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正しい数値をアピールして〝石巻を守る〟 (石巻市魚町)

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石野葉穂香です。

東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故は、震災復興を目指して歩もうとする多くの人たちの足もとに、さまざまなカタチで、からみついてきます。

あの事故さえなければ、津波被害からの復興に、もっと多くの力や心を集められたかもしれません。
でも、もう起きてしまったことです。今も現場では、多くの作業員の方々が、危険と背中合わせの中で、懸命に闘っています。
とにかく一刻でも早く、そして正しく、間違いのないように収束させてほしい……と、福島の人も、日本中、世界中の人が祈り、願っています。

石巻魚市場の陸揚げ岸壁。
港の向こうは牡鹿半島方面です

一方、漏れ出した放射能に対し、私たちは、正しく付き合っていかなければなりません。
過小だったり過敏だったりする情報に振り回されないで、正しい数値、正しいデータを元にして、正しく判断しなければいけません。
「風評被害」は、東北地方をはじめ東日本の広い範囲で、農林水産物の出荷への「足かせ」になっています。


セリ開始直前の石巻魚市場。
奥の事務所で、入港した船や魚の情報が公開されています

「〝お上〟の出してくるデータは信じられない」という方も多いみたいです。
誰の言うことが正しいの? と不信が増幅しています。

では、漁港という〝最前線〟で測定されるデータはどうでしょう?

8月30日、石巻魚市場株式会社の仮設事務所で、水揚げされた魚をまるごとコンベアーに載せて、センサーを通過させることで放射能の測定ができる機器がお披露目されました。

これは、東北大学生活環境早期復旧技術研究センターと石巻魚市場が、昨秋から実用化を目指して開発を続けてきたもの。
全国でここにしかない〝オリジナル〟の機器です。

名前はちょっと長めですが「連続個別非破壊放射能汚染検査システム」といいます。


向こう端から魚をコンベアに載せて送り、
測定結果に従って手前で三方向に振り分けられます

ベルトコンベアーが延びる全長約12mの機器で、ベルトの下、約8mに渡って放射能センサーが120本設置されています。
ベルトコンベアーの上を、2.5秒に1匹ずつ魚を載せて送ると、機器の出口では、1㎏あたり100ベクレル以上(国の基準値)、50ベクレル以上(要注意値)、そして50ベクレル未満(安全)の、3つに自動的に振り分けられます。

石巻魚市場では、現在、毎朝4時から、放射能測定検査を行っています。
その方法は、魚数匹をすりつぶしてミンチ状にした検体を最低1㎏つくり、それを測定器に入れ、30分以上かけて検査するという方法です。

午前4時というのは、セリが始まる2時間半も前。セリが安心して行われるようにするためです。4時から検査を行う漁港は、日本中でも石巻魚市場だけです。

これは9月2日の写真です。検査結果は毎朝こうして、魚種ごと、海域ごとに表示されます。
ちなみに全部不検出でした
出荷を自粛すべき魚種についても
日付、海域と併せて情報を正しく公開しています

しかし、検査のためだけに、とれたての魚を何匹もミンチにして、最後には捨ててしまう、というのは非効率的だし、何より〝もったいない〟ことです。
しかも、ほとんどは放射能「不検出」。大事な資源をすりつぶして、食べずに捨ててしまうなんて、漁師さんにしてみたら、たまったものではありません。
(バラされるだけでゴミにされる魚もかわいそうです)


でも、「連続個別非破壊放射能汚染検査システム」は、魚体を順番に流すだけ(連続)、しかも一体ずつ(個別)、魚も解体しなくてよい(非破壊)という画期的な方法なのです。
まだ試験運用中ですが、システムを通過する99%以上の魚が「不検出」です。


こちらは活アナゴのカゴ。牡鹿半島や金華山沖合は、牡鹿アナゴをはじめ
金華サバ、金華カツオ、金華ぎん(銀ザケ)など、築地でも高値を呼ぶ〝ブランド魚〟の宝庫です


「私たちは、私たちが獲った魚が安全だ、ということをアピールして、私たちの仕事を、生活を、そして海と石巻を守っていきたいのです」
こうおっしゃるのは、石巻魚市場(株)の須能邦雄社長。

「短時間で多くの魚をしっかりと測定できるシステムです。検査の体制をしっかりつくりあげて、石巻の魚は安全で、安心して食べられるのだと世界に向けて発信していきます」

石巻魚市場の須能邦雄社長

市場には、2年6カ月前の傷跡も
まだ残されていました

機器は、魚の重さを量ることもでき、魚種ごと、海域ごとに測定することも可能。
測定スピードも、これまでの1㎏30分から、1時間1400匹へと大幅に短縮できます。
全長2mのキハダマグロぐらいまでなら大丈夫。今後はトロ箱(魚を入れる発泡スチロールの箱)ごとベルトコンベアーに載せられるようにしたいとのこと。
何よりもスピードアップすることで、新鮮なうちに測定を終わらせることができます。

数字は、ウソをつきません。
検査体制がしっかりと構築され、一層充実していけば、もっともっと多くの人に石巻の魚を安心して食べてもらえるようになるはずです。

朝の光の中、地元の小さな船が活アナゴを運んで来ました。
大型船も小型船もやってきます。
水産県・宮城の漁港が取り戻した朝の風景です

震災前の石巻漁港には、東洋一の大きさを誇る900mの大屋根がありました。
陸揚げ岸壁は長さ1000m。水揚げ高は全国第3位、さらに200社以上の水産加工会社、そして多くの関連企業がありました。

震災から2年半。50%以上の関連産業が操業を〝再開〟しています。
そして魚市場の大屋根の新築工事も、今冬からスタート。

石巻の前海は、世界三大好漁場の1つといわれる「三陸沖」。
日本屈指の水産都市の復興は、海洋国家ニッポンの元気の源でもあります。



石巻魚市場株式会社
http://www.isiuo.co.jp/index.html


関連記事をこちらでもご覧になれます。

<宮城から感謝をこめて> 石巻市 石巻魚市場
 〝水産都市〟の名にかけて、見せるぞ、石巻の底力!
震災で、人もまちも傷ついたけれど、三陸の海はやっぱり私たちの誇り。
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/home/ishinomaki


(取材日 平成25年9月6日)

仮設大橋団地、夏祭りへの想い(石巻市大橋)

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こんにちは、Chocoです。
10月になり、石巻も朝晩は冷え込み、すっかり秋模様です。
そんな時期ですが、今回は、今年の夏に出会った素敵な夏祭りを紹介しようと思います。

多くの地域で夏祭りが開かれていた今夏、私がよくお邪魔している大橋団地でも、2回目となる「仮設大橋団地夏祭り」が開催されました。


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夏になると私の実家(岩手)の地域でも夏祭りが行われます。
それは、地元の町内会が主催していて、地元の子どもからお年寄りまで集まる温かなお祭りでした。
それは今でも夏になると当たり前のようにある行事です。
石巻の各地域でもお祭りがありました。
きっと、私の地域と同じように小規模だけれど、にぎわいのある時間を日常的に過ごしていたのだと思います。

震災後、その「日常」がなくなってしまいました。

「理屈抜きでみんなが一緒に楽めるような夏祭り」。
「話すだけでなく、歌を歌ったりすることで、心が通う夏祭り」。
山崎信哉自治会長は、夏祭りの想いをお話してくれました。

ここ大橋団地は、街中の大規模な仮設住宅です。
そのため、居住者は石巻市内の広範囲から集まりました。

仮設住宅には、家を失った人や仕事を失った人、大切な人を亡くした人と、状況が異なる人々が住んでいます。
避難所生活では、プライベートがない環境でも「朝起きれば周りに人がいる」という安心感を持つ人が多かったと言います。
そこから仮設住宅へ移り、近隣は知らない人同士、孤独を感じるという環境になりました。
そのため、外出せず引きこもりになってしまう人も多くいました。

それから1年が経った昨年の夏、初めて大橋団地で夏祭りが行われました。
「住民の融和、親睦、コミュニケーションを通わせる場を提供したい」という想いで自治会が運営を行い、手作りの夏祭りが始まりました。


今年は2度目の夏祭り。
私がお邪魔した時も団地の人たちが集まり、看板の飾り付けなど大忙しでした。

Tシャツのロゴをデザインした小出さん
今回は、夏祭りの実行委員会が自治会のオリジナルTシャツを作りました。
デザインしたのももちろん団地の自治会の方です。
出来たてを見せてくれました。
とっても可愛いロゴですよね。
大橋団地の夏祭りスタッフ限定Tシャツです!!
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会場は、大橋団地の敷地内で行われます。
普段は住民の駐車場スペースとして使われているところです。
ここを夏祭りの会場にするために、自治会長自らがお願いのお手紙を書き、2日前から1台ずつ車のワイパーに挟んで回ります。
夏祭りに使うことを説明し、「ご協力お願いします」と書かれている移動願いによって、当日、会場に使われる敷地には車は1台も停まっていませんでした。

「大橋団地は、とてもまとまりがあるのですね」
と、私は言いました。

住民がいろいろな地域から集まってできた団地には、さまざまな問題が起こります。
山崎会長は、何事にも「強制」をすることはありませんでした。
「いろんな価値観、生活習慣が違った中での生活だから、強制的にしてしまえば、絶対にまとまらない。何度も何度もお願いをしていくにつれて問題はなくなるんだ」

「ここの人は、協力的なんだ」
と、山崎会長は、うれしそうにお話してくれました。




子どもが遊べるように設けられたサッカー体験ブース

かき氷、わたあめ、焼きそば・・・夏祭りには欠かせない屋台がいっぱいでした。

地元の人々のカラオケ大会も行われました。
みなさん、歌が上手なんです!!

大橋団地の皆さんは、この日は外に出て、夏祭りを楽しんでいました。
そして、仮設住宅から新居へ移った人々も来てくれたそうです。
「案内を送ったんだよ。そうしたら、来てくれて・・・本当にうれしかった」
山崎会長は、新しくできた繋がりの強さをあらためて感じていました。

「仮設大橋団地 夏祭り
鎮魂と楽しさの融合を求めて!!」
自治会長 山崎 信哉さん


「焼きそばの味がおいしくなければならない・・・ではなく、食べれればそれでいい。みんなで一緒に食べることに意味がある」

2度目の夏祭りが終わりました。

地元の人々は、決して震災当時のことは忘れることはできません。
それでも前へ前へと進もうとお互い手を取り合って支え合っています。

仮設大橋団地には、1,000人以上の人々が今もなお支え合いながら生活をしています。

出身地も異なる中で、始まった夏祭り。
そこには、「仮設住宅」で共存して仲良く支え合って過ごそうという会長をはじめとする自治会の皆さんの住民への想いがありました。

そうして今夏、たくさんの場所で夏祭りが開かれ、たくさんの笑顔をみることができたのです。

そんな温かい和が、ここにあります。

(取材日 平成23年9月10日)

災害復興住宅第一号。ここから始まる新しい〝まちづくり〟(山元町浅生原・新山下駅周辺地区)

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石野葉穂香です。

宮城県最南の町・山元町に、今春、「災害復興住宅」の県下第一号が完成しました。
第一期の完成戸数は50戸。
そのうち18戸が4月1日から、そして残り32戸についても7月から順次入居が始まって、新しい住民たちによる、新しいまちづくりがスタートしています。

宮城県産の木材もふんだんに使われた復興災害住宅。
平屋建てと2階建てがあります


場所は「新山下駅周辺地区」です。
今はまだ50戸ですが、平成27年度までには広大なエリアに400戸が立ち並び、さらに常磐線の「新山下駅」をはじめ、学校、商店街、公園なども順次整備が進められて行く予定です。

新しい山元町の〝中心街〟が、ここに造られていきます。

街の東側の眺めです。
道の向こうでは第二期工事が進められています

第一期分の50戸に入居した人たちの、以前の住所はバラバラです。
もともとの〝大字〟や〝集落〟の皆さんが、そのまま集団で移転した街ではありません。
ここに新しいコミュニティが生まれ、まちづくりが始まっていく、その〝第一号〟でもあるのです。

8月末、地区の集会施設で開催された「入居者懇談会」におじゃましてまいりました。
5月から始まった懇談会は、この日が4回目の開催でした。
山元町の「まちづくり整備課」の職員の方も出席されて、住民の皆さんによる新しいまちづくりをフォローしています。


真新しい地区の集会施設。カーテンなどの備品はこれから整えられていきます

この日の議題は、「町内会の草取りの日時」「町内会の慶弔費」「街灯がほしい」「子どもの遊び場をどこにするか」「道路の徐行規制について」など。
地域がひとつになり、新しい「まち」となっていく過程では、さまざまなことを皆で決めていかなければなりません。


第一期工事分で建てられた住宅は、1棟に2戸が入る「連棟式住宅」です。

「連棟式にしたのにはワケがあります」
と、まちづくり整備課施設管理班の齋藤哲班長が、皆さんにお話を始めました。
「2世帯が1つの屋根の下にあります。これには〝声を掛け合う〟という意味を込めました。知らなかった人たちが、縁あって、ここに住んで、新しいコミュニティをつくっていくことになりました。お隣りさん同士という気持ちを大切にしていってほしいのです」

2戸1棟、2世帯が隣りあう連棟式の住宅です


続いて、
「なお、懇談会に町の職員が顔を出すのは今回が最後です。第5回目からは皆さんに〝おまかせ〟します」
と齋藤班長。
いよいよ住民主導のまちづくりが始まります。

まちづくり整備課施設管理班の齋藤哲班長。
新しい街のスタートを町役場も応援します


地区代表の岩佐磐石さんは、
「ワンタッチでお風呂のお湯が出てくるのがうれしい。家に帰ったら、いっとう先にお風呂に入りたいから、ありがたいです」
と、快適さを強調。

「新しい家に引っ越して、前に進んでいこうという気持ちがあふれてきます。災害復興住宅の第一号ということで、他地区から見学に来られる人もいます。しっかりやっていかなくちゃって思いますね」

地区代表の岩佐磐石さん(左/78歳)と
地区最高齢となる嶋田眞佐雄さん(86歳)

そして
「第一号だっていう誇りもあります。ここを選んだのだから、当然、いい街にしていこう、と皆で話し合っています」
と話してくださいました。

災害復興住宅は、宮城県全体で1万5000戸が建設される予定です。
これから多くの地域で、新しい〝まちづくり〟が始まろうとしています。

「仮設――仮の暮らし」じゃなく、いよいよ歩み出す「ほんとうの暮らし」。

明るく元気な「街」がいっぱいできて、それぞれにステキなコミュニティが築かれ、広がって、ステキな思い出やエピソードがたくさん紡がれていくでしょう。

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関連記事をこちらでもご覧になれます。

<宮城から感謝をこめて> 山元町 新山下駅周辺地区
「オラたちの“まちづくり”、スタート―!」
宮城県山元町で、災害公営住宅が完成し、入居が始まりました。


(取材日 平成25年8月31日)

「織姫たちと紡ぐ絆」織物体験プログラム(山元町)

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こんにちは エムです。

突然ですが『まちフェス~伊達ルネッサンス~』というイベントをご存知ですか?
9月14(土)〜10月27日(水)までの約1カ月半にわたり、仙台藩伊達家ゆかりの地、亘理町・山元町・新地町3町で開催されているイベントの名称なのですが、今回はこの『まちフェス~伊達ルネッサンス~』についてご紹介させていただきます。
(以下『まちフェス』

東日本大震災では宮城県南部と福島県北部の沿岸地域でも甚大な被害がありました。
いまだに「仮設住宅」には多くの方々が住んでいますし、「みなし仮設住宅」「民間借り上げ住宅」なども含めて、家族や同じ地域に住んでいた方が別れ別れになって暮らさざるを得なかったり、1人暮らしの方も少なくありません。

「かたくり舎」の中の棚に置かれた糸

そこで、同じ地域同士や、他の地域の方との新たな出会い・交流を育み、参加者が地域活動に携わる機会を提供しようとのコンセプトで始まった『まちフェス』
一般社団法人「ふらっとーほく」主催のイベントです。
(ふらっとーほくホームページ http://flatohoku.jp/)

[2012年6月18日月曜日 みんなでこせっぺ!(亘理町)]


昨年(2012年1月12日~2月14日)に次いで2回目となる今年は、24のプログラムが用意されました。
コンセプト通り、楽しみながら地域活動に携わるきっかけになりそうな、魅力的な内容ばかりです。
講師となり指導してくださるのは、これまでもそれぞれの地域で活動に取り組んできた達人たちです。
『まちフェス~伊達ルネッサンス~』ホームページ参照:http://machifes.jp/about/


工房に置かれた機織りの道具類

私は、10月12日(土)に開催された
「織姫たちと紡ぐ絆~vol.2~ シルクのマットを作ろう」をのぞいてみました。

開催場所は山元町坂本にある「かたくり舎織姫の会」
『まちフェス』にサポート役で参加している澁谷直美さんの運転する車に案内され、秘密の通路のような細い田舎道を必死で着いて行くと、行き止まりに「かたくり舎」はありました。
風に揺れる大きな木々や畑に囲まれた風変わりな木造の建物は、小さな集会所のようなたたずまい。


「かたくり舎」

迎えてくださったのは、代表の志小田(しこだ)惠子さんをはじめ「織姫」の皆さんの明るい笑顔でした。

昨年は定員数いっぱいの8名の参加があった人気のプログラムですが、今回は同じ山元町から参加の坂野美香さんとサポーターの澁谷さん2人でしたので、穏やかな秋の日差しが差し込む工房で、ゆったりと製作することができました。


「裂き織り」に使うシルクを裂いた糸

今回体験するのは「裂き織り」というもの。
あらかじめ縦糸が張られた織り機に向かい、細く裂いた絹の布を横糸として織っていきます。
坂野さんは編み物が趣味という手芸好き。前から織物もやってみたいと思っていたそうです。初体験ながら、優しい先生の指導を受け、短い時間の間にきれいなマットを作ってしまいました。

「まちフェス」参加の坂野美香さんに教えているのは達人の冨田さつこさん。
「仮設にいた頃は気持ちが辛かったけど、ここに来れて本当に楽しいの。
ここに来る前は手芸は何もやった事がなかったのよ」。

(手芸好きだから!?)と手芸が苦手の私は内心考えて自分を慰めようとしましたが、お話を聞いてみると、ここに来ている皆さんのほとんどは初心者だったそうです。私と同じように手芸は苦手、とおっしゃる方もいました。

「こつをつかめば簡単です」


手の込んだ美しい織物を明るい笑顔で織っている皆さんですが、ここまでになるのには「かたくり舎織姫の会」を立ち上げた志小田さんの力がありました。

震災で甚大な被害があった中浜地区では、314戸のうち20数戸がかろうじて残っただけでした。
志小田さんは震災直後からご主人と一緒に、高台にあり無事だった自宅を拠点に支援活動を始めました。おにぎりや着るもの、こまごました日用品まで、できる限りの支援物資を仮設に届けました。
そうしているうちにご主人の友人から、「仮設にいる女性に織物を教えてもらえないか」といった依頼を受けたそうです。


縦糸をセットする「整形」までが作業の7〜8割。半日かかるそうです。

志小田さんは以前は「高機」(たかはた)という大きく本格的な織り機で織物をしていた方です。
ある時、現在使っている小さな織り機に出会い、気軽にできるこのタイプにはまってしまったそうです。震災の3年ほど前のことでした。

「皆さんの癒しになるなら」
「これまでの物質的な支援から、心の支援に」
「かたくり舎」は志小田さんのそんな想いで始まったボランティア織物教室だったのです。


機織りを実演して指導する志小田惠子先生

「ここを立ち上げてから今まで、たくさんの方々の支援や協力を受けてこれまでやってきました。本当にありがたいです」
大阪のメーカーからの、織り機の無期限の貸与。
ネットで呼び掛けてくれた支援団体のおかげで、全国から送られて来たたくさんの糸。
海外から送られた義援金。
「かたくり舎織姫の会」はこうした助けがあって活動の輪を広げて来られました」。
志小田さんはしみじみと語りました。




小さな機織り機ですが、織り方は何種類もあるそうです。
糸の色や種類を替えるだけでもまるで別の製品になります

またフランスにある東日本大震災の支援団体から、日本の製品をフランスのお祭りで販売したいとの提案があり、澁谷さんの運営する「NPO法人ガーネットみやぎ」の協力を得て「かたくり舎」の製品を出品しました。
新たな国内、海外からの販売の申し込みも絶えず、「かたくり舎織姫の会」の製品は人気があります。

工房の中の製品は購入できます。

しかし、現在まで活動し続けてきた志小田さんですが、このところ体調が優れず、販売を控えようと考えています。
「かたくり舎織姫の会」の皆さんにとっても思いのまま、ゆっくり製作する時間が必要なのかもしれません。

織り製品作りには、糸はもちろん時間が必要です


『まちフェス』を初めて取材させていただきましたが、参加した方の気持ちと迎えてくださる方、それぞれぞれの深い思いと温かい心がそこにはありました。人と人はこうしてつながるのだと感じさせられました。
興味はあっても車がない、連絡する勇気が出ない、やったことがないなど、たくさん考えて今回は参加を見送ってしまった方もいるかもしれません。
でも、1歩踏み出せば、そこには必ず出会いがあります。1歩の先には人がいるのです。
温かな心が待っています。


温かな雰囲気の中、集中した穏やかな時間が流れていました


今までのなじみのある つながり とは違うかもしれませんが、新たな交流が思いもかけない新たな力となって自分を励ましてくれる時もあります。
『まちフェス』のように、復興に力を貸そうと思って活動している人は、現在もたくさんいます。
でも、私たち被災者自身が動きださなければ何も始まらないのです。
被災者だと自分でも思わなくなった時、その時こそが復興なのではないでしょうか。

そんなことを考え、感じさせられたプログラムでした。

後列左からサポーターの澁谷直美さん、「かたくり舎織姫の会」代表の志小田惠子さん、
南条くにさん、冨田さつこさん、菊田公子さん、横山真理子さん。中央は坂野美香さん

「支援をたくさんいただきました。いつか支援でお返ししたいです」
「全国の皆さんに感謝しています!」


〈まちフェス~伊達ルネッサンス実行委員会〉
所在地:宮城県亘理郡亘理町字上茨田38番地
事務局連絡先:090-2953-0289(平日9時~18時)

「かたくり舎織姫の会」
Facebook:
https://ja-jp.facebook.com/pages/かたくり舎織姫の会/339162962855641

『まちフェス』サポーターの澁谷直美さんも「かたくり舎織姫の会」を支援する1人です。
「NPO法人ガーネットみやぎ」を立ち上げ支援活動を続けています。


(取材日 平成25年10月12日)

創業140年の蔵を離れて、新たなる挑戦(後編)  新澤醸造店・川崎蔵(川崎町)

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YUUです。

2011年3月11日14時46分。その時は酒造りの真っ最中。蔵には搾りの時を待つタンクが10本ほどあったといいます。

創業明治6年、宮城県大崎市三本木の地で140年近く酒造りの歴史を重ねてきた新澤醸造店は、東日本大震災により、蔵が全壊判定を受ける大きな被害を受けました。


震災後、三本木の蔵を取り壊し、新しく建てられた新澤醸造店・新店舗の店内
創業140年の蔵を離れて、新たなる挑戦(前篇)では、それぞれの土地と密接に結び付くことで歴史を重ねてきた酒造会社としては非常に珍しい、新澤醸造店の蔵の移転の経緯を紹介しました。

三本木の地にあった旧蔵は、2008年の6月14日、岩手・宮城内陸地震の時も大きな被害を受けていました。 明治6年建造の建物の被害もさることながら、大型冷蔵庫が倒壊し、1000本以上の一升瓶が割れてしまったそうです。

3年後、再びの大地震は壊滅的な打撃をこの由緒ある蔵に与えました。


震災後、蔵の中に氾濫した醪(もろみ)を片付ける様子
新澤醸造店は、2011年度も5月1日より、全壊判定を受けた三本木の蔵で酒造りを再開しました。

「震災後、全国の蔵、卸元、酒屋、飲食店、さらに個人の方々から、激励の声、支援物資を次々といただきました。その気持ちに応えるには、酒造りを継続し、商品で気持ちを返したかった。震災時に仕込み中だったお酒はほとんど駄目になってしまいましたが、お米はあり、5月1日より、酒造りを再開したんです」(新澤醸造店・杉原健太郎専務取締役)

杉原さんの説明によると、2011年度、宮城県内の酒蔵で欠品を生じさせなかったのは、おそらくうち(新澤醸造店)だけだろうとのことです。

酒蔵の隣の空き店舗を借りて受注発注を行い、全壊認定の蔵のお酒の貯蔵所で、危険を顧みず、酒造りを行いました。

川崎町への移転を決断する前、余震のたびに蔵中に砂ぼこりが舞い、蔵が傾き、補強でどうにかなるものではないと理解したそうです。

「社長の決断により、2011年度11月1日から川崎蔵への移転、稼働開始が決定していました。三本木の蔵で最後の酒造りを行いながら、約2カ月間で移設準備を完了しました。取り壊す蔵からは使えるものは全て川崎蔵へ運びました」

川崎蔵の中は動線もゆったり、フラットフロアなので作業効率もはかどりそうです


受注、発注などを行う本社機能は三本木に残したままの蔵の移転。

大崎市三本木から川崎町までは、高速道路を使っても移動に1時間を要します。

杉原専務によると、移転から約1年間は、震災以前の従業員が三本木で車に乗合い、川﨑町へ移動したそうです。

「初年度は高速道路無料化の恩恵をかなり受けました。現在は川崎蔵で働く従業員は14名ですが、私(杉原)と社長、もう1名を除くと、他は全て川崎蔵で採用したスタッフです。現在、三本木に残っている従業員は事務系の従業員のみです」


設備等の移送が済んでも即、川崎蔵移転完了というわけにはいきません。、

蔵の現場で働くスタッフは徐々に現地採用を進めて、従来のスタッフからの引き継ぎを行っていったといいます。移転当初は蔵の認知度も地元では低く、従業員募集の告知を出しても、思うように募集人員が集まらなかったそうです。

「酒造りに欠かせない水や環境だけじゃなく、人員も一新しての再出発です。幸い、造りの各部門で働くスタッフは働き始めて日は浅いですが、それぞれ非常に熱心に酒造りに取り組んでもらっています。人員配置はぎりぎりではなく、アフターフォローが取れる体制を取っているので、なにか足りない部分があれば、蔵全体、造り全体を見る私や社長が即時対応します」

川崎蔵で使用する水は全て良質の天然水で賄っています

被災によるやむを得ずの選択ではなく、酒造りを向上させるための前向きな選択だという強い思い。

川崎蔵への移転は、施設面の拡充の意味あいもありますが、素晴らしい水質の土地で酒造りの工程全てを良質の天然水で賄える利点が何より大きいそうです。

「酒造りにおいて、良質で豊富な天然水が使用できることは非常に大きいポイントです。川崎で仕込んだお酒の味が評判が良いのも、水の影響は少なくないはずだと考えています」 


釜場にある仕込みタンク。酒造りの発酵の過程では温度管理が非常に重要
ですが、新蔵になって微細な温度変化も見られるようになったといいます

究極の食中酒を目指し、裏ラベルに「一層食材を引き立てる事、綺麗で爽やかなキレを演出することを大切にしています」と記す新澤醸造店が醸す酒・伯楽星。

甘みや香りを抑え、酸味のあるスッキリとした食中酒。

重厚で主張の強いお酒が話題になることの多い地酒銘柄の中で、上品で、酒の五味のバランスが良く取れたお酒。

震災以前より、伯楽星を扱う仙台市内の地酒専門店、地酒にこだわる飲食店などで耳に入る評価はほぼ一致して高いものがありました。

それでも、高品質の特定名称酒に生産をシフトすることで生き残りを模索してきた蔵が地酒銘柄として残った中で、さらに売上げを伸ばしていくことは容易なことではありません。

「まだまだ未熟な蔵ですが、移転を契機として、これまで以上に酒質の向上に取り組み、銘柄の認知度を高めていきたいと考えています」
  

酒造りは、蒸米、枯らし、麹、その後の仕込みとすべての工程が一瞬も気を抜けず、それぞれの洗練度、工夫が各蔵の違いとなって表れます。

川崎蔵への移転は良質の水が豊富に使えるようになっただけではなく、既存の蔵の使いやすい部分はそのまま利用し、一部を使いやすいように改良することで、作業効率を上げることにもつながりました。


感謝!品質で恩返しと話してくれた新澤醸造店・杉原健太郎・専務取締役

新たなる挑戦、未來を見つめての移転。

今回の取材では、度重なる震災の被害を受けてなお、逆境を躍進の契機に転じたいと高品質の酒造りにかける情熱を失うことのない酒蔵の強い思いが伝わってきました。


なお、新澤醸造店では、「伯楽星」、「愛宕の松」の造りの他に、「和りきゅーる」の挑戦をテーマに梅酒や紅茶酒、ヨーグルト酒など、それぞれ個性的で素材にこだわった日本酒ベースのリキュール酒の生産にも取り組んでいます。


「超濃厚ヨーグルト酒」ジャージー牛 生乳全量使用
濃くてクリーミーな未体験ゾーンの味わいが評判に

特に2010年より生産を開始した超濃厚ヨーグルト酒は一見、いや一度味わってみる価値ありです。

乳牛のなかでもっとも濃厚な牛乳を出すと言われる英仏海峡に浮かぶジャージー島原産、大崎市田尻で大事に育てられているジャージー牛の生乳100%使用。添加物は一切使用していません。

季節限定商品。購入後は要冷蔵の商品なので扱う酒販店も限られていますが、先日、初めて飲んだ私は正直、びっくりしました。

これはお酒なのか。心地良い甘さ、爽やかさに口の中が支配され、良質のバニラアイスを流し込むような感じでした。ある意味危険というか、日本酒はおろか、お酒全般が苦手な人でもぐいぐい飲んで「おいしい!」と叫んじゃうだろうな、と想像しちゃうような味わいでした。


株式会社新澤醸造店
宮城県大崎市三本木字北町63
TEL 0229‐52‐3002

川崎蔵
宮城県柴田郡川崎町大字今宿字子銀沢山1‐115

(取材日 平成25年9月25日)

閖上に真の復興を~閖上ケナフの会~(名取市閖上)

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こんにちは エムです。

ケナフの花

先日、「閖上のケナフ」を使った初の炭焼きが行われました。

9月8日の取材以来、台風や大雨などの日もあって、とても気になっていた閖上のケナフ。

2013年9月20日金曜日
大きく育て心の復興。「閖上ケナフプロジェクト」(名取市閖上)

そのケナフを育てている橋浦さんから電話をいただき、ケナフの炭を見てみたいと思った私は、早速 “長靴” を持ってケナフ畑を訪れました。
朝8時半に着いてみると、畑にはすでに橋浦祺卓(はしうら よしたか)さんと弟の橋浦 司(つかさ)さんの姿がありました。

炭を半分取り出した窯の内部
畑の作業場に設置されている炭窯は、今年8月に群馬高専特命教授の青井透氏や学生、窯の部材を提供してくれた足利工業大学名誉教授、岩崎眞理(まさと)氏協力の元、共同で製作されたものです。
群馬高専の青井教授が、このプロジェクトを支援する「NPO法人ケナフ協議会」(愛媛県)の会員という縁で設置が実現しました。
「NPO法人ケナフ協議会」副会長の高知県大学名誉教授、鮫島一彦氏はこのケナフ作りの発案者であり、欠かせない協力者です。


炭窯で焼いた後は、1晩置いて十分冷まさなければなりません。そして今日はいよいよ炭を取り出す日。
ケナフの炭は、東北でも試みた方はいましたが成功例はなかったとのこと。橋浦さんご兄弟は、育て方も炭を焼くのも試行錯誤で挑戦し続けています。
ケナフは木のように固い素材に感じますが、実は1年草。木とは違って素材自体に熱量はあまりありません。木炭を焼くときのような温度管理では灰になってしまうのだそうです。


ところがこの炭を見てください!
閖上で育ったケナフの炭の第1号の誕生です!

30kgのケナフが(約)3.4kgの炭になりました。とても軽い炭です


重さを量ってみると、炭になったのは総重量の約9分の1、容量にすると3分の1ほどになっているそうです。

[工程1〜2]ケナフを刈り取り、枝や実を取った後、
一定の長さに切りそろえる(橋浦祺卓さん)

[工程3]皮をむく(格井直光さん)

[工程4]乾かす

[工程5〜6]炭窯で焼いて取り出す(橋浦司さん)

ケナフの炭は脱臭効果の他、よく洗ったものは調理などにも使えます。ご飯を炊く時に一緒に入れたり、焼酎などに入れるとおいしくなるそうです。
「閖上育ちのケナフで作った炭だよ」
「閖上復興だより」の編集長であり、このケナフプロジェクトのスタッフの1人でもある格井さんも加わり、ケナフの炭の出来をしばし討論している3人の様子は、本当にうれしそうでした。


皮を乾かす方法も試行錯誤。皮は繊維を取るために使われます

橋浦さんや格井さんが「閖上育ち」にこだわり、丹精込めてケナフを育てているのには訳がありました。
もちろんこの炭や、これから挑戦するケナフの紙を閖上の特産品にするためです。
しかしそれは単に地元の売り上げに貢献したいだけではありません。

「震災のある前は閖上で一緒に生きて生活し、育ってきた人たちが、今ではバラバラに住んでいる。東部道路をくぐって来るのは嫌だと言う人もいる。イベントなども大事だとは思うが、こうして自分たちがやってることがきっかけになって、一緒に何かを作ることができたらと思ってやっている」
「閖上の人がここに足を運び、滞在時間が長くいられるような、しかも1回で終わらない活動があったら本当の意味での復興につながると思う」
「いつかは自立しなければならない時が来る。その時に困らない準備と体制作りが大事」。
2人はそう語りました。


4mはありそうなケナフ畑

しかし現実に、閖上は具体的な政策は何一つ進んでいません。
今閖上にある計画の1つは、震災で残った住宅、閖上に戻って今現在住んでいる橋浦さんのような方の家、このケナフ畑も2、3年後には全て壊して埋め立て、新しい町を作るというものだそうです。
それが実行されると閖上は誰も住まない土地になるようです。
ケナフ畑も移転先を検討中です。
「それでも」
橋浦さんと格井さんは言います。
「それでもここにいる以上は、人のために今できることを進んでやりたい」。
「計画が何も進んでない中こうしてやっているのは、忙しくしてないと心の不安が大きいという理由もある」

ケナフ畑の作業場。復興の計画ではここもなくなる予定

また驚いたことには、今までかかった経費は橋浦さんの持ち出しで行っていたとのこと。

炭焼き窯作りに協力してくれた群馬高専、足利工大総合研究センターの教授や学生、ボランティアの飲食も橋浦さんがお世話をしてきました。
ケナフを育てる過程で必要な機材なども当然ありますので、このままでは長い活動は難しいと感じていました。
そのため、橋浦さんの気持ちに賛同し、このプロジェクトを責任を持ってサポートしてくれる有志のメンバーで新たに体制を作り直し、プロジェクト名も変えて助成金を申請することにしました。


新しい名称は
「閖上ケナフの会」~閖上育ち、希望のケナフ~

代表の橋浦さんを筆頭に、ケナフ畑の責任者の橋浦司さん、広報担当の格井さん、その他にも4、5人の方が名前を連ねています。素晴らしいこの名称で再スタートです。この名前で製品に貼るステッカーも作られているとのこと。

ただ、相変わらず作業量に対して人手は足りていないのが実情です。
ケナフは人の都合に関わらず成長し続けていますし、冬が近づいています。
作業人員は、土日には少し行える人もいますが、ほとんど橋浦さんご兄弟頼みです。

「土日だけの手伝いでも良いけど、ちょっと見て帰ってしまうんじゃなくて、せめて朝から午前中いっぱいやってくれる人に来てほしい。5、6人で一斉にやると結構はかどるんだけどね」


もうすぐ冬がやってきます

私も素人ながら、見よう見まねで皮むきをしてみました。
1本目はとても時間がかかりました。皮も途中で途切れてしまい、なかなかスルッと長くはむけませんでしたが、やってるうちにコツが分かり、どんどん楽しく作業ができるようになりました。
畑の作業場で、広い空や新鮮な空気を感じながら、そしておしゃべりしながら作業していると、「ああ……私も大地に生きてるんだな」と自然とそんな気持ちになってきます。
これは私のように、街の生活に少しお疲れ気味で、気分転換したいと思っている人にはお勧めです。週末には訪れることのできる畑がある。そんな生活は体も心も元気になるようです。


ケナフの種も何かに利用できるかもしれません

「復興のため」と考えると重く感じる方もいるかもしれませんが、「自分のため」「地元だから」「少しでも役にたちたい」「子どもに体験させたい」など動機はさまざまで良いと思います。
ケナフ畑では、冬の前の手助けを必要としています
1度、足を運んでみませんか。

ますは橋浦さんに連絡を入れてみてください。

090-1936-3812(橋浦祺卓さんの携帯 )

橋浦さんご兄弟と格井さん。とても優しい方ばかりです

(取材日 平成25年10月14日)

第18共徳丸の解体終了と不明者の捜索 (気仙沼市鹿折)

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こんにちは。kaiiです。

東日本大震災から2年7カ月。
平成25年10月24日、気仙沼市の市街地に打ち上げられていた第18共徳丸の解体工事が終わりました。
工事のために設置されていたパーテションも外され,現場は更地になりました。

第18共徳丸が撤去され更地も戻った打ち上げ現場(平成25年10月28日撮影)

平成25年10月28日、.解体工事の終了に伴い、打ち上げ現場周辺で震災不明者の集中捜索が気仙沼警察署の署員16人体制で行われました。

共徳丸が撤去された現場での集中捜索(平成25年10月28日)

共徳丸周辺での捜索はこれまでにも行われてきました。この日の捜索では不明者の手掛かりになるものの発見には至りませんでした。

記者の質問に答える気仙沼警察署警備課奥田祐次課長

気仙沼警察署警備課の奥田祐次課長は、
「私たちの同僚も未だ不明のままです。震災不明者を一日も早く家族の元に帰したいと思います。今日の捜索では衣類などは発見されましたが、衣類などには記名されていることが少ないので不明の方の手がかりになるものかどうかは現段階では分かりません」
と話しました。

共徳丸の思い出を話した熊谷さん

気仙沼市の中心部から捜索の様子と共徳丸の撤去作業を見に来たという熊谷さん(78)は、
「やっとあの船がなくなってよかった」と話しました。

解体前の共徳丸(平成25年9月9日撮影)
20年前まで気仙沼魚市場で働いていた熊谷さんは、第18共徳丸の思い出と共徳丸への思いをこう語りました。

「共徳丸は大漁をする船で金華山沖や八戸沖の漁場で漁をして、漁場からエンジンをうならせて12時間ほどで気仙沼魚市場に入港して水揚げをしました。市場にこの船が入港するのを昔はとても楽しみにしていました。津波でこの場所に打ち上げられてからは共徳丸を見ると悲しくなりました」


解体前の共徳丸(平成25年9月9日撮影)

「観光客が、ビールを片手にピースサインをして写真を撮っている姿を見るたびに憤りも覚えました。観光客は震災での私たちの苦労も共徳丸への思いも知りません」

「共徳丸は気仙沼魚市場と私たちの生活を潤してくれた恩人です。周囲に打ち上げられた船は沖に戻されたのに、この船だけがこの場所に2年7カ月も置き去りにされました。その姿がとても悲しかった。やっと心が痛む風景がこの場所からなくなりました」

解体が始まって操舵室が解体された共徳丸(平成25年10月4日撮影)


共徳丸が撤去された現場(平成25年10月28日撮影)
「船は陸に揚げられて5年もすると使えないものになります。共徳丸の解体作業を幾度も見にきましたが、丁寧に行われていました。船体もエンジンも再利用されると聞いています。海に帰ってまた仕事ができることを共徳丸も喜んでいると思います」


共徳丸の下敷きになっていた自動車(平成25年10月28日撮影)

船体に下敷きにされていた自動車の撤去が行われました。
自動車が撤去された跡からは、震災当時気仙沼の町に漂っていたオイルなどの臭いが混ざった不快な臭いが立ち込めました。

共徳丸が撤去された現場(平成25年10月28日撮影)

 船体が打ち上げられていた場所の地面には、くぼみができていました。

気仙沼警察署鹿折駐在所の跡地
今も門馬巡査部長を悼む花が手向けられています
(平成25年10月28日撮影)
鹿折地域では鹿折駐在所に震災当時勤務していた門馬巡査部長も含め未だに30人ほどの震災不明者がいます。
不明者になっている方々が一日も早く家族の元に帰れるようにkaiiも祈っています。

(取材日 平成25年10月28日)

周波数80.7MHz こちら「りんごラジオ」です(山元町)

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山元町にある小さなFM放送局の「りんごラジオ」は、東日本大震災から10日後の、2011年3月21日午前11時に「臨時災害放送局」として開局しました。
その当時、山元町の避難所では1つの携帯ラジオを2重3重に囲み、食い入るように聴く人々の姿がありました。




こんにちは エムです。

大地震が起こり、電気やガス、水は止まり、情報は全く入らない中、心細い時間を過ごした私たち。
わたくしエムはその時、発電装置の付いた懐中電灯兼携帯ラジオを持っていました。発電装置と言っても、手でグルグル5分回すと1分ラジオが聞ける程度のオモチャのような物です。
しかしそれでもラジオから聞こえる人の声や音楽がありがたかったし、情報には助けられました。

震災の津波は、山元町や亘理町など宮城県の沿岸南部にも甚大な被害をもたらしました。
しかし、報道機関の取材が沿岸北部に集中してしまい、頼りになるはずのラジオからも新聞からも約5日の間、地元の情報は全く入らない状態が続きました。


手作りの看板。リスナーからの思いの込もった贈り物です。

山元町から発信する山元町のための放送局が必要だと確信した「りんごラジオ」局長の高橋厚さんは、行動を始めました。

「震災前に、山元町と亘理町の有志でコミュニティーラジオを作ろうと動いてはいたんですよ」
元東北放送アナウンサーの高橋さん(以下 高橋局長)は当時を振り返って言いました。

そのような準備も幸いし、前から親交のあった新潟県内のラジオ局から機材を送ってもらう事ができました。機材が届いたのは発注した3日後という早さだったそうです。
臨時災害局の申請には斎藤俊夫 山元町町長が迅速に動き、ラジオ放送の手伝いには高橋局長が主宰する「はなし方教室」の生徒さんや知り合いの方10数名が駆けつけました。

もともとあったコミュニティーラジオが震災後に臨時災害放送局となったケースが多い中、「りんごラジオ」は震災後に白紙の状態から立ち上げた局なのです。

この時も町の関係者を招いての生放送中
そおっと歩きますね

高橋局長が山元町に移り住んで10年。定年後、里山で畑でも耕しながらゆっくり暮らそうと思っての移住だったそうですが、その希望は震災で一転しました。

開局と同時に1日も休まず6カ月(180日間)、1日15時間 高橋局長は働き続けました。
出演者は山元町町長、消防士、自衛官、町民、いろいろな人に出てもらって、現状を報告・提供してもらいました。また、お風呂や給水車の場所の案内やスケジュール、仮設や交付金などのさまざまな山元町内の情報を朝7時~夜7時まで発信し続けたのです。
夜7時以降は「りんごラジオ」の選曲による音楽を朝まで流し続け、事実上の24時間放送でした。

奥にある町役場の屋上から電波が発信されています

「『りんごラジオ』の最大の特徴は、開局以来1日も休まず放送している事と、100%自社制作であるという事の2点です」
誇らしげにそう言った高橋局長ですが、情報の発掘、開拓は並大抵ではないご苦労があると、うかがい知ることができます。
実際に、高橋局長自ら、今でも毎日のように取材に駆け回り、その記事を編集・原稿にまとめ、ある時は読み、あるときはスタッフに指示し番組を作っています。その他に「りんごラジオのブログ」の更新も高橋局長が行っており、記事と画像を掲載しています。
しかし今ではスタッフもすっかり力を付け、高橋局長と共に番組作りを行っています。

現在、高橋局長の労働時間は10時間ほどに減り(!?)1日の番組の構成も震災当時とは変わっています。しかし「地域の事は地域で伝える」という番組作りの姿勢は今も貫いています。

ここを訪れたたくさんの著名人の写真とサインが壁いっぱいに貼られています

多くの人が「りんごラジオ」を応援しているのですね

ところで、この「りんごラジオ」のような臨時災害局は東日本大震災後3年に当たる2014年3月に放送免許の期限を迎えます。
正式にコミュニティー局になり継続することは可能ですが、それは町の補助金やスポンサー企業からの収入が必要になるということ。

「現在でも仮設にはたくさんの町民が住み、県外へ避難している人もいます。常磐線の復旧もこれからです。山元町が復興するまでは『りんごラジオ』は続けていきたい。
しかし、まだまだ復興途上にある山元町の皆さんの税金を使うのは心苦しい」

高橋局長は現在のような国の復興交付金を活用している形を維持するため、「りんごラジオ」の更新を総務省に申請することに決めました。認められれば2015年3月まで延長されます。また1年後に延長手続きをし、目標は2016年まで、最長2年の延長を目指す予定だそうです。

「臨時災害局を作る側のもっと続けたいという『意気込み』や『情熱』だけでは、被災者の状況・気持ちに沿っているとは言えない。むしろコミュニティーラジオに体制を変えて続ける事が被災者の負担になりかねない」
「ベストの選択は、復興交付金で運営する今の体制をもう2年延長することだろうと考えての判断です」

臨時災害局は震災後、岩手、宮城、福島3県の各地でも開局されていますが、「りんごラジオ」と同時期に免許の期限を迎えるケースが多いそうです。「りんごラジオ」と同様に岐路に立たされている臨時災害局の今後が注目されます。

片時も止まらない局の中。活気に満ちていました

高橋局長は、情報の無かった町に情報を伝えたいという一種の使命感と、こういうことができるのは民間放送で36年仕事してきた(元プロの)人間だからこそだろうという義務感でラジオ放送作りを続けてきました。
「りんごラジオ」の内容はあちらこちらで高い評価を受けています。

局で持っている音楽のCDの一部

地域のラジオ局が無くなるのは心寂しいものがありますが、高橋局長の体のことも気になります。

現在は、土日はお休みを取るようにしているそうですが、原稿の執筆や講演依頼があることもあり、中学校での「話し方教室」の講師なども引き受けています。また、イベントなどもあれば休み返上で取材に出掛けます。高橋局長の思い描いた「里山の暮らし」の実現はまだまだ先のようです。

とても充実した(?)毎日を送られている高橋局長の目下の要望は、
「番組に対する町民の方からの反応がもう少し欲しいところですね」というお返事。
番組に対する要望や反応を元に番組が進行、流れていくようなことがあると、番組にもっと活気が出るのですけどね」

被災した常磐線坂元駅の壁に掛けられれいた看板

記念撮影用看板
(高橋局長デザイン・山下中学校の美術部制作)

人の声を直接聞き、確かな地域の情報を発信する。
報道に携わる身には根源にあるべき大事なことです。しかし、現代はややもすると簡単に手に入るパソコンの情報に頼り、パソコンで調べることで分かった気持ちになってしまうことも少なからずあるものです。
でもそれでは生きた本当の情報は得られませんし、画一されたものを流されても聴取者に飽きられてしまうでしょう。それは報道のみならず、人と人とのコミュニケーションを育むうえでも注意すべきことです。
「話す」という行為を通して私たちが高橋局長から学ばなければならないのは、そういったことではないでしょうか。

山元町役場(仮設)敷地内に設けられた小さなラジオ局
それが「りんごラジオ放送局」です

「りんごラジオ」はインターネットの【サイマルラジオ】で全国どこからでも、または海外でも聴くことができます。
また、通常のラジオ放送の他、ブログFacebookと合計4つの情報発信の方法をとっています。

私も仙台から「りんごラジオ」。聴いてみようかな。

ポリシーは2つ。「良い町には声がある!」……良い声があればあるほど良い町作りにつながる
   「小さくともラジオ局!」……軸足は町民に。公の指示は受けない
高橋局長とスタッフのみなさん

スタッフは20代、30代を中心に9人。週5日から2日と、出勤日数に幅があります。


山元町臨時災害FM放送局「りんごラジオ」
TEL/0223-29-4772
「ブログ」

「Facebook」


「サイマルラジオ」



「りんごラジオ」は
山元町特産の「りんご」と、戦後の日本人を元気付けた
「りんごの唄」に復興の思いを込めて名付けられました

(取材日 平成25年10月15日)

気仙沼のイベント情報11月(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。

台風27号が通り過ぎて、急に気仙沼も秋らしくなりました。本格的な味覚の秋の訪れです。
漁場が遠く、水揚げの本格化が遅れていた「サンマ」も、10月も終わりに近づき水揚げが本格化してきました。
気仙沼魚市場は戻りカツオとサンマの水揚げで活気づいています。
焼きたてのサンマと南三陸米を炊いたピカピカのご飯は、この時期のごちそうです。
そんな気仙沼の「秋のごちそう」を市価より安い価格で求められるイベントを中心に、気仙沼の11月のイベント情報をお伝えしましょう。

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直売所 からくわ夕市

日 時 平成25年11月2日 正午から午後3時まで
場 所 からくわ夕市 (宮城県気仙沼市唐桑町明戸)

唐桑半島にある唯一の直売所で、地元の朝採り野菜,果物,花き,加工品など販売されます。
名物の「かぼちゃまんじゅう」はカボチャの実が練りこまれた黄色の生地でぎっしりの「つぶあん」が包まれています。

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第29回 気仙沼市産業まつり
同時開催 気仙沼市本吉産業まつり2013

日 時 平成25年11月3日(日) 午前9時15分から午後3時まで
場 所 気仙沼市本吉総合体育館 (宮城県気仙沼市本吉町津谷新明戸136)
    入場無料





第29回気仙沼市産業まつり
  主催 気仙沼市産業まつり実行委員会
気仙沼本吉産業まつり
  主催 気仙沼市本吉産業まつり実行委員会
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1379031924422/index.html

気仙沼市の地場産品が一堂に会し、展示即売される人気のイベントです。
大抽選会の特賞は「特大フカヒレの姿煮」や「南三陸米60kg」などが準備されています。
500円購入ごとに補助券が進呈され、2枚で1回抽選できます。

新鮮な野菜やこの時期に気仙沼魚市場に水揚げされる新鮮な魚介類などが、奉仕価格にて購入できます。

「第28回気仙沼市産業祭り」と「気仙沼本吉産業まつり2012」の様子

(平成24年11月4日撮影)



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気仙沼女の芸術祭

日 時 平成25年11月16日(土) 午前10時~午後3時30分
場 所 気仙沼市役所ワン・テン庁舎2階 地域交流センター 大ホール
     (宮城県気仙沼市八日町1丁目1-10)
     入場無料

気仙沼の女性たちが作ったさまざまな作品を展示販売します。



主催 気仙沼市各種女性団体連絡協議会
(問い合わせ先)事務局 気仙沼市震災復興・企画部 地域づくり推進課
           0226-22-6600(内線334)

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気仙沼演劇塾 うを座 produce
「壤晴彦 朗読会 &ワークショップ

日 時 平成25年11月17日(日)
     壤晴彦 朗読会:13:00~14:30
     ワークショップ :14:45~16:30
場 所 気仙沼市松岩公民館 研修室 (宮城県気仙沼市松崎浦田143番地1)
参加費 朗読会 無料 (要予約)
      ワークショップ (1000円)
主催 気仙沼演劇塾 うを座
(問い合わせ先)070-5622-3431
www.h4.dion.ne.jp/~uoza/

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のキャプテン・バルボッサ役、「ライオンキング」のスカー役を演じた声優が気仙沼にやってきます。
声優の朗読で「声の力」を感じませんか。

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第28回 リアス牡蠣まつりからくわ
~感謝祭&復興の海原へヨーソロー~

日時 平成25年11月17日(日)
    午前9時30分~午後2時まで
場所 気仙沼市立唐桑小学校 校庭  (宮城県気仙沼市唐桑町明戸208−6)
(主催)リアス牡蠣まつり実行委員会
(問い合わせ先)気仙沼市唐桑町観光協会
          (0226)-32-3029

毎年、剥きたての唐桑産カキを求める人たちが開始前から長蛇の列を作る
「リアス牡蠣まつりからくわ」
(平成24年11月18日撮影)

唐桑地域の生産者が牡蠣など自慢の食材を振舞う唐桑地区最大のイベントです。
市価より安く販売される「今が旬」のカキの販売所の前には、毎年長蛇の列ができます。
メカジキの解体ショーや郷土芸能などの発表も大人気!
風光明媚な唐桑の魅力を感じませんか。

唐桑町観光協会 http://www.karakuwa.com/
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(取材日 平成25年10月31日)

週刊ココロプレス 第62号

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ココロデスクです。

心配された台風27・28号は大きく東にそれたために、幸い宮城県では大きな被害はなかったようです。
それでも、予定されていたイベントが早々と中止を決めるなど、自然は個人にも社会にも大きな影響を及ぼしました。
相変わらず地震の回数は多く、相次ぐ自然災害に対して警戒を解くことができない日々が続きます。
いたずらにおびえるのではなく、さりとて侮るのでもなく、自然と向き合っていきたいものです。

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■イベント情報 (11月2日~)
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直売所 からくわ夕市
11月2日
からくわ夕市 (宮城県気仙沼市唐桑町明戸)
問 0226-32-3216

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慶長使節出帆400年記念事業
サン・ファン・フェスティバル
11月3日・4日
サン・ファン・バウティスタパーク(石巻市)
慶長使節出帆400年記念事業石巻地域イベント実行委員会
http://www.santjuan.or.jp/event/pdf_h25/13110304.pdf

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2013ふるさと名取 秋まつり
復興祭
11月3日
名取市民体育館前広場
主催 2013ふるさと名取秋まつり実行委員会
問 022-384-2111(名取市商工観光課)

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第29回 気仙沼市産業まつり
同時開催 気仙沼市本吉産業まつり2013
11月3日
気仙沼市本吉総合体育館
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1379031924422/index.html

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中小企業庁「地域需要創造型等起業・創業促進事業」(創業補助金)
第3回公募 追加公募説明会
11月9日・14日
地域創造基金みやぎ 会議室
一般財団法人地域創造基金みやぎ 創業補助金係
022-748-7283
kigyo@sanaburifund.org

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てつがくカフェ 第26回
愛について
11月10日
せんだいメディアテーク 6fギャラリー4200
てつがくカフェ@せんだい/せんだいメディアテーク
http://www.smt.jp/thinkingtable2012/?p=4379

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復興大学 地域復興支援シンポジウム
再生から発展にむけて
11月14日
TKPガーデンシティ仙台(アエル21階)
主催 復興大学地域復興支援ワンストップサービス仙台センター
TEL:022-716-5020   FAX:022716-5023
onestop-info@fukkou-daigaku.jp

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気仙沼女の芸術祭
11月16日
気仙沼市役所ワン・テン庁舎2階 地域交流センター 大ホール
事務局 気仙沼市震災復興・企画部 地域づくり推進課
0226-22-6600(内線334)

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気仙沼演劇塾 うを座 produce
「壤晴彦 朗読会 &ワークショップ」
11月17日
気仙沼市松岩公民館 研修室
主催 気仙沼演劇塾 うを座
(問い合わせ先)070-5622-3431
http://www.h4.dion.ne.jp/~uoza/

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GO UP みやぎ 金華山復興支援
ボルダリング 宝島フェスティバル
11月23~24日
石巻市金華山
NPO法人ファーストアッセントジャパン
http://first-ascent.org/

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支援のかたち
被災地でのパートナーシップ
12月11日
せんだいメディアテーク 6fギャラリー4200
仙台市市民活動サポートセンター/せんだいメディアテーク
http://www.smt.jp/thinkingtable2012/?p=4617

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  ■最近のダイジェスト (10月21日~11月1日)
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2013年10月21日月曜日
正しい数値をアピールして〝石巻を守る〟 (石巻市魚町)
水揚げされた魚をまるごとコンベアーに載せて放射能の測定ができる機器が、石巻でお披露目されました。名前はちょっと長めですが「連続個別非破壊放射能汚染検査システム」。東北大学生活環境早期復旧技術研究センターと石巻魚市場株式会社が、昨秋から実用化を目指して開発を続けてきた、全国でここにしかない〝オリジナル〟の機器です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/blog-post_3996.html

2013年10月22日火曜日
仮設大橋団地、夏祭りへの想い(石巻市大橋)
「仮設住宅から新居へ移った人々にも案内を送ったんだよ。そうしたら、来てくれて・・・本当にうれしかった」と、石巻市の街中にある仮設大橋団地の山崎信哉自治会長。市内各地から居住者が集まった大規模仮設住宅団地ですが、「ここの人は、まとまりがよく、協力的なんだ」。住民が手作りの2回目の夏祭りには、夏祭りには欠かせないかき氷、わたあめ、焼きそば、屋台が、そして「笑顔」がいっぱいでした。

2013年10月23日水曜日
災害復興住宅第一号。ここから始まる新しい〝まちづくり〟(山元町浅生原・新山下駅周辺地区)
「第一号だっていう誇りもあります。いい街にしていこう、と皆で話し合っています」と、地区代表の岩佐磐石さん。宮城県最南の町・山元町に、今春、「災害復興住宅」の県下第一号50戸が完成したのです。新しい住民たちによる、新しいまちづくりのスタートです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/blog-post_23.html

2013年10月24日木曜日
「織姫たちと紡ぐ絆」織物体験プログラム(山元町)
高台にあり津波を免れた自宅を拠点に、震災直後から支援活動を始めた、織物作家の志小田惠子さん。「仮設にいる女性に織物を教えてもらえないか」と頼まれたのがきっかけで、「かたくり舎織姫の会」を立ち上げ、被災した人たちの心を癒すためにボランティアで織物教室を運営しています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/blog-post_2297.html

2013年10月27日日曜日
創業140年の蔵を離れて、新たなる挑戦(後編)新澤醸造店・川崎蔵(川崎町)
「全国からいただいた激励や支援物資に応えるには、酒造りを継続し、商品で気持ちを返したかった。仕込み中のお酒は全滅でしたが、残された酒米で、すぐに酒造りを再開したんです」と新澤醸造店の杉原健太郎専務。新天地で新たな挑戦です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/140_27.html

2013年10月29日火曜日
閖上に真の復興を~閖上ケナフの会~(名取市閖上)
「閖上育ちのケナフで作った炭の第1号だよ」と「閖上ケナフの会」の橋浦祺卓さん。「震災前は閖上で一緒に生きてきた人たちが、今ではバラバラに住んでいる。こうして自分たちがやってることがきっかけになって、一緒に何かを作ることができたら」と、作業への参加者を募集しています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/blog-post_29.html

2013年10月30日水曜日
第18共徳丸の解体終了と不明者の捜索 (気仙沼市鹿折)
平成25年10月24日、気仙沼市の市街地に打ち上げられていた第18共徳丸の解体工事が終わりました。28日には現場周辺で震災不明者の集中捜索が気仙沼警察署が署員16人体制で行われました。行方不明の方々が一日も早く家族の元に帰れるようにお祈りします。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/18_30.html

2013年10月31日木曜日
周波数80.7MHz こちら「りんごラジオ」です(山元町)
山元町にある「りんごラジオ」は、東日本大震災発生の10日後に開局した「臨時災害放送局」。開局以来1日も休まず、100%自社制作の放送を続けています。来年3月に迫った放送免許の期限を前に、高橋厚局長は最長2年の延長を目指して免許の更新を総務省に申請することに決めました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/10/807mhz.html

2013年11月1日金曜日
気仙沼のイベント情報11月(気仙沼市)
気仙沼魚市場は戻りカツオとサンマの水揚げで活気づいています。
焼きたてのサンマと南三陸米を炊いたピカピカのご飯は、この時期のごちそう。そんな気仙沼の「秋のごちそう」を市価よりも安く求められるイベントを中心に、気仙沼の11月のイベント情報をお伝えしましょう。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/11.html

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■編集後記

たびたび足を運んでいる金華山。
12年に一度の巳年御縁年も、10月31日をもって228日間の大祭が終了しました。
写真は先日の日曜日に行われた「式年柴燈大護摩祈願大祭・火渡祭」の様子です。



このほど金華山は、豊かな自然環境などを守る「日本山岳遺産」に宮城県内から初めて選ばれました。
仙台のクライマー団体「特定非営利活動法人 FIRST ASCENT JAPAN.」による、災害復旧ボランティア活動や観光資源の発掘が認められたのです。

日本山岳遺産ニュース
http://sangakuisan.yamakei.co.jp/news/repo_summit2013.html

東日本大震災の震源に最も近い陸地、金華山。
この、豊かさと厳しさを併せ持つ大自然がいつまでも守られ、私たちを育んでくれることを願います。

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さて、東北楽天ゴールデンイーグルス。
明日はマー君が登板します。
初の日本一をその右腕で掴むのか!?
宮城は心なしか、ざわついています。

(ココロデスク)

「鎮魂と復活」(仙台市青葉区)

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ココロデスクです。

ひと月ほど前のこと。仙台の定禅寺通りのケヤキ並木を歩いていると、1つの看板が目に入りました。

千葉蒼玄展 鎮魂と復活 PART II


「千葉蒼玄展 鎮魂と復活 PART II」。


墨汁を叩き付けるような筆致で黒々と書かれたその文字の衝撃に思わず歩みを止め、私はそのまま会場に引き込まれてしまいました。

会場の「せんだいメディアテーク」1階のオープンスクエアには、11点の大作が待っていました。





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「何をやればよいのか、初めは分かりませんでした」

震災の後に単身赴任先の東京から戻って故郷の惨状を目の当たりにした時のことを振り返って、書家の千葉蒼玄さんは、こう話し始めました。

「この歳では瓦礫運びや泥出しに携わろうにも体力が続かない。自分にできないことをやっても仕方がない……」


千葉さんは石巻市の出身。小学校4年生から書道を始め、大学を卒業して石巻市役所に就職してからも研鑽を積んできました。
「子どもが独り立ちして手が掛からなくなったら、いつか、書道一本で生きていこう。自分のやれるところまでやってみよう」
悲しいことに、その思いは息子さんを不慮の事故で亡くされたことを転機に実現します。
役所を辞して初めての個展を開いたのが48歳。今から10年前のことです。

その後、公益財団法人書道芸術院から声が掛かり、以来、事務局長として団体の運営に取り組みながら自らの書を追求してきました。



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その日---。
激しい揺れは東京・神田にある事務所にも伝わりました。
「すごい地震だ!」
幸い、石巻高校で養護教諭を務める奥さんの無事は確認できたものの、千葉さんがようやく石巻に戻れたのは震災後2週間近くが過ぎてからでした。

自宅までには津波は及ばず、ご実家も1階までの浸水で済みました。
ところが、大きな作品の保管を委託していた気仙沼市の表装店が流され、これまで書き貯めてきた作品は流失してしまいました。


しかし、「悲嘆に暮れているわけにはいかない」と、すぐに千葉さんは東京に戻ります。そして、被災した会員の支援と被災地を支援するための活動に取り組み始めました。


「とは言え、何をどうすればよいのか思い浮かばない。やれることは何かと悩んでいた時に、懇意にしている画廊から“チャリティー展をやりましょう”と声が掛かったのです。そうだ、芸術家としてやれること・やらなければならないことをやろう、と」

震災から3カ月もたたない6月4日、千葉さんは「鎮魂と復活」と題した個展を、東京の北井画廊で開催しました。
作品展示だけではなく、来場者の前で作品を書く「大席上揮毫会」も行いました。

北井画廊
http://www.kitaikikaku.co.jp/gallery

【開催報告】
千葉蒼玄展「鎮魂と復活」 2011年6月4日(土)~25日(土)
http://www.kitaikikaku.co.jp/home/event/gallerykitai/11_05/houkoku_chiba.pdf

3週間の会期で約1,000人の来場者があり、色紙9枚、はがき32枚、ポストカード68セットが売れました。その売上と義捐金を合わせた366,834円を、石巻市に寄付することができました。

「たくさんの支援を頂いたことももちろんありがたかったのですが、震災の事実を多くの方に伝えていくこと、情報を発信していくことにも大きな意義があるのだと、このとき実感しました」

以来、千葉さんは鎮魂の思いと復活の願いを込めて作品を書き続け、20を超える展覧会や揮毫の活動に取り組んできました。
2011年度のプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスのチームスローガン「真っすぐ」も、NPO法人いしのまき環境ネットが制作した復興祈念Tシャツ「礎」「がんばろう石巻」も、千葉さんの揮毫です。


礎プロジェクトTシャツ(販売終了)


礎プロジェクトはがきセット(NPO法人いしのまき環境ネットで販売中)


そして今回、宮城県での個展の開催が実現したのです。


「曙」


「3.11鎮魂と復活 連作」
長谷川櫂氏の歌集より




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会場の正面に、ひときわ巨大な作品がありました。

「3.11鎮魂と復活」

この作品「3.11鎮魂と復活」は、震災発生から1カ月間に新聞に載った震災の記事を一字一字書き写したものです。完成までには11カ月をかけたそうです。

幅9m×高さ3.6mとその大きさだけでも圧倒的ですが、それ以上に、それだけの長期間、集中を途切れさせることなく制作に向き合っていらしたことに心を打たれました。

近寄ってみれば、一つ一つの文字がさまざまな表情で出来事を伝えようとしていることが伝わってきました。

離れて眺めてみると、文章の塊が重なり、離れ、絡み合い、まるで寄せては返す波のようです。


「書いている間は写経のようなイメージでしたね。記録するというよりは、毎日文字を書いて行を積む そういうふうな思いが強かった。書といえば、一瞬の筆さばきで作品を書くのが普通ですが、このように長い日々をかけて文字を書き続けていくこともまた書の表現の方法だと考えています」

「ご覧になった方々の中には、涙ぐむ方もいれば、もう思い出したくないという方もいらっしゃることは事実です。それでも、記憶にとどめていかなければならないと思っています。写真のようにリアルな記録とは別に、2年半たった今の気持ちや感情を、書で記録したいのです」

「私が取り組んでいるのは前衛書です。文字を、日本語を使って、重要なことがらを心に響かせること、書き留め記憶に残していくのは大事なことです。そのような作品が、ご覧になった皆さんにとって活力になったり慰めになったりするのであれば、私たちが作品を作っていく意味があると思いますね。これからも、声が掛かればどこにでも行って、このような活動をやっていきたい」




千葉さんには、一つ夢があります。
それは、この「3.11鎮魂と復活」をどこかに収蔵して残しておきたいということです。

「なにぶんこんなに大きな作品ですから、普通の場所では無理なのです。先日ニュースで、宮城県が震災復興記念館のような施設を建設するという話を知りました。もしもそういうところから要請をいただけば、私はいつでもこの作品を寄贈させていただきます」

「私の知人に、石巻の大川小学校で教師をしていた娘さんを亡くされた方がいます。その方はこの作品の前に来て、文字を一つ一つ必死に読んでいました。どこかに娘のことを書いた記事があるのではないかと。まるで遺骨を探し集めるように、じっとご覧になっていました」
 ※北上川の河口近くにある石巻市立大川小学校では、児童74人と教職員10人が犠牲になりました。


「残していける場所さえあれば…… 私はこの作品を残して、みんなに見ていただきたい。見た方を勇気づけていきたいのです」

どこかに、千葉さんの夢がかなう場はないものでしょうか?


メッセージは「復活」


千葉蒼玄 公式サイト
http://sougen.xrea.jp/

ブログ SUMI_ISM
http://chibasogen.jugem.jp/


(取材日 平成25年9月14日)

共に前へ。東北復興マルシェ(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。
気仙沼市で活動するNPO法人ネットワークオレンジが開催するイベント「第三回 共に創ろう!東北マルシェ」が、平成25年10月19日午前10時から、気仙沼市東新城の新城沖(しんじょうおき)公園を会場に開催されました。



被災事業所や、震災後に起業した市民グループなど24団体がブースを設けて、地元の食材を使った加工品や手芸品などの商品の販売を行い、震災から一歩ずつ前進している姿をPRしました。


NPO法人ネットワークオレンジは震災後、社会企業家の発掘を目指して市内の店主などを対象に実践型ビジネススクールを開講しました。

東北マルシェには、このビジネススクールの受講者など24の企業や団体が参加しています。

手芸品を作る団体「ほどーる」は、みなし仮設住宅に入居後、被災者2人で立ち上げられました。
「ほどーる」の清水由利子さんは、「1つ1つの商品を大切に2人で作っています」と話しました。

被災したママたちが野菜を使ったジャムを作っているピースジャムは、商品デザインやパッケージデザインを一新して参加。「昨年以上の販売実績になりました」と副代表の齋藤研吾さんは話しました。


高校生が地域活性化を願って考案した「カツオなまり節ラー油」も人気を集めていました。

高校生が地域活性化を願って考案した
「カツオなまり節ラー油」も人気を集めていました


11時からセンターステージで行われたご当地ヒーロー「未知ノ国守ダッチャーショー」は子どもたちに大人気でした。




 主催者のネットワークオレンジの代表小野寺美厚さんは、
「今日は2000人以上のお客さんが会場を訪れました。これからもまちの元気を発信していきます」
と話しました。



イベントには、フランスに本社のある大手化粧品メーカー「ロクシタン」と、大規模災害支援を専門に行う民間の連携機関「公益社団法人Civic Force」が協力しました。


翌日に行われる「第三回 共に創ろう!東北マルシェTM事業コンペティション」の審査も行われ、5人の審査員が「社会性」「新規性/オリジナリティ」「実現可能性」「収益性」「継続性」「人」の観点で会場を回り審査しました。

参加団体24団体のうち、会場内での来場者の投票と審査員による審査の合計得点で上位の7団体が選ばれて、コンペティションへに進みます。
対象団体はプレゼンテーションを行い、質疑応答などを受けて審査されます。
優勝者はフランス起業家研修会に招待されます。

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今回の「第三回 共に創ろう!東北マルシェTM事業コンペティション」の結果、優勝は「ほどーる」に決まりました。
代表の清水さんは優勝したことについて、
「思いがけず優勝できました。フランスに行ったらまず、震災当時に受けた多くのご支援に感謝を伝えたいと思います。来年の3月にフランスに行く予定ですので、震災から3年目の気仙沼の様子と着物地を使用した小物が中心ですので和の良さをフランスのマルシェで多くの人にお伝えできればと思います」
と喜んでいました。

(取材日 平成25年10月19日)

「心に花を*」 あふれる花色と明るい笑顔(南三陸町歌津)

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石野葉穂香です。

 11月8日、南三陸町の名足(なたり)小学校で、2年8カ月ぶりに授業が再開します。
 名足小学校は、同町歌津地区の海辺にある全校生徒64名の小学校。
 海(名足漁港)から約100m、海抜約10mほどの傾斜地に、鉄筋2階建ての校舎があります。


グラウンドの向こうには海。
右にヤナギ、左にメタセコイヤの木が残っています
3.11のあの日、学校には高さ17mもの津波が襲い掛かりました。直撃ではなく、地形に沿って渦巻くように左右から押し寄せて、校舎の2階床面にまで到達しました。

津波はこの校舎の2階床面より
30㎝ほどの高さにまでやって来ました

子どもたちは全員無事でしたが、校舎の損傷は激しく、以来2年8カ月、子どもたちは伊里前小学校に〝間借り〟するカタチで授業を続けてきました。

待ちに待った母校での授業再開を直前に控えた11月3日、グラウンドに桜の苗木を植えて、そして改装された新しい昇降口にたくさんの花の写真を飾って、子どもたちの新たな〝出発の日〟を迎えるための、小さな準備イベントが行われました。

この日、南三陸に来てくださったのは、「心に花を*フォトプロジェクト」(ココハナ)のメンバーの方々です。

「ココハナ」の参加者と地元の方たち。遠く関西から訪ねてきてくれた方もいらっしゃいます。
花のボードから顔を出しているのが「ココハナ」実行委員のむらいさちさん

メンバーと書きましたが、「ココハナ」は法人や団体ではなく、プロカメラマンや写真好きの方々がWeb上でつながり合って、被災地をはじめ、多くの人に花と花の写真を届けるという、いわばサークルのような活動を続けていらっしゃる皆さんのこと。
2011年11月から、花の写真を公募し、病院や被災地で巡回写真展を行っています。

「ストレスを抱えている沢山の人たちの〝心に花を〟届けたい--」

「ココハナ」の呼びかけに賛同した人は、事務局に花の写真を送り、事務局はそれをA4サイズほどのパネルにして、そして、そのパネルを会場となる施設の壁に飾り、光彩さまざまな明るい花色で埋め尽くしてくれるのです。
 また「ココハナディ」というイベントも開催し、ワークショップやトークショーも行って、集まった資金で桜の苗木を購入し、被災地などに植樹する活動も続けています。


樹と一緒に大きくなってね
この日、グラウンドに植樹されたのは「陽光」という、ソメイヨシノの改良品種の苗木3本です。
「ソメイヨシノよりも強い品種なんです。また、濃い花色で咲いてくれるので被写体としてもいい」と話すのは「ココハナ」の実行委員で、フォトグラファーのむらいさちさん。

震災の直後から、むらいさんは、ご自身のブログに花の写真をアップし始めました。
やがてSNSなどで、花好きの人たちとの交流がどんどん広がり、つながっていき、「花の写真をいろいろなところに飾ろう」という「ココハナ」の活動が始まったのでした。
「そんな中で、南三陸町の「TSUNAGARI」(一般社団法人震災復興支援協会 つながり魚竜)さんとも知り合い、昨年の3月11日には志津川の『さんさん商店街』で写真展を開催しました。ちょうど桜の咲く頃でした」

二度目の開催時には名足小学校も訪れたそうです。そのとき、かつて校庭に6本あった桜の木のうち、残っていた3本が花を咲かせているのに「感動しました」

 「僕らの活動は、写真を現地に貸し出すだけでなく、足を運ぶことが大切と思っています。そして訪ねた先で写真を撮るのも楽しみ。何しろ『写真好き』が集まっているのですから」

植樹のあと、写真の展示が行われました。
昇降口の左右の掲示板に、合計150枚の花の写真が飾られて、美しいモザイク模様が描き出されました。
桜、菜の花、ポピー、コスモス、ハイビスカス、ひまわり、バラ……。
見ているだけで心が明るく、あたたかくなって、やさしい気持ちになってきます。
こんな支援の方法もあったんだな――。そう思いました。

掲示するときは色の組み合わせや配列も考えながら




この展示は、もう各地で大好評。撤収するときは、「えぇー?もう終わっちゃうの?」とか「この写真がほしい」なんて言われることもしょっちゅうだとか。

名足小学校での展示は、約1カ月間(終了日未定)です。
「ご覧になりたい方は、どうぞ職員室へお声掛けください」(教頭先生)

輝く四季彩。一枚一枚から物語が浮かんできそう






壁一面の”百花繚乱”が、きっと子どもたちの表情を明るくしてくれるはず。

この秋、名足小学校に、たくさんの笑顔や歓声が咲き誇ります。

手のひらで花びらを表現して・・・笑顔がいっぱい咲きました
「心に花を*フォトプロジェクト」
http://www.kokohana.org/

(取材日 平成25年11月3日)

復興の共通理解のために~寄りあいNIPPON (仙台市)

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YUUです。

今年6月、ココロプレスでは残したい記憶という記事で、東日本大震災による大きな被害に見舞われた地域、団体などへの助成事業を行う一般財団法人地域創造基金みやぎ (理事長・大滝精一東北大学大学院 経済学研究科長 教授)の活動を紹介しました。

財団としての支援活動は多岐にわたっています。復興支援に取り組む住民組織・市民活動への支援から起業をする方向けの資金仲介、さらに、資金の提供だけではなく、非資金的支援(運営技能の移転)の取り組みも同時に行っています。

寄りあいNIPPON全体会議第1部、岡本全勝(まさかつ)復興庁統括官のキーノートスピーチ
先月9月11日には、岩手・宮城・福島の被災3県が直面している課題について状況や課題を整理し、具体的な変化を起こすための円卓会議「寄りあいNIPPON」の共催、事務局も務めました。

さまざまな関係機関・団体が参加して復興支援活動や社会的事業について意見交換するこの会議は、全体会議第1部で岡本全勝(まさかつ)復興庁統括官のキーノートスピーチが行われた後、参加者は3つの分科会に分かれて意見を交換ました。

3つのテーマとは、「自立とコミュニティーづくりの課題の整理」、「観光と人材交流の持続性」、「子どもの遊びと学び」です。

この分科会は非常に特徴的で、会議の議事進行、調整を行うファシリテーターがそれぞれのテーマについて概要を説明し、次に円卓者が活動の発表を行いました。その後、参加者と円卓者の質疑応答の時間が設けられ、さらに参加者同士が複数のグループディスカッションを重ねた後、各グループの代表者が復興のための課題や、今後のより効果的な連携について発表しました。

仙台国際センター大会議室「橘」で開催された寄りあいNIPPON  
私は「観光と人材交流の持続性」の分科会に参加してきました。

東日本大震災は被災3県の観光資源や宿泊施設などに甚大な被害を与えました。

一般の方にとってはあまりなじみのない言葉ですが、旅行会社が各地で旅行客を募って観光地に送客するパッケージツアーなどを「発地型観光」と呼びます。これまでの観光は、ほとんどがこの形でした。

これに対して、旅行者を受け入れる地域(着地)側が、その地域の持つ歴史や文化、自然などの観光資源を生かして付加価値の高い観光商品を提供する「着地型観光」が、近年、地域活性化を目指す地域で、さまざまな形で提案されてきました。

被災地においてこの「着地型観光」は、復興の過程での地域づくり、雇用創出の観点などからも非常に注目を集めています。

寄りあいNIPPON分科会「観光と人材交流の持続性」【地域資源の活用と発信】
当日の「観光と人材交流の持続性」をテーマとした分科会では、最初にファシリテーターを務めた渡辺一馬氏(一般社団法人ワカツク代表理事)が被災地の地域資源を活用した観光・研修旅行の在り方の現状や課題、講演を行う円卓者の略歴などを説明しました。

課題提起の講演を行った円卓者は以下の3名です。

田中慶一氏(株式会社JTBコーポレートセールス 第一事業部営業開発担当)、伊藤聡氏(一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校)、伴場賢一氏(一般社団法人Bridge for Fukushima代表理事)は所属する企業、団体の営業エリアや拠点地域も異なります。

3人は、それぞれの立場から考える被災地が抱える課題、人材交流や地域活性化が見込める着地型観光の今後の展望などについて、実体験を踏まえたケーススタディを交えながら話しました。

参加者が各グループに分かれてのディスカッションの様子
3人のスピーチが終わった後は、先に紹介した通り、円卓者によって提起された交流人口の増加を通じた地域の活性化策などについて、参加者たちが各グループに分かれて議論し、各グループの代表者が話し合いの内容や、導かれた課題について発表しました。

熱い「寄りあい」の場が終わった後の「寄りあいNIPPON」参加者達の集合写真
当日の会議には、主催者側が呼び掛けた各方面から、復興に携わる、または関心を持つ多数の人が参加しました。

寄りあいNIPPONの共催、事務局を務めた地域創造基金みやぎの鈴木祐司専務理事は、次のように話してくれました。

「事務局が当初予想していた参加人数を上回る、150人を超える方々に参加していただきました。最初はとにかく会議を開催すること、参加者同士が結び付くきっかけの場を提供することが目的でした。大事にこの場を育てていき、復興の進捗と課題について、具体的な変化を起こせるような共通理解を構築していければと考えています」

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第2回開催も予定されている寄りあいNIPPONに関する問い合わせは、
寄りあいNIPPON事務局
一般財団法人 地域創造基金みやぎ
http://www.sanaburifund.org/yoriai

(取材日 平成25年9月11日)

ご当地スイーツを石巻に 前編(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
楽天優勝!!!
東北楽天イーグルス日本一!!

2011年4月に嶋基宏選手が誓った言葉通り、東北の底力を魅せてくれた選手達、
皆に感動と勇気をくれました。

そんな周囲の熱気が収まらない中、私もテンションが上がりっ放しで紹介するのは、いしのまきのスイーツです。

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楽天イーグルスだけではなく、地元を盛り上げようと頑張っている人たちがたくさんいます。
お菓子職人もその1人です。

私の身内にも菓子職人がいるので、焼き菓子が焼き上がる匂い、白いエプロンと大きな冷蔵庫、そしてカステラの切れはしを食べるのが好きで、子どもの頃はウキウキしながら工場に行っていました。

1つ1つ丁寧に仕上げられ、粉だったものが形になり、色付けられ・・・お菓子ができ上がります。
それを見るたび、「魔法使いみたい」

そんな幼少時代の記憶をよみがえらせてくれたのは、スイーツのイベントに集まっていた石巻地域のお菓子職人の皆さんでした。

このイベントは、平成21年度から3年間継続して、さまざまなテーマにより新作菓子のコンテスト形式で行われてきました。


【過去のリスト】

・第1回目は、石巻地域の優れた食材(トマト・いちご)を使用したお菓子23品が出展
・第2回目は、「巻き」をイメージしたお菓子16品が出展
・第3回目は、震災復興を願った「皆が笑顔になるスイーツ」(米粉+地元の食材)では、10作品が出展

1年前に開催された3回目のコンテストで最優秀賞を受賞したのが、私の近所にあるお菓子屋の「えくれーる」さんです。

ココロプレスのアオキさんがブログで紹介していました。

そして第4回目として、10月10日に慶長遣欧使節出航400年記念「いしのまき地域すいーつ」展示発表会が行われました。
会場になったのは、サン・ファン・バウティスタパークの宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)でした。
ミュージアムは、海沿いに面しているため、津波が直撃し、休業を余儀なくされていましたが、11月3日に再開されました。

仙台藩主・伊達政宗の指令を受け慶長遣欧使節団が慶長18年(1613年)に「サン・ファン・バウティスタ号」で、現在の石巻市月浦を出航してから今年で400年を迎えます。

それに合わせて決まった今回のイベントのテーマが、
「伝統と革新をキーワードとした石巻地域のスイーツ」です。
・石巻地域の住民から愛され続ける菓子
・慶長遣欧使節出航400年記念し、「メキシコ、伊達、支倉常長等」をイメージさせる菓子
※3年間継続事業として、2年目はスペイン、3年目はイタリアをテーマとすることを予定しています。


以前のグランプリ形式ではなく、「展示発表会」として開催されました。


スイーツには、皆を笑顔にしてくれる不思議な力があります」
アオキさんの言う通り、
試食会も参加した私も、一口食べるたびに笑顔になっていました。

発表会では、参加した15店の代表の方が1組ずつ登壇し、お店の被災状況と再開を果たせた経緯、そして出展した商品の説明が約5分間にまとめて話されました。

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アトリエニコ「サン・ファンポルボ」
石巻市三又にある店舗は津波により全壊、ボランティアなどの手伝いもあり、昨年8月に同じ場所でリニューアルオープンすることができました。

「サン・ファンポルボ」

今回出展したお菓子は、形を船に見立て「サン・ファン・バウティスタ号」がイメージされていて、アーモンドとココアを使用し、ポルボローネ風に仕上がっています。
ポルボローネとは、スペイン(Polvorone)の伝統的なお菓子で、ラードをベースにした、ほろっともろく口当たりの良い焼き菓子です。

今回のテーマに合うようにと作り上げた、お菓子職人の情熱がこもった1品でした。ポルボはスペインのお菓子だったことをアトリエニコさんの作品で知りました(笑)
とてもおいしかったです。



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2 甘陣本舗(あまじんほんぽ)「赤飯まんじゅう・生姜ぶかしまんじゅう」
大街道東にあった店舗も被災を受けました。一時は諦めた再建も、お孫さんの支えもあり再開を決意したそうです。
限られた機械を整備し、震災の2カ月後には、まんじゅうを生産開始しました。

「赤飯まんじゅう・生姜ぶかしまんじゅう」

出展したお菓子の特徴は、両方とも宮城県産のもち米「みやこがね」を使用していること。どこか懐かしい温かい味でした。
特に赤飯まんじゅうは、15年前に他界された店主の旦那さんが
「最後まで試行錯誤しながら作り上げたもの」
お菓子職人の愛情が込められた1点です。

お菓子の中でも和菓子には特別な想いがある私にとっては、気になっていた商品でした。
旦那さんが試行錯誤して作り上げた赤飯まんじゅうは、魂が込められたとても優しい味でした。
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3 ムッシュ・マスノアルパジョン「こぐまのでべそ」
宮城県内に5店舗あるアルパジョンは、石巻市南光町に本店があります。
震災当時、本店は津波により浸水したものの、流れてきた家の一部などが防波堤代わりになり、大きな被害を免れたそうです。そして、昨年7月には再開することができました。
「こぐまのでべそ」

今回出展したのは、アーモンドやピーナッツ、ヘーゼルナッツをブレンドしたサクサクのクッキーです。
イタリアの焼き菓子「アマレッティAmaretti)」風の「こぐまのでべそ」は、航海をした支倉常長が世界のお菓子の中で持ち帰ったかもしれないと想像して作られました。

サンタがいるケーキ屋さんで有名なアルパジョンには、シュークリームが好きでたまに買いにいきますが、今回出展した「こぐまのでべそ」もサクッとした歯ごたえでとてもおいしかったです。
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4 パティスリーアンジェリーナ「旨塩サブレ・伊達家のカステラ」
石巻に2店舗あったのが、湊町の支店は津波被害で解体・撤去しました。
本店は石巻でも海からは離れているあけぼのにあるため津波の被害はなかったものの、地震により建物・機械設備にダメージがありました。現在、湊店で働いていたスタッフも本店に加わり、出店を目指し頑張っているそうです。
今回出展したのは2点です。
「旨塩サブレ」
「旨塩サブレ」

平成23年から販売。
石巻市万石浦のミネラルたっぷりの「伊達の旨塩」使用し、サブレ生地を低温でじっくり焼き上げたものです。
塩を使う理由は、「支倉たちが長い航海で食事に使用したのは万石浦で作られた塩だったのでは・・・」という想像から。だから地元の塩が使われています。

「伊達家のカステラ」
「伊達家のカステラ」


平成24年から販売。
「長い航海での保存食として、味噌と米が最適なもだったのではないか・・・」という想像から生まれたのがこの商品です。
宮城県産の米粉ともち粉を使用したふっくら、もっちりした食感に焼き上げています。
更に仙台味噌(高砂長寿味噌)が加えられ、ほどよい味噌風味が食べた後に広がります。

私としては「塩チョコレート」とか、「塩キャラメル」とか、塩がスイーツになるのを目にすると「邪道じゃない?!」と思ってしまうのですが、これが絶妙な味になって良いんですね!!しかも地元の塩が使用されているので、「旨塩サブレ」愛着が沸きます。
そして、「伊達家のカステラ」は、優しくほのかに香る日本の味が何とも上品でした。
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 えくれーる「支倉夢航路」
震災後に(株)富士製菓舗から独立しました。
浜松町にある店舗は3mの津波に襲われ、ショーケースやオーブンなどは天井まで突き上げられたそうです。少しずつ修復作業を行い、震災後の7月30日には再開することができました。津波の被害が大きかった渡波地域の中のどこよりも早く再開し、真っ暗な地域に希望の灯がともされました。

「支倉夢航路」

今回出展したのは、メキシコのサボテンをイメージしたお菓子です。
ゴツゴツとしたサボテンのような形状ですが、ローストしたアーモンドやクルミの他、ライスパフをメレンゲに加えサクサクで香ばしい、甘いお菓子です。
メキシコのお菓子ですが、石巻の地から出航したことから和風テイストを取り入れることにこだわり、「和と洋の融和」も取り入れてありました。

近所にある「えくれーる」は、友人の誕生日などによくケーキを買いに行きます。メキシコがテーマになっているからと、味はもちろん好きですが、何よりもサボテンっぽく形作る遊び心が見えるところも魅力的でした。
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大沼製菓「桃次郎のきびだんご(ずんだ)・桃次郎のきびだんご(くるみ)」

店舗が内陸部にあったため、津波の被害は免れましたが、地震により建物や機械設備が壊滅しました。しかし、3月24日には在庫の原料でできる商品の生産を開始し、近隣の農家の皆さんの協力により、避難所に餅やお菓子を届けるボランティア活動ができたそうです。

「桃次郎のきびだんご(ずんだ)・
桃次郎のきびだんご(くるみ)」

出展商品の「桃次郎のきびだんご」は昭和61年2月から発売が開始され、27年が経った今もなお地元住民から愛され続けているお菓子です。
きび粉と数種類の米粉を独自の製法で配合し、もちもちとした食感を出しています。
ずんだ飴が入っているものと、クルミと砂糖と塩だけで作った濃厚な飴が入っているものの2種類の味のきびだんごです。

私と同い年の「桃次郎のきびだんご」は、もちもちとした食感がたまりません!!
気軽に食べれるようにと小さく改良したこともあり、とても食べやすかったです。
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食欲の秋、石巻のお菓子屋さん。後編でまだまだ紹介します。

(平成25年10月10日)

週刊ココロプレス 第63号

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ココロデスクです。

東北楽天ゴールデンイーグルス、球団史上初の日本一!
優勝を決めた11月3日から1週間が過ぎた今も、街のいたるところで熱気が漂っているようです。

球団の皆さん、ファンの皆さん、おめでとうございます。

先に王手をかけて本拠地の日本製紙クリネックススタジアム宮城に戻ることができたものの、
それまで無敗神話を続けていた絶対的なエース・田中将大投手が打ち込まれ、7戦目までもつれる展開。それでも最終戦は堂々たる試合運びで王者を倒しました。

創立以来、逆境を何度も乗り越えてついに「東北の底力」「あきらめない」を証明してくたナインに、「ありがとう!」の歓声は今も続いています。


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■イベント情報 (11月14日~)
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復興大学 地域復興支援シンポジウム
再生から発展にむけて
11月14日
TKPガーデンシティ仙台(アエル21階)
主催 復興大学地域復興支援ワンストップサービス仙台センター
TEL:022-716-5020   FAX:022716-5023
onestop-info@fukkou-daigaku.jp

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気仙沼女の芸術祭
11月16日
気仙沼市役所ワン・テン庁舎2階 地域交流センター 大ホール
事務局 気仙沼市震災復興・企画部 地域づくり推進課
0226-22-6600(内線334)

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東日本大震災祈念特別展
11月16日~2014年1月13日
東北歴史博物館(多賀城市)
http://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/detail.php?data_id=499

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気仙沼演劇塾 うを座 produce
「壤晴彦 朗読会 &ワークショップ」
11月17日
気仙沼市松岩公民館 研修室
主催 気仙沼演劇塾 うを座
(問い合わせ先)070-5622-3431
http://www.h4.dion.ne.jp/~uoza/

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第28回 リアス牡蠣まつり唐桑
11月17日
気仙沼市・唐桑小学校校庭
http://miyagi-kankou.or.jp/wom/o-10739

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山元町ふれあい産業祭(山元町)
11月23日
山元町役場駐車場
http://miyagi-kankou.or.jp/wom/o-10732

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第7回松島大漁かき祭りin磯島
11月23日
松島町磯島・磯崎漁港
http://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-6975

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志津川湾さけまつり福興市
11月24日
南三陸さんさん商店街特設会場
http://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-10982

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Go up みやぎ~金華山震災復興支援~
災害復旧宝島ボランティア募集
11月30日~12月1日 1泊2日(日帰りも可)
主催 ファーストアッセントJAPAN
http://first-ascent.org/?cat=24
first.ascent.japan.218@gmail.com

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支援のかたち
被災地でのパートナーシップ
12月11日
せんだいメディアテーク 6fギャラリー4200
仙台市市民活動サポートセンター/せんだいメディアテーク
http://www.smt.jp/thinkingtable2012/?p=4617

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  ■最近のダイジェスト (11月3日~11月11日)
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2013年11月3日日曜日
「鎮魂と復活」(仙台市青葉区)
「書いている間は写経のようなイメージでしたね。記録するというよりは、毎日文字を書いて行を積むような」。震災から1カ月間の新聞記事を一字一字、11カ月をかけて書き写した幅9m×高さ3.6mの大作「鎮魂と復活」で人々を勇気づけたい。書家の千葉蒼玄さんはそう願っています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_3.html

2013年11月5日火曜日
共に前へ。東北復興マルシェ(気仙沼市)
10月19日に開催された「第三回 共に創ろう!東北マルシェ」。被災事業所や、震災後に起業した市民グループなど24団体が、地元の食材を使った加工品や手芸品などの商品の販売を行い、震災から一歩ずつ前進している姿をPRしました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_9918.html

2013年11月6日水曜日
「心に花を*」 あふれる花色と明るい笑顔(南三陸町歌津)
11月8日。南三陸町歌津の名足(なたり)小学校で、2年8カ月ぶりに母校の校舎での授業が再開します。その新たな出発を祝って、植樹と写真展が行われました。2011年11月から花の写真を公募し、病院や被災地で巡回写真展を行っている「心に花を*フォトプロジェクト」(ココハナ)からのプレゼントです。

名足小学校での展示は、約1カ月間(終了日未定)です。「ご覧になりたい方は、どうぞ職員室へお声掛けください」(教頭先生)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_3157.html

2013年11月7日木曜日
復興の共通理解のために~寄りあいNIPPON (仙台市)
9月11日、被災3県が直面している課題について話し合う円卓会議「寄りあいNIPPON」が開催されました。さまざまな関係機関・団体から150人以上が参加し、「自立とコミュニティーづくり」「観光と人材交流」「子どもの遊びと学び」について意見交換しました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/nippon.html

2013年11月11日月曜日
ご当地スイーツを石巻に 前編(石巻市) 
10月10日に「いしのまき地域すいーつ」展示発表会が開かれました。会場は、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)です。今年は伊達政宗の慶長遣欧使節団出航400年をテーマに、市内15の菓子店が自信作を持ち寄りました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_11.html


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■編集後記

むすび丸も、「祝・楽天イーグルス日本一」です。


(宮城県庁1階ロビーにて)

(ココロデスク)

出会いこそ支援。派遣職員大活躍!(南三陸町)

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石野葉穂香です

宮城県の沿岸市町の役場には、現在、日本中から、たくさんの自治体職員の方々が「応援」に来てくださっています。

愛知県豊川市から派遣職員としてやって来られた篠原英明さんも、そのお一人。
今年4月から9カ月間、南三陸町役場環境対策課に勤務中です。

不慣れな土地で長期間滞在するのは、とてもたいへんなこと。
でも、篠原さんは、南三陸町の多くの方々と交流を深め、ボランティア活動やさまざまなイベントなどにも積極的に参画しています。
出会いは出会いを呼び、仲間、友人がたくさんできました。
今では「永住してけろっ!」とまで言われるほど、すっかり南三陸町に溶け込んでしまっています。

南三陸町役場 庁舎二階の環境対策課。
篠原さんのお仕事は「再生可能エネルギー導入に関する企画立案」です
篠原さんは、豊川市役所清掃事業課の技術職員。
震災直後、豊川市をはじめとする愛知県東三河地方の5市2町1村では、南三陸町を中心としたエリアへの支援に乗り出しました。

篠原さんも手を挙げたのですが、初年度と2年目は上司の方から許可がいただけず断念。そして3年目の今年、「行きたい人は上司のハンコなしで人事課に直接申し出てよい」というシステムに変更され、篠原さんは3度目の〝挙手〟で、南三陸町への9カ月間の派遣が決まったのでした。
「でも、上司には怒られました。『普通は相談するものだぞ』って(笑)」

地元、豊川市でも消防団活動に参加するなど、篠原さんは元々、アクティブな方。震災の報道を見るにつけて「ボランティアででもいいから東北へ行きたい」と思っていたそうです。

「ニュースの映像を見て心情的にも応援したかったし、また市役所の職員としても、いろいろな仕事に挑戦したかった。東北にたいへんな仕事があるのなら、ぜひ行きたいって思っていました」

長須賀海岸で砂浜清掃活動中のスナップ(中央)

「長須賀海岸海水浴場復活大作戦!」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/07/blog-post_12.html

とはいえ、単身赴任。ご家族は反対されなかったのですか?
「妻は父親(義父)に相談したみたいです。そうしたら義父は『千年に一回のことだから行ってらっしゃい』って」
お義父さんもかっこいいです。

南三陸町へ来られた当初は方言が分からず、電話に出るのが怖かったとか。また、生活用品をそろえる買い物などで、4月の休日は過ぎていきました。

そしてGWのこと。帰省していた豊川市から南三陸へ戻る途中、篠原さんは渋谷で『ガレキとラジオ』という、南三陸町の災害FMを題材にした映画を見たのでした。
 
予告編を見ていたので、いつか見たいと思っていた映画。それを見た篠原さんは、
「感動しました。今、自分がいる南三陸町の人たちのがんばりに〝すごい町なんだ〟って思った。
その日は最終の新幹線を予約していたのですが、映画のあと、『町の人たちのために何かしたい』と思って、予定を早めてすぐ新幹線に乗って帰って来ちゃいました」

5月7日、東京から帰ってきた夜、「おおもり食堂」で行われた
歌旅人・むらなが吟さんのミニライブで
私(石野)も篠原さん(左)とはじめてお会いしました

『514万歩の「歌い旅」』
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/05/514.html
「何かしたい」――。篠原さんはGW後、SNSを通じて、「長須賀海水浴場復活大作戦!」を展開中だった「TSUNAGARI」(一般社団法人震災復興支援協会 つながり魚竜)と出会い、以後、毎週土曜日は浜の清掃活動などに参加します。
「この活動には全国からさまざまな方が来ていたので、知り合いもどんどん増えていきました。フェイスブックなどでもつながって、いろんな方たちとたくさん出会えた。それがうれしくて楽しくて……。ほんとうに『南三陸町に来てよかった』って思いました」

長須賀海岸海水浴場のオープニングの日。
安全を祈願してくださった「神様」と

『子ども海広場」OPEN! そしてさらなる〝つながり〟の予感』
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/07/blog-post_23.html

〝仲間〟ができると、その輪はもう、広がっていく一方。
やがて周囲からも「アイツはやってくれるヤツ」と評されて、福島県南相馬市の草刈りボランティアや地区のお祭りへの応援出演など、篠原さんは、たくさんの人たちから声を掛けられる存在になっていきました。

名足小学校の引っ越しボランティアにも参加(後列右)

夏休みには、奥様と、6歳と3歳の二人のお子さんが南三陸を訪ねて来られました。
「その時、宮城や岩手の観光地へも連れて行ったのですが、あとで子どもに『どこがいちばん楽しかった?』って聞いたら『うたつのうみ! みなみさんりく大ちゅきー!』って言ってました(笑)」

  
篠原さんの派遣期間は12月まで。
今、篠原さんは、ご自身のボランティアへ参加のキッカケの一つとなった映画の、地元・南三陸町での上映会準備に携わっています。
そのイベントとは「『ガレキとラジオ』を南三陸町で再び観る会」。
12月22日、ベイサイドアリーナで開催される予定です。

「地元の人、ボランティアや派遣で来た人たちにも
ぜひ見てほしいです」(篠原さん)
https://www.facebook.com/gareraji.minasan



ここでもまた、応援の輪はつながっています。芸能事務所「ワタナベエンターテインメント」の協力も得られ、当日は、映画上映以外にも楽しいアトラクションを計画中だとか。

「南三陸町の魅力が描かれた、南三陸町を好きになる映画です。南三陸町の魅力は〝人のあたたかさ〟。町の人たち自身が、きっと気付かないでいる魅力を、映画を通じて知ってほしいですね」


篠原さんが撮影した上映会の告知写真。
町の人たちにもたくさんご登場願っています
伊里前福幸商店街の理髪店「カットクラブチバ」の千葉さん(上)と
志津川「おおもり食堂」のマスター渡辺さん

ボランティア仲間からは「永住してくれ~」と言われ、また、役場の課長さんをして「役場に来てくれたんじゃなくて、南三陸という町に来てくれた人」と言わしめた篠原さん。
そして、なによりご本人が、「南三陸町に来てよかった」とおっしゃっているのがいいです。

環境対策課の皆さんとご一緒に。
後列左から、佐藤勉係長、篠原さん、千葉晴敏課長、星力課長補佐、佐々木正彦技術主幹
前列左から、阿部碧主事、石野喜崇主事(愛知県豊橋市役所から派遣)

力を借りた人も貸した人も、心ひとつになれて、お互いに「こちらこそありがとう」と言い合える・・・・・・。

篠原さんと南三陸の仲間たちは、そんなステキな「絆」に結ばれています。

(取材日 平成25年10月30日)

元気になる地域づくりを学ぶ~東日本大震災支援全国ネットワーク 現地会議in宮城~(南三陸町)

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こんにちは。kaiiです。
震災から間もなく2年6カ月、被災沿岸地域から内陸部の都市への人口流失が続いています。
高台などへの集団移転がなかなか住民の希望の速さで進まない現状に、
「いつになったら仮設住宅を出て終の棲家に移れるのかな? 生きている間の話だろうか?」

防災集団移転予定用地(気仙沼市)

「行政は計画の進捗状況や進まない現状があるならの理由をわかりやすく説明してほしい」
「震災当時は勢いで住宅の再建を真剣に考えたが、時間が経った今はこれからの老後を考えて住宅の再建をあきらめて公営住宅への入居を、と考えも変わっているんです。町の将来が見えないと家も建てられないですね」
など不安を訴える人たちがいます。

建物の基礎撤去の完了していない地域も(気仙沼市)

私たちの地域が復興を成し遂げ、活力ある地域づくりを進めていくために、これから必要な支援とはどんなことか? を話し合う現地会議が開かれました。



平成25年8月23日正午から南三陸町ホテル観洋「多目的ホール クイーンエリザベス」を会場に、「東日本大震災支援全国ネットワーク 現地会議in宮城」が開かれ、宮城県内や岩手県南地域で支援活動を続けている団体などから100人ほどが参加しました。



今回の会議は、復興支援活動が「地域づくり」や「まちづくり」といった中長期的な地域資源づくりの段階に移行する中で、被災地域で活動する人たちがこれから直面する状況や課題、またそれを乗り越えるための知恵や経験を、全国の地域づくりに取り組むステークホルダーから学ぶ機会として開催されました。

あいさつする東日本大震災支援全国ネットワーク宮城担当・情報チームの池座剛さん


初めに、東日本大震災支援全国ネットワーク宮城担当・情報チームの池座剛さんのあいさつです。
「地域づくりとは人の営みを大切にして地域を作っていくことです。地域づくりには人が持っている知恵やネットワークが必要です。この会議は、他地域での取り組みを学ぶことはさることながら、本質的には人の有機的なつながりを創っていくことを目的にしています。南三陸町での開催は、東日本大震災とその後の大津波で壊滅的被害を受けながら、復興へ向けて民、官、学が共同して全国の先進的なまちづくりを進めていることから開催地に選びました」

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テーマ1「知る」
 復興の場所づくりとして宮城県内で活躍する支援組織や企業の人がスピーカーとなり、 地域や活動の状況などの課題について発表しました。

石巻で活動するNPO法人 石巻復興支援ネットワーク 事務局の渡部 慶太さんは、
「地域の人を協力者として巻き込み、地域を一緒に盛り上げていきましょう」
と話しました。
地元の人たちと外部から支援に来ている人が一緒に地域づくりに参加する方法として、「地域の人が特技を活かして地域づくりに参加することを促すことによって人材の発掘を進めていくことできる」
「地元の人が参加する機会が増えることで、地元主体のまちづくりが進んでいく
と話しました。

スピーカー:NPO法人 石巻復興支援ネットワーク 事務局の渡部 慶太さん


南三陸町歌津地区で活動をする、「すばらしい歌津をつくる協議会」会長の小野寺寛さんは、地域の中の特性や歴史を理解しながら地域と関わることの大切さを訴えました。
「被災地ではマンパワー不足は顕著であり、これからも外部からの支援を受けながら復興とまちづくりを進めていかなければならない」と話しました。

「すばらしい歌津をつくる協議会」会長、小野寺寛さん



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テーマ2「学ぶ」
 全国の場所づくり ―として阪神淡路大震災の被災地と新潟県中越地震の被災地で支援活動をしている団体から経験談を聞きました。

阪神淡路大震災被災地の現状


平成7年1月の阪神淡路大震災の被災地で、震災発生から17年間まちづくりに取り組んできた、「NPO法人 まち・コミュニケーション」代表理事の宮定章 さんは、
「被災地にはさまざまな問題があり、問題を抱える被災者がいます。地域の中の問題に取り組む時、専門家意見も重要ですが、専門性を持たない素人の支援活動には住民の目線があり、住民と一緒に悩めるという利点があります」
と話しました。

町に人を呼び戻したいと震災から17年間活動をしている
「NPO法人まち・コミュニケーション」代表理事の宮定章 さん

平成16年10月に新潟県で発生した新潟中越地震の被災地で活動している渡辺裕伸さん(農事組合法人ファーム田麦山)は、
「震災発生後たくさんの人がボランティアに入ることで閉鎖的地域の中に人を受け入れられる環境が生まれました。人とふれあうことでたくさんのことを教わり、ネガティブだった考え方がポジティブに変化しました。人との出会いが財産です」
「地域らしさを取り戻すには自分たちだけで頑張らないことが大切です。人と人の繋がり(信頼関係)が大切です」
と話しました。

「農事組合法人ファーム田麦山」の渡辺裕伸さんは
「ピンチはチャンスに変えることできる」と話します

地域らしさと取り戻すためには大切なことを以下の通りだと話しました。

・生活習慣を尊重すること
・地域を知ること
・先人から学ぶこと
・生きがいを見つけること
・現状に目を背けないこと大切です

「ピンチはチャンスにできます。元気があればなんでもできます」と話を結びました。



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会議に参加して、地域づくりには、まずローカルルールを理解しさまざまな人の意見を聞きながら「人」が中心のまちづくりをしていかなければならないこと、アンテナを高くして情報をできるだけ多く集め、勉強し活用することの必要性を学びました。


また、時間が経つと風化していく記憶と支援の減少に対し、遠方からの支援について新しい方向性を考える必要性を感じました。


「人が集まり、つながり、元気になる地域をどうつくるか?」
被災地だけではなく、これからの地域づくりに共通する視点だと思います。

(取材日 平成25年8月23日)

秋の風と光の中 野草園で「野染め」(仙台市)

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こんにちは エムです。

心配された台風が奇跡的に去った10月27日(日)。秋の晴天の下、

「被災地の子ども達が未来を新しい色で染める
──野染めワークショップ──」

仙台市野草園で行われました。


仙台市野草園「芝生広場」

10月2日(水)にご紹介し、被災した方を中心に参加者を募集していたイベントです。
野の風と一緒に“心”と”時”を染める

「野染め」とは、木と木の間に張った大きな布に、あらかじめ煮出して作った草木の染料を入れたバケツと大きな刷毛を手に、集まった全員で一斉に染めていく、というもの。
個人的な興味もあって、実際にその様子を取材してみました。


爽やかな秋晴れの気持ちのいい空気、風が吹くたびにケヤキの葉が舞う野草園の芝生広場には、大きなケヤキの木と木の間に白くて長い布が張られていました。
参加者は「ハート&アート空間 ビーアイ」の子どもたちと保護者を中心に、「ほっこりカフェ」の参加者や、学生、野草園のスタッフなど。
教えてくださるのは「風の布・パピヨン」のポコさんとペコさんです。

左からペコさん、ポコさん


さまざまな植物を煮出して作った染料。
中には「カイガラムシ」の分泌物から作った染料もありました

早く染めたい気持ちの子どもたちですが、その前にやらなければならない準備があります。全員でもう1本の布を張る仕事があるのです。


「ガリ」という針のたくさん付いた道具に
布の端をかませて固定します

色落ちしないよう豆汁(ごじる)を染み込ませた
木綿の布は18メートルもあります


「伸子」(しんし)を使って布がピンとなるように張ります。
布は地面から50~60センチほど浮き上がった状態になりました

「5、4、3、2、1スタート!」
号令が終わるやいなや、全員の刷毛は白い布の上を右に左に、円を描いたり滴を垂らしたり、誰かの描いた上に重ねて描いてみたり。


ルール1:1カ所にとどまらないこと

青、茶、紫、黄など、植物からこんなにも多様な色が採取できるとは思ってもみませんでした。それに甘い良い香りもします。
30分ほどで、用意された2本の布は塗り残しなく染められました。

ルール2:白い部分が無くなるまで続けること


染めた布を下から見ると、木漏れ日の光に透けてまた美しい
ところで、「風の布・パピヨン」って?

取材の後日、お手紙を頂いたので、それをご説明に代えましょう。


風の布・パピヨンはポコ、ペコ、齋藤の3人が中心になって動いているグループですが、私たちの実感としてはもっと多様な人たちにより成り立っているように思います。

現地に行かなくても活動のための準備に徹する人や、いつおカンパや支援物資を送ってくださる人、
また、その時だけ旅を共にする人も、この間、数多くおりました。
それぞれがそれぞれに大切な役割があり、それがグループとしての幅や自由さを作り出しているのかもしれません。

規約などない、ある種いい加減なグループですが、そのあたりのゆるさを実は大切にしようと思っています。
そんな感じがうまく伝わると良いのですが……



「野染め」は齋藤さんが染色を生業として活動する傍ら、25年ほど前から行っていました。

東北での支援活動のきっかけとなったのは「お針箱」の支援だったそうです。
震災後、被災地ではたくさんの衣料品の支援物資が送られてきましたが、大きさを調整したり、ボタンを付けたり自分で直す事ができるようにと「お針箱」(裁縫箱)の支援を考えた齋藤さんは全国に提供を呼び掛けました。そしてまずは350個のお針箱を届けました。

そんな時、障がいのある方の避難所生活がとても大変だった話を聞いた齋藤さんは、支援学校の方も楽しい事をしようと「野染め」を提案したのだそうです。
「野染め」は被災地でとても歓迎されており、たくさんの笑顔を生んでいます。

染めた後の布を使って〈メモリアルキルト〉〈てびらこつぎっこ〉という活動にもつなげているそうです。こちらも被災地の方の心に寄り添うような、温かな活動です。
(詳しくは「風の布・パピヨン」ブログhttp://blog.canpan.info/shamurie/


自分の好きなように。自分の手が動くように。
色が混ざるように刷毛を動かします



しかし「野染め」はなぜ「草木染め」で行っているのでしょうか。
きれいな色や、色と色の重なる美しさを体験してほしいのであれば、もっと鮮やかな染料があるはずです。

「齋藤は長年染色を生業としてやってきましたので、最近まで従来の染料で『野染め』も行っていました」
しかし震災後、東北に通うようになって齋藤さんの気持ちに変化が生まれたそうです。ポコさんが続けました。

「化学染料はいくら処理をしても、どうしても無害とは言えない物。環境を大切にしようというのであれば、自分から変わらなければならないんじゃないか。そんな気持ちから齋藤は今までやっていた染料を止め、自然から抽出する『草木染め』に変える大きな決断をしました」



ここで誤解のないように補足させていただくと「草木染め」はたいへん奥が深く、転向しましたといって、染色家の齋藤さんでさえ すぐに使いこなせる染料ではないそうです。しかも製品として高い品質を提供出来なければなりません。
「仕事につなげていく、その途中なのです」
「また、草木染めの良い所は、その土地土地で採れた植物などの材料でできること。それが土地の良さとつながって、地元の活性化にもつながるよう考えたい」とペコさんは言いました。
岩手県釜石市に今年7月に立ち上がった「『耕絲館』ぺっこずつ」での協力活動もその1つなのだそうです。
「『耕絲館』ぺっこずつ」ブログ http://pekkozutsu.blog.fc2.com/


時間が経過し乾いてくると、描いた直後とは色が変わっていました

「野染め」の染料」に転向して1年半。まだまだ試行錯誤の段階とのことですが、自然の優しい風合いがとても美しく、見ても触ってもまた香りまでも楽しめる「草木染め」は、今、世の中で求められているものが詰まっているような気がしました。

「東北の自然の中で『野染め』をしていたら、東北が大好きになりました。
何か支援が出来ないかと動き出しましたが、今はこっちが支援されているように感じるのです。それは、自分が生きていく中で、凄い力になっている。だから止められない」ポコさんはそう言って優しい笑顔で笑いました。

「風の布・パピヨン」の活動は2~3ヵ月に1回のペースで行っており、今まで15回を数えています。


さて、みんなで染めた布はその後、人形の服やブックカバー、バックに縫い付けたりと、受け取ったそれぞれが思い思いの物に作り替えて楽しむ事ができます。

人形や人形の服・バッグ・小さく切ってアップリケにと用途はさまざま

参加者の皆さんからは、
「皆でやってみたら色が混ざるだけでなく重なって色ができたりしてきれいだった」
「クルミを使ってみたが、青いと思って塗ってみたら茶色で、不思議だった」
「外でやれたのは、とても気持ちが解放されて楽しかった」
などの感想が聞かれました。

親子3人で参加の、小幡浩喜さん、咲奈さん、博子さん。
「ビーアイ」の生徒の咲奈さんは中学2年生。
「色がまざり、かさなって、とてもきれいだった」

草木染め染料の中には、野草園スタッフの大友直美さんが作った“クルミ”や、地元仙台の“セイタカアワダチソウ”がありました。

「ふくしまほっこりカフェ」参加者の植松真弓さんは福島にもたくさんの“セイタカアワダチソウ”が咲いていたのを思い出し、あの花からもきれいな黄色の染料ができる事に驚いていました。

セイタカアワダチソウの染料

「この野染めを通して、布の色がどんどん変わっていったように、私たち人間もどんどん変わっていけるし、世界は広がっているということを感じてほしかった」
最後に「野染めワークショップ」の主催者「ビーアイ」の清水(ちーず)さんが挨拶し「野染め」は無事終了となりました。


「野染めでつながる 東北とつながる」
左からビーアイ」清水さん、ペコさん、ポコさん、
参加者の岩城友子さんと竹田文さん、「野草園」の大友直実さん


カンパのお願い *******************************

「風の布・パピヨン」が長く支援活動を続ける為にはどうしても皆様の協力が必要です。この活動に賛同し、協力をしてくださる方はぜひ温かいご支援をお願いします。

ご支援には “カンパ” としての方法と、東京都世田谷区での「雑居まつり」や京都での展示会で、メンバーや被災地の方の作った作品を購入していただくなどの方法があります。

ご協力、よろしくお願いいたします。



〈お振込先〉 七十七銀行 一番町支店 普通 口座番号/6180086
口座名義/ゆうき応援基金  代表 関口 怜子

***************************************

イベントと作品は下記のサイトを参照ください

「風の布・パピヨン」ブログ http://blog.canpan.info/shamurie/

「『耕絲館』ぺっこずつ」ブログ http://pekkozutsu.blog.fc2.com/

「雑居まつり」ブログ http://zakkyo.blog133.fc2.com/

「ハックの家」 http://hakkunoie.com/

「どこでもビーアイ・だれでもビーアイ」 http://1987bei.blog.shinobi.jp/

仙台市野草園は四季を通して豊かな自然に触れる事のできる、美しい所です。
イベントも随時開催されています。

仙台市野草園
TEL 022-222-2324
http://www.sendai-park.or.jp/web/info/yasouen/

ハート&アート空間 ビーアイ
TEL 022-262-2969 FAX 022-262-2975 
Twitter:@zoukabako
ブログ:http://1987bei.blog.shinobi.jp/


(取材日 平成25年10月27日)

助けられる人から助ける人へ~防災士養成研修講座・東北福祉大学(仙台市青葉区)

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YUUです。

フィリピンで猛威を振るった台風30号で被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

それにしても、2013年の気候はとても極端です。

長梅雨、その後の集中豪雨による土砂災害、河川の氾濫。猛暑の夏を乗り越えたかと思えば、今度は大型台風の襲来。

東日本大震災より2年8カ月が過ぎましたが、全国各地で起こる自然災害を報じるニュースは後を絶ちません。

冬の訪れが間近に迫っていますが、大雪に伴う雪害など自然災害には十分気を付けたいものです。

仙台市青葉区国見にあるJR仙山線の東北福祉大学駅前

大震災以降、国は南海トラフ地震の被害想定や首都直下地震対策の策定を急ぐなど、防災・減災対策はすでに官民一体の急務になっています。

防災に関する意識を高めることは、次の大規模災害に備えるために必要なばかりではなく、日々起こりうるさまざまな自然災害における被害を最小限にとどめるうえでも非常に大切なことです。

未来の減災に一人一人が備える。

こうしたニーズの高まりに企業、団体、個人、各方面から関心を集めているのが防災士の資格取得制度です。

防災士は、防災や応急手当等の救命知識・技能を持つ人に与えられる民間資格です。

近年では、20府県をはじめとして、全国では52の自治体が「防災士」の養成に参画し、中には自治体が、自主防災組織を主体とした数千名規模の防災士の資格取得を事業として支援するケースなどもあるようです。

大分県は、県民3000人の防災士資格取得を目標に県を挙げて取り組んでいます。
また、愛媛県の松山市では、84の小中学校が2人ずつ防災士の資格を持った教員を配置しているそうです。


東北で初めて防災士養成研修実施法人として認証された東北福祉大学

次世代の防災リーダーを育成することを主眼として、およそ10年前に発足したNPO法人日本防災士機構が認定する防災士制度。

平成14年以降、年を追うごとに防災士を養成する自治体や大学等の養成機関は増えています。

東北では、東北福祉大学が資格認定機関の日本防災士機構から、東北で唯一の防災士養成研修実施法人として認証されています。

同大学の防災士養成研修講座で講師を務める高橋英彦さんは、次のように話してくれました。

「震災以降、未来の減災に備えた次世代リーダーを養成する防災士の必要性、認知度は非常に高まってきています。ただ、他の地方と比べると、これまで東北の防災士の数は少なかったんです。今後は地元の教育機関が防災士の養成に取り組むことによって、これまでとは全く事情が違ってくると思います」

東北福祉大学では、防災士資格を取得した学生を中心に、積極的な防災活動行う協議会「Team Bousaisi」を学内に設立。今年5月30日に発足式を行いました。

防災士養成を行う大学は名古屋大学など全国に複数ありますが、協議会の設置は珍しいといいます。

高橋さんの説明によると、これまで実施された防災士養成研修講座では、今年10月末現在で宮城県内外から1100名あまりの学生と市民が受講、資格認定試験を受験したそうです。

「防災士の資格取得のためには普通救命講習以上、応急手当講習を受講することが必要です。いざという時、速やかに安全を確保するには、とっさの判断力と行動力が大切な鍵になるんです。普段から正しい知識を身に付けて、実践力を養っておけば、非常時にも迷わずに的確な判断ができ、被害を小さく抑えることができます」




東北福祉大学国見キャンパスで実施された防災士養成研修講座「避難所の開設と運営」高橋英彦講師
受講者たちの真剣な様子が伝わってきます

防災士資格取得のためには、年齢、学歴、国籍の線引きはありません(ただし、日本語の理解力は必要)。大学で受講した人のなかには、70代の方や中学生もいたそうです。

「現在のところ、資格取得者の約8割は学生と教員ですね。ただし、介護施設関連の方、防災組織のリーダー、会社員、家庭の主婦など、回数を重ねるごとに幅広い層の人たちが受講するようになりました。本学(東北福祉大学)においては、全ての学生が資格取得を目指すところまで視野に入れています」 

防災意識を持っている人材が欲しい。

「伊藤忠エネクスという会社のように、経営トップの考えで社長、役員を含めて会社内に600人もの防災士資格取得者がいる企業などもあります」

未曾有の大震災を経て、大学も地域も企業も防災というキーワードでつながった部分があるようです。

その意味では、防災士養成のための拠点(東北福祉大学)が東北にできた意義は非常に大きいといえるのではないでしょうか。

「震災の被害も甚大だった『本州最東端のまち』をキャッチフレーズにする岩手県の宮古市では、昨年度から400人の防災士を育てるという目標を掲げ、大学と連携し、防災士養成研修講座を開講しています」



講座では各テーブルごとにワークショップの演習も行います

防災士養成研修講座受講以前と以後では、相当に防災に関する意識が変わったと述懐している受講者がいます。

「資格は取得して終わりではなく、資格取得後、地元の自主防災組織に入って活動をしたり、さまざまなボランティア活動などを通じて、防災士が防災意識の啓蒙に努めているケースも数多く見受けられます」

何で枕元にラジオとか飲料水を備えておかなかったんだろう。

懐中電灯、携帯ラジオなど、必要なものをいつでも持ち出せる状況をつくる。

講座を受講すると、専門的な防災知識や技術を学べるだけではなく、「地震の時に物が落ちてこないような環境をつくる」、「街を歩いていても、防災の観点から危険な場所や建物に意識を向けるようになる」といった防災に関する意識改革が自然と行えるようになります。

「東日本大震災で自分自身が助けられたので、今度、大きな自然災害が起こった時は、自分自身が助けられるようになりたいと考えで受講した人もいます。被災して、どうしても資格取得したいという一般の方からの問い合わせもありました」

自分を守る、家族を守る、地域を守る。

防災士の資格者は全国で間もなく7万人に達するそうです。

震災直後のがれきの撤去なども、防災士ネットワークを通じて行ったケースが多数あったそうです。

助けられる人から助ける人へ。

東北福祉大学では来年度以降も3月、6月、10月の年3回、一般の人も受講できる防災士養成研修講座を実施する予定だといいます。


防災士養成研修講座および、防災士に関する情報は下記HPで。
東北福祉大学 防災士養成研修講座
www.tfu.ac.jp/bousaishi/

(取材日 平成25年9月20日、10月5日)
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