Quantcast
Channel: 宮城県復興応援ブログ ココロプレス
Viewing all 1285 articles
Browse latest View live

【ボランティア募集】神奈川県横浜・平塚発、山元町へ(山元町、神奈川県)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

沖縄地方が早くも梅雨明けしましたね。
今年の梅雨の期間は22日間しかなく、過去3番目の短さなんだとか。

宮城県も雨マークがちらほら出てきて、梅雨入りも近そうです。
梅雨が苦手な私は沖縄がうらやましいですが、植物や作物とっては恵みの雨。
雨に感謝しながらなんとか乗り越えようと思います!


さて、今日はココロプレスでも何度がご紹介した「かながわ災害ボランティアバスチーム」さんより、
7月17日(金)から山元町で行われるボランティア情報が届きましたのでお知らせです!


=====================
■ボランティア募集情報  
※お申込みなどの詳細はHPよりご確認ください
=====================

■宮城県山元町復興支援ボランティアバス(宮城・山元町10便)
 出発地:神奈川県横浜市、平塚市
 活動場所:宮城県山元町

・活動日時/7月17日(金)~7月18日(土)
         17日夜平塚・横浜発、18日活動・夜帰着
・募集人数/35名
・応募締切日/7月2日(木)
・参加費/10,000円
・活動内容/山元町で桑やカボチャを植えるための畑づくりやポニー牧場「山元夢ファーム」の手伝いなど

◆お問い合わせ
◆お申込み
神田交通(株)神田ツーリスト
http://bit.ly/1ABv3HP



--------------------------------

「かながわ災害ボランティアバスチーム」は2013年11月の発足以来、震災から約4年がたつ今も、定期的に山元町や岩手県陸前高田市を訪れてボランティア活動を続けています。

山元町で最初に活動を開始したのは2014年の1月31日。
それからほぼ2カ月に1度のペースで訪れ、7月の活動で10便になります。

今年2月に行われた「山元夢ファーム」での活動の様子

山元町特産の「ウルトラ万次郎カボチャ」。
乾燥させてカボチャパウダーを作るんだそう!

山元町の復興をずっと近くで見守ってきた「かながわ災害ボランティアバスチーム」。
メンバーの高橋晃子さんにお話を伺いました。

「私たちにできるお手伝いをさせていただく事はもちろんですが、遠く離れた神奈川の方に実際に東北へ足を運んでいただくこと、自分の目で現在の山元町を見て感じていただくことも重要なのではないかと考えて活動を続けています。
訪れるたびに景色を変えていく山元町ですが、特にここ1年ほどの変化は大きいなと感じています。それが復興へ続く変化であることを祈りつつ、少しでもそのお手伝いができればと思います」


これまでの記事はこちら。

2014年7月8日
【ボランティア急募!】神奈川県平塚・横浜発、山元町へ4便
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/07/blog-post_8.html

2014年8月11日
【ボランティア急募!】神奈川県平塚・横浜発、山元町へ5便
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/08/blog-post_11.html


----------------------------------------

6月11日、震災から4年3カ月を迎えました。
そして、1978年6月12日に発生した宮城県沖地震から37年、2008年6月14日に発生した岩手・内陸地震から7年が経ちます。

東北、日本は災害とともに生き、その度に復旧、復興に向かってがむしゃらに進んできました。

東日本大震災の記憶も徐々に薄れ、「復興は終わったからボランティアはもう必要ない」と言う方も少なくないと思います。

「まだボランティアがやることがあるの? という声もある一方、寄り添っていきたいと継続的に参加をしてくださる方もいらっしゃいます。また、4年が過ぎた今でもいつかは行こうと思っていた! と初めて参加する方もいらっしゃいます。
現地へ向かう手段を確保することで、東北へ向かう事のハードルを下げ、多くの方に東日本大震災を身近な事として感じていただきたいと思います」
と高橋さん。

参加されているボランティアの方の中には、20回、30回、中には約80回と何度も何度も足を運んでくださる方もいらっしゃるそうです。

「たまたま僕らが生きているだけで、次の災害では助けてもらう番かもしれない」

「現地にニーズがある限り続ける」と参加者。

まだ東北のことを想い続け、寄り添い続けてくれる方々いる。
そういった心強い存在がいること、そして東北のことを忘れないでほしい。そう思います。


(取材日 平成27年6月11日)

みんなが笑顔になれるプロジェクトを目指しています(南三陸町・東京都)

$
0
0
kaiiです。
宮城県も梅雨入り間近です。
嵩上げ工事や復興道路の工事が進んで田んぼが少なくなった地域の中でも、夜になるとカエルが大合唱しています。自然の中で生きる力は強いですね。

東日本大震災から、4年3カ月が過ぎました。
震災直後から、東北沿岸被災地で地域のニーズに合わせた活動を続けてきた女性がいます。


南三陸町を中心に活動を展開する
MSR smile project 代表 野崎佳世さん


MSR smile projectの野崎佳世さんです。
野崎さんは、東日本大震災直後から、「被災地の人たちのためにできることをしよう」と東京や被災地で活動を始めました。
震災後の平成23年4月、東京で暮らす中国残留日本人孤児の高齢者の方々が炊き出し支援を考え、野崎さんにお手伝いを求めました。野崎さんは、陸前高田市の炊き出しボランティア活動で東北入りをしました。

全国の支援者から被災地に贈られた
アクリルタワシ
(写真提供:野崎佳世さん)

その後、全国の主婦が支援できる活動として「ハンドメイドプロジェクト」を立ち上げました。
断水が長く続いた被災地の皆さんのために、洗剤を使わなくても食器が洗えるアクリルたわしを全国から集めて被災地に贈りました。


「ハンドメイドプロジェクト」で女性たちが制作した小物
(写真提供:野崎佳世さん)


野崎さんは、被災各地で支援活動をする中で、被災地の女性たちから、「支援物資としていただいた洋服の裾直しなどがしたいから、ミシンが欲しい」という声を聞きました。

そこで野崎さんは、ミシンだけでなく、洋裁道具、アイロンなどをセットにして渡そうと考えました。


平成23年夏、「ハンドメイドプロジェクト」の中で「布草履」のワークショップを東北で開催したいという提案が上がりました。
しかし、被災直後ということもあり、女性たちが集まれる場所の確保が難しい状況でした。
それを知った南三陸ホテル観洋の女将さんがホテルの一角を女性たちに提供してくださいました。

こうして集まれる場所が確保できたことで、「ハンドメイドプロジェクト」が始まりました。
被災した女性たちが「生きがい」となる仕事をすること心の支えになりたいと「ミシンプロジェクト」も開始されました。

1回目のワークショップには、被災した女性50人が集まりました。

平成24年11月に南三陸町で行われた
「仮設団地感謝祭」
(写真提供:野崎佳世さん)
平成23年11月、野崎さんは、東北を応援する団体「MSR smile project」を立ち上げました。
女性の手仕事の支援の他に、子どもたちや地元の人たちが気軽に参加できるイベントの運営なども企画しています。


平成24年11月に南三陸町で行われた
「仮設団地感謝」祭
2012年12月11日 火曜日
仮設団地の感謝祭(南三陸町志津川地区)
http://kokoropress.blogspot.jp/2012/12/blog-post_4923.html

野崎さんは、震災以降、南三陸町の女性たちとの関わりの中で、
「人間はどんなに辛いことを経験しても、楽しいことがあれば前向きになれる。この町で生きる人が、震災前以上にすてきな思い出を沢山作っていけるよう、お手伝いをしていきたいと考えるようになりました。
MSR smile projectを今後も継続し、沢山の人の笑顔と喜びにつなげていきたいです。10年後には、東北の女性たちとそのご家族の皆さんに震災前より、幸せになっていてほしいです」と野崎さんは話します。

野崎さんは、ハンドメイドプロジェクトなどの活動通じて、女性たちの「へそくりづくり」も応援しています。
「貯めたへそくりを、ご家族の笑顔のために使ってほしい」
と話します。

南三陸町の女性たちとファッションデザイナー芦田多恵さんによる
「ミナタンチャーム」の制作
(写真提供:野崎佳世さん)

縫製チームはファッションデザイナー芦田多恵さんデザインのミナタンチャームも製作しています。

気仙沼市と南三陸町のリトルシニア野球チームの子どもたちに
気仙沼市にある「フェニックスバッティングセンター」の
チケットなどを贈る活動も続けています
(写真提供:野崎佳世さん)
野崎さんはハンドメイドプロジェクトの収益の一部から、南三陸町と気仙沼市の子どもたちに気仙沼市内のバッティングセンターで使えるチケットなどを贈っています。

東北沿岸の被災地域で東日本大震災後に立ち上げられた、女性を対象にした小物作りなどの手仕事と「生きがい」をつくるプロジェクトの多くが、震災から4年がたった現在、販路縮小や、商品品質と製作者意識との違いなどから運営が厳しくなっています。
女性たちの手仕事が少しでも長く継続していくことを願います。

(取材日 平成27年6月2日)

荒浜が再びにぎわう商店街~Part 3(亘理町)

$
0
0
こんにちはエムです。

3回シリーズでご紹介してきた「荒浜にぎわい商店街」。
そのPart 3をお届けします。

2015年6月17日 水曜日
荒浜が再びにぎわう商店街~Part 1(亘理町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-1.html

2015年6月19日 金曜日
荒浜が再びにぎわう商店街~Part 2(亘理町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-2.html

☆ーーー☆ーーー☆ーーー[菊一商店]ーーー☆ーーー☆ーーー☆

軽食・総菜・ソフトクリーム&コーヒーなどを提供しています。店内や店頭には飲食スペースがあり、ゆっくり食事をすることのできるお店です。
何と言っても看板メニューはワンコイン(500円)の定食。
代表の菊地一男さん自らが作る、揚げたての総菜が味わえます。


揚げたての総菜が味わえるワンコインの定食は11時半〜14時までです
総菜は手作りコロッケ、カニクリームコロッケ、とんかつ
鳥の唐揚げ、カレイの唐揚げなど10種類以上のメニューがありました

菊一商店代表の菊地一男さんは、「鳥の海ふれあい市場協働組合」の代表理事長でもあり、このココロプレスでも石野さんが紹介しています。

2015年4月29日 水曜日
荒浜に、もう一度、にぎわいとなりわいを(亘理町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/04/blog-post_87.html


震災前は「わたり温泉鳥の海」の1階に「ふれあい市場」があり、そこで総菜を販売していましたが被災し、自宅や事務所なども全て流されてしまいました。
しかし現在では、いつかまた当時のにぎわいを取り戻そうと、荒浜地区のためにいろいろと考えている菊地さん。

「この亘理という土地は海の物も山の物もある、県内でも恵まれた場所なので、もう少し努力すればお客さんに来てもらえると思います。

今足りないのは、子どもたちがもっとゆっくりできる場所です。
例えばせっかくの海があるので、海の生き物と触れ合える『学習体験ゾーン』を作るとか、そういう施設があればまた違うのかな。
子どもたちが来ない場所には活気がないですので、我々の持っていきようで活気は取り戻せると思っています。
これから我々が考え、町にお願いするなどして検討していきたいと考えています」

グローバルな視点からさまざまなアイディアを持つ菊地さんですが、本業はなんと建設業だとお聞きし、驚きと同時に納得しました。

菊地一男さん
◇ 連絡先 0223-35-2228


☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

そして最後にご紹介する2店舗は、アーケードから少し離れた場所にあります。
アーケード東側の道路を挟んだ向かい側に並んで建っている「仙台インターネット通信社」と「リアルサーフ」です。

仙台インターネット通信社

(画像提供:インターネット通信社)

代表の齋藤邦男さんが平成16年に開業した「仙台インターネット通信社」は、ホームページ制作代行やパソコン教室を行う他、パソコン全般の相談、画像編集加工、新聞折込などの印刷物の制作と印刷、コンサートや野外ステージなどの音響に関する仕事など、驚くほど多岐にわたります。

震災前は現在より100メートルほど海寄りに事務所がありました。
震災発生当時、事務所で会議をしていた齋藤さんは、今までなかった強い揺れに津波の襲来を予感したのだそうです。

「鳥の海は大潮の時のように潮が引き、海水が無い状態でした。私は記録を残すという気持ちで、撮影しながら逃げたのです」

(画像提供:インターネット通信社)

事務所にあった機材やデータなどは全て流されてしまいましたが、幸いにも2カ所へレンタルしていた機材が残りました。
その機材を使い、震災から1年後の平成24年、亘理町内の仮設店舗で業務を再開したのだそうです。そして「にぎわい回廊商店街」オープン後の5月1日に、今の場所での開業に至りました。

「荒浜は私の地元ですので、末永く定着したいですね。
でも、あんな体験はもうしたくありませんので、データはここには保存しないようにしています」
齋藤さんはそう語りました。

「土日はコンサートなどの音響関連の仕事で忙しい」と話す齋藤邦男さん
(画像提供:インターネット通信社)
◇ 連絡先 090-8250-3876
 「仙台インターネット通信社システム部 仙台音響PAプロダクション企画」


[リアルサーフ]

サーフショップ「リアルサーフ」代表の残間祥夫さんは、「にぎわい回廊商店街」の代表理事を務めています。

この商店街を案内していただく中で、とても興味深い話をお聞きすることができました。
「リアルサーフ」については、回を改めてお伝えしようと思います。





「にぎわい回廊商店街」では、これから各種イベントなどの催しが開催されるようです。
ココロプレスでも順次お知らせしていきたいと思っていますので、気になるイベントに出掛けてみてはいかがでしょうか。

お腹も心も満たされた取材で、荒浜地区のこれからの展開が楽しみになりました。

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

◆ 荒浜にぎわい回廊商店街
 亘理郡亘理町荒浜字築港通り6

定休日:月曜日
営業時間:10時〜17時
※ 店舗により営業時間が変わる場合がありますので、各店舗にお問い合わせください。

イベント:毎月第1、第3日曜日(サンマの炭焼きなど行います)

[各種イベント募集]
音楽ライブ、ダンス、作品展示、フリーマーケット、植木市など。
基本的に無料ですが、販売を伴うものは有料です。

◇ お問い合わせ先
「荒浜にぎわい回廊商店街」代表理事 
「リアルサーフ」残間祥夫さんまで
 電話:0223-36-9664

(取材日 平成27年5月29日)

【歌津復興夏まつりボランティア募集】東京発、南三陸町へ(南三陸町、東京都)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

今年もいよいよ夏祭りの季節がやってきました♪
宮城県内でも各地で花火大会やお祭りが予定されています。

南三陸町でも「歌津復興夏まつり」が8月2日(日)、伊里前福幸商店街で開催されます!

昨年の記事はこちら↓
====================
2014年9月3日
“ポストくん”と、歌津復興夏まつり
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/09/blog-post_3.html


====================

この「歌津復興夏まつり」の開催にあたり、現在裏方としてお手伝いいただけるボランティアスタッフを募集しています。

呼び掛けているのは、主に南三陸町で漁業や農業の補助作業などの支援活動を続けている「NPO法人フェローズ・ウィル」さんです。


以前ココロプレスでもご紹介しています。
====================
2014年11月15日
3.11、あの日を忘れない。写真展開催!
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/11/311.html
====================

「今年も会場設営、運営、撤収までのメイン業務の依頼を受け、南三陸町町民の“笑顔”のため支援を行うことになりました。第一回目には沖縄出身の『BEGIN』さんが出演してくださり、震災後初めて2,000人もの現地の方々が集まったお祭りとなりました。今年も出演が決定しています。
昨年は地元の和太鼓の音色に合わせた打ち上げ花火なども行われ、たくさんの方々の明るい笑顔を垣間見ることができました。日頃ご支援させていただいていている多くの漁師さんや仮設住宅にお住いの方々が集います。その方々に寄り添い同じ時間を共有することも大切な支援だと考えています」と話すのは、代表理事の我妻慶里さんです。





また8月8日(土)~10(月)に南三陸町で行われる漁業、農業のお手伝いをしていただけるボランティアスタッフも同時に募集しています。
こちらについてもぜひチェックしてくださいね。

=====================
■ボランティア募集情報  
※お申込みなどの詳細はHPよりご確認ください
=====================
■「南三陸町歌津復興夏まつり」支援ボランティアツアー
出発地:東京もしくは現地集合・現地解散
活動場所:南三陸町歌津伊里前復幸商店街
◆ツアー日時/8月1日(土)~3日(月)
◆参加費/29,800円 (現地集合・現地解散/19,800円)
◆活動内容
伊里前復幸商店街で開催されるお祭りの運営支援
テント、施設の運営、撤去、イベント運営補助(出店応援、会場整理、交通誘導ほか)
・8月1日準備
・8月2日本番 
・8月3日(日)撤収


---------------------------
■南三陸復興応援ボランティアツアー
出発地:東京もしくは現地集合・現地解散
活動場所:南三陸町
◆ツアー日時/8月8日~10日
◆募集定員/20名~最低催行15名
◆参加費/29,800円 (現地集合・現地解散/19,800円)
* 29,800円には往復交通費・宿泊代(朝2・夕2)昼食1 ボランティア保険代(東京発)
19,800円には宿泊代(朝2・夕2)昼食1、ボランティア保険代(関西発・仙台発)が含まれております
◆活動内容
再開した民宿に泊まりながら、漁師さんや農家の方の指導の下、ワカメ、ホタテなど養殖業の補助作業や農作業の支援活動。また震災当時のDVD鑑賞、被災地見学、復幸商店街などへの訪問も実施予定。

*お仕事等で日程の合わない方、関西からの方は直接現地集合もありますのでお問い合わせください。〈関西→LCC等で仙台空港仙台駅南三陸町(BRT若しくは高速バス)
仙台からの移動参加、二日間だけの日程希望もご相談に応じます。
*企業ボランティアコーディネートも承ります

「当団体は南三陸町の歌津地区、入谷地区、馬場中山地区で、漁業、養殖業や農業の補助作業などを行っています。特に町の主要産業である漁業、農業は1年を通して多くの作業があり、早期復興のためにたくさんの人手を必要としています。
アットホームなツアーで、年配の方でも1名から参加できます。皆さまのご参加をお待ちしております!」
と我妻さん。

今年5月に行われた南三陸町での活動には、51名もの
ボランティアが参加!
■お問い合わせ・お申込みはこちら
NPO法人フェローズ・ウィル
http://fellows-will.jp/
※HP「復興応援ツアーのご案内」よりお申し込みください

Facebook
https://www.facebook.com/fellows.will
=====================

みんなの笑顔が集まるお祭りや花火大会。
大人になってもやっぱり心が躍りますよね。
その気持ちは震災以降より強くなっているような気がします。

地元の方々のご尽力はもちろん、フェローズ・ウィルさんのように想いを寄せてくれる方々がいらっしゃるからこそ開催できるお祭り。
今年は感謝しながら楽しもうと思います!

(取材日 平成27年6月18日)

ガーデン・エクステア業界からの復興支援を。希望の芽2015が開催されました!(仙台市)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

5月23日、24日、夢メッセにて「ガーデン&エクステリア希望の芽2015」が開催されました。
2013年にスタートしてから今年で3回目になります。



・地域の街並み作り、住宅環境向上の観点からの震災復興を
----------------------------------------------------
「我々の業界は復興に貢献できていないんじゃないか。復興のために何かできることはないかと考えたのがきっかけだったんです。じゃあ、展示会みたいなのをやって仮設住宅で活動している方々と一緒に復興に携わっていこうと。ガーデン・エクステリア業界からできる復興支援を目的に、一般の人はあまり知られていないこの業界をより多くの人に知ってもらいたいという想いも込めてスタートしたんです」と話すのは希望の芽実行委員会 実行委員長の鈴木寿秋さん

「震災から4年たった今でも仮設で暮らしている人はたくさんいます。まだまだなんだよね。これを伝えていかないと東北の復興は終わったんじゃないかって思われてしまう。私たちができることはまだまある。東北に寄り添いながら我々の業界も一緒に発展していきたいです」

実行委員会の皆さん。中央でボードを持っているのが実行委員長の鈴木寿秋さんです。
「東北から元気な風を」

会場にはガーデンとエクステリアの専門店など約50社が集結。最新エクステリア商品や創作ガーデンの展示、花や植木、ガーデングッズの販売が行われました。
さらにステージではガーデニングセミナーや復興ライブ、コケ玉作りや手芸を楽しめるワークショップブース、飲食ブースと盛りだくさんの内容!2日間で約2万人もの人が訪れたそうです!





会場の中央には希望の鐘が。
みんなで一つになろうという想いが込められています

・心がこもった手作り品を。復興応援ブースも大盛況!
---------------------------------------------
今回私がお邪魔したのは、仮設住宅などで活動してきたお母さんたちによる手作り品を販売する復興応援ブース。

「新商品ができたから見てって~!」声を掛けてくれたのは、「岡田西町公園仮設編み会・縫い会」の遠藤さん(左)と佐藤さん。
遠藤さんのイチオシは可愛らしいお人形さんがアクセントのマフラー。
「帽子は日よけや草むしりにおすすめよ」と佐藤さん

こちらは仙台市宮城野区南蒲生地区で活動する「つぎはぎすっぺ茶」の代表 庄子恵子さん
震災後、近所のたちが集まれる場所をと、津波の被災を免れた自宅の蔵を改装してお茶飲みを始めたのがきっかけでした。現在は自宅の敷地内に開いたカフェ「茶房 藤」で活動をしています。

「みんなでおしゃべりしながら縫物をしてると嫌なことも忘れられる。
仲間がいてくれるから頑張れるのよ」と庄子さん

こういった仮設などで活動するグループにのために、全国から届いた毛糸や布、手芸品などを配布する活動を行っているのが、ココロプレスでもいつもお世話になっている「仙台市編み会・縫い会」の熊谷豊子さんです。

時がたつにつれて徐々に支援物資も減ってきているのでは? とお聞きしたところ、
「いえいえ、まだまだ倉庫がいっぱいになるほどなんです! 先日も30箱送られてきて! ずっと継続して送ってきてくださる方やわざわざ購入して送ってくださる方もいらっしゃるんですよ。本当にありがたいです」
と、うれしそうにお話してくださいました。

熊谷さんの活動についてはこちらの記事をご覧ください。
=================
2014年12月14日
手づくりの温かさが伝わる贈り物。「被災地女性たちの手作りマーケット」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/12/blog-post_92.html
=================

こちらは「りんくる」のブース。
被災された方々が作ったハンドメイド作品の販売やボランティア活動の紹介などを行っています。

写真提供:りんくる

代表の山尾布美枝さんと初めてお会いしたのは、昨年の「女性と防災せんだいフォーラム」でした。まだ「りんくる」を立ち上げたばかりでとおっしゃっていましたが

「今は登録団体も増えて、神奈川、富山、北海道と販売してくれる場所も増えたのよ!」
と、また山尾さんの優しい笑顔に会えました。

その一方
「自宅再建や復興公営住宅の入居によって仮設を卒業できるのはうれしい反面、メンバーが減り、活動を続けていくのが難しくなってきていて…。商品作りは続けたいけど継続するか迷っているグループもありますね。力はあるのにもったいないですよね。その方たちのためにも、環境作りなど、りんくるとして協力できることを探っていきたい」
と、山尾さん。

福島県相馬郡新地町の仮設で活動する「手芸グループ うみみどり」による
「会津木綿の花刺し子マカロンポーチ」。
「宮城以外の作り手さんも新しく加わりました♪」と山尾さん

次は「卸町5丁目仮設住宅町内会手作りくらぶ」の皆さん。

(左から)松木さん、高橋さん、代表の齋藤さん。
「うちで購入していただいた商品を持っている人を見つけたときは
すごくうれしかった」と齋藤さん
「こういった販売会に参加していることが、心の糧とかやる気につながる。自分のことを誰かが見ていてくれる、存在を認識してくれるって、社会とつながっているということがすごく大事だと思うんです。建物の復興は進んでいても、心の復興はまだまだ時間がかかると思う。仮設がなくなったからこういった販売会をやめるんじゃなくて、もうしばらく応援してほしいって思います」

「公営住宅の仮設でやっとできたコミュニティがまたバラバラになる。新しい所には知り合いがいないからと孤独に感じる人や引きこもる人も出てくるんじゃないかって。だから公営住宅でも同じようにこういった関わりというものを考えていかなければいけないんじゃないかって思っています。これまでのコミュニティも大事にしながら新しいコミュニティも作っていくということができたらいいな」
と、齋藤志津子さん。


震災後さまざまな所で販売会が開催されていますが、これだけの団体の作品が揃うことはなかなかありません。

「参加されている方同士の交流や繋がりを作るのも目的の一つなんだよ」
実行委員のメンバーである新野知章さん
新野さんは復興応援ブース設置のため第一回から中心となって活動されてきた方です。

その言葉通り、
「他のグループの作品を見ると刺激になる。販売会は勉強の場でもあるんだよ」
と皆さん口々におっしゃっていました。


そしてこの「希望の芽」には、復興支援ソングとして作られたテーマ曲があります。
作詞、作曲を担当したのは山形在住のシンガーソングライター須貝智郎さんです。

人と人を繋ぐという想いが込められたテーマ曲「結人(ゆいびと)」。

こちらについては、あらためてご紹介したいと思います。


(取材日 平成27年5月23日)

真心と笑顔を伝える「ミナ・タン チャーム」(南三陸町)

$
0
0
石野葉穂香です。

被災地では、職場を失った方への応援、あるいは新たな雇用創出の機会として、地元の方々の趣味や技術を生かした手づくり品の作製支援や販売のサポートなどが続けられています。

木工品、金属工芸品、縫製品、編み物・・・。
いずれも地元のお母さんたちの手業が光る逸品ばかり。
ショップで一目惚れして衝動買いし、新作をリピートするファンもいらっしゃいます。
ブランドバリューはありませんが、素朴で愛らしい品々ばかり。
そこに込められたお母さんたちの心が、私たちの心もほっと温めてくれます。

さらにクオリティの高い本格的な高級商品づくりに挑戦している皆さんもいます。

南三陸町のお母さんたちが主にイタリア製のテキスタイル(布地)を使って作る、高品質で本格的なチャーム(小物)「ミナ・タン チャーム(MINA-TAN CHARM)」が、それです。

志津川湾を背景にミナ・タン チャームの動物たちに集まってもらいました
ミナ・タン チャームは、ファッションデザイナーの芦田多恵さんが、「株式会社ジュン アシダ」による継続的な被災地復興支援を目的として発足させた高品質な小物製作プロジェクト。

芦田さんは、2013年、被災地へのミシン提供や手仕事活動を続けていたボランティア団体「MSRスマイルプロジェクト」を通じて、南三陸町のお母さんたちに声を掛けます。

そして、世界を舞台に活躍される芦田多恵さんと、南三陸町のお母さんたちがコラボ。
世界に発信できる高品質な作品を作り続けているのです。

6月1日、南三陸町「ホテル観洋」で行われたワークショップ。
新しいキャラクターを作るためのレクチャーです
チャームの意味は幅広く、お守りという意味もあります。
でも、ここでいうチャームは、バッグなどに付けるマスコット付きキーホルダーのこと。
高校生の女の子たちが通学バッグにぶら下げている小さなぬいぐるみなどもチャームです。

でも、ミナ・タン チャームは、大人も使えるチャーム。
ジュン アシダ社の服に使われるカシミアやアルパカといったイタリア製の高品質な布の端切れや、ボタンや金属類も高級なパーツを使用。ディテールまで丁寧に作り込まれたハイクオリティでラグジュアリーなチャームなのです。

モチーフは、かわいらしい動物たち。
完成品は、アシダブランドの技術者たちの厳しいチェックを経て、東京代官山、銀座、大阪御堂筋、パリなどにある芦田さんの直営店のほか、三越や伊勢丹をはじめとする全国有名百貨店の、主にポップアップショップ(常設ではなく期間限定の店)などで販売されています。

キュートなデザイン、ハイクオリティな質感、細やかで確かな縫製。
チャームとして、あるいは置物としても人気です。
ちなみにお値段は1万2000円~1万8000円ほど。
「まずできることから被災地を支援しよう」
芦田さんは震災直後、チャリティTシャツを製作し、売り上げを義援金として寄付しました。
「その後、私たちにできることで、ずっと被災地を応援し続けられる長期的な支援はなんだろう?  と考え続けていました」(芦田さん)

芦田さんは、ファッションデザイナーというご自身のお仕事とフィールドから、息の長い支援の方法を考えます。
でも、点のようなアイデアは浮かんでも、なかなか一つに繋がらない・・・。

ところが、初めての顔合わせで南三陸町訪問となる日の前夜のこと。
「それは突然でした。南三陸の人たちとチャームを作ろう! っていうアイデアが降ってきたのです(笑)。それまでの点々が、1本の線となって、すうっと結ばれていったんです」(芦田さん)

「布地にも順目、逆目があります」「綿を詰めすぎないように」「気持ち内側をカットして」
プロの指導を受けるお母さんたちの目は真剣そのもの。
「大切なのは、手作りだから表現できる、心のこもった商品を作ること」と芦田多恵さん(後方)
芦田さんは、早速、チャームづくりのためのプロジェクト「Support Tohoku Eternal Project」を立ち上げて、2013年7月、南三陸町で、ミナ・タン・チャームの制作を始めました。
最初の作品は「キリン」。デザインはもちろん芦田さん。
南三陸町でワークショップを開催し、芦田さんと、縫製のプロであるジュン アシダの技術者の皆さんが、町のお母さんたちに作り方をレクチャーしました。

「初めてでしたし、クオリティを求めたこともあって、皆さん、だいぶ苦戦してましたね。それでも、すごくがんばってくださって、半年でデビューできました」(芦田さん)

お母さんたちのデビュー作品となったキリン
これまでに、キリン、イヌ、ネコ、ライオン、ウマ、ヒツジ、ペガサス、クマの8種類が作られてきました。
製作個数は3000個を超え、販売個数は2560個以上にもなります。
そして、売上金の中から販売経費を除いた金額が、お母さんたちへ、ギャラ(工賃)として支払われます。

今月、6月2日には、第8回目のワークショップが「ホテル観洋」で開かれ、第9作目となる「モンキー」の作製レクチャーが行われました。
モンキーは来年の干支にちなむもの。

ミシンに向かっていると余計なことを考えなくてすみます。
昔から縫い物は大好き。集中できるし、楽しい。
いい仕事に出合えてうれしいです」
(梅澤松子さん)
細かいパーツの一つ一つに型紙があります
やり直しのできない工程がほとんど。
技術力と集中力が求められます
芦田さんは、
「チャリティではなく、お仕事です。私たちも、これをしっかり販売していきたい。売れるものでなければいけません。
お母さんたちが、ひと針、ひと針、心を込めて作っています。心を込める・・・。それはもの作りの原点。
ミナ・タン チャームがスタートした2013年は、くしくも『ジュン アシダ』のメゾン設立50周年でした。その年に、私たちの原点に立ち返れる出会いがあったことがすごくうれしく、幸せです」

ジュン アシダの商品企画部の千田瑞枝さんは
「チャームを作ってくださっているのは、私たちが『ミナタンのお母さん』と呼ぶ、延べ20名の皆さん。プロジェクトを進める仲間として、ずっと一緒に継続していきたい」と話しました。

「技術は手に残るもの。工賃をお支払いするという支援だけでなく、技も、そしてモノをつくる楽しさも共有できたらって思います」(千田さん)

お母さんたちが使うミシンは
「MSRスマイルプロジェクト」から送られたものもあります
「ミナ・タン」の名前は由来は・・・
「MINA」は、南三陸町のMINA、
「TAN」は、芦田多恵さんのイニシャルのTA、『TAE ASHIDA』ブランドのTA。
そして、千利休の孫、宗旦(そうたん)のTANです。

京都・正安寺の住職が、ある日、庭に咲いた白玉椿を宗旦に届けようと、小僧に持たせます。
でも、小僧は途中で転んでしまい、椿の花びらは散ってしまいました。

小僧は花びらを拾い集め、泣きそうになりながらも宗旦に届けました。
宗旦は小僧をねぎらったあと、花が散った椿の枝を床の間に活け、花びらをまき散らします。

花はなくても青々とした葉色を照らす椿の枝、そして散ってなお瑞々しい花の色・・・。
宗旦は、花を失った枝を、散り落ちた花びらを生かし、茶室を生かしました。
そして住職の心、小僧の真心、さらに自らの茶の道を生かしたのです。

美しかったものがあるとき価値を失っても、真心を吹き込むことで、再び輝きを取り戻すことがある。美しく甦らせ、関わるすべてのものを生かすことができる・・・。
「TAN」は、この宗旦の逸話に由来します。

ハート型の「M」。そしてハートに包まれて微笑むような「T」の文字。
「Our hearts are always together」・・・なんて読んでしまいそう・・・
ひと針に、心を込めて、作る。
手になる仕事という、もの作りの原初の哲理を踏みながら、端切れになってしまった・・・とはいえ、織職人が心を込めて織った布に、もう一度、新しい価値と輝きを与えます。

誰かが喜んでくれるなら。
幸せな気持ちになってくれるなら・・・。

芦田さんを中心に記念撮影。
「心をこめて 芦田多恵」
チャームには、もうひとつ「魅力」という意味もあります。

人の魅力は何よりも真心。そして心からあふれるような笑顔。

つくる人、持つ人、誰をもきっと笑顔にしてくれる、ステキなチャームです。

「ミナ・タン チャーム」公式サイト
http://mina-tan.com/

「MSR smile project」
http://minamisanriku311.hariko.com/


(取材日 平成27年6月2日)

地元食材の魅力を輝かせた食品を開発しています(気仙沼市)

$
0
0
こんにちは。kaiiです。

東日本大震災の津波被害を受けた気仙沼観光の中核施設「海鮮市場 海の市」が全面再開して、7月19日で1年になります。

「海の市」では、気仙沼の海産物や特産品などを販売する店8店舗と飲食店4店舗の、計12店舗が営業しています。
県道側の南側入り口から入ってすぐの場所にある「伊八郎」は佃煮の専門店です。

気仙沼港に水揚げされたメカジキやオキアミ。気仙沼湾で生産されている名産品の一つ、ワカメなどを原料にした佃煮も含め19種類の佃煮を製造販売しています。



「伊八郎」を運営する株式会社モリヤは、平成3年に気仙沼魚市場に近い気仙沼市弁天町で創業しました。
その後、平成10年に本社工場を気仙沼市潮見町に移転し、水産加工品の製造卸の会社として確実に成長していました。

平成23年の東日本大震災の津波で、潮見町にあった本社工場が被災したため、現在は、気仙沼市長磯二本松に工場を移し、適正価格で安全な食品を消費者に提供することをモットーに営業を続けています。



気仙沼は新鮮食材の宝庫なのに、「佃煮?」

もともと気仙沼にはサンマの甘露煮やイカの塩辛などの加工品を作る高い技術はありましたが、佃煮を食べる習慣があまりなかったため、佃煮の加工技術はあまり高くありませんでした。




代表取締役の守屋守昭(もりや もりあき)さんによれば、

「気仙沼には水産加工品をつくる原料がたくさんあります」
「しかし、原料となるものの中には、手間が掛かるという理由で加工されずに捨てられていもるのがたくさんあります」

「三陸産あみ佃煮の原料であるアミもその一つです。佃煮などに加工すればおいしく食べられる食材ですが、食品としての認知の低い食材です。そのような食材に着目し、佃煮に加工しています」

「弊社の佃煮は、自信をもってお客様にお薦めできる商品ばかりです。中でも『めかじき佃煮』は、弊社で取り扱う佃煮の中でも自慢の逸品です」
と話します。

気仙沼初の佃煮専門店「伊八郎」の
めかじき佃煮(150g500円)

メカジキは近海マグロはえ縄船などが年間を通じて気仙沼港に水揚げする、カジキマグロの一種です。
身が柔らかく、気仙沼地方では昔からよく食べられている人気食材の一つです。

最近では大手コンビニエンスストアーが、期間限定のおにぎりの具材として使うなど、注目を集めています。

めかじき佃煮入りおむずび(左)
三陸産あみ佃煮入りおむすび(右)
守屋さんに、自慢の「佃煮」のお薦めの食べ方について伺うと、
「宮城県のおいしいお米で炊いたご飯といっしょに食べるのが一番おいしい食べ方です」
と商品のおいしさに自信をのぞかせます。

守屋社長自慢の「めかじき佃煮」

「東日本大震災後、消費者の水産物に対するニーズの変化を感じます。
震災の影響もあると思いますが、住宅事情の変化や少子高齢化が原因で、温めるだけで食べられる調理済み食品に消費者のニーズが集まってきています」

「高度成長期を境にして、家族の少人数化が進み、食生活も大きく変化しました。家族が大人数であれば、食材をそのまま購入し家庭で調理するほうが経済的でしたが、高齢者だけの世帯が増えたことから、必要なもの、食べたいものを調理済みの食品で必要な分だけ購入するのが経済的だと判断される方が増えているのだと思います。
高齢の方たちは、食品を捨てることに対し『もったいない』という気持ちもあるようです。震災を機に高齢の方の意識の変化を感じます」


「伊八郎は、モリヤが生産する水産加工品を消費者の皆さんに紹介し、消費者の皆さんのニーズを探るアンテナショップとしての役割を果たしていく店になると思います」

「地元の食材を大切に輝かせた商品を販売しています」
「伊八郎の佃煮をよろしくお願いします」
株式会社モリヤ代表取締役 守屋守昭さん

「地元のおいしい食材を最大限に活かし食材の魅力を輝かせた商品づくりをすることが、商品を手にするお客様と、商品に関わる全ての人の幸せになると思います」
「気仙沼市の新しい特産品として、『佃煮』を育てていきたいです」と守屋さんは話します。



伊八郎の佃煮はギフトとしても販売されています

店長の横山泰子さんは佃煮専門店を開店する時、気仙沼に佃煮のニーズがあるのか不安だったといいます。
最近は、お客さまから「伊八郎の佃煮を「海の市」以外の場所でも購入できませんか? という問い合わせも増えていると話します。

横山店長の、お薦めの佃煮は、ワカメのクキを原料にした、「生姜茎わかめ」です。
最近、話題になっている「おにぎらず」の具材にすると「おいしいですよ」とお薦めの食べ方も教えてくださいました。

ブリやサケなどの加工品も人気です

守屋さんは今年、被災した工場に代わる新工場を気仙沼市赤岩港地区に着工する予定です。
「若い人たちが、気仙沼で仕事をして生計を立てていける雇用の場を生み出し、業務用商品の製造だけでなく、一般消費者向けの商品の開発にも取り組んでいきたい」と守屋さんは話します。


気仙沼 四季 伊八郎
 気仙沼市魚市場前7-13  気仙沼産業センター1F
 電話・FAX 0226-25-8084



※ホームページは作成中です。


「海の市」


東日本大震災で被災した企業の皆さんが、震災後の消費者のニーズの変化に対応しながら、縮小した販路の拡大に悪戦苦闘しているお話をお聞きする機会があります。
新商品の開発、販路の拡大、雇用の確保など、事業を営む方々のご苦労についてをあらためて考えさせられました。

「伊八郎」の「めかじき佃煮」入りおむすびを食べながら、そうした苦労をする人たちの努力に感謝しました。

(取材日 平成27年6月4日)

海の恩恵を知り海で生きる人々(亘理町)

$
0
0
こんにちはエムです。

亘理町荒浜地区に平成27年3月にオープンした「荒浜にぎわい回廊商店街」
その代表理事を務めるのは、サーフショップ「リアルサーフ」の残間祥夫さんです。

前回の記事でもご紹介した通り、「にぎわい回廊商店街」で開業しているのは、もともと荒浜で開業していて被災したお店ばかりです。

「本当は皆さん、元あった自分の土地に再建するはずだったのですが、町の方から商店主の人たちに、商店街を集約したいという話があったのです。
そこで声掛けし、その趣旨に賛同した方や、また荒浜で再開したいという気持ちを持ったお店が集まり、中小企業グループ施設等復旧整備補助事業からの補助金を活用してこの商店街を整備しました」


====================
荒浜が再びにぎわう商店街(亘理町)
 Part 1~Part3

http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-1.html

http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-2.html

http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-3.html

====================


残間さん自身がサーフショップをこの荒浜地区に構えたのは20数年前。

東日本大震災発生時お店にいた残間さんは、大津波の情報を聞き、海に入っている人がいないかどうかを確認するために海に向かったのだそうです。
幸い誰も海に入っている人がいないのを見届けた残間さんは、岩沼の自宅が心配になって戻ったので無事でしたが、その後発生した津波により、お店も商品も全て流されてしまいました。

しかしこうして再び、サーフショップを再開しました。
「再開したのは昨年の12月17日です。
もっと早く開店するはずだったのですが、基盤整備や手続きが遅れて12月になってしまいました。それでも、商店街の皆さんよりは早かったですね」


しかし甚大な被害があった荒浜地区で、再びサーフショップを開業することに、ご自身や他の住民の方の気持ちに抵抗は無かったのでしょうか。

「お店も、サーフィンも、震災前から地元に根付いていました。『あそこはサーフィンする場所だ』と。
ですから開業する際には、一切苦情みたいなものは無かったですね。

でも震災当時はサーフィンなんてもう絶対できないと思っていました。私自身、町の臨時職員や瓦礫の整理などの仕事をしてました。
『一般社団法人日本サーフィン連盟・宮城支部』という団体があるのですが、震災後に会合とか何度かあり、海岸の整備やゴミ拾いなど行っていました。そして、サーフィンを再開できる場所が決定され始めたのが、震災2年後でした。

私も津浪で被害を受けたんですが、それ以上に海からもらっているものの方が多いのかな……とその頃から思うようになったんです。

サーフィンができるようになってから町の方からも『ぜひサーファーの方たち、来てください』と言われました。
我々は海に入るのが日常で当たり前のことで、もはや生活の一部になっています」


震災発生から4年が過ぎ、現在宮城県内でサーフィンのできる場所は、仙台新港、七ヶ浜町の菖蒲田浜、亘理町荒浜と吉田浜、山元町笠野の一部です。
荒浜では平日も15人前後、土日は一番多く、30人〜40人のサーファーが海でサーフィンを楽しむ姿を見ることができるのだそうです。
中でも比較的波の条件が良い早朝に入る人が多いそうで、サーフィンをした後に出勤する人もいるとか。

夜は早く眠り、朝日が昇る前に起きて海に入る。
この日来店したお2人も常連の方のようでしたが、そんな生活が日常になっていると語る笑顔は、自分らしく生きる自信と喜びに輝いて見えました。

亘理の海に是非、遊びに来てください 

残間祥夫さん(中央)。相馬由香さん(左)は名取市在住で3歳のお子さんを持つ
お母さん。多い時は週に3、4回来ているそうです。
太田タカヒロさんは補聴器の営業マン。夏は仕事前に入る時もあるそうですが
この日はお休みだったようです

ココロプレスでは今まで、復興に尽力されるたくさんの方をご紹介してきましたし、私自身、ここで記事を書かせていただくようになった1年10カ月の間にも、たくさんの方々にお会いし、お話を聞いてきました。

しかし今回は取材しながら、私は今まで感じたことのないような違和感を感じていました。
サーフショップとは海の波に乗るサーファーの皆さんが来るお店。サーファーとは “あの海” に入り、楽しんでいる人々。
そんな方に会ったのは取材中、初めてのことだったからでしょうか。

しかしお話を聞いているうちに、違和感は衝撃となり、そして目に貼り付いていたウロコが落ちたような気持ちになりました。
海は “あの海” なんかじゃなく、私たち人類やたくさんの生物が生まれた場所でもあり、今も海があるおかげで生かされている、“母なる地球” そのものだったこと。それを忘れていた自分に気付きました。
海を愛する人々にお会いし、そのことを鮮烈に知らされた取材でした。


リアルサーフ
亘理郡亘理町荒浜字築港通り34-25
電話:0223-36-9664

(取材日 平成27年5月29日)

被災地ツアーで見えてくるもの:南三陸町編(南三陸)

$
0
0
こんにちは、Chocoです。
震災から5年目。
仙石線も開通し、駅も再開され、通勤や通学、通院が以前よりも楽になったと喜びの声を上げている人がたくさんいます。

さまざまなところで、「復興」が少しずつ前進しています。

支援の形も変化してきています。
私が初めて石巻を訪れたのは、震災から半年を過ぎてからでしたが、その頃のボランティア作業は、ヘドロや瓦礫撤去でした。
私が来る前からも多くの人たちがその作業をひたすらしていました。

その後、瓦礫撤去作業が落ち着くと、再開した漁業での支援、被災した家の修復や、仮設住宅でのお茶会、地域の祭やイベントのお手伝いをするようになりました。

現在は、イベントを企画したり、起業支援やインターンの受け入れ、ボランティアツアーという形の被災地支援が各地で行われています。

「これが今、私たちにできることです」
私が取材した3カ所のツアーで出会った人々から聞いた言葉です。
各地でさまざまな復興ツアーが企画され、県外から多くの人々が被災地を訪れています。
今回は、3つの復興ツアーを通して見えてくる大切なことを紹介したいと思います。
=================
まず、最初の舞台は南三陸町からです。

4月25日、「南三陸復興ツアー」が開催されました。
参加者は、翌26日に登米市の長沼フートピア公園で開催された「東北風土マラソン&フェスティバル」のランナーの皆さんです。
イベントは、1日目には3つの東北風土ツーリズムや会場で催し物、前夜祭が開かれ、2日目にはマラソン大会があり、2日間合わせて、27,000人が集まりました。
海外からも約100 人がランナーとして参加していました。

============================
※ココロプレス
笑顔とグルメがいっぱい!〜東北風土マラソンが開催されました〜2015年5月7日
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/05/blog-post_7.html
============================

東北風土マラソンの前日には、3つの「東北風土ツーリズム」が行われました。

 「東北酒蔵ツアー」
 「登米 風土ウォーキングツアー」
 「南三陸復興ツアー」

どれも東北の風土と美味を堪能する内容となっていました。



今回は、私が参加した「南三陸復興ツアー」を紹介しようと思います。


南三陸町の志津川地区と戸倉地区を訪ね、防災庁舎など震災遺構を見学しました。
ツアー終盤には、地元漁師さんのもとで、獲れたてのカキや新鮮なワカメのしゃぶしゃぶも堪能しました。

ツアーのガイドを務めたのは、社会貢献共同体ユナイテッド・アースの工藤望さんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
工藤さんの活動は、以前ココロプレスでも紹介しました。
=============================
被災地を見て、触れて学ぶ「南三陸復興学びのプログラム」2013年9月10日
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/09/blog-post_5156.html
=============================

震災から約1年後の2012年2月25日に『仮設商店街 さんさん商店街』がオープンしました。
町が真っ暗な状態だった中、自宅も仕事も失った人々が多い中での商店街開店は人々の希望となりました。
しかし、自分の生活で精一杯だった当時、応援したくてもできなかったと工藤さんは話します。
しかし、県外には、被災地を支援したいという人が多くいました。
そこで工藤さんは「震災の風化防止、全国に防災、減災を広めること」を目的に、「南三陸復興学びのプログラム」を企画しました。
南三陸を中心に被災地の視察やボランティア活動を通して支援をしながら、学ぶことができる内容です。
そしてこのプログラムは、現在も県外から多くの人々が参加しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回のツアーでは、工藤さんが震災当時の様子を語りながら、防災庁舎や病院など震災の跡が残る施設を回りました。
【南三陸町防災庁舎】
鉄骨3階建ての防災庁舎の屋上には、震災当時53名が避難していましたが、津波は屋上の高さをも越え、43名の方の尊い命を奪いました。
犠牲となった方の中に1人の若い女性職員がいました。
防災無線を使い高台への避難を地元住民に呼び掛けていた方です。
その懸命な呼び掛けのおかげで、多くの命が救われました。

庁舎の敷地にある献花台の前でツアー参加者の皆さんは犠牲となった方々に黙祷を捧げました。

【南三陸町立戸倉中学校】
標高20mの高台にある戸倉中学校。
津波は校舎1階まで押し寄せてきました。

戸倉中学校から見た海岸
私が撮影した位置でも高く見えますが、
実際の津波は校舎1 階の高さまできました
3月11日はちょうど卒業式の前日でした。
黒板はその当時のまま残っていました

バスで移動中に見えてくるのは、復旧工事、防波堤工事の様子でした。

工藤さんは被災地の現状と、その地に住む人々の気持ちを参加者に伝えます。
「今後の復興計画は8.7mの防潮堤を建てる予定ですが、大勢の住民の方が反対しています。
まるで、刑務所のようだと皆さんは私に話します」

8.7mの防潮堤が建つことによって、逃げる時間を少し稼ぐことできるという統計が出ています。
しかし、防潮堤工事に伴い山から流れる栄養分が届かず、魚の育ちが悪くなります。そして、美しい景観も見えなくなってしまいます。

海を見て育った人々や海を相手に生きる漁師さんにとって、
現在、辛い選択を迫られています。

そんな中でも震災後の風評被害にも負けずに、東北の海の幸の安全でおいしい魅力を発信している漁師さんは多くいます。
金比羅丸の高橋さんもその中の1人です。
==========================
金比羅丸の若大将 高橋直哉さんの記事はこちら
「やっぱり海はおもしろい」若き漁師Part2(南三陸歌津)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/part2.html
==========================
家族一丸となって漁業を再開しています。

今回のツアーでは、高橋さんの所の高級ワカメと大きなカキ、そしておいしい日本酒が振舞われました。
皆さんの顔は幸せな顔になっていました。

サッと湯がくだけで、色が新鮮な緑色に早変わり!!
ワカメしゃぶしゃぶには、皆さんも驚いていました

大きなカキを食べているときにお話した高嶋さん親子。
全国各地のマラソン大会にお2人で参加しているそうです。
南三陸の魅力を存分に味わっていました。
ツアーの参加者の中には、香港から訪れた方も多くいました。
香港からツアーに参加した皆さん。
その中の1人にお話を聞きしました。
「今回の風土マラソンに参加するために香港から来ました。
走ることと、おいしいものを食べるのが好きだったという理由もありますが、今回のイベントはとても意味のあるものだと思い、参加しました。
被災地に来たのは初めてでしたが、やはり、テレビで見るのと実際に見るのはとても違います。
今までこんなにきれいな環境とすばらしい景色の中で過ごしてきたのに一変してしまうということは、想像するだけでとても悲しいです。

できるだけ早く復興することを祈っています。
放射能や風評被害など、まだまだ問題は多くあると思いますが、
私たちのように多くの人が東北へ来ることを願っています」
「東北日本がんばれ!
香港もみなさんを応援しています」
Chong Hiu Yeungさん


「町の皆さんは、『忘れられることが怖い』と話しています。
いつまでも支援に頼っていてはいけないかもしれないけど、
震災から4年が過ぎても、ボランティアさんが町に足を運んでくれることが、
町の人々にとっても心の支えになっているんですよ」
ボランティアと地元の人々との橋渡しとなって活躍している工藤さんは私にそう話してくれました。
ーーーーーーーーーーーーーーー
被災地ツアーで見えてくること。
それは「心の支え」です。

震災後、「ゼロからスタートではなく、マイナスからスタートなんだ」と復興のため、家族のため、町のために一生懸命活動している人々が多くいます。
その地域に訪れる人々との交流は、ここに住む人々にとって大きな原動力となるのです。

(取材日 平成27年4月25日)

人と人とを繋ぐ“結”に想いを込めたテーマソング@希望の芽(仙台市)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

5月23日、24日、夢メッセにて開催された「ガーデン&エクステリア希望の芽2015」。
ガーデン・エクステリア業界からできる復興支援をと、2013年からスタートしました。

希望の芽実行委員会の皆さん。
「東北から元気な風を」

前回の記事はこちら↓
=========================
2015年6月23日 火曜日
ガーデン・エクステリア業界からの復興支援を。希望の芽2015が開催されました!(仙台市)
2015年6月23日 火曜日
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/2015_23.html
=========================

前回の記事でもお伝えしましたが、この「希望の芽」には復興支援ソングとして作られたテーマ曲があります。

その曲は、人と人を繋ぐという想いを込め「結人(ゆいびと)」と名付けられました。
作詞作曲を担当したのは、山形在住のシンガーソングライター須貝智郎さんです。
農家の傍ら、山形を中心に全国各地でライブ活動や講演を行っていらっしゃいます。

ところで地元ネタになってしまいますが、山形出身の人なら「べごこが~山へ~行く日は~」とテレビから流れてくるこの曲ご存じですよね?きっと誰もが口ずさめるはず!私も小さい頃は歌っていた思い出の曲です。
この曲を作詞、作曲し歌っているのが須貝智郎さんです。

ちなみに、“べごこ”とは、子牛のことです。
懐かしい!という方は「ベゴ子は山へ」で検索してみてくださいね。


・東日本大震災復興支援コンサートを毎年開催
----------------------------------------

「山形県は、東日本大震災の直接的な被害から免れました。そのため隣接県でありながら、震災によって被災された方々のこと、放射能により帰れない方々のことに想いを寄せることが難しくなっています。被害に遭われた人たちのために、いったい何が出来るだろうと考えた時、自分には歌がありました」と須貝さん。

その想いを胸に「歌でつなごう命と望み」をテーマに2011年4月から復興支援コンサートを開始。
今年3月の開催で5回目を迎えました。

コンサートやオークションの収益金は支援金として毎年被災地に寄付しています。

2011年4月に須貝さんの自宅で開催された復興支援コンサート。
中央でギターを持っている方が須貝智郎さんです

「今年の復興支援コンサートに、山形市在住で仙台ボランティアセンターで亘理町の支援を続けておられる方が参加してくださいました。毎年、コンサート開催時に震災関係の映像を紹介していますが、今年はその方のお話に合わせて亘理町の映像をユーチューブから選び紹介しました。また、節電のため音響設備を使わず生演奏を心がけています。前回の開催時には、参加者にろうそくを作っていただき会場に灯しました」

今年のコンサートでは須貝さん初め地元や県内で活動するアーティストによる
ピアノやギター演奏、民話の語り部なども開催

「年月は過ぎても、本当の復興の形はなかなか見えてきません。歌を通して、少しでもその方々に寄り添うことを、これからも続けていきたいと思います」と須貝さんは言います。


・「希望の芽」テーマ曲「結人」に込めた想い
-------------------------------------

須貝さんのこういった活動を知っていた希望の芽の実行委員会の方から依頼を受けたことが、「結人」が誕生するきっかけでした。

「“結”という言葉は、農業に携わる人だけでなく、地域に根付く昔からある助け合いの精神であり、私はその言葉が好きなんです。それが『希望の芽』のテーマと重なると想いこのタイトルにしたんです」と須貝さん。


結人

君を守るため 生まれてきたんだ 
かけがえのない この地球(ほし)に 
君と出会えた 透明な奇跡 
もう離さない そばにいるから 
二人でゴールを 目指しながら 
一緒にテープを 笑顔で切ろう 
手に手をとって 夢追いかけて 
あきらめないで 前に進もう 
君は 最高の 最高の パートナー  

ちいさな石ころに つまずき転んで 
いつの時代も 試されている 
うまく生きてゆく レシピなんかない 
澄んだ青空 自由に飛ぶ鳥  
当たり前のこと とてもいとおしく 
当たり前のこと 君がここにいる 
手に手をとって 夢追いかけて
あきらめないで 前に進もう 
君は 最高の 最高の パートナー  

君を守るため 生まれてきたんだ 
つらくて悲しい 過去さえも 
力合わせて ひとつになれば 
もっと強く なれるはず 
希望の芽を 育くみながら 
生命(いのち)の鼓動を 分かち合おう  
手に手をとって 夢追いかけて 
あきらめないで 前に進もう  
君は 最高の 最高のパートナー 

手に手をとって 夢追いかけて 
あきらめないで 前に進もう  
君は 最高の 最高のパートナー 

(作詞/作曲 須貝智郎、編曲/寺地麻喜)




「開催当初からこのイベントに参加させていただきました。手さぐりから始まった催しですが、年々内容も充実し多くの来場者を迎えるイベントになったことをうれしく思っています。
東日本大震災の復興からの希望の芽、その開催当初の想いをこれからも大切にしながら継続していただきたいと思います」


須貝智郎さんブログ
おじんちゃの鍬

-------------------------------

同じ東北を想いながら、4年経った今でも支援活動を続けていらっしゃる須貝智郎さん。
復興支援コンサートは、震災を風化させないようにと地震発生時刻に合わせて開催しているそうです。
須貝さんのように今もなお心を寄せてくださる方がたくさんいることを知り、とてもうれしくなりました。

「希望の芽」で須貝さんのライブが行われたのは、私が取材にお邪魔した翌日の24日。
残念ながら私も見ることができませんでした。

しかし、実行委員長の鈴木寿秋さんにお話を伺ったところ、来年も「希望の芽」を開催する予定とのことでした!

今回見逃してしまった方は、ぜひ来年お出掛けください。


(取材日 平成27年5月23日)

いつまでも花色の島々でありますように・・・「海と花の物語」(塩竈市)

$
0
0
石野葉穂香です。

松を頂いた大小いくつもの島影が散らばる「松島湾八百八島」。
江戸を「大江戸八百八町」、大阪を「浪速八百八橋」・・・と呼んだように、要するにたくさんあるという意味です。

松島湾の島々で、実際に島と認められるものは約230島。岩礁を含めると300近くになります。
八百八島はオーバーですが、遊覧船に乗ってこの多島湾を行けば、島の数の多さにあらためて気付かされます。

松島湾の300近い島や岩礁は、七ヶ浜町、塩竈市、松島町、東松島市のいずれかに属しています。
また、人が暮らしているのは、このうち塩竈市に属する「浦戸諸島」の桂島、野々島、寒風沢島、朴島の4島のみです

野々島の宇内浜です。沖に浮かぶのは陰田島。
陰田島は、以前はもっときれいな三角形でしたが、
地震の揺れで崩落してしまいました
浦戸諸島と呼ばれる範囲については、解釈がいくつかあるそうですが、塩竈市によると「行政的には塩竈市域に属する島や岩礁のこと。また有人島である先の4島を指して呼ぶことが多い」のだとか。
実際、「浦戸」といえば、塩竈市営汽船で渡って行ける、この4つの島のことを思い浮かべる人が多いでしょう。

浦戸諸島はまた、花咲く島々でもあります。
よく知られる花景色は、桂島の菜の花でしょうか。

そして、家々の庭先はもちろん、野辺の道の傍らや、浜辺やヤブのそばなどにも、チューリップやスイセン、ウメ、サクラ、ヤブツバキ、ヤマツツジ、ワスレナグサ、ハマヒルガオ、ヤブムラサキ、そして夏にはハマナス、ラベンダー、ヒマワリ、キキョウ、秋にはコスモス、ワレモコウ・・・。
園芸種から山野草まで、ここに書ききれないほど、たくさんの花々が咲き競っています。

宇内浜に咲いていたハマヒルガオ

でも、3.11の津波は、多くの家屋、そして農地や花畑などを侵し、花色にあふれていた場所をガレキに埋め、土色に変えてしまいました。

「花いっぱいの島を取り戻そう!」
震災後、浦戸諸島では、花の種を蒔いたり、苗や球根を植える活動がいくつもスタートしました。

6月6日、そうした活動を進めている「海と花の物語」の一行が、浦戸諸島へやって来ました。
この日は、今春、花を咲かせてくれたスイセンやチューリップの球根を掘り起こして回収するという活動。

秋になったら、これらの球根を、あらためて島の各所に植える予定です。
球根は、一度掘り起こしてやることで、いっそう元気になります。

そうしてまた、来年には、島を美しい春色に染め上げてくれるのです。

石浜地区でスイセンの球根を掘り起こしました
今回の活動の告知記事はこちらです

2015年6月2日(火曜日)
浦戸諸島にたくさんの花と笑顔を! 「チューリップ球根堀り&島歩き」参加者募集(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/blog-post_25.html

「海と花の物語」は、桂島に縁のある内海啓二さん・友子さんご夫妻が、「島の人たちを元気づけたい」と2011年秋に始動した活動。
『花と緑の力で3.11プロジェクトみやぎ委員会』をはじめ、全国の方々から提供していただいた約3,000個の球根を、同年11月、桂島と野々島に、ボランティアの方々と一緒に植えたのが始まりでした。

6月6日の活動に参加された皆さんです(宇内浜にて)

でも、内海さんご夫妻は、実はもう10年以上前から、島に通い続け、花を植える活動を続けていらっしゃいます。
「海と花の物語」・・・という現在の名称となるよりもずっと前から、です。

「100回以上・・・かな? いえ、もう数えられないです(笑)。3.11以降でも30回以上は通い続けています」と、内海友子さん。

「この活動は不定期ですが、春と秋の開催が多いですね。秋には球根を植え、春になればそれを見に行き、そして初夏になったら球根を掘り起こす・・・」

いわば人にも植物にもやさしくてナチュラルなサイクル。
島の気候や日射し・・・。四季の巡りに合わせて、活動も、島を渡る風のように続けられています。


桂島の庵寺地区。ここは民家があった場所。
土嚢が置かれている向こう側にも、かつては住宅が立ち並んでいて、
この場所からは海は見えなかったそうです

「もう一度、花の島々を取り戻したい、という気持ちもありますし、島のよさ、美しさも多くの人に知ってほしい。一人で島を歩くより、こうして皆で歩くことでと、その良さを共有できると思います」

昨秋、クロッカスを植えた活動が「海と花の物語」の第5章になります。
これまで綴られてきた「物語」の章は・・・

2011年と2012年が「第3章 チューリップ」
2012から「第4章  忘れな草」と「第5章  クロッカス」です。
そして2011年と2013年は「スイセン」も・・・。

「第1章は、元から咲いていた菜の花。第2章は、スイセンプロジェクトで、別の方々と島に植えたスイセンに敬意を表しています。
菜の花は、浦戸諸島の春景色の原点。私たちの活動は、チューリップから始まったんです」

「風の丘」に咲いていたエゾキスゲ
民家の庭先の「ナデシコ」













この日の参加者は内海さんご夫妻を含む大人19名と子ども3名(途中から島の方も参加しました)。
マリンゲート塩釜から市営汽船でまずは桂島へ。港から小さな丘を乗り越えた先の庵寺という地区でチューリップの球根を掘り起こしました。

そのまま桂島を歩き、石浜近くで今度はスイセンの球根を回収。
そして石浜から市営汽船で寒風沢島へ行き、さらに渡船で野々島へ。
昼食のあとは野々島を横断しながら、花咲く丘や浜辺を訪ね、海と花の景色を楽しみました。

オオキンケイギク(左)とツツジ
個人の方がお一人で作庭されたという野々島の「風の丘」
「球根を掘り起こすお仕事をするだけではなく、皆で歩いたり渡ったりしながら、浦戸諸島ののどかさや美しさ、島めぐりの楽しさを、ご一緒したいんです」

浦浜の景色を見渡せば、津波の爪痕はまだ残っています。でも、花たちはもう一度力強く根を張って、海と空の青色の中に可憐な笑顔を咲かせています。

宇内浜にはウッドデッキやブランコもあります
「花はいいね。励まされるよ」
島に暮らす皆さんもそうおっしゃいます。
花咲く景色が戻ってきた。
島の復興のひとつの風景です。

桂島の民家の庭先にはナデシコやポピー、オオキンケイギク、バラ、ツツジなどが、野々島の丘には、アジサイ、ニラ、キスゲなどが、そして浜辺にはハマヒルガオも咲いていました。

そして夏にはラベンダー、ヤマユリ、クルマユリ、ネムノキ、ツリガネニンジン、スミレ・・・などが次々に咲き代わり、海明かりの中に可憐な光をほとばしらせてくれるはず。

浦戸諸島へ、ぜひ一度お出掛けください。

瀬戸を渡り、浦々を訪ね、丘を越えて、野辺を歩いて、浜辺で遊び、たくさんの花々と笑顔を交わし、夏雲の影の下でお弁当を広げ、海風に吹かれながらのんびり過ごす・・・。

そんな「島の夏休み」がおすすめです。
塩竈市営汽船のデッキから。
航跡の向こうが浦戸諸島です

========================================

●島には数軒の商店はありますが、飲食店などはありません。
  昼食やおやつなどは事前にご用意ください。
●県立自然公園内ですのでキャンプやたき火はできません。 島に宿泊したい方は、
  桂島に3軒、石浜に1軒、寒風沢に2軒の民宿・ペンションがありますのでお問い合わせください。
●また、お手洗いは船着き場の公衆トイレなど数カ所しかありませんのでご注意を。
●崖地などは崩落の危険もありますので近づかないでください。
●船の運航時間や乗船場などもチェックしておきましょう。

「花と海の物語」フェイスブック
海と花の物語facebook
https://www.facebook.com/pages/%E6%B5%B7%E3%81%A8%E8%8A%B1%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E/170684199765194

内海友子さんメールアドレス
totokoza@yahoo.co.jp

塩竈市HP → 「ようこそ、癒しの島へ。浦戸諸島」(船の時刻表など)
http://www.city.shiogama.miyagi.jp/urato/index.html

(取材日 平成27年6月6日)

被災地ツアーで見えてくるもの:にっぽん丸歓迎ウェルカムフェスタ2015編(石巻市)

$
0
0
こんにちは、Chocoです。
「今、私たちにできること」
私が以前取材した3カ所のツアーで出会った人々から聞いた言葉です。

=================
3回シリーズの第2回、舞台は「石巻港」です。

先月の15日、晴天の中、全長166.6メートルの豪華客船にっぽん丸が、今年もやってきました。
城南信用金庫主催の東北応援復興ツアーのクルーズです。
にっぽん丸とJR新幹線を使うこのツアーは、2つのルートに分かれており、行きと帰りの交通手段が異なります。
朝、にっぽん丸で石巻を訪れた人々は、 321名、夕方、にっぽん丸に乗船するのは、371名です。

にっぽん丸も震災当時は、岩手県沿岸部を中心に救援船として活躍しました。

城南信用金庫の皆さんは、震災から1カ月後から、ボランティアで炊き出しや物資の配布を始め、その後も義援金の寄贈や事業の支援など各地で活動していました。
そして今回、城南信用金庫が企画したのは、船旅でした。
その名も「東北応援ツアー」

この日を迎え、城南信用金庫の吉原毅理事長は
「感動。市長をはじめ、地元のそうそうたる方々、鼓笛隊のかわいいお姿を見ることができ、今回ツアーに参加したお客様もお喜びのことと思います。
一生に残る思い出になりました」
と、笑顔でお話ししてくれました。

お見送りのセレモニーでも石巻の小学生の鼓笛隊が元気よく演奏しており、
その姿をツアー客の皆さんは微笑ましく眺めていました。

「震災から、5年目。
皆で立ち上がり、今日まで歩んできました。
この地の営み、文化、生き様を感じていただければ、ありがたいです」
女川町の須田善明町長が観光を終えて乗船する人々へ語りかけました。



「初めて被災地に来ました。
だいぶ復興が進んだと思いますが、まだまだ皆様のご苦労があるなと思っています。
大切な方を亡くされたり、おけがをされた方や後遺症を持たれた方もいらっしゃいますが、どうか心を強く持って頑張ってください。
女川町にあった『希望の鐘』のように、未来は続くからそれなりに努力をしていれば報われます。
私は、被災地を回る中で、笑顔で接してくださる皆さんに逆にパワーをいただきました。
いつどこで災害が起こるかわかりませんが、その時の心構えを持たなければと、今回参加して強く感じました。
また来たいと思います」
東京から叔母とツアーに参加している方がお話してくださいました。


お見送りには、笑遊会の「はねこ踊り」がお見送りセレモニーで披露されました。
笑遊会のメンバーは、地元を元気にするため活動しているすてきなお母様方です。
震災で3名の方が犠牲となり、活動休止していました。
しかし、震災から100 日目に、自衛隊の皆さんに向けて、感謝の気持ちを込めて踊ったのをきっかけに再結成を果たしました。
現在は年に50回は元気な踊りを披露しています。



また、鳴瀬鼓心太皷の力強いパフォーマンスも披露されました。

にっぽん丸が出航したとき、
紙テープが一斉に船から陸に送られてきました。
周りはあっという間にカラフルなテープでいっぱいになりました。
人と人がテープを持ってつながる姿はとてもすてきな光景でした。
大きく手を振る人たち。
笑顔で見守る人たち。


「また来るよ」
と伝えているかのような船の汽笛。
遠く離れても聞こえてきました。
船を最後まで見つめていたのは、地元の子どもたちでした。
「きっとまた来るから」
離れていく船を見続ける子どもたちに話しかけるお母さんの声が聞こえてきました。

ーーーーーーーーーーーーーーー
被災地ツアーで見えてくること。
それは、「自分自身」です。

応援したいという想いでボランティアや被災地ツアーに参加したのに、
「元気付けるつもりが、逆に元気をもらいました」
と、今までたくさんの人たちに会いましたが、帰り際にこの言葉をよく聞きます。
実際に現地へ来て、地元の人々と交流し、人々の生きる強さに触れます。
その経験が自分自身への励ましとなり、
自分を見つめ直す機会にもなっているのだと思います。

(取材日 平成27年5月15日)

移動傾聴喫茶Cafe de Monkで入居者同士の交流を!@泉中央南復興公営住宅(仙台市)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

震災から4年4カ月、県内各地では復興公営住宅の建設が進み徐々に入居が始まっています。
そして入居が完了した復興公営住宅では、入居者同士、また地元の住民の方々も交えた交流会が積極的に行われています。

6月8日、仙台市泉区に完成した「泉中央南復興公営住宅」でも入居者同士の交流会が開催されました。仙台市泉区では唯一の復興公営住宅です。

地下鉄泉中央駅から徒歩約15分。
市内の災害公営住宅の中でも規模が大きく193戸を有します

会場となったのは、庭も備えた明るく開放的な集会所。
入居者数25名のほか、主催した仙台社会福祉協議会泉区事務所の方々を始め、地区の民生委員や泉区区役所まちづくり推進課の方々など約60名が集まりました。


よーく見ると中には…お坊さん??

実はこちらの交流会で行われたのは、お坊さんたちが開く「移動傾聴喫茶Cafe de Monk(カフェデモンク)」

「移動傾聴喫茶Cafe de Monk」とは…?

“Café de Monk”はお坊さんが運営する喫茶店です。
Monkは英語でお坊さんのこと。
もとの平穏な日常に戻るには長い時間がかかると思います。
「文句」のひとつも言いながら、ちょっとひと息つきませんか?
お坊さんもあなたの「文句」を聴きながら、一緒に「悶苦」します。

震災後、築館にある通大寺の金田諦應(たいおう)住職が中心となって立ち上げたプロジェクトです。

こちらについては下記の記事で詳しく紹介しています。
===================
2012年2月20日
「カフェ・デ・モンク」は移動傾聴喫茶。お坊さんが文句を聴きますよ(1)
===================

「移動傾聴喫茶Cafe de Monk」を開いた理由について、仙台市社会福祉協議会泉区事務所の春 由美係長にお話を伺いました。

「最初の交流会でしたので、興味を持って参加できる企画にしたかったというところが大きかったです。また震災から4年、住んでいたところからの転居でさまざまな不安をお持ちの方々もいらっしゃるかと思いましたので、安心してお話しできる環境を作りたかったんです。
終の棲家と考え、馴染もうとされても193世帯もあるので、なかなか機会がないと話されている方もいました。だからこそ形式ばった形ではなく、支援者になりうる方々(行政関係者、関係機関、地域住民など)とまた、入居者同士の顔が見える、声の掛けやすい状況での顔合わせができればと考えました。その中で、今後に向けて自分たちで開催できるような支援体制づくりを考えました」

また金田諦應(たいおう)住職は、

「移動傾聴喫茶Cafe de Monkは、2011年の4月から活動が始まりました。気仙沼や南三陸、東松島、亘理など毎週のように回っています。もう200回くらいになるかな。ガレキの中から始まって、避難所に行って、今度は仮設の集会所に行って。実は復興公営住宅は今日が初めて。こういう日が来るまで続けていかなくちゃいけないという気持ちでやってきたから、今日は私たちにとっても特別な日なんです」



「やっと住む場所が決まって、おそらくここが終の棲家になると思いますが、まだまだ心の中でいろいろな想いがあると思います。私たちはずっとそいういった話をじっと耳を傾けて聞いておりました。いろんな話があると思いますが、それを心の中にとどめておいてはダメなんです。お坊さんたちが上手に聞いてくれますので、今の気持ちや将来の不安などを私たちに聞かせてください」

-----------------------------

こうしてお茶とケーキを楽しみながら、お坊さんたちを交えて始まった交流会。
この日は数珠作りや絵を描くワークショップ、さらにはマッサージの先生による肩もみと盛りだくさんの内容でした。

鮮やかなビーズを使った数珠作りのワークショップは大好評♪


こちらは臨床美術士の菅藤さんによる、ホイップねんどと絵具を使ったワークショップです。



完成した皆さんの作品。
実はこの中には私にゃんこの作品も。さてどれでしょう?

入居者同士で盛り上がったり、お坊さんにお話を聞いてもらったり、ワークショップに参加したりと、皆さん本当に楽しそうで、会場には終始たくさんの笑い声があふれていました。

-----------------------------

「最初はどこを見てもガレキしかなかったからね…。災害公営住宅ができるなんで想像もできなかった」
と、静かに話し始めた諦應住職。

「カフェデモンクはすごく人気があるんだよ。宗教っていうと勧誘とか布教とかって思われるけど、そいうことは一切していない。ただの世間話なんだ。その世間話から核心に入っていく、そういう能力を持ったお坊さんたちばかりだから。お坊さんとか牧師さんに会うとほっとするでしょ?お坊さんだからこそ話せることもある」

うんうんとうなずく私の横で、さらに諦應住職は、

「あの手この手だったんだ。能力のすべてを出し切ってきた。
始めた頃は生死の話。それがだんだん自分の中で解決してきて、たぶん諦め、だったんだろうな。納得っていうのかな。そういう風にして歩みを進めている人もいれば、今でもまだぐるぐる回っている人もいる。さまざまなんだ」

「カフェデモンクがみんなで集まるキッカケの一つになればと思ってね。そうやって一度軌道に乗ったら私たちの存在は忘れられてもいいのさ。忘れられるというのはすごくうれしいこと。それがお坊さんのボランティアなんだ」と。

参加された皆さんが穏やかな笑顔をしていたのは、お坊さんたちの優しく温かい眼差しもあったからなんですね。
なんだか私まで心が温まり、ほっと癒された1日でした。




(取材日 平成27年6月8日)

被災地ツアーで見えてくるもの:石巻編(石巻市)

$
0
0
こんにちは、Chocoです。
「今、私たちにできること」
私が以前取材した3カ所のツアーで出会った人々から聞いた言葉です。

=================
3つの被災地ツアーを通して見えてくる大切なこと。最後の舞台は「石巻」です。

今回ツアーを組んだのは、日本アムウェイのコクア会の皆さんです。
参加者は28名。
岩手県陸前高田市から石巻市までの間を2日間で視察しました。
「バスの中では、これから行く場所などの情報が映像で流れていました。
だから、現地に着くと映像で見た場所と今ここに立ってみる景色との違いに驚きました」
今回参加した方は言います。

被災地の現状を見るだけでなく、実際にガイドをするのは地元の方々。
そして、ツアーの中には、地元の方々と交流する機会も多く設けられていました。
最終日の今日は、石巻です。
ツアー客に講話するのは、橋本信子さん(通称:橋本ママ)と橋本清矩さん(通称:のりちゃん)です。

ココロプレスでも何度か紹介したことがありますが、2年前にセブン&アイ出版から発行された『石巻ボランティアハウスの橋本ごはん』の著者でもあり、私にとって「石巻の母」ともいうべき存在の方です。

===================
2013年2月24日 日曜日
橋本ママが世界に飛び出した日 トークイベント編!!(石巻市、東京)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/02/blog-post_3872.html
===================


東京で開催された本の出版記念セレモニーには、
橋本さん家の世界中の息子、娘が駆けつけました。
石巻市門脇地区、海岸から約 2kmの場所に橋本さんの家があります。
津波は1階天井まで上がりました。
橋本さん自身も被災者です。
自分の生活もまだ大変だという時期に、ボランティアの人々のために夏の3カ月間、
昼食を毎日欠かさず作ってくれました。
ガスがまだ復旧していない時、七輪を使って調理していたと話す橋本ママにはさすがに参加者も驚いていました。

「自分も被災したのに何でそこまでできるのか・・・」
そこには、計り知れない橋本ママの優しさがありました。
そして、のりちゃんの深い懐がありました。
ツアー参加者の皆さんは、その想いに触れて感激していました。
 「To the people of Ishinomaki
You all inspire us!」
Kokua Kai Members
Shanon Banno
ーーーーーーー
Inspireは、
『希望を持たせてくれる』『モチベーションが持てる』という意味です。
私たちは被災地を応援しに来ているのに、
どちらかというと私たちの方が支えられている気がします。
震災が起きた後の行動、生き方を直接お会いしてお話をお聞きすることができました。
生きるというのは本当に難しいけれど、
何があっても楽しいということをこのツアーで出会った方々から教えてもらいました。 被災で辛い思いをしたのに、明るく振舞う方々、
本当はそういう状況じゃないのに、笑顔を見せるということをまず尊敬しました。
ツアーを通して、皆さんの生き方が私たちを支えてくれました。また来ます!!」

コクア会のシャノン 伴野さんがメッセージボードで伝えたいこととツアーを通して感じたことを話してくれました。
帰り際、橋本ママとシャノンさんは
「またね」と言いながら抱き合いました。
----------------
被災地ツアーで見えてくること。
それは、「人間の強さ」です。

当初は2年を想定していた仮設住宅の入居期間。
急ピッチで進められている復旧工事ですが、住宅の建設完了まであと2年かかるところも少なくありません。
それまでは仮設住宅での生活が続きます。
地元の人たちは、日常の不安、将来に対する苦悩を抱いています。
しかし、多くの方々がそれに負けず「良い町にしたい」「魅力的な町にしたい」と立ち上がり、実行してきました。

どんな逆境にも耐え、乗り越えようと生きている人の想いに触れたツアー参加者は、人間が持つ本当の底力に魅せられるのだと思います。

「被災地に来たいと思っていたけど、なかなかこちらに来る機会がありませんでした。
私に何ができるのかを考えているうちに時間が過ぎてしまって・・・。
けど、今回ツアーに参加して、被災地の今を見て、頑張っていらっしゃる方々とお会いして、おいしいものを食べて・・・、何かできるかではなく、訪れることに意味があるのだと感じました。
それを帰ったら周りの人たちに私が経験したことを伝えたいと思っています。
これが、今、私たちにできることです」

(取材日 平成27年5月20日)

海辺でゆったりジャズコンサート(亘理町)

$
0
0
こんにちはエムです。

やっと梅雨が始まった東北地方ですが、7月に入り夏休みは目前!
からっと晴れた暑い夏も遠からずやってきます。
スイカや花火、かき氷……そんな夏を思うと子どもたちのみならず、大人までウキウキした気分になってしまいます。

そんな夏休みの始まりに、海辺でゆっくりとジャズを聴きに出掛けませんか?

ジャズコンサートの会場となるのは 荒浜にぎわい回廊商店街 です。

「にぎわい回廊商店街」関連記事
====================
荒浜が再びにぎわう商店街 Part 1~Part.3(亘理町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-1.html
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-2.html
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/part-3.html
====================

6店舗が軒を連ねる「にぎわい回廊商店街」には、全長37メートルのアーケードがあり、雨が降っても心配せずにコンサートを楽しむことができます。
夏の昼下がりに本格的なジャズを楽しむも良し、お気に入りの食材を片手に気軽に音楽を楽しむも良し。

また、会場に集まったみんなで、一緒にリズムを鳴らす楽しい企画も用意されているようです。
あらゆる年代が楽しめるコンサートになりそうですね。


第10回
☆ーー☆ーー☆ーーソナーレ☆ーー☆ーー☆ーー
チャリティジャズコンサート

開催場所/亘理町「荒浜にぎわい回廊商店街アーケード」
日時/2015年 7月19日(日) 11:00〜、13:30〜の2回公演
出演者/渡邉真澄(ボーカル)、金崎裕行(ピアノ)、岩谷真(ベース)
    平山惠勇(ドラム)、太田雅夫(パーカッション)
☆入場無料(会場で寄付金のご協力をお願いしています)


主催するソナーレは、宮城県在住の音楽家と有志によるボランティアグループです。
イタリア語で「響く」「鳴る」「奏でる」を意味するSONAREに由来し、この音楽活動が宮城の地に共鳴することを願って命名されました。

チャリティコンサートは、2005年に第1回を開催してから今回で10回目。
会場では寄付を募り、収益金は「財団法人日本ユニセフ協会」に寄付され、子どもたちのはしかワクチンに充てられます。

「未来を担う子どもたちに、音楽を通して、健全な環境と心豊かな生き方を伝えることが音楽家の使命」との理念を持つソナーレでは、今まで、のべ約7,400人の子どもたちにワクチンを贈っています。

メンバーのジャズシンガー渡邉真澄さんは地元亘理町荒浜出身です。
今年は地元で開催されることを喜び、「地元を元気にしたい」と意欲的です。

「荒浜にぎわい回廊商店街」

前夜祭として「渡邉真澄 with 平山惠勇 torio ジャズライヴ」も開催。
ジャズに浸る2日間にしてみてはいかがでしょうか。

場所/south ave.new 仙臺ZA(サウスアベニューセンダイザ)
   仙台市青葉区中央3-5-14 セントラルパーク 電話:022-225-0525
日時/7月18日(土) 午後6:00〜
出演者/渡邉真澄(ボーカル)、江浪順子(ピアノ)、岩谷真(ベース)、平山惠勇(ドラム)
料金/ミュージックチャージ料:1500円(飲食代別)

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

◆コンサートのお問い合わせ先/
エフエムあおぞら:0223-32-2293
ソナーレ実行委員会・太田:090-3127-3263

◆ 荒浜にぎわい回廊商店街
 亘理郡亘理町荒浜字築港通り6

ソナーレ
http://sonare.ec-net.jp/

(取材日 平成27年6月24日)

岩沼「みんなの家」の夏祭りが開催されます!(岩沼市)

$
0
0
石野葉穂香です。

いよいよ夏本番。
7月~8月にかけてのこの時期、県内各地で大小いくつもの夏祭りが開催されます。
「仙台七夕」「石巻川開き祭り」といった全国にその名を知られる大きなものから、小さな村祭りのような地域単位のイベントまで、実にさまざま。

7月の第2日曜日である12日には、早くも、岩沼市玉浦地区にある岩沼「みんなの家」で、「祝! 竣工2周年記念 みんなの夏祭り」が開催されます。



こちらのイベントは、昨年もココロプレスで紹介させていただきました。

2014年8月7日(木曜日)
みんなでつくる「みんなの家」の一周年記念夏祭り!(岩沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/08/blog-post_93.html

今年もまた、ぜひ、多くの方においでいただけたらと思います。

=======================================

夏のお祭りは、お盆や七夕にちなんで、多くは旧暦の6月~7月に開催されます。

また農村社会では、炎天下での農作業の疲れを癒すためだったり、農作業の妨げになる眠気(睡魔という悪神)を追い払うために行われたりもします。
青森県の「ねぶた」「ねぷた」はその代表的なものですね。

東北地方の人たちは働き者です。

昨年の夏まつりの様子です。
地域の皆さんをはじめ、多くの方が参加されました
一方、都市社会では、疫病が流行するのを防ぐための祈願と啓蒙のために始まったものもあります。

例えば京都市の「祇園祭」。
1146年前、あの貞観地震があった貞観11年(869)、都では疫病(疱瘡と言われています)が流行しました。

人々は、これを祇園牛頭天王(あばた顔の神様)のたたりだと考え、祇園の神様を祭り、おみこしに担いで厄災を追い払おうとしました。

これが祇園祭の山鉾巡行の始まりとされています。

屋台もたくさん出店の予定。でも、プロの業者さんではなく、
「みんなの家」を運営するインフォコムのスタッフや
地元の活動家さんたちによる手づくり屋台です

由来や始まりも実にさまざまですが、夏祭りは、何といっても楽しいもの。
地域の人々が集い、帰省してきた家族や仲間も観光客も加わって、浴衣や笑顔の花が咲きます。

東日本大震災では、津波被害によって、地域そのものが失われて、人々の暮らしもバラバラになってしまうなどしたために、失われてしまった夏祭りもあります。






でも、その一方では、地域の新しい拠点施設で始められた新しいお祭りが、文字どおり「みんなの心」をもう一度つないでいるケースもあります。

そのひとつが、岩沼「みんなの家」の夏祭り。

みんなの笑顔が集う場所。
今や地域になくてはならない施設になっています


7月19日(日曜日)には、震災後の集団移転事業で完成した「玉浦西地区」で、まち開きのイベントも開催されます。

新しいまち、新しい地域では、これからまた、きっとみんなの心を一つにしてくれる、新しい夏祭りが生まれてくるはず。

2周年を迎えた岩沼「みんなの家」の「みんなの夏祭り」は、地域のにぎわいの起爆剤であり、これからきっと生まれていく地域のさまざまな祭り=地域コミュニティ創出・再生の、いわばさきがけとなるもの。

7月12日の日没は18:50過ぎ頃です。
昨年はスーパームーンの日でしたが、今年の月の出は深夜1時過ぎ。
でも、晴れたなら、きっと大きな星空が頭上いっぱいに広がるはずです
玉浦地区を盛り上げてくださる多くの方のご来場をお待ちしています。

(取材日 平成27年6月29日)

大震災の教訓を生かすために~津波防災シンポジウム~(山元町)

$
0
0
こんにちはエムです。

東日本大震災が発生した時、自然災害の恐ろしさを目の当たりにした日本中の誰もが、そして多分世界中の多くの人が、“防災”について、“自分たちができる事”について真剣に考えたはず。
……ですが残念なことに、災害についての記憶、危機意識の風化は一般的には7年程度と言われています。

あのような悲惨な災害は二度と繰り返してはならないはず。
今もあちこちで起きている災害を前に、私たちは何をするべきなのでしょうか。

しかし今、“減災” “防災”についてあらためて考え、後世に伝えていこうという取り組みがさまざまな分野で進められています。
5月30日に山元町にある山元町中央公民館で開催されたシンポジウムもその1つです。

☆ーー☆ーー☆ーー 津波防災シンポジウム ーー☆ーー☆ーー☆
大震災から学ぶ教訓〜後世への震災伝承〜

「津波防災シンポジウム」は、毎年5月に定められている「みやぎ津波防災月間」の期間中に、宮城県内の沿岸市町を会場に開催されているものです。
昭和35年にチリ地震津波が襲った5月に由来し、毎年、津波被害の提言や津波防災意識の向上を図ることを目的に開催されています。

今回は神戸大学名誉教授で、防災の研究者でもある室﨑益輝さんの基調講演を中心に開催されました。


今回の講演では、「阪神・淡路大震災」の復興への取り組みの中で、一般の私たちが知らなかった「失敗・成功した対策」なども聞くことができました。
また、「東北は今までの災害から何を学んできたのか」、「これから何を伝えなければならないか」を問われる話はとても意味深く、よりたくさんの人にお聞かせしたい内容でした。

お伝えしたいことがたくさんあり長くなりましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。

沢山の参加者で会場は満席になりました

基調講演「大震災の教訓学ぶ、生かす、伝える」

室﨑益輝さんは20年前、阪神・淡路大震災で自らも被災しました。
その体験を生かして大震災の教訓を伝えるとともに、防災・復興支援など精力的な活動を行っています。
東日本大震災後、東北へもたびたび足を運び、講演は年間50~100回に及びます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
阪神・淡路大震災での失敗例、成功例
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[被害が大きくなった原因を検証する]

東北は、または日本の人は、「阪神・淡路大震災」のことを学ぼうとしてないのではないか。と思うこともありますが、これは逆に「神戸は大震災の教訓を東北に伝えることができたのか」という問いでもあります。

神戸は震災以前の街としてのあり方や、復興を進める中で失敗もしました。その失敗を伝えることも大事なことだと考えます。

その当時の神戸は、「住まい方」「家の作り」「コミュニティのあり方」に問題がありました。

昔の日本で行われていた、事あるたびに家をメンテナンスすることや、きちんと整理整頓する文化を忘れ、家の中に物が溢れていたことが被害を大きくしました。
さらに昭和30年代に建てられた、短期間に作る工法の住宅がいかに粗末で危険な建物だったのかを知ることになり、古い日本の伝統工法の学習をしなければならないと思い知らされたのです。
核家族化が進み、地域のコミュニティが弱まっていたのも問題でした。

単に大きな地震、大きな津波で被害に遭っただけではなく、その原因には人間の弱さや社会の側に問題があったのではないかと考えます。

どうしてこんなに多くの人が命を奪われたのか、きちんと考察材料として考え、失敗から学び、反省を素直にする。同じ悲惨な被害を出さないように、反省をする勇気・覚悟が必要なのです。


[復興の成功と失敗例から学び、生かす]

本当の復興の力になるのは “自立再建” にあります。

神戸で行った、公営住宅だけに頼る復興は良くなかった点でした。
1人1人が努力して自分の家を作る、自分たちの町を作る、そうして個人の意欲を引き立たせることが重要なのです。

神戸が一番最初にやったことで良かったことは、地域の中に小さなビジネス(コミュニティビジネス、スモールビジネス、ソーシャルビジネス)を作ったことです。
お年寄りに食事を届けたり、子どもたちに遊びを教えるなどの仕事ですが、仕事があることで1人1人の復興への力と意欲につながり、1つの経済復興の形となりました。

それから神戸では「まちづくり協議会」を作りました。
二段階復興論で考える復興計画で、「住民同士」や「住民と行政」の間で、喧々諤々の議論をしてやっと将来の復興計画案を作りました。
何の花を植えるとかいうところまでみんなで相談してやっていました。
( ※二段階復興論:行政が復興計画を作り、まちづくり協議会が修正するという復興計画)

復興というのは結論ではなくそのプロセスが大切ですので、プロセスでできるだけみんなで議論してほしいと思います。

室﨑益輝さん

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
災害に見舞われた世界各国、国内での復興への取り組み
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[良い復興例を取り入れる]

1998年に発生したサンフランシスコ地震の後、サンタクルーズという街では「ものがたり復興」と呼ばれている一つの復興手法を取り入れました。

サンタクルーズでは全ての市民を復興プロセスの中に巻き込む姿勢で、300回以上にわたり、あらゆる年代の市民が意見を出し合うワークショップを行いました。
みんながどういった復興をしたいのか意見を言ってもらい、それをつなげて最終的に1つの“ものがたり”にしました。
その後専門家により調整し、徐々に具体的なプランを策定していったのです。
(http://www.hrr.mlit.go.jp/library/happyoukai/H21/0730/30kurashi/17_kensetu.pdf

この取り組みは2004年に発生した新潟県中越地震の復興手法に取り入れられ、中越では、震災遺跡、震災遺構(災害遺跡、崩れた崖、壊れたダム、川の中に取り残された住宅など)を全部観光資源にし、順繰りに回る“震災ツーリズム”という形になりました。
(「中越メモリアル回廊」http://c-marugoto.jp/activities/

また神戸で行っていた、行政とまちづくり協議会の二段階復興論で復興計画をつくる方式は、1999年に発生した台湾の921大地震で生かされています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
室崎さんは他にも、1985年に発生したメキシコ地震の住宅再建で、2年半で30万戸が再建した例を挙げ、その早さの理由は個人の持家となる公営住宅を提供した「自力再建」にあること。
更に話題は1666年のロンドン大火災に及び、その時の皇帝チャールズ二世の取った「ロンドン以外の地域の建設工事を7年間禁止した」政策に、「東北の復興を重ねて考えている」と話しました。

真剣に話を聴く参加者

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
東日本大震災の教訓を後世に伝えるためにするべき事
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[辛さ、悲惨さを伝える]

災害の本質は極めて残酷で冷酷で悲惨なものです。
一瞬で人生が狂うわけですから、災害がいかに残酷かを伝えなければならないのですが、人は辛いことはなるべく話したくはありません。

「人間ってこんなにすばらしい」「絆で助け合ってこんなに素晴らしい復興をした」と、人は良いことはしゃべります。
でもそれだけで災害を語ると、災害があったらまた助け合えば良いじゃないか。ということになって、本当のことが伝わらない。
これではまた同じような悲惨な出来事が繰り返されるばかりです。

本当に辛い思いをした人がそれを忘れようとするのではなく、その現実をしっかり受け止めて、どうしてそんなことが起きたのかをしっかり理解をして、そして自分の悲しみを人に伝えようとした時、初めて伝える力を持つのです。

[震災遺構を残す意味]

震災遺構を残すことは、「自らの過ち、責任を伝える」「自らの悲しさ(体験)を伝える」ことにつながります。
神戸の人たちは、悲しいことは早く忘れたかったので、これを拒否したため遺構はほんの2つだけしか残りませんでした。

震災遺構には、「鎮魂」「慰霊」「亡くなった人との心の会話」という面も備わっています。残すことで、辛さ・悲しみを受け止める行為につながるのです。

亡くなった人たちの写真や思い出などを展示するミュージアムにし、いつでもそこに行って対話ができる。あるいは亡くなった人のことを考えることができる。またはその場所を公園にするなどして日常的に使用する場所にする。
そうすれば、きちんとした鎮魂の場になると思います。

また本物があることで、自然を甘く見てはいけないこと、自然の力の前には人間はいかにちっぽけなのかを知ることができます。
それによってしっかり自然に向き合うことを考えたり、自然と共生する必要性を感じたり、自然から学んだりできるのです。

多くの犠牲者があった原因を考え、過ちを正すためのシンボリックな空間としても遺構は残さないといけないと考えます。
災害の記憶を“災害文化”として暮らしの中に根付かせるのです。

[遺構を残すための配慮]

これは本当に必要です。時間がかかっても遺族の人が本当に納得をして残すこと、さらに亡くなった人の遺志に沿う必要があると思います。

そして単に多数決で「残す」「残さない」を議論すべきではなく、悲惨な体験をしたひとが「残そう」と言うまで待つ……それには長い時間が必要です。
実際広島では「原爆ドーム」を残すと決めるのに20年かかっています。


ーーーーーーーーーーーー
これからの東北の役割
ーーーーーーーーーーーー

私たちは次こそ、1人でも多くの命を守りたいのです。
そのためにどうしたらいいのか。

方法は、世界や国内で起きた過去の災害や今回の大震災で得た教訓を大事にし、「コミュニティをしっかり作る」「自然とまっすぐ向き合う」「防災教育をしっかりする」「家の中の整理整頓をきちっとする」「学校での教育をしっかりする」……など、複合的にいろんなことをやっていかねばならなりません。

東日本ならば、次に同じように大きな津波が来た時に、できるだけ犠牲者を少なくしたいと思うはずです。

「良いこともあったけれど、こういうことはうまくいかなかった。だから二度とこういうことはしてはいけない」と、次の災害が起きる地域の方にお伝え願えればと思います。

そのお伝えいただくための1つのツールとして、震災遺構を大切に残していただければ大変ありがたいと思っています。

室﨑益輝さん
「いろんな問題があっても最後には必ず復興は成し遂げられます。
復興で失敗したところは無いのです」

最後に室﨑さんはココロプレスにメッセージを残してくださいました。

「本当に復興するためには、民間のアイディアがどんどん出てくるような仕組みを作らねばなりません。
その地域だけでがんばって独自のやり方でやろうとするのではなく、他の地域の人も……極端に言うと、全国の人を引っ張り込んで知恵をもらってやる。
そして行政との関係も良くしていくことです。
行政と市民が議論し、お互いに理解し合う良い関係を築いていくことが大事です。話し合いができると、お互いが抱えているストレスも減りますから」
そう熱く語ってくださいました。

☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆ーーー☆

室﨑益輝:
神戸大学名誉教授、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構・副理事長兼研究調査本部長、兵庫県立大学防災教育研究センター・センター長。
40年以上にわたり火災や災害、災害復興や災害時の人間行動などについて研究し、多くの著書も執筆しています。

室﨑益輝ウェブサイト
http://www.murosaki.jp/index.html

(取材日 平成27年5月30日)

全町内会がバックアップします!あすと長町復興公営住宅交流会(仙台市)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

宮城県内でも復興公営住宅が完成し、本格的な入居が始まりました。
それに合わせ、各地では地元住民との交流会や入居者同士の交流会が積極的に開催されています。

先日ココロプレスでもYMさんが「駅東再開発住宅」、「梅田町復興公営住宅」で行われた交流会を紹介しています。

=====================
2015年6月5日
復興公営住宅入居者と地元住民との交流を!
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/fellowship-with-local-residents-and-inhabitants-who-lives-restoration-public-housing.html

2015年6月9日
復興住宅の入居者へようこそ!梅田町ウェルカムサロン
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/06/blog-post_6.html
=====================

---------------------------

仙台市太白区にある長町地区にも、3つの復興公営住宅が建てられました。
JR長町駅の南西側の「あすと長町第二復興公営住宅」、東側の「あすと長町復興公営住宅」、太子堂駅南側の「あすと長町第三復興公営住宅」です。

入居者に配られた「郡山・長町周辺くらしのマップ」より

仙台の副都心と呼ばれる長町地区。特に駅の東側に位置する「あすと長町」は、上記地図をみても分かる通り商業施設や業務系施設が立ち並び、市立病院の移転やマンションの建設など新しい街づくりが進行している今注目のエリアです。

------------------------------

6月7日、「あすと長町復興公営住宅」で地元住民と入居者の交流会が開催されました。
全163戸を有する区内で一番大きな復興公営住宅です。

JR・地下鉄長町駅から徒歩約5分と好立地に位置する
「あすと長町(第一)復興公営住宅」

会場となった1階の集会所には、入居者約70名、関係者を合わせると約120名が参加。




主催は、あすと長町、あすと長町第三の復興公営住宅を支援するために結成された「あすと長町・あすと長町第三復興公営住宅支援者連絡会」

郡山地区連合町内会、同地区社会福祉協議会、同地区民生委員児童委員協議会、同地区共同募金会、日赤郡山奉仕団、郡山包括支援センターなどの団体で構成されています。

------------------------------

この日の交流会はミニコンサートとお茶会の2部構成。
プロの音楽家による生演奏に癒された後は、おいしいお茶とケーキをお供に入居者同士で談笑。






町内会組織について紹介する関口会長

「あすと長町・あすと長町第三復興公営住宅支援者連絡会」の関口会長
「ぜひ皆さんで町内会組織などを作っていただいて私たちの仲間に加わってほしい。町内会の作り方が分からないとか相談や困ったことがあればいつでも声を掛けてください。すぐ飛んできます!」
と力強いお言葉がありました。

また長町地区の地域史も紹介した「郡山赤十字奉仕団」の松団長
「昔は地域の人が自然に集まる場所があった。あれは誰の息子だとか、あそこの子どもは悪さばかりする!という声が常に聞こえていました。皆さんもそういう風に言い合える明るく楽しい町内会を作ってほしい」
と話します。

入居者の自己紹介では、
「やっと公営住宅に入れることになった」
「終の棲家になったので、みんなと仲良く暮らしていきたい」
といった声もありました。

------------------------------

さらにこの日サプライズで訪れたのは、復興公営住宅の向かいにあるイケア・ジャパン(株)のストアマネージャーであるイマン モンファレードさん。

あすと長町地区の3つの復興公営住宅に入居者された方々のために、引っ越し後の生活に役立ててほしいと、お買い物15%OFFクーポンと配送料無料クーポンをプレゼントしました。



「今日は皆さんにお会いできてうれしいです。ご近所さんとして、皆さんと一緒に協力しながら長町をさらに良い街にしていければいいなと思っています」
とあいさつ。

------------------------------

主催団体の一つである「郡山地区連合町内会」には、「郡山地区全体で入居者を迎えよう」と町内会に加入している全16の町内会が参加しているそうです。

「連絡会を立ち上げませんかと相談したときに、全連合町内会が参加してみんなでやりましょうと言ってくださったんです。郡山地区は元々組織体制がしっかり整っていて結束力も高いんです。皆さん自主的に動いてくださっています。
また、仮設の支援に携わってくださっていた東北工業大学建築学科の新井先生には、エリアマップを一緒に作っていただきました」
太白区社会福祉協議会の大久保さん

知らない土地での暮らしに多くの方が不安に感じていたと思います。
でも地域一丸となってバックアップしてくれる心強い存在がいることを知り、やっと安心できたのではないでしょうか。

(取材日 平成27年6月7日)

生鮮カツオ水揚げ19年連続日本一!に向かって水揚げ順調です(気仙沼市)

$
0
0
こんにちは。kaiiです。

気仙沼と聞くと「フカヒレ」というイメージの方も多いかもしれません。
でも実は気仙沼は、生鮮カツオの水揚げ量が平成9年から18年連続、「日本一」なのです。
東日本大震災のあった平成23年も途切れることなく、記録は続いています。

今年は、昨年より24日早い5月13日に、今期初めて三重県志摩市船籍のカツオ一本釣り漁船「第27源吉丸が」カツオやキハダマグロなど約20トンを水揚げし、夏漁の花形である「カツオ」の水揚げがスタートしました。

気仙沼港に水揚げされたカツオ
その後も、まき網漁船や近海マグロはえ縄漁船が、カツオ、ビンナガマグロ、マグロ類などを水揚げするなど順調に水揚げが続いています。

水揚げされたマグロ類
カツオ一本釣り漁船の漁場は、気仙沼港から半日ほどの三陸東方沖が中心です。
漁場が近いため、鮮度の良いカツオが気仙沼港に水揚げできるそうです。

気仙沼港に入船してきたまき網漁船
気仙沼市内に住む70代の男性は、
「今年は、カツオの水揚げが順調だと感じます。東日本大震災以前のように、魚市場に船が幾重にも水揚げを待って並んでいる風景を見るとうれしくなります」

気仙沼魚市場には、水揚げを待つカツオ一本釣り漁船が列をつくっていました
「魚市場に水揚げされたカツオがその日の夕食の食卓に並びます。今年のカツオは、例年の夏のカツオと違い、身のしまりと脂の乗りが最高にいいです。おいしいので、つい酒が進んでおかあちゃんに怒られています」
と話していました。

接岸岸壁ではたくさんの漁船が休憩していました
取材に訪れた、平成27年7月2日も、気仙沼魚市場では宮崎県、三重県、高知県船籍のカツオ一本釣り漁船が、カツオやビンナガマグロなどを水揚げしていました


水揚げされたカツオは入札前に選別されます
水揚げされたカツオは、選別され、買い受け人により入札されます。

入札を待つ買い受け人の人たち


買い受けられたカツオは、魚市場内で箱詰めされ、全国に向けて出荷される準備が進められていました。

入札後、買い受けられたカツオは箱詰めされ
全国に向けて出荷されています

魚市場の周辺には、カツオを運ぶためのトラックとエサを探すウミネコが列をつくっていました。



気仙沼港には、6月末現在までに、生鮮カツオ4153トンが水揚げされています。前年同期に比べると2500トン多い水揚げです。


気仙沼市民の一人として、「生鮮カツオ水揚げ19年連続日本一」に向けて、今後も順調に水揚げが続くことを願っています。

(取材日 平成27年7月2日)

7月のイベント情報~7月20日(県内各地)

$
0
0
こんにちは、にゃんこです。

いよいよ7月に突入し気分はもう夏本番!
県内でもお祭りに花火、海水浴に夏グルメと季節を満喫できるたくさんのイベントが開催されます。

また、今年も県内の海開き情報が発表になりました。
記事の最後にお知らせしているので、こちらもお見逃しなく♪

今月もぜひ宮城に遊びにいらしてください。

☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆
今月のおすすめイベント!
多賀城ビアフェスタ ~TAGAJO BEER SUMMIT2015~
日時/7月17日(金) 17:00~20:00
        18日(土) 11:00~20:00
        19日(日) 11:00~20:00
会場/JR仙石線多賀城駅南口(屋外特設会場) 〈テントあり、雨天決行
※公共交通機関をご利用ください



東日本大震災からの復興のシンボルとして、JR仙石線多賀城駅を中心とする中心市街地の活性化を進めている多賀城市。その活動の一つとして、街の復興とにぎわい創出を目指す市民活動団体が、多賀城市で初めてとなるビアフェスタを7月17日(金)より開催します。

会場ではビールはもちろん、りんごのお酒のシードルやローストビーフにケバブ、焼きそばやジェラートなどフードメニューも充実。ソフトドリンクもあり子どもから大人までみんなが楽しめるイベントです。家族やお友達を誘ってぜひお出掛けしてみてください。

ビール2杯、多賀城ビアフェスタオリジナルグッズ、おつまみプレートがセットになったお得な前売りチケット(2,000円)も販売中です。

<お問い合わせ>
前売チケット : 史都多賀城観光案内所(JR仙石線多賀城駅内)
           TEL.022-364-5901
その他全般 : 多賀城市市民経済部商工観光課
                    TEL.022-368-1141(内線471~473)

☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆--☆

====================================
■イベント情報  ~2015年7月20日
※イベントの開催が変更・中止になる場合があります。詳細は各施設にお問い合わせください
====================================
戦災復興展
~7月12日(日)9:00~18:00(最終日~17:00)
会/戦災復興記念館(仙台市青葉区大町2-12-1)
問/戦災復興記念館
http://www.hm-sendai.jp/sisetu/sensai/

チャチャワールドいしこし あじさい鑑賞
~20日(土)
会/チャチャワールドいしこし(登米市石越町南郷字高森100)
問/チャチャワールドいしこし
http://www.chachaworld.jp/toppage.html

第9回まるごとうーめんまつり
~8月31日(月)
会/白石市内参加店舗
問/仙台・宮城観光キャンペーン白石市推進協議会(白石市商工観光課内)
0224-22-1321

鹽竈神社例祭
7月10日(金)
会/志波彦神社・鹽竈神社
問/志波彦神社・鹽竈神社
http://www.shiogamajinja.jp/

SENSEKI TRAIN FES
7月11日(土)
会/小野市民センター、宮城県松島高校、塩竈市杉村惇美術館
問/SENSEKI TRAIN FES実行委員会
http://senseki-trainfes.jp/

初の電車移動型の音楽フェスです!


「日本三景の日」記念・松島感謝ウィーク
7月11日(土)~21日(火)
会/松島町
問/松島観光協会
http://www.matsushima-kanko.com/event/detail.php?id=18

期間中、松島を訪れた方には協賛各店舗にてお得なサービスが
受けられるそう。詳細はHPを!

松島町内には「7月21日は日本三景の日」と看板や
「日本三景碑」が建てられています

マリンパル女川おさかな市場 うに祭り
7月11日(土)、12日(日)
会/マリンパル女川
問/マリンパル女川事業協同組合
0225-54-4714

せんだい・あきう七夕展
7月11日(土)~8月9日(日)
会/秋保・里センター(仙台市太白区秋保町湯元字寺田原40-7)
問/秋保・里センター
http://www.akiusato.jp/

徳川家康没後400年記念
特別展「徳川将軍家と東北」―泰平の世の歴史と名宝―
7月11日(土)~8月23日(日)
会/東北歴史博物館
問/東北歴史博物館
http://www.thm.pref.miyagi.jp/enter_top.html

岩沼みんなの家祝!竣工2周年記念 
みんなの夏祭り!2015
7月12日(日)12:00~17:00
会/岩沼みんなの家(岩沼市押分字南谷地24-1)
問/080-9696-5025(備え付け携帯)


イベントの詳細はこちら↓
==============
2015年7月4日
岩沼「みんなの家」の夏まつりが開催されます!
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/07/blog-post_4.html
==============

山ゆりまつり
7月12日(日)~27日(月)
会/昭和万葉の森(黒川郡大衡村大衡字平林117)
問/昭和万葉の森管理事務所 
022-345-4623

古川祇園八坂神社例大祭
7月13日(月)~15日(水)
会/祇園八坂神社(大崎市古川中島町10-45 )
問/祇園八坂神社
0229-24-1977

洋ランサマーフェア
7月17日(金)~20日(月、祝)
会/道の駅「村田」物産交流センター(柴田郡村田町大字村田字北塩内41)
問/道の駅「村田」物産交流センター
http://muratamachi.info/

第3回石巻ゴスペルフェスティバル2015
7月18日(土)11:00~16:00
会/サン・ファン・バウティスタパーク(石巻市渡波大森30-2)
問/石巻ゴスペルフェスティバル実行委員会
https://www.facebook.com/IshinomakiGospelfestival

もくもく親子工作教室
7月18日(土)~8月2日(日)までの毎週土・日曜日
会/道の駅「津山」もくもくランド内物産館(登米市津山町横山字細屋26-1)
問/もくもくハウス(津山木工芸品事業共同組合)
http://moku2land.com/index.html

天平ろまん館世界の大昆虫展
7月18日(土)~20日(月、祝)
会/天平ろまん館(遠田郡涌谷町涌谷字黄金山1-3)
問/天平ろまん館
http://www.tenpyou.jp/

復興支援コンサート
第10回ソナーレチャリティジャズコンサート
7月19日(日)
会/亘理町 荒浜にぎわい回廊商店街アーケード
問/エフエムあおぞら  0223-32-2293(吉田)
   ソナーレ実行委員会 090-3127-3263(太田)

イベントの詳細はこちら↓
==============
2015年7月3日
海辺でゆったりジャズコンサート(亘理町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/07/blog-post_44.html
==============

夏フェア2015
7月18日(土)~8月23日(木)
会/国営みちのく杜の湖畔公園(柴田郡川崎町大字小野字二本松53-9)
問/みちのく公園管理センター 0224-84-5991
http://www.thr.mlit.go.jp/m-park/

仙石線・仙石東北ライン開通記念事業
繋がる想い いしのまき出発祭
7月19日(日)10:00~20:00
会/中瀬公園(石巻市中瀬2-7付近)
問/石巻市産業部観光課 
0225-95-1111(代表)
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10452000b/20150521200308.html

第68回塩竈みなと祭
前夜祭:7月19日(日)、本祭:20日(月、祝)
会/前夜祭:マリンゲート塩釜周辺、本祭:塩竈市内各所
問/塩竈みなと祭協賛会
http://kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/
(塩竈市観光物産協会)

NA LEI O HAWAII2015
7月20日(月、祝)
会/七ヶ浜国際村(七ヶ浜町花渕浜字大山1-1)
問/七ヶ浜国際村
http://www.shichigahama.com/kokusai/


------------------------------------

そして、夏と言えばやっぱり海!
先日今年の海開き情報が発表になりました。

【2015海開きの日程】
・桂島海水浴場(塩竈市) 7月13日オープン(予定)
・網地白浜海水浴場(石巻市) 7月17日オープン
・マイビーチ鬼ヶ浜(塩竈市) 7月19日オープン
・小田の浜海水浴場(気仙沼市) 7月25日オープン

詳細はこちらをご覧ください。

宮城まるごと探訪
http://www.miyagi-kankou.or.jp/

県内の花火大会の情報もありますのでチェックしてみてくださいね。

昨年、震災後4年ぶりに再会した「桂島海水浴場」

どの海水浴場も、地元の方々やボランティアの方々が再会への強い想いを込めて復旧作業を行ってきた
大切な大切な場所です。
ルールをしっかり守り、皆さんが快適に楽しく過ごせるようご協力をお願いいたします。


(取材日 平成27年7月1日)
Viewing all 1285 articles
Browse latest View live