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いしのまき大漁まつり(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
すっかり冬になってしまいましたが、食欲の秋に開かれたあるイベントの報告です。

いつもお邪魔する雄勝町船越の山もすっかり秋模様です

旬な海の幸もたくさんスーパーや魚屋さんに並んでいます。
さて、そんな食べ物が普段よりもおいしく感じる実りの秋に開催されたのが、
「第24回いしのまき大漁まつり」です。


今回は、10月20日に石巻市渡波のサン・ファン館で行われました。
当日は、雨が降る中での開催でしたが、約4000人が来場しました。
地元の水産加工会社を中心に30店が出店されました。
また、石巻市と姉妹都市である茨城県ひたちなか市や山形県河北町などの県外からも参加し、農産品を販売していて、会場はとてもにぎやかでした。

大漁まつりの目玉は、鮮魚の競りです。
今年も抽選で決められた150人の参加者が競い合いました。
競りに掛けられていたマダラです

当日は、恒例の鮮魚競りが行なわれ、新鮮な魚介類が次々と競り落とされました。
ステージでは、埼玉県戸田市のサンバチームが会場を盛り上げ、
石巻シンフォニックウインドアンサンブル(ISWE)が素敵な音楽で来場者の心を癒してくれました。
また、石巻のヒーローであるシージェッター海斗や地元芸能団体の演技なども行われました。
私はISWEの演奏会や鮮魚競りの観覧を逃してしまいましたが、特設ステージの催し物は会場を盛り上げていました。

photo by Arai
ラテンの風を届けてくれたサンバチームは、
とても迫力あるダンスで会場を沸かせました

石巻のヒーローシージェッター海斗登場!!
集まっていた子どもたちは「がんばれー」と声援を送っていました。

スコップと栓抜きで演奏する「スコップ三味線」は、
津軽三味線の真似をして音楽に合わせて演奏します。
石巻にもスコップ三味線で地元を盛り上げるために
活動している方々がいました。
その名も「スコッパーズ」です。
スコップなのに、三味線を弾いているように見えます

ご当地アイドル「巻っ娘」
今回もとても可愛らしいステージでした
観客も巻っ娘と一緒に会場を盛り上げていました

石巻在住の演歌歌手伊達慶一は、
しっとりとした歌声を会場に響かせました


会場のステージ前から離れてみると、地元のおいしい海産物から県外の名物品が会場にずらっと並んでいました。

その中に「山形の玉こんにゃく」を発見しました。

出店していたのは、株式会社いの食品さんです。
震災前から出店している猪野さんは、1年に1度のイベントのため、その時であった人々に再会できるのを楽しみにしていました。

震災後2度目の参加で、少しずつ少しずつ街中も復興に進んでいるのが見えてきたそうです。
毎回参加していたものの今年は重病を患い休養が必要なのだという従業員の方も、「石巻には絶対行きたい」という強い意志で、今年も元気にお店に立っていました。

玉こんにゃくが好きで、ちらっと寄ったところから始まったお話で感じたのは、頑張っている石巻を応援したいという皆さんの温かな気持ちでした。

「これからも一緒に歩いていこう!!」 米沢 いのさん(株式会社 いの食品) 
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イベントや屋台などで、よく品物に目を向けがちです。
でも、そこから目を上へ向けてみてください。
皆さん、とても素敵な笑顔をしています。
きっとその笑顔で自分も笑顔になり、会話が弾みます。
そして温かな気持ちになります。
笑顔や人の温かな想いは、伝わります。
今回、私も猪野さんたちとお話をして、皆さんの優しさに触れて、温かな気持ちで帰宅することができました。

「いしのまき大漁まつり」
たくさんの威勢の良い声と笑顔が溢れたイベントです。
来年もこの時期に開催されます。
次回は、私も鮮魚競りに挑戦して、おいしい魚をゲットしようと思います。

(取材日 平成25年10月20日)

明けない夜はない! 「ゆりあげ港朝市」グランドオープン!(名取市)

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石野葉穂香です

12月1日、名取市閖上港の名物「ゆりあげ港朝市」が、待ちに待ったグランドオープンを迎えました。

朝日が反射しているのは、漁港があった広浦。松の木の向こうが閖上浜です。

「いらっしゃいませ~」
「ご利用いかがですかー?」
「とれたてだよ」 
「今日は特別、安くしとくからね」

元気いっぱい。明るく威勢のいい声が、夜明けの港に響き渡ります。

月齢28.0の月が明けゆく空に浮かんでいました。

オープニングは6時からでしたが、5時過ぎにはもう、駐車場がいっぱいになりそうな勢いで、たくさんの人たちが浜へやって来ました。そして、待ちきれないお客さんにせかされて、フライング(?)して、販売を開始するお店もちらほら。

南三陸町志津川直送の海産物を扱う「ウロコ水産」さん


6時。
特設ステージで閖上太鼓保存会の勇壮な演奏が行われたあと、登壇したのは櫻井広行理事長です。
「やっとできましたぁ。これからもよろしく!」
短いけれど力強いあいさつで、「ゆりあげ港朝市」の本格的な再開を、高らかに宣言しました。

桜井理事長のあいさつ。
右は名取市のマスコットキャラクター「カーナくん」です

東の空がゆっくりと明るさを増すにつれ、来場者は増える一方。
先着2000人に笹かまぼこが無料で振る舞われ(お客さんに練ったネタが配られ、自分で炭火で焼きました)、特設ステージではバンド演奏や神楽の演舞など、多くのイベントがオープンを盛り上げます。

明るく晴れ渡った空も、朝市の、また新たなスタートを祝ってくれるかのよう。
この日は、午後1時までに、約1万8000人もの来場者で大にぎわいとなりました。

日が高くなるにつれて陽射しもだんだん暖かに

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

2011年3月11日、東日本大震災の津波は、閖上港を直撃し、街を飲み込み、地区に甚大な被害をもたらしました。

朝市の建物もすべて消失。街のシンボルだった朝市は、港のそばの広場から消えてしまったのでした。

しかし、組合は、2週間後には3kmほど内陸にあるイオンモール名取の西側駐車場を借りて朝市を再開。
「閖上の街を元気にするにためには、まず自分たちが元気にならなければ――」
いち早く復活した朝市は、震災にうちひしがれていた閖上地区の人たちを、そして多くの県民たちを、勇気づけてくれました。

施設は消えても、その「灯」は、消えなかったのです。

この日は秋田の「B級グルメ」「浪江やきそば」
「神戸スィーツ」なども応援参加

2013年5月には、カナダ連邦政府の支援で、元の場所に、物販の木造施設2棟と、カナダ東北友好記念館「メイプル館」が完成。
朝市は、閖上港のそばに2年2カ月ぶりに帰ってきました。

昭和の時代、「ゆりあげ港朝市」創設時代からのメンバー「アイザワミート」さん。
本店も被害を受けましたが、震災後はイオンモール名取駐車場にも出店。
「復興の後押しになれたらうれしいです(相沢千枝さん/左)」


そして今回は、さらに物販施設2棟と、飲食店が入る1棟が加わって、合計6棟でのグランドオープン。
いよいよ本格的な再開! です。

「かにや」さんは新規出店。利府と岩切にもお店があります。
「みなさん来てくださーい.お安くしまーす(西田美樹さん)」

閖上出身で、今は愛島の仮設にお住まいの長沼俊幸さん(左から3人目)。
閖上に住んでいた頃はいつも歩いて朝市に来ていたそうです。
「以前は地元のおんちゃん、おばちゃんがいっぱいだったけど、今日は地元の人は少ないねー。
遠くへ行っちゃってアシがないからでしょう・・・」とちょっと寂しそうでした。
長沼さんはこの日、上智大学の学生さんたち5人を案内中。彼らも被災地入りはもう4回目だとか。
「継続」というメッセージをいただきました。

大規模な台風被害に見舞われたフィリピンへの援助資金の募金も行われていました

 この日の朝日も撮影しました。
 とてもキレイな夜明けでした。
 熊本県から来てくれた方が、ステキなひと言をつぶやいてくれました。

 「かたちを変えながらも、夜は確実に明けていくんですね」

6時ごろの東の空。厳かな光と空気が閖上の浜を包みます。
なお、2014年1月1日の日の出は6時53分。
朝市は、元旦はお休みですが、初日の出ポイントとしていかがですか?
少し雲が出ているぐらいの方が、空は焼けます


朝市は、これまで、日曜・祝日の午前6時~10時の営業でしたが、メイプル館と飲食店棟の充実で、今後は昼食も提供しながら午後1時まで営業します。
 

次の日曜日は、ぜひ、早起きしてお出掛けください。
早く行かないと〝目玉商品〟は、すぐ売り切れてしまいますよ~。
 
寒いかもしれませんが、冬ならではの〝出モノ〟にきっと出会えるはず。

ちなみに、この日一緒に取材していた「ココロプレス」の担当デスクは、鮭の半身(イクラたっぷり付:激安)を買って、ニコニコでした(笑)。

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<ゆりあげ港朝市>
開催日 日曜・祝日 6:00~13:00

<メイプル館>
営業時間 平日・土曜日 10:00~16:00
       日曜・祝日(朝市開催日) 6:00~13:00
       ※木曜日定休

<ゆりあげ港朝市協同組合>
所在地 名取市閖上5-23-20
電 話  022-395-7211(事務局)
022-796-2078(メイプル館)
公式HP http://asaichi.yuriage.jp/

※年末大売り出しは12月29・30・31日
※初市は1月5日(もち・ミカンまき、七草がゆなどあり)

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(取材日/平成25年12月1日)

【下書き中】〜この思いを届けたい〜ママたちのネットワークで支援の大きな輪[前編](仙台市)

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「自転車が欲しいんです」
被災地で聞いた必要な物のリストに多かった自転車。
自転車があれば支援物資をもらいに行ったり運んだりする時や、遠くにしかないお店に買い物に行く時に助かる。
自転車があれば子どもを送って行ける。
その気持ちが分かるのは、同じ子どもを持つお母さんでした。

こんにちはエムです。

これは仙台市の向山幼稚園に通う子どものお母さんたちが立ち上げた小さな支援活動グループ「仙台チャリティバッグ」が起こした奇跡のようなお話です。


平成23年、震災直後に立ち上げた「仙台チャリティバッグ」は7名のスタッフからなる小さなグループですが、実際に今まで贈った自転車の数は52台。
それは全てチャリティアイテムの売り上げで購入した新品の自転車です。
チャリティアイテムといっても、「Tシャツ」「エコバッグ」の2種類。このアイテムだけで売り上げ総数2,500点は驚きです。サイズや色は豊富ですが、震災関連のグッズが溢れていた中、これだけの実績を残せたのには何か特別な方法があったのでしょうか。


震災後、多くの人は自分に出来る支援をしたいと考え、実際に本当にたくさんの方が被災地に足を運んでボランティア活動をし、復興に大きな力を貸してくださいました。今でも活動を続けている人もいます。その力は大きく、あちらこちらで感謝の声が絶えません。
しかし中には、ボランティアには行けないけど、何かしたいと考えている人もまた、たくさんいたのです。

「仙台チャリティバッグ」代表の丸田智子さんもそんな1人。
震災後、一時帰省していた実家のある横浜でも、教会学校の講師である丸田さんの妹さんが「NPO法人 ラブネーバーズ」(※以下「ラブネーバーズ」)の一員として支援物資を被災地に届ける活動をしていました。丸田さんもその手伝いをする中で、自分のような小さな子どもを持つお母さんが、仙台でできる支援とは何だろうと考え始めました。



 震災1ヵ月後の4月、仙台に戻った丸田さんは、同じ幼稚園のママ友である毛利花恵さん、伊藤奈美さん、鎌田純子さん、佐藤日出子さんに相談しました。
「この5人が最初から活動しているメンバーです。私たちはまず幼稚園のみなさんに手紙で支援物資の提供を呼びかけました」
集まった支援物資を、当時石巻を拠点に支援活動をしていた「ラブネーバーズ」まで届けながら、ボランティア活動にも参加した丸田さんと佐藤さんは被災地の現状を目の当たりにしました。その時、「ラブネーバーズ」が現地で集めた“欲しいものリスト”の中に多くの「自転車」を見つけた丸田さん達。
その当時、支援物資として中古の自転車は届けられていましたが、なかなか自分に合う自転車が見つけられないとか、すぐに壊れてしまったという話しも聞いたそうです。
「『自転車が差し上げられたら良いよね。できれば新品で』という話しになったんです」丸田さんは続けました。
「でも、どうしたら自転車を買えるのか、自転車っていくらするのかさえ分からない状態でした。でも募金活動というイメージは浮かばなかったんです。仙台での募金活動はまだ早すぎると感じていましたし、じゃあどうしたらいいだろうと5人で話していたんです」



そんな話し合いの中で、チャリティーアイテムを作って売ってはどうかという案が出たそうです。
「『復興』とか『がんばる』とかが入ったものではなく、身近な物で、自分たちが欲しい物を作ろうという事になったんです」丸田さんの話に皆さん頷いていました。

そんな時毛利さんの元に、震災で大きな被害にあった「カネヒロ印刷」から、アパートを借りて印刷業を再開したとの連絡が入りました。「カネヒロ印刷」は自営を営む毛利さんの取引先で、ユニフォームなどを作っている会社。
チャリティーアイテムを1枚からでも引き受けるという快いお返事をもらいました。心強い印刷屋さんも決まり、少しづつ方向が見えてきました。
毛利さんが言いました。
「じゃあ、何を作るかという話の中で、身近な親しめるものが良いと。そんな時、幼稚園の葉書やポスターで親しんでしたイラストが入った物を作ったら良いんじゃないかと思いついたんです」
「そうそう、かわいいよねって話になって」丸田さんが引き継ぎました。
「それに、ママが買いたいと思える物でなくちゃ。それがあのイラスト入りの『エコバッグ』と『Tシャツ』だったんです」



そのイラストは平成17年に作られた向山幼稚園のオリジナルポストカード、3枚の中の1枚。
それは同じように向山幼稚園の保護者だったイラストレーターによるもの。
「幼稚園の副園長先生にお願いして連絡してもらい、イラストの使用許可をいただきました」

5月には、ここまで具体的な形にまとまるという早さについて、全て“思いつき”と“インスピレーション”と言い切る、お母さんならではの思い切りの良さと実行力に驚きを覚えました。

その後の売り上げ、被災地に贈った自転車の数は先に記した通り。その展開についてお聞きしました。
「6月に幼稚園が開催した『復興バザー』に出店したのが始まりです」
「あの時は事前にメールで皆さんに告知をしました。在庫を抱えるリスクを負いながらは、それぞれ生活があるお母さんの私たちにはできないので、予約という形をとりました」
「でも当日は注文してくれた人が買ってくれただけではなくて、実物を見て買うと決めた人も多く、自分たちの予想を大きく越える売り上げがあったんです」
その時の様子を口々に語るメンバーの皆さんの様子を拝見していると、当時の熱気が伝わってくるようでした。
1回目の販売、「復興バザー」の収益ではなんと8台の自転車を届けることができたそうです。
また自転車の納品は地元にも還元できるように、被災した石巻の自転車屋さんの再開を待って、その自転車屋さんに行ってもらっています。

「仙台チャリティバッグ」のその活動は、その趣旨に共感したお母さんからお母さんへ、向山幼稚園の保護者同士のネットワークを飛び越えて、厚木市や川崎市の幼稚園や東京の教会などにも話がつながり、1年目で47台もの自転車を届けられました。アイテムは現在でも売れ続けているます。
それはメンバーの皆さんの予想をはるかに越えた反響でした。
「やはり、何か人のためにしたい。そう考える人が多いのだと思いますし、それに実際に自分たちが欲しいと思える物を作ったのが良かったと思いますね」
丸田さんを始め、他のメンバーの方も毎日エコバッグを持ち、事ある毎にTシャツを着るそうです。そして偶然、全く知らない方がエコバッグを持っているのを見つけると、思わず声をかけてしまうこともあるそうです。



今まで、たくさんのチャリティーアイテムの販売に繋がったのは、このようなお母さん同士のネットワークによるもの。「子育て」という同じ体験をしているからこそ分かる気持ちがあり、そこから信頼関係が生まれ、心と心が繋がってできているそのネットワーク。お互いを思いやる暖かな絆とも呼べるのではないでしょうか。

心から心への暖かな気持ちは自転車を手渡す時にも活かされています。
自転車を申し込んだ方に直接電話して、なるべく希望に添った自転車を購入しているそうです。しかも防犯登録までして届けるという徹底ぶり。希望によっては雨を防ぐカバーを付けたり、子供用のヘルメットを付けた事もありました。
自転車を受け取った方からは
「いままでたくさんの中古の自転車が(被災地に)届いたけど、自分に合った物が無かったので嬉しい」
「でこぼこ道を子どもを乗せて走るのに、新しい自転車だと助かります」
「今までの自転車提供の方々は、防犯登録までしてくださる方はいなかったので本当にありがたいです」
「ありがとう。こんなきれいな色の自転車が届くとは思わなかった」
こんな感謝の言葉が届いています。

小さな子どもを育てながらのお母さんたちが始めた支援活動は、始めは小さなものでしたが、いくつもの偶然といくつもの出会いを生み、大きな支援の輪に繋がりました。この奇跡のようなお話は転機を迎える後編へと続きます。

(取材日 平成25年12月7、8日)

LIGHTING OBJET 2013 「光と箱」(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。
12月に入って、街中はクリスマスで盛り上がっていますね。
クリスマスの音楽が流れ、お店やお家もライトアップされているところが多く見られます。そして、ここから少し離れた仙台市では、並木道に光のページェントがきらめき、夜の道をロマンティックに演出する、そんな季節になりました。

さらに、ここから400km以上離れた街でもカラフルな色でライトアップされました。


震災発生から1000日目の12月4日に点灯式が行われたLIGHTING OBJET(ライティング オブジェ) 2013「光の箱」は、綺麗な光のオブジェだけでなく、東京と東北をつなぐ灯りでもあります。

主催するのは、商業施設や博物館など展示施設の企画・デザイン・施工を手掛ける乃村工藝社です。

「11月10日に宮城県石巻市で始まり、最後のワークショップは11月24日に福島県いわき市で開催されました。約2週間、その間開催した東京でのワークショプでは近隣企業、お台場学園の皆さん、石巻マルシェの皆さん、ノムラグループの社員、家族、友人の皆さんに参加していただき、想定していた以上の『光の箱』が集まりました。
今年もお台場では、各所できらびやかなイルミネーションで彩られていますが、一つ一つ手作りで作ったイルミネーションはこの「光の箱」だけです。
乃村工藝社の原点でもある『モノ作り』を通して、皆さんと一緒に一つのカタチにでき、うれしさとともに感謝の気持ちでいっぱいですー」
このプロジェクトを代表して中心となって進めてきた浅野敦司さんが点灯式で挨拶をしました。



小さな箱がたくさん集まってできたこの大きな「光の箱」、私が作った1つの箱も、この中のどこかにあります。
そして石巻や福島の皆さんが作った作品もたくさん飾られています。
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【作り方】
1アルミ製のロールで好きな形を作ります。
丸めたり、折り曲げてハート形にしたり、大きさもバラバラです。
2 形を作ったら好きなように箱に詰め込みます。
こんな感じでアルミで形を作って、箱の中に詰め込んでいきます。
大きく形を作ったり、小さいハートの形を作ってたくさん入れたり
人によっていろいろ工夫されています。
3 裏に好きな色のカラーセロハンを付けます。

そして、カラーセロハンを裏に付けて仕上げます。
正面から見るとこんなにカラフルに見えるのです。
5 完成!!
※「光の箱」は造形作家・松村泰三さんが考案されたキットです。
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この「ライティングオブジェ」は東京・丸の内で8年前にスタートし、2011年以降は東日本大震災復興支援チャリティの一環として開催されています。今回、乃村工藝社はサテライト会場として東北と東京を光の箱でつなげようと、先月、石巻市内にある2カ所の仮設住宅でワークショップを行いました。
石巻の会場は、万石浦ささえあい拠点センターと仮設開成団地です。
両日ともたくさんの人が集まり、子どもから大人まで、「光の箱」作りを楽しんでいました。




ハート形を並べて、お花の形にしたり、
皆さんの個性が光った作品ばかりでした。
カラーセロハンを貼付ける場所によって色の見え方が異なるので、
色合いを決めるのも結構難しいんです。
お2人の作品は対照的で、とても個性的でした。

開成団地で仕上がった作品です。
まずは後ろから・・・
後ろはこうなっています(笑)
なかなか派手に見えます。

正面から見ると・・・
正面から見るとこんなにきれい!!

「とても楽しかった。こうやって来ていただいて、本当に感謝している・・・。
私たちも頑張らなくちゃね。ありがとうね。」
完成した「光の箱」を眺めながら、地元の人は言いました。
今回もたくさんの笑顔があふれていました。
スタッフさんから教えられながら、地元の人たちは好きなように光の箱を作っていきます。

東京から石巻へ来てくれた浅野さんとスタッフの皆さんからのメッセージです。
「『光の箱』でたくさんのSmileが見れました。
石巻の皆さんに感謝!!ありがとう。」

浅野敦司さん
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点灯式でのスピーチの最後に浅野さんは、被災地への想いを語りました。
「—今日12月4日は震災発生からちょうど1000日に当たる日です。
『光の箱』は来年の2月14日まで点灯した後、ワークショップを開催した石巻、いわきへこのままの状態で持っていき、東北の皆さんにも見ていただきたいと思っています。
直接的な支援ではありませんが、ひとときの間だけでも東北の皆さんの”希望の灯り”になることを願っています」

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浅野さん達は、震災後、義援金を届けたり、漁業支援など被災地支援をしてきました。
昨年は、石巻市役所の1階にある「いしのま★キッチン」の店舗の内装や環境づくりのサポートもしました。

今回企画したのが、この「光の箱」です。
約1カ月で集めた数は、400個以上。
たくさんの人たちが集まり、各々の作品を作り上げました。
そして、小さな箱が1カ所に集まり、大きなオブジェとなって、現在、お台場で展示されているのです。
一人一人の個性が集まった「光の箱」は、今日も光輝いています。
是非、お台場に行った際は、「光の箱」を眺めてみてください。
そこには、東京から東北への温かな気持ちと、東北からの感謝の気持ちが込められています。
展示期間: 2013年12月4日[水]〜2014年2月14日[金]



  場所: 乃村工藝社 台場本社ビル正面

      〒135-8622 東京都港区台場2丁目3番4号

      りんかい線「東京テレポート」下車徒歩6分

      ゆりかもめ「お台場海浜公園」下車徒歩1分

(取材日 平成25年12月4日)

次世代へ誇りあるふるさとを引き継いでいくために今できることを~東日本大震災から1000日~(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。
東日本大震災から1000日が過ぎました。被災地で復興に尽力する人たちはこの1000日をどのように感じてきたのでしょうか。

石油など燃料関係を主に扱っている株式会社気仙沼商会の代表取締役社長、高橋正樹さん。
気仙沼市の震災復興委員会などでもリーダーを務めています。
高橋さんの感じてきた震災から1000日について、お話を伺いました。



高橋さんは東京の大学を卒業後に、家族の希望もあり地元気仙沼に戻り「株式会社気仙沼商会」を経営しています。
震災の津波で気仙沼湾沿いに所有していたオイルタンク5つが流出。経営していた15事業所のうち13事業所が被災、自宅も全壊しました。

気仙沼魚市場前にあった株式会社気仙沼商会本社ビル
津波の衝撃で看板が曲がっています。
(平成25年11月18日撮影)

「震災から1000日。もう1000日かという思いです」

高橋さんは震災からの1000日を振り返りながら話します。
「震災発生から100日位は、とにかく生きることに精一杯でした。従業員の安否の確認。自分の家族や従業員の家族、取引先の方々の安否の確認をすること。沿岸にあった事業所の多くが被災したため、緊急車両や住民の生活のための燃料の確保に奔走しました。自宅も津波で全壊だったのでとにかく生きることに精一杯でした。

平成23年5月ごろ魚市場の再開の話が出てくると、関係者から「燃料をどうするのか」と尋ねられることが多くなりました。水産業の復活のために燃料の安定供給に取り組みました。震災から180日が過ぎた頃には『生きること』から『生き続けること』へと考えがシフトしました」


震災後3回目のカツオの水揚げ風景
(平成25年8月7日撮影)
---気仙沼市震災復興市民委員会のリーダーとして、「復興」についてどのように考えていますか?


「復興」はゆっくりした歩みですが前へと進んでいます。”復興が進まない”と言う方もいますが、私は、次の世代へ私たちの『すばらしい故郷気仙沼』を、震災前の通りの町に戻らなくても、できるだけ元の良さを取り戻した状態で引き継ぎたいと考えています」

「復興に向かって行く中で、市民1人1人に『復興のまちづくり』に興味を持ってほしいです。気仙沼の復興には復興を進めていく市民の意識とチームワークが大切です」

高橋さんは市民に、「復興」を傍観者として見ているのではなく、積極的に「復興」に関わることを促しています。

「夢を忘れない・思いをあきらめない」と話す高橋さん
(平成25年11月28日撮影)

---気仙沼はどんな町ですか。これからどんなことが今以上に必要ですか?

気仙沼は、「山と里と海」がうまく共存している魅力的で住みよい町です。学生時代に経験した都会の生活は”人の顔”が見えませんでした。気仙沼に帰郷して感じたのは「この町は人の顔が見える温かな町だ」ということでした。
 気仙沼のすばらしい食材や地域の中にある文化について、もっとたくさんの人に知ってほしいと考えています。その思いから、ライフワークとしてスローフード運動にも取り組んでいます。
 震災前には、「スローフードフェスティバル」を2回開催しました。平成19年に第1回の開催は冬の中山間地域の廃校舎を利用した開催でした。1万人の集客を目標にしました。「1万人の集客は難しい」との声もありましたが、目標の集客人数を達成しました。
 第2回は、震災直前の平成22年秋に気仙沼市の中心市街地で開催しました。この時も2万人の人が会場を訪れました。いずれも予想を上回る人が訪れ、観光客だけでなく地元の人たちの関心の高さを実感しました。

「山と里と海の町」気仙沼風景
気仙沼の一番のバックボーンはこのすばらしい「景観」と「自然」、そしてそこに育まれて来た「人」「生活」「文化」です。
この自然に支えられているすばらしい文化のある町をもっと発信していきたいと考えています。
気仙沼の復興のためにも、もっともっと情報の発信能力を磨く努力が必要だと思います。

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高橋さんは、「森と里と海」の町をつくるために、持続可能な環境を実現する石油会社を目指しています。
そのために、廃棄処理される木々や間伐材などの木質チップを活用したバイオマスエネルギーの事業に取り組んでいます。
バイオマスエネルギー事業の先進国でも原料とプラントは分業化されていますが、気仙沼で取り組もうとしている事業は、森林から原木を切り出して搬出し、それを燃料化するプラントまでを一体的に手手掛ける、世界でも例の少ない取り組みです。
稼動すれば日本で初めてのプラントになります。

「バイオマスエネルギー事業は『生涯に一度、私に課せられた機会』」と、高橋さんはこの事業に取り組んでいます。

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「自分ができることに一生懸命取り組んだ結果、自分を偲んで多くの人が葬儀に来てくれるような生き方、生きた証を残したいですね。津波で壊されたこの町を一つずつ作っていくのが『復興』。時間はかかりますが、すべてが知恵比べです」
と高橋さんは笑顔で話します。

安波山から望む気仙沼湾の風景

震災から1000日。
地域を見つめ活動をしてきた高橋さんの目には次世代へ誇りある故郷を引き継ぎたいたいという強い思いを感じました。


(取材日 平成25年11月28日)

東日本大震災から1000日~復興へ!被災地を「人」で応援し続ける NPO法人ETIC~ (気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。

平成25年12月4日で東日本大震災から1000日を迎えました。
この間たくさんの人にお会いし、たくさんのご支援をいただきました。心から感謝しています。
未曾有の大震災と大津波から1000日。
 
これまでココロプレスで取材させていただいた中で、現在も「復興」に向けて努力されている方被災地に思いを寄せて下さる方々から震災から1000日にメッセージを頂いています。

その4人目は、NPO法人ETICの辰巳真理子さんです。

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NPO法人ETICは、次世代を担う起業家型リーダーの輩出を通じて社会のイノベーション創出に貢献している団体です。
震災後の平成23年5月から「震災復興リーダー支援プロジェクト」を立ち上げ、活動を続けています。
震災復興リーダー支援プロジェクトの主力活動である「右腕派遣プログラム」は、被災地の復興に向けた事業・プロジェクトに取り組むリーダーのもとに、その「右腕」となる有能かつ意欲ある若手人材を2年間で91のプロジェクトに162名(2013年9月時点)派遣しています。
今回は右腕派遣プログラムで、仙台、石巻、女川エリアのコーディネーターを務める辰巳真理子さんに被災地への思いをお話いただきました。

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震災翌日から復旧期に関わる役割をいただき、現在はETIC.が取り組む右腕派遣プログラムで主に仙台・石巻・女川エリアのコーディネーターを担当しています。
もともと東北にいらした住民の方、震災後に東北に入った方を含め、多くの人と出会い続けた1000日。
 
(株)気仙沼商会の高橋社長と辰巳真理子さん(右)
気仙沼にて

どんなに月日がたっても、一人ひとりで復興したと心から思える時機は違うだろうと思います。
その一人ひとりが大切にされるこれからの東北をつくる、支えるための人材を、これからもコーディネートしていきます。


女川町での右腕派遣プログラム
右腕派遣先との会議風景


私は、河北から雄勝に向かう北上川沿い(葦原がうつくしい)と、万石浦から女川に向かう海沿いの風景が好きです。宮城の食べ物の中では鹿肉とホヤとシドケが大好きです。


大すきな鹿肉カレー


                                                辰巳 真理子

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NPO法人ETIC.が続ける「震災復興リーダー支援プロジェクト」では、長期的に被災地で求められるであろう「人的資源」と「事業・プロジェクト」につなげていくことを、東北の各地で持続可能的に担える仕組みづくりにも取り組み始めています。
 
コーディネーターとして活動する辰巳さんは小さな体に大きなパワーを秘めた女性です。
被災地の復興を一生懸命考え活動し続けています。

(取材日 平成25年12月6日)

週刊ココロプレス 第66号

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ココロデスクです。

すっかり年末の風物詩となっている「今年の漢字」。
「漢字の日」の12月12日に発表された今年の第1位は「輪」です。

主催した日本漢字能力検定協会によれば、応募者が「輪」を選んだ理由は大きく分けて次の3つだったそうです。

・日本中が「輪」になって歓喜にわいた年
・人とのつながりの「輪」を感じた1年
・未来に向けた更なる実感、注目

2020年に東京オリンピック(五輪)の開催が決まったことも大きな理由ですが、東日本大震災とその後も世界各地で相次ぐ自然災害への支援の「輪」が広がっている、という思いを込めて応募した方が多かったようです。

確かに、震災と被災地への関心が薄れ、「風化」しつつあるという面は否定できません。
しかしその一方で、「輪」を広げ、「輪」を堅固にする動きも根強く頑張っています。

そうしたたくさんの「輪」を知っていただくために、これからもココロプレス一同、活動を続けていきます。

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宮城県が全国からいただいたご支援に対して感謝を発信するために、宮城県では「宮城から感謝をこめて」というホームページを設置しています。
現在、「石巻魚市場」「山元町災害公営住宅」「石巻市雄勝町のローズファクトリーガーデン」「南三陸町の長須賀海水浴場復活」の4本記事が掲載されており、これからも順次増やしていきます。

宮城から感謝をこめて
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/


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■イベント情報
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東日本大震災祈念特別展
11月16日~2014年1月13日
東北歴史博物館(多賀城市)
http://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/detail.php?data_id=499

いわぬまLight Up Dream(岩沼市) 
12月15日~2013年1月3日
JR岩沼駅西口
電話 050-3347-1518

高山外国人の方との震災報告会
~七ヶ浜と海外を繋ぐ希望の支援~
12月21日 10時~12時
七ヶ浜町中央公民館大会議室
七ヶ浜町社会福祉協議会・ボランティアセンター

マリンパル女川おさかな市場 年末大感謝祭(女川町)
12月21日~30日
マリンパル女川おさかな市場
http://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-13115
 
きたかみ復興市(石巻市)
12月22日
石巻市立北上中学校体育館
http://miyagi-kankou.or.jp/wom/o-12729
 
志津川湾おすばでまつり福興市(南三陸町)
12月29日
ベイサイドアリーナ特設会場
http://miyagi-kankou.or.jp/wom/o-13078

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  ■最近のダイジェスト (12月5日~12月16日)
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2013年12月5日木曜日
私たちが食べている「命」(石巻市釜谷針岡)
石巻市大川地区針岡で、40年以上も養鶏場を夫婦で経営してきた高橋芳男さん・貴久子さん。震災から半年後、たくさんの人たちの協力によって再開を果たしました。「ヒヨコがいないと寂しいんだ。身体を持て余すんだ。辞めるかなと思ったけど、仕事は生きがいなんだ!!」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html

2013年12月6日金曜日
元気発信中! 気仙沼復興屋台村2周年祭(気仙沼市)
11月23日。気仙沼市の「復興屋台村気仙沼横丁」で開設2周年を祝うイベントが行われ、仮設住宅入居者向けの「宅配弁当事業」の出発式、地元アイドルグループSCK(産地・直送・気仙沼)ガールズのステージ……と盛り上がりました。
事務局長・小野寺雄志さんからのメッセージは気仙沼、元気、気力、気合いの『気』です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/2.html

2013年12月7日土曜日
希望の赤い星。ありがとう「復興いちご」(山元町)
「今こうしてあるのは、1000人を超すボランティアの人たちや仲間、行政が背中を押してくれたおかげ」と、いちご農家「菅野園芸」の菅野孝雄さん。震災の年のクリスマスに間に合って奇跡のようによみがえったそのいちごは、「復興いちご」と呼ばれています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3202.html

2013年12月9日月曜日
「正しいと思ったことをする」(南三陸町 登米市)
「この者を南三陸町職員であることを証明する 南三陸町長 佐藤 仁」。コピー用紙に走り書きの「証明書」を手に駆け込んだ職員に、その店長は事もなげにこう答えたそうです。
「どうぞ、必要なものを必要なだけ、お持ちになってください」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7607.html

2013年12月10日火曜日
東日本大震災から1000日~気仙沼に通う日々の中で感じたこと~(from神戸市)
「被災者の方々が誇りと自信を回復して、まちづくりをがんばれるよう、応援を続けていきたいと考えています」
NPO法人神戸まちづくり研究所の野崎隆一さんから、「震災から1000日」の気仙沼へメッセージです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/1000from_10.html

2013年12月11日水曜日
いしのまき大漁まつり(石巻市)
「これからも一緒に歩いていこう!!」と山形県米沢市から来た株式会社いの食品の皆さん。10月20日に石巻のサン・ファン館で開かれた「第24回いしのまき大漁まつり」に、山形名物「玉こんにゃく」で出店していました。震災の前も後も、交流は変わらず続いています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_4936.html

2013年12月12日木曜日
明けない夜はない! 「ゆりあげ港朝市」グランドオープン!(名取市)
「やっとできましたぁ。これからもよろしく!」12月1日、「ゆりあげ港朝市」が、ようやく元の閖上港に戻って来ました。「かたちを変えながらも、夜は確実に明けていくんですね」熊本県から来てくれた方の、ステキなひと言です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_6560.html

2013年12月13日金曜日
LIGHTING OBJET 2013 「光と箱」(石巻市)
石巻と東京・お台場をつなぐこの灯りは、一つ一つ手作りのイルミネーション。東北と東京を光の箱でつなげようと石巻市内の仮設住宅で開かれたワークショップでは、子どもから大人まで「光の箱」作りを楽しみました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/lighting-objet-2013.html

2013年12月15日日曜日
次世代へ誇りあるふるさとを引き継いでいくために今できることを~東日本大震災から1000日~(気仙沼市)
津波で壊されたこの町を一つずつ作っていくのが『復興』。時間はかかりますが、すべてが知恵比べです」と笑顔で話す高橋正樹さん。燃料関係を扱う会社経営の傍ら、気仙沼市の震災復興委員会などでもリーダーを務めています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/1000.html

2013年12月16日
月曜日東日本大震災から1000日~復興へ!被災地を「人」で応援し続ける NPO法人ETIC~ (気仙沼市)
「東北をつくる、支えるための人材を、これからもコーディネートしていきます」復興に向けた事業やプロジェクトのリーダーをサポートできる有能な人材を派遣している、NPO法人ETICの「右腕派遣プログラム」。辰巳真理子さんからのメッセージです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/1000npoetic.html

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■編集後記

週末は仙台でも本格的に雪が降りました。
土曜日の夕方から降り始め、深夜ふと庭を見るとソーラーランプの上にも雪がこんもりと積もっていました。



それでもランプはけなげに、昼間のうちに蓄えた電力で幻想的な光で雪上を照らしていました。

(ココロデスク)

「ふかボーヤ」のいる店・みなみまち青空市(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。
いよいよ今年も残すところ半月を切りました。さすがに気ぜわしさを感じますね。
この時期に増えるのが交通事故。ドライバーの皆さん、交通事故には気を付けてください。

今年お世話になった方々へ、気仙沼の「珍しいもの」「面白いもの」を贈りたいと思い、気仙沼市南町にある「復興商店街南町紫市場」に探しに出かけました。
気仙沼復興商店街南町紫市場では、「地酒」「鮮魚」「精肉」「お菓子」など気仙沼のおいしいものが揃います。

中でも、気仙沼の面白いお土産が買えるお店が、南町紫市場にある「みなみまち青空市」です。

このお店ではオリジナルの「REBORN」Tシャツや気仙沼市観光キャラクター「ホヤぼーや」のグッズなどを販売しています。このほか、市内の20団体が製作している約300アイテムの商品が店内にたくさん並べられています。

大人気の「ホヤぼーや」グッズ

震災後、「みなみまち青空市」の経営をする高田一彦さんと高橋朋広さんは「生まれ変わる気仙沼」「よみがえる気仙沼」の願いを込めて露天で「REBORN」とプリントされた、Tシャツの販売を開始しました。
気仙沼に支援に訪れたボランティアや医療支援に来た方などが買い求め、口コミで広がり全国から注文が来るようになりました。

震災後オリジナルデザインで売り出した「REBORN」Tシャツ。
今も全国から注文がある「みなみまち青空市」の人気の商品です


震災後、気仙沼市の観光キャラクター「ホヤぼーや」も全国に知られるようになりました。
「みなみまち青空市」では、オリジナルのカラフルな「ホヤぼーや」Tシャツを販売しています。

「ホヤぼーや」Tシャツ

11月22日に発売開始した「ホヤぼーや」のデザインされたパーカーは、この時期の「限定商品」です。

期間限定で販売中の「ホヤぼーや」パーカー


 デザインを担当した代表の高田一彦さんは、
「着やすさなど機能性に優れています。老若男女たくさんの人に着てほしいです。販売開始から人気を博し追加発注をしました」
と話します。

商品のデザインを手がける高田一彦さん

一緒に事業を運営している高橋朋広さんは、
「パーカーへの取り組みは新しいことへのチャレンジです。閑散期へ向かう時期ですが、気仙沼にはこれからの時期にもおいしいものがたくさんあります。自慢できる場所がたくさんあります。たくさんの人に気仙沼に来てほしいです」
と話します。

「気仙沼のきてけらいん!」と話す高橋さん

取材する私のために、高田さんがディスプレイ用のホヤぼーやの帽子をかぶってくださいました。その姿を通りかかった親子連れが見付けて、とても楽しそうな笑顔でその姿を見つめていました。
高田さんも高橋さんもとても楽しい方でした。



店内は市内外のお客さんが楽しめる構成になっています。船の帆を作るときに使う丈夫な布を使ったバックや大漁旗の柄の小物などもたくさんあります。




そしてこれは「ふかボーヤ」です。ご存知でしたか?

独特の姿をしていて、気仙沼市の非公認キャラクターを狙う? とても面白いキャラクターです。

ひそかな人気の「ふかボーヤ」

「ふかボーヤ」ストラップやキーホルダーなどは、一味違う「気仙沼の土産」にとても面白いと感じました。

(取材日 平成25年12月2日)

「こころをひとつに」の思いをカタチに~東北イラストレータズクラブ~(仙台市)

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こんにちはエムです。


こころをひとつに』の思いをカタチに
メンバーの1人1人が希望とガッツを込めて描いたイラストを
ひとつの形にデサインしたシンボルマ-ク
(平成23年制作 デザイン/ナコさん)

仙台・東北を中心に活躍しているプロのイラストレーターで構成される団体
「東北イラストレーターズクラブ」〈Tohoku Illustrator's Club〉 (以下TIC「ティ・アイ・シー」)による東日本大震災復興応援活動
「だいすきとうほくTICプロジェクト」
が生まれたのは東日本大震災直後の平成23年4月下旬。
多くの人が何かしなければと活動を始めていたさなかに発足しました。

TICは会費制の団体ですが、活動は基本的にメンバーのボランティアにより運営されています。「だいすきとうほくTICプロジェクト」もメンバーの中の数名が主体となって無償で行っている活動です。
その中心となっている佐藤勝則さん、ナコさん、KIKUCHIちゅん吉さんにお話をお聞きしました。

左からナコさん、佐藤勝則さん、KIKUCHIちゅん吉さん

震災後、多くの地域では1カ月以上にわたりガスや水道は止まったまま。食料の確保も難しい状況の中、生きることに精一杯の日々を過ごした私たちですが、イラストを描いて生活しているイラストレーターはさらに厳しい現実に身を置いていました。
イラストレーションとは主に広告などの媒体で使われる絵の総称ですが、震災後は仕事量が激減するのが予想されました。
イラストレーターはそんな不安な気持ちと、(被災したメンバーもあり)震災のショックで、イラストを描く意味を無くしたような無力感を抱いていました。

そんな気持ちにさいなまれながらも、自分たちより深刻な沿岸部の被災地復興のため何かしなければと思ったメンバーの呼び掛けで「自分たちだからこそできることがあるはず」と、イラストレーターならではの復興応援プロジェクトを立ち上げることを決めました。
そして生まれたのが、「だいすきとうほくTICプロジェクト」(以下「だいすきとうほく」)です。


平成24年制作のクローバーのシンボルマーク
「幸せの四葉のクローバー」をモチーフに、野に広がっていくイメージを表現
(デザイン/阿部拓也さん)

「その頃、ちまたには『がんばろう』とか『支援』とか『ボランティア』とかがあふれていて、そんな言葉に少し疲弊を感じていたんです。タイトルの『だいすきとうほく』はそんなメンバーの気持ちを反映し、当時メンバーだった木村良さんが名付けてくれました」とナコさんは当時を振り返り言いました。

24人(当時)のメンバーそれぞれが描いたイラストを集めたシンボルマークは使用権フリーにし、復興支援のツールとして積極的に使っていただけるようにネット上で発信。
シンボルマークを使ったTシャツや缶バッジ、エコバッグなどのオリジナルグッズに展開し、ネット通販ショップで販売を開始しました。その売り上げは全額が募金されています。

他にも、使っていない画材を集める窓口となり、避難所の子どもたちに届ける活動をしました。届ける傍ら、似顔絵を描いて喜ばれたこともあったそうです。
メンバーが手作りした募金箱を持ち、仙台駅前や一番町商店街などの街頭で募金活動をしたこともありました。
「その頃はみんな何かやってないとたまらない気持ちだったと思う。このシンボルマークもそんな当時の気持ちを反映して、何か訴えるような力強さもあるし、目を引くかわいらしさも兼ね備えた良いものだと思う」
とナコさんが言うように、確かにハートを形どったシンボルマークが入ったグッズは思わず手に取ってみたくなりますね。しかも震災関連とは思えないかわいさ。
実はわたくしエムもTシャツを持っているのですが、それを着ていると「それかわいいわね。どこで買えるの」と声を掛けられたことが何度もありました。

「エコバッグ、Tシャツ」などTICが展開しているネット通販でのオリジナルグッズの他、
美容関連のノベルティグッズ(ロレアル株式会社)、書籍「明日へ」ブックカバー(NHK出版)、
東北幸福パンの缶詰プロジェクト(高島屋オンラインストア)、カレンダーなどに使用され
商品化されたシンボルマーク(撮影/ナコさん)

「『だいすきとうほく』の活動を始めた初年度はたくさんの反響をいただきました」
そう語るTIC事務局代表の佐藤勝則さんは、平成23年と24年の2年間「だいすきとうほく」の代表も務め、自分の仕事の傍らその対応に尽力してきました。

シンボルマークを使いたいとの打診の他、イベントへの協力依頼、企画の参加者募集やTICメンバーへのイラスト依頼など初年度は50件を超える問い合わせがあり、佐藤さんはその都度メンバーにメールを送ったり、担当を決めて窓口になってもらうなどの対応をしてきました。
ややもするとその作業だけで何時間もかかる時もあり、このプロジェクトがスムーズな活動をしてこられたのには佐藤さんの存在は欠かせない、大きなものでした。

一番町での募金活動をするTICのメンバー
(画像提供/佐藤さん)

また、TICでは毎年クラブ展を行っていますが、平成23年のクラブ展では復興への共感をできるだけ広げるため、「だいすきとうほくポスター展」を開催しました。
復興への願いを込めたB2判のポスターはデザイナーやコピーライターと組んだ作品もあり、見応えがありました。
その作品はその後、仙台市の一番町商店街で開催した「クラフト展」に展示されたり、10月には、かねてから親交のあった「北海道イラストレーターズクラブα」の皆さんの協力で、札幌デザイナー学院での巡回展示も行われました。

東北工業大学一番町ロビーギャラリーで開催された
「だいすきとうほくポスター展」(画像提供/佐藤さん)

シンボルマークはその後、平成24年版と、今年25年版が制作され、同じように使用権フリーで展開されています。
「シンボルマークは基本的にハートがメインですが、TICのメンバーに変動があるので結果的に毎年作っています」と今年25年「だいすきとうほく」代表を引き受けているナコさん。


平成25年制作の太陽のシンボルマーク
「笑顔の集まる太陽」がモチーフ
みんながにっこりなれるようにとの思いが込められています
(デザイン/ナコさん)

そんな流れがあったとはいえ、ハート・クローバー・太陽とバリエーションが増えたのは、選ぶ立場からすると楽しい展開です。
それにしても、2人の小さいお子さんを持つママでもあるナコさんは、仕事と育児、さらにTICの活動をサラリとこなしているように見える、すごい方だと感じました。

このような活動を展開している「だいすきとうほく」ですが、確実にアクセス数は減っていると佐藤さんは言います。
「震災から3年目の今年になると急激に問い合わせが減りました。徐々に関心が薄れているのは否めません。それにメンバーの中でも温度差が生まれています」
佐藤さんを中心とした「だいすきとうほく」のメンバーはそんな危機感を持っていました。
しかしそれは、復興支援活動に携わる多くの方々が同じように感じていることではないでしょうか。

震災から3年目の今まで行ってきた活動ですが、来年の3月以降はどう展開してゆくのか、あるいは形を変えて展開するべきなのか。この活動は必要とされているのか、または必要とされていないのか。
目には見えない大きな節目がそこにあり、復興支援活動の真価を問われているように感じる方は少なくないはずです。

オリジナルTシャツを着て募金活動をするメンバー(画像提供/佐藤さん)

「しかし被災地として、そして震災を風化させないためにも発信は必要です。どのような形になるのか、いつまで継続するのか、今の段階では何も言えませんが、この『だいすきとうほく』は続けていきます」と佐藤さんは言いました。
「私たちの体験も、何かの形で記録として残したりするのも必要かもしれません。記録はたくさんあった方が良いと思うのです」
アイディア豊富なKIKUCHIさんにはまだまだやりたいことがあるようでした。

「だいすきとうほく」の活動での義援金は平成25年現在、合計で349,187円。
内訳は、平成24年11月までに日本赤十字協会に寄付した金額313,500円。残りは地元に直接寄付したいとのメンバーからの要望で、石巻市で、被災した子どもたちのための支援活動を行っている「NPO法人にじいろクレヨン」さんに35,687円の義援金を届けています。

「NPO法人にじいろクレヨン」さんはメンバーのKIKUCHIさんが縁あって平成23年にボランティアとして通った場所です。TICではこれからもいろいろな形で支援協力を続けていく予定だそうです。
(「NPO法人にじいろクレヨン」http://nijiiro-kureyon.jp/)

「これからも活動し続けます」
元気で楽しいTICの雰囲気が伝わってくる取材でした

「だいすきとうほく」のシンボルマークはボランティアや復興支援目的の活動、またはウェブ上で使っていただくものに関しては、自由にダウンロードして使えます。
仙台のイラストレーターが発信するこの温かなメッセージは、多くの方が多くの場所でどんどん使っていただくことによって、震災を風化させない大きな力になることでしょう。

なお、企業が販売目的で使いたい場合は、お問い合わせの上、使用料をご検討ください。
使用料は、募金や復興支援のためにTICが責任をもって活用させていただくそうです。


「だいすきとうほくTICプロジェクト」の詳しい活動は下記のサイトで見ることができます。シンボルマークをお使いにある場合はこちらからダウンロードしてください。
オリジナルグッズもこちらから購入できます。
http://www.daisuki.illustrons.com/

お問い合わせ先/
東北イラストレーターズクラブ公式ウェブサイト内〈CONTACT〉よりお入りください。
http://www.illustrons.com/

高島屋「東北幸福パンの缶詰プロジェクト」
[高島屋オンラインストア]
http://www.takashimaya.co.jp/shopping/special/0950000112/

(取材日 平成25年12月6日)

テニスで愛をつなげたい~Project Love All~(気仙沼市)

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こんにちは。kaiiです。

真冬の今になって、夏の出来事の報告になりますが、とても「愛」のある温かいイベントでしたので
みなさんにご紹介したいと思います。

平成25年8月24日、気仙沼市九条で市民(硬式)テニス教室が開かれました。
この教室は、平成24年3月11日にアメリカのシカゴ市で発足した「Project Love All」が、宮城県と岩手県の一般市民対象に、「テニスを通じて元気になってほしい」と開催したイベントです。


夏に、お知らせ記事を書きました。
2013年8月19日月曜日
<お知らせ>Love all 「復興へ!テニスを通じて新しいスタートを」(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/08/love-all.html

テニス初体験コースには20人ほどが参加しました

気仙沼市では、一般市民向けと学生向け、子どもたち向けの教室が計4回開催されました。
講師は、Project Love All 代表の今井誠さん、大阪で活躍するプロテニスコーチの吉田賢志さん、村上崇さん。中木 政史さんです。


指導するコーチ陣とプロの指導を真剣に聞く参加者
気仙沼テニス協会の小山克夫会長は当日まで「天気と暑さと参加人数が心配です」と話していましたが、老若男女を問わず45人の市民が参加しました。
心配していた天候も午後6時の開催時間には夕焼けがきれいな空になり、気温も下がって運動するのには適当な環境になりました

参加者全員で記念写真
Project Love All 代表の今井誠さんは、
「海外に住む日本人として少しでも復興の力になりたいと願って活動を始めました。シカゴや大阪府枚方市で同じ気持ちを持った仲間が集まり、テニスを通じて復興支援活動をしています。このような活動を通じて、東北の方々と交流ができ、シカゴや枚方の仲間も元気を東北の人たちからいただいています。これからも皆で楽しくテニスを通じて交流を深めていけたらと思っています。


テニスを全くしたことがない方でも、気軽に参加してテニスの楽しさを知ってもらえる場を作っていきたいと思っています」
と話します。

テニスを楽しむ参加者たち

ラケットを持っていない人には無償でラケットが貸し出され、体験コースの人たちも1時間ほど練習をすると、コートで上手にボールを打っていました。参加した人たちは和気あいあいとテニスを楽しんでいました。

参加者全員にプロ用のグリップが記念に
プレゼントされました
大阪のスポーツ用品店からは、「練習に役立ててほしい」と、ラケット、ボールなどのテニス用品が気仙沼テニス協会などに贈られました。

「愛をとどけたい」と代表の今井誠さん(左)と
中木政志さん(右)
「これからも東北と世界各地をつなげていけるような活動を続けていきます。テニスコートで多くの方々の交流が始まる空間を作れるよう、『Project Love All 』活動を続けて、たくさんの笑顔と『Love』 を広めていきたいと思います」
と今井さんは話しました。

高校生の部活以来数十年ぶりにラケットを持ったと話す
参加者の女性もいました
市内から参加した女性は、
「高校卒業後久しぶりにラケットを持ちました。明後日あたり筋肉痛かもしれません。とても楽しい時間です。また参加したいです」
と笑顔で話しました。

熱心に指導する吉田賢志さん
コーチを務めた吉田賢志さんは、
「気仙沼でテニス教室をこれからもさせていただきたいです」
と話し、この後も個人として1カ月に1回くらい気仙沼を訪れテニス教室を開いています。

数十年ぶりにテニスをしたという女性は、この教室がきっかけでまたテニスを楽しんでいると話しています。

スポーツを通じて笑顔が広がっていくと良いと思います。

(取材日 平成25年8月24日)

この思いを届けたい~ママたちのネットワークで支援の大きな輪[前編](仙台市)

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「自転車が欲しいんです」

東日本大震災の直後、被災地に行って何か必要な物はないかと尋ねると要望が多かった自転車。
自転車があれば、支援物資をもらいに行ったり運んだりする時や、遠くにしかないお店に買い物に行く時に助かる。
自転車があれば子どもの送迎ができる。
その気持ちが分かるのは、同じ子どもを持つお母さんでした。

こんにちはエムです。


これは、仙台市の向山幼稚園に通う子どものお母さん有志が立ち上げた小さな支援活動グループ「仙台チャリティバック」が起こした奇跡のようなお話です。


サイズも豊富な子供用のTシャツ

平成23年、震災直後に立ち上げた「仙台チャリティバック」は、中心となっているスタッフは7名の小さなグループですが、実際に今まで被災地に贈った自転車の数は52台。
それは全て、オリジナルのチャリティアイテムの売り上げで購入した新品の自転車です。

チャリティアイテムといっても、「Tシャツ」「エコバック」の2種類。このアイテムだけで売り上げ総数2,500点は驚きです。サイズや色は豊富ですが、震災関連のグッズがあふれていた中、これだけの実績を残せたのには何か特別な方法があったのでしょうか。

震災後、多くの人は自分にできる支援をしたいと考え、実際に本当にたくさんの方が被災地に足を運んでボランティア活動をし、復興に大きな力を貸してくださいました。今でも活動を続けている人もいます。その力は大きく、あちらこちらで感謝の声が絶えません。
しかし中には、ボランティアには行けないけど、何かしたいと考えている人もまた、たくさんいたのです。

「仙台チャリティバック」代表の丸田智子さんもそんな1人。
震災後、実家のある横浜に一時帰省していたときも、教会学校で働く丸田さんの妹さんが「NPO法人ラブネイバーズ」(※現在東日本大震災への支援活動は休止中)の一員として支援物資を被災地に届ける活動をしていました。丸田さんもその手伝いをする中で、自分のような小さな子どもを持つお母さんが、仙台でできる支援とは何だろうと考え始めました。


始まった当初は生成りの大・小のエコバックのみでしたが
現在、紺色の大きなバック、赤い小さなバックが増えました

 震災1カ月後の4月、仙台に戻った丸田さんは、同じ幼稚園のママ友である毛利花恵さん、伊藤奈美さん、佐藤日出子さんに相談しました。
「私たちはまず幼稚園に協力をお願いし、幼稚園の保護者宛ての手紙で支援物資の提供を呼び掛けました」

集まった支援物資を、当時石巻を拠点に支援活動をしていた「ラブネイバーズ」まで届けながら、ボランティア活動にも参加した丸田さんと佐藤さんは被災地の現状を目の当たりにしました。その時、「ラブネイバーズ」が現地で集めた “欲しいものリスト” の中に多くの「自転車」を見つけた丸田さんたち。
当時、支援物資として中古の自転車は届けられていましたが、なかなか自分に合う自転車が見つけられないとか、すぐに壊れてしまったという話も聞いたそうです。

「『自転車を届けられたらいいよね。できれば新品で』という話になったんです」丸田さんは続けました。
「でも、どうしたら自転車を買えるのか、親子自転車っていくらくらいするのかさえよく分からない状態でした。でも震災後不便な生活をしている方が多い仙台で、募金活動をするというイメージは浮かばなかったんです。じゃあどうしたらいいだろうとみんなで相談したんです」


大人用もサイズはいろいろ。50色ものバリエーションがあるTシャツ
売り上げから印刷代や諸経費を引いた額が支援金になっています

そんな話し合いの中で、チャリティーアイテムを作って売ってはどうかという案が出たそうです。
「『復興』とか『がんばる』とかが入ったものではなく、身近な物で、なおかつ自分たちが欲しい物を作ろうという事になったんです」
丸田さんの話に、皆さんうなずいていました。

そんな時、毛利さんの元に、震災で大きな被害にあった印刷会社「株式会社カネヒロ」から、アパートを借りて印刷業を再開したとの連絡が入りました。「株式会社カネヒロ」は自営を営む毛利さんの取引先で、ユニフォームなどを作っている会社。
チャリティーアイテムを「1枚からでも引き受ける」という快いお返事をもらいました。心強い印刷屋さんが現れたことで、少しづつ方向が見えてきました。これはまた、アイテムの注文を出すことで被災した「株式会社カネヒロ」を応援することにもつながります。

毛利さんが言いました。「じゃあ、何を作るかという話の中で、身近な親しめるものが良いと。そんな時、幼稚園の葉書やポスターで親しんでいたイラストが入った物を作ったら良いんじゃないかと思いついたんです」



「そうそう、あの絵かわいいよねって話になって」
丸田さんが引き継ぎました。
「それに、ママが買いたいと思える物でなくちゃ。それがあのイラスト入りの『エコバック』と『Tシャツ』だったんです」

そのイラストは平成17年に作られた向山幼稚園のオリジナルポストカード、3枚の中の1枚。
それはかつて向山幼稚園に通う園児の保護者であり、平成17年当時には職員だったイラストレーターによるもの。

「幼稚園の副園長先生にお願いして連絡してもらい、イラストの使用許可をいただきました」

5月には、ここまで具体的な形にまとまるという早さについて、全て “思いつき” と “インスピレーション” と言い切る、お母さんならではの思い切りの良さと実行力に驚きを覚えました。

その後の売り上げ、被災地に贈った自転車の数は先に記した通り。その展開についてお聞きしました。

「6月に幼稚園が開催した『チャリティバザー』に出店したのが始まりです」
「あの時は事前に普段お付き合いのあるママ友たちにバザーの出店の案内メールを出しました。それぞれ生活があるお母さんの私たちには、在庫を抱えるリスクは負えないので、予約注文という形をとりました」
「でも当日は注文してくれた人が買ってくれただけではなくて、実物を見て買うと決めた人も多く、自分たちの予想を大きく超える売り上げがあったんです」

その時の様子を口々に語るメンバーの皆さんの様子を拝見していると、当時の熱気が伝わってくるようでした。
1回目の販売、「チャリティバザー」の収益ではなんと9台の自転車を届けることができたそうです。
また自転車の売上を地元にも還元するために、被災した石巻の自転車屋さんの再開を待って、その自転車屋さんに納品してもらっています。

「仙台チャリティバック」のその活動は、その趣旨に共感したお母さんからお母さんへ、向山幼稚園の保護者同士のネットワークを飛び越えて、厚木市や川崎市の幼稚園や東京の教会などにも話がつながり、1年目で47台もの自転車を届けられました。アイテムは現在でも売れ続けています。

平成23年6月5日仙台市向山幼稚園「チャリティバザー」
初出店当時Tシャツはグリーンの1色のみでした(画像提供/丸田さん)

それはメンバーの皆さんの予想をはるかに越えた反響でした。
「やはり、東北のために何かしたい。そう考える人が多いからではないでしょうか。それに実際に自分たちが欲しいと思える物を作ったのが良かったと思いますね。声を掛けると手伝ってくれるお母さんもたくさんいるので、その気持ちは同じだと思います」

丸田さんをはじめ、他のメンバーも毎日エコバックを持ち、事あるごとにTシャツを着るそうです。そして偶然、全く知らない方がエコバックを持っているのを見つけると、思わず声を掛けてしまうこともあるそうです。


今まで、このチャリティーアイテムをたくさんの方が手に取ってくれたのは、このようなお母さん同士のネットワークによるもの。「子育て」という同じ体験をしているからこそ分かる気持ちがあり、そこから信頼関係が生まれ、心と心がつながってできているそのネットワークの大きさを、この活動を通してあらためて知ることになった私たち。
それはお互いを思いやる暖かな絆とも呼べるのではないでしょうか。


平成25年11月4日神奈川県相模原市翠ヶ丘教会・幼稚園でのバザーに出店
(画像提供/丸田さん)

心から心への暖かな気持ちは自転車を手渡す時にも活かされています。
自転車を要請された方に直接電話して、なるべくその方の希望に添ったものを、自分たちで実際に自転車屋さんに行って購入しているそうです。しかも防犯登録までして届けるという徹底ぶり。希望によっては雨を防ぐカバーを付けたり、子供用のヘルメットを付けた事もありました。
自転車を受け取った方からは

「いままでたくさんの中古の自転車が(被災地に)届いたけど、自分に合ったものが無かったので嬉しい」
「でこぼこ道を子どもを乗せて走るのに、新しい自転車だと助かります」
「自転車の防犯登録までしてくださるとは本当にありがたいです」
「ありがとう。こんなきれいな色の自転車が届くとは思わなかった」
こんな感謝の言葉が届いています。


平成25年からは7人になったメンバー。左から代表の丸田さん、毛利さん、高須さん、伊藤さん、
鎌田さん、加藤さん、佐藤さん。今年から新しいアイテム「エプロン」が登場
(平成25年12月7日 仙台市向山幼稚園『キリストこども市』)

小さな子どもを育てながらのお母さんたちが始めた支援活動は、初めは小さなものでしたが、いくつもの偶然といくつもの出会いを生み、大きな支援の輪につながりました。この奇跡のようなお話は転機を迎える後編へと続きます。

オリジナルグッズは下記のサイトから購入できます。
[仙台チャリティバック ブログ]
http://sendai5mama.blog.fc2.com/

(取材日 平成25年12月7、8日)

大切な人のHEROになる(石巻市)

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こんにちは、Chocoです。

「企業理念」
そこに書かれているのは、使命だったり、志だったりします。
そして、なぜ自分たちはここへ集まったのか・・・時間が経つにつれて薄れていても読み返すと再度背中をポンと押されるものです。

多くの人々がさまざまな場所で目にしているのではないでしょうか。
私がよくお邪魔する所にもすてきな「企業理念」がありました。

「大切な人のHEROになる」

「お客さんに『明日まで間に合わなきゃだめなんだ』と言われたときにきちんと仕事ができたら、お客さんにとってのヒーローだよね」

そう話すのは、ビヨンドの代表、斉野浩一さんです。
子どもの時に憧れたヒーローは、時代によって違うと思いますが、どのヒーローも正義の味方で、子どもたちのあこがれの的でした。
そんなかっこいいヒーローを目指す経営理念が、こちらです。

「ビヨンド」の企業理念
斉野さんは仙台の専門学校でグラフィックデザインを学び、卒業後は仙台の大手印刷会社に10年以上勤めました。その後、石巻に戻った後も印刷会社に勤め、1999年には独立し「ビヨンド」を立ち上げました。
それから12年後の2011年2月に、努力を積み重ねた結果、「印刷館」を開店することができたのです。

震災前の2011年2月に開店した店舗「印刷館」(石巻市鹿妻南)
海岸から約2km離れている石巻市の鹿妻地区にこの事務所兼自宅がありましたが、そこにも津波は押し寄せてきました。
近くの山へ避難した斉野さんは、翌日、今まで住んでいた街の姿が変化しているのを目の当たりにしました。
開店から1カ月も立たない店内は荒れ果てていました。
一度は辞めようと考えた斉野さん、
「諦められないよね・・・」

小さい頃から絵を描くのが好きで、人の似顔絵を描いたり、キャラクターを描いていました。それを見て喜んでいる友達を見て、斉野さんはとてもうれしかったそうです。
それが今の仕事にもつながっているんだと言います。
それは、自分の「生きがい」でもあるのです。
それからは、少しずつ前進していくことを決め、それを家族が応援してくれたそうです。

私がイメージする斉野さんは、夜中も毎日のように仕事をしているイメージだったので、身体を心配しましたが、
「好きなことだから、仕事と感じないんだ。人には休んだらと言われるけど、仕事をするのは楽しいんだ」
だから大変だという気持ちはないそうです。

たくさんの場所に足を運ぶ中で、「つながり」を大切にしているそうです。
どんな出会いがあるか分からない。
そのつながりでできたものの1つに、はぁーとふる石巻のカレンダーと年賀状があります。
これは、石巻の写真家阿部美津夫さんとChocoの文字がコラボレーションしている作品です。この2人をつないでくれたのも斉野さんでした。

そして、今年も年賀状とカレンダー販売が開始されています。
昨年、ブログでも紹介しました




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実は、私も斉野さんに助けられた一人なんです。

ある日、ボランティア活動で仮設住宅の皆さんに配るチラシを1000部必要としていました。
「印刷屋さんが近くにあったよ」
というスタッフの言葉を聞き、印刷館へ向かいました。
それは去年の春でした。
そのときは印刷館も被害を受けた1階を改装していました。
後から聞いた話ですが、
開店はしていたものの、コピー機がなかったそうです。
それでも、
「いいですよ」
と二つ返事で答えてくれました。

快く引き受けてくれた斉野さんは、それから近くのスーパーへ走り、1000部コピーをしてくれたのでした。
そして、私が取りに来た時には、1000部揃っていました。
「助かったー」
困っていた私を助けてくれた斉野さんは、まさにヒーローでした。
「大切な人のHEROになる!」
斉野浩一

たくさんの人のヒーローになってくれる斉野さん。
beyond Design Office震災後に作られた「経営理念」
それは、仕事の枠を超えて、人と関わる中で、とても大切なものでした。
これからも、斉野さんは走り続けます!!

はぁーとふる石巻 
カレンダー→https://ishinomakiya.com/2014calender1/
年賀状→http://insatsukan.jp/shopbrand/002/X/

(取材日 平成25年11月27日)

東日本大震災から1000日、3266の灯火 1(石巻市)

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こんにちは、chocoです。
1000年に一度と言われた大震災から、1000日が過ぎました。
2013年12月5日が、震災から数えて1000日になります。


石巻市門脇町にある「がんばろう!石巻」の看板前で灯が灯されました。
※震災からちょうど1カ月後に、黒澤健一さんの住居兼店舗があった跡地に「津波には負けたくない、そして、 元気を出せないでいる地域の皆さんを励ましたい」との想いから、「がんばろう!石巻の会」が、この看板を 建てました。


「変わってない」

「まだまだ・・・
瓦礫が片付いたからいくらか良くなったのかな。
ぎっしり建っていた住宅や商店がなくなって、
知らない土地に来た気がする。
病院も街もなくなって・・・
人がいないというものは寂しいね。
子どもがいないから、シーンとしている・・・
みんな、街の方に行っちゃったもんね」

門脇に住んでいた、2人のお母さん方に声を掛けました。
2人共、家を失い、現在は仮設住宅に暮らしています。
1人のお母さんは旦那さんをこの震災で亡くしました。
旦那さんとの思い出がたくさん詰まった場所でもあるこの地に今回、足を運びました。

「ふだんは、来られない。思い出してしまうから・・・
けれど、節目。
・・・みんながこうやって企画してくれた、本当にありがたい。
灯を見ながら、旦那に『来たよ』と言った」

当日、多くの人が集まり、灯を見つめていました。
静かに、そしてゆっくりと流れていく時間の中で、多くの人々が手を合わせ、震災で亡くなられた方々のために、祈りを捧げました。

この「東日本大震災1000日追悼の灯り」は、今年の5月から実行委員長の黒澤健一さんを中心に企画されたものです。
11月には、会場となった黒澤配管工業(「がんばろう石巻」看板)の土地を中心に草刈りが行なわれました。
今回、石巻市の犠牲者数に合わせた3266個の灯籠が用意されました。
この灯籠も地元住民を中心に作られたそうです。
そして、当日のレイアウトを石巻高等学校の1年生の美術部がデザインしました。
3.11から、いろんな想い、いろんなつがり、いろんな広がりを表現して、現在に至るというデザインが敷地一杯に表現されていました。






「この灯りは、1000日前、3月11日にお亡くなりになられた方の追悼の想いと生き残った私たちが頑張ろうとする想いを込めて行う想いを半年前にしました。
皆さんに協力してもらいながら、今日開催することができました。
本当にいろんな方が命を亡くされて、悔しい想いだったり、悲しい想いを乗り越えて、1000日になりました。
いろんな想いが入り交じった1000日でありますが、生き残った私たちが前に1歩進んで行く・・・これが、亡くなられた人への自分たちのできることではないかと感じ、今日追悼の催しを行なわせていただきました—。
復興に向けて一つ一つ自分たちができることをやっていきたいと今日改めて決意しました。お集りの皆様、本当にありがとうございました」



仮設住宅に移り3度目の年越しが近付いています。
知らない顔だらけだった近所も、今ではお互い励まし合い、支え合える存在になっています。
一方で、未だにプライバシーがない環境にストレスを持つ人々もいます。
そして更に、高台移転が未だに決まらない地域もあります。
高台移転場所が決まっても着工がまだという地域もあります。
それが、1000日過ぎた被災地の現状です。

(取材日 平成25年12月5日)

被災蔵を新造、新機軸の酒造りに挑む(前篇)  萩野酒造株式会社(栗原市金成) 

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YUUです。

栗原市にある東北本線宮城県北限の駅、有壁駅。

下り列車の次の駅は岩手県一ノ関ですが、上り列車の隣駅も岩手県の清水原駅なんですね。私はつい最近になって知りました。

石越駅から一ノ関駅間のように宮城(石越)ー岩手(油島、花泉、清水原)ー宮城(有壁)と県境を3回越えるような例は、本線系の路線ではここだけだといいます。
 


栗原市金成(かんなり)有壁上原前にある有壁駅
この有壁駅からほど近いところにあるのが今回の記事の取材先です。




昨秋竣工した萩野酒造の新蔵
免震構造で現代的な酒蔵に不可欠な空調設備を備えています


真新しい体育館のような建物は実は酒蔵です。

日本酒「萩の鶴」、「日輪田」の醸造元、萩野酒造株式会社(以下・萩野酒造)は創業天保11年(1840年)。この金成(かんなり)有壁の地で170年ほどの歴史を育んできました。

栗原市金成一帯は内陸部で、東日本大震災の津波による被害こそありませんでしたが、地震の揺れによる被害は甚大で、蔵には亀裂が入り、建物そのものも傾いてしまったそうです。

「2011年の冬の造りは建物に応急処置をして何とか旧蔵で乗り切りました。しかし、作業を続けるなかで、もう一度大きな地震があったらこんどは人命に関わる。この地でこれからも酒造りを続けていく以上、被災した蔵での酒造りは限界だと感じて、蔵の新造を決断しました」

こう述懐してくれたのは、萩野酒造の8代目蔵元でもある佐藤曜平専務取締役。

新蔵では仕込み室の動線もゆったり。死亡事故につながる作業中の転落を防ぐために、
タンクの高さもきちんと考えられています。旧蔵ではタンクをのぞく時に足場がおぼつかなることもあったとか

萩野酒造は2008年の岩手宮城内陸地震でも大きな被害を受けています。

「旧蔵は何分古い蔵だったうえに、大きな地震による被害を度々受けて、増改築を重ねていました。そのため、作業上の動線が悪く、色々と非効率な面を感じていたんです。新しい蔵は、まず、その見直しを行いました」

新造された蔵は、限られた人数の蔵元が効率良く作業を行えるように動線も余裕を持って設計されています。また、仕込み室、酒母室、搾り室のいずれも室温を自動的に感知するセンサーを取り入れるなど、完全空調化したそうです。

酒蔵の心臓部ともいえる麹室(こうじむろ)。杉板の木目も美しい

新しい蔵の中を曜平専務の弟さんでもある蔵人、佐藤善之さんが案内してくれました。

昔から「1麹、2もと、3造り」と言われるように酒蔵の心臓部ともいえる麹室(こうじむろ)。

節がない壁の木目が美しく、室内に入っただけでなにか荘厳な雰囲気に包まれるようです。

「麹室は寒冷期でも室温を30℃以上に保温する必要があります。室内では大量の水分が蒸米から蒸発するので、床、天井、壁を断熱構造にしたうえで、効率的な専用の換気施設を設けなければなりません」(善之さん)

天井に設けられた麹室の換気口
宮城県北部伝統の火の神様である「釜神様」が迫力のある容貌で見守っています
麹室での仕込みは、高温、多湿の部屋のなかで2昼夜にも及びます。

肉体的に重労働だというだけではなく、蒸米に麹菌の胞子をつける繊細なさじ加減、蒸米を冷ましたり、また、種麹を降った後に麹の温度がどんどん上昇するときの微妙な温度調節など、片時も気を抜く暇のない、神経をすり減らす作業です。

「製麹(せいきく)の作業では、本当に温度管理が重要なんです。単純に室内の温度を一定に保てば良いというものではなく、蒸米の温度が場所によってばらつきがあるようでは困ります。高品質を追求するほどに機械まかせにすることはまず不可能で、人が手を入れて、蒸米をほぐしたり、微妙な調整をしなければなりません」

麹室は、ある意味、蔵の顔が浮かび上がるような場所です。

新、改築する場合には、多くの蔵元が、酒造りに対する思い、そのこだわりの部分を専門の業者に伝え、発注するといいます。萩野酒造の場合も、もちろん例外ではないことが、曜平さん、善之さんの話を聞き、真新しい麹室に足を踏み入れただけで伝わってきました。

萩野酒造の醸す2銘柄「萩の鶴」、「日輪田」(提供・萩野酒造)
ラベルを見ても、良いお酒の「たたずまい」を感じます

純米酒、純米吟醸酒などの特定名称酒を愛飲する地酒ファンの支持を年々集めている萩野酒造が醸す酒、「萩の鶴」、「日輪田」。

萩の鶴の酒名は、元々、蔵の一帯が萩野村だったことに由来するといいます。萩野村を含む3つの村が合併して金成(かんなり)町となり、金成町を含めた栗原郡全10町村が2005年に広域合併して、栗原市となりました。

「先祖代々受け継がれてきた『萩の鶴』の名前には愛着があります。言葉の響きも好きですしね」

一方、日輪田は、10年前、全量純米造り、特約店限定卸しでスタートした銘柄。短い期間で、東京都内など宮城県外での販路を開拓してきました。

「都内の酒販店さんから、『日輪田さん』と呼ばれるようなこともありました。自分が中心となって始めた銘柄ですから認知度が上がることは嬉しいことです。一方で、2つの銘柄が並列することによって『萩の鶴』の名が埋没してしまうようなことは、本意ではありませんでした」

量を売るための拡大戦略ではなく、蔵元自らが美味しいと思うような日本酒、「良い日本酒」を造ることにかじを切ってきた酒蔵の多くは、慣れ親しまれてきた銘柄の他に、新しい酒名の酒を世に訴える。特約店販売を主力とする新銘柄の開発、販路展開は、近年、多くの地酒蔵の間で、一種のトレンドになっていたような状況でもありました。

「これまでの銘柄が普通酒、新しい銘柄が特定名称酒というような場合は分かりやすいのですが、
うちの蔵の場合はそうではありません。今後は、2つの銘柄の特徴をより鮮明に、手に取っていただくお客様が分かりやすいかたちにしていきたいと考えています」

「萩の鶴」は蔵の中心銘柄として、宮城産のお米を中心にした造りにこだわり、これまで同様に飲み飽きしない酒質の日本酒を目指していく。一方、「日輪田」は蔵のサブブランド、プレミアムブランドとして、よりコアな日本酒ファン向けに「山廃造り」にこだわった展開をしていく。

昨年末から今年初春にかけての新蔵での1期目の造りを終えて、8代目蔵元である曜平専務の酒造りに対する理想は、これまで以上に鮮明なイメージが描かれ始めているようです。

宮城のお酒で宮城を元気に‼とメッセージを残してくれた
佐藤曜平さん(左)と佐藤善之さん(右)
宮城県はひとめぼれ、ササニシキの産地として全国に知られるだけではなく、1986年より「みやぎ・純米酒の県宣言」を実施して、いわゆる高級酒である特定名称酒の比率が全国一の県です。

それだけ熱心に高品質の酒造りに取り組む蔵がたくさんあります。

ただし、互いに切磋琢磨し協調していく部分は当然あるにしても、それぞれの蔵の個性を訴え、新しい販路を開拓していく、また、リピートユーザーの心をつかむ必要性を多くの蔵が感じていることも確かでしょう。

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東日本大震災により、昨年、蔵を新造した萩野酒造でも萩の鶴、日輪田のさらなるブランディング化、また、これまでの酒造りを深化させ、新たな酒造りの試みにも挑戦していく考えのようです。

実際に、24年度に限定生産で醸した「萩の鶴 純米大吟醸 試験醸造酒」は、シャンパングラスで飲む食前、食後酒のようなイメージで造りを行いワイングラスでおいしい日本酒アワード2013の最高金賞を見事獲得しました。

蔵にも現在、在庫がないほどの反響だったそうです。

萩野酒造がこだわる「冷蔵瓶貯蔵法」とお酒のおいしさの関連性、日輪田ブランドで挑戦していく新しい「山廃仕込み」など、被災後に新造した蔵だからこその取り組みについても、後日、後編で紹介したいと思います。


日本酒「萩の鶴」、「日輪田」醸造元
萩野酒造株式会社
www.hagino-shuzou.co.jp

(取材日 平成25年11月15日)

輪音紅白歌合戦(石巻市)

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こんにちは、chocoです。
2013年も残すところ3日。
師走の忙しさも、
年越し前の大掃除も、
年賀状書きも落ち着いて、
あるいは、今年の仕事も終わり、ようやくゆっくり休めると、一息ついている皆さん。
やっぱり、音楽が癒してくれます。

今日は、今年最後のイベント情報です。



主催者は、「輪音」。


実は、代表の畑中みどりさんは、私の団体と同じ場所でボランティア活動をしていて、偶然知り合った方です。

愛知県在住の現在は大学生の畑中さんは、音楽を通して、東北とつながっています。
初めて被災地を訪れたのは、去年の夏でした。
「正直、『思ったよりも復興しているな』というのが、最初に被災地を見た時の印象でした。町も元通りになりつつありましたし、瓦礫もほとんど片付けられていて・・・」

しかし、その反面見えてきた事実がありました。

亡くなった子どもの保育園を見るだけで涙が止まらない」
「家族の声を忘れていくのが怖いけど、ビデオを見る勇気は出ない」
という声を実際に被災した人たちから聞く機会があり、

「一年半たった今でもなお、心の中には大きな穴が空いていて、復興なんてまだまだ遠いものなんだ」
と感じたそうです。

いくらボランティアをしたいと想いが強くても畑中さんは、女で身体も小さく力もない自分では、あまり役に立てないのではという不安があったそうです。
「自分にできること」それは何かと考えた時に、たどり着いたのは音楽でした。
音楽を使って何かできることはないか・・・そう考え、石巻で出会った先生に「どんなカタチでも良いから、音楽で何かできることはないか」と長文のメールを送ったそうです。
その先生は、岐阜県でレストランを営んでいる末永さんを紹介してくれたそうです。
末永さんは女川町出身で、震災前はレストランと民宿を営んでいました。
震災後、岐阜県の高山に避難し、現在は「復興レストラン女川すえひろ」を高山で再開しているところです。
畑中さんは、そこでチャリティーミニコンサートを開きました。それがきっかけで、「輪音」の活動が始まったのです。

畑中さんを中心に「音楽を通して誰かのために何かをしたい」という仲間がジャンルや年齢問わず集まり、東日本大震災のチャリティーコンサートなどを行いました。
その他にも、東北でのコンサートや、東北へのボランティア派遣、そして震災の復興支援以外にも、地元の施設の訪問などを行っているそうです。


「私たちは、みんなプロではありません。みんなアマチュアです。だけど、そんなアマチュアの私たちにも、きっと誰かのためにできることがある。『音楽で誰かを笑顔にしたい』という、音楽をやる人なら誰しもが感じる思いを、社会のために役立てていけるような、そんな団体でありたいです。
そして、この温かい音楽の輪が広がっていくことを願っています」
畑中みどり


『クリスマスやお正月などのイベントごとの時こそ、被災者の方は寂しい思いを抱き、自殺率も高くなる』そんな現地の方の言葉がきっかけとなり、去年の冬に東北でのコンサートを行いました。
「とにかくめちゃくちゃ楽しい時間を作って、笑顔になれる空間を共有したいなと思います。与えるでも与えられるわけでもなく、お互いに寄り添いながら、協力して一つの楽しいコンサートを作れたらいいなって。
大好きな東北の皆さんと、温かい時間を過ごせるのだと思うと、今からワクワクが止まらないです♪
本番は、まったりと楽しんで頂ける場作りを頑張ります!」
と、現在もメンバーの皆さんとイベントの準備真っ最中の畑中さん。

12月29日は、是非、音楽を通して石巻へ来ている皆さんの心温まる歌声を聞いて癒されてください。

—————————————


輪音カウントダウンコンサート2013 in 石巻
「輪音紅白歌合戦」
日時:12月29日(日)13:00〜
場所:笈入あすなろ館(石巻市和渕字仲通155−1)

(取材日 平成25年12月26日)

沿岸部神社 復旧復興支援金のお願いー大崎八幡宮ー(仙台市青葉区)

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国宝「大崎八幡宮」御神殿

こんにちはエムです。


もうすぐ平成25年が終わろうとしています。
今年もまた日本国内や世界のあちこちで災害の多い年でした。
新しい年の平安と平和を願わずにはおられません。

いつも私たちの生活を見守ってくださった鎮守の杜、氏神様。
困った時はカウンセラーのように悩みを聞き(時々は解決もしてくださり)、祭の時には先頭に立って地域を盛り上げてくださった神社。
思えば日本の文化も人とのつながりも神社から生まれ、私たちはそれを当たり前のように引き継いできました。

東日本大震災は、そんな私たち日本人の心の拠り所である神社にも甚大な被害をもたらしました。

宮城県では沿岸部を中心に680社以上の神社が被災し、そのうち倒壊または津波で流出した神社は52社にも上ります。
震災から3年がたとうとしているのに、いまだに復旧作業が進んでいない神社、復旧復興のきざしさえ見えない地域がたくさんあります。
特に沿岸部では震災後も住民の移転が多いため仕方のないことかもしれませんが、人口の減少が顕著です。いままで各地域で、古来からの行事を通して文化を継承したり、人と地域を結ぶ役割を担ってきた神社の多くは、再建の道も見えないままです。

宗教施設であるために行政からの補助金を望めない神社仏閣の再建は民間の手でしかなし得ない、というのも更なる難しさの一因になっています。


津波で傾いた海抜20mにある雄勝町「葉山神社」本殿を水平に直す作業。
「葉山神社」は今より10m高い場所に平成26年4月より再建作業が始まる予定
平成25年6月撮影(画像提供/大崎八幡宮)

仙台市青葉区八幡に鎮座する国宝「大崎八幡宮」では、震災直後から支援物資の搬送や仮設住宅に使用するコンテナハウスの搬入・設置、がれき撤去などの被災地支援活動を続けてきました。

そして、
「地方に行けば行くほど、鎮守の杜とのつながりが深く、氏神様の再建が重要」
「地域の神社を復旧しなければ地域の再建もできない。神社があることで、離れた住民が戻って来る機会にもなるはず」
こうした考えのもと、特に被害の大きかった沿岸部の被災神社の再建に向けた支援活動を、平成25年4月から実施しています。

大崎八幡宮でお手伝いに行った雄勝町「白銀神社」春祭り渡御(とぎょ)の様子
平成25年4月28日撮影(画像提供/大崎八幡宮)

「大崎八幡宮」ではそのために広く「被災神社再建支援金」を募集しています。
沿岸部被災神社の再建のためには、皆様のご協力が必要です。
温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

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「被災神社再建支援金」は郵便振込または直接「大崎八幡宮」までお願いいたします。

〈郵便振込〉
加入者名 大崎八幡宮(震災支援金)
口座記号 02250-0
口座番号 49188


大崎八幡宮
〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1
電話 022-234-3606
FAX 022-273-1788
Email oosaki@okos.co.jp
http://www.oosaki-hachiman.or.jp

☆ 支援の詳細はホームページ内「美咲の部屋」を参照ください。
(取材日 平成25年12月25日)

新しい年の神様をお迎えする、正月飾りの準備をしよう(気仙沼市唐桑町)

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こんにちは。kaiiです。

今年も残りわずかになりました。今年は皆さんにはどんな一年だったでしょうか。
今年は大雨などの自然災害が多く、寒暖の差の大きい一年でした。生活の中では、野菜がとても高かった印象があります。
もうそこまで来ている新しい年を穏やかにお迎えする準備を皆さんもそろそろ始められたころでしょうか? 

最近は生活の欧米化や住宅事情の変化などで、神棚のないお宅も多いそうです。
でも、ここ気仙沼では「神棚」を大切に祀る家庭がとても多く、東日本大震災以前は、年末に神社の宮司さんが出向いて地域にお正月のお飾りの準備に来ていました。
震災で大きな被害を受けなかった地域では今もこの風習が残っています。



特に気仙沼市唐桑町では大きな神棚に神様をおまつりし「大漁」や「五穀豊穣」「航海安全」「家内安全」などを祈願します。
唐桑町は昭和の時代、漁業で大変栄えた町です。町の中には「唐桑御殿」と呼ばれる大きな家がたくさん建っています。
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気仙沼のお正月準備は「六曜吉凶」や「十二直吉凶」などを暦で確認して「吉日」を選び、新しい年のしめ縄などの買い物や「すす払い」などを行います。
12月中旬が過ぎるとスーパーマーケットなどにも「本日大安」の表示がされることがあります。

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気仙沼市唐桑町の岩渕さんのお宅のお正月準備を見せていただきました。 

岩渕さんのお宅は先代が漁師だったこともあり、一畳ほどの広さのある神棚がまつられています。お飾りや風習や慣習も世代が変わるごとに少しずつ簡素化されたそうです。
12月に入ると新しい神様をお迎えするため、「すす払い」をして神棚から今年のお飾りを外します。
岩渕さんのお宅では、今年は12月17日に「すす払い」をし、神棚から今年のお飾りを下げました。

今年のお飾りが外されきれいに「すす払い」された神棚
「すす払い」が済んだ夜に「すす神様」といって、神棚にご飯を供え、神様に一年の無事を感謝します。
 
すす払いが済んだ後の吉日に、神社に「御幣束(おへいそく)」を授かりに行きます。御幣束の内容は地域や神社、家庭によって異なります。
12月も残り数日になると、「神宮大麻」「御神像(お正月様)」「しめ縄」「御幣束」「星の玉」「切り子」「供え餅」「お神酒」「塩」「米」「水」などを準備しいよいよ新しい年神様をお迎えする神棚が飾られます。
 
気仙沼には「七房」「五房」「三房」「輪」「エビ」など多くのしめ縄があります

まず、しめ縄に、「松」と「紙垂(しで)」をはさみ込みます。岩渕さんのお宅では、神棚、氏神様、玄関、倉庫など、家の内と外に6本のしめ縄を飾り、新しい年の神様をお迎えします。

紙垂(しで)をつけて幣(ぬさ)ができました


神棚に罪・穢(けがれ)を払うため神前に供える幣(ぬさ)を準備します。

星の玉に描かれた大黒神・恵比寿神

松・竹・梅が描かれた星の玉
気仙沼の神棚には「星の玉」と呼ばれるお飾りを飾ります。こちらのお飾りは7枚、5枚、3枚の3タイプがあり家庭によって枚数が違います。
岩渕さんのお宅では7枚の星の玉を神棚と仏壇に分けて飾ります。

御幣束と呼ばれる新年を迎えるためのお飾りの一例
宮城県では御神像(ごしんぞう)をお神札と合わせて「お正月様」と呼ばれる独特な御神像をお祀りして一年をお守りいただく風習が行われています。

「大年神(おおとしがみ)」=新しい年をお授けになる歳神様。お正月様その年のお正月の中心とされる神様です。
「大國主神」=大黒様とも呼ばれる福の神として親しまれています。
「五穀豊穣(宇迦御魂神)」=五穀豊穣の御神徳を司られる宇迦御魂神は人々が生きていく上で欠かせない衣食住をお守りくださいます。
「事代主神」=「恵比寿さま」とも呼ばれ漁業、海運の神様として崇められています。
「奥津彦神、奥津姫神(竈神)」=竈神様は、火の恩恵を頂きながら、火災などの災いを避け、穢れや禍から家を護ってくださいます。

台所に飾られる「奥津彦神、奥津姫神」竈神様
地域によっては、「開運福禄寿」「五穀豊穣」などの願いを切り子で現し飾ることもあります。


奥3本の幣は神棚に飾ります
手前の5本の幣は氏神様、水神様などに飾り、鎮守様のお参りにも持参します
竹に紙垂をはさんで幣(ぬさ)をつくり神社の参拝の時などに持参し祈願奉納します。

お正月飾りがされた神棚(岩渕さん宅)
「お供え餅」、「お神酒」、「塩」、「米」、「水」を供え、神棚に歳神様、しめ縄、星の玉、切り子をお祀りして新年をお迎えする準備ができました。

玄関にもしめ縄が飾られます
玄関、倉庫などにもしめ縄を飾ります。

地蔵堂にもしめ縄が飾られます。
御地蔵堂もしめ縄が飾られ新年の準備ができました。

大黒神・恵比寿神の切り子も飾られます
震災から3回目のお正月を迎え、少しずつ人の心も落ち着きを取り戻しつつあります。
気仙沼市内の仮設に住む男性(78)は、「今年で3回目の正月。仮設だから昔みたいにはできないけれど、今年は年神様をお迎えし、少しばかり餅をついて食べようかなと思います」と話しました。

岩渕さんも「震災前のように神棚を飾り新しい年をお迎えできることがうれしい」」と話しました。

生活環境が変化し、慣習や風習も少しずつ簡略化され地域で大切に守られてきた文化も風化してきています。
地域に残る文化にはその地域で生きる人たちの「知恵」や「祈り」があることを、」今回の取材を通じて感じました。
先祖から受け継がれてきた地域の文化を風化させず細く長く継承していきたいと思います。
 
(取材日 平成25年12月25日)

週刊ココロプレス 第67号

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ココロデスクです。

「天災は忘れた頃にやってくる」
これは、明治大正昭和にかけて活躍した物理学者であり、随筆家、俳人でもあった寺田寅彦の言葉とされています。

実際には、この通りの言葉は彼の著作中には無いそうです。しかし、これに類する警句を寺田はさまざまな場面で発しています。

さて、2013年最後の週刊ココロプレスを書くに当たり、ここ数日の新聞を読み直してみましたが、地方紙や全国紙の地方面を除いては、東日本大震災の関連記事を見掛けることは本当に稀になってしまいました。
震災に対する関心の「風化」は、もはや厳然たる事実と認めざるを得ないでしょう。


そう思っていたところに、こんな言葉を投書欄で見つけました。

「天災は忘れる間もなくやってくる」

確かに今年は、地震だけでなく台風、竜巻、寒波、豪雪、酷暑、干ばつといった自然災害が国内外で立て続けに発生した年でした。
私たち人類にとっての「災害」も、地球の歴史から見れば「自然なリズム」なのでしょうか。

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この1年、ココロプレスをお読みいただきありがとうございました。
風化の進行は事実であるとしても、だからこそ、それを少しでも食い止めるためにこれからも活動してまいります。

新年も引き続きココロプレスをよろしくお願いします。


<お正月もココロプレスは休刊日なしで発行いたします>

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宮城県が全国からいただいたご支援に対して感謝を発信するために、宮城県では「宮城から感謝をこめて」というホームページを設置しています。
現在、「石巻魚市場」「山元町災害公営住宅」「石巻市雄勝町のローズファクトリーガーデン」「南三陸町の長須賀海水浴場復活」の4本記事が掲載されており、これからも順次増やしていきます。

宮城から感謝をこめて
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/


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■イベント情報
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東日本大震災祈念特別展
11月16日~2014年1月13日
東北歴史博物館(多賀城市)
http://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/detail.php?data_id=499

いわぬまLight Up Dream(岩沼市) 
12月15日~2013年1月3日
JR岩沼駅西口
電話 050-3347-1518

マリンパル女川おさかな市場 年末大感謝祭(女川町)
12月21日~30日
マリンパル女川おさかな市場
http://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-13115
 
ゆりあげ港朝市 初市
2014年1月5日
ゆりあげ港朝市
http://yuriageasaichi.com/

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  ■最近のダイジェスト (12月18日~12月30日)
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2013年12月18日水曜日
「ふかボーヤ」のいる店・みなみまち青空市(気仙沼市)
ご存知でしたか? 「ふかボーヤ」。気仙沼市の公認キャラクター「ホヤぼーや」の向こうを張っての? 登場です。「REBORN」Tシャツなど気仙沼のちょっと面白いお土産が買えるお店「みなみまち青空市」(気仙沼復興商店街南町紫市場内)で発売中です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7463.html

2013年12月19日木曜日
「こころをひとつに」の思いをカタチに~東北イラストレータズクラブ~(仙台市)
震災で仕事量が激減するのでは?という不安と、イラストを描くことの無力感にさいなまれていた東北のイラストレーターたち。それでも、より深刻な沿岸部の復興のためにと立ち上げた支援活動。それが「だいすきとうほくTICプロジェクト」です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3396.html

2013年12月20日金曜日
テニスで愛をつなげたい~Project Love All~(気仙沼市)
「海外に住む日本人として、少しでも復興の力になりたいと願い活動を始めました。これからも皆で楽しくテニスを通じて交流を深めていきたいです」と、Project Love All 代表の今井誠さん。これをきっかけにテニスを始めた市民もいるそうです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/project-love-all.html

2013年12月23日月曜日
この思いを届けたい~ママたちのネットワークで支援の大きな輪[前編](仙台市)
被災地に贈った自転車の数、52台。全て、オリジナルのチャリティアイテムの売り上げで購入した新品。これは、仙台市の向山幼稚園に通う子どものお母さん有志が立ち上げた小さな支援活動グループ「仙台チャリティバック」が起こした、奇跡のようなお話です。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5526.html

2013年12月24日火曜日
大切な人のHEROになる(石巻市)
「はぁーとふる石巻」のカレンダーと年賀状も制作しているbeyond Design Officeの斉野浩一さん。新築して1カ月もたたずに自宅兼事務所を津波で流されました。一度は諦めかけたものの、「大切な人のHEROになる」を企業理念に事業を再開しています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/hero.html

2013年12月25日水曜日
東日本大震災から1000日、3266の灯火 1(石巻市)
石巻市門脇町にある「がんばろう!石巻」の看板の前で、石巻市の犠牲者数に合わせた3266個の灯籠が灯が灯されました。静かに、そしてゆっくりと流れていく時間の中で、多くの人々が手を合わせ、震災で亡くなられた方々のために、祈りを捧げました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/10003266-1.html

2013年12月26日木曜日
被災蔵を新造、新機軸の酒造りに挑む(前編)  萩野酒造株式会社(栗原市金成) 
「宮城のお酒で宮城を元気に!!」有壁(宮城県栗原市)の地で170年ほどの歴史を育んできた萩野酒造の佐藤曜平・善之さん兄弟。5年前の岩手・宮城内陸地震と東日本大震災で大打撃を乗り越え、蔵を新造し、新たな酒造りにチャレンジです。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3804.html

2013年12月27日金曜日
輪音紅白歌合戦(石巻市)
「自分にできることは何かと考えた時に、たどり着いたのは音楽でした」。愛知県在住の大学生、畑中みどりさんは、音楽を通して東北とつながっています。彼女を中心に「音楽を通して誰かのために何かをしたい」という仲間が幅広く集まり、チャリティーコンサートを行いました。

2013年12月29日日曜日
沿岸部神社 復旧復興支援金のお願いー大崎八幡宮ー(仙台市青葉区)
宮城県では、震災で倒壊または流出した神社が52社にも上ります。「地域の神社を復旧しなければ地域の再建もできない。神社があることで、離れた住民が戻って来る機会にもなるはず」。伊達政宗ゆかりの神社・大崎八幡宮では、被災神社の再建に向けた支援活動を続けています。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_29.html

2013年12月30日月曜日
新しい年の神様をお迎えする、正月飾りの準備をしよう(気仙沼市唐桑町)
「震災前のように神棚を飾り新しい年をお迎えできることがうれしい」」と、唐桑町の岩渕さん。震災から3回目のお正月を迎え、少しずつ人の心も落ち着きを取り戻しつつあります。地域に残る「祈り」の文化を訪ねました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/12/blog-post_1076.html

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■編集後記


この年末に、生涯で初めて家族を見送りました。

これまでも親戚、恩師、友人と、大切な人々の死に接してきましたが、肉親の死はそのどれとも比べられないものでした。

ココロプレスを始めて2年余り。

被災した方々の暮らしを訪ね、お気持ちを伺ってきましたが、果たして自分はどれだけ理解できていたのだろうか? 
そう振り返りながら年を越します。

皆さん、来年もどうぞよろしく。

(ココロデスク)

謹賀新年

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エムです
新年明けましておめでとうございます。

どうか今年は大きな災害がありませんように。

激しい痛みが核となり、いつか真珠に変わるように
心や体の痛みが少しでも軽くなりますように。

今年も私にできることをします。
たとえ3歩進んで2歩(3歩)下がったとしても立ってる位置は違うはず。
きっと歩みを止めなければ良いんだと・・・。
このまま行けば何とかなるさ。
きっと午(ウマ)くいく!

ウマ(?)

本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
(平成26年1月1日)

新年のごあいさつ

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あけましておめでとうございます。

YUUです。



正直、日本一になるとは思っていませんでした。東北楽天ゴールデンイーグルス。

「優勝パレード」はものすごい人でしたね。仙台名物初売りや七夕祭りを振り返っても、ちょっと記憶にないほどの人波でした。推定で21万4千人もの人が集まったとも言われています。

2011年、星野監督就任初年度の成績が66勝71敗7分けで6チーム中5位。その2年後によくぞリーグ、クライマックス、日本シリーズと勝ち抜きました。

震災より2年、球団創設より9年での悲願成就です。


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顧みて、復興の歩みはどうでしょう。

道路が直った、建物が元通りになったなどのインフラ整備だけに焦点を当ててみても、宮城県内全域を見渡せば、震災以前と同等とは言い難い状態です。

何より復興とは、プロ野球の優勝のように着地点が明快な目標ではないと個人的には考えています。

人々の心のケア、暮らしの再構築。

思いや行動を継続することこそが大切だと考えて、その軌跡の一端を引き続き紹介していきたいと思います。


ココロプレスをご覧になってくださる方々、今年度もよろしくお願いいたします。


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