こんにちは。けいこです。
全国的に冷え込んだ11月15日、木曜日。
この日私は震災後から被災地に鮮やかな色を届けている、中学校の美術教師、梶原千恵さんに会うために石巻へ向かいました。
中学校で美術を教えながら、被災地でのアート活動に奔走する梶原さん。
きっと使命感に燃え、自信にあふれ、前へ前へとどんどん進んでいる話が聞けるんだろうな。
そんなことを考えながら取材を進めていくと、
「何をするにもこれでいいのかなという不安ばかり。アートの力なんて分からない」
という答えが。
被災地のアートを引っ張るリーダーは、迷いながらも突き進みます。
そんな梶原さんの震災後の活動の様子を紹介します。
梶原さんは女川町出身。
育った町の大きな被害の光景を目にし、人々の命を守る人やインフラの整備をする人たちが早々に動き出している中、「こんな時にアートなんて不謹慎。自分には何もすることができない」と落ち込み、震災後1カ月は炊き出しの手伝いなどを続けていました。
そんな時、ボランティアセンターで掛けられた一言が彼女を大きく動かします。
「あなたは美術の先生なんだから、美術でできることをしてあげてください」
その言葉をきっかけに、アートを通した被災地での活動を進めることになりました。
まず初めに行ったのは「表札づくり」。
仮設住宅に入居する人々のために、がれきを彫って作った表札です。
当時美術を教えていた高校の生徒たちも制作に加わり、後に展示会や避難所での表札づくりワークショップへと広がりを見せます。
ワークショップには多くの人が集まり、たくさんのコミュニケーションが生まれたそうです。
「何かを作ったり、絵を描いたりするのが久しぶりという人も多く、皆さん楽しんでいる感じがしました。最初は遠巻きに見ていた人も、“あれ?なんだか楽しそう…”って気になるみたいで(笑)。最終的には一緒になって表札づくりを楽しんでいました」
被災された方の窮屈な日々を潤したワークショップ。
震災でふさぎがちになっていた気持ちを晴れやかにしていきました。
その後も被災地に寄り添ったプロジェクトを数多く進めてきた梶原さん。
しかし、いつも心の中は不安と迷いでいっぱいだそうです。
「このプロジェクトは本当にやる意味があるのか。被災者のためになっているのか。何かをするたびにいつも不安でしょうがないです。でも、気付いたら前に進んでるんですよね。たくさんの人が協力してくれたおかげです。1人では絶対ここまでできなかったと思います」
不安で立ち止まる。
それでも来た波に乗ってみる。
恐る恐る前に進んでみると、道が開ける。
どのプロジェクトもその繰り返しだと言います。
震災発生後からたくさんのプロジェクトを指揮し、先頭を走ってきた梶原さんの胸の内が、いつも不安でいっぱいだったとはとても驚きました。
-----
現在梶原さんが進めているのは、「遠足プロジェクト」。
ランドセルはまるで移動するギャラリー。
名前の通り、遠足のようにさまざまな場所へ出向いて展示やワークショップを行っています。
県内のみならず東京や大阪、群馬や山梨でも開催され、再来年にはカナダのトロントでも展示される予定です。
→→→
-----
梶原さんの今後の夢を聞いてみました。
「女川町にアーティストが継続的に滞在できるようなレジデンスを作りたいと思っています。それと、雄勝石や北上町の葦を使って何かできないかな、と考えています。“地”のものに触れることで、生徒たちにもっと石巻へ関心を持ってもらいたいです」
石巻の商店街のロゴを作ってみたい。
女川と石巻でアートフェスをやりたい。
梶原さんのやりたいことは、まだまだ尽きることはありません。
最後にこんなことを話してくれました。
「震災が起きた頃と比べたら、少しはアートの力を信じられるようになったと思います。でもやっぱり、半分は信じていて、半分は信じていないかな。疑いながらでもやっていくしかないと思います。色がないと、街は死んでしまう気がしていて。それだけは本当に嫌です」
震災におけるアートの力とは。
これはまだ誰にも答えが出せないかもしれません。
しかし、アートは人と人、人と場所、人と出来事をつなぐ最良なツールであると私は思います。
アートを通して被災地の未来を思う梶原さんに、いつか新しい街の姿を見せてもらえる日を楽しみにしています。
※写真提供:遠足プロジェクト/梶原千恵さん
(取材日 平成24年11月15日)
全国的に冷え込んだ11月15日、木曜日。
この日私は震災後から被災地に鮮やかな色を届けている、中学校の美術教師、梶原千恵さんに会うために石巻へ向かいました。
中学校で美術を教えながら、被災地でのアート活動に奔走する梶原さん。
きっと使命感に燃え、自信にあふれ、前へ前へとどんどん進んでいる話が聞けるんだろうな。
そんなことを考えながら取材を進めていくと、
「何をするにもこれでいいのかなという不安ばかり。アートの力なんて分からない」
という答えが。
被災地のアートを引っ張るリーダーは、迷いながらも突き進みます。
そんな梶原さんの震災後の活動の様子を紹介します。
震災後の女川の風景。 横倒しになったビルはそのままに、更地が広がっています。 |
梶原さんは女川町出身。
育った町の大きな被害の光景を目にし、人々の命を守る人やインフラの整備をする人たちが早々に動き出している中、「こんな時にアートなんて不謹慎。自分には何もすることができない」と落ち込み、震災後1カ月は炊き出しの手伝いなどを続けていました。
そんな時、ボランティアセンターで掛けられた一言が彼女を大きく動かします。
「あなたは美術の先生なんだから、美術でできることをしてあげてください」
その言葉をきっかけに、アートを通した被災地での活動を進めることになりました。
まず初めに行ったのは「表札づくり」。
仮設住宅に入居する人々のために、がれきを彫って作った表札です。
当時美術を教えていた高校の生徒たちも制作に加わり、後に展示会や避難所での表札づくりワークショップへと広がりを見せます。
ワークショップには多くの人が集まり、たくさんのコミュニケーションが生まれたそうです。
「何かを作ったり、絵を描いたりするのが久しぶりという人も多く、皆さん楽しんでいる感じがしました。最初は遠巻きに見ていた人も、“あれ?なんだか楽しそう…”って気になるみたいで(笑)。最終的には一緒になって表札づくりを楽しんでいました」
被災された方の窮屈な日々を潤したワークショップ。
震災でふさぎがちになっていた気持ちを晴れやかにしていきました。
その後も被災地に寄り添ったプロジェクトを数多く進めてきた梶原さん。
しかし、いつも心の中は不安と迷いでいっぱいだそうです。
「このプロジェクトは本当にやる意味があるのか。被災者のためになっているのか。何かをするたびにいつも不安でしょうがないです。でも、気付いたら前に進んでるんですよね。たくさんの人が協力してくれたおかげです。1人では絶対ここまでできなかったと思います」
不安で立ち止まる。
それでも来た波に乗ってみる。
恐る恐る前に進んでみると、道が開ける。
どのプロジェクトもその繰り返しだと言います。
震災発生後からたくさんのプロジェクトを指揮し、先頭を走ってきた梶原さんの胸の内が、いつも不安でいっぱいだったとはとても驚きました。
-----
現在梶原さんが進めているのは、「遠足プロジェクト」。
このプロジェクトは、救援物資として被災地に贈られながらも、誰の手にも渡らずに余ってしまったランドセルを譲り受け始まったものです。
今まで行ってきたような比較的被災者の方に近いアートから離れ、“救援物資が余っている”ということへの問題提起になっています。遠足プロジェクトで制作されたランドセルアート |
名前の通り、遠足のようにさまざまな場所へ出向いて展示やワークショップを行っています。
県内のみならず東京や大阪、群馬や山梨でも開催され、再来年にはカナダのトロントでも展示される予定です。
塩釜のギャラリー、ビルドスペースでの展示の様子。 |
ランドセルがアート作品に生まれ変わります。 |
(左)梶原さん (右)武谷大介さん 梶原さんと一緒にプロジェクトを行うカナダ在住のアーティストです。 |
万華鏡のように、覗き穴があるランドセル。 |
こんなふうに楽しみます。 |
→→→
女川出身の梶原さんとカナダ在住の武谷さんが出会ったことで始まったこのプロジェクト。
支援物資が余っているという問題提起に加え、震災の影響がカナダに及んでいるということに気付くきっかけにもなっているのではないでしょうか。
津波によって海へと流された漂流物は今、カナダや北米のアラスカ湾沿岸に漂着し、その処理や解体について大きな問題になっています。
さらには海の生態系にも影響を及ぼしているそうです。
被災者や被災地に根差したアートから、震災にまつわる問題を教える情報発信型アートへ。
梶原さんの手掛けるアートプロジェクトはその時々に沿って形を変え、世界へと広がっていきます。
-----
梶原さんの今後の夢を聞いてみました。
「女川町にアーティストが継続的に滞在できるようなレジデンスを作りたいと思っています。それと、雄勝石や北上町の葦を使って何かできないかな、と考えています。“地”のものに触れることで、生徒たちにもっと石巻へ関心を持ってもらいたいです」
「女川から世界へアートを!!」 |
石巻の商店街のロゴを作ってみたい。
女川と石巻でアートフェスをやりたい。
梶原さんのやりたいことは、まだまだ尽きることはありません。
最後にこんなことを話してくれました。
「震災が起きた頃と比べたら、少しはアートの力を信じられるようになったと思います。でもやっぱり、半分は信じていて、半分は信じていないかな。疑いながらでもやっていくしかないと思います。色がないと、街は死んでしまう気がしていて。それだけは本当に嫌です」
震災におけるアートの力とは。
これはまだ誰にも答えが出せないかもしれません。
しかし、アートは人と人、人と場所、人と出来事をつなぐ最良なツールであると私は思います。
アートを通して被災地の未来を思う梶原さんに、いつか新しい街の姿を見せてもらえる日を楽しみにしています。
※写真提供:遠足プロジェクト/梶原千恵さん
(取材日 平成24年11月15日)