  始  発・・・通年8:45
      最終運航・・・4月〜9月16:00、10月〜3月15:00
       ※荒天の場合、運航見合わせとなりますので、当日お問合せください。
【乗船料金】嵯峨渓コース(60分)大人2,000円 子供1,500円
      ※未就学児は無料。
       団体割引あり(要予約)20名以上〜

【お問合せ】奥松島遊覧船案内所 
                  宮城県東松島市宮戸字深海地内
                  0225-88-3997
      ※運航状況、予約状況など事前に電話で確認することをお勧めします。
      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                  運営主体(株)奥松島公社
      宮城県東松島市小野字新宮前5(東松島市役所・鳴瀬庁舎内)
      0225-86-1511
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(取材日 平成27年4月27日)

【5/10開催】青根温泉から花で笑顔と心をつなぐ「花つな」(川崎町)

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こんにちは、YMです。

5月10日に川崎町青根温泉・じゃっぽの湯で「花つな」が開催されます。
震災以降から始まったイベントで、今年で3回目となります。

「震災で大きな被害を受けた皆さんに青根温泉からを通じて、笑顔と心をつなげていきたい」という想いを込めて「花つな」と名付けられたこのイベント。
イベントではクリスマスローズや季節のお花がもらえるビンゴゲームのほか、ガイド付きの青根自然の森公園散策、川崎町産寒ざらしそば無料試食会(そばがなくなり次第終了)などがあります。

クリスマスローズ

イベントのメインの花はクリスマスローズ!
花言葉は「追憶」「慰め」「不安をやわらげて」といいます。震災からの復興、そして再生を願うとともに、青根温泉を「花の温泉」として活性化させようと、青根洋館前など温泉街の各所にクリスマスローズが植えられていますので、ぜひ足を止めて眺めてみてください。

自然の森公園散策では、里山のプロが青根の自然を案内してくれます

以前紹介したみちのく公園の「スイセンフェニックス」と同様、花のまち・川崎町らしい素敵なイベントです。
新緑が芽吹き始めた青根の自然の中でのんびり心をリラックスさせてみませんか?

==こちらも読む==
 川崎町から被災地へ羽ばたくフェニックス (川崎町)(2015年4月20日 月曜日)
 http://kokoropress.blogspot.jp/2015/04/blog-post_20.html

イベント情報
青根温泉じゃっぽの湯「花つな」
■日にち:5月10日(日)
■場所:青根温泉 じゃっぽの湯(柴田郡川崎町青根温泉9-1)
■時間:
9:20~ 散策の受付開始(散策の整理券配布)※先着50名
9:30~ 自然の森公園 散策、川崎産寒ざらしそば試食会の整理券配布開始
11:00~ 川崎産寒ざらしそば試食会(なくなり次第終了)
(※寒ざらしそば限定販売もあり)
12:00~ ビンゴゲームの整理券150名様分配布開始
13:00~ ビンゴゲーム(150名様) クリスマスローズ他、季節のお花のプレゼント
■お問合せ:TEL 0224-87-2188(じゃっぽの湯)

■詳細は「じゃっぽの湯」公式HPへ
http://www.jyappo.jp/event3.html

(取材日 平成27年5月1日)

地域の絆と文化は神社から~大崎八幡宮復興支援(仙台市、石巻市)

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こんにちはエムです。

今年(平成27年)3月28日。石巻市雄勝町大浜地区に鎮座する葉山神社で、御社殿・上棟記念奉祝祭 が行われました。

上棟祭とは一般の住宅でも行われている “棟上げ” または “建前” と呼ばれている儀式のことですが、神社の新築事業をこの目で見られるのは珍しいばかりか、そのようなめでたいお祝いに立ち会える機会は一生の中でもめったにありません。

新しい葉山神社御社殿に使われている木材は青森ヒバ。
100年以上建物が持ちこたえるためには樹齢200〜300年
直径70〜80センチメートルの大木が必要なのだそうです

仙台市の総鎮守、国宝・大崎八幡宮が行っている「東日本大震災復興支援・沿岸部神社復旧復興支援活動」についてココロプレスで何度かお伝えしていましたが、葉山神社の再建事業は、その第一号となるものです。

大崎八幡宮ではこの再建にあたり、八幡宮技師である波岡平八氏(有限会社波岡建築設計室)指導のもと、地元建設業者や八幡宮職方会による「移転用地の造成工事」「第一次外構工事」「社務所建設工事」「御社殿建設工事」など、小野目博昭宮司の人脈を生かし、約2年にわたって全面的な協力をしてきました。
中でも特筆すべきは建築木材の提供です。
小野目宮司自らが現地で入札した青森ヒバの原木を、八幡宮所有の製材所で製材したものが使われているのです。

関連記事
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平成26年2月20日 木曜日
神社は地域の「絆」〜被災神社復旧復興支援活動〜(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2348.html
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平成26年5月7日 水曜日
大崎八幡宮〜復興支援・視察旅行[行程編](仙台市、石巻市、女川町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_8376.html
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葉山神社は東日本大震災の大津波により御社殿が全壊、社務所の流出など、壊滅的な被害を受けました。
大崎八幡宮では、神社の再建を望む葉山神社宮司の千葉秀司氏や神社関係者、地域の皆さんの声を受け、当時伝統民族芸能の保護に力を注いでいた日本財団に支援を依頼。
平成25年4月に日本財団の再建支援が決定されました。

そして平成25年6月19日の起工式の後、元の位置より10メートル高いに境内地を設けるため、隣接の山の造成工事が始まりました。
平成26年12月には社務所の大部分の工事が終了。今年2月からは本格的に御社殿の建築が始まり、この「上棟記念奉祝祭」を迎えるに至ったのです。

ツアーの参加者に被災地のガイドをする大崎八幡宮宮司の小野目博昭氏

大崎八幡宮では上棟記念祭参拝のツアーを企画し、仙台市から約50名が参加しました。

晴天に恵まれた青空の下、葉山神社の境内には遠くの仮設住宅などで暮らす地元の皆さんや、仙台市や他県からの参加者など、約300人が集まりにぎわいました。

目の前の雄勝湾で養殖した新鮮なホタテ貝を焼いたものや焼きそば
豚汁やミニたいやきなどのお店の出店でにぎわう会場
地元で漁師をしている方や、食堂を経営している方の出店もありました。
現在大浜地区でもホタテ・ワカメ・シャケなどの養殖を再開しており、漁獲量は震災前と同じくらいに戻ったとのこと。雄勝町立浜地区にある仮設住宅や、町外の仮設住宅から通って漁をしているそうです。

また、雄勝町名産の「雄勝石」に願いを刻み奉納するテントも設けられていました。

「おがつこいし」に願いを刻む参加者
雄勝町の復興を祈る言葉が多く刻まれていました
葉山神社の御社紋の入った石の裏に、葉山神社と雄勝町の復興に対する思いや願いを刻み奉納するのですが、全て神社の敷石となるのだそうです。



午後1時過ぎ、まずは国指定重要無形文化財「雄勝法印神楽」が奉納され、たくさんの人が見守る中、「上棟祭神事」が粛々と進行しました。

葉山神社宮司、氏子、同じ支部で他の神社の宮司
来賓の皆さんによる神事が執り行われました
「降神」「修祓」「祝詞奏上」「玉串奉納」などの神事が行われました

神事の合間合間には御社殿の隣に設けられた舞台で、雄勝法印神楽が奉納されました。
演目は予定より1つ多い、「道祖」「五矢」「魔王退治」「日本武尊」。

小野目宮司がこだわる「神様の前でやるからこその神楽」。 “魂が込もった本物の神楽” が目の前で行われていました。

関連記事
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平成26年5月22日 木曜日
桜の舞台で舞を奉納(石巻市雄勝町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_422.html
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そして終盤にはみんなで参加する儀式、「曵綱の儀」が行われました。
2本の綱で棟木を引き上げる儀式。「エイ、エイ、エイ」と
声を掛けて引っ張ること3回繰り返します
「ありがとうございます。無事に棟木が上がったようです」

続く「槌打ちの儀」では、棟木を棟に打ち固めるような木を鳴らす心地良い音が境内中に響きました。
「無事に棟木が打ち固められたもようです」

そして終わりには参列者の皆さんが心待ちにしていた儀式、「撒餅・散銭の儀」が行われました。
関係者により、紅白のお餅や紙に包まれたお金などがまかれました
餅、銭を散じ禍を払う儀式。一般住宅でも行われますが
仙台市では最近はあまり見かけない気がします

葉山神社の若き宮司、千葉秀司氏と息子さん
葉山神社の千葉宮司にお話をお聞きしました。

「東日本大震災では社殿も、祭りの道具も流出してしまいました。
当初は祭りが再開できるのがこんなに早く訪れるとは思わなかったし、ましてや社殿の再建がこんなに早くかなうと思っていませんでした。それがまず何よりうれしいことです。

それらがかなうことによって、お祭りや再建事業では本当にたくさんの方が集ってくださるので、それがありがたいです」

= = = = = = = = = = = = = = = = =

「願いを書いて奉納された『おがつこいし』を本殿の周りに敷き詰めます」

雄勝硯生産販売協同組合製造管理部長の髙橋頼雄さんの説明によると、雄勝石は上棟記念として500個用意したそうですが、この石自体、震災で被害を受けた家屋で使っていたものなのだそうです。
「もったいないので譲り受け、こうして使っています。他にも硯などの製品に加工しています」

髙橋頼雄さん

また、漁業を再開した皆さんからもメッセージをいただきました。

大浜地区の再生支援に感謝いたします! 大浜地区一同

雄勝法印神楽の演目「五矢」では、舞いながら5本の矢が放たれます。その1本を手にしたのは大崎八幡宮のバスツアーに一緒に参加した方でした。
お話をお聞きすると地元雄勝町の方でした。しかも、かつて法印神楽のお面を作っていた方だったのです。

「現在は仙台市内の仮設住宅に住んでいます。
葉山神社の上棟祭があることを知って参加し、見に来ました」


朝8時半に出発した「上棟記念祭参拝」のツアーバスが大崎八幡宮に到着したのは夜の7時。
雄勝町は仙台からは少し遠い場所ですが、参加した皆さんは疲れも見せず、むしろ清々しい笑顔で帰っていきました。
参加した皆さん(有志)

大崎八幡宮職員の皆さん。
前列の3人はこの4月から巫女として勤めています

小野目宮司が言いました。
「雄勝町では6割以上の方々が地元を離れざるを得ない状況があります。
町民の皆さんの『ふるさとかえり』の一助になるのは『神楽の伝承』や『地域の伝統文化の継承』です。そのためには、その中心となるべき葉山神社の再建はぜひとも完遂させなけばとの強い思いから支援・協力を実施してきました。

葉山神社の御社殿は本年秋の竣工に向けて工事が進められていきますが、来年のお正月には青森ヒバの香りも清々しい、真新しい御社殿に多くの方々が初詣されることを祈っております」

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大崎八幡宮が行っている「沿岸部神社 復旧復興支援活動」では引き続き「被災神社再建支援金」を募集しています。
沿岸部被災神社の再建のため、皆様の温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

「被災神社再建支援金」は郵便振込または直接「大崎八幡宮」までお願いいたします。

〈郵便振込〉
加入者名 大崎八幡宮(震災支援金)
口座記号 02250-0
口座番号 49188


大崎八幡宮
〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1
電話 022-234-3606
FAX 022-273-1788
http://www.oosaki-hachiman.or.jp/index.html

葉山神社
〒986-1302 宮城県石巻市雄勝町大浜字大浜6-2
電話 0225-58-3355
FAX 0225-25-7359
mail ishimine926@blue.ocn.ne.jp
http://isono-hayama.blogspot.jp/

(取材日 平成27年3月28日)

子どもたちが盛り上げる神楽(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
ゴールデンウィーク真っ只中の5月3日、
石巻市十三浜の大室小室漁業共同作業場で、大室南部神楽保存会主催の「第2回きたかみ春まつり」が開催されました。
会場となった十三浜大室は、石巻の中心街から車で約1時間、石巻市北上町十三浜の中の1つの浜です。
十三浜は、名の通り13の浜の総称です。
(相川浜、追波浜、小滝浜、小泊浜、大指浜、小指浜、
白浜、立神浜、月浜、長塩屋浜、大室浜、小室浜、吉浜)
地元の大室南部神楽や白浜獅子舞、雄勝町の伊達の黒船太鼓、女川法印神楽、栗原市の中野神楽、岩手県一関市の下大籠神楽の演舞や、地元大室出身の演歌歌手 辰巳幸次郎さんや世界各地の被災地で支援を行っているチンドン楽団のソウル・フラワー・モノノケ・サミットのパフォーマンスもありました。
昨年の春まつりで再開した白浜獅子舞は、勢いのある獅子が会場を回り悪魔祓いをしました。
獅子に頭を噛んでもらうとその年は風邪をひかない、頭が良くなる、と言われています
中野神楽(栗原市)
大室南部神楽(十三浜)
伊達の黒船太鼓保存会(雄勝町)

舞台の外では、十三浜の浜の味や東京から駆けつけた生活クラブの露店などが並び、おいしい海の幸やつきたてのお餅などを食べることができ、丸一日楽しめる盛りだくさんなイベントでした。
露店もとてもにぎわっていました。

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午前9時半。
霧がかかり神秘的な中、「第2回きたかみ春まつり」が始まりました。

神楽幕が飾られた真新しい舞台は、日本財団と生活クラブ(東京)等からの援助で作られた移動式舞台です。
今回のまつりが、こけら落としとなりました。
舞台のお清めが終わり、第2回目となる「きたかみ春まつり」を開催しての想いを大室南部神楽保存会の佐藤利喜夫会長があいさつをしました。
「震災以来、地域の人々は散り散りになり暮らしております。
この催し物で、地域に帰ってくるきっかけになればという想いもあって、第2回目を開催いたしました。
神楽の後継者の子供たちも8人に増え、今回も3演目を披露してくれます。
『今日はここに来てよかった』と思える、楽しい1日であることを願っています」

佐藤会長が願った通り、会場は地元の美しい伝統芸能を堪能した人々の笑顔であふれていました。
中でも子どもたちの演目は、会場をパッと明るくしてくれました。
下は小学1年生から上は中学3年生までの8名が演舞しました。
舞台袖で静かに見守っていた保存会の方たちも、
子どもたちが堂々と舞う姿に感動していた様子でした
小学校高学年から中学生の女性4人の演舞は、
しなやかでとてもきれいでした

子どもの演目の時は、投げ銭の飛ぶ回数がドッと多くなっていました
神楽の若い後継人8名の子どもたちと最後の演目で一緒に演舞したのは、
北上町に魅了され神奈川から移住したという
杉原たかし(通称:マイケル)さん。
今回が初舞台です
観客の皆さんは温かな眼差しで子どもたちの晴れ舞台を見守っていました。
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「練習は30回くらいしました。家でもしていた・・・」
と語るのは、子どもたちの先陣を切って独り舞台に立った小学2年生の佐藤ゆうへいくんです。
立派な演舞を見せてくれたゆうへいくんと、
影で見守っていたゆうへいくんのお母さん
ゆうへいくんが演じた役(翁)は、大室南部神楽保存会史上最年少だったそうです。
長いセリフの祝詞をあげ、見事な舞を見せてくれました。
最後の見せ場、全身をのけぞらせる「車扇」を披露
「楽しかったです。これからも続けたい!」
と笑顔で話してくれました。
100年以上伝承されてきた大室南部神楽は、各々の漁が忙しくなり活動が途絶えてしまいましたが、それから15年後の2013年5月4日に復活することができました。
伝統芸能の継承と、震災で散り散りになった地元の人たちが集える機会をつくるためにと再び人々が動き、大室南部神楽は再び息を吹き返したのです。

ゆうへいくんは、去年の春まつりでお父さんや地元の人たちが演舞する神楽を観て、自分もやりたいと思ったそうです。
「お母さんは神楽やってないから、明日からお母さんも始めてね」
ゆうへいくんは、お母さんにまで神楽を勧めていました。

伝統芸能を継承することで、普段離れて住んでいる地元の仲間のつながりや地元愛が深く強くなります。
今回演舞した子どもたちが練習に磨きをかけ、来年この時期にまた披露してくれます。
そして、他の地域の神楽や太鼓、獅子舞なども見ることができるでしょう。

地元の誇りを見ることができるのもまた、郷土芸能の深い魅力です。
演舞する人も来場者もそれぞれが持つ地元愛が集まる「きたかみ春まつり」
来年の「第三回」が楽しみです!!


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大室南部神楽保存会
http://www3.hp-ez.com/hp/omurokagura/page1
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(取材日  平成27年5月3日)

未来の南三陸町へ! 美しいツバキの花を!~東日本大震災から1500日を見つめた人たち~その3(南三陸町)

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こんにちは。kaiiです。
東日本大震災から8カ月後の平成23年11月に初めて南三陸町へ行った時の衝撃は今も忘れることができません。
震災から1500日。町は大きく変化しています。
町内に自生するツバキを軸にしたまちづくり「南三陸椿ものがたり」の活動を続ける工藤真弓さんに、震災から1500日を振り返って感じていることを伺いました。


南三陸町に自生するツバキの花


質問1)東日本大震災が発生してから1500日がたちました。南三陸町や登米市の仮設で感じてきたことはどんなことですか。

狭い仮設住宅で暮らすというマイナスイメージの報道が多い中、長屋式の仮設住宅の様式が、昔ながらの「つながり」や「助け合い」を生みだしているという、もうひとつの側面を多くの仮設住宅で感じます。
ご飯やお惣菜をお福分けしたり、菜園の野菜の出来を楽しみに仮設内を散歩したり。その風景には震災前の暮らしの片鱗が垣間見えます。
阪神・淡路大震災を経験した方に「仮設住宅とはいえ、今を生きる町である」と教わっていましたが、その通りだと思います。
仮設住宅での生活は、いままでの暮らしを見直す機会にもなりました。
「暮らしの原点」に立ち返る意味で、仮設住宅での生活は、私たちに、たくさんの「気づき」を与えています。

質問2)1500日を経て変化したと感じることはどんなことですか。

1.行政と住民の対話の質に変化を感じます。

この1500日の積み重ねのなかで、震災以前には構築されていなかった官民の連携がようやく軌道に乗り始めているように思います。
震災前のリーディング・プロジェクトであった、「協働のまちづくり」が、実現に向かう機運が高まっています。

*リーディング・プロジェクト=事業全体を進める上で核となり,先導的な役割を果たすプロジェクトのこと

2.町並みの変化を感じます。

歴史的なラインが消え、新しい町並みのラインに戸惑う住民も多いようです。

3.自分自身の果たすべき役割の明確化

震災後、自分自身の果たす役割について考え行動しています。
前記のように、復興の過程で消えてしまう可能性のある南三陸町の歴史や文化の香りを、「未来への橋掛かり」として後世に残す活動をすることです。
震災後1500日間の活動を通じて、たくさんの人たちと意見交換しました。
活動する中で、「なつかしい未来」をつくらなければならないという自覚にたどりつきました。

質問3)工藤さんが取り組む「南三陸椿ものがたり」について教えてください。

南三陸町に住む高齢の女性の一言をきっかけに、平成25年から活動を始めました。
「塩害に強いツバキをまんなかに置いた、種から始める、ものがたり復興」です。
大津波にも負けなかったツバキの根の強さに生き方をならおうというものです。


「小さなタネをゆっくりゆっくり育てています」
南三陸椿ものがたり復興
工藤真弓さん

「南三陸椿ものがたり」は、ツバキの避難路をつくることを大きな目標を軸にしています。
防災教育、地域おこし、防災観光、生涯学習などの切り口で、南三陸町に昔から自生している「ツバキ」でできそうな「まちづくり」をしています。
まず、構想を紙に描き、季節に合わせて、ツバキのお茶会、ツバキの種拾い、紙芝居、ポット苗つくり、テーマ曲、グッズ販売、ツバキのお花見バスツアー、ツバキ油の活用などに取り組んでいます。

ツバキのバスツアーの様子
写真提供:工藤真弓さん


折々に、町内外の子どもから高齢者までが参加しています。

「ものがたり復興」は、1ページ1ページ、物語を実現していく中で、活動に関わった人が登場人物になれるのが楽しいところです。
活動開始から3年目の今年の春には、2年分の絵巻物が完成しました。

「南三陸椿ものがたり」の事業主体は、「一般社団法人復興みなさん会」です。
助成金を活用して活動を継続しています。

質問4)南三陸椿物語の展望を教えてください。

ツバキの避難路をつくるためのツバキの苗木代を捻出するために、「椿の切り絵はがき」「椿のブローチ5色」「椿油(限定)」を販売しています。


仮設住宅に住む女性たちの手作りの「椿のブローチ」
500円で販売されています。
外国人観光客にも人気です
写真提供:工藤真弓さん

ツバキのはがきとブローチは、南三陸町外に暮らしている40代から70代の女性10人が集会所に毎週1、2回集まって製作しています。


ツバキの苗木代を捻出するため
「椿の切り絵はがき」(4種類4色)を120円で販売されています
写真提供:工藤真弓さん


今後は、20代30代の女性にも、ツバキグッズの製作を通じて「南三陸椿ものがたり」を広めてゆきたいと思っています。
未来を担う子どもたちとは「椿の紙芝居」を通じて、三陸沿岸の女性たちとは、「ご縁ツバキの避難路つくり」を物語の中で展開していければと思っています。

「南三陸椿ものがたり」は、ツバキの避難路をつくることを大きな目標にしています
塩害に強いツバキの苗を大切に育てています
写真提供:工藤真弓さん

質問5)南三陸町がどんな町に復興してほしいですか。

なつかしい場所が町並みの中に刻まれているような町に復興してほしいです。
自然、歴史、地名、文化をもう一度見直し、学び、意識して活かしてゆくことで実現すると思っています。

質問6)東日本大震災から1500日。東北の被災地で生きる人たちに伝えたいメッセージをお願いします。

「自然の形に添うて生きゆかねばならないということ」を私は大震災で学びました。
しかし、復興は、人のために自然をかえるということを多くの場面でしています。
その矛盾を生めるよう、少しでも、それぞれが「自然の営みから学ぶ復興」を果たしてゆければいいです。

春にきれいな花を咲かせるツバキは
沿岸地域に多く自生しています


東北の大地に根ざしたような復興を。

質問7)工藤さんは登米市の仮設住宅で生活していますね。
仮設住宅で生活する人たちの抱える問題などについて伝えたいことがあれば教えてください。

町外に仮設住宅が建てられていることから、ふるさととの距離が、ふるさとに帰るという心を離れさせてしまっていることが残念です。
震災から4年の間に、南三陸町から3000人が登米市に移住しました。
「平地で便利で安心」という仮設住宅の環境の良さが「高台で新しく暮らし始める」という、ふるさとの暮らしのビジョンを消している現状です。

それぞれに思いがあるので一概には言えませんが、定期的に町と協働で正しい情報交換ができる場をもっと作りたいと思っています。

=========================
工藤さんのお話を聞きながら、ツバキで沿岸各地の人たちの交流が進んでいくことを願いました。


(取材日 平成27年4月13日)

笑顔とグルメがいっぱい! ~ 東北風土マラソンが開催されました (登米市)

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石野葉穂香です。

4月下旬の宮城県は1週間も快晴の空が広がるという爽やかな陽気に包まれました。
桜前線は特急で通過してしまいましたが、釣られるようにたくさんの花木や野花が一気に咲いて、眩しい空の光の下、色とりどりの花色をほとばしらせています。

4月26日。
登米市にある長沼フートピア公園で、先年に引き続き第2回目の開催となる「東北風土マラソン&フェスティバル」が開催されました。

オランダ風車が目印の長沼フートピア公園。
眼下に長沼、彼方に栗駒山が望まれます

会場である長沼を2周する42.195㎞のフルマラソンと、1周21㎞のハーフマラソンの2つのコースがあります。
実は、宮城県で唯一、フルマラソンの設定がある大会でもあります。

でも、何よりもこの大会をユニークなものにしてるのは、コースの途中11カ所に設けられた給水所に、東北地方のおいしいものがズラリと並んでいること。

風の匂い、土のぬくもりを感じて走るマラソン大会でもあり、そしておいしい産品を味わいながらの「Fan Run(楽しく走る)」でもあり。
そう。「フードマラソン(Food Marathon)」なのです。

楽しんで走る。それがこの大会のいちばんの主旨
赤ワインで有名なフランス・ボルドーのメドック地方では、ワインを楽しみながら走る、有名な「メドックマラソン」というマラソン大会が開催されています。
酒とグルメと走りを愛するランナーたちが、世界中からやってくる有名なイベント、というかフェスティバル。

「東北風土マラソン」は、メドックマラソンの企画協力を得て始められたもの。
東北地方の食材と日本酒を世界中に向けて発信する「グローバル・ファンラン」を目指しています。

芝生の公園は寝ころんでもよし、・・・踊ってもよし!
この日、補給食として用意されていたのは・・・
ミニトマト、きゅうり、蒸しホヤ、笹かまぼこ、ふかひれスープ、わかめの味噌汁、野菜ムース、、あんかけあぶら麩丼、ほたて、あらびきソーセージ、お漬物、わかめ餃子、マドレーヌ、りんご、いちご、シャキシャキめかぶ、冷そば、山ぶどうゼリー、登米産牛サイコロステーキ・・・など26品。
そして補給水は「一ノ蔵」「澤の泉」「真鶴」「綿屋」など宮城の名醸蔵の仕込み水。

「おみず、どーぞぉ!」
さらに、メイン会場の長沼フートピア公園では、ご当地グルメを提供する48店がお店を出して、来場者の投票でおいしさと人気を競う「登米フードフェスティバル」も行われ、そしてステージイベントやコンサートも盛りだくさん。
ランナーばかりでなく、多くの人たちが来場し、チューリップや八重桜、そして春の風と光とおいしい味覚を楽しんでいました。

丘の上には満開のチューリップ
「サンプラザ中野くん」が会場を盛り上げてくれました。
歌はもちろん「Runner」!





つい駆け出したくなる陽気でした

八重桜の花色に包まれて走ります
















  










会場で、この大会の運営に携わる、お二人の方にお話しを伺いました。
スタッフとして沖縄県から参加された山崎麻子さん。
そして、記録担当として兵庫県からやってきた佐野雄希さん。

実は、お二人は、昨年まで南三陸町にいらっしゃいました。
山崎さんは「社会貢献共同体 ユナイテッドアース」のメンバーとして、南三陸町で被災者支援などに活躍してきた方です。
佐野さんは、同じくユナイテッドアースの南三陸での活動を記録するプロのカメラマンとして、長く南三陸町に関わって来ました。

なお、ユナイテッドアースは、東北風土マラソンを主催する「実行委員会」の中心的団体でもあります。
サイボーグ009も応援
南三陸町から出店の「金比羅丸」さん。
過去記事はこちらから
「やっぱり海はおもしろい! 若き漁師シリーズPart2」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/part2.html


鳴子温泉のイメージキャラクター
「なる子ちゃん」

「むすび丸」もがんばってました



山崎さんは岡山県のご出身ですが「あこがれの土地だった」沖縄に移住。そして2011年、東日本大震災の報道に接し、ボランティア活動を開始します。

「初めは石巻に行きました。でも、東日本大震災の復興には時間がかかるだろうなと思い、長期的なボランティア活動ができる団体を探していたとき、ユナイテッドアースを知りました。ユナイテッドアースは南三陸町での活動を続けていたので、私も南三陸での活動を始めました」

昨年、いったん沖縄に帰ったのですが、今も沖縄と宮城を往き来するスタイルは続いています。

「ダブルワーク、ダブルライフというライフスタイルがあって、今、そういう生き方を選ぶ人が多いそうです。私は沖縄も宮城も大好き。どちらも私の〝ふるさと〟にしたいと思っています」

左から南三陸町の人気者・藤島親方、
「東北風土マラソン&フェスティバル」の実行委員長で社団法人登米市観光物産協会会長の阿部 泰彦さん、
山崎麻子さん、事務局の瓦田知恵子さん(写真提供:山崎さん)
佐野さんも、昨年、南三陸を離れ、現在は関西のCATV局でニュース番組のディレクターとして街をかけまわる日々です。
「でも、基本的にやっていることは南三陸時代と同じです。地域コミュニティーをテーマにした番組などを手がけています」

お仕事中の佐野さん
佐野さんは、この「東北風土マラソン」が開催されるキッカケとなった「ある人のつぶやき」を聞いていたそうです。

「南三陸町での一日のボランティア活動が終わると、ユナイテッドアースの寮の8畳間では、よく飲み会も開かれて、皆、好き勝手なことを言い合っていたのですが・・・。
ある人が『東北でマラソン大会とかできるようになったらいいよねー』って、つぶやいたというか、ボヤいたというか(笑)」

左から南三陸町の飲食店「松野や」さんの女将・松野三枝子さん、
寮で「マラソン大会やりたいね~」とぼやいていたあべりんさん
そして山崎さん(写真提供:山崎さん)
南三陸町が、まだまだガレキに埋もれていたころのことです。

「ところが、そんなボヤキかつぶやきか分からないひと言が本当に動き出した(笑)。そして、こんなに多くの人が参加するビッグイベントとして実現されたってことがスゴイです。
夢は言ったもの勝ちですね。これは、ひょっとしたら新しい文化の始まりなのかもしれない。このイベントが、東北の新しい文化として大きくなっていけたらいいし、その始まりの瞬間に立ち会えたというのは喜びですし、幸せですね」

もちろん山崎さんも、その始まりに立ち会ったお一人です。
「構想3年。イベント経験者もいない中から動き出し、また地元の人たちも経験のないところから始めて、今では県外からもたくさんの応援が寄せられるイベントになりました。どうかこのイベントを地元の人たちの誇りにしてほしいです。
そして、より多くの人たちが関わって、参加して、ずっと続いていって、もっともっと大きな大会になってほしい」

山崎麻子さん(中央)と佐野雄希さん(手前)。そしてスタッフの皆さん。
「宮城を私の〝ふるさと〟にするために、これからもずっと通い続けます!」(山崎さん)
「東北風土マラソン」は、いつの日か、登米市と南三陸町を結ぶコースに延ばそう・・・という構想もあるのだとか。

登米市と南三陸町と、両方から選手がスタートし、沿道には東北中のグルメと日本酒がずらりと並ぶ。
そして酒とグルメと走りを愛する世界中のランナーや観光客が、花と新緑の北宮城の道を、笑顔と元気で埋めつくす――。

そんな大会になってほしい。なっていくはず。

夢は、言ったもの勝ち、です。

(取材日 平成27年4月26日)

参加者募集! 一人ひとりの防災力が力になる。クロスロード合宿開催(富谷町)

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こんにちは、にゃんこです。

ぽかぽか陽気に包まれお出掛け日和になったゴールデンウィーク。
皆さんはどんな思い出ができましたか?

私は久しぶりに実家のある山形へ。
気温がぐんぐん上昇し、5月3日には最高気温がなんと30℃!
一足先に夏を満喫してきました。


さて本日は、5月30日(土)から行われる「クロスロード合宿」参加者募集のお知らせです。

「防災ゲームクロスロード」とは…?
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阪神・淡路大震災時の経験や知識をもとに作られた、難しい決断に迫られる災害対応シミュレーションゲームです。
問題を解く=模擬体験をすることで防災力を高められるのが特徴です。

子どもから大人まで誰でも参加できるので、防災教育教材として各地の学校や地域などで開催され全国に普及しています。



ゲームの詳細は以前ココロプレスでもご紹介していますので、こちらの記事をご覧ください。

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2015年1月15日
災害はクロスロードの連続!「1000人のクロスロード2014」
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/01/10002014.html
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上記記事でも紹介している通り、ゲームに登場する設問は、阪神・淡路大震災や東日本大震災時に実際に起こった実体験を元に作られています。

震災時、被災地ではどんな問題が起こっていたのかを知ることはもちろん、その問題についてさまざまな人と意見を交換し合うことで、自分とは異なる意見や価値観を学べるという気づきも得られるのも特徴です。

このクロスロードについてもっと学びたい、自分の震災体験を伝えたいという方のために開催されるのが、今回のクロスロード合宿です。

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クロスロード合宿 
・開催日 : 5月30日(土)、31日(日) 1泊2日
・会場 :東北自治総合研修センター(宮城県黒川郡富谷町成田2-22-1)
・参加対象者 :クロスロード体験者(先着30名)
・会費 : 9,000円(宿泊費、懇親会などすべてを含む経費です)

・申込 : 下記URL(こくちーず)より申込を
http://kokucheese.com/event/index/288721/

※定員30名に達した時点で申し込みは終了です

・問い合わせ
上記こくちーずURLにて、太田千尋あて


主催/仙台市クロスロード研究会(Team Sendai内)
共催/わしん倶楽部
協力/神戸クロスロード研究会

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今回の合宿にはクロスロードの開発者の一人である慶應義塾大学教授・吉川肇子先生も参加します。

共催する「わしん倶楽部」の代表であり、防災士・減災コーディネーターでもある田中勢子さんにお話を伺いました。

「被災地での気づきの提案を全国の皆さんにお伝えしたいとの想いから、4月には『第4回楽しく学ぶ防災・減災教室』を開催しました。吉川先生のご指導のもと参加者と一緒にクロスロードやぼうさい駅伝などのみちのく版の問題作りを行いました。短い時間でしたが、各20問近くの問題を作ることができました。

そして、よりクロスロードの奥深さを追求しようというと企画したのが、今回のクロスロードに限定した合宿です。今回も吉川先生をお招きしご指導いただきながら、クロースロードゲームを行なうほかに、新しい問題の作成も行います。。現時点では熊本や横浜、山形など全国から応募をいただいています。クロスロードをさらに学びたい、たくさんの問題にチャレンジしたい、クロスロードのファシリテーターになりたいという方、ぜひ参加してください」

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私も昨年開催された「1000人のクロスロード2014in仙台」に参加し、初めてクロスロードを体験しました。さまざまな人と意見を交換し合えること、そしてそれが自分の知識として吸収できたとても貴重な機会でした。



問題を解いてみよう!
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どんな設問がでてくるの??という方に。この時に私が体験した設問の一つです。
皆さんもぜひ考えてみてください!

【設問】
あなたは…被災者です。
地震で自宅は半壊状態、家族そろって避難所へ。
ただ日頃の備えが幸いしていて、非常持ち出し袋には水も食料も3日分はある。
一方避難所には水も食料も持たない家族多数。

その前で非常持ち出し袋をあける?

Yes(あける) or No(あけない)

皆さんはどちらですか?

災害時、被災地ではこのような問題が次々と生じていました。
混乱状態の中では冷静な判断も難しく、一人ひとり意見も違う…。

事前のこういった模擬体験が災害時必ず力になってくれます。
少しでもより良く過ごせるための知恵や知識を皆さんも身に着けませんか。


(取材日 平成27年5月1日)

倒壊から4年。よみがえる藩政時代の風景 ~旧有備館内覧会(大崎市)

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石野葉穂香です。

4月20日~26日の1週間、大崎市岩出山にある「旧有備館」で、震災からの復旧工事終了に併せて、内覧会が行われました。

復旧工事が完了した旧有備館の主屋。
再び時を刻みはじめました
「旧有備館」は、延宝5年(1677)年頃、岩出山伊達家の二代・宗敏公(政宗公の四男である泰宗公の長男)の隠居所として建てられたと言われている木造平屋建て寄棟茅葺の建物です。

その後は下屋敷や隠居所として使われたほか、岩出山伊達家の家臣や子弟たちの学問所ともなりました。

主屋を取り囲む庭園の美しさも有名です。
岩出山城の断崖を借景にした池が広がり、池には4つの島が配されていて、四方を囲む老杉、老松、竹林などの緑陰の下、四季の花々の可憐な光が風を誘っています。
昭和8年(1933)には、「旧有備館及び庭園」として国の史跡・名勝に指定され、また昭和45年(1970)には、岩出山伊達家から旧岩出山町に移管されて一般公開されてきました。

竹林を手前に、奥には岩出山城の断崖
ところが、平成20年(2008)6月14日、岩手県内陸南部を震源とするマグニチュード7.4もの巨大な地震――「岩手宮城内陸地震」が発生し、旧岩出山町を含む大崎市では震度6弱という強い揺れに襲われたのでした。

この地震で、旧有備館の主屋と附属屋は、柱が割れたり、壁面に亀裂が生じるなどの被害を受け、建物への入館はできなくなりました。
大崎市では、保存整備事業を、平成23年(2011)4月から実施する予定でした。

しかし、その直前の3月11日、今度はマグニチュード9.0という「東日本大震災」が発生。震度6強という強震は、主屋を倒壊させ、附属屋や伝廊下は建物が歪み、壁も崩落。
さらに庭園も、護岸の沈下、園路の地割れといった甚大な被害を受けたのでした。

露骨な言い方ですが・・・主屋は、茅葺き屋根に押しつぶされて「ぺしゃんこ」になってしまいました。
「あの旧有備館も・・・やられてしまったの?」
映像を見て、ショックを受けた人も多かったと思います。

大崎市では新たな災害復旧事業を計画し、震災から9カ月後の12月から主屋の解体、附属屋および伝廊下の半解体、庭園の復旧工事を行ってきました。

復旧工事の経過をパネルで紹介していました
そして今年3月、主屋、附属屋、伝廊下の復旧工事が完了。4月20日からの内覧会開催となったのでした。

「完成の日を、首を長くして待っていました。そして、待っていた甲斐がある出来映えです。このあと、今年度事業として、正門の復旧工事や、常設展示の準備などを経て、平成28年春以降に再び一般公開される予定です。本格的な公開は一年ほど先になりそうですが、多くの人に見ていただきたいと思います」
と話してくださったのは、管理人の佐々木広行さん。

管理人の佐々木広行さん。
「75%もの古材を使いつつ、きれいに復旧され、感無量です」
「復興へ向かう宮城の、そして東北中の人たちの、励みになれたらうれしいですね」

工事の概略は以下の通り。

主屋、附属屋、伝廊下は、建造物として文化財指定は受けていませんが、旧有備館の景観においてなくてはならない建物です。

市は、倒壊前の姿をよみがえらせるために、折れてしまったり欠損してしまった部材を埋木や継木などで繕い、構造上支障のない範囲でかつての部材を再利用しました。

左側の梁は古材、右側は新規材
欄間は補修のうえ、一部は再利用














「そうして再利用できた古材の割合は75%にもなります。館内を見ると、古材と新規部材が隣り合っていたりするところも見られます」(佐々木さん)

さらに耐震補強工事も施され、来館者の目に触れない箇所には鉄筋コンクリートの布基礎や鉄筋フレームも設置されました。
普段、公開されない部屋には、耐震補強のための鉄骨フレームを見ることもできました。

書院の窓から見た池
主屋の真ん中を支える鉄骨フレーム













「今度はお客様がいらっしゃる時に、東日本大震災と同程度の震度6強の揺れが来ても倒壊することはありません」(佐々木さん)

屋根は倒壊前と同様の茅葺きですが、以前使っていた山茅ではなく、石巻市河北町の北上川の葦を使いました。
葺きたての屋根は、春の日射しの中、金色に輝いて、青空の中に眩しく光っています。
池の対岸から見ると、京都の金閣(鹿苑寺の舎利殿)を思わせるような風格と美しさ・・・。

茅葺き屋根が光って見えます
さて。
内覧会は行われましたが、内部の一般公開は、またしばらくお休みとなります。
先にも書いたとおり、再び一般公開が開始されるのは平成28年春以降です。

「でも、庭園は公開しております。建物には入れませんが、建物がきれいによみがえった旧有備館の佇まいは無料公開でご覧いただけます。
『伊達な小京都・岩出山』のシンボルとなる建物と庭園です。かつての江戸時代の時間を感じていただけたらと思います」(佐々木さん)

庭園の四季彩を楽しみにお出掛けください
季節は、これから新緑から深緑へと向かいます。
明るい緑とたくさんの草花が、夏雲の影を待ちわびて、きらきら輝いています。
雨降る庭園の詩情もステキです。
セミの声に包まれる夏、綾錦が彩る秋、新雪と蒼空の光が凛と冷たく美しい冬・・・。

宮城が誇る「廻遊式池泉庭園」の四季を訪ねてみてください。

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■旧有備館及び庭園

所在地 宮城県大崎市岩出山字上川原町6
開園時間 8:30~16:00(最終入園15:30)
休業日 年末年始(工事に伴う臨時休館あり)

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(取材日 平成27年4月23日)

一人で悩まず相談してください(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。

平成27年4月1日、気仙沼市は生活困窮者のための相談窓口「ひありんく気仙沼」を、気仙沼市立病院から徒歩10分ほどの気仙沼市本郷に開設しました。

「ひありんく気仙沼」は気仙沼市本郷の遠間ビル2階にあります
この事業は、平成27年4月1日から施行された生活困窮者自立支援法によるもので、経済的な問題、心身、家庭などさまざまな問題を抱えた人たちが生活保護費の受給に陥る前に各種の支援につなげ、自立を促すことを目的にしています。
相談窓口には、主任相談支援員、相談支援員、就労支援員が常駐して対応しています。



「ひありんく気仙沼」は遠間(とうま)ビル2階にあり、気仙沼市から事業を受託した東京都のNPO法人ワーカーズコープが運営しています。



相談受付時間は、月曜日から金曜日までの午前8時15分から午後5時15分までです。
(土曜日、日祝日は休み)
相談は無料で受け付けています。
予約は不要ですが、円滑に相談ができるよう、事前に電話、ファックス、メール予約を受け付けています。

「困っていること、悩んでいることを
ひとりで抱え込まないでください」と話す
主任相談支援員一條暢さん

主任相談支援員の一條暢さんは、「ひありんく気仙沼」の役割について、
「困りごとなら何でも相談可能です。」
「『ひありんく気仙沼』は、単に相談窓口としての役割だけでなく、地域のさまざまな人たちと連携し、困っている人たちをサポートしていく役割を担っていきたいと考えています」
と話します。

4月1日に設置してから取材した4月22日までの間に、相談窓口を利用した人は、1日平均1.4人。
相談の内容は、家族の問題、金銭問題などさまざまだそうです。

一條さんは、
「お金について、健康、介護など複雑な悩みを抱えていても、一人で悩まずに遠慮なく相談してほしいです」
と、気軽に相談に来るよう呼び掛けています。


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同じような相談窓口は県内各所に設置されています。お近くの市町村役場等にお問い合わせください。

(取材日 平成27年4月22日)

復興へ向かって再建!進行中(女川町、石巻市、仙台市)

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こんにちはエムです。

去る平成27年3月28日。「葉山神社 上棟記念奉祝祭」に参加するため、国宝・大崎八幡宮主催のバスツアーが企画され、仙台市からも大型バスで約50名が参加しました。

前回の記事
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2015年5月4日 月曜日
地域の絆と文化は神社から~大崎八幡宮復興支援(仙台市、石巻市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/05/blog-post_4.html
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仙台市青葉区八幡の大崎八幡宮境内を石巻市雄勝町目指して朝8時半に出発したバスは、東北自動車道の富谷JCTから仙台北部道路に入り東へ、さらにその先の三陸自動車道を走りました。

東松島市矢本で一般道へ降り石巻市へ入ると、車窓からの景色は一転。
真新しい建物と、津波被害を受けたまま残る建物、何も無い更地が混在する風景が広がっていました。

石巻市旧北上川河口付近。遠くに見える中州にある白くて丸い屋根は「石ノ森萬画館」

途中立ち寄った石巻市明神町渡波地区に鎮座する「伊去波夜和気命神社」のお社は、この辺りでは唯一残った建物です。
大崎八幡宮の小野目博昭宮司によると、社務所の2階天井までがれきでいっぱいだったのだそうです。
ツアーの参加者にガイドをする小野目宮司
「ここの境内は周りの土地と比べても、たかだか2メートルくらいしか高くありませんが、ここに逃げて来てとどまった人は助かり、逃げ出した人は助かりませんでした。
八幡宮では大震災直後、コンテナを建てるなどの支援に来ましたが、この辺りは神社の赤い社しかありませんでした」
伊去波夜和気命神社
現在は神社の近くに民家や工場などが再建されていますが、たった1つ残った赤いお社と、お社に守られた人の命があった不思議さに思いを巡らせました。

関連記事
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平成27年4月27日 土曜日
桜の木への想い(石巻市渡波)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/04/blog-post_27.html
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そしてバスは万石浦の北の岸に沿った国道398号を走りました。
国道398号はいったん女川町を通り、その先の石巻市雄勝町へと延びています。

目の前の堀切山を削り、低い土地を埋める盛り土工事をしています。
右端(東)に見えるのは女川町地域医療センター

牡鹿郡女川町鷲神浜地区にある堀切山は、高台移転のための切り崩し工事が進んでいます。
医療センターの現在の土地の高さを基準にして、盛り土をする予定だそうです。
5年後の完成時には今走っている道路付近も含め、この辺り一帯は新しい町有地になり、町役場などの公共施設や、小学校、中高一貫校などが移転、新設するという都市計画があります。

女川町地域医療センター。
色が変わっているところまで津波が上がったのだそうです

堀切山の西の奥に鎮座していた熊野神社は、都市計画工事で移転を余儀なくされ、大崎八幡宮ではこの春、解体の手伝いを行いました。

高台移転のための土地を造る、山を削る工事があちこちで行われていました
住宅地になる予定の土地です

「女川町はこのように復興へ向けた工事が進んでいますが、今日の最終目的地の雄勝町はやっと港の岸壁工事が終わったところで、まだあまり進んでない、本当に何も無い地区です。なかなか難しい状況ですね」
小野目宮司のその言葉通り、雄勝町は昨年とあまり変わってないような印象を受けました。

石巻市雄勝町伊勢畑、旧雄勝総合支所にある「おがつ店こ屋(たなこや)街」

店こ屋街」前の国道398号(撮影/平成27年3月28日)
前年。上と同じ場所(撮影/平成26年4月18日)

それでも雄勝湾では銀ザケ、ホタテ、ホヤやワカメなどの養殖が再開しており、漁獲量は震災前と同じくらいに戻ったといううれしい情報を聞くことができました。
葉山神社の正面に見える大浜地区の海は、天気の良さもあり、本当に美しい海でした。

丸い浮きがあるところではホタテの養殖をしています

帰りに立ち寄った雄勝町下雄勝にある「みうら海産物店」では地元産の新鮮な海産物を購入することができます。

仙台市内でも見たことのないような大きくて新鮮なホヤやアワビ!


夕日も地平線に隠れた夕暮れの中、旧桃生郡を流れる北上川に沿った道を走っていると、農地整備の工事なども目立ちました。

北上川に沿って走る道路脇の用水路と、広い農地を整備している重機が見えます

小野目宮司が言いました。
「今はインターネットや娯楽など、他に楽しいことがいっぱいあるが、それを捨ててまでこうして参加してくれるのはありがたいことです。
宮司が言うから仕方ないから行こうか……といって参加してくれたとしても、『天気がいいな』とか、『お神楽が楽しい』とか、何か感じてくれれば良いと思います。

何でもそうだけど、普段と違うことをやることでリフレッシュするし、それって経験でしょう。
そういう実際の経験をすることによって、これから先、大きな災害などがあった時に関わらず、将来何かあった時に乗り切る力…… “人間力” を付けてほしい。
そう思ってこういう企画をしているんです」

小さく切り取ったような被災地の現状をレポートさせていただきましたが、“動” と “静” 両方が胸に残る小旅行でした。
私たちにできることは限られていますが、まずは出掛けてみること。
それは誰かのためになる一歩を踏み出すきっかけになるかもしれませんが、自分にとっても決して小さなことではないのではと、この日見た風景と出会った人たち、そして被災地支援を続ける小野目宮司の言葉を思い出し、強く感じました。

雄勝町小島地区の八雲神社。
海の中の岩に小さな祠が祀られています

■おがつ店こ屋街
〒986-1334 石巻市雄勝町伊勢畑84-1
電話(代表) 0225-57-3077
http://tohoku-monogatari.org/p/fukko23.html

■みうら海産物店
〒986-1334 石巻市雄勝町下雄勝2-3
電話・FAX 0225-57-3468
http://sakanapm.com/index.php?p=IndustryResult&no=564

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大崎八幡宮
〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1
電話 022-234-3606
FAX 022-273-1788
(取材日 平成27年3月28日)

「クラフト」の力で復興のメッセージを発信(名取市、七ヶ宿町、山形県)

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こんにちはエムです。

この3月に、にゃんこさんがお知らせしました名取市閖上でのイベントが、去る4月26日にゆりあげ港朝市で開催され、好評を博しました。
「閖上クラフトエイド2015」です。

前回の記事
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平成27年3月23日 月曜日
2本の桜に新たな命を。「閖上クラフトエイド2015」開催のお知らせ(名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/03/22015.html
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晴天に恵まれた会場には、宮城、山形、岩手、福島各県からの出店があり、約25のブースが並びました。
木工品、アクセサリー、食器、布製品、絵本や雑貨など、独創的で魅力溢れる作品が販売されました。

中でも注目は、桜の木をリメイクした製品です。
その桜の木とは、閖上の日和山で東日本大震災の大津波に耐え、2年間花を咲かせて3年目に枯れてしまった2本の桜。
平成26年に伐採された桜の木を素材に、新たな製品に生まれ変わりました。生まれ変わった桜は新たな役目を担っています。

「閖上クラフトエイド」実行委員会の代表、山形県山形市在住の横尾和義さんにお話をお聞きしました。

「震災から4年が経過しましたが、まだまだ復興半ばです。
『復興』という言葉は1つですが、やり方はいろんな形があります。
我々は物づくりする人間(クラフト工芸家)の集まりなわけですので、クラフト工芸家らしい復興支援の形があると思うのです。
その1つが、伐採された桜の木をリメイクして炭・和紙・木札のお守りにし、それを広めていくこと。
それが、風化していく震災の記憶の伝承と教訓とを伝えることにつながります」

仙台市「柳生和紙工房」の佐藤ふみえゑさんの手による「閖上和紙葉書」
桜の樹皮がコウゾに混ぜ込まれています

岩沼市「合同会社つながる木っと」による木札。
閖上湊神社で御祈祷されたお守りとなる木札です

七ヶ宿町「水守人の会」による炭。
実用もできますが、鑑賞用、消臭用として使えます
「水守人の会」メンバーの「七ヶ宿の白炭」佐藤光男さんとご家族。
奥様の円さんは菓子工房「すみやのくらし」として
炭を練り込み天然の素材だけを使ったクッキーなどを販売しています

山形から販売のお手伝いに参加していた
(左から)石山由美子さん、石山詩織さん、佐藤さん

他にも木札や和紙を使った作品を販売している作家がいましたのでご紹介します。

イラストレーター半澤由紀さんによる木札
閖上和紙に半澤さんのイラストが映える作品

 
松崎江里子さんによる閖上和紙を使ったストラップ。左は「ひろにゃんこ」

半澤由紀さんと松崎江里子さんは閖上出身。
半澤さんは母親を、松崎さんは父親を震災で亡くしています。

「閖上の津波に耐えた桜の木を使っています」
そう紹介する半澤さんは、かつて見た美しい閖上をイメージしたイラストを、桜の木とともに作品にしています。
半澤さんのたくさんの思いと、決心のようなものを感じる作品でした。

「まだ1人では閖上に来ることができないんです」
そう言う松崎さんは、お世話になった方がネコを飼っていたことから、その方のためにと羊毛で作った「ひろにゃんこ」が評判になり、初めての出店となったのだそうです。
ストラップ作品は桜の和紙を使って初めて作ったものです。

あの日のこと、震災のこと、そして閖上というすてきな町があったことを
忘れずに、たくさんの方に閖上に来ていただきたいです。
そんな私も一人で閖上に来られるように頑張ります


◇ 半澤由紀さん連絡先

◇ 松崎江里子さんの作品については下記にお問い合わせください
「認定NPO法人地球のステージ」http://e-stageone.org/ 電話:022-738-9220


「クラフトエイド」の看板のイラストを描いたのは、山形のイラストレーター、てるいひろえさん。

「被災地のことが気になっていましたが、自分でもショックを受けるのが怖くて来ることができませんでした。
でもこのイベントに参加が決まってから、初めて閖上に連れてきていただきました。その時に、ここにたくさんの人が住む町があったこと、ふるさととして思いを寄せてるいる人が今もいっぱいいることを忘れないようにしようという気持ちが生まれました。

その体験から、自分のイラストを通して伝えられることがあるのかと考えるようになりました。
ポストカードは、何年か後に日和山に桜が咲いているところをイメージして描いています」

失っていないもの。それは、ここが「ゆりあげ」であり続けること
てるいさんは閖上和紙に直接描いたポストカード・木札を販売。
他に手製本の絵本など、温かなイラストが印象的でした

◇ てるいひろえさん連絡先・Hiroe Terui


「クラフトエイド」にはその他たくさんのクラフト作家のブースが並びました。

色とりどりのキャンドル

古布を使った小物やリメイク服

空き缶を使った帽子

草木染めされた布製品

磁石付きの小さい木製キノコ

うるし塗りのアクセサリーや食器を販売する、うるし工房「源樹」の
小野寺智弘さんと小向くるみさん

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「閖上クラフトエイド」にはA4判のチラシがありますが、そのイラストを描いた姉妹に会うことができました。
七ヶ宿町の髙橋萌さんと、妹の茜さんです。

閖上と七ヶ宿2つの地区が協力し、一緒に行っているこのイベント。
チラシにもその思いを反映し、髙橋さん姉妹がイラストを担当することになったのだそうです。

「イラストを描くことがが決まってから閖上に連れてきてもらいました。
そのとき、閖上地区でたこ焼きを焼いていたおばあちゃんがいた話を聞きました。
震災で犠牲になってしまったそのおばあちゃんのたこ焼きを、閖上の方たちは今でも懐かしく思っていて、その味を再現しようと日和山のふもとでたこ焼きを販売している方がいます。
その方に話を聞き、この絵にしようと思いました」

クラフトエイドチラシ(部分)
下書きを担当した妹の茜さん(右:高2)と、着色を担当した姉の萌さん(高3)

関連記事
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平成26年9月2日 火曜日
忘れちゃいけない味がある(名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/09/blog-post_2.html
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「物づくりをする人って、一人一人すごい発進力を持っています。
閖上の桜の木という素材を使って作品にしたり、和紙に絵を描いたりしているクラフト作家がいましたが、自分の活動の中に『閖上』を入れていただけるきっかけになると良いなと思います。

また、復興に関心があるけれど、どうしたら良いのか分からない人って結構多いのですが、閖上(現地)に来て買い物をしていただくことが、一番の復興の第一歩になります。

そして閖上で感じとったものを、明日からの皆さんの活動の中に、少しでも組み入れていただいて、閖上のすばらしさを一人でも多く伝えてもらいたいな。と思います」

暖かく、どこか悲しげな表情で語る横尾さんの、たくさんの思いが詰まったイベントでした。

学生時代から18年を過ごした宮城県を第二の故郷と呼ぶ横尾和義さん

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

生和紙工房
仙台市太白区柳生字上河原32-1
電話:022-241-3044
◇ 情報ボランティア@仙台
https://kacco.kahoku.co.jp/blog/volunteer16/40542

合同会社つながる木っと
岩沼市吹上2丁目2番13号
電話:0223-36-8497
メール:tsunagarukitto@gmail.com
http://tsunagarukitto.jimdo.com/

すみやのくらし@七ヶ宿の白炭
刈田郡七ヶ宿町字侭ノ台100-2
電話:0224-37-3156
メール:info@hakutan7.com
http://www.hakutan7.com/


◆ 閖上クラフトエイド実行委員会
https://www.facebook.com/yuriagecraftaid

(取材日 平成27年4月26日)

5月のイベント情報 ~5月30日(県内各地)

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こんにちは、にゃんこです。

気が付けば4月下旬から晴天続きの県内。にゃんこの気分も上々♪
でもついに雨が…。台風も近づいているようなので皆さんも雨対策を忘れずに。

さて今日はそんな天気も吹き飛ばす!?  5月のイベント情報です。

ぜひ宮城にいらしてください!

☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆
今月のおすすめイベント!

日本有数のツツジの名所、気仙沼市に位置する徳仙丈山のツツジが今見頃を迎えています。
好天が続いたことから例年より早く開花したそうです。

5月23日(土)、24日(日)、30日(土)、31日(日)には、つつじバスも運行予定です。
運行情報や、開花状況はこちらをご覧ください。

気仙沼観光コンベンション協会
http://www.kesennuma-kanko.jp/

昨年の様子

昨年の紹介記事はこちら。
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2014年5月24日
日本最大級のつつじの名所「徳仙丈山」へ
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_4476.html
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■イベント情報  ~2015年5月30日
※日程などは変更・中止になる場合があります。詳細は各施設にお問い合わせください
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仙台・青葉まつり
5月16日(土)、17日(日)
会/仙台市役所前市民広場、勾当台公園、一番町買物公園、定禅寺通、東二番町通
問/仙台・青葉まつり協賛会事務局
http://www.aoba-matsuri.com/index.html

伊里前しろうおまつり
5月17日(日)10:00~15:00
会/南三陸町歌津伊里前福幸商店街(南三陸町歌津字伊里前96-1)
問/南三陸町観光協会
http://www.m-kankou.jp/

2013年に開催された「伊里前しろうおまつり」の模様はこちら。
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2013年4月23日
「“絆”が見える商店街」ギネスブックに挑戦!
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/04/blog-post_4027.html
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第22回サン・ファン祭り 順風満帆~夢に向かって~
5月23日(土)、24日(日)
会/石巻市サン・ファン・バウティスタパーク、宮城慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)
問/サン・ファン祭り実行委員会事務局
http://www.santjuan.or.jp/

おがつクラフトフェア2015・おがつの芸祭 鼓舞
5月24日
会/おがつ店こ屋街(石巻市雄勝町伊勢畑84-1)
問/石巻かほく商工会 
0225-62-3161

第10回栗原せみね藤まつり
5月24日(日)※雨天中止
会/瀬峰五輪堂山公園(栗原市瀬峰下田240-1)
問/栗原市観光・交流活性化グルーブ ぐるっと・ゆるっと栗原
https://www.facebook.com/guruyuru

第28回気仙沼天旗まつり
5月24日(日)※強風、大雨時は中止
会/気仙沼市波路上岩井崎園地内
問/第28回気仙沼天旗まつり実行委員会
http://www.kesennuma-kanko.jp/
(気仙沼観光コンベンション協会)

田束山つつじまつり福興in伊里前
5月24日(日)
会/南三陸町歌津伊里前福幸商店街(南三陸町歌津字伊里前96-1)
問/南三陸町観光協会
http://www.m-kankou.jp/



こちらもツツジの名所として有名な田束山。約5万本のヤマツツジが見頃を迎えています。
昨年の紹介記事はこちら。
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2014年6月6日
5.24 あの日から54年目
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/52454.html
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ポピーまつり2015
5月30日(土)~6月21日(日)
会/国営みちのく杜の湖畔公園 
問/国営みちのく杜の湖畔公園 
http://www.michinoku-park.info/wp/

シャクヤクまつり
5月30日(土)~6月7日(日)
会/愛宕山公園(加美郡色麻町四竃字東原1-40)
問/色麻町愛宕山公園管理事務所(色麻町役場農業伝習館)
0229-65-4390

(取材日 平成27年5月12日)

千年先も花よ咲け(名取市、七ヶ宿町、山形県)

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こんにちはエムです。

名取市閖上の「ゆりあげ港朝市」で、去る4月26日、「閖上クラフトエイド2015」が開催されました。

閖上日和山で大津波に耐え、2年間花を咲かせた後枯れてしまった桜の木をリメイクした「守り札」「和紙葉書」「炭」は、さまざまなクラフト作品の中でも注目されましたが、その様子は先日お伝えした通りです。

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2015年5月11日 月曜日
「クラフト」の力で復興のメッセージを発信(名取市、七ヶ宿町、山形県)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/05/blog-post_19.html
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閖上クラフトエイド実行委員会ではこの日イベントに合わせ、日和山に桜の苗木2本を植え記念のプレートを設置するセレモニーを行いました。

かつて日和山には8本のソメイヨシノがありましたが、東日本大震災の津波に耐えたのはたった2本。
2年間花を咲かせ、3年目に枯れてしまった2本の桜の木の切り株の近くに、新しい苗は植えられていました。

昨年(平成26年)伐採された2本の桜の切り株と、新しい2本の苗木

新しい苗木はエドヒガンザクラ。
山形県白鷹町にある県指定特別天然記念物の「薬師桜」(樹齢推定1300年)の苗木です。

そして植樹の最後の仕上げに、土壌改良とミネラル補給にもなる炭を参加者で少しづつまきましたが、その炭は七ヶ宿町「水守人の会」メンバー「七ヶ宿の白炭」の佐藤光夫さんが閖上の桜をリメイクして炭にしたものです。

ふるさとに帰った桜の木は
新たな桜の苗木を助ける役目を担うことになりました

子どもから大人まで、参加者で少しづつ2本の苗木に炭をまきました

最後に炭をまいたのは「閖上クラフトエイド実行委員会」の横尾和義さん

閖上湊神社総代長・伊東明さんが記念のプレートを設置し
セレモニーは終わりました

前列左が佐藤光夫さん。後ろに伊東総代長、その後ろが横尾和義さん

横尾さんがこの苗木を選んだのは、現存する桜の中で一番樹齢が長い品種だからということです。

「山形県の白鷹町にある樹齢1300年の薬師桜のように、千年先もここにずっと長く咲いて閖上を見守ってほしいという願いを込めてこの品種にしました。

これからも津波に耐えた桜の木の『諦めない心』の物語を広く伝え、風化されてゆく震災の記憶の伝承と教訓へと結びつける活動をし続けたいと思います。

それとともに、今回のようなイベントなどを通して閖上のすばらしさを感じてもらい、再び閖上に足を運んでいただく方が増えることを望んでいます。それが一番の復興の第一歩になると思っています」

プレートには苗木の説明と資金支援者のお名前が記されています



閖上日和山の桜のリメーク作品と植樹された苗木には、地元のみならず、七ヶ宿町など他の地域や山形県などのたくさんの方々の思いがこもっています。
1本の桜の木が数えきれない花を咲かせるように、たくさんの人の心にその思いが届くことを願って止みません。

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◆ 閖上クラフトエイド実行委員会

メール:spur@ab.auone-net.jp
https://www.facebook.com/yuriagecraftaid

(取材日 平成27年4月26日)

5月24日は、サン・ファン・バウティスタ号の誕生会~サン・ファン祭り~(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
気がつけば、もう5月も半ばです。
外で気持ち良く日差しを浴びられる日々が続いています。
そんな季節に最高のイベントが5月23日(前夜祭)、24日に石巻で開催されます。
今回は、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)で開催される石巻春の最大のイベント「サン・ファン祭り」をご紹介しましょう。

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5月22日は、何の日か知っていますか。
サン・ファン・バウティスタ号(以下:バウティスタ号)のお誕生日なんです。

伊達政宗がローマ法王とスペイン国王のもとに派遣した「慶長遣欧使節団」
その一行を乗せ、太平洋を2往復したのが、ガレオン船バウンティスタ号です。
その復元船は1993年5月22日に進水式を行いました。その「誕生日」を記念記念して始まったのが、サン・ファン祭りです。
子どもから大人までの地元有志の皆さんが作り上げた祭りのため、地元の魅力たっぷりのイベントです。
ステージイベントでは、小学生から地元の大人による郷土芸能やチアリーディング、鼓笛隊や吹奏楽で会場を盛り上げます。
子どもが思いっきり遊べるアトラクションが行われ、海上では無料のヨット体験クルーズが用意されています。
もちろん、地元の海産物やおいしい屋台がずらっと並びます。
前日には前夜祭も行われ、バウティスタ号がライトアップされる中でのライブが開催されます。
昨年12月のファンタジックイルミネーションの様子
あまりにきれいだったので、私はしばらく眺めていました。

サン・ファン祭り実行委員会から皆さんへメッセージです。
「ぜひ、サン・ファン祭りにご来場いただき、一緒に復元船サン・ファン・バウティスタ の誕生日をお祝いしてください!」

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「第22回 サン・ファン祭り 順風満帆〜夢に向かって~」
【日  時】 サン・ファン・ミュージックナイト(前夜祭)
      5月23日(土)16:00~20:00
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       サン・ファン祭り
      5月24日(日)10:00~16:00
      ※5/24は、サン・ファン館入場無料!!

【会  場】宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)
      ※車でお越しの方は臨時駐車場があります。
       詳細は公式HPをご覧ください。

【お問合せ】サン・ファン祭り実行委員会事務局(サン・ファン館内)
                  TEL 0225-24-2210

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震災でマストの折損などの被害に遭ったバウティスタ号ですが、国内外からの支援により2013年には復活しました。
また、その年は慶長使節出航400周年の記念の年でもあり、復活した復元船は400年の歴史を語るだけでなく、震災復興のシンボルともなっています。

現在も太平洋に船首を向けてどっしり構えている船は、とてもたくましく感じます。

「サン・ファン祭り」は、歴史の深さを知り、海風を感じ、そして地域の人たちの温かい想いにふれることができるイベントです。

ぜひ、お越しください!

(取材日 平成27年5月11日)

母国のために役立ててください~広がるネパール地震被災地支援~(気仙沼市)

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kaiiです。
東日本大震災から4年2カ月。50回目の月命日を迎えました。
この間、私たちは世界中の人たちからたくさんのご支援をいただいてきました。
多くの皆さまに心から感謝しています。ありがとうございました。

平成27年4月25日にネパール連邦民主共和国を中心に発生した地震では、周辺国を合わせてると7400人以上が死亡したと伝えられています。

気仙沼市では、東日本大震災の際に受けた支援の恩返しをしたいという気持ちをこめて、ネパール地震被災地への支援の輪が広がっています。


宮城県気仙沼市田谷のネパール・インド料理レストラン「イエティ」に勤めている、ネパール出身のディパック・ラジ・ケーシーさん(38)。
ネパールの自宅も地震により全壊しました。

気仙沼市田谷のネパール・インド料理レストラン「イエティ」外観
(撮影:平成27年5月8日)
地震発生から3日後に家族と友人などの無事は確認できました。
ネパールに住む家族から「一刻も早く帰国してほしい」と言われましたが、帰国するための飛行機の予約がすでに満席で、すぐに帰国することはできませんでした。

ケーシさんの実家は、首都カトマンズから40kmほどの場所にあるカリパティという地域にあります。
家族とはSNSを使って連絡しています。

取材に伺った平成27年5月8日の現地の様子について、ケーシさんは、現地は例年より早く雨季に入っていること、水や食糧が被災地域に届いていないと話していました。


ネパールへの支援を呼び掛ける「イエティ」従業員の
ディパック・ラジ・ケーシさん(右)
(撮影:平成27年5月8日)

また、計画停電などの影響で電気の供給が1日6時間ほどに制限されていること、ネパールの被災地の人たちは、自宅などの建物が倒壊の危険があることからテントで生活していることなども話していました。

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東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市の人たちは、
「私たちも東日本大震災では多くの支援をいただいています。ネパールの人たちのことを放っておくことはできません」
「自分たちのできることで支援させていただきたいです」
と、イエティで飲食した人たちだけではなく、ネパールに思いを寄せる人たちが募金を届けています。


イエティには気仙沼市民などから寄せられた募金が置かれていました

「イエティ」には「SOSネパール」と呼び掛ける募金箱が置かれていて、善意の募金を募っています。


気仙沼的中華そばの店「まるき」の熊谷一政さんも
「ネパールの人たちのために役立ててください」と義援金を手渡しました。

気仙沼的中華そばの店「まるき」の熊谷一政さんも家族でケーシーさんに、「ネパールの人たちのために役立ててください」話し、義援金を手渡しました。

ケーシーさんは、「気仙沼市の人たちはとても優しく親切で感謝しています。帰国したら多くの協力者を募り、山岳地帯で支援が届かず困っている人たちを支援をしたいと思います」
「気仙沼市や岩手県の人たちから預かった支援金を役立てさせていただきます。ありがとうございます」
と話していました。


「イエティ」のカレーランチには特性の大きなナンがついています
ケーシーさんは5月13日に帰国の途に就き、気仙沼や近隣の岩手県の人たちから預かった義援金を母国に届けます。


ネパール・インド料理店「イエティ」は、5月13日から6月15日までの間、休業します。

イエティが休業している間はカメラのOGATAに
ネパール支援のための募金箱が置かれています

この間、ネパール地震被災地への義援金は、隣で営業する「カメラのOGATA」で受付を続けています。



ネパール・インド料理店「イエティ」のある、気仙沼新中央商店会では、今後各店舗に募金箱を設置し、ネパール地震被災地への募金を集める予定です。

カメラのOGATAの尾形竜一さん(左)は
「東日本大震災の時いただいたご支援に恩返しをしたい」と話しています
ケーシーさんのお店に義援金を届けにきた小野寺さん(右)

「カメラのOGATA」の社長、尾形竜一さんは、
「東日本大震災では私たちも世界中の人たちからたくさんの支援をいただきました。私たちもできることで恩返しをしていきたいと思います。
ケーシさんたちが帰国して、現地の様子がもっと分かるようになり、どんな支援が必要なのかを伝えてくるようになったら、できる範囲で支援を続けていきたいです」
と話しています。

また、下記の口座で口座振込みによるネパールへの支援を受け付けています。

東北銀行 南気仙沼支店
509  普通 5014740
SOS NEPAL支援      代表 小野一太


<お問い合わせ>
小野一太さん
宮城県気仙沼市田谷20-11
0226-25-7096


携帯:090-1493-0537

※小野一太さんは、「イエティ」のオーナーです。「店の営業よりもネパールの支援が優先」と考え、ケーシーさんたちを送り出しました。


(取材日 平成27年5月8日)

地域のコミュニティづくりの一役に。助成事業の公募をスタート(仙台市)

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こんちは、にゃんこです。

今日は、宮城、福島で被災住民の交流や「つがなり」づくり、仕事づくりを促進するための活動に向けた助成事業
「三菱重工みやぎ・ふくしまミニファンド」のお知らせです。


「三菱重工みやぎ・ふくしまミニファンド」は、「三菱重工グループ」「公益財団法人 地域創造基金さなぶり」との協働事業です。
震災直後から復興支援に取り組んできた三菱重工グループが資金提供をし、被災地で行われている市民主体の復興への取り組みに対する支援として2012年に設立しました。

「津波被害を受けた沿岸部では土地のかさ上げ工事や災害公営住宅の建設など、ハード面での復旧が進む一方、コミュニティの維持や生活の質の向上といったソフト面では、さまざまな課題が表面化しています。

新たな土地への移転に伴うコミュニティ形成、高齢化が進む地域での生きがいと雇用創出のための仕事づくりなど、“暮らしとつながり”に焦点をあてた取り組みが必要な状況が続いています」
こう話すのは、事務局である「公益財団法人 地域創造基金さなぶり」の川村 文さん。

仮設住宅に入居する住民同士、地域とのつながりづくりや、雇用の機会につながる仕事づくりの活動に対して1団体最大10万円を限度に、2012年度は12団体、2013年度には23団体、2014年度には22団体に助成を実施。これまでの支給額は約500万円に上ると言います。

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気仙沼市や南三陸町の仮設住宅などで生活する高齢の女性の引きこもりや、孤立を防止するための対策として始まった、被災地手仕事プロジェクト「編んだもんだら」もその一つ。

(特活) とめタウンネットが開催した「編んだもんだら」交流会

県内4拠点の編み手及びスタッフが一堂に会し、編み手同士の交流とスキルアップのための交流会を実施。技術の向上だけではなく各地の女性たちの生活環境や課題などが共有される機会にもなったと言います。

昨年南三陸町「平成の森仮設住宅団地」で開催された「いんでねが鍋まつり」

南三陸町「寄木契約会」による一年の頑張りと新しい年への飛躍にと
2013年に開催された「第2回元気餅つき大会」

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2015年度の事業が開始し、公募を開始しています。
今年度はより多くの地域活動を支援したいと支援総額を倍増し、総額400万円の助成を行います。


◆対象となる事業
・コミュニティ形成(連携やつながりづくり)を図る活動
・住民が主体、あるいは雇用の機会につながる自律的復興のための仕事づくりに関する活動
・宮城県および福島県で行われる、2015年12月末までに実施・終了する活動

◆これまでの助成事業例
・仮設住宅団地でのクリスマス会や新年餅つき大会などの各種イベント
・地域の合意形成に向けた勉強会・講演会の実施
・消滅自治会(行政区)の解散式の開催
・地域の住民が集まる場(お茶っこやサロンなど)の実施
・地域における仕事づくりに必要な機材の購入

◆対象団体
・地元住民5名以上のグループ
・仮設住宅団地の自治会など
・自治会や町内会など
・PTAや地域のまちづくりなどのために活動するグループなど
・市民活動団体(任意団体含む)、NPO法人、一般財団法人
・対象地域において起業した組織

◆助成金額
最大10万円
対象となる経費:人件費、旅費交通費、印刷製本費、物品購入費など

◆応募方法
・受付期間 : ~2015年6月1日必着
・本事業紹介ページから必要な書類をダウンロードし、以下事務局まで郵送
http://www.sanaburifund.org/seek_support/mcdf/

◆問い合わせ
〒980-0804
宮城県仙台市青葉区大町1-2-23 桜大町ビル303
公益財団法人地域創造基金さなぶり 三菱重工 みやぎ・ふくしまミニファンド事務局
TEL.022-748-7283(担当:川村・鈴木)

公益財団法人地域創造基金さなぶり
http://www.sanaburifund.org/

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「人のつながりを支援できるのがこのファンドの強みと感じています。以前、解散を余儀なくされた行政区のお別れ会に参加した際、参加者のお一人から『これからの生活の励みになった』と言われ、心と心をつなぐってこういうことなんだと実感しました。これからも、このファンドを通して、地域の方々の絆を深めるような活動のサポートをしていきたいと思います」
と川村さん。

これまで活動してきたコミュニティのために、そしてこれから始まる新たなコミュニティづくりのために、申し込んでみてはいかがでしょうか。


(取材日 平成27年5月15日)
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